カテゴリ:江戸検定( 13 )
江戸検当日の対策(江戸検お役立ち情報⑥)

 いよいよ、江戸検本番が明日となりましたね。

 「今年は絶対合格したい」と頑張っている方、「去年よりよい成績がとりたい」と思っている方、「今年はもうだめだ」と思っている方、人それぞれだと思います。

 ともかく、明日江戸検が終了すれば解放されますので、ぜひ頑張ってください。

 そこで、今年最後の江戸検受検のためのお役立ち情報として「当日の受検対策」をいくつか書いてみます。

1、自信をもって臨む

 多くの方が、今まで相当の努力をしてきていると思います。

 努力をしている方はその努力に自信をもつことだと思います。

 日々の勉強の積み重ねは馬鹿にできるものではありません。

 そうした努力をされてきているわけですので、自信を持って挑戦しましょう!

 やはり、自信と強気のチャレンジ精神で臨むことが大切だろうと思います。

2、最後まで暗記する努力をする

 江戸検で点数をかせぐポイントは、しっかり暗記しているかどうかです。

 ですから、暗記する努力を試験の直前まで行うことが大切だと思います。

 監督官から「机の上のものをしまうように」という指示があるまで、一生懸命暗記しましょう。

 本やノートを見ていることは、恰好悪いことではありませんし、恥ずかしいことではありません。堂々と直前まで暗記しましょう。 

 

3、試験冒頭にわからない問題が出ても動揺しない

 最初の問題は結構大切だと思います。

 正解が連続してわかれば、リズム良く解いていけますが、わからない問題が続くとショックがあるものです。

 そうした場合、ショックを引きずらないようにすることが大切ですね。

そこで、ショックをやわらげて、自分なりの気持ちの切り替え方を準備しておくことが必要ではないでしょうか。

 私は、最初に1級を受けた際に、第1問の「大樹寺の将軍の位牌の大きさの基準となる長さを問う問題」と第2問の「甘い物が大好きな将軍の名前を問う問題」で、2問ともわからず、大変あせりました。

 そこで、2回目は、わからない問題は、深く考えずに、すぐに次の問題に移るようにしました。

 切り替え方は、人それぞれですので、ご自分にあう方法を準備されるとよいと思います。

4迷ったら最初に思い浮かんだ答えを書くのがいい
 問題解法のコツについて2期会の人が「迷ったら最初に思い浮かんだ答えを書くのがいい」というアドバイスを教えてくれました。
 私も、何回か経験があり、「もっともだ!」と思いますので紹介します。

 正解を見つけ出す時に、選択肢2つまでは絞り込めることが多いのですが、最後の絞り込みができないケースがままあります。

 そうした場合には、よく迷って、一旦出した回答を変えようとすることが多いですよね。

そうした場合、最初にこれだと決めた選択肢が正解であることが多いので、「あぁだこぉだ」と迷ったあげく最初の回答を変えるということはやめた方がいいということです。

ただし、明らかに最初の回答が間違っていると確信できる場合には、回答を変える必要があるのは言うまでもありません。

5、選択肢の正解割合はほぼ同じ
  回答が最後までわからない場合には、いずれかの選択肢を正解として選択することになります。その際に、いわゆる「鉛筆ころがし」をせざるをえない場合があると思います。
 過去9回の選択肢の正解の割合は次のようになっています。

 い)24.7%  ろ)24.7%
 は) 25.3%  に) 25.3%

 つまり、どの選択肢もほぼ均等に正解となっているということになります。

 ただし、「筆ころがし」をしても、本当の知識にはなりませんので・・・(もちろん、おわかりのことだと思いますが)


 以上、思いつくままに、試験当日の対策を書きましたが、ともかく全力でチャレンジすることが大切ではないでしょうか

 (最後だと思って、夜遅くまで頑張る方もいらっしゃるかもしれませんが、できれば)今晩は、早めに寝て、準備万端で、江戸検に臨んでください。 

 受検される皆様全員、良い成績がとれるよう祈念しています。
 頑張ってください!!




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by wheatbaku | 2015-11-02 08:30 | 江戸検定 | Trackback
官職名を理解しよう(江戸検お役立ち情報⑤)

 江戸検の本試検まで、4日になり、明日・明後日は、江戸検前の最後の土曜日・日曜日となりました。

 受検される皆さん、頑張ってください。

 江戸検お役立ち情報、今日は官職名について書いてみたいと思います。

 江戸検の書取問題では、過去に、(井伊)掃部頭、(浅野)内匠頭、吉良上野介、(大石)内蔵助など、官職名を問う問題が出ています。

 また、有名な南町奉行大岡忠相は大岡越前守、北町奉行遠山金四郎も遠山左衛門尉と官職名で呼ばれることがあります。

 

 「掃部頭」「内匠頭」「越前守」を「かもんのかみ」「たくみのかみ」「えちぜんのかみ」と読めるけれど、どうして「頭」や「守」を「かみ」と読むのだろうと素朴に疑問に思う人もいると思います。

 また、「上野介」と「内蔵助」の場合は、なぜ「すけ」を「介」と「助」と書き分けるのだろうと不思議に思う人もいると思います。

 今日は、この疑問に答えてみようと思います。

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 貴族が政権を握っていた「律令制」の時代の官制では、官職を長官・次官・判官(三等官)・主典(四等官)の4階級に分けて、長官を「かみ」、次官を「すけ」、判官(三等官)を「じょう」、主典(四等官)を「さかん」と呼んでいました。

 これを「四等官(しとうかん)」と言います。

 

