カテゴリ:お江ゆかりの地を行く( 4 )
中之門の修復(江戸城③ お江ゆかりの地を行く)
 今日は、中之門について紹介します。

 「中之門」は、百人番所の先にあります。
 江戸城の城門は枡形門が多いのですが、 「中之門」は、枡形門ではなく、渡櫓門があるのみでした。
c0187004_229537.jpg 現在残っている「中の門」の両側の石垣は巨石をそろえたもので威圧感があります。
 石垣を見ただけでも非常に重厚で、圧倒されそうな門だったと思います。

【中之門修復工事】 c0187004_15161817.jpg
 この「中之門」は平成17年から20年に石垣の修復工事が行われました。
 そこでいろいろなことがわからりました。
 修復工事についての説明板(左写真)が、中之門の脇に設置されています。


c0187004_15185275.jpg
 修復工事の際に、宝永元年(1704)に鳥取藩主の池田吉明が築造したと刻んだ石が見つかりました。
 石には「宝永元年甲子四月日 因幡伯耆両国主 松平右衛門督吉明築之」と刻まれていてようです。(右写真参照してください)
 このことから、現在の石垣は、鳥取藩主の池田吉明(のち吉泰)が築造したものと考えられています。
 池田吉明が行った工事は、元禄の大地震で、中の門が破損したため、修復工事をしたもとのと考えられています。
 元禄大地震は、元禄16年(1703年)11月22日午前2時ごろ、関東地方を襲った大地震です。
 震源は房総半島南端の野島崎と推定され、マグニチュードは最大8.2と推定されています。
 この震災で江戸から東海道にそって小田原・箱根まで大きな被害を受けたといわれています。小田原の被害は特に大きく地震直後に発生した火災により小田原城の天守閣も焼け落ちてしまいました。

【巨石の見本】 
 c0187004_2265919.jpg 上の中之門写真を見てください。中の門は、白い石と黒い石が使用されています。
 白い花崗岩は瀬戸内海産の石であり、黒い石は東伊豆産の安山岩だそうです。
 見本が説明板の前に並べられています
この石は、瀬戸内海産の花崗岩です。

c0187004_2273531.jpg この石は、瀬戸内海産の花崗岩です。

c0187004_228825.jpg この石は、東伊豆産の安山岩です。
 黒っぽいのが特徴です。

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by wheatbaku | 2011-06-03 06:18 | お江ゆかりの地を行く | Trackback
梶川氏日記に書かれた刃傷事件(江戸城②お江ゆかりの地を行く)
 江戸城の案内で最も参加された人が喜ぶポイントの一つが松の廊下跡です。

【松の廊下】 
 現在は、木陰の中に、「松之大廊下跡」と書かれた石碑が建っているだけです。
c0187004_837296.jpg そのため、石碑だけの説明では納得しませんので、松の廊下の様子を話します。
 一番びっくりするのは、松の廊下が畳敷きであったことです。
 松の廊下はL字形をした廊下で、幅2間(約3.6メートル)長さ10間半(役9メートル)の廊下が東西に、幅2間半(約4.5メートル)長さ17間半(約31.5メートル)の廊下が南北につながり、全長が約50メートルもありました。そして、広さは90畳ほどありました。

 さらに、松の廊下の説明で、刃傷事件の様子は欠かせませんので、刃傷事件がどうであったかについても説明します。

 そのために、刃傷事件の下調べも欠かせません。
 今回は、刃傷事件に遭遇し浅野内匠頭を取り押さえた梶川与惣兵衛の日記も読んでおきました。 
 今日は、その梶川与惣兵衛の日記のことを、吉田豊・佐藤孔亮氏著の「古文書で読み解く忠臣蔵」を元に書いてみます。

【刃傷の瞬間】 
 浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった瞬間のことについて梶川与惣兵衛が日記に書いてします。

