カテゴリ:江戸の老舗( 49 )
川越「いちのや」(江戸の老舗)

  昨日は、川越の喜多院にちょっと遅めの初詣に行ってきました。

 その帰りに江戸時代から続くうなぎの名店「いちのや」に寄ってきました。

c0187004_22384089.jpg 「いちのや」は、西武線本川越駅から10分弱の距離にあります。

 喜多院からは6分程度の距離にあります。

 「いちのや」は天保3年創業の老舗です。

c0187004_22384867.jpg 川越には2年間余り勤務していたので、その当時、よく「いちのや」を利用しました。

 しかし、川越を離れた後は、毎年初詣に川越に行っていましたが、「いちのや」はいつも混んでいることから寄るのを避けていました。

 

c0187004_22385406.jpg 昨年、たまたまアナウンサーの徳光和夫さんが「いちのや」を訪ねているテレビ朝日の番組を見ていたので、ひさしぶりに訪ねてみようとおもいたちました。

 「いちのや」の玄関を入るとその時の写真が展示されていました。

 昨日も大勢の人が待っていましたが、待ち時間は30分でしたので、それほど長くは待ちませんでした。

  

 「いちのや」の名物は鰻ですので、「うな丼」や「蒲焼」もありますが、当然のように「うな重」をお願いしました。

値段は、「松」2850円、「菊」3620円です。味の違いはなくて、うなぎの大きさが違うそうです。

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 昔は、こんなに高くありませんでしたが、やっぱり、時代の流れですね。

 しばらく待つと、うな重がきました。

 ふっくらとして大変やわらかい鰻で大変満足しました。

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 「いちのや」の歴史を書くため、お店の人に伺いましたが、天保3年創業以外、詳しいことはわからないようです。
 お店のホームページでも歴史については「工事中」と書いてありました。

 赤印が「いちのや」です。ピンクが喜多院です。





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by wheatbaku | 2016-01-26 08:25 | 江戸の老舗 | Trackback
嶋村 (江戸の老舗)
 先週、八重洲にある会席料理の老舗「嶋村」さんにお邪魔しました。
 そこで、今日は、「嶋村」さんの御紹介をします。

c0187004_1849303.jpg 「嶋村」さんは、東京駅の八重洲中央口から徒歩2分のところにあります。
 「嶋村」さんは、嘉永3年(1850)の創業のお店ですので、創業以来約130年の暖簾を誇る老舗です。
 江戸時代の料理番付にもたびたび登場している有名店です。

 「嶋村」さんは、嘉永3年に、嶋村善吉が始めたお店で、当初は仕出し専門で江戸城出入りも許されたほどの腕だったそうです。
 初代善吉が、どこの出身であるかは記録がないためはっきりしないそうです。
 c0187004_1945451.jpg 「嶋村」さんは、仕出し専門で、西の丸の御用も勤めていました。
 安政7年3月3日、いつものように、後に4代名目を継ぐ延太郎が西の丸に登城しようとすると、桜田門外で呼び止められました。その場に止まっていると、井伊大老の行列が差しかかりました。
 すると水戸浪士たちが行列に斬り込み、井伊大老の首があがるまで、延太郎が一部始終をみたという話が残されているそうです。

 明治になり徳川家が駿府に移った際に、初代善吉・二代目善吉は、徳川家と共に駿府に移り住みました。
 そして、江戸の「嶋村」さんを継いだのが、板場を任されていた加藤善吉です。
c0187004_18424527.jpg 加藤善吉は、「嶋村」の暖簾と「善吉」の名前を譲られ、それ以降加藤家が、「嶋村」さんを継いでいくこととなりました。
 現在の加藤一男社長様は、8代目になります。
 突然お邪魔したのにもかかわらず、ご丁寧にご対応いただき、質問にも詳しくお答えいただきました。
 加藤様、ありがとうございました。

c0187004_1974457.jpg 「嶋村」さんは、当初は、檜物町(ひものちょう)に店舗を構えていました。
 右写真は安政年間の料理番付ですが、行事として載っています。
 この料理番付では、檜物町(ひものちょう)となっていますが、他の番付では日本橋や数寄屋町となっていたりします。
 ですので、御主人にその点を質問させていただいたところ、「檜物町が正しい町名です。江戸時代にそこから移転はしていません。番付で町名は違っているものの、現在まで続く「嶋村」であることに間違いありません」とのことでした。

c0187004_1983619.jpg 昭和になって、近隣の保険会社の敷地を拡張することになったため、、昭和2年に現在地に移転してきました。
 それ以降、現在地で営業をしており、昭和52年には8代目ご主人の手で鉄筋コンクリート5階建のビルに建て替えました。

 
c0187004_1991479.jpg 「嶋村」さんは、八重洲のビジネス街近くにあるため、昼はサラリーマンで一杯でした。そしてメニューも、サラリーマン向けの手ごろな価格の品もそろっています。
 そうした中で、個室もあり、江戸料理も味わうことができます。
c0187004_19411446.jpg 私がお邪魔した日は、平日であったので、残念ながら「幕末会席」はありませんでしたので、「江戸散歩」という、会席コースをお願いしました。
 予約してからお邪魔しましたので、2階の個室で頂戴しました。
 お通し ⇒ 刺身 ⇒ 炊きあわせ ⇒ 天麩羅 ⇒ 御飯と味噌汁 ⇒ デザート
という順に提供されました。
 右上写真は、お通しと刺身 ⇒ 炊き合わせ ⇒ 天麩羅と御飯・味噌汁 です。