 「四等官」の読み方は、どの役所でも「かみ・すけ・じょう・さかん」と呼びます(多少の例外あり)が、表記は組織によって異なる漢字で書いていました。

 代表的な役所である「省」「寮」「国司」で説明すると、「省」は「卿・輔・丞・録」、「寮」では「頭・助・允・属」、国司は「守・介・掾・目」と書いていました。

 「省」には、中務省、式部省、民部省、治部省、兵部省、大蔵省、宮内省の八省がありました。

 「寮」には、掃部寮、内匠寮、内蔵寮、雅樂寮、大学寮、主水寮、主税寮、主殿寮、大炊寮などがありました。

 「掃部頭」は「掃部寮」の長官、「内匠頭」は「内匠寮」の長官、「内蔵助」は「内蔵寮」の次官、「雅樂頭」は「雅樂寮」の長官ということになります。

 

 国司は、68か国あった各国の役人で、長官の「守」は現在の県知事にあたり、次官の「介」は副知事にあたります。

 そのため、「越前守」は、越前国の長官すなわち県知事ということになります。

 「上野介」は、上野国の次官すなわち副知事ということになりますが、実は、上野国、上総国、常陸国の三国は「親王任国」といって、親王が長官になることになっていました。 

しかし、親王は、京都に滞在し三国に赴任することがほとんどなかったため、次官の「介」が実質的に長官でした。

 つまり「上野介」は、実質的な「上野国」の長官つまり県知事でした。

 ですから、「上野介」が「越前守」より格が低いということはないと考えてください。
 現に、徳川家康の側近で幕府初期の重鎮であった本多正純の官職名が「上野介」でした。また、佐倉惣五郎に苛政を訴えられた佐倉藩の藩主堀田正信も「上野介」を名のっています。

 長官名は「かみ」と呼ばれますが、例外があります。
 それが「職(しき)」と呼ばれる役所の長官名で、「職」の長官は「かみ」でなく「だいぶ」と呼ばれます。
 「職」には、大膳職、京職(左右あり)、修理職などがあります。
 この長官は、「だいぶ」と呼ばれ「大夫」と書きます。
 「たいふ」でなく「だいぶ」と濁りますし「たゆう」でもないので読み方は注意してください。
 次官以下は「亮・進・属」と書いて、基本通り「すけ・じょう・さかん」と読みます。
 「花燃ゆ」にしばしば登場した長州藩主毛利敬親の官職名は「大膳大夫
(だいぜんだいぶ)」で「大膳職」の長官です。


最後に遠山金四郎の官職名「左衛門尉」について書いておきます。

律令制下では、皇居を守る軍事組織に「近衛府」「衛門府」「兵衛府」があり、それぞれ左右に分かれていて、総称して「六衛府」と呼ばれていました。

この組織のうち「衛門府」と「兵衛府」の四等官の呼び名も「かみ・すけ・じょう・さかん」で、その字は「督・佐・尉・志」と書きました。

これでもう想像がつくと思いますが、「左衛門尉」というのは「左衛門府」の三等官「尉(じょう)」という官職名です。

 律令制下の官職については、細かいことが多々あるようですが、とりあえず江戸検に必要と思われることだけ書いてみました。江戸検を受検される皆さんのお役にたてば幸いです。


 


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by wheatbaku | 2015-10-30 09:56 | 江戸検定 | Trackback
「干支(かんし)」を覚えよう

 「江戸検お役立ち情報」として江戸検受検のための諸々の基礎知識を先々週書きました。

暗記項目で大変だろうと思っていたのですが、意外と好評で多くのアクセスをいただいたり、よくわかったというメールをいただいたりしました。

 それに意を強くしましたので、また、続編をいくつか思いつくままに適宜書いていきます。

 今日は「干支(かんし)」についてかきます。

 

前回の江戸検お役立ち情報は「十干を覚えよう」という記事を書き、干支を覚えるにはまず十干を覚えることが必要だと書きました。

 そして、10日余りがたちましたので、今日は「干支」について書きます。

 「干支」は「えと」と一般的に読まれますが、江戸検の問題では、ふりがなが「かんし」とふられています。

十干は、先日書いたように次の10個です。
 熱心な人は、もう漢字で書ける方もいらっしゃると思います。

(こう) (おつ) (へい) (てい)

()  己()  庚(こう) (しん) (じん) ()

 そして、干支に必要なのが十二支です。

 十二支は、「ね・うし・とら・う・・・」と言葉で言うのは簡単ですから、漢字で書けることがポイントになります。
 
漢字で書くと次のようです。

 子(ね)  丑(うし) 寅(とら) 卯(う)
 辰(たつ) 巳(み)  
午(うま) 未(ひつじ)
 申(さる) 酉(とり) 戌(いぬ) 亥(い)

 

c0187004_09315225.jpg 十干と十二支が漢字で書けるようになると、次に「干支」を覚える段階になります。 
 しかし、60ある「干支」を一度に覚えるのは大変だと思います。
 でも、「干支」の作り方がわかると覚えやすいように思います。

 「干支」はどのように作られているかについて「こよみ読み解き事典」には、次のように書かれています。

十干と十二支を、それぞれ初めより一つずつ順繰りにとって組み合わせていく。

 まず甲と子、次に乙と丑、丙と寅、丁と卯、と順々に作っていくと、10番目に癸酉ができる。ここで十干は終わりになるから、また甲に戻り、十二支の方はそのまま11番目の戌をとって甲戌、次に乙亥とする。亥で十二支の方は終わるから、また初めに戻り、子をとり乙の次の丙とで丙子を作る。

 このようにして組み合せていくと、60の干支ができる。これを六十干支という。

 読んで意味がわかりますか?

