カテゴリ:江戸の食文化( 119 )
江戸検一級「江戸の食文化」問題解説③
 今日も江戸検一級の「江戸の食文化」の問題について解説します。
 今日は、8問から14問までについて解説します。
 今日は、ちょっと長いのですがご容赦ください。

15、松江藩主松平宗衍父子や各藩の留守居役に贔屓にされた高級料理屋はどれか?(初級レベル)

 正解は升屋です。
 「江戸の食文化」の140ページに、問題文に書かれた内容で「升屋」の説明がされています。
 「江戸の食文化」を読まれている方は、選択肢をすべて見なくても正解はすぐにわかったことだと思います。
 また、升屋は江戸の高級料理屋を語る際には、八百善と並べて語られる有名な料理屋ですので多くの方がわかっただろうと思います。そこで初級レベルとしました。

 山東京山の「蜘蛛の糸巻」の料理茶屋の項に

 「雲州の御隠居南海殿、おなじく御当主の御次男雪川殿、しばしば爰に遊び給へり。此両殿は、其比の大名の通人なり。雪川殿のかくし紋、川といふ字の羽織、名あるたいこ持ちは着ざるはなし。升屋祝阿弥、件のごとき大家ゆえ、諸家の留守居者の振舞という事、みな升屋を定席とせり。其繁昌、今比すべきなし。」

と書かれています。
 なお、南海公とは松江藩6代藩主松平宗衍(むねのぶ)で、雪川(せっせん)殿とは宗衍の子供衍親(のぶちか)で、松平治郷(はるさと)つまり松平不昧(ふまい)の弟です。

c0187004_9415369.jpg 16、両国の小松屋で売っていた店主の女房が吉原勤めをしていたときの源氏名を冠した餅の名前は何というか?(上級レベル)

この正解は「幾代餅」です。
 これは、江戸検前日の記事 「江戸の名物お菓子いろいろ」 で書いた事項です。この記事を読んでいた方はすぐに解ったと思います。
 この「幾代餅」は、江戸の名物として有名な餅ですので、結構多くの人がご存知だとは思います。 
しかし、後半部分の根岸鎮衛の「耳袋」の話までご存知の方は少なく、この話があるがゆえに答えを迷った面もあると思われます。
 そこで、上級レベルとしました。
  ちなみに、「幾代餅」については大久保洋子先生の「江戸っ子は何を食べていたか」にも書かれています。
  そこには、「耳袋」の話題についても触れて書かれています。


17、遠隔地から運ばれた鰻は何と呼ばれたか? (初級レベル)

 正解は「旅鰻」です。
 これは、「江戸の食文化」の131ページに書かれていますし、鰻に関する話としてよく出てくる内容ですので、初級レベルとしました。

 
18、守貞謾稿に載っている右の振売りは、何を売る振売りか?(上級レベル)

c0187004_944934.jpg 正解は、「飴売り」です。
 江戸検では、守貞謾稿からは常時出題されていますので、江戸検を受検する際にはよく勉強したほうがよいと思います。
 しかし、守貞謾稿は多くの事が書かれていて、これをマスターするのは至難の業であるのも事実です。
 それでも、江戸検を受検する人は、少しづつ修得しておくべきだと思います。
 今回は、「生業」と「食」は要チェック項目だと考えていましたが、案の定、生業の中の振売りから出題されましたね。
 出題された絵は、岩波新書「近世風俗志(守貞謾稿)」の一の267ページに載っています。
 「飴売り」の説明は265ページに載っていて、次のように書かれています。

 「江戸に一種、毎時不易の飴売りあり。今これを図す。売辞に、「下り下り」と云ふ。もと京坂より贈り下すの矯(かこつ)けか。また、因みに曰ふ。江戸飴店には必ず渦を描けり。今担ひ売りにもこれを描くものあり。」

 しかし、なぜ、飴売りの看板に渦巻の絵が描かれているのかは説明されていません。

19、大田南畝が長崎奉行所に勤務していた時に、オランダ人から勧められて、「味ふるに堪えず」と酷評した飲み物は何か?(上級レベル)

 この問題も超難問ですが、良い問題だと思います。
 正解は「コーヒー」です。
 大田南畝といえば、超有名人で、江戸検一級を受ける人で、名前を知らない人はいないと思います。
 しかし、多くの人が知っている大田南畝は、狂歌などで有名な文人としての大田南畝だろうと思います。
 しかし、大田南畝は46歳で学問吟味に首席で合格し、48歳で勘定奉行所の支配勘定となってからは、文人としてよりも役人として75歳までの生涯を送っています。
 つまり、大田南畝は、人生の前半は文人であり、後半生は役人として過ごしたのです。
  その役人としての大田南畝は、53歳からの約一年間を大阪銅座に勤めていますし、  56歳からの約一年間は長崎奉行所で勤務しています。この長崎奉行所時代にはロシア使節のレザノフにも面会しています。
 大田南畝が、その長崎奉行所で経験した一つがコーヒーを飲んだことです。
 このことは、かなり有名で、吉川弘文社の人物叢書「大田南畝」にも、大田南畝が長崎でコーヒーを飲んだことが載っています。 
 この問題は、大田南畝が長崎奉行所に勤務していた事実を知らないと戸惑う問題であり、大田南畝の生涯を知る切っ掛けとなる良い問題だと考えます。

c0187004_9521226.jpg そして、大田南畝自身は「瓊浦又綴(けいほゆうてつ)」(大田南畝全集所載)に次のように書いています。 なお、「瓊浦(けいほ)」は長崎の美称です。

