カテゴリ:江戸検受験対策( 11 )
江戸楽アカデミーが開かれました
 昨日は、江戸楽アカデミーの 「過去問題からみる『江戸博覧強記』勉強の実践的ポイント」 の講座が開かれお話してきました。
 
 江戸楽アカデミーは、今年の春季講座から江戸検1級合格者を講師とした講座を開講しました。
c0187004_10201900.jpg そして、ありがたいことに、春季講座の講師を依頼されましたが、春季講座は、定員の2倍の方がお申込みいただきました。
 そうしたことから、夏季の講座もお願いしたいという要請があり、夏季の講座の講師も引き受けさせていただきました。
 今回の講座は、私のブログでも宣伝しませんでしたし、2月に開催された春季講座は1級2級3級を受検される方が対象でしたが、今回のこの講座は、1級を受検する方が対象となりますので、受講される方は少ないだろうなと思っていましたが、定員の2倍を上回る方にお申込みいただきました。
 大勢の皆様にお申込みいただき大変ありがたく思っています。

 多くのお申込みがありましたので、8月9日に追加講座を開講することになっていますが、その初回の講座が昨日開催されました。
 

 2月の講座は、今年のお題「江戸の祭礼と歳事」についての過去問の分析結果についてお話しました。
 今回の講座では、タイトル通り「博覧強記」についての過去問を分析してその結果を講義させていただきました。

 今回の過去問分析では、江戸検2回から9回までの800問の問題について「博覧強記」を出典としているかどうかチェックしました。
c0187004_10275861.jpg その結果、2回から7回までは、「博覧強記」から50問以上出題されていましたし、8回、9回は40問以上出題されていました。
 さらに、分析結果に基づく傾向と対策についてお話させていただきました。
 例えば、江戸検の問題には、複数回出題されている項目もたくさんありますので、それについての解説などもさせていただきました。
 そのうえで、過去問をしっかり勉強することの大切さについて強調させていただきました。
 
 受講していただい皆様、ありがとうございました。

 定員の2倍もの方にお申込みいただいたので、そのご期待に応えるため、準備には、相当、時間をかけました。直前には、夜遅くまで準備をしました。
 自分自身では、それなりに満足のいく結果になったと思っています。

 しかし、 受講された皆さんの反応が大変気になるところです。
 受講された皆様で、このブログをお読みの方には、ご感想をメールでお寄せいただけれると大変うれしいので、改めてお願いしておきます。


 講義の後は、恒例の飲み会ですが、いつもの飲み会とは違い、冒頭に、講義の感想を聞かせていただきました。
 皆さんからは、大変役にたったという感想をいただきました。
 「今回の講義を聞いた人と聞いていない人では大きな差がでますよ」と言っていただいた方もいます。
 特に、神戸から参加していただいた S さんからの「新幹線代を払ってきても、十分元はとれる内容でした」という感想が大変うれしかったです。
c0187004_09313412.jpg また、今回は、事前にブログやメールでご案内をしなかったために、知りあいの受験者の皆さんから「見落した!」という声がたくさんあるという話も出ました。
 やっぱり、通知はするべきだったと反省もさせられた飲み会でした。

 こうしたまじめなお話は冒頭の一瞬で、あとはいつもの飲み会です。
 講義終了後の4時から飲み始めたのですが、終わったのが7時30分でした。
 いつも通りの記念撮影ですが、昨日はカメラを忘れてスマホで撮ったため、イマイチでした。
 参加された皆さんごめんなさい。
 そして、貴重なご意見ありがとうございました。

 その後は、加州そうせい公様、悪代官様、浜之悪代官様と悪人トリオがいたため、2次会に巻き込まれました。

c0187004_11061307.jpg こちらも江戸の話で盛り上がりましたが、今回は、日付が変わらないうちに帰ろうと思い早めに終了しました。

 そして悪人トリオの悪事の証拠写真をパチリ。

 みんな、1級合格をめざすという意気込みがこめられた写真になっていますね。

 でも、昨日の講義の内容が、酒ですっかり洗い流されていないか心配です。

 皆さん、大丈夫ですか?

 でも、遅くまでおつきあいいただきありがとうございました。
 準備の疲れが吹き飛びました!



 飲み会で、話題になった、加州そうせい公様のブログ 「過去・現在・未来」 と マダムのブログ 「お気楽マダムの奮闘記」 を 左欄のリンク集に追加しました。



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by wheatbaku | 2015-07-13 09:28 | 江戸検受験対策 | Trackback
江戸検受験のための勉強方法 (江戸検受験対策)
 今回、江戸検一級を受験された方から、「今年は涙をのんだので、来年また頑張りたい。来年の受験に向けて、どんな本を読んだらよいか教えてください」というお問い合わせをいただきました。
 現在は、私は江戸検の受験勉強は直接やっていませんので、昔の私の勉強方法がご参考になるかどうかわかりませんので書くのを躊躇していました。
 しかし、今年の一級の問題を見させていただいたので、実際の試験と同じようにやってみました。
 そうしましたら、思いがけず81問正解となり、運よく合格ラインを突破できましたので、恥ずかしながら、受験勉強をしていた当時を思い出して、勉強方法についての私なりの考えを書いてみることにしました。
 受験される方は、それぞれ自分なりのやり方があると思い、私のやり方が良いということはありえません。
 受験勉強は、受験される皆さんが自分にあった方法を自分で見つけだすのが最もよいことだと思います。
 しかし、これから書く私のやり方が、自分なりの受験勉強の方法を見つけ出すことにいくらかでもお役に立つことになれば幸いだと考え書いてみます。