 ポイントは冒頭の「十干と十二支を、それぞれ初めより一つずつ順繰りにとって組み合わせていく」という簡単なことなのですが、一度読んだだけでは難しいかもしれません。


 「干支」の作り方は、「こよみ読み解き事典」通りなんですが、私は私なりに次のやり方で「六十干支表」を作って「干支」を覚えました。
 参考になるかわかりませんが、一応「六十干支表」の作り方を書いてみます。

 まず一マス空けて、十干を6回書きます。

 ブログで説明する都合上、その一マスに順に①から⑫まで番号をつけていきます。

 これは、後で十二支に対応させるためです。

 そうすると次のようになります。

甲① 乙② 丙③ 丁④ 戊⑤ 己⑥ 庚⑦ 辛⑧ 壬⑨ 癸⑩

 甲⑪ 乙⑫ 丙① 丁② 戊③ 己④ 庚⑤ 辛⑥ 壬⑦ 癸⑧

 甲⑨ 乙⑩ 丙⑪ 丁⑫ 戊① 己② 庚③ 辛④ 壬⑤ 癸⑥

 甲⑦ 乙⑧ 丙⑨ 丁⑩ 戊⑪ 己⑫ 庚① 辛② 壬③ 癸④

 甲⑤ 乙⑥ 丙⑦ 丁⑧ 戊⑨ 己⑩ 庚⑪ 辛⑫ 壬① 癸②

 甲③ 乙④ 丙⑤ 丁⑥ 戊⑦ 己⑧ 庚⑨ 辛⑩ 壬⑪ 癸⑫

 次の作業として、順に①に子、②に丑、③に寅、④に卯、⑤に辰、⑥に巳、⑦に午、⑧に未、⑨に申、⑩に酉、⑪に戌、⑫に亥をそれぞれに入れていきます。

 すると次のような表ができあがります。

 これが「六十干支表」です。

 甲子 乙丑 丙寅 丁卯 戊辰 己巳 庚午 辛未 壬申 癸酉

 甲戌 乙亥 丙子 丁丑 戊寅 己卯 庚辰 辛巳 壬午 癸未

 甲申 乙酉 丙戌 丁亥 戊子 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳

 甲午 乙未 丙申 丁酉 戊戌 己亥 庚子 辛丑 壬寅 癸卯

 甲辰 乙巳 丙午 丁未 戊申 己酉 庚戌 辛亥 壬子 癸丑

 甲寅 乙卯 丙辰 丁巳 戊午 己未 庚申 辛酉 壬戌 癸亥

 以上、私なりの「干支」の覚え方を書きました。
 口頭で説明すると理解しやすいのですが、ブログで書くとどうしても難しくなってしまいます。

いくらかおわかりいただけたでしょうか?

最初は難解だと感じると思いますが、一度覚えてしますと、意外と簡単だというのが私の感想です。





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by wheatbaku | 2015-10-19 09:20 | 江戸検定 | Trackback
十干を覚えよう(江戸検お役立ち情報④)

 今日も、江戸検お役立ち情報を書いていこうと思います。

 今日は、十干(じっかん)について書きます。

 十干(じっかん)は十二支と一緒になって干支と呼ばれます。

 江戸検を受検される方は、この干支も必須事項です。

 干支も大事だといっているのは、第9回の記述問題に次のような問題が出題されている

からです。

 

文政12年(1829)年3月に中村座や市村座を焼いた「文政の大火」は、その干支から「己丑(きちゅう)の大火」とも呼ばれました。これに対して、その5年後の天保5年(1834)2月に中村座や市村座を焼いた火事は「(  )火事」と呼ばれます。(   )内に入る干支を漢字2字で書いてください。

この問題は難しいと思いますが、正解は「甲午」です。

「甲午火事」というのは江戸で起きた大きな火事の一つですが、江戸三大大火は覚えている人は多いと思いますが、甲午火事を知っている人はほとんどいないだろうと思います。

しかし、これは「干支」の仕組みを知っているとすぐに解ける問題です。

江戸検出題者の意図は、「『甲午火事』を暗記してください」というより「干支をよく理解していてください」ということだったと思います。

そのため、2月の江戸楽アカデミーで、干支の基礎となる十干十二支を覚えたほうがよいですよと言っておきました。

しかし、9月に行われた江戸楽アカデミーでも十干がスラスラいえる方はわずかでした。

「甲乙丙」までは言えても、その後はわからないという方がほとんどでした。

そこで、今日は十干(じっかん)について書こうと思います。

まず、十干とは

 甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・
 己(き)・ 庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)

 
です。

この十干は中国の考え方です。

中国の古代殷王朝の時代に1か月を10日単位に区切り旬(じゅん)と名付けました。その10日間ある旬を、一日目が甲、二日目が乙というように順に呼んだものが十干だそうです。

つまり、十干は、もともと1~10までを数える番号といってよかったようです。

ですから十干は10あるわけです。

それでは、この十干をどう覚えるかです。

これも人それぞれだと思いますが、苦労している方が多いようですので、参考になるかどうかわかりませんが私の方法を書いておきます。

一つは「甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)」と単純に覚えていく方法です

いってみれば、丸暗記です。

これも何回かやれば覚えられますが、最初は、ちょっと大変でした。

そこで語呂合わせも考えて覚えました。

「甲乙丙」までは基礎知識としてしっていましたので、それ以後の「丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)」の語呂合わせを考えました。

私が考えたのは
「帝母(丁戊)が寄稿(己庚)した信心(辛壬)記(癸)」
 
です。

意味は、「皇帝の母親が寄稿した信心の記録」ということです。

これで何回かやって覚えた後は、簡単に丸暗記できました。

語呂合わせは、いろいろ考えられます。すでに考えて覚えている方もいると思います。

ご自分で納得いく語呂合わせを考えてみたらいかがでしょうか?

