カテゴリ:神社参拝( 16 )
江戸三社に初詣

昨日4日は、午後から、私にとっての江戸三社すなわち神田明神、湯島天神、日枝神社に初詣に行ってきました。

この三社は江戸と江戸検に関係の深い神社ですので、年初に初詣するのが、私にとって恒例行事ですが、昨年は、獏塾から11名もの江戸検1級合格者がでたことから、今年はとりわけ思い入りの深い初詣です。

神田明神は江戸検当日、受検者の皆さんの合格祈願をしておいたので、神田明神に、まずお礼参りしました。

c0187004_12034012.jpgしかし、御茶ノ水から行きましたが、湯島聖堂前の交差点を曲がって驚きました。

神田明神前の道路が車は通行止めとなって、車道に参拝客がずらっーと並んでいました。

湯島聖堂側から参道を望むと、参道は参拝客でぎっしりでした。(右上写真)

こんなに初詣客が大勢いるのには驚きました。

c0187004_12034618.jpg当然のことながら拝殿前も一杯です。

例年、1月4日は仕事初めで、多くの会社関係の初詣客が多いのですが、こんなに一杯の初詣客には驚きました。

多くの初詣客に驚いた参拝客の人たちからは、「なんで神田明神は商売繁盛の神様なのから」「あっ、恵比寿様の像があるから、商売繁盛の御利益があるんだ」などというほほえましい会話が聞こえてきました。私は「これは実は大黒様なんですよね。」なんて心の中で呟きながら、順番がくるまでゆっくり待ちました。 神田明神の大黒様についてはこちらをお読みください ⇒ 神田明神のえびす・だいこく
 神田明神では、江戸検の合格御礼と今年の合格祈願をしてきました。

c0187004_12035218.jpg次に湯島天神まで歩いてお参りしました。

こちらも大勢の初詣客です。

こちらは合格祈願をする受験生と一緒の初詣客が大勢お参りしていました。

湯島天神では木札に名前を入れてもらえるサービスがあります。

私もお願いしましたが、ここでも多く人が順番待ちをしていました。
 湯島天神は有名な受検の神様ですので、ここでも江戸検の合格御礼と今年の合格祈願をしてきました。


最後は、日枝神社ですが、明るいうちに行けるものと思っていましたが、日枝神社について時には、もう夕暮れ時でした。

c0187004_12035724.jpgこちらも大勢の初詣客でした。

石段のある表門から向かいましたが、もう石段から初詣客が並んでいました。

 楼門前も当然、列ができていました。(右写真)

c0187004_12040456.jpgさらに、境内に入るまでは、混乱を避けるため、入場規制が敷かれていて、しばらく待った後、一団となって境内に入りました。

そこでもしばらく待っていましたが、入場規制が敷かれたために、逆にゆっくりお願いはできました。
 拝殿は、右上写真のようにライトアップされていました。

とにかく、今年の江戸三社の初詣は、参拝客が大勢で驚きました。

しかし、家族のことや江戸のことなど様々はお願いをすることができ、こころ良い一日となりました。




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by wheatbaku | 2017-01-05 11:50 | 神社参拝 | Trackback
水天宮に初詣
 今日は仕事開始めです。
 取引先への挨拶をすませた後で水天宮に初詣をしてきました
 6日に.人形町を案内しますので、その下見の意味もありました。
 もう5時近くでしたので、初詣の人は少なくなっていましたしビジネスマンが多かったように思いました。
 やはり、仕事始めですね。

 さて、水天宮は、安産の神様として大変有名ですね。c0187004_20113371.jpg では、水天宮にお祀りされている神様はどなたでしょうか?
 主祭神は、天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)ですが、さらに三柱が祀られています。
 その御三方は、安徳天皇、建礼門院、二位の尼という平清盛の関係者が祀られてています。
 
