2017年 06月 25日 ( 1 )
河井継之助ゆかりの地長岡に行ってきました(北越戦争レポート①)

河井継之助ゆかりの地長岡に行ってきました(北越戦争レポート①)

 先週木曜日と金曜日、河井継之助ゆかりの地長岡を旅行してきました。

 河井継之助と北越戦争を中心に訪ねてきましたが、大変収穫の多い旅行でした。そこで、これからはしばらく長岡のお話を書いていきたいと思います。

 今日はとり急ぎ主な訪問地について概略レポートします。下の写真は、慈眼寺会見の間に飾られていた河井継之助の肖像画です。

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 長岡には新幹線で行きました。長岡駅は長岡城の本丸があった場所に建設されたものですが、三尺玉のモニュメントがお出迎えしてくれました。

 長岡の花火は全国的に有名で100万人以上の人が観に来るそうです。長岡は昭和20年8月1日の空襲で多くの人が亡くなりました。
 その人たちを慰霊するために花火が打ち上げられるそうです。
 そのため、打ち上げ日は毎年8月2日3日と決まっているそうです。

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 河井継之助を知るためにまず訪ねたのが河井継之助記念館です。
 河井継之助が住んでいた屋敷跡に建てられたもので、長岡駅から徒歩5分程度で交通も至便です。河井継之助の功績をしるのに役立つ展示がされていまて、ガトリング砲は大変精巧に復元されていました。

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 長岡郷土史料館は、長岡駅からバスで15分程の悠久山公園の中にあります。

 悠久山公園は広大な公園で、史料館は奥まったところにあり、バス亭からですと20分弱かかります。自然豊かな登り坂を登っていくのでちょっとしたハイキング気分でした。最も近い駐車場からも登り坂で10分です。

 史料館の建物は城を模した立派な建物です。長岡の偉人の展示や最上階からの見晴らしがすばらしいです。ハイキング気分で歩く価値があります。

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 河井継之助ゆかりの地で絶対はずすことができないのが小千谷の慈眼寺です。慈眼寺には河井継之助と新政府軍軍監の岩村精一郎との会談いわゆる小千谷会談が行われた会見の間が残されています。中越地震で甚大な被害を受けたそうですが、見事に復元されていました。

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 小千谷会談は、新政府軍から30分で切り上げられてしまいました。しかし、なんとしても戦いを避けたい河井継之助は、慈眼寺の近くの料亭「東忠」に留まり、なんとか再会談できるよう試みました。
 その「東忠」は現在も営業をしています。小千谷会談の後、河井継之助が留まって
いたという部屋も残されています。「東忠」は食事もできますので、ここでお昼ご飯を食べました。

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 河井継之助の戦争回避のための努力も空しく終り、河井継之助と長岡藩には戦いの道しか残されていませんでした。

 会談が決裂したため、長岡摂田屋の光福寺に戻った河井継之助は新政府軍との闘いを宣言しました。光福寺は、その後、長岡軍の本営となりました。

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 長岡藩と新政府軍の最初の戦いが起きたのが榎峠でした。
 榎峠は、小千谷と長岡藩領の境にある峠です。
 小千谷側に陣取っている新政府軍の進入を防ぐためには絶対抑えなければならない要衝の地です。ここを河井継之助はまず攻撃し占領しました。
 この榎峠の麓の国道脇に「榎峠古戦場パーク」と名付けられた史跡が造られています。現在は榎峠の麓を国道が通っていて、車があっといまに通り過ぎていきますが、江戸時代、三国街道は山の中を通り、榎峠は険阻な峠道だったそうです。

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 信濃川にかかる「越の大橋」の西のたもと(つまり榎峠の対岸)に河井継之助の名を一気に高めた司馬遼太郎の「峠」の碑があります。
 碑文を読んで後ろを振り返ると激戦地榎峠や朝日山が見渡せました。

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 榎峠や朝日山の戦いで敗北した新政府軍は、榎峠からの長岡藩領への進入を断念します。
 それに代わって計画されたのが、信濃川を渡河して直接長岡城を攻めるという奇襲作戦です。
 河井継之助は、まさか信濃川を渡河してくるとは考えていなかったため、信濃川の防衛に兵力を割きませんでした(割けなかったというのが本当でしょう)。
 そのため、信濃川を渡河してきた新政府軍に長岡城を攻め落とされました。
 新政府軍が渡河した際に、城下に危機到来を知らせた西福寺の鐘が「維新の晩鐘」と名付けられて残されていました。

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 長岡城から退却した河井継之助は何度か反撃を試みます。そしてついに7月25日に長岡城を奪還します。

 その際の河井継之助の作戦は、長岡城の北東に大きく広がる「八丁沖」という大湿地帯を強行突破するという奇襲作戦でした。

 長岡藩兵は見事にこの難行をやりとげ、新政府軍から長岡城を奪い返しました。

 長岡藩勢が上陸した場所は、八丁沖古戦場パークと名付けられ、記念碑がたてられています。

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 河井継之助は長岡城を奪還した後、新政府軍の反攻状況を視察中に銃撃により負傷し戦場で指揮をとることができなくなりました。そのため、物量で勝る新政府軍からの攻撃を長く支えることができず、7月29日に長岡城は再度新政府軍の手に渡ります。

 そして、負傷した河井継之助は、怪我の治療を拒否し、ついに会津への逃避行の途中、只見でなくなります。
 継之助の遺骨は一旦会津若松に埋葬され、翌年、長岡の菩提寺「栄凉寺」に埋葬されました。
 下記写真が、河井継之助のお墓ですが、生き生きしたお
花が供えられているのが印象的でした。

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 次回から、河井継之助ゆかりの地長岡について詳しくレポートします。




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by wheatbaku | 2017-06-25 11:29 | 『幕末』 | Trackback
  

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