また。十干は、音読みだけなく訓読みがあります。

つまり
 甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、
 戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、
 辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)
 
があります。

これについても私なりの覚え方がありますが、長くなるのでやめます。

とりあえず、江戸検1級対策としては、十干の音読みを覚え、十干が漢字で書けるようになることが大事だと思います。



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by wheatbaku | 2015-10-09 09:45 | 江戸検定 | Trackback
旧国名を覚えよう②(江戸検お役立ち情報③)

 今日も昨日に続いて「旧国名」についてです。

 昨日の知識も踏まえていただいて、今日は、現在の地方別に旧国名を書いていきます。

 旧国名を覚える方法は、大きく分けて、江戸時代まで利用されていた「五畿七道」別に覚える方法と現在の地方別に覚える方法と2種類あると思います。

 それぞれ好みによって利用すればよいと思いますが、今日は、現在の地方別に覚える方法をベースとして説明します。

 なお、旧国名を覚える際には、分国地図が必須になります。

 インターネットにも載っていますので、これらをダウンロードするなどして利用してください。

 今日の内容も、地図をみながらのほうがわかりやすいと思います。

 地方ごとに分けた場合、旧国名を覚えやすいのは、①東北地方 ②関東地方 ③四国地方 ④九州地方 だと思いますので、これらについてまず説明します。 

1、東北地方

 現在の東北地方は、旧国名では、「陸奥」と「出羽」の2か国のみです。

太平洋側が「陸奥」、日本海側が「出羽」でした。

江戸時代、北海道は蝦夷地と呼ばれていましたが、旧68か国の中に入っていませんでした。

2、関東地方

 関東地方は江戸時代には関八州と呼ばれていましたので、8か国あったことは容易に想像つくと思います。

 江戸検1級を受ける方にとっては、常識のレベルであると思いますが、具体的には次の8か国です。

常陸(茨城県)、下総(千葉県)、上総(千葉県)、安房(千葉県)、武蔵(埼玉県、東京都)、相模(神奈川県)、下野(栃木県)、上野(群馬県)

3、四国地方

 四国は、現在の地方名通り、4か国です。

 すなわち阿波(徳島県)、讃岐(香川県)、伊予(愛媛県)、土佐(高知県)

4、九州地方

 九州地方も簡単です。分国数は11か国ですが、九州本土は、現在の地方名「九州」通り9か国ありました。

筑前(福岡県)、筑後(福岡県)、肥前(佐賀県、長崎県)、肥後(熊本県)、豊前(大分県)、豊後(大分県)、日向(宮崎県)、薩摩(鹿児島県)、大隈(鹿児島県)

 これらの国は、昨日の元の「筑紫国」「豊の国」「肥の国」で6か国あります。

 この6か国に南九州の「日向」「薩摩」「大隅」の3か国を加えると9か国になります。

 そして、忘れてならないのが島国の対馬と壱岐で、この2か国をあわせて11か国となります。

 以上述べた四地方は、比較的簡単に覚えられると思います。

 少し苦労をするのが、⑤中国地方 ⑥中部地方だと思います。

 特に大変なのが⑦近畿地方ではないかと思います。

5、中国地方

ここも多くの旧国名があります。12か国あります。

そこで、山陽道と山陰道にわけて数えますと山陽道側に7か国、山陰道側に5か国あります。

山陽道が、美作(岡山県)、備前(岡山県)、備中(岡山県)、備後(広島県)、安芸(広島県)、周防(山口県)、長門(山口県)です。

この中には、吉備国であったものが4か国ありますので、あとは「安芸・周防・長門」で7か国になります。

山陰道は、因幡(鳥取県)、伯耆(鳥取県)、出雲(島根県)、石見(島根県)の4か国、そして忘れてはならない隠岐(島根県)、以上で5か国となります。

山陽道の元吉備国以外の国が3か国、元吉備国であった国が4か国、山陰道が5か国、これでいくらか覚えやすくなりませんでしょうか?

6、中部地方

 中部地方は、数が多いので大変です。すべてで16か国あります。

 そこで、江戸時代までの東海道・東山道・北陸道も加味して覚えましょう

まず日本海側が北陸道ですが、7か国ありました。

越後(新潟県)、越中(富山県)、能登(石川県)、加賀(石川県)、越前(福井県)、若狭(福井県)ですが、このうち昨日お話した「越の国」であった国が5か国ありますので「越の国」+「若狭」で6か国ということになります。

これら6か国に、もう一つ忘れてならない佐渡(新潟県)で7か国となります。

 海側が東海道ですが、6か国あります。

甲斐(山梨県)、伊豆(静岡県)、駿河(静岡県)、遠江(静岡県)、三河(愛知県)、尾張(愛知県)

 甲斐が東海道に含まれていたことにちょっと注意が必要ですね。

 そして、山の中が東山道です。こちらは3か国です。

信濃(長野県)、飛騨(岐阜県)、美濃(岐阜県)

これを北から順に数えていきます。

「北陸道」は、元「越の国」を1か国と数えると3か国、東山道3か国、東海道6か国、なんとなく覚えやすくなりませんか?

7、近畿地方

もっとも厄介なのが近畿地方だと思います。

現在の近畿地方には、15か国ありました。

数が多い上に、かつての五畿内に属していた国だけでなく、東海道、東山道、山陽道、山陰道、南海道に属していた国々もあって、複雑です。

近畿地方の覚え方は、私には妙案がありませんので、暗記力に頼らざるをえないかもしれません。

それを承知したうえで説明しておきます。

江戸時代以前は、五畿内と呼ばれた国があります。

つまり、都の周辺地域です。現在でいえば、京都・大坂・奈良の三府県です。

五畿内の名のごとく5か国あります。

山城(京都府)、摂津(大阪府)、河内(大阪府)、和泉(大阪府)、大和(奈良県)

それ以外に、江戸時代には、東山道、東海道、南海道、山陽道、山陰道に属していた国があります。

現在の府県名で言うと、滋賀県、三重県、和歌山県、兵庫県、京都府です。

時計回りに東山道から順に書いていきます。

東山道に入っていたのが、近江(滋賀県)