 もともと、水天宮の総本宮は久留米市にあります。
 この水天宮は、壇ノ浦で滅んだ平家に仕えていた按察使局(あぜちのつぼね)伊勢という人が、小さな祠を建てて平氏一門の霊を慰めたのが始まりだそうです。ですから、平清盛の関係者がお祀りされているのです。
 江戸時代になって、久留米藩2代藩主の有馬忠頼が7000坪の土地を寄進して社殿を造営しました。
 江戸の水天宮は、久留米藩9代藩主の有馬頼徳が江戸の上屋敷に勧請したものです。
 有馬家の上屋敷は、現在の港区の赤羽橋付近にありました。
 明治になってから、青山に移転した後、明治5年に現在地に移転をしたものです。
 従って、江戸時代には、日本橋蛎殻町(かきがらちょう)には水天宮はありませんでした。

c0187004_20121621.jpg 水天宮にお参りした後に人形町を散歩していたら、左のようなポスターを見つけました。
 昨晩、テレビで放映されていた「麒麟の翼」のポスターです。
 「麒麟の翼」は昨年上映された映画ですが、見なかったので、我が家では「麒麟の翼」を家族で見ました。
 この情報は月猫さんが江戸検一級2期会のメンバーにも発信していたので、2期会のメンバーも見た人がいると思います。
 「麒麟の翼」では、水天宮をはじめとした日本橋七福神が出てきました。
 そこで、人形町にポスターが貼られていたのです。
 町ぐるみで応援していたんだと感じました。

c0187004_20122835.jpg そんな気持ちを持ちながら、6日に案内する予定の甘酒横丁の「玉英堂彦九郎」さんにごあいさつにお邪魔しました。
 そうしましたら、店内に「麒麟の翼」の阿部寛さんのサインが飾られていました。
 「玉英堂彦九郎」さんは、映画にはでてなかったと奥様がちょっと残念そうでした。
 「玉英堂彦九郎」さんは天正4年創業の老舗中の老舗です。
 「虎家喜」や「玉饅」というお菓子が評判のお店です。
 詳しくはこちら「玉英堂彦九郎(江戸からの和菓子)」をご覧ください
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by wheatbaku | 2013-01-04 20:28 | 神社参拝 | Trackback
初詣
 元旦には、地元の氏神様に初詣で行ってきました。

 
 毎年、元旦には、氏神様に初詣に行くようにしています。
 
c0187004_21321352.jpg 地元の人が、三々五々、お参りにきていました。
 昨年の家族の無事と健康にお礼を言い、今年の家内安全をお願いしてきました。

 我が家の氏神様は「箕田八幡氷川神社」と言います。

 鴻巣市の箕田は、嵯峨源氏の流れをくむ箕田源氏発祥の地であり、平安時代には、源仕(つこう)、源宛(あたる)、渡辺綱三代が、この地を拠点として活発な活動を展開していました。
c0187004_2133168.jpg この「箕田八幡氷川神社」は、もともとは箕田八幡神社といい、平安時代に、源仕が石清水八幡宮を勧請して創建したといいます。
 箕田源氏の中で、最も有名なのが源頼光の四天王の一人に数えられた渡辺綱です。
 
 渡辺綱は、鴻巣の箕田で生まれたものの幼少の時に父親がなくなったため、摂津の渡辺で育ったため、渡辺を名乗ったと言われています。
 渡辺綱は、祖父が創建した箕田八幡神社を再興したと伝えられています。

 箕田八幡神社は鴻巣市を通る旧中山道沿いにあります。
 鳥居の前の道路が旧中山道です。
 江戸時代には、多くの旅人も旅の安全を願ったのではないでしょうか。

 実は、我が家は、この旧中山道近くにあり、日々、この道路を通勤・買い物などに利用しています。
 昨日は、お参りをしながら、歴史のある土地で、毎日、江戸時代の旧街道を利用している喜びを改めて感じました。
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by wheatbaku | 2013-01-02 07:05 | 神社参拝 | Trackback
神田明神のえびす・だいこく (神社参拝)
 しばらく、七福神について書いてきましたが、神田明神は、七福神のうちの「恵比寿」「大黒天」に縁のある神社ですので、初詣に行ってきました。

