カテゴリ:大江戸ツアー( 31 )
大提灯の龍(浅草寺ツアー⑮ 大江戸ツアー)
 浅草寺には、大きな提灯が現在4個吊られています。
 雷門、宝蔵門、本堂、そしてお不動様です。
 これは、大きな提灯ですので大変目立ちます。
 そこで、江戸っ子は次のような川柳を残しています。

 提灯に釣鐘負ける浅草寺

 浅草寺を参拝する人々は、大きな提灯には気がつきますが、その提灯の底に、「龍」の彫刻があることに気がつく人は少ないのではないのでしょうか

 今日は、 提灯の底に彫られている龍の彫刻 のご紹介をします。

 この龍の彫刻は、すべて木彫師の渡辺崇雲氏が彫ったものです。
 渡辺崇雲氏は、大正13年墨田区に生まれ、現在も墨田区で工房を開いています。
 平成14年に黄綬褒章を授与されています。

 大提灯とその提灯の底部の龍を撮った写真を下に載せます。
 龍は、すべて大提灯の正面側から撮ったものです。
 比較してみると、それぞれの龍の彫刻が微妙に違っているのがわかると思います。

c0187004_1428254.jpg 【雷門】
 平成15年に張り替え
 高さ3.9メートル
 直径3.3メートル
 昭和35年の再建時には松下幸之助氏の寄進でしたが、現在は松下電器の寄進かもしれません。

c0187004_14284052.jpg 



c0187004_14352352.jpg【宝蔵門】
 平成15年に張り替え
 高さ3.75メートル
 直径3.75メートル
 日本橋小舟町奉賛会の奉納


c0187004_14353945.jpg



c0187004_1436336.jpg【本堂】
 平成16年に張り替え
 高さ4.6メートル
 直径3.5メートル
 新橋組合の奉納
c0187004_1436205.jpg



c0187004_14363990.jpg【不動尊】
 宝蔵門の西南にありますが、正しくは大行院と言います。
 浅草寺の境内の一部のような位置にありますので、浅草寺の子院のように思いましたが、浅草寺とは別のお寺のようです。
 宗派も浅草寺は聖観音宗ですが、大行院は天台宗です。


c0187004_14365799.jpg
[PR]
by wheatbaku | 2010-12-17 06:21 | 大江戸ツアー | Trackback
慈雲の泉(浅草寺ツアー⑭ 大江戸ツアー)
 浅草寺関連の記事が長くなりましたが、今日は、浅草寺に超有名人の彫刻でありながら、ほとんど知られていないという不思議な彫刻を紹介します。

 それは、 「慈雲の泉」という朝倉文夫の彫刻 です。
 右の写真が、その彫刻です。彫刻の前には「慈雲の泉 雲 朝倉文夫」と書かれたりっぱな碑もあるのですが、ほとんどの人が気がつきません。
c0187004_16375642.jpg ある場所はどこかというと本堂の西南です。
 本堂の西側で、影向堂などがある一画の南側に植込みがあります。その植込の中に設置されています。ここは、時々、本堂の西南側は、屋台が出ていますので、この屋台の影でみえなくなったりするので、一層気がつかないのかもしれません。

 雷門前の観光案内所で聞いても、案内の人が知りませんでした。また、浅草寺の寺務所を訪問して質問しても、すぐにはわかりませんでした。
 こんな状況なのがちょっぴりかわいそうな彫刻です。

 そこで、浅草寺教化部の五十嵐師にお聞きしました。
 この朝倉文夫の彫刻は、以前、本堂西南に噴水があり、その噴水の中に設置されていたものだそうです。五十嵐師は、浅草生まれの浅草育ちだそうですが、小さい頃に噴水があったことを覚えているとのことでした。
 その後、噴水は埋めたてられてしまい、現在の植込みになったようです。

【朝倉文夫作「雲」】
c0187004_1640251.jpg 「慈雲の泉」の彫刻(彫刻名は「雲」というようですが)をアップで撮ったものが右の写真です。
 お猿さんのような顔つきですが、多くの人々が雲に乗って、先を見つめている様子を描いたものだそうです。
  