1、どんな本がよいか 
 まず、「どんな本を読んだらよいか」という質問でしたので、それについて私の考えを書きます。

①乱読でも読書量を増やした方がよい。
c0187004_16472941.jpg 江戸検が要求してくる知識情報は半端ではありませんので、知識情報量を増やすため、本は数多く読む必要があると思います。
 私は一級受験の1年目には江戸関連の本を約60冊読みました。
 しかし、実際に受験してみて、それでは合格するにはまったく不十分だと思いましたので、2年目には約140冊読み、通算で200冊以上の本を読みました。それでも、当時は、読み足りないと思っていました。
 ジャンルはいろいろですが、比較的余裕のある冬~春期には、「南総里見八犬伝」「好色一代男」「江戸参府旅行日記」「折りたく柴の記」「宇下人言」などの小説・原典の現代語訳も読みました。
 受験勉強が本格化する夏から秋期には受験に直接関係するものを中心に読みました。


②「博覧強記」が最も大切 
c0187004_16441392.jpg 本の中では、「博覧強記」が最も大切です。
 「博覧強記」から一級の場合、約4割出題されることとなっています。
 理屈上は「博覧強記」を丸暗記すれば、約40問正解となるということになります。
 ですから、「博覧強記」は全文暗記するつもりで何回も読み込んだ方がよいと思います。
 私は「博覧強記」は1年目に8回、2年目に10回、通算で18回読み込みました。
 特に最後の1ヶ月間は2年間とも「博覧強記」の読み込みに集中しました。
 また、「博覧強記」は暗記ブックと考えていましたので、ラインマーカーを引くのは当然ながら、その他の暗記すべき事項はすべて「博覧強記」に書き込んで暗記しました。
 ご参考に私の「博覧強記」の一部を画像で示します。
 下の写真は、私の「博覧強記」の158ページの町火消の項目ですが、ページ一杯に書き込みをして町火消についての重要事項を暗記しました。
 また、左ページは「江戸時代名数事典」というコラムですが、こうしたコラムからも出題されるかもしれないと考えて大事なところはマークしておきました。
 このように「博覧強記」は、図表を含めてすべてのページをすべて暗記するつもりで読み込みをしました。
c0187004_8442781.jpg



③知識が集約された事典関係の本が役にたつc0187004_1652163.jpg 
 たくさんある本の中で、事典関係の本は知識が集約されているので短時間に大量の知識情報が入手できるので繰り返し読みました。
 「江戸学事典」「徳川幕府事典」「江戸城を読む」「徳川妻妾記」「江戸時代人名控1000」などは3回から4回読みました。
 これらの本を熟読すると大変有用だと思います。
 特に「江戸学事典」は、専門分野の研究者が事項ごとに分担して書いたもので読みやすく知識や情報が豊富ですので、この本は手元において熟読されるとよいと思います。
 「徳川幕府事典」「江戸城を読む」は「今年のお題」がらみだったように記憶していますが、現在でもその時に得た情報が史跡ガイド等に役だっています。
 なお、この類に年表があります。小学館の「見る・読む・調べる江戸時代年表」は、年代確認が必要な時に常に使用していました。


④通史の勉強が必要
c0187004_8352085.jpg 江戸の歴史の流れを把握することは必須だと考え通史も勉強しました。
 その際、年号は不可欠ですので、当然ながら年号は「慶長」から「慶応」まで丸暗記しました。
 通史の勉強に使用したのは、出版年度が古い全集本でした。最近の通史の本は、テーマごとに書いているケースが多く初心者が全体の流れを捉えるという点では利用しにくいと考えています。
 私が熟読したのは小学館ライブラリー「体系日本の歴史」と「集英社版 日本の歴史(12)~(15)」です。
 小学館ライブラリー「体系日本の歴史」は、文庫本なので持ち運びに便利ですし内容も非常に読みやすく重宝しました。しかしこれは現在絶版ですので入手しにくいと思います。私は古本屋で入手しました。
 通史を勉強する中で、島原の乱・赤穂事件・三大改革・幕末等の有名事件や将軍・幕閣・文化人等の有名人は、しっかり記憶しました。


