カテゴリ:江戸の技( 7 )
江戸木目込人形(江戸の技)
  3月24日に向島散歩を行いましたが、その際に「江戸木目込み人形」を制作している塚田工房にお邪魔しましたので、今日は、「江戸木目込み人形」と塚田詠春さんについて書きます。


 木目込人形の塚田工房さんは、京成線「押上」駅のA3番出口から徒歩10分です。
c0187004_14521733.jpg ここの御主人の塚田詠春(つかだえいしゅん)さんは、経済産業大臣伝統工芸士に認定されています。
 木目込人形というのは、木彫りの胴体または桐塑で作った胴体部分に、布を貼り付けて、衣裳を着ているように見せる人形です。
 桐塑というのはは、桐の粉末に正麩糊(しょうふのり)をまぜて作った 粘土の一種だそうです。
 溝に布を埋め込むことを「木目込む(きめこむ)」というところから、木目込人形(きめこみにんぎょう)と呼ばれます。
c0187004_14594085.jpg 木目込人形は、元文年間(1736年から1740年、8代将軍吉宗の時代)に京都の上加茂神社に仕える高橋忠重という人が祭りの残材に布を貼りつけて作った人形と言われています。
 それが江戸に伝わりました。すでに正徳年間には多くの人形師が江戸に下ってきていて、江戸に伝わった木目込人形を制作するひとはいました。
 そして、江戸が文化の中心地として発展してくるにつれて、木目込人形も江戸風に変化しました。
 塚田詠春さんの話では、現在では、本家本元の京都では木目込み人形は制作されていないそうです。
 江戸における木目込人形には、岡本玉水(ぎょくすい)の系統と名川春山(ながわしゅんざん)の系統の2系統があるそうです。
 塚田さんは、苗字は違いますが、名川春山の子孫で、6代目となるそうです。
 名川春山の初代名川岩次郎は、天保3年(1841)28歳のとき浅草須賀町の人形師瀬山金蔵より独立して、本所両国に創業しました。

c0187004_1501756.jpg そして、4代目春山が向島に住んで木目込人形を制作しました。4代目春山は数々の名作を制作したそうですが、工房内にもその一部が展示されていました。
 右の写真が4代目春山が制作した人形です。
 そして4代目の息子5代春山の甥が塚田詠春さんです。
 詠春さんは、昭和24年に向島に生まれ、叔父の5代目春山の内弟子として修業し、昭和48年に現在地に独立し、平成13年に6代目春山を襲名したそうです。
 現在、経済産業省伝統工芸士に認定されています。
 
 木目込人形の原型は、木を彫ったものを使用する場合または「かま」と呼ばれる型に桐塑を詰めて作る場合があります。
c0187004_1456539.jpg 木彫りでは大量生産できませんが、「かま」を使用することにより多少大量生産できるようになったようです。
右の写真の左部分にあるのが「かま」とそれを使用して作る胴体です。右側は「頭」の制作工程が展示されていました。
 木目込人形で最も苦労をするのが、胴体部分のデザインだそうです。
 こうして作った胴体に布を木目込むための溝を彫ります。そしてその溝に糊を入れ、型紙に合わせて切った布地の端を目打ちや木目込べらを使用してしっかり木目込みます。
 ここでしっかり木目込むことがきれいな人形に仕上げるポイントだそうです。
 そして木目込みを終えた胴体に、別に作った頭や手などを差し込み完了です。

 工房内には、塚田詠春さんが制作した人形が展示されていました。
 下見の時にはまだひな祭り近くでしたので雛人形が展示されていました(左上写真)。しかし、向島散歩本番の際には、季節の人形に変わっていました。(下写真)
 c0187004_14535529.jpgc0187004_1454698.jpg 

 木目込人形は、手作りであるため大量生産ができません。
 従って、塚田詠春さんは人形問屋に卸してないので、買うには工房もしくはインターネットを利用してくださいということでした。

 お邪魔した当日は、工房内で人形教室が開催されていて、受講生の方の人形制作ぶりも見せてもらいながらの説明でした。
 お忙しいところにお邪魔したにもかかわらず丁寧な説明をいただきました。
 塚田詠春さんありがとうございました。