 植込みをさがすと、銅像の西側に、噴水の建設について書いた碑文が、見つかりました。
 これを読むと、経緯がよくわかりますので、下段に全文載せておきます。


c0187004_8471166.jpg【高村光雲作「沙竭羅(さから)龍王像」】
 また、高村光雲の彫刻もあります。
 これは、本堂前のお水舎の八角形錆御影石造りの手水鉢の上にある沙竭羅(さから)龍王像です。
 こちらは、手水を使う時に顔をあげればすぐ気がつく場所にありますが、これが高村光雲作のものと気がつく人はすくないのでないでしょうか。
 沙竭羅(さから)龍王像は龍神で、かつて本堂裏にあった噴水に安置されていました。明治36年に作られたものです。
 この像に関して噴水が本堂の裏にもあったのか教化部の五十嵐師に尋ねましたら、以前は本堂の裏に噴水があったとのことでした。



【「賛慈雲の泉」の碑文】
 東京随一の名刹として廣く世に知られる金龍山浅草寺は 幾多の興廃消長の中に法灯連綿として今日に及ぶ  とくに往古に優る當山の隆昌は 大谷米太郎氏を会長とする浅草観光連盟の献身的努力に負うところ誠に多大である。
c0187004_16475667.jpg かねて上野 浅草の繁栄に意を注ぐ台東区長上條貢氏は 昨秋上野信用金庫理事長長野高一氏寄贈にかかる注誕噴水塔を上野公園入口に建設したが さらに此の度同氏より多額の浄財の寄託を受くるに及び浅草寺 浅草観光連盟と相計り庶民信仰の霊域たる此の地に噴水塔建設を発意す
 上條区長の委嘱により地元関係者を以て建設委員会が結成され 熟議検討の結果聖地に相応しき噴水塔の実現を期す 幸い彫塑家朝倉響子氏の好意により父君朝倉文夫先生の遺作「雲」の像の寄贈を受け これに近代的噴水を配して「慈雲の泉」と名づく
 朝倉文夫先生は 日本芸術界の巨匠たると共に我が台東区の名誉区民にして「雲」の像は明治41年壮年に至らんとする先生が未来への欣求を籠めた一代の傑作である
 「慈雲の泉」は蓋し 長野高一 朝倉響子両氏を始め多くの人々の美しき善意の結晶と云えよう 幸い此の聖地に融和し とこしえに庶民の街浅草の象徴として愛護されんことを祈念してここに讃を記す
  昭和40年9月吉日 慈雲の泉建設委員会
 
[PR]
by wheatbaku | 2010-12-16 06:05 | 大江戸ツアー | Trackback
川柳でみる浅草寺 (浅草寺ツアー⑬ 大江戸ツアー)
 
 浅草寺は、江戸っ子に大変親しまれたお寺であるため、浅草寺を題材にした川柳が数多くあります。
 今日は、既にご紹介したものも含めて、その川柳のいくつかをまとめて取り上げてみます。

文殊の知恵で引き上げる
 浅草寺のご本尊を引き上げたのは、土師中臣と檜前浜成・竹成の三人です。この三人と「三人寄れば文殊の知恵」とかけたものです。
c0187004_11432266.jpg
風の神雷門に居候
門の名で見りゃ風神は居候
 
 雷門の正式名称は「風雷神門」ですが、一般的に「雷門」と呼ばれていることを詠んだもの 

水茶屋へ来ては輪を吹き日を暮らし
おおたわけ茶店で腹を悪くする

 現在の仲見世の北のはずれに20軒の茶屋があり二十軒茶屋と呼ばれていました。
 二十軒茶屋のきれいな看板娘を目当てに一日中煙草を吹きながら居つづけたり、お茶を何杯も飲んでお腹を悪くした情景を詠んだものです。

小兵でも坂東一の菩薩なり
小粒でもこれ見てくれの大伽藍

 浅草寺のご本尊は一寸八分(約5.5センチ)、そんな小さなご本尊様だが伽藍は大きい。

二九の尊 二九の堂には 二九の徳
 二九で18になるので、二九の尊は一寸八分のご本尊、二九の堂は18間四方の大きさと言われていた本堂、二九の徳は18日に示現したことを指している。

