カテゴリ:江戸の鳥( 14 )
ハイタカ(鷹狩の鷹③ 江戸の鳥)
 鷹狩に使われる鷹は、大体5種類だそうです。
 つまり、オオタカ、ハイタカ、ツミ、クマタカ、ハヤブサです。
 そのうち、名前をよく聞くオオタカとハヤブサについて書きました。
 今日は、ハイタカ、クマタカ、ツミについてまとめて書きます。

 【ハイタカ】  
 ハイタカ、ツミは、オオタカと同じハイタカ属ですので、よく似ています。
 c0187004_911154.jpg ハイタカは、ほぼ全国に生息していますが、北海道・本州に多くいます。
 オオタカに似ていますが、オオタカより小さい。
 オオタカがオス50センチ程度、メスが55センチ程度であるのに対して、ハイタカはオスが30センチ程度、メスが40センチ程度です。
 ハイタカの古い名前は「はしたか」でした。「はしたか」の「はし」は「疾(は)し」で「疾き鷹」の意味です。
ハイタカは「疾き鷹」がイ音便化で「ハイタカ」となったものです。
 また、背面部が灰色であるため「灰鷹」と呼ばれるようになったという説もあります。
 ハイタカはオオタカと同じように、メスの方が大きい。そのため雌雄別々の名前があります。
 ハイタカという名前はメスの名前で、オスはコノリと呼ばれます。

 【ツミ】 
c0187004_9114355.jpg  ツミは、ハイタカよりさらに小さく、オスが25センチ程度、メスが30センチ程度です。
 日本全土に生息しています。 
 「ツミ」は、漢字名では「雀鷹」と書かれました。「雀」はスズメでなく小さい鳥の意味で、小さい鳥を取る鷹ということです。
 それが転じて「ツミ」と呼ばれるようになりました。
 ツミも雌雄別々の名前があり、ツミはメスの名前で、オスはエッサイと呼ばれます。

 【クマタカ】  クマタカは、クマタカ属ですので、オオタカとは属が異っています。
 c0187004_9135470.jpg トビと同じくらいの大きさで、オスが70センチ程度、メスが80センチ程度の大型のタカです。
 背面は灰褐色、頭部には冠羽があります。
 クマタカの漢字名は「角鷹」です。クマタカの頭部の羽毛は冠羽状なので「角は毛角」であり、これが「角鷹」の語源と言われています。
 また、大きくて獰猛なことから「熊」から連想してつけられた「クマタカ」と名付けられたという説もあります。
 
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by wheatbaku | 2012-02-16 08:44 | 江戸の鳥 | Trackback
ハヤブサ(鷹狩の鷹② 江戸の鳥)
 今日は、鷹狩の鷹の2回目で、ハヤブサについて書きます。

 ハヤブサは、タカ目ハヤブサ科に属します。
 タカ科の鳥と同じように、昼行性の猛禽(もうきん)で、嘴(くちばし)は先がとがって鋭く、上嘴の先端近くに鉤(かぎ)があります。 全長は約45センチ程度程度です。
c0187004_14183220.jpg  日本では、北海道から沖縄まで分布していますが、繁殖しているのは九州以北と硫黄島です。 
 原野、海岸など開けた場所にすみ、主に海外の崖地に巣を作ります。

 翼の先はとがっていて、速い羽ばたきと短い滑翔(かっしょう)を交互に行って直線的に速く飛びます。
飛翔は速く時速約60キロ、急降下のときには200キロを超えるそうです。 

 獲物は主としてシギ・チドリ類やハトくらいの鳥などです。
 ハヤブサは鳥類の飛んでいるところをみつけると上から急降下して体当たりし、握った足を鳥にぶっつけて、たたき落としてつかまえたり、水面に叩きつけて捕えることが多いそうです。
 そのため、ハヤブサを見つけた鳥は、水中に逃げ込むか地上でじっと体をすくめ決して舞いあがらないそうです。
 小鳥たちはハヤブサは地上や水上の獲物を襲うのは苦手なのを知っているようです。