赤印が塚田工房です。押上駅から歩いて10分程度です。

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by wheatbaku | 2012-04-10 08:34 | 江戸の技 | Trackback
三椏紙(みつまたがみ) (江戸の技)
 和紙の原料の最後は、  「三椏(みつまた)」 です。

c0187004_2112456.jpg 三椏(みつまた)は、ジンチョウゲ科ミツマタ属の落葉低木です。
 みつまたは、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分岐する特徴があるため、この名があり、三枝、三又とも書きます。
 成木は2メートル余りになり、苗を植えてから3年目に収穫できます。葉はだ円型で互い違いの向きにはえます。


 春の訪れを、待ちかねたように咲く花の一つが三椏です。

c0187004_169586.jpg 花は初秋から樹木の先につぼみをつけ、翌年2~3月頃外側から内側に向け順番に開花し、花びらは黄色で4枚に分かれ、一つの花に8本の雄蕊、1本のめしべがあり6月頃実を結びます。
 春を告げるように一足先に、淡い黄色の花を一斉に開くので、三椏のことをサキサクと万葉歌人は呼びました。

 
 三椏は雁皮と違って栽培が可能なので、大蔵永常は「広益国産考」(1844年刊)で各地の栽培例を紹介しています。
 しかし、当時は三椏の特色はあまり知られておらず、「三椏紙」という紙名は登場していません。
 三椏が一般的に重要な製紙原料となったのは、明治の初年に印刷局が初めて使用した頃からです。
c0187004_1684493.jpg 明治11年パリで開かれた万国博に大蔵省印刷局が出品したミツマタ製厚紙は「局紙」と名付けられて、欧米でも高く評価されました。
 それを受けて、三椏の栽培を奨励しました。
 重要な原料としての需要が増大するに伴って、栽培が次第に中国、四国地方に広がっていきました。
 今日では岡山県の生産量が第一位で、その他、高知県、徳島県、鳥取県、愛媛県などで生産されています。

 繊維は柔軟で細くて光沢があり、印刷適性に優れていて、世界一の品質を誇る日本銀行券の原料として使用されています。
 この他、箔合紙、かな用書道用紙、美術工芸紙などに使用されています。
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by wheatbaku | 2009-08-12 06:09 | 江戸の技 | Trackback
雁皮紙(がんぴし) (江戸の技)
 小津和紙の玄関前には、楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)の三種の和紙の原料となる木が植えてあります。c0187004_22421377.jpg
 写真の左に楮、中央に雁皮、右に三椏がそれぞれ植えられています。さすが、紙問屋だと感心しました。

今日は、「雁皮紙(がんぴし)」の説明です。

雁皮(がんぴ)  
 雁皮はジンチョウゲ科ガンピ属の落葉低木で、奈良時代から製紙原料として用いられています。
 生育する東限は静岡の伊豆、北限は石川の加賀市付近までです。
 四国、九州、静岡、兵庫などに多く、暖地を好む植物です。
 高さは1~3m、枝は褐色、葉は卵型で互生し、初夏に枝端に黄色の小花を頭状に密生します。

雁皮紙(がんぴし)

 c0187004_22393848.jpg 雁皮紙は楮紙(こうぞがみ)とともに和紙を代表する紙です。楮の栽培が容易なのに対して、雁皮は栽培が困難なので、野生のものを採集しなければなりません。
 そのために原料の供給に限界があり、生産量は非常に少なくなります。
 雁皮は、成育が遅く栽培が難しいため、自生している雁皮を生剥ぎにして捕獲します。
 生剥ぎにするため、水揚げの良い春から夏にかけて収穫されます。

 雁皮の繊維は5ミリ前後と短く、半透明で光沢があるため、紙の表面は平滑できめ細かく、美しい艶を持っています。そのため、かな書きに適した料紙など、高級紙として高く評価されてきています。

 遣唐使と共に唐に渡った最澄が、わざわざ土産として筑紫の斐紙(雁皮紙)を200張り持参しています。
  紙の先進国である中国に、土産として持参できるほどに高い評価を得ていたことになります。

 雁皮紙は、平安期の公家の女性たちに、かな文字を書くのにもっともふさわしい紙として愛用されました。
 もっとも良質な和紙原料で、永久保存の記録用紙として尊重され、中世から近世にかけて、鳥子紙の名で知られています。

 このように、平安時代の薄様、鎌倉時代の鳥の子紙などが代表的な雁皮紙です。

c0187004_2240247.jpg 鳥子紙(とりのこがみ) 
 雁皮を原料とする紙で、鳥の卵のような淡い黄色を帯びているためにこのような名前がついたと言われています。
 なめらかでコシがあり 耐久性のある美しい紙です。
 近世には、雁皮紙というより鳥の子紙の呼称が多いそうです。