 「紅毛船にてカウヒイといふものを勧む。豆を黒く煎りて粉にし、白糖を和したるもの也。焦げくさくして味ふるに堪ず。」  

 続いて、「ゼネイフルといふ酒は、松の子をもて製したり。」と書いています。
 「ゼネイフル」は、現代でいうジンですが、大田南畝は、コーヒーのほかにジンも勧められたようです。しかし、ジンについての批評は特に記載されていません。

 また、シーボルトは、「江戸参府紀行」(東洋文庫:平凡社発行)の中で、つぎのように書いています。

 日本人が二世紀以上も前から世界の最初のコーヒー商人と交易しながら、ただ暖かい飲み物だけを飲み、社交的な共同生活を大変好んでいる彼らの間で、この飲み物が流行しなかったのは、実に不思議なことである。(2月28日の項)


20、百川が、安政元年に、江戸でそれまで一般でなかった方法で料理を提供したが、どんな方法か?(上級レベル)

 これの正解は「膳に代えて、座卓で料理を提供した」です。
 百川が座卓(テーブル)で膳を出したことについての典拠を探しましたところ、現時点では「日本食生活史年表」(西東秋男著:楽游書房発行)に載っているものが見つかりました。
「日本食生活史年表」の嘉永7年の項に、次のように書かれています。
 なお、嘉永7年は11月に改元して安政元年となっています。

  「料理屋百川、江戸で初めてテーブル(座卓)で料理を給す」

 これは、元香川県明善短期大学学長(農学博士・管理栄養士)の川染先生も典拠とされているので、相応に信頼できる本だと思いますが、年表形式ですので元々の典拠もあると思われますので、はっきりした場合には後日、追記したいと思います。

 この問題も結構難問だと思いますが、「江戸の食文化」81ページには、ペリー来航の際に、百川が饗応の膳を準備したことが書かれていて、「幕府がテーブルで料理を提供したのは、この時が初めてだった」とも書かれています。
 そのため、この部分を読んでいる人は、これを材料に、「座卓で料理を提供した」という正解が比較的容易に推測できたのではないかと思います。
 しかし「江戸の食文化」では図版のコメントとして書かれているので、読み落とした人も多いだろうと考え、上級レベルとしました。

 以上、「江戸の食文化」に関する問題20問について解説しました。
 私の思うところで問題解説やレベル判定を書かせてもらいました。
 お読みいただいた皆様には違うなと思うところもあるかもしれませんが、そうした点はご容赦いただければ幸いです。


 最後に、参考図書とされていた「江戸の食文化」(原田信男編)との関係を見てみます。
 「江戸の食文化」と関連して出題された問題は、私が数えたところでは、全問20問のうち10問あります。
  第2問、第3問、第4問、第5問、第7問、第9問、
  第13問、第15問、第17問、第20問 です。
 この割合が、適切な割合がどうかということについての評価は難しいところですが、少なくとも「江戸の食文化」をよく読んでいれば、10問についての関連する情報は得られたことになります。
 江戸検のお題「江戸の食文化」の範囲は非常に広いと感じた人が多かったと思います。そのため、どの本を読んだら良いかと苦心した上でいろいろな本を読まれたと思います。
 しかし、どの本を読んでも、その本から江戸検に出題された問題について5割もの割合で触れてある本はないと思います。
 こう考えると、お題を解くうえでも、やはり参考図書が最も大切という結論になるとと思います。

 
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by wheatbaku | 2014-11-10 09:36 | 江戸の食文化 | Trackback
江戸検一級「江戸の食文化」問題解説②
 今日も江戸検一級の「江戸の食文化」の問題について解説します。
 今日は、8問から14問までについて解説します。

8、「江戸自慢」に「上方の及ぶ所にあらず、価も安し」と書かれている江戸で人気の食べ物は何か?(上級レベル)

 この正解は「鮓」ですが、難問だと思います。
 これは、「江戸自慢」という本がメジャーではありませんので、名前さえ初めて聞くという人が多いと思います。
 従って、この問題は、難問のなかでも超難問のレベルだと思います。
「江戸自慢」は、紀州藩の付家老水野土佐守の侍医原田何某が書いた江戸で見聞したことを本国と比較した書いたもので、写ししか残っていないようです。また、何某と書かれているので書いた人物の名前は不明です。
 鮓の部分は、
 「鮓は握りて、押したるは一切なし。調味よし、上方の及ぶ所にあらず、価も賤し」と書かれています。