 「嶋村」さんの江戸料理の名物は、「幕末会席」です。
c0187004_19405028.jpg 「幕末会席」は、土曜日にだけ提供される料理です。
 「幕末会席」はまたの機会に頂戴したいと思います。
 「幕末会席」は、7代目ご主人が口伝やメモを基に再現したものだそうです。
 右写真は、ぐるなびの「嶋村」さんのページに載っている「幕末会席」です。
 おいしそうですね。

 個室には、良寛和尚の書が掲示されていました。
c0187004_19413522.jpg 右から2番目の漢字が読めないのでお聞きしたところ、「愚」という漢字だそうです。
 左からは「比無信愚頑」と書かれています。
 読む場合には「頑愚信無比」であり、「愚かなほど頑なに信じる事はこれに比べられるものはない」と読むようです。
 江戸は火災の多い町ですし、明治以降も関東大震災や東京空襲という大被害があった都市です。
 「嶋村」さんも、数多くの火災にあっているため、昔のものは、あまり残っていないそうです。
 そうした中ですので、「良寛の書も保存状態は良くないのですが・・・」とご主人は御謙遜されていましたが、大変貴重な書だと思います。

 御主人の加藤様、ご丁寧なご対応ありがとうございました。
  おいしい料理と興味深いお話に大満足のひとときでした。
感謝申し上げます。

 赤印が「嶋村」さんです。東京駅八重洲中央口のすぐそばです。

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by wheatbaku | 2014-12-22 08:23 | 江戸の老舗 | Trackback
かど家(江戸の老舗)
 一昨日(先週金曜日)は、江戸検一級合格者の集まり「伴四郎会」の会合があり、両国の「かど家」さんに行ってきました。
 「伴四郎会」は、今年の江戸検お題「江戸の食文化」にあわせて、江戸から続いている老舗の食を味わおうという趣旨で、年初から毎月行われていたものですが、私は、多忙等の事情で参加できませんでしたが、今回、ようやく参加できました。

c0187004_18481273.jpg 会場となった「かど家」さんはJR両国駅東口から徒歩10分程度の距離にあります。
 (下記の地図をご参照ください。)
 池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」に出てくる軍鶏鍋屋「五鉄」のモデルとなった店として有名なお店です。

 「かど家」さんは安政年間に尾張から江戸に出てきた初代弥八が文久2年(1862)に創業したお店です。
 現在は「かど家」と書かれていますが、創業当初は「角屋」と称していたようです。
 現在の店の場所は、創業当時と変わっていないそうですが、道路の角にあります。そうしたことから「角屋」と名付けられたそうです。
 
c0187004_1848385.jpg 暖簾をくぐってはいると上がり框があり靴を脱いで座敷に通されるようになっています。
 上がり框横に、福沢諭吉の「千客万来」と書かれた書が架けられていて、お店の格が感じされます。
 また、隣には、創業当時を描いた絵が掲げられています。本物は焼失しているそうで、複製とのことでしたが、創業当時の面影が感じられます。

 「かど家」さんの名物は、「しゃも鍋」です。
 「しゃも鍋」の調理は、全て仲居さんがやってくれますので、私たちは、できあがりをまつだけです。
c0187004_18515127.jpg 「しゃも鍋」は味噌仕立てで、使用されている味噌は、「八丁味噌」でした。
 初代が尾張出身とのことから、「八丁味噌」を使用しているそうです。
 「八丁味噌」は赤味噌で、見た目は塩辛く感じますが、実際に味わったみると濃くのある大変おいしい味噌です。
 「八丁味噌」が溶かれた汁の中に、肝、砂肝、皮、身が順に入れられていきます。
 「しゃも」の産地は、鳥取県の大山の麓とのことでした。「しゃも」といっても、純粋の「しゃも」は肉が硬いため、最近では、ほかの鶏種と交配された「しゃも」が利用されているとのことでした。
 しゃものほか、こんにゃく、豆腐、春菊、ねぎなども加えられます。
 そうこうしているうちに「しょも鍋」が煮えたので、仲居さんが取分けてくれた軍鶏を溶き卵にからめて食べましたが、しゃも肉は 非常に柔らかくて、八丁味噌の味とマッチしていてすごく美味しかったですね。
c0187004_18522930.jpg 最初は、仲居さんに取分けてもらっていましたが、取分けてもらうのが待ち遠しくて自分で鍋から取分けて食べるほどの美味しさで大変満足しました。
 「しゃも鍋」を堪能した後は、御飯に鍋に残った汁をかけて食べさせていただきましたが、この味もすばらしいものでした。
 御飯のおかわりもしたいところですが、満腹でしたのでやめておきました。

c0187004_1853878.jpg 「かど家」さんには、池波正太郎さんもよく来られたそうですが、女将さんの馬場様のご配慮で池波さんが利用していたお部屋も拝見させていただきました。
 上がり框正面にあり、中庭の見える五畳半の部屋でした。
 四人が座れるテーブルがありました。
 「先客がなければどなたでもご利用になれます」との女将さんのお話でした。
 「家族と一緒にまたお邪魔したい」と伝えたところ、「ぜひ、池波先生がご利用になっていた部屋をご利用ください」とのおっしゃってくださいました。
 女将さんありがとうございました。