 ハヤブサという名前は「速い翼」が転じたと考えられています。
 昨日紹介した新井白石の「東雅」では「ハヤブサはハヤトブで、ハヤは速い、トブサはツバサの転」としているそうです。
 大言海では「速翼(はやつばさ)ノ略。鷹類ノ中ニテ殊ニ猛ク速ケレバ云フ」としています。

c0187004_14185212.jpg ハヤブサは、「古事記」や「日本書紀」にも登場する古い名前です。
 応神天皇の皇子に隼別皇子( はやぶさわけのおうじ)という名前が出てきます。
 隼別皇子は仁徳天皇の異母弟ですが、「日本書紀」によれば、仁徳天皇が雌鳥(めとりの)皇女を妃にむかえようと隼別皇子をつかわしたところ、隼別皇子はひそかに皇女を妻にしていまい、仁徳天皇の怒りにふれ、皇女とともに伊勢神宮に逃れたが、天皇の追手に殺されたという話がのっているそうです。


上記の写真は、 「日本野鳥の会が贈る、野鳥を楽しむポータルサイト BIRD FAN」 を利用させていただきました。
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by wheatbaku | 2012-02-15 09:08 | 江戸の鳥 | Trackback
オオタカ(鷹狩の鷹① 江戸の鳥)
 しばらく「徳川将軍15代」関係の記事が続いたのでの、今日からは久しぶりの「江戸の鳥」カテゴリーで鳥について書いていきます。
 今日からは「鷹狩りで使われる鷹」について書きます。

 世界での放鷹(ほうよう)の歴史は古く、紀元前2000年頃に朝鮮半島や中国東部で始まったと言われています。
 日本での最古の鷹狩の記録は日本書紀で、仁徳天皇の時代(355)には鷹狩が行われ、タカを調教する鷹甘部(たかかいべ:鷹飼部)が置かれたという記録があるそうです。
 その後も権力者の権威の象徴として鷹狩りが行われました。

 その鷹狩りに使用される鷹が、オオタカ、ハイタカ、ツミ、クマタカ、ハヤブサなどです。
 c0187004_15503753.jpgその中で主に使用される鷹がオオタカです。
 オオタカは日本の鷹類の代表的な種です。タカといえば、オオタカを指すことが多いようです。
 ところで、タカとワシの違いですが、ワシもタカ科に属します。タカ科のなかで、大きいほうがワシと呼ばれ、小さい場合タカと呼ばれるようです。しかし、これはあくまでも目安であって、クマタカより小さいカンムリワシが、「ワシ」と呼ばれるようなケースもあります。

タカの語源ははっきりしてはいないそうです。
 しかし、江戸時代の新井白石が語源について書いた「東雅」という本がありますが「東雅」では、「タカは高なり、その高飛をいうという説があるが、高く飛ぶのはタカだけではない。その勢いは猛なるをもってタカという。タカはタケの転語になりしに似たり」とあるそうです。
 大言海でも「「高く飛ぶ」と「猛き」の2説をあげています。

 オオタカは、北アフリカからユーラシア大陸、北アメリカ大陸にかけて分布します。
c0187004_15505353.jpg 日本列島では南西・南方諸島を除く全域に分布しています。しかし、繁殖が知られているのは本州中部以北です。
 雄の全長約50cm、雌の全長約60cmで、雌の方が雄より大きい。
 平地から山地にかけて森林の多い場所にすみ、高い木の上に枯れ枝で巣をつくります。
 短い滑翔(かっしょう)と速い羽ばたきを交互にして力強く飛び、カモ、シギ、ハトなどを後ろから襲って足のつめでつかんで捕らえます。


 オオタカは文字通り大きい鷹という意味です。漢字では大鷹もしくは蒼鷹と書きます。
 なお、オオタカというのは、本来は体が大きく鷹狩で活躍する雌のほうを指しました。
 オスのほうはメスより小さく「せう(しょう)」と呼ばれていたそうです。メスのほうは「だい」ともいったそうです。
 また、オオタカの一歳鷹をわかたかと言い、黄鷹、若鷹と書きました。二歳鷹は「かたがえり」とよばれ撫鷹と書きました。三歳鷹を「もろかたがえり」と呼び青鷹・白鷹などと書きました。四歳以上の鷹を鳥屋(とや)といったそうです。
 一般にオオタカといった場合は三歳鷹を言ったそうです。


 上記の写真は、「日本野鳥の会が贈る、野鳥を楽しむポータルサイト BIRD FAN」を利用させていただきました。
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by wheatbaku | 2012-02-14 09:23 | 江戸の鳥 | Trackback
タンチョウ ④ (江戸の鳥)
 今日も タンチョウ の話を続けます。 

 本朝食監に、宮内省式部職編「放鷹」に書かれている鶴の鷹狩についての注釈がありました。
 「鶴の御成り」と呼ばれて特別の扱いがされていた鶴の鷹狩りの様子がよくわかりますので、その内容を紹介します。