天人が小田原町をのぞいてい
 戦災で焼失する前の本堂には、天井に天人の絵が描かれていて、日本橋小田原町から奉納された大提灯が下げられていたそうです。

格天井へ名をつるすよい女郎
 江戸時代、浅草寺本堂には、吉原の女郎から奉納された提灯が吊り下げられていました。

c0187004_11443123.jpg
煩悩はまがり菩提はすっと行き
駕籠かきは伝法院へ尻を向け
抜けるのを弓矢を持ってねめている

 浅草寺の北側には吉原がありました。吉原に行く近道は、本堂前を右に折れて現在の現在の二天門(江戸時代は随身門)を抜けて行くのが近道でした。

たおやかな婆ぁ様もいる浅草寺
 弁天堂に安置されている弁財天は白髪であるので、「老女弁財天」と呼ばれています。「婆ぁ様」とはその「老女弁財天」を指しています。

付け文のそば弁天と濡れ仏
 久米平内堂のそばに、弁天山があり二尊仏があります。「付け文」とは久米平内堂を指しています。


 これらを読むと、浅草寺が江戸っ子に非常に愛されていたということがわかります。
 また、江戸っ子が非常にユーモアにあふれていたということもわかります。
[PR]
by wheatbaku | 2010-12-15 06:22 | 大江戸ツアー | Trackback
二尊仏と久米平内堂 (浅草寺ツアー⑫)
 今日も引き続き、浅草寺のご案内ですが、隠れた見所を最後に紹介します。
 宝蔵門の東南にある二尊仏と久米平内堂は、少し右を見るとわかるのですが、意外と知られていませんので、今日はこの二つについてご案内します。

【縁結びの神様 久米平内】 
 久米平内堂は、宝蔵門の目の前にありますが、多くの人は気づかずに通り過ぎてしまうようです。
 そして、縁結びの神様であることを知っているいる人はさらに少ないのではないでしょうか!
 c0187004_20501995.jpg でも、恋を成就させようという人たちにとっては隠れた穴場なのです。
 そもそも、久米平内という人は江戸時代前期の武士です。
 この久米平内さん、剣術に優れた人で、多くの人を殺してしまいました。
 しかし、後年、罪を悔い改め、浅草寺の子院金剛寺で「仁王坐禅」の修行し、犯した罪を償うために、臨終にのぞみ自らの座禅姿を石に刻ませ、その石像を多くの人に踏んでもらうため、その像を人通りの多い仁王門付近に埋めたと伝えられています。
 その後、平内の石像はお堂に納められたといわれますが、「踏付け」が「文付け」に転じ、「踏みつけてほしい」が「文つけてほしい」に変わり、縁結びの神として庶民の信仰を集めるようになりました。

 以上が、一般的な説明なのですが、矢田挿雲の「江戸から東京(2)浅草」には、もっと詳しく書かれています。
c0187004_20463774.jpg 全文は5ページにもわたって、平内の経歴が書いてあります。それによると、大阪夏の陣の七手組の子供で津和野で育ち、津和野では、長州毛利家から送り込まれた剣客を徹底的にやっつたり、江戸に出ては、町奴の幡随院長兵衛と知り合い、旗本奴の水野十郎兵衛と渡り合ったりして、人を殺すこと87人になり、当人もうんざりし、自分の坐像を刻み土に埋めたとしています。

 平内堂は、昭和20年3月の震災で焼失し、現在のお堂は53年に再建されたものです。
 昔の絵でみると、平内堂はかなり大きかったようですが、現在のお堂はかわいらしものになっています。
 平内の石像がお堂の中に収まっているそうです。

【江戸初期の二尊仏】 
 久米平内堂の東側に、「二尊仏」と呼ばれる仏様があります。江戸初期の優れた仏像と言われています。
c0187004_13465439.jpg この仏像は、一般には「濡れ仏」(ぬれぼとけ)の名で知られています。
 右が観音菩薩様、左が勢至様です。
 蓮台も含めて4.5メートルの像高を誇り、江戸初期を代表する優れた仏像です。
 江戸時代前期の 貞享4年(1687)、 現在の群馬県館林の高瀬善兵衛が願主となって建立しました。
 善兵衛は江戸日本橋の米問屋に奉公し、その主家より受けた恩を感謝し、観音像は、旧主善三郎の菩提を弔うため、勢至像はその子次郎助の繁栄を祈るために造立したと言われています。
 安永6年(1777)、高瀬奥右衛門が願主となり、修理したことが観音像銘に追刻されています。
[PR]
by wheatbaku | 2010-12-03 06:22 | 大江戸ツアー | Trackback
被官稲荷神社 (浅草寺ツアー⑪)
 27日に浅草寺をガイドしましたが、浅草寺には、見所が一杯あり、4時間では案内しきれませんでした。浅草寺はそれほど案内ポイントがあります。
 そんな浅草寺の案内ポイントを引き続き書いていきます。
 今日は、被官稲荷神社のご案内です。