薄様(うすよう)  
 雁皮で薄く漉いた紙を言います。本来は厚様・薄様という紙の厚さを指す言葉ですが、雁皮は薄紙を漉くのが容易であり、雁皮を薄紙にすると下が透けてみえ、強い印象を与えるので、薄様は雁皮紙を指すようになったと思われます。
 たとえば、下に藍色の薄様を置き、その上に紅色の薄様を重ねると紫色になります。このことが、平安時代の貴族社会の女性たちに好まれ、料紙や手紙などに愛用されたようです。
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by wheatbaku | 2009-08-11 05:50 | 江戸の技 | Trackback
楮紙(こうぞがみ) (江戸の技)
 和紙の主な原料は、古くから、楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)の3種類です。
 これらは、それぞれに優れた特質があり、いずれも繊維が長くて強靱で、光沢があり、和紙の特徴である薄くて強い性質を表しています。 
 和紙の材料となるこれらの植物の特徴とそれから作り出される代表的な和紙について紹介します。

楮(こうぞ)  
 クワ科の落葉低木です。
c0187004_2039253.jpg
 本州以西の山野に生え、また畑や山すそに植えられます。
 高さ2~5メートル、茎の径20センチメートルぐらいになります。

 葉は長さ10センチメートルくらい、左右不整の卵形で先はとがり、縁は鋸の歯のようになっていて、しばしば深く2~5つに分かれています。
 右上の写真は、小津和紙の玄関に植えられていた楮です。
  
c0187004_20465827.jpg 春、花が咲きます。雄花は楕円形で若枝の基部に咲き、雌花は多数が球上に集まって上部につきます。

 果実は、六月ごろ、最下段の写真のように、赤く熟し、甘味があって食べられます。

 楮はすらりと枝がのびた低木で、1年で1m以上ものび、冬に、鋭利な鎌で株を残して根元から一気に一枝も残さずに全部刈り取ります。
 そのほうが、翌年均等な品質のものが育ちます。
  それを、蒸して皮をむき、外皮を除いた部分を紙にします。


楮紙(こうぞがみ) 
 楮紙(こうぞがみ)とは、楮を原料として漉いた紙のことです。

 楮の繊維は、麻についで長く平均9ミリあります。
 楮は繊維が長く、絡み合う性質が強く、そのため、粘り強く、もんでも破れない紙ができます。
 丈夫であったために重要な公文書や長期間の保存を要する文書の用紙として用いられて、長く和紙の代表的な存在とされてきました。
 代表的な楮紙には、檀紙・奉書紙・杉原紙などがあります。
 また、和傘や障子、襖の材料としても用いられている。

檀紙(だんし) 
 檀紙は、楮を原料として作られていて、縮緬状のしわがあります。
 古い奈良時代には主に弓を作る材料であったニシキギ科の落葉亜喬木である檀(マユミと読みます。また真弓とも書きます)の若い枝の樹皮繊維を原料として作られたためにこの名があります。
 平安時代からは楮を原料として作るようになった朝廷・幕府で使用する高級和紙です。
 厚手で美しい白色が特徴であり、主として包装・文書・表具などに用いられます。

c0187004_20493256.jpg  奉書紙(ほうしょがみ)  
 奉書紙(ほうしょがみ)は、楮を原料とした厚手の紙です。
 奉書とは、天皇や将軍などの意向や決定を奉じて、下位の者が自己の名義でその旨を記した文書です。
 その「奉書」という命令を書いた紙も、次第に「奉書紙」と呼ぶようになりました。
 室町時代ころから漉かれていましたが、江戸時代に最高級の公文書用紙として盛んに梳かれました。

 杉原紙(すぎはらがみ/すいばらがみ)  
 杉原紙とは、播磨国多可郡杉原谷(現在の兵庫県多可町)で漉かれた和紙です。
 平安時代から梳かれていましたが、本格的に普及したのは鎌倉時代に入ってからです。
 奉書紙や檀紙よりも厚さが薄く、贈答品の包装や武家の公文書にも用いられました

 楮の花と実の写真は、季節の花300さんのご提供です。
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by wheatbaku | 2009-08-10 05:41 | 江戸の技 | Trackback
本居宣長と小津家
 今日は「古事記伝」の作者である本居宣長と小津家との関係です。

c0187004_12343022.jpg 本居宣長について、Yahoo!百科事典では「伊勢(いせ)国松坂の木綿問屋小津定利(さだとし)の二男」と書かれています。
 本居宣長は、伊勢松坂の木綿問屋小津家の次男とあり、小津という姓がでてきました。
 本居姓なのに、なぜ小津なのでしょう。