  神田明神(正式名称は神田神社です)のご祭神は、平将門だというのは大変有名ですが、実は、「えびす様」と「だいこく様」もご祭神なのです。
 
 c0187004_2136156.jpg【神田明神の由緒】 
 神田明神は、社伝によれば、天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村(千代田区大手町・将門塚周辺)に入植した出雲系の氏族が、大己貴命(おおなむちのみこと)を祀ったのが最初だそうです。

 神田という地名は、もと伊勢神宮の社領である御田(おみた)があったため付けられた名前です。

 神田明神は、元々、大手町にあり、天慶の乱で敗れた平将門が、神社の近くに葬られ、将門の霊を鎮めるため、鎌倉時代後期の延慶2年(1309年)に神田明神の相殿神として祀られました。

c0187004_21363520.jpg 【江戸時代以降の神田明神】
 江戸時代になり、元和2年(1616)には江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、江戸の総鎮守として篤く信仰されました。

  しかし、 明治になって、明治7年、明治天皇が行幸するにあたって、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのは良くないこととされて、平将門はご祭神から外されました。
 その代わりに、大洗磯前(おおあらいいそさき)神社から勧請されたのが、少彦名命(すくなひこなのみこと)です。
 この時に平将門は境内摂社に遷されましたが、昭和59年になって本社祭神として祀られるようになったのでした。

【ご祭神】 
 こうしたことから、神田明神では、
 一之宮が大己貴命(おおなむちのみこと)、
 二之宮が少彦名命(すくなひこなのみこと)、
 三之宮が平将門      としていいます。

c0187004_21371997.jpg 【だいこく様】
 大己貴命(おおなむちのみこと)が「だいこく様」です。
 大己貴命(おおなむちのみこと)は大国主神(おおくにぬしのかみ)の別称です。
 大国主神は、出雲大社に祀られているので有名ですが、国づくりの神で、国土経営・夫婦和合・縁結びの神様とされています。
 大国主神(おおくにぬしのかみ)は、大国が同じ「ダイコク」となるので、七福神の大黒天と同一視されるようになりました。
 「だいこく様」の像は、随神門を入った左側に鎮座しています。
 石造りでは、日本で一番大きい大黒さまの像です。 昭和51年に作られました。

c0187004_21374084.jpg【えびす様】 
 二之宮の少彦名命(すくなひこなのみこと)が「えびす様」です。
 えびす様の像は、だいこく様の少し先に、鎮座しています。
 少彦名命(すくなひこなのみこと)は一寸法師の原型とも言われていますので、小さな像となっています。
 まわりを波や魚で囲まれていて、その中に小さく鎮座している珍しい像となっています。

c0187004_21415268.jpg えびす様を少し拡大しました。
 少彦名命(すくなひこなのみこと)は、大海の彼方・常世(とこよ)の国より現れて、大国主神(おおくにぬしのかみ)と一緒に国づくりを行った神様です。
 そこで、少彦名命(すくなひこなのみこと)を恵比寿様とする考えがあると言われています。
 商売繁盛の神様であるとともに医薬の教えを広めたと言われていることから医薬健康の神様でもあります。
 この像は、平成17年に作られたものだそうです。 
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by wheatbaku | 2010-01-08 06:21 | 神社参拝 | Trackback
世田谷の吉良氏  (世田谷の寺社 番外)
 世田谷の寺社巡りの途中で、十五夜のお話を2回しましたが、今日は、世田谷に戻ります。
 世田谷八幡宮や豪徳寺は、吉良氏との関係が深いので、今日は 「吉良氏」 について、少し書きます。〔少し書くつもりが書き始めたらたっぷりになってしまいました。〕