 「かど家」さんでは、「かど家」ブランドの焼酎もあります。
 鹿児島の芋焼酎だそうですが、芋焼酎特有の臭味もなく、すっきりした味でした。
c0187004_18532632.jpg こうした焼酎や日本酒・ビールなどを飲みながら、そして、「しゃも鍋」をつつきながら、「伴四郎会」の面々から近況報告がありました。
 熊野古道や成田街道のなど街道歩き、古文書の話、奈良検定の話、軍師官兵衛など、色々な話が紹介され、みんなの各分野での活躍ぶりに元気をもらいました。
 その中でも、話題の中心になったのが、終わったばかりの「江戸検」でした。
 「江戸検」の問題も持っていた人がいたので、それを解いてみようとのMさんから提案がありました。
 そこで、いくつかの問題が出されましたが、さすが、一級の面々、受検勉強をしているわけではありませんが、なんなく解いていったのには驚かされました。
 例えば「没後、征夷大将軍の称号をもらった人物は誰か」については、月猫さんが即答でした。
 「『玉川の鮎もちっとで皆ごろし』と川柳に詠まれた大事件は何か」についてはYさんが即答でした。
 「長崎で大田南畝が飲んだ飲み物は何か」という問題も帰りがけに話題になり、Hさんからは、「この話は、江戸から勉強していっている我々には難問ですが、コーヒーを勉強している人にとっては常識なんですよ。」という話もありました。
 いやはや、久しぶりにみんなに会って、みんなの博識ぶりに改めて驚きました。

 名店「かど家」さんでの「伴四郎会」は、お腹も一杯、情報も一杯、楽しさも一杯、元気も一杯の有意義な一晩でした。
 「かど家」さんありがとうございました。
 そして「伴四郎会」の皆さんありがとうございました。
 幹事役のMさんとTさん、大変お世話になりました。
 最後に、記念撮影です。フラッシュをセットしなかったので、写り具合はいまいちでした。
 でも、皆さんの満足そうなお顔は写せたと思いますのでご参加の皆さんご容赦ください。
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 「かど家」さんは、赤印の場所です。

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by wheatbaku | 2014-11-30 21:00 | 江戸の老舗 | Trackback
いせ源 (江戸の老舗)
一昨日は江戸検でした。
 結構難しい問題が多かったようですね。受検された皆様本当にお疲れ様でした。
 大勢の皆様から、結果についてのご連絡いただきました。
 結果は、悲喜こもごものようですが、この間、受検された皆様全員が頑張ってこられたのですから、この間の頑張りに、本当に敬意を表します。

 さて、文京学院大学生涯学習センターの神田散歩で訪ねた「いせ源」さんでは、あんこうの吊るし切りを見させていただきました。
 これが大変好評でしたので、今日は、「いせ源」さんについて詳しく紹介しようと思います。

 いせ源さんは、東京メトロ淡路町駅A3番出口から徒歩2分の距離にあります。
 この近辺は現在は須田町ですが、昔は連雀町といわれた町です。
 ここには、「いせ源」さんをはじめ「まつや」「たけむら」「かんだやぶそば」など昔ながらの情緒を漂わせている老舗が目白押しです。
c0187004_9581539.jpg その中で、江戸時代に創業したの「いせ源」さんだけです。
 「いせ源」さんは、天保元年(1830)に、中橋広小路(現在の京橋三丁目付近)で初代にあたる立川庄蔵が「いせ庄」というどじょう屋を始めました。
 その後、2代目立川源四郎が店を中橋広小路から神田連雀町に移し、店名も「いせ庄」の「いせ」と「源四郎」の「源」を合わせ、「いせ源」と改名したそうです。
 当時はあんこう鍋の他にも、よせ鍋、かき鍋、白魚鍋、ねぎま鍋等々、様々な鍋料理を提供していたようです。
 しかし、あんこう鍋に人気が集中するようになり、大正時代の4代目立川政蔵の時にあんこう料理専門の店となりました。
 「いせ源」さんの建物は、大正12年の関東大震災によって全焼した後、昭和5年に建てられたもので、 東京都選定歴史的建造物に選定されています。

 神田散歩の時に、あんこうの吊るし切りをみせてくださったのは7代目ご主人です。
 まだお若く、「若旦那」という呼び名がぴったりです。
c0187004_9584386.jpg あんこうについての解説もしていただきました。
 あんこうは300種類ぐらいいるそうですが、あんこう鍋に使われるものは「キアンコウ」という種類だそうです。
 キアンコウで食用になるのは主にメスで、アンコウのメスはオスよりも早く成長し体が大きいようです。
 先日見させていただいたアンコウは青森で水揚げされたものだそうです。
 あんこうを捕るには、底引網と刺し網があるそうです。底曳網では、多種の魚が一網打尽に捕獲されますが、刺し網で捕る場合は、網の大きさより小さい魚は捕獲されません。
c0187004_959168.jpg そのため、自然保護の観点からは刺し網の方がよいそうです。
 「いせ源」さんでは、刺し網で捕獲されたあんこうを利用するようにしているそうです。
 解説の後、吊るし切りを実演していただきました。
 あんこうを吊るし切りするには5分程度で調理できるそうですが、当日は、お話をしながらですので25分程度かかりました。
 解説も詳しく、包丁さばきも見事でした。
 しかも、参加者から随時出される質問にも丁寧に答えていただきました。
 参加者の皆さんは大満足でした。
 7代目ご主人様ありがとうございました。また、御手配していただいた女将さんありがとうございました。