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 鶴の御成りは将軍家の鷹狩中最も厳粛なもので、9代将軍家治が将軍になった時に始まりました。(実は、鶴の御成りは、それ以前から行われていました)
 その時獲った鶴を朝廷に献上し、それ以来恒例となりました。獲る鶴は4羽まででした。
 午の上刻に始め、午後八ツ時に至るとも鶴が捕らえられないときは将軍も昼ごはんをたべないほどでした。 もし将軍が鷹狩にいけない場合には、御名代を派遣しました。
 当日鶴をとった鷹匠には金5両、鷹をおさへたものには金3両が褒美としてあたえられました。
 捕らえた鶴は鷹匠が刀でもって、将軍の御前にて、左腹の脇を開き肝を出して鷹に与え、その跡は縫い合わせます。
 昼ごはんの時に菰樽2丁を開けて、鶴の血を絞り入れた鶴酒をお供の人に賜ることも後には恒例となりました。

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 続いて、諸侯の鶴の拝領についても説明が次のようにされています。

 鳥の中で最も重んぜられたのは鶴でして、そのご拝領は尾張紀伊水戸の三家では当主はもちろんそのご隠居ならびに嫡子にも及びました。
 その上使には両御番頭の内より選定して、その屋敷に行ってこれを賜い、もし在国の時には宿次奉書を以てこれを進めました。
 次に加賀藩、薩摩藩、仙台藩の三雄藩には当主にかぎって、鶴拝領がありました。
 御使番が上使となってこれを贈りました。
 その他の国持大名ならびに准国持大名は在府の時は賜らないで、在国の時、宿次奉書を以て代々与えられ、これを受けることが家の名誉の一つとでした。

 このように鶴の鷹狩りの様子が詳しく書かれています。
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by wheatbaku | 2009-12-11 12:12 | 江戸の鳥 | Trackback
タンチョウ ③ (江戸の鳥)
 
 現在の我々には、鶴を食べるなどということは思いも寄りませんが、江戸時代には、天皇、将軍、大名などごく限られた人たちの間で、鶴は、上等な食べ物として食されていました。

 元禄8年(1695)に刊行された、人見必大(ひとみひつだい)が書いた「本朝食鑑」では、
 『これは、鶴が仙禽(仙人の家に棲む鳥の意味か?)であり、上瑞(非常におめでたいの意味か?)多寿(ながいき)であるためである』 と書いています。 
 また、大言海にも、『長寿瑞祥の鳥とし、肉を饗膳の珍奇なるものとす』と書いてあります。
 鶴は千年生きると考えられていたため、その長寿をいくらかでも分かち与えてもらうということだったのではないかと思います。
 
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 本朝食鑑では、鷹狩で捕らえて鶴を朝廷に献上した後、饗宴を開いて諸大名に鶴をふるまっていた様子を次のように書いています。
 『我が国で鶴を賞して上餞としたのは、いつから始まったものかわからない。
 ちかごろ江戸では鷹を放って鶴を捕らえている。
 鶴のくちばし・脚ははなはだ強く、みだりに当たることはできないので、鶴を撃てる鷹はすくなく、能く撃てる鳥は鶴の鳥と呼ばれて、常に倍して愛される。
 鶴は冬鳥として秋のおわりから冬の初めに渡ってくるが、このときにとられた鶴は、初鶴と称し、公候(大名の意か)より江戸に献上される。
 江戸の鷹匠も、鶴を撃って献上しており、いずれも初めて撃ったものを朝廷に奉上し、その他のものは一族や大名に賜っている。
 将軍家一族や大名は、大饗宴を設け、群賓を会し、賜り物の鶴を拝賞するのである』
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 江戸時代は、鶴が年末に朝廷に献上されることは、一般庶民もよく知っていたようです。
 次のような 鶴の朝廷献上についてうたった川柳が数多くあります。
    千年を 毎年京へ献ぜられ (千年とは、鶴を指している)
    千年の貢ぎ 万代の不易なり

 東海道五十三次を行く鶴の献上をうたったものもあります。
    ほんとうに 飛ぶより早い 暮れの鶴
    死せる鶴  行ける人馬を 走らしむ
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by wheatbaku | 2009-12-11 06:08 | 江戸の鳥 | Trackback
タンチョウ ② (江戸の鳥)
タンチョウの2回目は、江戸における タンチョウ です。