 実は、本居宣長と小津家は深い関係があります。まず、本居家の系図から説明します。

 本居家の初代は本居武秀といいました。本居家のもともとの先祖は、伊勢国司の北畠氏に仕えていたようですが、初代の本居武秀は、蒲生氏郷に仕えて、合戦で討ち死にし、妻は、伊勢の小津村に身を寄せ、七右衛門を生みました。
 その子七右衛門は松坂に移り、姓を小津と改めて、染物職を生業としました。
 その子3代三郎右衛門道休は、江戸で木綿商となり、大伝馬町で木綿店を3店開業し、江戸店持ちの豪商として栄え、小津党の中でも最も有力な「富る家」でした
 4代目は定治。そして、5代目が定利。定利の子が宣長です。

 つまり、本居宣長は、小津一族の一員なのです。
 本居宣長の父親は、小津定利と言い、宣長の名前は小津栄貞(よしさだ)通称弥四郎といいました。

c0187004_224864.jpg一方、小津和紙の創業者、小津清左衛門長広が店を出すときに、困っている長弘を助けてくれたのが、同じ松坂出身で大伝馬町で木綿商を営んでいた小津三郎右衛門道休でした。
 この小津三郎右衛門道休は、本居家の3代目で、本居宣長の曽祖父にあたる人なのです。 
 小津三郎右衛門道休は200両のお金を貸してくれるとともに小津屋の屋号と店の印のウロコキュウ(左の写真)の使用も許してくれたのです。
 つまり、小津清左衛門長広は、本居宣長の曽祖父の援助があって、お店を開くことができたのでした。
 このように本居宣長と小津和紙との間には深い関係がありました。

 さて、本居宣長ですが、16歳の時に、大伝馬町の叔父さん小津孫右衛門の店に商売見習いとして寄宿しています。
 しかし、宣長が家督を継ぐころには木綿店も窮地に陥り、ついには破産してしまいます。
 このため、宣長の将来を案じた母かつは宣長を医師にする決心をします。母の薦勧めにより、宣長は23歳の時京都へ上り、28歳までの5年半の間に、医学を修めるかたわら、古典、和歌等についても勉強しています。
 そして、上京の際に姓を本居に改め、26歳の時に名を宣長と改めたのです。そして、学問の道で大成したのでした。
 
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by wheatbaku | 2009-08-08 17:50 | 江戸の技 | Trackback
小津和紙 (江戸の技)
 「小津和紙博物舗」は、紙問屋の小津和紙が本社の1階に設置している和紙の小売部門です。 

c0187004_15381932.jpg 小津和紙は、承応2年(1653)創業の紙問屋です。
 創業時は「小津屋」といっていましたが、現在は、創業の地で、正式社名は「小津産業株式会社」と称して、不織布を中心とした事業を展開しています。
 その本社の1階にあるのが、「小津和紙博物舗」です。
 JR「新日本橋」駅から2分の距離にあります。


c0187004_17245754.jpg 小津和紙の創業者小津清左衛門長弘は、伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)出身の松阪商人です。
 小津清左衛門長弘は、江戸の紙商に奉公し、4代将軍家綱の時、承応2年(1653年)に独立して、大伝馬町一丁目(現在の本社所在地)に紙問屋「小津屋」を開業しました。
 以後、永々と事業を継続し、現在も創業の地で営業しています。

 現在は、小津和紙の前には、昭和通りが通っていて、その上は、首都高速道路があり、江戸の面影はありません。
 しかし、当時は、小津屋のお店の目の前は日光道中が通っていて、大伝馬町は、大店(おおだな)がいくつも並んでいて日本橋と並ぶ商業の中心地でした。

 
c0187004_15384394.jpg 「小津和紙博物舗」は、小津史料館などとともに、創業350周年記念事業の一環として、平成17年にオープンしたそうです。
 お店は、明るく整理が行き届き清潔感あふれる感じのよいお店です。
c0187004_1539278.jpg 