 「誰哉らん吉良殿の後より此間の遣恨覚たるかと声を懸切付申候其太刀音ハ強く聞候得共後に承候へは存の外切れ不申浅手にて有之候我等も驚き見候へは御馳走人の内匠頭殿也、上野介殿是ハとて後の方江ふりむき被申候処を又切付られ候故我等方前へむきて逃んとせられし所を又二太刀程切られ申候、上野介殿其侭うつむきに倒れ被申候吉良殿倒れ候と大方とたんにて、其間合ハ二足か三足程の事にて組付候様に覚申候右の節我等片手ハ内匠殿小刀の鍔にあたり候故、夫共に押付すくめ申候」

c0187004_8423513.jpg 口語で要約すると次のようになります。
 「誰だか知らないが吉良殿の後ろから「この間の遺恨おぼえたるか」と声をかけてきりつけました。(その太刀音が強く聞こえましたが、後で聞くところでは思いのほか浅手だったそうです。) 
 驚いて見ると、勅使饗応役の浅野内匠頭殿でした。
 吉良上野助殿が振り向いたところをまた切りつけられ、私の方へ向いて逃げようとしたところを、又二太刀ほど切られました。上野介はそのままうつむきに倒れました。
 私は、浅野内匠頭との間が二足か三足ほどなので、組み付いたように覚えています。 そしたら私の片手が内匠頭の小サ刀の鍔にあたったため、それとともに押し付けすめました。」

 刃傷事件が起きた時の様子が生々しく書かれています。
 梶川与惣兵衛は、この記録の通り、浅野内匠頭を組み伏せたため、この時は700石の旗本でしたが、500石加増されました。

【組み伏せたことの弁明】 
 しかし、 梶川与惣兵衛は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入り赤穂浪士の評判が高くなると、梶川与惣兵衛が浅野内匠頭を組み伏せたため、「情け知らず」などと世間から批判されるようになります。 
 そこで、日記の中に、次のような、組み伏せたことを弁明するような記載があります。

 「此時の事共後ニ存出し候に、内匠殿心中察入候、吉良殿を討留不被申候事嘸々無念に有しならんと存候、誠に不慮の急変故前後の不及思慮右のことく取扱候事無是非候」

 口語訳すると、「この時のことを後に思い出して、内匠頭殿の心中を察すると、吉良殿を討ち留められなかったのはさぞ無念であったろうと思います。不慮の急変のため前後の思慮に及ばなかったことは致し方なかったと考えています」となります。

【上野介が斬られた順序】 
 なお、梶川与惣兵衛氏の日記によると吉良上野介が斬られた順序は
 ①吉良上野介の背後から斬られ ②振り向いたところを又斬られ ③梶川与惣兵衛の方へ向いて逃げようとしたところをまた斬られという順になっています。
 しかし、吉良上野介の治療にあった外科医の栗崎道有が書いた「栗崎道有記録」によると、吉良上野介は①最初にみけんを斬られ②横うつ向きになる所を2の太刀で背中を斬れたとなっています。
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by wheatbaku | 2011-06-01 05:38 | お江ゆかりの地を行く | Trackback
平川橋の擬宝珠 (江戸城② お江ゆかりの地を行く)
 今日からは、江戸城ツアーのために調べた中で、これまで書いてなかったことについて書いていきます。
 今日は、平川橋の擬宝珠(ぎぼし)について書いてみます。

【平川橋は数少ない木橋】 
 平川橋は、平川門の前のお濠に架けられている木橋です。
 現在の江戸城の木橋は、この平川橋と和田倉橋の二つになってしまいました。
c0187004_84587.jpg
 平川橋には擬宝珠(ぎぼし)があり、江戸のおもかげを残してくれています。
 ここにある擬宝珠はすべて江戸時代のもので、擬宝珠が製作された慶長19年と寛永元年という年が刻まれています。
平川橋の擬宝珠はすべてで10個あります。
 そこで、今日は、その擬宝珠を順に写真で紹介します。製作された年と製作者の名前が刻まれています。


【平川橋の擬宝珠はすべて江戸時代に製作】 
 まず、竹橋側から順に紹介します。 平川門に近い方からです。        
c0187004_21453073.jpg 慶長拾九年甲寅 八月吉日
御大工 椎名伊与