9、「初松魚(  )がなくて涙かな」に入る鰹の薬味として使われた香辛料は何か?(中級レベル)

 答えは「辛子」です。
 「江戸の食文化」150ページに「江戸時代は辛子で鰹を食べていた」と書かれています。そのため、初級レベルともいえます。
 しかし、辛子が鰹の薬味として使用されたということを知っていても、英一蝶と宝井其角のやりとりを御存知ない方は、その説明がされているため却って答えを迷われたかもしれません。
 そこで中級レベルとしました。

10、「料理物語」の中の「獣之部」に記載されていない動物はどれか?(上級レベル)

c0187004_9234821.png これも難問ですね。
 選択肢には「犬」「川獺(かわうそ)」「狐」「狸」がありますが、正解は「狐」です。
 この問題は「料理物語」を読んでいないと難しいと思います。
 手身近のものとしては、教育社新書の「料理物語」がありますので、時間があったら確認してみてください。
 それによると、「料理物語」の第五の「獣の部」に書かれているものは、次の七種類です。
 鹿、狸、猪、莵(うさぎ)、川獺(かわうそ)、熊、犬
 従って、正解は、前述した通り「狐」ということになります。

 この問題は難問ですが、勉強になる良い問題だと思います。
 まず、料理物語が発刊されたのは寛永20年ですので、江戸時代前期には、獣肉を食べることが、そんなに珍しくなかったということがわかります。
 また、江戸時代には、犬を食べていたということがわかります。
 さらに今では絶滅してしまった川獺が食材になるほど生存していただろうということもわかります。
 こうしたことが勉強になります。そのため、これは難問ですが「江戸好き」の人には勉強材料になる良い問題だと思います。

11、仙台藩主伊達重村が鰈(かれい)の背中を食べて、会食相手に大名は白い部分しか食べないものだと指摘された際に何と回答したか?(上級レベル)

 正解は、仙台の鰈は両面が白いのでつい間違えた」です。
 この話は、「重村朝臣小伝」という本に書かれているエピソードのようです。
 「重村朝臣小伝」を探しましたが、埼玉県立図書館にもありませんでしたので、内容は確認できていません。
 こうした書物に書かれているという伊達重村のエピソードを知っている人はほとんどいないと思いますので超難問だと思います。

 余談ですが、伊達重村は、田沼意次が権勢を誇った時代の仙台藩主で、田沼意次が藩主であった相良町(現在は牧之原市)に、伊達重村が石垣材料を寄進したため仙台河岸と名付けられた史跡が現在も残されています。

12、「米沢のABC」と呼ばれる米沢市の特産品のCとは何か?(上級レベル)

 この問題の正解を事前に知っている人は極少数だと思いますので、これは難問だと思います。
 多くの人が、正解がわからない中で、選択肢から正解を選んだと思います。
 私も、全く知りませんので、消去法で正解を探しました。
 まず消去したのは、乳牛です。乳牛は明治以降に日本に入った動物だからです。
 次いでサクランボウです。山形のサクランボウは有名ですが、サクランボウは明治以降、日本に入ってきたものだからです。
 残ったのは、蟹か鯉ですが、消去したのは、蟹です。蟹は海の産物です。米沢藩は海なし藩ですので、蟹は無理だと考えました。その結果、鯉を選択し正解でした。
 「米沢のABC」については、下記のホームページに詳しく書かれていますので、そちらをご覧ください。
  米沢のABC

13、松平定信から雅号を授けられて店名とした老舗の和菓子屋は何か?(中級レベル)

 この正解は「風月堂」です。
c0187004_92075.jpg これは、「江戸の食文化」179ページの「上野風月堂」の項目に、問題文の内容そのままが書かれています。
 従って「江戸の食文化」を良く読んでいる人には簡単に正解がわかったと思います。
 しかし、「江戸の食文化」の老舗の部分まで読んでいない人には、難問だったと思います。
 そこで、大甘で中級レベルとしました。
 「上野風月堂」については、以前お邪魔し、由来等を記事にしていますので、ご参考にお読みください。
  上野風月堂 (江戸からの和菓子)

 また、「上野風月堂」のホームページには、江戸検一級仲間の ほーりー もコラムを書いていますので、ご覧になってみてください。
  ほーりーが行く!暖簾越し お江戸の風景

14、「続飛鳥川」において「下魚にて、食するものなし。下々にては食す」と書かれている魚は何か? (上級レベル)

 正解は「秋刀魚」です。
 単純に「下魚の代表は何か」と質問すれば、多くの人は「秋刀魚」と正解するでしょうが、わざわざ「続飛鳥川」に書かれているコメントから出題しているので迷った人も多かったのではないでしょうか? そこで、上級レベルとしました。
 「続飛鳥川」という本は、名前の通り「飛鳥川」の続編です。
 「飛鳥川」は、旗本で奥祐筆などを勤めた柴村源左衛門が書いた風俗見聞記です。
 「続飛鳥川」に次のように書かれています。
 「塩魚にて、さんまは下魚にて、食するものなし、下々にては食す、寛政の頃より追々食料になり、客にも遣う様になり、価も高くなる。」
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by wheatbaku | 2014-11-07 09:15 | 江戸の食文化 | Trackback
江戸検一級「江戸の食文化」問題解説①
 