今では、想像はつきませんが、江戸時代には、江戸の周辺にまで、タンチョウが飛来してきていました。
 それを証明するのが、下の歌川広重の描く名所江戸百景です。

c0187004_144429.jpg【広重が描いたタンチョウ】

 これは歌川広重の名所江戸百景「蓑輪 金杉 三河しま」です。
 蓑輪(現在は三ノ輪)は、上野の北方にあって、日光街道と吉原土手道が出会うところです。
 その西南が金杉、蓑輪の西が三河島です。
 このあたりは、荒川が氾濫すると浸水する低湿地帯でした。
 ここに冬になるとタンチョウが飛来しました。
 広重は、そのタンチョウを見事に描いています。
 水田に1羽、空に翼を広げたタンチョウが1羽描かれています。
 タンチョウは、図鑑のように正確に書かれています。


 よくおめでたい図柄として松に鶴が描かれますが、鶴は木にとまることができません。
 「松に鶴」の鶴はコウノトリの間違いであると言われています。
 広重の描くこの絵では、水田にいるタンチョウを描いていますので生態的にも正しいと言われています。

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 蓑輪(現在では三ノ輪)周辺は、将軍家の鷹場とされ、タンチョウを目当てに年末に鷹狩りが行われました。
 鷹場周辺の農民は、鳥獣を保護して鷹狩りの獲物を確保し、狩り場を整備することが命じられていました。
 農民には負担となるこの制度も、タンチョウにとっては保護政策でした。

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 鷹場制度により、一般の人の狩猟が禁止されていたことから、江戸時代には、江戸の周辺には、かなりの数のタンチョウが飛来していたようです。
 これらのタンチョウは、北海道で繁殖しているものの一部の個体群が冬季に関東まで南下して越冬したようです。
 しかし、慶応2年(18866)に鷹場制度は廃止され、上級武士に独占されていた狩猟が広く一般に開放されたことになどにより、現在では、広重の描く風景は全く見られなくなってしまいました。
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by wheatbaku | 2009-12-10 08:13 | 江戸の鳥 | Trackback
タンチョウ (江戸の鳥)
 今日から丹頂鶴について書いていきます。
 一般的には丹頂鶴と呼ばれますが、正式には  「タンチョウ」  と言います。
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 タンチョウは、日本、ロシア、中国、北朝鮮、韓国に生息しています。
 大陸での主な繁殖地はロシアと中国の国境を流れるアムール川流域です。
 日本では、主に北海道東部の釧路湿原などに生息していて、釧路湿原では1年中見ることができます。
 日本で見られるツルは主にタンチョウ、マナヅル、ナベヅルなど7種類だそうです。
 その中で国内で繁殖する唯一のツルです。
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 ツルという名前の由来は、鳴き声からきているようです。
 「大言海」は、「声を以て名とす。古今集註に、『鶯、郭公、雁、鶴は我が名を鳴くなり』とある」と説明しています。
 さらに、皆さんよくご存知のように、タンチョウは頭頂が赤くなっています。 
 これが「タンチョウ(丹頂)」の名前の由来となっています。
 丹頂の「丹」は「赤い」、「頂」は「頭頂部」の意で、まさに頭の赤い鶴という意味です。
 頭頂部が赤いのは、頭頂部の皮膚が裸出しているからだそうです。
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 明治維新後の乱獲により、大正時代にはタンチョウは絶滅したものと考えられていました。
 しかし、大正13年(1924)、釧路湿原でわずか数十羽のタンチョウが生存しているのが発見されました。
 そして、昭和10年(1935)に天然記念物に指定されます。
 その後、阿寒町でタンチョウの給餌に成功し、昭和27年(1952)には、国の特別天然記念物に指定され保護がしっかりされるようになり個体数が増えてきました。
 現在では、約1000羽にまで回復してきているとのことです。
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by wheatbaku | 2009-12-09 05:55 | 江戸の鳥 | Trackback
雁行と雁風呂 (雁 ③ 江戸の鳥)
 今日も「雁」に関係する話で、「雁行」 と 「雁風呂」 についてのお話です。
 前回、紹介した、堀田正敦(まさあつ)の「観文禽譜」の中でも、雁行と雁風呂は紹介されています。