 【三河吉良氏と奥州(武蔵)吉良氏】 
 c0187004_213224.jpg 吉良氏と言えば、まず忠臣蔵の吉良上野介義央が有名です。 そのことから、吉良氏の領地は、三河の吉良であるということも良く知られています。
 吉良上野介は三河吉良氏と言われます。
 一方、世田谷の領主の吉良氏は奥州(武蔵)吉良氏といわれ、系統が異なります。
 もともと、吉良氏は、足利氏の一門です。鎌倉時代に、足利義氏の長男の長氏が三河国碧海郡吉良荘を本拠としたのを契機に、「吉良」を名乗りとしたことに始まります。
 また、足利義氏の四男の義継が、兄の長氏と同じく三河国吉良荘を本拠とし、「吉良」を名乗りました。
 兄の長氏の家系は『三河吉良氏』となり、弟の義継の家系を『奥州吉良氏』といいます。

 【吉良氏は名門中の名門】  
 長氏は、母が正室ではなかったため、長男でありながら足利家の家督を継ぐことができなかったといいます。このことから、後に足利一門の中で吉良家とその分家の今川家のみが足利将軍家継承権を持つことになります。

 吉良氏は足利一門において名門中の名門とされ、分家の今川家とともに足利将軍家の連枝としての家格を有しました。
 その格式は「御所(足利将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」とまで言われ、足利将軍家の血脈が絶えた際には将軍家の家督を継承することが許されていました。
 吉良家と今川家から管領が1人も出ていませんが、これらの役職は「家臣の仕事」であり、足利将軍家の継承権を持つ吉良家・今川家は管領などに任じられる家柄ではなかったためです。


 室町幕府において、なんで、吉良家や今川家が管領になっていないのか長い間疑問でしたが、この記事のための調査で、ようやくそれが解明できました。  なるほど!なるほど!

 【世田谷城主の吉良氏】  
c0187004_210331.jpg世田谷を領した吉良氏は、奥州吉良氏の系統であり、奥州管領を拝命した家柄でしたが、一時期衰退しました。
 室町時代にはいると、鎌倉公方に仕え、鎌倉公方に仕えた奥州吉良氏は、公方と同じ足利氏の流れを汲む家として「鎌倉公方の御一家」という別格の扱いを受け、世田谷に世田谷城を構え、同地に土着しました。
 戦国時代には、後北条氏と政略結婚を通じて北条氏の傘下に入りました。
 しかし、北条氏が豊臣秀吉に敗れたため、世田谷城も開城しました。

 【江戸時代は高家】 
 江戸時代に、徳川家康に従うようになると家格の高さを認められ、高家として取り立てられました。
 この頃から、三河吉良氏に配慮して、蒔田氏(まいた)として正式に改名しています。
 これは、徳川家康から、本家だけが吉良氏を名乗ることができると命じられて、この時に蒔田氏に改名したといわれています。
 しかし、元禄赤穂事件によって三河吉良氏が断絶したことを契機に、「吉良」に復姓しています。
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by wheatbaku | 2009-10-03 06:24 | 神社参拝 | Trackback(1)
世田谷八幡宮 (世田谷の寺社 ⑤)
 世田谷八幡宮は、豪徳寺の西に位置します。歩いて5分程度です。
 豪徳寺にお参りする前に参拝しました。

 c0187004_20581743.jpg世田谷八幡宮は、寛治五年(1091年)後三年の役の帰途、源義家が、この宮の坂の地で豪雨に会い天気回復を待つため、滞在することとなり、今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の御加護に依るものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の御分霊をこの地に勧請しお祀りしたのが最初です。

 後に世田谷城主の吉良頼貞が天文15年(1546年)社殿を再興させました。このときに寄進された太刀一振が社宝として残っているとのことです。
 その後、江戸に入城した徳川家康から11石の社領が寄進され、将軍家からも代々崇敬されました。
 明治時代には、社名を宇佐神社と改めたが、第二次大戦後、世田谷八幡宮の名に復元したそうです。

c0187004_20584946.jpg 源義家が勧請した際に、兵士に奉祝相撲をとらせたことから、現在も奉納神事として伝えられているとのことです。
 そのため、境内には土俵や力石があります。
 今でも毎年秋の例祭(9月15日)には東京農業大学相撲部による奉納相撲が行われているそうです。