 神田散歩にご参加いただいた お気楽マダムさん が、吊るし切りの様子を動画に編集してくださいました。
 吊るし切りの様子もわかりますし、若旦那の説明も取り込まれています。ぜひご覧ください。





c0187004_100321.jpg 「いせ源」さんには、ご案内する前にお邪魔して、「あんこう鍋」を食べて写真に撮ってありますので、その様子も紹介します。
 「いせ源」さんは、2階が入れ込みの座敷となっていて、そこであんこう鍋を食べることができます。
 私たちが選んだ窓際のテーブルは、映画監督の小津監督がいつも座って食したテーブルとのことでした。 
 あんこう鍋を注文するとほどなく運ばれてきました。
c0187004_1005663.jpg 基本的にあんこうは腸と精巣以外のすべての部位が食べられるとのことで、あんこうの具材と野菜が並べられ、割り下が入った鍋でした。
 しばらくすると煮立ってきました。ガスの火を弱めて食べてみると醤油味でした。
 あんこう鍋には味噌味もあるそうですが、「いせ源」さんでは醤油味で調理しているとのことでした。
 あんこうの味はおいしくて、部位によってちがう食感が楽しめて大変すばらしかったです。
 あんこう鍋を食べ終わると、「おじや」をどうするかとの質問がありましたので、迷わずオーダーしました。
 あんこうの味がたっぷり染み込んだ「おじや」も最高の味でした。

c0187004_9595391.jpg 2階の座敷には、絵が数多く掲示されています。
 よく見るとサインしたものがありますので、誰が描いたのかわかります。br> 右写真の絵には春陽会のサインがありました。
 春陽会の人々が寄せ書きした絵のようです。
 中川一政画伯のサインのある絵もありました。


c0187004_1001427.jpg 最後に店の入り口に掲げられている看板のご紹介です。
 入り口の看板には、右から「先客万来」と刻まれています。
 この看板の板は、ふな虫に食べさせたものだそうです。
 多くのお客さんに食べてもらいたいという願いを込められているそうです。
 上品な洒落が効いて、なるほどと感心しました。
 昭和5年の新築時以来掲げられている看板とのことです。


 あんこうはこれからがシーズンです。
 「いせ源」さんであんこう鍋をたべてみてはいかがでしょうか。必ず満足すると思います。
 
 なお、「いせ源」さんでは、夏場もあんあこう鍋をやっているそうです。


 赤印が「いせ源」さんです。最寄駅は東京メトロ丸の内線「淡路町駅」ですが、JR山の手線の「神田駅」からもそう遠くはありません。

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by wheatbaku | 2014-11-04 09:32 | 江戸の老舗 | Trackback
八百善②(江戸の老舗)
 今日も、引き続き、先日お邪魔した八百善について書いていこうと思います。
 八百善の様子は、一緒にお邪魔したひまつぶしさんとお気楽マダムさんもそれぞれご自分のブログに書いていますのでご覧になってみてください。

 ひまつぶしさん 「過去・現在・未来」 
 お気楽マダムさん 「お気楽マダムの奮闘記」

  さて 今日は八百善で見させていただいた文化財についてご案内します。
c0187004_851122.jpg  その前に、八百善の建物について、11代目栗山雄太郎様から伺ったお話を書きます。
  右写真が、八百善の建物ですが、大変風格のある建物です。
  こちらは、明王院が管理している建物だとは聞いていましたが、お寺の建物とは思えない風情のある建物です。
  実は、この建物は、大正時代に建てられた某経済人の所有するものだったそうです。、それが、縁あって明王院が管理するものとなりました。
 そして、バブル時代には料亭として利用されていたこともあるそうです。
 なるほど、やはり、風格のある建物だと感じさせられる歴史があるんだと思いました。

c0187004_8513149.jpg  八百善には、多数の額や書が掲示されていましたので、今日は、それらをご紹介します。
 まず、大田蜀山人が書いた歌です、

 
  ちはやふる かみすきばしを 夕こえて 八百善にてや 月まつち山

 
 と書かれています。
 八百善の御主人10代目栗山善四郎様のお話では、こうした歌・俳句・詩・書といった類は、八百善の天井や壁や襖に、直に書かれているものが多かったそうです。
 4代目栗山善四郎は、そうした歌や書の一部を切り取って保存をしたそうです。
 山谷の八百善は、関東大震災で焼失してしまいましたが、このようして4代目が軸にしてくれたため、大田蜀山人の歌も残されたのだそうです。
 この歌は、八百善の営業案内にも使用されています。