 
【被官稲荷神社は出世の神様】 
 被官稲荷神社は、浅草神社の北東裏側にあります。
c0187004_1163819.jpg 安政元年(1854)、新門辰五郎の奥さんが重病で床に伏したとき、伏見稲荷神社に祈願したところ、奥さんの病気が全快しました。
 そこで、安政2年(1855)、お礼の意味も込め、伏見稲荷神社から分身を勧請しました。それが、被官稲荷神社です。

 この神社は、出世の神様として信仰されています。
 その由来のハッキリしたことは不明ですが、江戸っ子は、ヒをシと発音することからシカン稲荷神社と間違え、仕官できると思ったのではないかという説もあります。

c0187004_1165988.jpg 【社殿は、東京大空襲を免れたもの】 
社殿は 杉皮葺で、創建以来のもので、関東大震災、東京大空襲にも奇跡的に焼け残った貴重な建築です。
 間口1.5メートル、奥行約1.4メートルと小さいものです。
 上にかかっているのは、覆屋(おおいや)で、被官稲荷神社を保護しています。

【新門辰五郎】 
 ところで、新門辰五郎ですが、新門辰五郎は江戸下谷に生まれ、町火消の「を組」の頭である町田仁右衛門の娘を貰い養子縁組し、「を組」を継承しました。
 輪王寺宮舜仁(しゅんにん)法親王が浅草寺伝法院に隠居し、上野へ行くのに便の良い新門を造り新門と名づけられました。
 その門の番を命じられたので、新門辰五郎と呼ばれるようになりました。
 新門辰五郎は徳川慶喜とも知り合い、娘のお芳は慶喜の妾となっています。
 慶喜が京都へ上洛すると慶喜に呼ばれ、子分を率いて上洛して二条城の警備などを行いました。
 慶喜が鳥羽伏見の戦いに敗れ、大坂城から逃げる時に忘れてきた家康以来の金扇の大馬印を回収し、東海道を下って無事送り届けたことは有名です。
 新門辰五郎の子孫は現在も健在で、株式会社新門の社長として浅草寺の出入り業者を務めています。
[PR]
by wheatbaku | 2010-12-01 06:10 | 大江戸ツアー | Trackback
二天門 (浅草寺ツアー⑩)
 今日は、 二天門 のご案内です。

【二天門は元東照宮の随身門】
 二天門は、浅草神社の東にあります。
c0187004_13481289.jpg 四天王のうちの持国天と増長天をお祀りするので二天門といいます。
 浅草寺には、江戸時代の初め、東照宮が鎮座していました。
 東照宮は、元和4年(1618年)に日光東照宮造営の翌年に浅草寺内に勧進されました。「東照宮」は寛永8年(1631)と 寛永19年(1642)の炎上後、江戸城内紅葉山に移されて、ここでの東照宮の再建は許されずこれから案内する影向堂前の「石橋(しゃっきょう)」とこの門だけが残りました。
c0187004_1356145.jpg その東照宮の随身(ずいじん、ずいしん)門として作られたのがこの二天門です。
 随身門とはお寺の仁王門にあたり、神社を守護する門守神(かどもりのかみ)を安置した神門で、門の両脇に二神像が祀られます。俗に「矢大神門(やだいじんもん)」ともいわれました。
 当初この門の神像は豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)と櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)が安置さていました。
 二天門は慶安2年(1649年)に再建されたと推定されていて、戦災も免れて、国の重要文化財です。 
「二天門」の扁額は最後の太政大臣、三条実美が書いたものです。
 創建以来、補修・改築が加えられていましたが、平成22年(2010)の修復にあたって創建当初の形式に戻されました。

 上の写真は、二天門を通して見た浅草寺本堂です。

【持国店と増長天】
c0187004_13524524.jpg 明治時代の神仏分離の際、両随身像は浅草神社に移られ、鎌倉の鶴岡八幡宮の経蔵にあった二天をお祀りして「二天門」と改称しましたが、その像が戦災で焼失してしまいました。
現在の二天は、昭和32年に上野寛永寺の4代将軍の家綱を祀ってある厳有院殿の勅額門から譲りうけたものです。
 