 現在の社殿は昭和39年に建てられていますが、その中に文化10年(1813)に造られた本殿が納められているとのことですが、昇殿されている人がいたので、そこまでは確認できませんでした。

  なお、世田谷八幡宮は東急世田谷線「宮の坂」駅の駅前に鎮座していますが、この駅名は八幡宮の脇にある宮の坂に由来しています。
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by wheatbaku | 2009-09-30 10:26 | 神社参拝 | Trackback(1)
松陰神社② (世田谷の寺社 ④)
 今日も 「松陰神社について書いていきます。

 この吉田松陰の銅像が、松陰神社の参道左手、手水舎のうしろにあります。

c0187004_1641209.jpg 吉田松陰は、文政13年(1830)8月4日、長州藩士の杉百合之助の次男として生まれました。天保5年(1834年)に叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助の養子となりますが、大助が死去したため、叔父の玉木文之進の指導を受けました。
 藩校明倫館を経て、平戸、熊本など諸国を遊学し、江戸の佐久間象山のもとで指導を受けます。
 ペリーが再来航した安政元年(1854)に海外密航を企て、下田港のアメリカ軍艦ポーハタン号に乗り込もうとしたが、アメリカ側から拒絶されたため自首し、小伝馬町牢屋敷に入牢します。
 のち萩の野山獄に移されますが、翌年、実家杉家に幽閉の身となります。
 その後、安政の大獄が始まると、老中間部詮勝の暗殺を企てたことにより、再び、小伝馬町牢屋敷に投獄され、安政6年(1859)10月27日に、牢屋敷で斬首されました。

 
【松下村塾】 
 松陰は実家の杉家で謹慎している間に松下村塾を再開し、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋ら幕末から明治にかけて活躍した人材の育成をしました。

c0187004_16415632.jpg 松蔭神社には、本殿の右脇に、松下村塾があります。
 これは、山口県萩の松陰神社境内に保存されている松下村塾を模したものです。

 松下村塾は、叔父の玉木文之進が天保13年(1842)寺子屋を開いて、松下村塾の看板をかけたのが村塾の名の起こりです。
 玉木文之進が公務多忙の間、久保五郎左衛門が引継ぎました。その後、松陰が再び投獄されるまで引き継ぎ、さらに玉木文之進、兄の杉梅太郎らによって明治25年頃まで続きました。
c0187004_16422597.jpg 松陰は、安政2年(1855)26才の冬出獄してから、杉家(松陰の実家)で子弟を教育しました。
 安政4年(1857)11月に、八畳一間の小さな塾舎が完成し、松蔭はこの塾に起居し塾生に対し教育指導しました。
 塾生が増加して手狭になったので安政5年(1858)3月、十畳半の増築がおこなわれました。

 松陰が実際に塾生に教育を施した年月は安政3年8月の頃より安政5年末に投獄されるまでの、通算2ヶ年半程であったようです。

 この短い期間に、久坂玄瑞、高杉晋作、木戸孝允、山縣有朋、品川弥二郎、伊藤博文など明治維新を通して近代日本の原動力となった多くの逸材を育成したことに驚かざるをえません。

【吉田松陰と乃木将軍は親戚】
c0187004_16393852.jpg 参道の左手には、手水舎の後ろに「松陰神社道」の大きな道標石があります。
 これは、旧大山道(矢倉沢往還・現世田谷通り)から松蔭神社に至る道の入口に建てられていた道標で、世田谷通り拡幅工事の際にこの境内に移設されたもので、明治45年乃木希典の寄進によるものだそうです。
 乃木希典は、松陰の叔父の玉木文之進を介して、松陰と親戚関係になります。
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by wheatbaku | 2009-09-29 06:27 | 神社参拝 | Trackback
松蔭神社 (世田谷の寺社③)
 今日から、「松陰神社」 です。 松陰神社へは、世田谷線「松陰神社」駅が最寄駅ですが、今回は、豪徳寺から、歩いて、「松蔭神社」に向かいます。
 国士舘大学や若林公園を過ぎて約10分で到着します。
 吉田松陰は、安政の大獄で刑死しましたが、その安政の大獄を指揮したのは、井伊直弼です。
 安政の大獄の当事者同士が、広い大江戸のなかで、歩いてたった10分のところに眠っているのも不思議な感じがしました。

c0187004_16382851.jpg  松蔭神社のある場所はかつて長州毛利藩藩主毛利大膳大夫(だいぜんだゆう)の別邸のあったところで大夫山(だいぶやま)と呼ばれていました。