c0187004_8524444.jpg 松平不眛公の額も掲示されていました。
 「安膝堂」と書かれています。 「膝を安んじる御堂」という意味だそうです。
 山谷の八百善は、江戸時代、いくつかの建物が建っていたそうです。
 そのうちの一つに、松平不眛公が「安膝堂」と名付け、額にしてくれたそうです。
 10代目栗山善四郎様のお話では、八百善は、関東大震災の際に焼失しましたが、火がつくまでに、2時間の猶予があったそうです。
 そのため、多くの貴重なものを持ち出すことができたようです。
 この額も、大震災の中で、八百善の人たちが守り抜いたものかもしれません。

 
c0187004_8532272.jpg 食事が終わり、最後に、11代目となる栗山雄太郎様に、酒井抱一の「鶴かけの松」の絵などは残っていませんでしょうかと尋ねました。
 すると「鶴かけの松」は残っていませんが、酒井抱一の書いた書で残っているものがありますとのことで、その書を特別に見せていただきました。
 別室ですが、抱一と署名されている書がありました。。「不老亭」と書かれています。


c0187004_8534747.jpg その部屋では、もっと貴重なものを拝見させていただきました。
 それは「徳川屏風」です。 文政10年に、11代将軍徳川家斉が世子の家慶とともに八百善に御成になった際に、その席に飾られた屏風だそうです。
 この屏風は将軍家が八百善に持ち込んだもので、御成が終わった後に、そのまま八百善に下賜されたものだそうです。
 左手には五つの葵の御紋が散らされていて、右手には扇面が描かれていました。


c0187004_8541490.jpg 八百善では、大変貴重なものを拝見させていただきました。
 私も、江戸の老舗を訪ねた際には、江戸時代から残されているものがあるか尋ねますが、多くの老舗が関東大震災や戦災で焼失してしまい残っていないと言われます。
 そうした老舗が多い中で、これだけの書や額がのこっているのは大変貴重だと思います。
 私も大変うれしかったのですが、ご一緒した皆さんも大変よろこばれていました。
 無理なお願いにもかかわらず御了承していただいた11代目の栗山勇太郎様ありがとうございました。
 最後までお見送りをいただき、かえって恐縮した次第です。
 帰り際にお写真を撮らさせていただきました。
 勇太郎様本当にありがとうございました。


 最後に、この記事を読まれて、八百善に行ってみたいと思われた方のため、八百善の営業案内を載せておきます。
 これに、大田蜀山人の歌 
  ちはやふる かみすきばしを 夕こえて 八百善にてや 月まつち山
が使用されています。
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by wheatbaku | 2014-09-22 08:59 | 江戸の老舗 | Trackback
八百善①(江戸の老舗)
 昨日は、『江戸の食文化講座』を受講された皆さんと一緒に鎌倉にある八百善に行ってきました。
 そんなことで、2回にわたって、八百善について書いていきます。

c0187004_974652.jpg 江戸時代、八百善は新鳥越町と言われた現在の東浅草にありましたが、関東大震災で焼失しました。
 その後、築地にあった八百善も戦災で焼失し、その後、都内各所で営業していましたが、それらのお店も諸事情では閉鎖され、平成25年春に、鎌倉の明王院の敷地内で営業を再開しました。
 そうしたことから、現在は八百善は鎌倉で営業されています。
 鎌倉駅からタクシーで約10分ほどでした。
 明王院の境内といっても門は、路地に面していて、お寺の境内にあるとは全く感じられません。

 
c0187004_981033.jpg 八百善では、10代目栗山善四郎様にお出迎えしていただきました。
 栗山善四郎様は、八百善の歴史、おじいさんにあたる8代目栗山善四郎のエピソード、そして提供される料理と器のお話を丁寧にしてくださいました。
 初めて聞くことばかりで、大変興味深くたのしく聞かせていただきました。 栗山様、ありがとうございました。


 八百善では、お料理は、3千円と5千円のコースがありますが、昨日は3千円のコースをお願いしました。
 それでは、八百善で出されたお料理の写真をフルラインアップします。

c0187004_8595524.jpg 最初は、お刺身です。
 天然もののイナダのお刺身です。
 器は志野焼き


c0187004_9155897.jpg 鮭の芋がゆ仕立て
 器は、村瀬治兵衛作の日月椀


c0187004_913994.jpg この芋がゆの写真だけは、自分のものを撮り忘れました。幸い、隣の人の芋がゆが撮ってありました。
 隣の人の器は、この時期だけに使用される鈴虫の漆器ですが、大勢で行ったため、器が二種類用意されていて、ゆき届いた配慮に感激しました。


c0187004_92219.jpg なすの蒲焼きもどき
 器は、織部のまな板皿
 なすの焼き方は秘伝だそうです。


c0187004_922410.jpg えびのしんじょ揚げ
 器は黄龍五爪(きりゅうごづめ)の皿


c0187004_925715.jpg この皿は、中国清の最後の皇帝溥儀が、昭和10年に満州国皇帝として来日し現在の迎賓館に宿泊した際に、八百善が料理を担当しましたが、その際に使用されたものだそうです。
 中国では、黄色は皇帝の色で、爪が五本の龍は皇帝を表すものです。


c0187004_931861.jpg わたりかにの「茶碗蒸し
 八百善では、蟹はわたりがにだけしか使用しないとのことです。
 また、蒸し物は、真夏でも出すのが八百善の流儀だったそうです。