 今週日曜日(11月2日)に、江戸検が実施されました。
 江戸検のお題「江戸の食文化」のために、模擬試験問題も出題しながら連載を続けてきましたが、江戸検の本番の一級の問題についてコメントして欲しいとの要望をいただきましたので、3回に亘りコメントします。
 今日は、1問から7問までコメントします。
 コメント内容は、私なりのコメントです。
 内容やレベル評価等について、お気に召さないこともあるかもしれませんが、ご容赦ください。
 問題を見させていただき、私も1時間半かけてチャレンジしましたので、問題も正確に把握していますが、問題文をそのままブログに掲載するのは、差しさわりがあると思いますので、問題については内容のわかる程度にコンパクトにしてあります。これもご容赦ください。

1、吉宗の仰せにより婚礼の祝膳の吸い物に使用されるようになった貝は何か(中級レベル)

 答えは「蛤」です。
 常識的に考えれば、「蛤」を選択する人が多いと思いますが、吉宗の仰せといった説明がついているので迷った人もいるかもしれません。
 文政13年写しの「明君享保録」という書には、「享保年間に8代将軍吉宗が結婚式の祝膳に蛤の吸い物を発案する。二夫にまみえぬ貞節の教えともなる」と書かれているようです。
 天保3年(1832)の「三省録」には、「婚礼に蛤の吸物は、享保中明君の定め置き給ふよし、まことに蛤は数百千を集めても、外の貝等に合わざるものゆえ、婚礼を祝するに是程めでたき物なし、それ故の御定めなり」とあります。

 
2、小豆粥が食べられるのが慣例となっていた日はいつか?(上級レベル)

 正解は「15日」です。
c0187004_11375830.jpg 小豆粥は、小豆と白米を混ぜて炊いた粥です。右写真参照
 小豆粥は、別名、十五日粥、もちがゆとも言います。もちがゆは「望粥」と書きます。陰暦の十五日(満月)は望の日ともいい、この日に食べる小豆粥を食べる習慣があったことから「もちがゆ」とも呼ばれたようです。
 正月15日は小正月ですが、この日はもち粥の節句といって、小豆粥を食べて一年の邪気を払う習慣がありました。
 「江戸の食文化」42ページにも、「小正月に小豆粥を食べると一年の災難を払う」と書かれています。
 この部分を覚えていて、正解がわかった方もいるかもしれません。でもそこまで読んでない人も多いと考え上級レベルとしました。

3、諸白の発祥の地と言われる地はどこか?(初級レベル)

 諸白については、「江戸の食文化」109ページにコメントされています。
 「諸白」は京都・奈良の僧坊で作られ始めたもので、奈良で作られる酒は「南都諸白」と呼ばれて有名でした。
 従って、答えは奈良です。

4、「(   )料理秘伝抄」という料理書の( )内に入る食材名は何か?(中級レベル)

 この書名は、「江戸の食文化」145ページに「大根料理秘伝抄」と書かれています。
 ですから、「江戸の食文化」をよく読んでいる人はすぐわかったのではないでしょうか。
 書名を覚えてなくても、飾り切りができるものが蒲鉾か大根までは搾りこめるのではないでしょうか。
 ただし、絵から大根を推定するのは難しいと思いますし、「江戸の食文化」には多くの料理書名がでてきて、覚えるのが大変だったと思いますので、中級としました。
 答えは「大根」です。

5、「吸い物」と「汁」の違いはどんなことか?(初級レベル)

 これは、「江戸の食文化」64ページに、そのまま書かれています。
 「江戸の食文化」をよく読んでいればやさしい問題ですので初級レベルとしました。
 正解は、酒肴として出すのが「吸い物」、食事に添えるのが「汁」です。

6、「引き裂き箸」と呼ばれていた割箸が必ず添えられていた料理は何か? (中級レベル)

 正解は、鰻丼です。
 鰻丼は大久保今助が考案したということは書いてあることが多いのですが、これに付随して「引き裂き箸」について触れている本もありますので、知っているひともかなりいると思います。
 しかし、私が紹介した本で触れていたものがなかったようですので、中級レベルにしました。
 問題文の中にも書いてある通り守貞謾稿の鰻飯の項には次のように書いてありますので、岩波新書「近世風俗志(守貞謾稿)一」の212ページをお時間のある方は見てください。
 「必ず引き裂き箸を添ふるなり。この箸、文政以来此より、三都とも始め用ふ」

7、「江戸甘味噌」と並んで人気のあった味噌を作っていた藩はどこか?(初級レベル)