東海道に入っていたのが、伊勢(三重県)、志摩(三重県)、伊賀(三重県)

☆伊賀は忘れやすいので要注意です。 

南海道に入っていたのが、紀伊(和歌山県)と淡路(兵庫県 )

☆淡路は忘れがちですので要注意です。また、コメントにお二人が書いてくれましたが、紀伊と淡路が南海道だということを間違いやすいようですので、これもご注意ください。

山陽道に入っていたのが、播磨(兵庫県)

山陰道に入っていたのが、丹波(京都府)、丹後(京都府)、但馬(兵庫県)

これら五畿内以外の国が10か国ありますので、近畿地方は全てで15か国となります。

以上、長々と書きましたが、68か国の覚え方は、人さまざまであり、いろいろな覚え方があると思います。

しかし、覚えるのに苦労されている方が多いと聞きましたので、私なりの覚え方を書きました。

旧国名を記憶するうえでお役に立てば幸いです。






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by wheatbaku | 2015-10-08 09:30 | 江戸検定 | Trackback
旧国名を覚えよう①(江戸検お役立ち情報②)

 江戸検お役立ち(と自分では勝手に思っていますが、お役に立たないかも?)情報の続きで、今日は「旧国名を覚えよう」です。

 この旧国名も、年号と同じように基礎知識の範疇にはいるもので、江戸検1級では、後記のようにしばしば出題されています。

そのため、江戸検1級を受ける方には、しっかり覚えましょうといっている事項です。

 しかし、旧国名は68個もあるので、これもてこずっている人が多いように思います。

 そこで、お役に立つかどうかわかりませんが、今日は旧国名を覚えるために参考になりそうな知識・情報を2点書いていきます。

1、まず1番目は、本土周辺の島です
 江戸時代には、大きな島が、それぞれ1つの国とされていました。

 つまり、佐渡島、淡路島、隠岐島、対馬、壱岐島がそれぞれ「佐渡」「淡路」「隠岐」「対馬」「壱岐」という国になっています。

 これを忘れると旧国名が68か国になりませんので、旧国名を覚えるにあたって、最初に覚えておくとよいと思います。

2、次に、「上野・下野」や「越前・越中・越後」などのように国名に「上・下」や「前・中・後」がついている国々です。

 これらの国々は、元は一つであった国が数か国に分国された国です。

この国は、名前が似ていることもありますので、ひとまとめにして覚えると覚えやすいと思います。

これらの国は、都に近い国が「上」または「前」、遠い国に「下」または「後」が付けられています。

この類の国々はすべてで、22か国あり、最後に説明する「近江・遠江」を加えると24か国ありますので、それを順に書いていきます。

なお、国名の語源については諸説があるようですが、その中から国名を暗記するのに参考となるものを独断で選んで書いてあることをお断りしておきます。

①上野・下野 

 この2か国は、もとは「毛野(けぬ)の国」でした。それが「上野」と「下野」に分れました。

 「毛」は「木」のことで「毛野」とは「草木の生い茂る土地」というのが通説だそうです。

 この国々は東山道に属していますが、都に近い国が「上野」、遠い国が「下野」とされました。

②上総・下総・安房

 この3か国は、もとは「総(ふさ)の国」でした。

 これが「上総」と「下総」に分れました。

「総」とは「麻」のことだそうで、「麻が良く育った国」ということです。

その後、「安房」は「上総」から分国されました。

「安房」の「房」は「ふさ」と読めることから、「上総」「下総」の「総(ふさ)」と表記は異なりますが同語源だという説もあります

③越前・越中・越後・加賀・能登

 この5か国は、元は「越(こし)の国」でした。

 「坂を越えた土地」なので「越」と呼ばれたそうです。

 それが、まず「越前、越中、越後」の3か国に分れました。

 これらの国々は、北陸道に属していますが、都に近い国が「越前」、最も遠い国が「越後」、その間が「越中」とされました。

その後、加賀と能登が、越前から分かれました。

④丹波・丹後

 丹波・丹後は、丹波という一つの国でした。

 そのうち、都から遠い方を「丹後」として分国しました。

⑤備前、備中・備後・美作

 これら4か国は、古代には「吉備国(きびのくに)」であったといわれています。

 これが「備前、備中、備後」の3か国に分れました。
 その後、「美作」が「備前」から分かれました。

⑥筑前・筑後

 九州北部には古代には、「筑紫国」がありました。

 「筑紫」の語源は「道が西の果てに尽きるところ」という意味です。

 これが2か国に分れ、「筑前・筑後」となりました。

⑦豊前・豊後

 これらは、もとは「豊(とよ)の国」でした。

 「豊」とは「豊かな土地」という意味です。

 これが2か国に分れ、「豊前・豊後」となりました。

⑧肥前・肥後

 これらは、もとは「肥の国」でした。

 「肥の国」は「火の国」で「阿蘇山や雲仙岳などの火山がある国」という意味です。

 これが2か国に分れ、「肥前・肥後」となりました。

⑨近江・遠江

 この2か国は、分国ではありませんが、国名の語源に縁がありますので、一緒に覚えるとよいと思います。

 「近江(おうみ)」の語源は「近い淡湖(あわうみ)」です。
 「淡湖」は淡水湖の琵琶湖をさしていて、琵琶湖のある国ということで「近江」となりました。

 これに対して「遠江(とおとおみ)」は「遠い淡湖(あわうみ)」で、都から遠い淡水湖の浜名湖のある国という意味です。

 

 以上により、①島が一つの国とされた5か国、②分国された22か国、それに③「近江・遠江」を加えて合計29か国が、今日のお話で比較的容易に覚えられると思うのですが、いかがでしょうか?
 明日も、旧国名について書きます。

 最後に旧国名に関する1級の過去問題を紹介しておきます。

 1級では、年号と同じように記述問題も出題されています。

 そのため1級を受検される方は、旧国名を覚えるだけでなく、漢字で書けることも必要となります。

第6回75問
 江戸時代、武蔵国を武州、安房国を房州というように、国の名を通称で呼ぶ場合がありました。では、野州といえば、右の地図の(い)~(に)のどれでしょう?