c0187004_21454581.jpg寛永元甲子年 八月吉日 
長谷川越後守

c0187004_214606.jpg寛永元甲子年 八月吉日 
長谷川越後守

c0187004_21461627.jpg寛永元甲子年 八月吉日
椎名源左門尉 吉勝

c0187004_21463481.jpg慶長拾九年甲寅 八月吉日
御大工 椎名伊与


 次いで大手門側の擬宝珠を平川門に近い方から紹介します。
c0187004_21465745.jpg慶長拾九年甲寅 八月吉日
御大工 椎名伊与



c0187004_21471681.jpg寛永元甲子年 八月吉日
椎名源左門尉 吉勝

c0187004_21473816.jpg寛永元甲子年 八月吉日
長谷川越後守

c0187004_2148041.jpg寛永元甲子年 八月吉日
椎名源左門尉 吉勝

c0187004_21481629.jpg慶長拾九年 甲寅八月吉日
御大工 椎名伊与


しかし、この擬宝珠が元はどこの橋のものであったかはわからないそうです。
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by wheatbaku | 2011-05-31 05:46 | お江ゆかりの地を行く | Trackback
『お江ゆかりの地を行く第1回「江戸城」』 開講!
 土曜日、毎日文化センターさんの  「お江ゆかりの地を行く~気ままに江戸探訪」 が開講されました。
 その第1回として「江戸城」の案内をしました。
 金曜日に、関東地方の梅雨入り宣言が出されて、土曜日も小雨模様でしたが、次のようなコースで案内をしました。

 平川門 ⇒ 梅林坂 ⇒ 潮見坂 ⇒ 白鳥濠 ⇒ 大手門 ⇒ 三の丸尚蔵館 ⇒ 大手三の門 ⇒ 中の門 ⇒ 中雀門 ⇒ 富士見櫓 ⇒ 松の大廊下跡 ⇒ 富士見多聞 ⇒ 石室 ⇒ 天守台 ⇒ 北拮橋門
 の順でした。


 雨模様でしたが小雨でしたので、東御苑には見物客がかなりいました。
 雨のおかげで、音が消され、そして新緑が鮮やかになり、参加された皆さんも「雨が降って、いつもとは違う風景がみられました」とか「雨も風情があってよい」というご感想があり、思いがけない天から贈り物をいただきました。
 また、参加者の皆さんからの積極的なご質問も多く楽しく案内させていただきました。
 参加された皆さん、どうもお疲れ様でした。
 雨に濡れた東御苑もすばらしかったので、いくつか紹介します。

【平川門】 
c0187004_20404521.jpg
 平川橋から撮った平川門です。
 大奥の通用門であったため、「お局門」の別名もあります。
 春日局が、門限に遅れたため、城内にはいれず締め出されたというエピソードが有名です。
 この時の門番(小栗又一郎と言われています)がご加増になったという話もあります。
 小栗又一郎は、幕末に勘定奉行等で活躍した小栗上野介の先祖です。
 また、不浄門とも呼ばれました。

【白鳥濠の前の松並木】 
c0187004_20405944.jpg
 白鳥濠の前の松並木が、整然としていて、雨のため緑が鮮やかになって、皆さん、喜んでいました。
 ここで、東御苑の松は昔からあったのかという質問がありました。
 「昔、一般的には、お城の中には、防衛上から、庭園以外には、あまり木が植えられえていなかった」と説明をしました。

【二の丸から見る百人番所】 
c0187004_20411183.jpg
 二の丸か見ると、百人番所が雨にかすんでいました。
 百人番所は、大手三の門を警護していた伊賀・甲賀・根来・二十五騎組の4組の「鉄砲百人組」が詰めていた番所です。 
 その4組のうちの伊賀組が拝領した組屋敷の跡が、新宿区の百人町の地名として残っています。

【大手三の門】 
c0187004_20412560.jpg
 大手三の門は、下乗門とも呼ばれます。
 この門前には木橋があり、その前に「下乗」という立て札が立てられていて、御三家と輪王寺宮以外は、駕籠をおりなければなりませんでした。
 現在は、下乗門の前の濠も埋めたてられてしまっています。

【中の門】 
c0187004_20413710.jpg
 百人番所前から撮った中の門です。巨大な石垣と本丸の緑のコントラストが鮮やかでした。
 中の門の巨大な石垣は、人々を圧倒するようです。
 黒い石は、東伊豆産の安山岩、白っぽい石は瀬戸内海産の花崗岩です。
 宝永元年(1704)に、鳥取藩の池田吉明が築造したと推定されています。

【天守台】 
c0187004_20475920.jpg
 天守台は下からのご案内です。
 明暦の大火で、寛永度の天守が焼失し後、天守台が加賀藩主前田綱紀によって築かれます。
 しかし、天守は、保科正之の決断により再建は取りやめられます。 保科正之の決断に参加者の皆さんも感心していました。
 なお、保科正之は、お江の嫉妬を恐れ、側室をつくらなかった秀忠が唯一側室に生ませた子供だと言われていて、お江との関係のある人物です。


 次回の「お江ゆかりの地を行く」は、「増上寺」をテーマに6月25日に開講します。
 
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by wheatbaku | 2011-05-30 06:09 | お江ゆかりの地を行く | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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