 正解は「仙台藩」です
 江戸甘味噌と仙台味噌については、「江戸の食文化」108ページに詳しく書かれています。従って、初級レベルとしました。
 問題文の中に出ていた品川の「八木合名会社仙台味噌醸造所」のほか、春の毎日文化センターの老舗めぐりでご案内した浅草の「万久味噌店」、秋の文京学院大学の「大江戸老舗物語」でご案内した神田明神前の「三河屋綾部商店」でも仙台味噌を購入できます。
 近くに行かれたら購入して味わってみるのもよいと思います。
 食べなれた信州味噌とは違う美味しさがあってお勧めです。
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by wheatbaku | 2014-11-06 10:28 | 江戸の食文化 | Trackback
酒あれこれ (江戸の食文化)
 今日は、酒についてあれこれを書いていきましょう。

諸白(もろはく)
 まず「諸白」ということが良く出てきますが、「諸白」とは何かについて説明します。
 日本酒は、麹により米のでんぷんがブドウ糖に分解され、アルコールへと変わって製造されます。
この製造工程で、麹を造るために使われる米が「麹米」で、酒母やもろみを仕込む際に加える蒸した米を「掛米」といいます。
諸白とは、日本酒を造る際に、麹米と掛け米(蒸米)の両方に精白米を使用する製法です。

寒造り
 お酒は、江戸時代初期までは、秋の彼岸前後から春の彼岸すぎまで造られていました。
そして、造る時期によって次の5種類に区別されていました。
 それは、新酒、間酒(あいしゅ)、寒前酒(かんまえざけ)、寒酒(かんしゅ)、春酒(はるざけ)と呼ばれていました。
 その中で、小寒から立春までの約30日間が酒造に最適の時期であり、この時期につくることを寒造りといいました。

段掛け
段掛けは、段仕込みとも言い、醪(もろみ)造りにおいて、その前の工程で造られた酒母(しゅぼ)もしくは酛(もと)へ、原料である麹と蒸米を三回に分けて加えていくこと
 三段仕込みは、三段階を、初めから初添(はつぞえ)、仲添(なかぞえ)、留添(とめぞえ)と呼んで、4日間かけて仕込まれます。

火入れ
 火入れとは、醸造した酒を加熱して殺菌処理をすることをいいます。
 火入れされる前の酒は、まだ酵母が生きて活動していますし、麹により生成された酵素もその活性を保っているため酒質が変化しやすく、乳酸菌の一種である火落菌が混入している恐れもあります。
 こうした状態のまま放置しておくと酒が白く濁ってしまいます。これを火落ちといいます。
 そこで火入れすることにより、これら酵母・酵素・火落菌を殺菌あるいは活動を低下させて酒質を安定させることができます。
 火入れすることにより酒は常温においても長期間の貯蔵が可能となります。
 なお、火入れは、63度~65度程度の低温で行われます。


お銚子と徳利
c0187004_1011170.jpg 現在では、お銚子を徳利とはあまり区別されません。しかし、江戸時代中期までは、はっきりと区別されていました。
 近世風俗志(守貞謾稿)5には、詳しく書かれていますので、それを参考に書いていきます。

 徳利は、今では酒を注ぐのに用いられていますが、近代に瓶売りが一般化するまで、酒は量り売りするのが一般的で、酒屋は徳利に入れて酒を販売しました。
 徳利は個人の所有ではなく酒屋の貸し物であることが普通で、酒屋の屋号が大きく書かれていました。

 銚子は、燗をつけた酒を盃に注ぐための器です。本来の銚子は注ぎやすいように長い柄がついていました。
 守貞謾稿には、昔は鉄製の大きなものでしたが、近世のものは小さくなり、ちろりで燗をした酒を移すと書いてあります。
c0187004_1014678.jpg ちろりとは銅や錫または真鍮製の容器で、中に酒を入れ容器ごと湯につけて燗をしました。
 また、江戸では銚子は正式の膳である式正(しきしょう)にのみ使うもので、略式の時には燗徳利を使うのが普通と書いてあります。
 式正にも初めのうちは銚子を使い、三献するともっぱら徳利を使用するようになり、大名ですら略式の場合の酒宴では徳利を使うようになったと書いてあります。

 ちろりの燗酒は大変飲みにくいとも書いてあります。そのためだんだん使用されなくなったのでしょう。
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by wheatbaku | 2014-10-30 09:48 | 江戸の食文化 | Trackback
ふいごまつり・子祭り・乙子朔日(江戸の食文化)
 明日は、文京学院大学生涯学習センターさんの「大江戸老舗物語」で日本橋を案内いたします。また、会社でも仕事が超多忙となっています。
 そんな中で、最近、なかなかブログが更新できません。
 ブログが毎日更新されていないと、体調が悪いのではとご心配される方もいらっしゃるのですが、体調は問題ありませんのでご安心ください。