(選択肢の地図は省略します。)

第5回91問

 幕末の志士を多く輩出した長州藩は、長門国だけでなくその隣国にも領地がありました。その隣国の名前を、漢字2字で書いてください。




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by wheatbaku | 2015-10-07 08:43 | 江戸検定 | Trackback
年号を覚えよう(江戸検お役立ち情報①)

江戸検を受検される皆さんにとっては、本試検まであと約1か月となりました。

しかし、まだ1か月ありますので、かなりの勉強ができると思います。

そこで、江戸検を受検される方のお役にたちそうなことをいくつか思い付くままに書いていこうと思います。

 今日は「年号を覚えよう」です。

 年号は元号とも呼ばれますが、江戸時代の年号は、慶長から始まって慶応まで、36個の年号があります。

 江戸と触れ合う時には、この年号を覚えていると大変便利です。

 神社をお参りするとしばしば目にするのが狛犬です。

 この狛犬には奉納した人の名前と奉納した年が刻まれていることが多いのですが、この奉納した年は、当然のことながら年号で刻まれています。

 また、江戸について書いた本では、一応、西暦が付記されますが、まず最初に書かれているのは年号です。

 江戸幕府が開かれたのは慶長8年(1603)といった具合です。

 江戸時代の年号を覚えていると狛犬が奉納された時期や事件が起きた時期が、江戸時代の初めなのか中期なのか幕末なのかわかって大変便利です。

 ですから、年号を覚えているといつ頃の時代かということがすぐわかるというメリットがあります。

 江戸検を受ける方には、この年号が必須です。

後記のごとく1級の試験でしばしば出題されています。

 しかも、これは「『博覧強記』から出題される範囲」に入りません。

 そのため、江戸検を受検される方は、15人の将軍の名前の次に年号を覚える必要があります。

 これまでも、江戸楽アカデミーや江戸検講座で、「年号を覚えましょう!」と盛んに強調しているのですが、1級を受検される方でも意外にも年号を覚えきれていない人が多いように思います。

 年号は江戸検のイロハだと思って年号を是非覚えてください。
 さらに1級を受検される方は、後記の出題例でわかる通り記述問題でも出題されているので年号が書けることも必要だと思います。

 年号の覚え方は、人それぞれだと思います。

 語呂合わせで覚えた人もいるようです。

私も語呂合わせで覚えようとしましたが難しくて、最終的には、4個の年号を一単位としてリズムで覚えるというようにしました。

 さて、年号に関する1級の過去問を二つ紹介しますが、こうした問題がしばしば出題されていますのでご留意ください。

第5回35問

 江戸時代には、慶長から慶応まで36の年号が使われました。では、次の年号の組み合わせのうち、連続していないものはどれでしょう?

い)元和 - 寛永  ろ)元禄 - 正徳 

 は)明和 - 安永  に)文政 - 天保

第7回91問

 「生類憐みの令」などで知られる5代将軍綱吉は、儒教を基本とした政治を行おうとした将軍です。治世の前半は善政と称えられ、当時の年号を冠して「(  )の治」と呼ばれました。(  )に入る年号を漢字2字で書いてください。

最後に改元に関する話題をひとつ書いておきます。

年号を改める改元は、天皇の代始や瑞祥の出現で行われる一方、飢饉・疫病の流行など不吉な出来事の発生でも行われました。

 さらに、一定の干支(えと)の時には改元が行われました。

 つまり、平安時代以降、「辛酉(しんゆう)」の年と「甲子(かっし)」の年には、年号を改めるということがしばしば行われました。

 江戸時代でみると「辛酉」と「甲子」の年の年号は次のようになっています。

元和7年1621 辛酉

寛永元年1624 甲子

天和元年1681 辛酉

貞享元年1684 甲子

寛保元年1741 辛酉

延享元年1744 甲子

享和元年1801 辛酉

文化元年1804 甲子

文久元年1861 辛酉

元治元年1864 甲子

これを見て、元和7年を除くすべての「辛酉」と「甲子」の年は「〇〇元年」となっていて改元されていることがわかると思います。

 それと西暦をみていただけると、「辛酉」の年と「甲子」の差は3年です。

 辛酉の年に定められた「天和」「寛保」「享和」「文久」の年号がすべて4年で終わっているのは、4年目が「甲子」の年となり、その年に改元されていることによります。

 改元について書いた内容お分かりいただけたでしょうか?

もしよくわからなかったらコメントまたはメールでお問い合わせください。




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by wheatbaku | 2015-10-05 11:15 | 江戸検定 | Trackback
江戸検のここが変わります!
 今年の江戸文化歴史検定の実施要領が5月22日に、江戸文化歴史検定協会から発表になりました。
 詳しくは 右の江戸文化歴史検定協会のHPをご覧ください。 ⇒ 「第10回江戸検 ここが変わります!」
c0187004_16100233.jpg
 今回は、大幅な変更がありますが、重要な変更点は、①出題範囲の変更 ②合格基準の変更です。
 先日の世田谷散歩で、「今回の変更で、特に合格基準の変更〔偏差値の導入〕についてわかりにくい」というお話がありましたので、重要な変更点についての私なりの理解を書いてみたいと思います。
 受検される皆様のお役にたてば幸いです。