⑤興味ある分野の本を読む 
c0187004_16443938.jpg 江戸検では、幅広い分野から問題が出ますので、どの分野が最も大切などと中てるのは至難の業です。
 ですから、自分の興味のある分野を深く探求していくのがよいのではないでしょうか。
 浮世絵が好きな人は浮世絵、捕物帳が好きな人は刑罰史、花が好きな人は「江戸の園芸」、落語が好きな人は「江戸の落語」といった具合です。
 江戸検一級2期会の仲間でも、全分野をマスターしている人などいません。
 それぞれの得意分野がりあります。 政治史は誰、歌舞伎は誰、庶民文化は誰、街道は誰、といった具合です。
 興味ある分野について一生懸命勉強して、その分野は任しておけと言えるようになればシメタものです。
 私は、人物史が好きでしたので、伝記類は数多く読みました。
 吉川弘文館の人物叢書は、「徳川綱吉」「徳川光圀」「徳川吉宗」などかなり読みました。

2、本以外から情報収集
 知識や情報は書物からだけ得られるものではありません。
①史跡めぐりや博物館めぐりも役に立つ
c0187004_10201437.jpg 現場を見ると実感がわき、理解が深くなり、大変役に立ちました。
 具体的には、皇居東御苑を回ることにより江戸城の様子がわかりましたし、36見附跡を巡ることにより江戸城の城門の理解が深まりました。
 また江戸東京博物館などは、日本橋や中村座が復元されていて当時をイメージするには絶好の場所です。
 できるだけ史跡や博物館などは見たほうがよいと思います。
②インターネットは意外と有用です。
 江戸検の難問もインターネットで探すと回答が見つかることが多いように思います。
 ですから、本や「博覧強記」を読んだだけでは十分理解できない項目や説明が不十分な項目はインター ネットで確認するとより理解が深まると思います。
 ウィキペディアは、関連項目についての参照検索もやりやすいので、利用をお勧めします。
 ウィキペディアで私は多くの知識・情報を手に入れました。

3、場合により長期計画も一法
 江戸検はかなり難しく、特に一級は生半可の知識では合格は難しいと思います。
 ですから、数年計画で合格をめざす方もあると思います。
 そうした方は、浅く広く知識を漁るのではなく、合格のため長期計画をたてて、ポイントを絞って、深く勉強したほうがよいと思います。
 例えば、1年目は政治史をマスターし、2年目は文化史を習得し、3年目には庶民文化史を制覇するといったやり方も考えられるのではないでしょうか。

 江戸検一級の扉を開くことは最初は難しくても 回を重ねることにより必ず扉は開かれると思います。
 あきらめたら扉は開きません。挑戦し続けることが大切だと思います。
 たとえ今回の江戸検が不合格であっても、それであきらめずにこれからも頑張ってください。

 なお、受験方法等についてご質問等ありましたら、気軽にコメントやメールでお寄せ下さい。
 可能な限りお答えしようと思います。
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by wheatbaku | 2013-12-05 08:57 | 江戸検受験対策 | Trackback
化学の祖 川本幸民 (江戸検受験対策)
 今年のノーベル化学賞は、日本人が2人受賞しました。
 北海道大学名誉教授の鈴木章さんと米パデュー大学特別教授の根岸英一さんです。
 2008年の下村 脩さんに続いて、化学賞受賞は2年ぶり、日本人受賞者は18人うち化学賞は7人になりました。
 大変うれしい話でした。

 ところで、ノーベル化学賞が「江戸」となぜ関係するのかと疑問に思った方もいるかもしれません。
 この「化学」という言葉を作り出した人は、幕末の蘭学者 「川本 幸民(かわもと こうみん)」 というひとです。
 江戸文化歴史検定にでるかどうかわかりませんが、時々科学者が出題されるので、今日は 「川本幸民」 のお話です。

【化学の祖 幸民は摂津三田出身】 
 川本幸民は、「化学」という言葉を作り、マッチやビールを試作し、写真も研究したため、「日本の化学の祖」と呼ばれています。
c0187004_1381646.jpg 川本幸民は、摂津三田藩九鬼家の藩医川本周安の3男として生まれました。
 9歳で藩校「造士館」に入学し、卒業後は医者を志し遊学を許され、、藩主九鬼隆国の江戸参勤に同行します。
 当時最高の蘭学者坪井信道の塾「安懐堂(あんかいどう)」に入門しました。
 緒方洪庵も坪井信道で学んでいたので洪庵と同門ということになります。
 24歳で三田藩医となり、天保6年(1835)7月に江戸の芝露月町で医者を開きました。
 同年末には江戸屈指の蘭学者青地林宗(あおち・りんそう)の3女秀子と結婚します。
 林宗の長女粂は坪井信道、4女宮子は高野長英に嫁いでいるため、3人は義兄弟ということになります。
 結婚後まもなく、幸民は酒に酔って同僚を刀で切りつけてしまいました。
 藩主九鬼隆国の寵愛をねたまれたのが理由とされますが、これにより、5年間の謹慎を強いられ、天保12年(1841)にようやく謹慎が解かれます。

  この後、薩摩(さつま)藩主島津斉彬の知遇を得て、ついには安政4年(1857)には薩摩藩士となっています。
  また、この間、安政3年(1856)幕府の蕃書調所教授手伝となり、3年後に教授となります。