 そんな状況の中で、今日は、『江戸の食文化』に書かれている「年中行事と食」の中でわかりにくい事項について書きます。

 11月8日の行事に、「鞴祭り」というのがあります。
c0187004_927610.jpg まず「鞴」という漢字が難しいのではないでしょうか。「鞴」は「ふいご」と読みます。
 「ふいご」はご存知の方が多いと思いますが、鉄などの金属を製錬したり加工したりする際に、温度をあげるために風をおくる装置です。
 この日は天から「ふいご」が降ってきた日だといわれています。そこで、「ふいご」を使用する鍛冶屋・鋳物師・たたら師などが中心となって行われるお祭りです。
 この日には、蜜柑を撒いたり配ってやることが行われました。
 これは、「ふいご」が天から降ってきて蜜柑の木に引っかかっていたという伝承があるためだそうです。

 11月の子(ね)には、「子(ね」祭り」が行われます。
 これについて、東都歳時記には次のようにかかれています。
 「毎月といえども、当月は子(ね)の月なるをもって初子の日子の刻専ら大国神をまつる。これを子まつりという。赤小豆飯等を供する」
 11月が「子(ね)の月」とされているため、特に11月の子の日に「子祭り」が行われたということのようです。

 12月1日は「乙子朔日(おとごさくじつ)」と呼ばれました。
 これも、現代の私達にはなじみがありません。
 東洋文庫の「東都歳時記」の注釈に「乙子は末子の意味。12月は最後の月であるので乙子月とも言った。」と書かれています。
 「乙子」というのは12月の異称ということであり、その一日ですから「乙子朔日」というようです。
 「東都歳時記」には次のように書かれています。
「乙子朔日とて諸人餅を製し祝う。『日本歳時記』に云う。いつの頃より始まりし事にや、一年の間、事なく朔日を悉くかぞえ来りし事を祝う意なるべしと云う。今日製する餅を乙子のもちをいう。又、川浸(かわびたりもち)ともいう。」
 年中行事のなかで、わかりにくと思われるものについて書きましたが、江戸時代の人たちが行っていた年中行事も現代まで続いているものが多いのですが、現代では廃れてしまった年中行事も少なからずあるということを改めて知りました。



 なお、江戸検受検される方用に、 『江戸の食文化』重要事項一覧 をまとめてありますので、ご希望の方はダウンロードしてください。
 『江戸の食文化』重要事項一覧ダウンロード


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by wheatbaku | 2014-10-10 09:22 | 江戸の食文化 | Trackback
「六質汁」「花くそ」(江戸の食文化)
 「『江戸の食文化』の重要事項一覧」をダウンロードできるようにしましたら、大勢の方からご希望をいただきました。
 江戸検を受検される熱心な方がいらっしゃることを改めて実感しました。
 また、そうした人たちが、このブログを読んでいただいていることもわかり、改めて、私も頑張らなくてはと思った次第です。

 さて、「『江戸の食文化』の重要事項一覧」をまとめたいる中で、これはブログに書いておいたほうがよいと気が付いたことがあります。
 それは、「年中行事と食事」です。この項目の中に、聞きなれない事項がいくつかありますので、その説明をしておこうと思います。
 
1月15日は、「小正月」と言いますが、「上元」とも言いました。
上元というのは、三元(さんげん)の一つです。 
 三元というのは元々は道教の行事で、「上元・中元・下元」の3つの総称です。
 上元は1月15日 中元は7月15日 下元は10月15日を指しています。
 三元は1年を3等分ではなく、6ヶ月・3ヶ月・3ヶ月に分けているという特徴があります。
 三元の中でなじみがふかいのが「中元」で、現代でも「お中元」という呼び名で残っています。 
 お中元が一般的には7月15日までに贈るとされているのは、「中元」が7月15日を指しているためのようです。

2月8日は「事始め」と言いました。
 この日、「六質汁」を食べました。「六質汁」は、「むしつじる」と呼び、別名「お事汁(おこと汁)とも呼ばれました。
 近世風俗志(守貞謾稿)の第四巻に「元々は芋、牛蒡、人参、焼き豆腐、こんにゃく、小豆の6種類の具を入れて作った。」と書いてあります。
 「六質汁」は具だくさんの味噌汁です。


4月8日は、灌仏会です。今では「花まつり」とも呼ばれて、お釈迦様の誕生をお祝いするお祭りです。
この日には、「いただき・花くそ」を仏に供えると書いてあります。
「花くそ」というのは、すごい名前だと思いませんか?
そこで、「花くそ」というものを調べてみました。
すると、東都歳時記に次のように書いてありました。
「今日仏に供する所の餅を号していただき、又花くそといふ。「年中行事大成」に、花供御(はなくご)の誤にやといへり」
 なるほど、「花供御」がなまって「花くそ」になったんですね。
 納得しました。

 この続きは次回書きます。 
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by wheatbaku | 2014-10-08 07:47 | 江戸の食文化 | Trackback
「『江戸の食文化』重要事項一覧」の公表
 
江戸検の参考図書である

原田信男編『江戸の食文化』の重要事項一覧

をダウンロードできるようにしました!
 