 吉田松陰は、安政6年(1859)10月27日、安政の大獄により、江戸小伝馬町の牢屋敷にて30歳の若さで刑死しました。
 吉田松陰が亡くなったのが1859年ですので、今年は松蔭没後ちょうど150年目にあたります。
 刑死の4年後の文久3年(1863年)、高杉晋作や伊藤博文など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が現在の墓所に改葬されました。

c0187004_1639152.jpg 松陰の改葬と同時に、安政の大獄で刑死した頼三樹三郎、小林民部良典(よしすけ)も同じく回向院より改葬されました。
 禁門の変の後、長州征伐の際に幕府によって松陰以下の墓は破壊されましたが、木戸孝允等の手によって、明治元年(1868)に松陰以下の墓を修復しました。


 松陰神社は、明治15年(1882)に、門人を中心に墓の側に松陰を祀る神社として創建されました。
 現在の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されました。

 【吉田松陰の墓】  
 吉田松陰の墓は、松陰神社の西側の墓所の中にあります。
 吉田松陰は独りでねむっているのではなく、多くの人とねむっています。
 墓所の説明板「吉田松陰先生他烈士墓所」は次のように説明しています。

c0187004_16441186.jpg 『文久3年(1863)正月。
 高杉晋作、伊藤博文、山尾庸三(やまおようぞう、白井小助、赤根武人(あかねたけひと)等は、松陰先生の亡骸なきがらを千住小塚原回向院(こづかっぱらえこういん)よりこの世田谷若林大夫山(だいぶやま)の楓の木の下に改葬し、先生の御霊の安住の所とした。
 同時に小林民部(こばやしみんぶ)、頼三樹三郎(らいみきさぶろう)も同じく回向院より改葬。(中略)
 禁門の変後の、長州征伐の際に幕府によって墓は破壊されたが、木戸孝允等の手により明治元年(1868)に松陰先生以下の墓を修復し、その後、墓所修復の挙を聞いた徳川氏から先生墓所前の石燈籠と墓域内の水盤が、謝罪の意を込め寄進された。(中略)
 昭和33年松陰先生100年祭にあたり松陰先生墓域の柵を修復した。』

 頼三樹三郎は、頼山陽の子供で、安政の大獄で逮捕され、松蔭が処刑される前の10月7日に、小伝馬町牢屋敷で処刑されました。
 小林民部良典(よしすけ)は、鷹司家の諸太夫(しょだいぶ)で、関白鷹司政通が攘夷派へ変わったキーパーソンです。 安政の大獄で捕えられ、遠島刑となり、後に肥後人吉藩預かりに減刑されましたが、獄中で病没した人物です。

 【吉田松陰終焉の地の碑】 
c0187004_22295944.jpg 吉田松陰終焉の地の碑が、小伝馬町牢屋敷跡である十思公園にあります。
 先日の日本橋散策ツァーでもご案内しました。
 この碑は、昭和14年に、萩の有志の人が建てたものです。
 碑には、「身はたとえ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」という辞世の歌が刻まれています。


 ところで、松陰のお墓は、世田谷の松蔭神社、千住の小塚原回向院、萩の吉田家の墓地にそれぞれあります。
 
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by wheatbaku | 2009-09-28 06:22 | 神社参拝 | Trackback
熊野神社 (神社参拝)
 十二社熊野神社は、新宿にありますが、新宿中央公園の西側でもあり、新宿駅からは歩いて10分以上かかることもあり、なかなか参拝できない神社でしたが、思い切って参拝してきました。

 c0187004_1023046.jpg十二社熊野神社は、新宿の総鎮守となっています。
 室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます。
 鈴木家は、紀州で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野に住むようになりました。
 九郎は、この地域の開拓にあたり、熊野三山より若一王子宮を祠りました。
その後、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといいます。