【化学という言葉を使用】 
 文久元年(1861)に幸民は、ドイツ人が書いた「化学の学校」のオランダ語版を翻訳した「化学新書」を出版しました。この本の中ではじめて「化学」という言葉が使われました。
 当時はオランダ語から引用した「舎密(せいみ)」が一般的でしたが、 幸民が、中国の書物に「化学」の単語を発見し、その後は化学という言葉が定着しました。

【マッチ、ビールを試作】 
 幸民は、化学書の翻訳に取り組むとともに、日本初のマッチや電信機、銀板・湿板写真などの製作 を行います。こうしたことから、「日本の化学の祖」と言われます。
c0187004_1392357.jpg 嘉永元年に、ある商人が西洋のマッチを手に入れ、皆の前で自慢し、同じものを作れたら50両を与えるといいました。 そこで幸民は発奮して日夜研究を重ね、ついに黄燐マッチの試作に成功し、50両を手に入れたそうです。
 嘉永4年には写真術を試み、銀板光画(写真)に成功、これはカメラ・銀板(フィルム)・現像液・定着液にあたるものもすべて手作りでした。

 なお幸民は嘉永6年(1853)ビールを醸造をしていますが、これは、日本で初のビール醸造を行ったことになります。このことから、幸民はビールの始祖とも呼ばれています。
 幸民が醸造したビールの再現を、キリンビールが行っています。
 出来上がったビールは、香り高くフルーティーな味わいだったそうです。
 
 参考:キリンビールホームページの中の 「初めてビールを醸造した日本人 川本幸民」に、幸民が試醸したビール再現について詳しく書かれています。
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by wheatbaku | 2010-10-16 17:28 | 江戸検受験対策 | Trackback
生人形の松本喜三郎 (江戸検受験対策)
 皆さん、 「生人形」 というのをご存知ですか、今日は、この「生人形」のお話です。
 「生人形」は「いきにんぎょう」と読みます。

 「生人形」というのは、幕末から明治にかけて、見世物興行に出された細工物のひとつで、まるで生きているかのようなリアルな細工をほどこした等身大の人形です。全国で大変な人気を博しました。
 幕末の見世物興行を彩るものなので、江戸検受験対策のためにご紹介しておきます。

【肥後熊本生まれの松本喜三郎】 
 この「生人形」のスーパースターが、松本喜三郎です。
 松本喜三郎は、文政8年(1825)2月、熊本の井出ノ口町(現在の熊本市迎町)で誕生し、少年時代、絵を学び人形師としての基礎をつくりました。
 当時、熊本市で盛んだった地蔵祭りの「つくりもの」が生人形のもとといわれていますが、喜三郎は青年期には地元の地蔵祭の「つくりもの」に腕をふるいました。
 そした、嘉永7年(1854)、喜三郎30歳の時、大坂難波新地で「異国人物生人形」の見世物を行い、大成功しました。

【異国人物 生人形】 
  松本喜三郎は、翌年安政2年(1855)には、江戸にくだり、浅草奥山で興業を行い、江戸でも大評判を得ました。
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 上の絵は、松本喜三郎の江戸でのデビュー作「異国人物の生人形」を描いたもので、歌川国芳が描いています。
 右にいる湯上り姿の長崎の丸山遊女が、手長、足長などの異国人物を眺めるという構図になっています。
 生人形の肌は、胡粉を溶かして肌色をつけ、それを霧吹きで吹き付けて表現したそうです。
 そうして作られた生人形は、迫真の写実性のある「やわ肌」「もち肌」が多かったそうです。 
 
c0187004_2255848.jpg【今でも見られる生人形】 
 松本喜三郎の作品は、現在も、出身地熊本で見ることができます。
 1つは熊本市高平にある浄国寺で、ここでは、喜三郎会心の作といわれている「谷汲観音像(巡礼姿観音像)」が見られます。
 明治24年(1891)、68歳でなくなった喜三郎は、この浄国寺に眠っています。
 また熊本市春日6丁目8-8の来迎院では、喜三郎晩年の作で、慈愛に満ちた「聖観世音菩薩像」が見られます。
 右写真は、来迎院の「聖観世音菩薩像」です。
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by wheatbaku | 2010-10-15 06:19 | 江戸検受験対策 | Trackback
海を渡った軽業師 早竹虎吉 (江戸検受験対策)
 今日も、江戸検受験対策の一環で、幕末に軽業でニューヨーク興業を行った「早竹虎吉」 について書きます。

c0187004_1957844.jpg【幕末の人気者 早竹虎吉】
 江戸では、両国や浅草の奥山で、見世物興行が行われ、江戸っ子の人気を博しました。
 見世物には、動物見世物、細工物、曲芸・軽業といったジャンルがあります。
 動物見世物は、象やラクダを見せるもの、細工物は 文政年間の一田庄七郎の籠細工が有名です。
 この中で、幕末に話題になったのは、曲芸・軽業の早竹虎吉でした。