 祀られているのは持国天と増長天で、四天王のうちの二つです。四天王は仏教の守護神であることから武装した姿に造られます。ここの二天も武装しています。

c0187004_135219100.jpg  持国天は東方、増長天は南方を守護するとされています。
向かって右の持国天は、左手を上げて独鈷杵(とっこしょ)という密教法具を持ち、右手を腰に当てる姿勢をとっています。向かって左の増長天は持国天とは対照的な姿勢をとり、右手に三鈷杵(さんこしょ)を掲げ、左手は腰に当てています。

 元来は全身に華やかな彩色が施されており、今でも顔や鎧(よろい)に古来の鮮やかさが残されています。
 どちらも「寄木造(よせぎづくり)」という、鎌倉時代以降に流行した複数の木材を組み合わせる技術で造られています。慶安時代に作られたとされています。

 上の持国天(右写真)と増長天(左の写真)の写真は、二天門の修復期間中に、五重塔の1階に移転して公開されていた時に撮影したものです。
[PR]
by wheatbaku | 2010-11-28 14:06 | 大江戸ツアー | Trackback
浅草神社(浅草寺ツアー⑨)
 今日は、浅草神社のご案内をします。

【社殿は重要文化財】 
 浅草神社は、浅草寺のご本尊をお祀りした土師中知、檜前浜成・武成の3人をお祀りしています。
c0187004_8202512.jpg 俗に「三社さま」とも言いますが、これは、江戸時代に「三社権現社」と呼ばれていたことに由来します。浅草の総鎮守でもあります。ご神体は慈覚大師の作という。
 現在の社殿は慶安2年(1649年)家光によって再建されたもので、本殿・幣殿(へいでん)・拝殿とも国の重要文化財に指定されています。


c0187004_8204276.jpg【浅草神社の社紋】 
 浅草神社の社紋は、観音様を投網ですくったことに由来する「三ッ網」です。
 真ん中の高いのが土師中知、次に高いの右の網が檜前浜成、左の低いのが檜前武成を表しているそうです。
 「三人が掬い諸人が救われる」「いい漁があって三人玉の輿」といったご本尊の示現に三人が関わったことについて詠んだ川柳が残されています

【三社祭り】 
 三社祭りは、かつては観音祭や浅草祭とよばれ、3月17日、18日の両日に行われていましたが、現在は5月18日に近い週末の金・土・日の3日間に開催されます。100基あまりの神輿が繰り出し、拝殿では「びんざさら舞」が奉納されます。
 江戸時代には、御神輿3基が浅草橋まで運ばれ、そこで舟に乗せられ、隅田川を遡って駒形から上陸し、浅草神社に帰られたと云われています。
c0187004_822542.jpg これが、船渡御(ふなとぎょ)といわれるものです。
 平成24年は、三社祭りが行われて700年になるのを記念しこの船渡御が行われる予定です。

【社殿前の狛犬】 
 また、社殿前に大きな狛犬がありますが、これは天保7年(1836年)に奉納されたものです。
 奉納者は田町の文三郎と山川町の大工虎五郎と刻まれています。
[PR]
by wheatbaku | 2010-11-26 06:12 | 大江戸ツアー | Trackback
銭塚地蔵堂(浅草寺ツアー⑨)
 今日は、本堂の西側にある 銭塚地蔵堂 についてご案内します。
 ここまで、こられる人は少ないようで、本堂前の喧騒がありません。


【銭塚地蔵堂】  
 銭塚地蔵堂は昭和39年(1964)再建されたものです。
c0187004_2327138.jpg  堂内の四角い石塔の上に石の六地蔵尊が祀られています。
 石塔の下には「寛永通宝」が埋めてあったと伝えられ、「銭塚」の名があります。
 その由来は、次のような話によるものです。
 享保1716~35)の頃に摂津国有馬郡の山口という人の妻が、庭先で「寛永通宝」がいっぱい入った壺を掘り当てました。
 しかし、これに頼って働かずにいては家が滅びると思い、土の中に埋め戻しました。
 この心掛けによって一家は繁栄したので、その壺の上に地蔵尊をまつったといわれています。
 浅草寺の銭塚地蔵尊は、そのご分身を勧請したものです。山口某の次男が浅草に出てきて、その人が勧進したという説明を線香と塩を売る方がしてくれました。
 兵庫県西宮市には、現在も銭塚地蔵があるそうです。
 参拝者が塩でお地蔵さまの御身を清めるために塩をあげることから「塩なめ地蔵」の名もあります。
銭塚地蔵尊のご利益は、商売繁盛と金銭融通だそうです。