 まず、出題範囲の変更ですが、次のようになっています。
 1級 公式テキスト上級編『江戸博覧強記』より 約5割 +「今年のお題」より約2割を出題
 2級 公式テキスト初級編『大江戸見聞録』より 約2割 + 公式テキスト中級編『江戸諸国萬案内』より約5割+「今年のお題」より約2割を出題
 3級 公式テキスト初級編『大江戸見聞録』より約7割+「今年のお題」より約2割を出題

 変更になったのは、公式テキストからの出題割合が増えたことです。
 従来の公式テキストからの出題範囲は、次のようになっていました。
 1級 公式テキスト上級編『江戸博覧強記』より 約
 2級 公式テキスト初級編『大江戸見聞録』より 約割 + 公式テキスト中級編『江戸諸国萬案内』より約5割
 3級 公式テキスト初級編『大江戸見聞録』より 約7割

 これをみて、お分かりなるように、1級・2級では公式テキストからの出題割合が、それぞれ
 1割増える ことになります。
 
 2月の江戸楽アカデミーでも公式テキストを勉強することの重要性を強調しておきましたが
出題範囲の変更で公式テキストをしっかり勉強することが一層重要になります。 
 既に2月に江戸楽アカデミーを受講された方は、もう最低でも公式テキストは2回は読了しているだろうと思いますが、これからも、しっかり読むことが大事ではないかと思います。
 また、7月12日の江戸楽アカデミー 「過去問題からみる『江戸博覧強記』 勉強の実践的ポイント」 で、1級向け公式テキスト「博覧強記」の実践的勉強法について話す予定ですが、その席で「博覧強記」の重要性を改めて強調したいと思っています。

 さて、それよりも重要なのが合格基準の変更です。
 従来は、100点満点中、3級・2級は70点以上、1級は80点以上で合格でした。
 しかし、今年からは
1級・2級では「偏差値」が導入され、2級は偏差値が 55.0以上、1級は70.0以上でも合格となります。

 これは、重要な変更です。
 従来は、絶対基準だけでした。 
 今年から「偏差値」も導入するということは、相対基準を
絶対基準と併せて導入するということです。
 偏差値は、最近の高校入試や大学入試では、ごく普通に採りいれられているので、経験のある方は抵抗なくわかると思いますが、60歳以上の方では、ご自分は体験していないので、理解しにくいかもしれません。
 私も、偏差値世代ではないので、偏差値を本当に理解するのはなかなか難しくて、私もとても説明しきれません。
 しかし、試験の平均を50として、成績がどのくらいであるか判断する方法だということぐらいはわかります。
 問題の内容によって平均点は上下しますが、偏差値はどのテストでも平均点を50に置き換えて点数を判断する方法です。

 今年の江戸検から、この偏差値が導入されて、しかも1級の場合「70.0」以上を合格とするということになります。

 こうすることによって、たとえ、80点に達していなくても、1級合格の栄冠を得る可能性がでてきました。
 つまり、79点の場合には、昨年までは不合格であったわけですが、今年からは、79点でも偏差値が70.0以上であれば、1級合格となります。

 偏差値70.0以上の分布は、2.3パーセント程度と言われています。
 今年からは、1級の場合、
最低でも受検者の2パーセント程度の方が合格することになります。
 昨年の1級は合格率1パーセントですから昨年より明らかに合格しやすくなると思います。
 
 しかし、あまり糠喜びしないでください。
 大学入試の場合、偏差値70以上というと国立大学でも私立大学でも上位校になるようです。
 ですから、これからもしっかり勉強しないと合格しないようです。
 でも狭き門が確実に広がります。
 受検される皆さん、是非頑張ってください。

 なお、このブログでもご案内した 
毎日文化センターの江戸検講座 「共に学ぶ『江戸の祭礼と歳事』」ですが、お陰様で満員となっております。

 大勢の皆様にお申込みいただきありがとうございました。紙上を借りてお礼申し上げます。







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by wheatbaku | 2015-05-26 08:35 | 江戸検定 | Trackback
大名行列も一日10里移動(江戸検定)
 大名行列は、参勤交代の際に、一日どのくらい進んだのだろうか?
 こんな疑問を持ちました。
 そのきっかけは、昨年秋の日本橋散歩です。
 日本橋は、御存知の通り、五街道の起点です。
 そこで五街道の説明に関連して、江戸の人は一日に約10里歩いたことを話しました。 
 しかし、大名行列の場合にはどうかということは、その時は明確にはわからなかったので、調べようと思いました。

 そうしているうちに、江戸検1級の過去問を調べていたら第4回の19問に次のような問題が出ていました。

 加賀前田家の参勤交代行列は2000~3000人規模となり、江戸と金沢のあいだは平均して12泊13日かかりました。しかし、寛永20年(1643)4代藩主光高は江戸にいた夫人が産気づいたため、その旅程を急がせ驚異的な速さで江戸にたどり着きました。さて、何日で江戸に到着したでしょう?

 (い)5泊6日 (ろ)6泊7日 (は)7泊8日 (に)8泊9日


 皆様、おわかりなりますか?
 どの選択肢をとっても一日当たりの移動距離はすごいことになりそうです。
 これは、大名行列の移動距離を本格的に調べなくてとは思いました。

 そこでいろいろな本で調べましたが、最大の石高を誇り江戸検1級の問題にも取り上げられている加賀藩前田家の大名行列について調べた本がありました。
 「参勤交代道中記 加賀藩史料を読む」(忠田敏男著、東京平凡社発行)です。
c0187004_17273268.jpg 「参勤交代道中記」によると加賀藩の参勤交代の所要日数は次のようになっています。
  なお、江戸から金沢までは、中山道・北国下街道を通行すると約120里あります。
   1位 12泊13日 33 回
   2位 11泊12日 17 回
   3位 13泊14日 15 回

  そして、 「参勤交代の発駕の日は送別の会があり、着府の日はまだ太陽の明るいうちに着いた。この両日は五里ずつ歩いたと仮定して2日で10里、残り110里を11日で歩くと、一日の平均旅程は10里である。」と書いてありました。