 早竹虎吉は、生年はわかりませんが、京都で生まれ、寺町誓願寺の境内で軽業渡世をした後、天保14年(1843)大坂へ下って興行し、10年以上にわたり大活躍しました。

 江戸には、安政4年(1857)正月 に下り、江戸っ子に初めてお目見えしました。
 この興行は、大いに評判となり、「藤岡日記」にもその様子が記録されていて、前日から予約しないと見物できないほどの集客があったそうです。
 また、この時、2ヶ月ほどの間に、錦絵が30数点も出版される程の人気だったそうです。

【「曲差し(きょくざし)」】
 右の錦絵もその時のもので、芸は、「曲差し(きょくざし)」または「曲持(きょくもち)」と呼ばれるもので、早竹虎吉が得意とするものでした。
 下で三味線を弾きながら旗竿をささえるのが早竹虎吉です。
 竿から手を離して肩だけで支え、三味線を曲弾きするという非常に高度な芸を見せています。

c0187004_1958244.jpg 【「石橋(しゃっきょう)」】
 左の錦絵は、能や歌舞伎で親しまれた「石橋(しゃっきょう)」の曲芸化したものです。
 これは「足曲持(あしきょくもち)」または「足芸(あしげい)」とよばれるもので、これも下でささえるのが、早竹虎吉です。

【ニューヨークでも大評判】 
 幕末の日本の軽業は、世界的にみて最高のレベルにあったそうです。
 早竹虎吉も、アメリカにおいてもその技芸を高く評価されました。
 早竹虎吉は約30名の一座を引き連れ、慶応3年(1867)8月24日に横浜を出発しました。
 同じ船には、のちに「ダルマ蔵相」とあだ名された高橋是清も乗っていたそうです。
 虎吉は、翌9月にはサンフランシスコに到着しました。
 そして、サンフランシスコのメトロポリタン劇場を振り出しにサクラメントほかで興行し、ニューヨークに移動し、ニューヨークでは、1月24日にアカデミー・オブ・ミュージックで興行を行いました。
 しかし、その後、体調をくずし、1868年2月8日に心臓病でなくなってしまいました。

 異国でも大きな花を咲かせて、明治を目前にして異国に散った早竹虎吉でした。
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by wheatbaku | 2010-10-14 06:10 | 江戸検受験対策 | Trackback
ええじゃないか (江戸検受験対策)
 江戸検定受験対策の続きです。

 通史として幕末の歴史を書いている本には、ほとんど「ええじゃないか」 についての記載があります。
 c0187004_16534415.gif そこで、今日は「ええじゃないか」 について、「開国と維新(大系日本の歴史12・小学館ライブラリー )」に基づいて書きます。

 「ええじゃないか」は、幕末から明治へ移行する時期、慶応3 (1867)年7月半ば頃から翌年4月頃にかけて、東海地方から近畿地方に突発的に起こった民衆運動です。

 この運動は民衆が踊りながら「ええじゃないか」などと唱えたので「ええじゃないか」といわれています。
 しかし、「ええじゃないか」は主として関西で使われ、三河以東では「六根清浄」などといっていたようです。

 これまでに知られている最も早い時期の「ええじゃないか」の事例は、7月14日の三河国牟呂村(愛知県豊橋市)と言われています。
 7月14日、15日に御札の降った牟呂村では、18日から20日まで臨時祭礼が行われました。
 これを受けて、吉田宿(愛知県豊橋市)では、爆発的なにぎわいとなりました。

 その後、東西に拡大し、東は江戸までひろがり、西は安芸広島から四国までひろがりました。

 大政奉還が行われた10月中旬以降の関西での「ええじゃないか」は多分に政治的な性格を帯びていました。
 「ええじゃないか」の騒ぎのなかで、薩長倒幕派や岩倉具視の王政復古クーデターへの画策がすすんでいきました。
 岩倉具視の伝記「岩倉公実記」には、「ええじゃないか」は岩倉具視をはじめとする討幕派の活動を助け、王政復古のクーデターを成功へ導いたことが記されています。

 「開国と維新」の中では、著者の石井寛治東大教授は「ええじゃないか」について次のように書いています。
 「ええじゃないかは、世直し状況のなせるわけであり、世直し意識の全国的な拡大をもたらしましたが、その要求はその場かぎりの酒食の供応にとどまり、年貢や諸負担に関する基本要求は影をひそめていた。
 政治的に利用されるにとどまり、政治過程を主体的に動かす力は持たなかった。ここに当時の民衆の意識の限界をみなければならない。」
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by wheatbaku | 2010-10-13 06:19 | 江戸検受験対策 | Trackback
安政の大地震 (江戸検受験対策)
 今日も、江戸文化歴史検定の受験対策を書きます。
 江戸文化歴史検定は、タイトルの中に、「文化」が入っています。しかも「歴史」の前に「文化」があります。
 ということは、「文化」面も無視するわけにはいかないと思います。
 今年のお題は「幕末」です。「幕末」といえば、圧倒的に政治史の世界です。
 ですので、受験される皆さんは「政治史」を中心に勉強されていると思います。
 しかし、「文化」の面もある程度押さえておいたほうがよいと思います。