 和紙は、一般用から専門家用までたくさんの種類が陳列されています。和紙で作られた人形まで並べてありました。


c0187004_15392960.jpg 和紙の体験コナーもあります。
 紙漉き体験は予約制ですので事前に予約が必要です。
 紙漉きから仕上げまで1時間半程度だそうです。
 私が行った日は、体験している人はいませんでしたので、体験を指導されるSさんが親切に和紙のことをいろいろ教えてくれました。Sさんありがとうございました。
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by wheatbaku | 2009-08-06 06:37 | 江戸の技 | Trackback
割り箸 (江戸の技)
 下の写真は昨日紹介した[うなぎ割烹 大江戸」の[うな重」です。
 今日のお話は、うなぎでなく、うな重に添えられている 「割り箸」 のお話です。 

c0187004_2371574.jpg 江戸時代の百科事典ともいうべき「守貞謾稿(もりさだまんこう)」の中で、鰻飯の項につぎのように、割り箸について書かれています。
 なお、守貞謾稿が書かれた頃には、割り箸は、引き裂き箸と呼ばれていました。

 「 (鰻飯には)必ず引き裂き箸を添ふるなり。この箸、文政以来此より、三都ともに始め用ふ。杉の角箸半を割りたり。食するに臨んで裂き分けて、これを用ふ。これ再用せず。浄きを証すなり。
 しかれどもこの箸、また箸工に返し、丸箸に削ると云ふなり。
 鰻飯のみにあらず、三都諸食店往々これを用ふ。かへつて名ある貸食店(りょうりてん)には用ひず。これ元より浄きが故なり。」

 守貞謾稿が書かれたのが、天保期(1830~1843年)ですので、割り箸はそのころはかなり広まっていたと思われます。
 それでは、割り箸がいつごろから使われ始めたかというと、守貞謾稿には、文政(1818~1829年)以来と書かれていますし、天明(1781~1788年)初期ごろという説もあり、割り箸の起源ははっきりしません。

 箸は、弥生時代から使われていますが、割り箸は、意外にも江戸時代後期から使われはじめたようですね。

割り箸の種類 
 
 割り箸は、どれも同じと思うことが多いようですが、実は、いろいろな種類があります。
 それを紹介していきます。

☆天削箸(てんそげばし)
c0187004_8454592.jpg 割り箸の頭部の部分を斜めに削ぎ落としたもの。ちょうど、天(頭)が削(そ)がれて見えるのでこの名があります。
c0187004_10292459.jpg
 木目(杉、桧など)の美しさを強調している高級感のある箸です。
 上の「大江戸」のうな重の写真で、添えられている箸も天削箸です。
 主として高級料亭や家庭においてお客様をもてなす時に使われます。


☆利久箸(りきゅうばし)
c0187004_10242686.jpg 真ん中が太く両先が細い箸で、千利休が、茶席でもてなす時に愛用したと伝えられています。利休でなく、利久と書くのは、利休の号を遠慮したためと考えられています。
 吉野杉のものが最高とされています。
 
☆元禄箸(げんろくばし) c0187004_10245447.jpg 
 割れ目に中溝をつけた箸で、箸頭までまっすぐに割れやすくなっています。

c0187004_10295298.jpg
 箸の頭部の切口を上から見ると元禄に流行した市松模様に見えるところから、元禄の名がついています。
 現在、最も多く流通している形です。

☆小判箸(こばんばし)  
 箸の角を丸くした割り箸で、箸の頭部の切口が小判型に見える事から、こう名づけられました。
 元禄箸と同じく汎用的に使用される割箸です。

☆丁六箸(ちょうろくばし)  
 面取りをしない、最も加工度の低い割り箸です。.
 これまでの箸の名前は形状を現す名前ですが、これは「丁度6寸(約18cm)」という長さからきた名前です。
 市販の割り箸では最も短く、角削り加工がなく、割れ目が入っているだけの経済的な箸です。

☆竹割箸(たけわりばし)  
 九州南部の竹材を利用して開発された、やや太めの割箸ですが、現在はコストの関係もあって中国産の竹が多く利用されています。
 勝れた強度と油を弾く特性から天婦羅屋やうなぎ屋などで利用されています。
 竹割箸では、天削か、双生が多いようです。
 双生は、箸を丸く加工したものを二つ並べたようなものをそう呼びます。


 このようにたくさんの種類の割り箸があります。 なにげなく見逃してしまう割り箸にもちょっと目を留めてみてはいかがでしょうか。
 
 割り箸の写真は、奈良県吉野郡で吉野杉・吉野桧のお箸・割り箸をつくられている「吉膳」様からご提供いただきました。「吉膳」様ありがとうございました。
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by wheatbaku | 2009-07-31 06:17 | 江戸の技 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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