第1回「薩摩のやっせんぼ」(大河ドラマ「西郷どん」①)
いよいよ「西郷どん」が始まりました。
久しぶりの江戸がらみの大河ドラマですので、今年は「西郷どん」についても、このブログで書いていこうと思います。
昨日は、西郷隆盛の少年期における島津斉彬との出会いが重要な場面ですが、この時期に西郷隆盛は島津斉彬とは巡り会っていないようですので、フィクションとして楽しませてもらいました。
西田敏行さんのナレーションで「この年、島津斉彬が薩摩に居たという記録はありません。小吉があったのは天狗だったのか、影武者だったのか、それとも・・」と非常に良心的なコメントをいれてあるのが印象的でした。
さすが時代考証に原口泉先生が入られているだけに、丁寧に作られているという印象で、今後のドラマの展開が楽しみとなりました。
西郷隆盛は、文政10年(1827)鹿児島の下鍛冶屋町で生まれました。
この下鍛冶屋町で生まれた西郷隆盛と同世代の人々が、のちに幕末から明治にかけて大活躍します。
そこで、今日は、どんな人々が、同じ下鍛冶屋町で生まれ育ったのか、『評伝西郷隆盛』(安藤英男著)『図解でわかる西郷隆盛』(木村武仁著)を参考に紹介しようと思います。
まず、なんといっても大久保利通です。いうまでもありません。西郷隆盛の盟友で、西郷隆盛とともに維新三傑に数えられていますし、「西郷どん」でも重要は役回りとなるようです。
大久保利通の号は、「甲東」といいますが、これは、下鍛治屋町の脇を流れる甲突川の東という意味だそうで、育った下鍛冶屋町に愛着を感じていた証拠のように思えます。なお,大久保利通は生まれたのは、下鍛冶屋町の対岸の高麗町です。
大山巌は、西郷隆盛の従兄弟です。幕末には砲術家として活躍し「弥助砲」という大砲を考案したりしています。明治になっては、日露戦争の際に満州軍総司令官となるなど陸軍で活躍しました。
日露戦争で、陸で活躍したのが大山巌であれば、海は東郷平八郎ということになりますが、いうまでもありません。日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破した連合艦隊司令長官です。この東郷平八郎も下鍛冶屋町で生まれ育っています。
西郷隆盛の隣家に住んでいたのが、吉井友実です。吉井友実は、西郷隆盛の大親友です。明治になって宮内次官となり明治天皇のそばで仕えました。上野の西郷隆盛の銅像建設にあたっては、中心人物として東奔西走しました。
西南戦争で、西郷隆盛に従って一緒に戦った篠原国幹と村田新八も、同じ下鍛冶屋町出身です。
その他、明治元年の会津戦争の際に新政府軍の参謀として活躍した伊地知正治も、同じ町内で育ちました。また、日露戦争の際に、第一軍司令官として活躍した黒木為楨もここで育ちました。
このように明治になって日本を動かした人々が、下鍛冶屋町の郷中で切磋琢磨しつつ、育っていきましたが、西郷隆盛は年長でしたので、西郷隆盛を中心に強い絆が結ばれていきます。
これが、のちに2回の島流しにあうという悲運にあいながらも、西郷隆盛が復活するエネルギーとなっていったようです。