 そこで、今日は、「幕末」でも、文化面といえるかどうかわかりませんが、政治史を離れて、「安政の大地震」について書いてみます。

【荒川河口を震源とする直下型地震】 
 安政の大地震は、安政2年(1855)10月2日の夜10時頃、関東地方南部で発生したM6.9の直下型の大地震です。
 震源は東京湾北部・荒川河口付近だと考えられています。
 被災したのは江戸を中心とする関東平野南部の狭い地域でしたが、江戸の被害は大きく、江戸での死者約7000人、重傷者約2000人、倒壊家屋約1万4000戸にも及んだと言われています。
 特に被害の大きかったのは、本所、深川、浅草、築地などの下町地区でした。
 新吉原では、廓がほとんど焼失し、客と遊女が1560人も焼死したそうです。

c0187004_18262323.jpg【水戸の両田(藤田・戸田)が死亡】 
 また、日比谷から西の丸下、大手町といった谷を埋め立てた地域でも被害が大きく、小石川の水戸藩上屋敷が倒壊して、藩主徳川斉昭を支え、「水戸の両田」と言われた戸田忠太夫と藤田東湖が同時に死亡してしまいました。
 藤田東湖は大地震の際、一度は屋敷の外に逃れましたが、火を心配した母親が再び屋内に戻ると東湖も後を追い、落下してきた梁から母親を守るために自らの肩で受け止め、何とか母親を脱出させることができましたが、自分は下敷きとなって圧死しました。
 今、小石川後楽園の東北の一番奥に「藤田東湖先生護母致命之處」と刻まれた石碑があります。
 (右の写真が石碑です。)
 東湖が圧死した場所は元々は白山通りで、そこに記念碑があったそうですが、白山通り拡幅工事のため、小石川後楽園の現在地に移されたといいます。

 また、薩摩の芝の上屋敷も大きな被害を受け、当時、上屋敷に居住していた天璋院 篤姫は、以後、渋谷藩邸に移りました。

【鯰絵が流行】 
 この安政の大地震の直後に、鯰絵」と呼ばれる風刺画が大量に出回りました。その数300とも400とも言われています。
c0187004_18403687.jpg 鯰絵は、鹿島明神が要石(かなめいし)で地底に潜む大鯰を押さえ、地震が起きるのを防ぐという俗信にもとづいています。
 鯰絵は、①地震の恐怖や不安を描いたもの、②神や庶民による鯰退治、③地震で儲けた職人が鯰をあがめているもの、④新しい時代の到来を告げる世直し鯰の4パターンがあるそうです。

 このような鯰絵が、短期間に流行したのは、飢餓や疫病、異国船の到来、大地震などの天災や事件が打ち続いて、不安定な社会情勢になっていた時期に、庶民が鰻絵で不安を和らげていたと考えられています。
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by wheatbaku | 2010-10-11 21:44 | 江戸検受験対策 | Trackback
守貞謾稿② (江戸検受験対策)
 今日も、江戸文化歴史検定1級受験対策として、 『守貞謾稿』  に載っている商売を続けます。

c0187004_1044753.jpg  守貞謾稿で 『江戸にありて京阪になき陌上(はくじょう)の賈(あきない)人』という項目で、江戸だけにある路上での商売を解説していますので、今日はそれを紹介します。陌上(はくじょう)の陌は道という意味であり、陌上とは路上の意です。
 第2回と第4回に出題された「ゆでたまご売り」については、この項に書かれています。

☆竹馬古着屋
 「竹具の四足なるを担う。故に竹馬と云う。古衣服および古衣を解き分かちて、衿あるいは裡(うら)、その他諸用の古物を売る。」

☆冷水売り
 「夏月、清冷の泉を汲み、白糖と寒晒粉の団(子)を加え、一椀4文に売る」

☆湯出鶏卵(ゆでたまご)売り
 「鶏卵の水煮を売る。価大約20文。因みにいう。4月8日には、鶏とあひるの玉子を売る。あひるの玉子を食する者は、中風を病まざるのまじないと言う。」

☆文庫売り
 文庫というと本を思い出しますが、守貞謾稿では文庫とは「籠製筥を紙張りにし、黒漆を塗りたるを云う。女子小裁ち等を納るの器とす」と云うことで小物入れです。

☆附木(つけぎ)売り
 附木というのは「杉や桧の薄き板などの一端に硫黄を塗りつけたもの」を言います。それを売る商売です。

☆水弾(みずはじき)売り
 水弾(みずはじきとは)竹筒の先の穴から水を噴き出す水鉄砲のことを言います。江戸時代は、おもちゃとしてだけでなく、消火用の実用的なものであったようです。

