『解体新書』(『蘭学事始』)
しばらく、『蘭学事始』のことを書いていませんでしたが、『解体新書』についてはどうしても書いておきたいので、今日は『解体新書』について書いてみます。
『解体新書』というと最下段の表紙が大変有名です。
しかし、その内容がどうなっているのか、今まで、私はまったく知りませんでした。
『解体新書』は図だけをまとめた「序図」と呼ばれる巻が一つ、そして本文が四巻からなります。
見ていただいてお分かりになると思いますが、全文、漢文で書かれています。
つまり、『解体新書』は、『ターヘル・アナトミア』を翻訳して和文として出版したのではなく、さらに漢文に替えて出版したのでした。
『ターヘル・アナトミア』の翻訳の中心は前野良沢でしたが、漢文で書いたのは杉田玄白でした。
杉田玄白は、日中の翻訳が終わったあと、自宅で漢文に書き替えて、翌日、仲間に見てもらうという作業を繰り返しました。
なぜ、漢文で書いたのかというと、日本だけでなく、中国そして漢字文化圏でも、『解体新書』が利用されることを意識していたからだと言われています。
その杉田玄白の意気込みは訳者名を書いた上部にある「日本」という言葉にもあらわれています。
日本の人々が読むのであれば、若狭杉田玄白翼譯だけで済みますが、中国の人が読む場合には、若狭では認識されません。そこで「日本」という国名を付け加えたと考えられています。
また、『解体新書』には、吉雄耕牛が書いた序文が書かれています。
序文を書いた吉雄耕牛は長崎のオランダ通詞であり、西洋の諸学(天文・地理、医学など)に通じていて、当時、日本で最もオランダ語に卓越していると評価されていた人物でした。
前野良沢が、百日間の暇をもらって長崎に行った際に、吉雄耕牛にもオランダ語を学んでいます。
言ってみれば、前野良沢の師匠ということになります。
吉雄耕牛は、長い序文で前野良沢と杉田玄白たちが、『解体新書』出版に至った経緯について書いて、翻訳の中心人物が前野良沢であったことにも触れています。
その中で、『解体新書』出版の意義について、次のように書いています。
原文は漢文ですが、講談社現代文庫『解体新書 前現代語訳』(酒井シヅ著)より引用させていただきます。
自分はこれを受けとり、読んだところ、内容が詳細で論旨がよく通り、事柄と言葉を原書と比べてみると一つも間違いがなかった。そこで学問に忠実であるとはこういうことかと感心し、思わず涙がはらはらとこぼれた。そしてはたと書物を閉じて、ため息をつき、ああついにこの快挙がなされたと感嘆したのであった。
赤字部分を読むと、いかに吉雄耕牛が蘭書を翻訳して『解体新書』が出版されることに感激しているかがよくわかる序文だと思います。
ただし、多くの学者が、「事柄と言葉を原書と比べてみると一つも間違いがなかった。」と書いてあるのは、書きすぎであると指摘しています。
吉雄耕牛には、逐一、原書と『解体新書』の訳文をチェックする時間も能力もなかったと考えられているからです。
さらに、下記の『解体新書』の扉絵は大変有名なものですが、この扉絵は「『ターヘル・アナトミア』の扉絵とはまったく異なったもので、スペインの解剖学者ワルエルダという人が書いた著書の扉絵と似ていると講談社現代文庫『解体新書 前現代語訳』(酒井シヅ著)の解説の中で小川鼎三先生が書いています。これも意外な発見でした。