 江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われました。
 享保年間には八代将軍吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の景色は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。

 明治維新後に、熊野神社と改称しています。


c0187004_1113445.jpg 十二社の池は、もともと田畑の用水溜として開発されたもので、現在の熊野神社の西側、十二社通りをへだてたて建つ三省堂ビル・後楽園ビルのあたりにありました。
 水源は湧水であったようです。
江戸時代には、池の周囲には多数の茶屋ができ景勝地として振るわいました。
 右の浮世絵は、歌川広重の名所江戸百景のうちの「角筈熊野十二社」です。
 名所として評判だったことを裏付けていると思います。

明治時代以後は料亭・茶屋やボート・屋形船・釣り・花火などの娯楽も盛んに行われたそうですが、昭和43年に埋め立てられました。
 
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by wheatbaku | 2009-09-22 10:03 | 神社参拝 | Trackback
愛宕神社 (神社参拝)
 今週は、23日(水曜日)にホテルニューオータニさんの日本橋散策ツァーがあるため、ブログの記事が短めになりますが、ご容赦ください。

 今まで、参拝しておきながら、ご紹介できていない神社をご紹介します。

 愛宕神社は、御府内八十八ヶ所巡りで真福寺にお参りした際に参拝しました。
 愛宕神社は真福寺の隣りになります。
 愛宕神社への最寄り駅は、東京メトロの神谷町駅(日比谷線)、虎ノ門駅(銀座線)、都営地下鉄の御成門駅(三田線)、JRの新橋駅といろいろ最寄り駅があります。

c0187004_21125241.jpg 愛宕神社は、慶長8年(1603)に、江戸の防火のために徳川家康の命令で祀られた神社です。.
 京都の愛宕神社も、ここ東京の愛宕神社と同じご祭神ですが、「どちらが本社とかではなく、同格扱いとする」との幕府からのお達しがありったそうで、現在も同格扱いのようです。


【出世の階段】  
 愛宕山は標高26メートルで、東京23区内ではもっとも高い山です。
 c0187004_21132679.jpgそのため、神社正面の男坂は急斜面となっていて、急な石段となっています。
 「男坂」の急な石段は「出世の石段」とも呼ばれています。
 これは、増上寺参拝の折に徳川家光が山上にある梅が咲いているのを見て、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の曲垣平九郎が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた、という逸話から来ています。
 この話は講談の「寛永三馬術」として有名です。
 いや、86段もある石段は急で、こわごわ降りる感じでした。

 愛宕神社は歴史の重要場面に何度か登場してきます。
【水戸浪士集結の場所】 
 その一つは、井伊直弼を討った水戸浪士集結の場所であったことです。
 c0187004_21131057.jpg万延元年、3月3日、大老井伊直弼を水戸浪士が討った桜田門外の変は有名ですが、その水戸浪士が集結したのは、この愛宕神社だったのです。
 浪士たちは神社内の絵馬堂(現存せず)に集結し、神前に祈願したのち、歩いて桜田門に向かったのです。
【勝海舟・西郷隆盛の会談の場】  
 また、江戸城明け渡しのための勝海舟・西郷隆盛の会談の場所でもありました。
 江戸城明け渡しについて勝海舟と西郷隆盛の会談が、行き詰まり状態にあった明治元年3月13日に2人は愛宕山に登り、江戸の町を見渡しました。
 そして、どちらから言い出すともなく、「この江戸の町を戦火で焼失させてしまうのはしのびない」 と話し合います。
 そのあと、三田の薩摩屋敷で歴史的な会談が行われ、江戸城の無血開城に重要な役割を果たしたと言われています。

c0187004_21133484.jpg 右は、下から見た男坂です。
 下からみても急な石段です。
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by wheatbaku | 2009-09-21 09:12 | 神社参拝 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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