☆番付売り
 芝居狂言の番付をうります。

☆払い扇筥売り
 江戸では年始礼に行くとき年玉として「扇筥」、「袋納扇」を持参し配りました。これ買い集め、年玉用にまた売る商売です。

☆墨渋屋
 板塀、塀の腰板、板庇等を塗る商売です。

☆竈(かまど)塗り
 かまどの修理をします。

☆払い合羽
 武家の奴僕等が用いた古い紙合羽を買い、小民、雇夫等に所用に売る商売です。

☆あじろ蓋売り.
  「夏月これを売る。けだし江戸は専ら円形の飯器にして、鍮輪の桶に蓋も掾あり。夏は網代蓋をもってこれに代える。」これだけだとよくわかりませんが、「おはち」にかぶせる竹で網代に組んだ蓋をあじろ蓋と呼んだように思われます。

 以上のほかにに次のような商売も上げられていますが、名前の通りの商売ですので、説明は省略します。

 笊(ざる)・味噌漉(みそこし)売り、苗売り、蕣(あさがお)売り、鮨売り
 草履売り、納豆売り、白酒売り、白玉売り、歯磨き売り、麹売り、
 乾海苔売り、納豆売り、蚊帳売り、小蚊帳売り、竹箒売り、草箒売り、
 三絃売り、蓑売り、塩辛売り
 
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by wheatbaku | 2010-10-08 05:46 | 江戸検受験対策 | Trackback
守貞謾稿(江戸検受験対策)
  今日は江戸検定受験対策について書いてみます 
 江戸文化歴史検定1級は、今年で4回目ですが、過去3年間、毎回「守貞謾稿(もりさだまんこう)が出ています。

 そこで、今日は、 「守貞謾稿」  の話題です。
c0187004_1044753.jpg まず、過去の問題の紹介からします。

第2回(平成19年実施)  ※1級はこれが最初です。 
 江戸時代後期になると、卵百珍献立などを記した『万宝料理献立集』など玉子(卵)料理の書籍がいろいろ刊行されており、ゆで玉子売りについても記載があります。『守貞謾稿』によれば、蕎麦や汁粉が16文だったころ、大きめのゆで玉子の値段はおおよそいくらだったでしょう。

第3回(平成20年実施)
 大阪で生まれ育ち、のちに江戸に移住した喜多川守貞は、江戸と上方のとの風俗の比較を「守貞謾稿」で詳細に述べています。では、同書で「京阪にありて江戸にこれなき生業」と書かれる「悉皆屋(しっかいや)」とはどんな商売でしょう?

第4回(平成21年実施)
 守貞謾稿によれば、ゆで卵は大きめのもので約20文もしたといいます。さて、江戸では、4月8日にある生き物の玉子をたべると、中風にかからないといわれていました。その生き物は何でしょう。

 守貞謾稿は、相当のボリュームがあります。岩波文庫では「近世風俗史(守貞謾稿)」として(一)から(五)まで五巻あります。

 それをすべて紹介する訳にいきません。そこで、今回は、『京阪にありて江戸にこれなき生業』は悉皆屋の他にどんなものがのっているのか調べて見ました。
 
『京阪にありて江戸にこれなき生業』
☆素襷屋(いろや)

 京阪では弔いのときの親族は無紋の麻裃を着ます。色は白か水色。衣服は白絹、夏は白晒布(さらし)だそうです。女性も、白絹・白絹・白麻布の衣服に白綸子の帯を着たそうです。これが用意していない家はこれを素瀘屋(いろや)から日借りしました。
☆白皮屋(しろかわや)
 大坂にある商売で、なめし皮を作りました。江戸には似た商売がありましましたが、京都にはありませんでした。
☆雪駄店(せったみせ)
 雪駄の修理をする商売で、雪駄を売ることもありました。 大阪・江戸にあり京都にはありませんでした。

 その他、 「縫物師匠」 も京阪にあり江戸にないものに上げられています。

ところで、悉皆屋とは
 大坂にある商売で、衣類の染め・洗い張りなどのいっさいを請け負い、これを京都の業者に送って調製させた染物関係の商売です。
 染物についてのすべてを請け負ったので、「悉皆」の名が生じたようです。
 その後に転じて、染物や洗い張りを業とするものの名称にもなったそうです。

「今世 江戸にありて京阪にこれなき生業」  
 次いで、「今世 江戸にありて京阪にこれなき生業」としては次のものが挙げられています。
☆献残屋(けんざんや)
 武家が進物したり町人が献上したものの残りを売ることから名前がつきました。
  当時は、贈られたものは、実用に用いず、献残屋に売っていたようです。そして、それを、また別の人が利用していたようです。
 上り太刀・熨斗鮑(のしあわび)・枯魚(ひもの)・昆布・葛粉・片栗粉・干あわび、くるみ、唐墨(からすみ)・雲丹などを商いました。
☆菜屋(さいや)
 江戸名物で、生あわび、するめ・焼き豆腐・こんにゃく・くわい・蓮根・ごぼうなどを煮しめにして、大きな丼に盛ってうる商売で、現代風にいえば「惣菜屋」にあたると思います。 
☆蔵法師
 本所・深川は、土蔵が非常に多くありました。
 隅田川の西側は人家が多く空き地が少なく、地価も高く、火災の危険性が高いため、東側の深川や本所に蔵を建て、米穀はじめとした諸物を蓄えたり、投機・売買、あるいは金貸しもしていました。
 蔵法師というのは、蔵の所有者の委託によって蔵の近くに住み、蔵の中の貨物の管理・出納などを行った者を言います。