【かんかん地蔵】  
銭塚地蔵堂前右側にあります。以前はお地蔵様の姿であったといいますが、現在は、ほとんど原型が残っていません。
c0187004_23272747.jpg お地蔵さまの前にある小石でお地蔵さまの体を軽く叩いてお願いすると、願いごとが叶うと言います。
 俗にこれを「かんかん地蔵」と言いますが、その名は、参拝者が石を打った際に、「かんかん」と音が出ることに由来すると言われています。
 このお地蔵様にも塩を奉納して参拝する習慣があります。「かんかん地蔵」のご利益は心身健康だそうです。
 このお地蔵さまから削り取った粉を財布に入れるとお金が貯まるとの噂もあるそうです。
 そのためか。削り取らないようにとの注意書きがされていました。
 最近話題のパワースポットの一つと言う人もいます。
[PR]
by wheatbaku | 2010-11-24 23:30 | 大江戸ツアー | Trackback
淡島堂 (浅草寺ツアー⑧)
 今日は、淡島堂 についてご案内します。

【淡島堂】
  昭和20年3月10日の空襲で本堂が焼失した後、同じ年の12月に早速、仮本堂が建てられました。
c0187004_20363937.jpg   その仮本堂は、本堂完成後は、二天門の脇で影向堂(ようごうどう)として利用されていました。
 現在の淡島堂は、平成6年にそれを移築・改修したものです。

淡島堂というのは、もともと元禄年間(1688~1704)に紀州和歌山市加太(かだ) の淡島明神を勧請(かんじょう)したものです。
 淡島明神は婦人病の治療、安産、裁縫の上達など女性に関するあらゆることに霊験のある神とされています。つまり女性の守り神ですので、江戸時代から女性の信仰を集めたそうです。
c0187004_20371751.jpg 現在も、淡島堂では、毎年2月8日には「針供養」が行われ、多くの女性で賑わいます。
 針供養の日は、一般には淡島神社に参拝し、針への感謝と裁縫上達の祈りをこめて、豆腐やコンニャクに古針・折れた針を刺して供養することが行われます。
 ここでは、裁縫用の針のほか、浅草寺病院からは新品の注射針が持ち寄られるそうです。
 お堂に向って右手に「魂針(こんしん)供養之塔」があります。
 大東京和服裁縫教師会が建立したものです。

c0187004_20374782.jpg 【天水桶】
 この天水桶は明和7年(1770)に造られたものです。
 太平洋戦争最中の昭和18年(1943)11月18日、この天水桶内にご本尊さまを厨子ごと納め、本堂の地中深くに埋めたため、ご本尊さまは戦火を逃れたといいます。
 戦後の昭和22年(1947)3月7日、ご本尊さまは再び地中より掘り上げられ、その無事が確認されたそうです。

c0187004_20452211.jpg 【石灯籠】
 この石灯籠は「胎内くぐりの灯籠」として江戸時代から有名だったそうです。
 子どもがこの灯籠の下をくぐることで、虫封じや疱瘡(ほうそう)除けになると伝えられています
[PR]
by wheatbaku | 2010-11-23 20:34 | 大江戸ツアー | Trackback
影向堂(浅草寺ツアー⑧)
今日は 「影向堂」 とその周辺のお堂についてご紹介します。

【影向堂(ようごうどう)】
 これはなかなか読めないと思いますが、「ようごうどう」と呼びます。
c0187004_2241132.jpg 観音さまの説法や行動に不断に協力されている仏さまを「影向衆(ようごうしゅう)」とお呼びしています。
 影向堂は、これらの仏さまをおまつりするお堂です。
 もともと影向堂は二天門の脇にあったそうです。
 現在のお堂は、平成6年に、浅草寺中興開山慈覚大師円仁の生誕1200年を記念して建立されたものです。
 内陣の中央に聖観世音菩薩、その左右に干支(えと)ごとの守り本尊八躰がお祀りされています。
 また、堂内には浅草名所(などころ)七福神の内の大黒天もお祀りしてあります。
 浅草寺の御朱印所も併設されていますので、ご朱印を求る人はここでお願いしていました。