c0187004_9274535.jpg 栗ごはん
 八百善では、ご飯のおかわりは自由だそうです。
 そして、おかわりの都度、使用するお茶碗を変えるとのことでした。 


c0187004_93403.jpg そこで、おかわりしました。
 確かに、違う器でした。
 左が最初に出された黄万暦(きばんれき)、右がおかわりしたもので美濃の赤絵です。
 今までのおかわりの最多は、男性6回、女性4回だでそうです。


c0187004_94227.jpg 最後は、お抹茶とお菓子です。
 こちらは、コース外で、800円で味わうことができます。


 最後は、10代目栗山善四郎様を中心に、参加者の皆さんで記念撮影を撮らさせていただきました。
 栗山善四郎様、ありがとうございました。
 大変おいしし料理と貴重な器の数々に感激しました。
 また、一緒に行かれた受講者の皆さん、お疲れ様でした。
 そして手配いただいたUさんありがとうございました。
c0187004_961167.jpg



赤印が八百善の場所です。「明王院」が目印になります。

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by wheatbaku | 2014-09-20 08:12 | 江戸の老舗 | Trackback(1)
銀座三河屋(江戸の老舗)
 今日は、銀座の老舗「銀座三河屋」さんのご紹介です。

 銀座三河屋さんは、銀座八丁目の金春通りに面してお店があります。
c0187004_8581418.jpg 「銀座三河屋」さんには、伊丹の酒メーカー小西酒造が生産している「江戸元禄の酒」を購入するためにお邪魔しました。
 原田信男先生の「江戸の食文化」の109ページに「伊丹の酒メーカー小西酒造では、杜氏の覚書から江戸時代の酒を再現している」と書かれているため、それをインターネットで検索していき、「銀座三河屋」さんで販売していることを知ったため、購入に行きました。

 銀座三河屋さんは、元禄時代三河の国より江戸の上がり汐留(現在の新橋駅近く)に移り、酒商を営んだ後、油屋に商売がえし、さらに、 江戸時代後期には、日本古来よりの手芸品や絽刺を徳川家や諸大名に納め御用商人として繁盛したそうです。

 c0187004_8585188.jpg明治6年になって、銀座8丁目8番3号(現在の資生堂パーラー)に移り営業を続け、その後、各地のデパートにも出店し、大いに繁盛したそうです。
 そして、平成2年には、金春通りに移転し和装小物の店「銀座・三河屋」を営業していましたが、平成15年に「江戸の食(スローフード)『銀座・三河屋』」新規開店しました。
 7代目の神谷社長さんのお話では、和装小物の店から「江戸の食(スローフード)」に業種変更されたのは、時代の変化に対応しようとされたためだそうです。

c0187004_911291.jpg 「江戸の食(スローフード)」に転換してから、最初に商品開発されたのが、「煎(い)り酒」です。
 「煎り酒」というのは、現在は、あまり知られていませんが、江戸時代に用いられていた日本の古い調味料です。
 それは、日本酒に梅干とかつおを入れて煮詰めたもので、酸味と塩味と旨味を合せもつ万能調味料です。
 これを、なべ家主人の福田浩様のアドバイスを受けながら、銀座三河屋さんで、独自に商品開発されたものだそうです。現在の商品が完成するまで半年かかったそうです。
 紀州南高梅の梅酢を使用していて、塩分は一般的な醤油よりも 少なく、まろやかでヘルシーな調味料に仕立てたとのことでした。
 現在は、野田の醤油メーカー「キノエネ醤油」さんに製造を委託されているそうです。

c0187004_905412.jpg さて、「江戸元禄の酒」ですが、これは伊丹の小西酒造を創業した小西家に今もなお残されている 元禄時代の酒造りを記録した秘伝書「酒永代覚帖」の中で、最も古い元禄15年(1702)の記録に従って再現されたお酒です。
 この酒が、「銀座三河屋」さんで取り扱われるようになったのは、神谷社長さんが新聞の記事を見て、小西酒造に取扱いのお願いをしたことから始まったそうです。
  元禄の酒は、現代の造りと比較して、仕込水は半分ほどしか使用されていないことと精米技術が今ほど発達していなかったため、玄米に近い精米となることにより、味は濃厚な口当たりとなり、色は奇麗な琥珀色をしています。
 銀座三河屋さんでは、試飲もさせてくださいます。
 右下写真が、「元禄の酒」ですが、まさにキャッチコピーの通りの琥珀色をしています。
 また飲んでみると、まさに甘口で濃厚な味でした。

c0187004_911487.jpg 「元禄の酒」を購入し、第2回目の「食文化講座」で、受講者の皆さんにも試飲をしていただきました。
 江戸時代の酒はどんな味がするのか興味津々で試飲をしていました。
 その時の感想では、お酒の好きな男性方からは、最近のお酒は、すっきりした辛口のお酒に親しんでいることもあり、「みりんのような味だ」と言った感想でした。
 お酒をあまり飲まないご婦人方からは、「甘いので飲みやすい」と言った感想がありました。 
 私は、最近は日本酒は飲まないのですが、ロックにして飲むとおいしいのではないかと思いました。