【雁行】  
 雁は1羽が先頭に立ち、次の雁はその左右に少しずつ外側にずれて飛んでいきます。
 これが「雁行」と呼ばれる飛行形態です。
 下の写真は、夕焼けの空の雁行を撮ったものですが、小さくてよくわからないかもしませんので、こちらをご覧ください。⇒雁行記さんのHPです。
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 雁行は2番目以降を飛ぶ鳥の空気抵抗を抑える効果があるので、こうした飛行形態をとるそうです。
 先頭を飛ぶ鳥は、時々交代しているそうです。
 雁行は、雁だけでなく都鳥などにもみられるそうです。

 雁行で有名な話に、江戸時代ではありませんが、源義家の後三年の役の時の話があります。
 源義家が清原家衡の籠もる金沢柵を攻めて、西沼(横手市金沢中野)の付近を通りかかった際、いつもは整然と列をなして飛ぶ雁が列を乱して飛んでいました。
 それを見た義家はかつて大江匡房から教わった孫子の兵法を思い出し、伏兵がいると察知し、西沼の附近から三十数騎の敵兵を発見し、これを全滅させました。
 義家は、もし自分が兵法を学んでいなかったら敵の奇襲に遭ってやられていたと述懐したといいます。
 この兵法とは、孫子の行軍篇に「鳥立つは伏なり」と書かれていることをいいます。

【雁風呂】 右の写真はマガンの写真です(撮影者:佐久間長夫様)c0187004_8183449.jpg
 青森県津軽地方の外が浜に雁風呂という話があります。
 堀田正敦の「観文禽譜」の中には次のように書かれています。
 「採薬使記に『奥州外が浜の辺りでは毎年秋に雁はそこで羽を休め、(渡りの途中、海上で休息するために)嘴にくわえてきた木の枝を捨てて、さらに南方に飛び去る。
 翌年の春北に帰る時に、捨てておいた木を一本ずつくわえて帰る。
 しかし、帰る雁がいない場合は木の枝が残る。
 その土地の習わしで木の枝を集めて風呂を焚き、人々を入浴させる。
 他国で捕らえられた多くの雁の供養だということで、毎年の恒例となっている。
 これを俗に外が浜の雁風呂という』 とある」
 この話は、江戸中期の本草学者阿部将翁の「採薬使記」という本に書かれている話です。
 1973年にサントリー ウイスキー 角瓶のCMで取り上げられたことがあり、『雁風呂」のことを多くの人が知ることになりました。

 落語にも「雁風呂」という演目があるそうですが、残念ながら、私はまだ聞いたことがありません。
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by wheatbaku | 2009-11-16 05:53 | 江戸の鳥 | Trackback
雁 ② (江戸の鳥)
 江戸時代の近江堅田藩藩主の堀田正敦(まさあつ)が書いた「禽譜・観文禽譜」の中に、雁についてかなり詳しく書かれています。
 
c0187004_15432676.jpg 堀田正敦(まさあつ)  
 堀田正敦は、佐倉藩堀田家分家にあたる近江堅田藩の藩主で、江戸幕府の若年寄を長く勤め、当時の老中松平定信の寛政の改革を助けました。
 仙台藩6代藩主伊達宗村の八男であったので、幼い9代藩主伊達周宗の後見役となったり、佐倉藩4代藩主の堀田正愛(ほった まさちか)が病気で政務が執れなくなると、その後見役も務めました。
 和漢の学識に富み、『寛政重修諸家譜』編纂の総裁を務めてもいます。また蘭学者を保護するなど学者を厚遇しています。
 また、『禽譜・観文禽譜』を編纂していて、江戸の鳥類学者でもありました。

『禽譜・観文禽譜』 
 このよな堀田正敦が自ら編纂した鳥類図鑑が『禽譜(きんぷ)』でその解説書が『観文禽譜』(かんぶんきんぷ)です。
 『禽譜』は俗に「堀田禽譜」と呼ばれています。
 堀田禽譜には、同時期に編纂された解説書『観文禽譜』の解説に対応する鳥類の図が収録されており、『観文禽譜』から抜粋された解説が付けられていることから、『観文禽譜』の図譜部であるとも考えられています。
 この「禽譜・観文禽譜」の解説書が、平凡社刊行の「江戸鳥類大図鑑」です。

 
 堀田正敦が雁について書いているおもしろい事柄を「江戸鳥類大図鑑」から次に抜粋します。

c0187004_12243633.jpgシジュウカラガン   予が若い頃奥州にいて目撃したところでは、シジュウカラガンが甚だ多く、マガンがこれにつぎ、ハクガンはいたって稀で秋から春にかけてたまに見ることがある。・・・土地の人がいうところでは、先代の頃は、シジュウカラガンが稀であった。最近年々ハクガンが来ることが少なくなり、シジュウカラガンが多くなったとのこと
 右の写真がシジュカラガンですが、最近はあまり飛来しないようです。