 江戸検の本番まで、ちょうど4週間となりましたが、受検される皆様、受検勉強の進展具合はいかがでしょうか?
 順調に進んでいる方、予定どおり進んでいなくて不安な方など、それぞれの感想をお持ちだと思います。
 最終コーナーとなりましたので、最後の頑張りでご努力されることを願っています。

c0187004_1118573.jpg ところで、受検される方から、原田先生の『江戸の食文化』の重要事項を教えていただきたいというご希望がありました。
 このご希望にお応えするのはかなり大変ですので、なかなか踏み切れませんでしたが、受検される方のお役にいくらかでも立つのであればということで、一覧表としました。
 そして、多くの方にご利用いただけるように、この「重要事項一覧」をご希望される方には、ダウンロードできるようにしました。
  ご希望される方は、下記サイトに飛んでいただき必要事項を入力していただきパスワードを入手した後、ダウンロードしていただきたいと思います。


  『江戸の食文化』重要事項一覧ダウンロード


 「重要事項一覧」は、「江戸の食文化」の第一章から第五章に記載されている重要語句および事項についてページ別に一覧にしたものです。
 これはあくまでも個人的に重要と思われるものをピックアップしたものです。
 江戸検を受検される方のご期待にそっているか多少不安がありますが、皆様の受検勉強のお役に立てれば幸いです。

この資料のダウンロードに関して、お気楽マダムさんのご協力をいただきました。御礼申し上げます。
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by wheatbaku | 2014-10-06 08:44 | 江戸の食文化 | Trackback
なすと二宮尊徳(江戸野菜 江戸の食文化)
 今日は、なすについての2回目です。

 江戸っ子は茄子がー好みにあったのか、初茄子を珍重し、促成栽培が行われるほどでした。
このため、初物の規制により、売り出し期日が4月からと決められていました。

 その江戸っ子が珍重した初茄子は高価であるとともに小型でもあったようです。次のような川柳があります。
   目へ這入るほどで 目の出る 初茄子(はつなすび)
   初茄子(はつなす)は  富士に縁ある  高根なり 
   ちいさくて  口にはいらぬ   初茄子(はつなすび)
 

 その初物のなすを食べて、冷害を予測したのが、二宮尊徳です。
c0187004_1620433.jpg 二宮尊徳は、小田原藩領の農家の出身ですが、生家の再興した後、小田原藩家老服部家の財政再建に成功したのを小田原藩主大久保忠真に見込まれ、小田原藩大久保家の分家である旗本宇津家の桜町領の再建を任されていました。
 再建がとりあえず成功した後の天保3年の夏の初め、二宮尊徳は食べたなすの味がいつものなすの味と違い、秋なすの味がすることに気が付きました。
 観察力の鋭い二宮尊徳は、これは、冷夏の予兆ではないかと思い当たりました。
 そこで、冷害に強い稗(ひえ)を植えさせるように、農民たちに指示しました。
 その年の夏は、二宮尊徳の予想した通りの冷夏で凶作でした。
 しかし、二宮尊徳の指示に従って、稗を植えていた桜町領は、一人の死者も出しませんでした。
 右上写真は、吉祥寺にある二宮尊徳のお墓です。

 秋なすの話題がでましたが、「秋なすは嫁に喰わすな」という俗説があります。
これは鎌倉時代の和歌集「夫木集」にある「秋なすび わささのかすに つけまぜて よめにはくれじ 棚に置くとも」という和歌に由来すると言われています。
 一般的には、嫁いじめの意味に考えられていますが、なすはたくさん食べると腹痛・下痢を起こしやすいので、嫁の身体を労わって詠んだという説もあります。

「本朝食監」には、「多食すれば、身体によくないという説もあるが、生なすを食べないことはない 」と書かれています。



 最後に、「本朝食鑑」に、なすの花の効用でおもしろいものが載っていましたので紹介します。
 「花 虫牙(むしば)の急痛には、一蕚(がく)を患部の牙(は)で噛めば、たちどころにに癒える」と書いてあります。本当に、なすのがくが虫歯に効いたのでしょうか・・・





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by wheatbaku | 2014-10-03 07:03 | 江戸の食文化 | Trackback
駒込なす(江戸野菜 江戸の食文化)
 先日の六義園散歩では、六義園のほかに、駒込富士神社、吉祥寺、駒込土物店跡と散歩してきました。

 この中で、駒込富士神社と吉祥寺は、野菜のなすと縁がありますので、今日は、その話をしたいと思います。

 江戸時代、駒込はなすの産地で、「駒込なす」は、江戸では有名な野菜でした。
c0187004_9274994.jpg 
 新編武蔵風土記稿の上駒込村に、
  茄子の土地によろしいので世にも駒込茄子と称す
 と書かれています。