 神谷社長さんのお話では、現在では、「江戸元禄の酒」の取り扱いしている店舗の中では、トップクラスの売り上げをあげているそうです。
c0187004_911295.jpg 身近で購入できますので、江戸時代の酒がどんな味がするか味わうのもよろしいかと思いますので、「銀座三河屋」に足を運んでみてはいかがでしょうか。

 銀座三河屋さんでは、愛知の桝塚味噌で木桶でつくられた「とろみそ」なども販売されています。(右写真)
 「とろみそ」というの、まぐろのとろのようにおいしいみそと言う意味で命名されたみそだそうです。
 「銀座三河屋」さんの場所は、下図の通りです。

 私がお邪魔した時には、神谷社長さんは御不在でしたが、その後、電話でいろいろお教えいただきました。
  神谷社長さんは、江戸文化歴史検定2級もとられていらっしゃるとのことで江戸にも大変憧憬の深いこともあって、大変親切にご対応いただきました。
 紙上をお借りして神谷社長さんに御礼申し上げます。ありがとうございました。
 

 赤印が「銀座三河屋」さんです。JR新橋駅銀座口から4分、東京メトロ銀座駅A2番出口から6分です。

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by wheatbaku | 2014-08-22 08:57 | 江戸の老舗 | Trackback
亀の子束子西尾商店(巣鴨食文化散歩 )
 先週土曜日の浜離宮・芝離宮散歩の中で、巣鴨食文化散歩で訪問した亀の子束子(たわし)西尾商店が話題になりました。

c0187004_928956.jpg 巣鴨食文化で訪問した老舗については、大部分、このブログで紹介しているのですが、「亀の子束子(たわし)西尾商店」については、まだ紹介していませんでした。
 そこで、参加されたSさんからぜひブログに書いてほしいというお話をいただきましたので、今日は、「亀の子束子(たわし)西尾商店」をご案内します。

 皆さん、亀の子束子(たわし)はご存知だと思います。
 その亀の子束子を作っているのが、「株式会社亀の子束子西尾商店」です。

 旧中山道沿いにある大正風の建物の会社です。
 JR板橋駅からは8分程度、都営三田線西巣鴨駅からは5分のところにあります。


 「亀の子束子西尾商店」は、明治40年に創業した老舗です。
c0187004_9284140.jpg 西尾商店の初代社長西尾正左衛門が東京本郷真砂町にて棕櫚(しゅろ)製の亀の子束子を発明しました。
  西尾正左衛門の奥さんがマット用に棕櫚(しゅろ)を棒状に編んだものを二つに折って掃除しているのを見て、亀の子束子を考案したそうです。
 「亀の子」という名前は、形が亀に似ていること、水に縁があること、亀は長寿で縁起がいいことから命名されたそうです。
 そして明治41年に実用新案と商標登録をあわせて取得しました。
 当時の亀の子束子が店内に展示されています。右上写真の左が当時のものです。
 関東大震災で、本郷真砂町の事業所は壊れてしまいましたが、滝野川は大丈夫であったため滝野川に移転し、以後、現在まで、滝野川で営業を続けています。

 
c0187004_9304697.jpg 現在は、パームやしの繊維を利用して亀の子束子を製造しているそうですが、亀の子束子の製造は、すべて手作業だそうです。
 材料となるパームの繊維を均一に巻き込むのは、微妙な締め付け加減があり、機械ではできないそうです。
 巣鴨食文化散歩に御一緒した江戸検協会のUさんは、西尾商店で、実際に束子の製造を体験したそうですが、 パームの繊維をまくのが非常に難しかったと教えていただきました。

c0187004_9311010.jpg 「亀の子束子西尾商店」は、土曜日・日曜日は休業ですので、巣鴨食文化散歩の際には、外観しかご案内できませんでした。
 平日にお邪魔すると店内には、明治40年当時の束子から現在のまでの束子の現物が展示されていました。
 また、束子のできるまでの様子も説明されています。
 もちろん、亀の子束子も販売されています。
 亀の子束子がずらりと並んでつりさげられているのは壮観でした。
 また、「亀の子束子」という言葉が広辞苑にのっているということも、教えていただきました。
 商品名が、普通名詞になるなんてすごいですね。

 Sさん、「亀の子束子西尾商店」を尋ねるのは、平日がよろしいと思います。
 ぜひお出かけください。

 赤印が「亀の子束子西尾商店」です。

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by wheatbaku | 2014-05-26 09:24 | 江戸の老舗 | Trackback
種子屋「榎本孫八」家(江戸の老舗 巣鴨食文化散歩7)
 昨日は、いわゆる「種子屋街道」にある種子屋の一つ「東京種苗」のご案内でしたが、今日は、滝野川「三軒家」の一つ「榎本孫八」家をご案内します。

 滝野川「三軒家(さんげんや)」は、昨日も書いたように「榎本孫八」「越部半右衛門」「榎本重左衛門」の三家です。
 この三軒は、現在は、すべて廃業してしまっています。
 しかし、この三軒にゆかりの種子屋は現在も残っています。
c0187004_9295888.jpg 昨日ご案内した通り「東京種苗㈱」は「榎本重左衛門」の分家です。
 「榎本孫八」の分家筋では、王子に「榎本徳次郎商店」があります。
 また、「越部半右衛門」の分家筋として、千葉県に本社のある「みかど協和㈱」があります。
 しかし、 「東京種苗㈱」の本家である榎本重左衛門家は、跡を継ぐ人がなく、平成23年に御屋敷が壊され、現在はマンションになってしまっています。
 また、「越部半右衛門家」も、現在は、滝野川にはなくなってしまいました。