友雁  狩り場で鷹が雁を捉えて落ちると友雁が集まって翼で鷹をうち、人が行くのが遅れるとその鷹が撃ち殺されることがある。また、弓や鉄砲で撃ち倒したときも。友雁が立ち去らず、打ち落とされた雁を翼で助け、傷が浅ければ、多数の羽の風で扇ぎ立て、ともに連れて飛び去らせる。

大黒屋光太夫   大黒屋光太夫が漂流後流れ着いたアミシーツカには雁が夏も冬もいて子も作っていたという話も載せています。
  
番 鳥  雁の群れが降りて採餌し、また江湖の岸に宿るとき、一羽だけ餌をとらずに見張りをする雁がいる。これを俗に番鳥という。

媒雁(オトリガン)  仙台では秋にまだ稲を刈らない時分に、荒原の堤などがある所や水辺の砂原をかたどり、その前に囮(オトリ)の雁3.4羽を繋ぎ、かつ囮雁の中で普段からよく馴れさせて友を誘うことを教えておいたものを携えて、これを籠の中に置いて、他の雁が来るのを待って放つ。放った時は遥かに飛んで一行に雑じり、他の雁がいたところに降りさせる。この時に鳥銃を持ったものが堤の陰に潜んで行き、これを発射する。その間隔は6~7間あるいは8~9間であり、一発で3~4羽を獲る。

 こうしてみると、 堀田正敦の博識に驚かされます。
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by wheatbaku | 2009-11-14 11:45 | 江戸の鳥 | Trackback
雁 ① (江戸の鳥)
 江戸城三十六見附シリーズは、一休みさせていただいて、今日は 「雁」 の話です。
 小石川後楽園については、近いうちに少し詳しくご案内します。

 秋が深まってくると雁(がん、かり)が日本にやってきます。

 【ガンもカリも語源は鳴き声】 
c0187004_936094.jpg 大言海によると、カリのカは鳴き声で、リは添えた辞であり、音読みのガンも鳴き声であろうと説明しています。
 雁(がん、かり)とは、マガン、ヒシクイなどカモ科の大型の水鳥の総称で大きさはカモより大きく、ハクチョウより小さい。
 雁は繁殖地のシベリアから日本に冬に渡ってきて、宮城県北部や石川県、島根県などで越冬します。
 日本全国に約10万羽が飛来しますが、その9割は伊豆沼・内沼、蕪栗沼など宮城県北部の平野で越冬します。そのため、宮城県の県鳥となっています。上の写真はマガンです。
 
江戸時代、雁の狩猟は制限されていたようですが、 明治以降、雁は狩猟の対象となり、乱獲により生息数が大幅に減少しました。
 そのため、1971年に国の天然記念物に指定され保護されるようになりました。

c0187004_9363956.jpg ガンには世界で15の種類があります。羽の色が茶色か白っぽいマガンの仲間が10種、体の羽に黒い部分の目立つコクガンの仲間が5種あり、このうち日本には主にマガンとヒシクイ、コクガンの3種が飛来します。
 警戒心は非常に強く、昼間は陸から離れた水場等で過ごし、薄明時や夕方に採食を行い、夜間は大きな水場の水面で休みます。
 左の写真はヒシクイの亜種オオヒシクイです。

 【雁は高級食材】  
 江戸時代には、雁は大変高級なご馳走とされ、「初雁」は宮中にも献上されたようです。
 元禄8年(1695年)刊行された人見必大が著した『本朝食鑑』には、雁について次のように書かれています。なお、『鴈』は「雁」と同じ意味です。
  『近世(ちかごろ)、江都の官鴈で、始めてとった鴈は初鴈という。先ず禁内に献上し 次に公侯百官に従って賜わる。公侯はこれを拝賜して大饗宴を設けるが、鴈の披(ひらき)という。
 こういうわけで、わが国では、鶴、 鵠(クグイ)(白鳥のこと) に次いで鴈を賞するのである。鴻(ヒシクイ)・鴈は、関東の産を上品とし西国の産は美としない。』
 これによると、江戸時代には、鶴やクグイと言われていた白鳥を食べていたことがわかります。 なお、鴻とはコウノトリではなく雁の仲間のヒシクイのことを言いますので注意してください。
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by wheatbaku | 2009-11-13 15:17 | 江戸の鳥 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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