 つまり、大名行列も、一日10里歩いていることがわかりました。

 
 加賀藩前田家の移動距離は一日10里だと書いてありましたが、大名行列ですから、数人で移動したということはなさそうです。
 それでは、どれだけの人数の行列を組んで一日10里進んだのでしょうか?
 加賀藩前田家は御存じの通り、100万石の大大名です。
 そのため、大名行列も大勢の人数となります。
 どのくらいの人数が参勤したかについて「参勤交代道中記」に書かれています。
 それによると、5代目藩主綱紀の頃が最大で4000人、享和2年(1802)12代斉広の初入国の時に3500人、享保9年(1724)6代吉徳の初入国の時が3000人、延享2年(1745)吉徳が次男の重 と同道して帰国した時が2500人だったようです。
 幕末の万延元年に13代斉泰が帰国した際に魚津に宿泊した際には、合計で2238人が宿泊した記録があるそうです。

 つまり、江戸検1級の問題文どおり、2000人以上の人々が行列をつくって平均一日10里移動したのです。
 
 すごいですね。

 ただし、「大名行列は、整然として進んでいったイメージがありますが、道中常に整然と進んだわけではなく、野間では槍を肩にかけ隊伍を崩して気楽な自由な足取りとなって進みました。
 しかし、大きな宿場や城下・関所などを通る時は「下ニイ」という警蹕の声と共に、乱していた隊形を整え、笠は被り直し足並みを揃え、騎馬の侍は騎乗し肩にかけていた槍を立てた。」そうです。

 さて、前述の問題ですが、その答えも、「参勤交代道中記」に書いてありました.。
 しかし、正解は、明日、書こうと思います。答えを考えながら1日お待ち下さい。





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by wheatbaku | 2015-01-28 08:58 | 江戸検定 | Trackback
『江戸楽アカデミー』の春期講座の案内
『江戸楽アカデミー』の春期講座の講師をさせていただくことになりました。

 『江戸楽アカデミー』は、小学館集英社プロダクションが主催する『江戸を楽しむ講座』です。
 江戸検の関連講座として開設されています。
 その 『江戸楽アカデミー』で、今回から、江戸検1級合格者を講師にした講座が新しく開設され、その講師をさせていただくことになりました。
 良い機会ですので、一生懸命、講義させていただこうと思っています。
c0187004_1040256.gif

 今回の講座には、次のような前書きがされています。
 江戸検合格の実力を活かし多方面で活躍する1級合格者を講師に迎え、専門の研究者とは一線を画した、1級合格者ならではの視点で江戸をテーマに解説する講座です。
 私は研究者ではありませんので、専門的なお話はできませんが、幸いなことに、江戸の史跡ガイドの実体験や江戸検受検者の皆さんとの交流がありますので、そうした経験を踏まて、江戸検を受検される方に役立つ実践的なお話をしたいと思います。

 講座タイトル

 過去問題を総チェック!
 ~江戸のお祭り関連問題の解説とポイント~


 開催日  2月28日(土) 午後1時30分から午後3時


 講義の内容は主に次の三点です。
 1,過去問題の傾向と対策 2,「祭礼と歳時」関係の過去問の解説 3,合格のための勉強方法

 現在、考えている講義内容をお知らせします。
1過去問題の傾向と対策、
 江戸検の過去問題は、知識情報の宝庫です。
 過去問題を見直すことによって、江戸の勉強になるとともに、来年の試験対策にもなります。
 現在、過去の試験問題について一級の問題を中心に分析中です。
 ①どの分野からの出題が多いのか
 ②公式テキスト「博覧強記」のどの項目からどれくらい出題されているのか
 ③時代的には、いつの時代が多いのか
などの分析結果をお話したいと思います・
c0187004_1114481.jpg その上で 
  ①出題意図の見分け方
  ②過去問からみた受検対策
 などについてもお話したいと思います。

②「祭礼と歳時」関係の過去問の解説
 

 江戸検のお題は「祭りだわっしょい 江戸の祭礼と歳事」となりました。
 「祭礼と歳事」に関する問題は、既に過去の江戸検でもかなり出題されています。
 これらについて関連知識も含めて解説します。
 今のところ、天下祭りは必須だと考えています。

③1級合格のための勉強方法
 江戸検協会からの要請は、「江戸検対策の参考として、自らの受験体験をもとに江戸検対策学習の要点や勉強方法なども披露してもらいたい」とのことでした。
 そこで、私の経験から、1級に合格するために、どんな本を読んだか、どのように勉強したか、何時間勉強したかなどについても披露させていただこうと思っています。

 今回の講座は、既に何回も一級に挑戦されている方にも、もちろん受講していただきたいと思います。
 その上で、今回2級に合格された方にもぜひ受講していただきたいと思います。
 第9回の江戸検で2級に合格された方は105人いらっしゃいます。
 2級までの受検勉強と1級の受検勉強はまったくちがうというのが私の実感でした。
 2級の受検勉強の延長で準備されていると、結果はかなり厳しいと思われます。
 2級に合格されて来年1級に挑戦される方には、どのように準備したらよいか考える上で参考になる講義にしたいと思います。

 ですから、初めて1級を受検される方には是非ともお聞きいただきたいと思いすし、既に受検されたことのある方にもお聞きいただきたいと思います。
 もちろん、2級・3級を受検される方にも役にたつ講義にしたいと思っています



 多くの皆様のお申込みお待ちしています。
 春季講座の一覧と申し込み方法は次のホームページで案内されています。
  江戸楽アカデミー春季講座ご案内 

 なお、春季講座の申込書は、合否通知に同封されているようですので、それを利用していただいてもお申込みできます。

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by wheatbaku | 2014-12-19 11:19 | 江戸検定 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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