もちろん、江戸検の参考図書『江戸の食文化』にも載っています。
 こうしたことから、駒込富士神社にJA東京が設置した説明板があります。
 右写真がそれです。

 なすは、インド原産と言われ、熱帯から温帯にかけて広く栽培されていました。
日本へは、中国から渡来し、すでに奈良時代には栽培されていました。

茄子は「奈須比(なすび)」ともよばれていました。
なすびの由来は、中渋実(なかしぶみ)とする説、夏実(なつみ)とする説、生実(なすみ)とする説、中酸実(なかすみ)など諸説がありますが、「たべもの語源辞典」では、夏とれる野菜つまり夏実(なつみ)からナスミとなりナスビとなったとしています。

茄子の産地として江戸では、駒込が有名でしたが、江戸以外では、駿河が有名だったようで、江戸時代後期の平戸藩々主松浦静山の書いた随筆「甲子夜話」には、駿河で栽培した茄子を将軍家に献上する話が載っているとのことです。

 縁起の良い初夢としてあげられるもの『一富士、二鷹、三茄子』があります。
c0187004_924898.gif この三つがどうして縁起がよいのかについては諸説があるようです。
 徳川家康の好物を挙げたという説や駿河にあるもので高いものを挙げたという説があります。
 「甲子夜話」には、「神君駿城に御座ありし時、初茄子の値貴くして、数銭を以て買得ぬ故、其値高きをいはんとして、まず一に高きは富士なり。その次は足高山なり、其次は初茄子なりといひしことなり」と書かれていて、家康が駿河で高い順にあげたものだそうです。
 ちなみにここで言われている足高山は、愛鷹山のことで、駿河では富士山に次いで高い山です。
 そして、駒込に関係する由来説に、駒込の名物を挙げたものだという説があります。
 「駒込に一富士、二鷹、三茄子」という川柳がありますが、一富士は駒込の富士神社を言い、二鷹は駒込に鷹匠屋敷があったことを差し、三番目が駒込なすのことを差します。

 「一富士、二鷹、三茄子」の由来がどれが正しいからは別として、その由来説の一つに挙げられるほど「駒込なす」は有名だったと思われます。
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by wheatbaku | 2014-10-01 09:18 | 江戸の食文化 | Trackback
海苔巻き・焼き海苔・味付け海苔(江戸の食文化)
 今日も海苔のお話をしたいと思います。 
 江戸では、海苔を使った料理や食品が数多く開発されています。
 その中で、代表的な 「海苔巻き」「焼き海苔」「味付け海苔」 についての書いてみたいと思います。

海苔巻き寿司 
c0187004_1559278.jpg 海苔を使った料理でもっともなじみがあるのが、海苔巻きでしょう。
 海苔巻き寿司ができたのは江戸時代です。
 にぎり寿司は、文政年間にできたと言われていますが、海苔巻きは、それよりも50年ほど早い安永の頃にはもう作られていたと言われ、天明の頃には流行していたといわれています。
 それが、文化・文政期になると、ますます海苔巻きが好まれ、屋台でも売られたりするようになりました。
 屋台の寿司が流行しだすと、手間のかかる太巻きに代わって簡単に巻き上げられる細巻きが現れました。
 守貞謾稿には海苔巻の図が描かれ「干瓢を巻きこむ」とあります。
 こうして江戸っ子たちは海苔巻きに親しんでいったのです。
 
焼き海苔 
 c0187004_16203127.jpg 焼き海苔は、乾した海苔の裏表をていねいに焼いたものです。焼き上げた海苔の艶が美しく、風味もよく、海苔をもっともおいしく味わうことのできる食品です。
 焼き海苔をはじめてつくったのは大森の海苔商人三浦屋田中孫左衛門という人で、弘化元年(1844)にガラス瓶に詰めて売り出したそうです。
 その後しばらく中断していましたが、明治初年に山形屋の5代目窪田惣八が、「貯蔵(かこい)海苔」の名で発売しました。
 海軍が買い上げたこの海苔が遠洋航海でも変色変味しなかったことから評判となり、多くのお店で販売され始めました。
 この海苔が、明治中期から「焼き海苔」と呼ばれるようになったのです。
 写真は、山本山の焼き海苔です。

味付け海苔  
 味付け海苔を開発したのは、山本海苔店です。
 c0187004_1602827.jpg 明治2年に、明治天皇が京都に行かれる際に、皇太后へご進物として持っていくものとして、山本海苔店2代目山本徳次郎が開発しました。
 山本徳次郎は、品川猟師町で作られていた「薬味海苔」を参考にして「色紙海苔」として納めたところ、すごく賞賛されたそうです。
 「薬味海苔」とは抄(す)く直前にみりん、しょうゆ、山椒、陳皮、唐辛子等を入れたものだったそうです。
 これが、味付け海苔の始まりですが、初期は注文製造でしたが、明治中期以降店頭でも販売されるようになったそうです。
 なお、このお話は宮下章の「ものと人間の文化史、海苔」に基づきます。
 写真は、山本海苔店の味付け海苔です。
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by wheatbaku | 2014-09-26 08:53 | 江戸の食文化 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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