 その他、次の商売が江戸だけと記されていますが、商売の内容はそんなに難しくありません。
☆纏工(まといこう)
 町火消人足用の白塗纏をつくります。武家用の物は武具工が作るそうです。
☆窖(あなぐら)工
 俗に穴蔵屋というと書かれています。穴蔵というのは、火事の際、焼失を防ぐために、地下につくる蔵で、雑物を納むが、土蔵ある人も金銭の類は必ず穴蔵にいれたと書かれています。
☆酒問屋
  これも江戸だけだそうです。京阪では、酒造家から小売店に売るため問屋がなかったそうです。
  酒の小売店は、江戸では枡酒屋といい、京阪では板看板(いたかんばん)酒屋といったそうです。
☆刺身屋  鰹やまぐろの刺身を売る商売です。
☆便り屋  町飛脚のことです。
☆浅草の蔵宿 札差のことです。
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by wheatbaku | 2010-10-07 06:58 | 江戸検受験対策 | Trackback
辞世 (江戸検受験対策)
 江戸文化歴史検定受験に参考になりそうなことで気がついたことを随時書いていきたいと思います。
 1級の過去の問題を見ると、次のように辞世が3年連続して、出ています。

c0187004_2053558.jpg第2回(平成19年実施)
  ※1級はこれが最初です。
 慶応3年(1867)4月14日、29歳で下関(しものせき)に没した幕末の志士、高杉晋作の辞世の句は、次のうちどれでしょう?ただし、下の句は氏の直前まで看病にあたっていた野村望東尼(ぼうとうに)の作といわれています。

☆右写真は、高杉晋作の先生である吉田松陰の辞世が刻まれている「吉田松陰終焉之地」の碑です。日本橋の十思公園にあります。

第3回(平成20年実施)
 (     )の去り行く空や秋の風
c0187004_2033660.jpg  これは、江戸時代のある大関の辞世といわれるもので、(     )には四股名が入ります。雲州候のお抱えで、雷電にも比せられた、この名力士は誰でしょう?

第4回(平成21年実施)
 「東海道中膝栗毛」の作者十返舎一九の辞世の句は、ユーモラスに富んだものとして知られています。それは次のどれでしょう?

☆右写真は、長命寺にある十返舎一九の辞世が刻まれた碑です。


そこで、可能な限り、辞世を集めてみました。上記の問題の解答になる辞世も載せてあります。

【大名】 
 • あふみの海 磯うつ波のいく度か 御世にこころを くだきぬるかな  井伊直弼
 • なき敷によしや入るとも天翔り、御代をまもらむすめ國のため     松平慶永(春嶽)
【安政の大獄】
 • まかる身は君の世思ふ眞心の深からざりししるしなりけり  頼三樹三郎
 • 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂      吉田松陰
【天狗党】
 • 咲く梅の花ははかなく散るとても. 馨君が袖にうつらん         武田耕雲斎
 • かねてより思い染めにし言の葉を 今日大君に告げて嬉しき     藤田小四郎
【長州】
 • おもしろきこともなき世をおもしろく                    高杉晋作
 • 今さらに何をかいはむ世々を経し、君のめぐみに報ふ身なれば   長井雅樂
 • 「君のため捨つる命は惜しからでただ思わるる国の行末       大村益次郎
【新撰組】
 • よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらむ      土方歳三 
 • かねば闇にへだつや花と水                        沖田総司
【土佐藩】
 • ふたたひと還らぬ歳をはかなくも、今は惜しまぬ身となりにけり   武市半平太
 • 君が為尽くす心は水の泡消えにし後は澄み渡る空           岡田以藏 
【幕臣】
 • 北にのみ稲妻ありて月暗し                         天野八郎
 • 腹いたや、苦しき中に、明けがらす                    山岡鉄舟
【文化人】   
 • 此の世をば どりゃお暇(いとま)に せん香の 煙とともに 灰 左様なら   十返舎一九
 • 生き過ぎても 七十五年くいつぶし 限り知らぬ天地の恩         大田南畝
 • 世の中の 役をのがれて もとのまゝ かへすぞあめと つちの人形     曲亭馬琴
 • 東路(あづまぢ)に筆をのこして旅の空西のみくにの名所を見む      歌川廣重
 • 人魂で行く気散じや夏野原      葛飾北斎
 • われも秋六十帖の名残かな      柳亭種彦
 • 裏を見せ表を見せて散る紅葉     良寛
 • 稲妻の去り行く空や秋の風      稲妻雷五郎
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by wheatbaku | 2010-09-29 06:23 | 江戸検受験対策 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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