【石 橋】
 これは石橋と書いて「しゃっきょう」と呼びます。
c0187004_2243845.jpg  浅草寺にあった東照宮は元和4年(1618)に造営されました。日光の東照宮が造営されたのが元和3年ですので、日光の東照宮が造営されてまもなく造営されたことになります。
 この橋は元和4年(1618)東照宮の神橋として架けられたものです。
 和歌山藩の藩主浅野長晟、後の広島藩浅野家(つまり赤穂藩浅野家の本家ですが)その藩祖となった人が寄進したものです。
 全長3.3m・幅2.2mで 都内最古の石橋で、重要美術品に指定されています。

c0187004_225014.jpg【六角堂】
 六角型の建物のため六角堂と呼ばれています。江戸時代初期の建立とされています。
 浅草寺最古の建物であるとともに都内最古の木造建造物でもあり、東京都指定有形文化財です。
 ご本尊様は日限(ひぎり)地蔵尊で、日数を決めて祈るとその願いが叶うとされています。
 建物の下部には、1.5m余りの井戸状の穴が掘られているそうです。

【橋本薬師堂】
 このお堂は、「橋本薬師堂」といいます。
c0187004_2213940.jpg 慶安2年(1649)、3代将軍徳川家光の再建による三間四方のお堂です。
 はじめ本堂の北にあったため「北薬師」と呼ばれたそうですが、将軍家光が御成りの際に、かたわらに小さな橋が架かっていたことから、「北」よりもこの名前の方がよかろう、と名付けられたといわれます。
 ご本尊の薬師如来のほか、「十二神将」などが祀られています。
[PR]
by wheatbaku | 2010-11-22 22:36 | 大江戸ツアー | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
by 夢見る獏(バク)
プロフィールを見る
画像一覧
ブログパーツ
最新のコメント
ツユクサさん 江戸城散..
by wheatbaku at 12:53
獏様 江戸城散策、お疲..
by ツユクサ at 08:26
宮越さん コメントあり..
by wheatbaku at 11:42
今回のブログで、霊厳寺が..
by 宮越重遠 at 10:51
やぶひびさん 本妙寺は..
by wheatbaku at 13:05
「江戸から東京へ1」を図..
by やぶひび at 09:30
ツユクサさん 土曜日は..
by wheatbaku at 21:00
獏さん 案内お疲れ様で..
by ツユクサ at 11:10
小ツルさん 「むさしあ..
by wheatbaku at 09:50
バクさま、加州そうせい公..
by 鶴ヶ島の小ツル at 16:57
加州そうせい公様 私も..
by wheatbaku at 07:34
バクさん 昨日の江戸楽..
by 加州そうせい公 at 17:31
mikawaさん 先日..
by wheatbaku at 12:55
宮越さん コメントあり..
by wheatbaku at 09:03
宮越さんからコメントをい..
by wheatbaku at 09:00
mikawaです。先日は..
by mikawa ケンイチ at 08:17
ツルさん 名古屋に住ん..
by wheatbaku at 16:18
獏さま ははあ、あの石..
by 鶴ヶ島の小ツル at 15:20
やぶひびさん NHKB..
by wheatbaku at 17:54
今夜3/3.20:00~..
by やぶひび at 12:49
最新のトラックバック
穴八幡宮
from Coffee, Cigare..
風景印  28.4.30..
from としちゃんの風景印・郵趣日誌
山王日枝神社@溜池山王
from たび☆めし☆うま BLOG
浮世絵の誕生・浮世絵の歴..
from dezire_photo &..
小網神社@人形町
from たび☆めし☆うま BLOG
二つの感応寺
from Madam'Blog
江戸検講座「江戸の祭礼と..
from Madam'Blog
浅草寺本尊示現会
from Madam'Blog
江戸料理 八百善
from お気楽マダムの奮闘記
‘七福神’宝船 装飾新調..
from ローカルニュースの旅
お気に入りブログ
江戸・東京ときどきロンドン
ファン
ブログジャンル
歴史