 そうした中で、「榎本孫八」家だけが、滝野川に残っています。(右上写真参照)
c0187004_9301797.jpg 巣鴨食文化散歩では、その「榎本孫八家」にお邪魔することができ、7代目当主の榎本孫久様にお話をうかがうことができました。
 右写真は、玄関先でご説明される榎本孫久様とそのお話をうかがう参加者の皆様です。
 榎本孫八家は、初代榎本孫八が興した種子屋です。創業時期ははっきりしません。
 しかし、北区史」には「文政11年(1828)に村尾嘉陵(かりょう)によって記された『嘉陵日記』には、『滝野川三軒家、道の左に人家4.5軒あり、昔は三軒ありしかば、名にやかくおひけんかし』とあり、すでにこの時以前に三軒家という呼び名が広まっていたことがわかる」と書かれていて、江戸時代後期の文政年間より以前に創業したと考えられています。
 
c0187004_9303567.jpg 榎本孫八家は、大正半ばに帝国種苗ができた際に、種子屋は廃業したそうです。
 帝国種苗㈱の本社は板橋駅近くの中山道沿いにあったそうです。
 本家は、廃業してしまいましたが、分家「榎本徳次郎商店」は王子で事業を継続しているそうです。
 この家は、もともと中山道に面して明治43年に建築されたものですが、種子屋を廃業した後に、現在地まで家を曳いてきたそうです。
 母家は、出格子造り(だしげたづくり)の家で、東京種苗㈱の家と同様な造りです。
 屋内には、種子屋を営業していた時代の看板が残されていました。(右写真参照)

 榎本様、突然お邪魔したにもかかわらず、ご丁寧に三軒家や種子屋のお話をいただきありがとうございました。
 心より感謝申し上げます。
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by wheatbaku | 2014-05-14 09:31 | 江戸の老舗 | Trackback
「東京種苗㈱」(江戸の老舗 巣鴨食文化散歩6)
 巣鴨食文化散歩では、「種子屋街道」のなごりのお家も訪ねました。
 今日は、そのうちの一軒「東京種苗」のお話をします。

 都営地下鉄三田線西巣鴨駅は白山通り(国道17号線)の地下にあります。
 西巣鴨駅のほぼ真上を通っているのが明治通りですが、明治通りの「掘割」の交差点は旧中山道との交差点です。
 この「掘割交差点」から西は北区滝野川になり、古い字名は、三軒家(さんげんや)と言います。
 より詳しくいうと旧中山道の東側の字名は東三軒家、西側の字名は西三軒家といいます。
 この字名「三軒家」の由来は、江戸時代に中山道沿いに大きな種子屋が三軒あったからと言われています。
 この三軒の種子屋は、「榎本孫八」「越部(こしべ)半右衛門」「榎本重左衛門」の三家です。
 この三軒を中心に、中山道には多くの種子屋がありました。そのため、このあたりは「種子屋街道」と呼ばれました。

 現在、三軒家と呼ばれた種子屋は、すべて廃業していますが、その名残りがないわけではありません。
c0187004_1072674.jpg その一つが、旧中山道沿いに現在も建物が残っている「東京種苗株式会社」です。
 「東京種苗㈱」は、元々は、種子問屋「榎本留吉商店」といい、弘化元年(1844)に創業した老舗です。
 榎本留吉商店の初代の榎本留吉は、三軒家のうちの「榎本重左衛門」の三男で、そこから分家してタネ屋となりました。

 滝野川は、滝野川牛蒡や滝野川人参などの優れた野菜がとれたので、それらの種子を中心に野菜の種子を分けてほしいという旅人に、農家の副業として種子を譲っていたのが、段々専門化していったようです。
 江戸時代には、この近辺で種を採取していましたが、明治以降、種子の生産地は、埼玉や千葉、茨城に移っていきました。
 榎本留吉商店では、農家に委託して生産した種子の外、他の種子屋から仕入れた種子の販売もしていたとのことでした。
 太平洋戦争中、野菜の種子は軍需品となり国の統制下に置かれ、種子屋は、全国で13社に統合されました。
c0187004_1075671.jpg 滝野川地区の種子屋は、「東京種苗」、「帝国種苗」、「日本農林種苗」の三社に統合されました。
 榎本留吉商店は「東京種苗」となり、榎本孫八家、越部半右衛門家は「帝国種苗」となりました。
 終戦後は、種子に対する統制がなくなり、合同した各種苗メーカーもそれぞれ独立していったそうです。
 元の榎本留吉商店が東京種苗株式会社と言う名前となっているのは、こうした経緯があるためだそうです。

 東京種苗㈱」の建物は、明治初期に建てられたものですが、現在は、店舗としても住まいとしても利用されていないそうです。
 この建物は、巣鴨から板橋駅の間の旧中山道に残る貴重な町家建築ですので、長く保存されているといいなぁと思いました。

赤印が「東京種苗㈱」の建物です。 青印g亜明治通りです。

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by wheatbaku | 2014-05-13 10:13 | 江戸の老舗 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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