カテゴリ:江戸からの和菓子( 30 )
川越「田中屋」(江戸からの和菓子)
 昨日は成人式で祝日でした。
 そこで、今年はまだお参りできていなかった川越の喜多院に少し遅い初詣に行ってきました。
 我が家では、毎年、喜多院にはお参りしていますが、さすが12日では、お参りする方は少なくなっていました。
 しかし、護摩の時間は30分刻みでしたので、効率的にお参りができました。

c0187004_1750634.jpg 川越に行ったので、江戸から続く老舗に寄ってきました。
 老舗というと敷居の高いお店を考えますが、今回お邪魔したのは団子屋さんです。
 その団子屋さんは、「田中屋」といい、川越のシンボル「時の鐘」の真下にあります。
 右写真の奥にあるのが、「時の鐘」です。
 「時の鐘」はもともとは、寛永年間に川越藩藩主酒井忠勝が建設したものですが、現在の「時の鐘」は4代目で明治26年の川越大火の翌年に再建されたものです。
 現在も一日4回鐘の音を蔵造りの町に響かせていて、環境省主催の「残したい日本の音風景百選」に選定されています。
 私たちが行った時も正午の鐘を鳴らしていました。
 「時の鐘」の東側の真下にあるのが「田中屋」です。(右上写真の手前のお店が「田中屋」です。)

 「田中屋」は、文久元年(1861)に創業したそうですので、もう150年の歴史がある老舗です。
c0187004_1750572.jpg  「田中屋」の売り物は焼き団子だけです。
 現在の御主人は5代目ですが、代々が焼き団子だけを売ってこられたそうです。
 焼き団子だけで、150年間も続くというのに大変驚かされました。
 御主人のお話では、団子はすべて手作りだそうです。
 ですから一日にできる数は限りがあるそうです。
 「一日200本ほどですか?」と尋ねたところ、返事を濁されましたので、200本は作られていないのではないでしょうか?
 ですので、朝から作った団子が売切れればそこでお店は閉店ということになります。
 昨日は12時でも販売していましたが、以前お邪魔した際には、12時で閉店していました。

 焼き団子は一本60円です。基本的にお持ち帰りのようで、団子をお願いしたら、串のまま手渡されました。
c0187004_17513273.jpg ほとんどの人が、串をもって店外に出て行きますが、お店の中には、長椅子がありますので、そこで座っても食べられます。
 長椅子に座り、焼き団子を手に持って、そのまま写真にとりました。
 焼き団子は、平べったい形をしてます。
 そして、焼き立てで、その味は抜群です。
 焦げた醤油の香ばしい香、そして素朴な味、素晴らしい団子です。
 これで60円は安すぎるのではないでしょうか。

 江戸時代も後期には、串団子は4玉ささっていて4文というのが通り相場でした。
 4文は、現在の貨幣価値に換算すると100円ぐらいです。
 ですから、「田中屋」の焼き団子は、江戸時代のものより安いということになります。
 この価格で、150年間もお店を続けられた「田中屋」に脱帽です。
 これからも末永く続いて欲しいお店です。
 

 小江戸川越に行き、「時の鐘」を訪ねるのであれば、「田中屋」に是非寄っていただきたいと思います。
 しかし、午後に訪ねたのではお店が閉じられていて焼き団子は食べられないと思いますので、お早い時間にどうぞ訪ねてみてください。
 鶴ヶ島の小人さん、お近くですから、川越に行かれたら寄ってみてください。
 それとも、もうご存知かな?

赤印が田中屋ですが、青印の時の鐘を目安に訪ねてください。
時の鐘は、川越駅からは東武バスを利用するのが便利です。
本川越駅からはバスもありますし、歩いて15分ほどです。


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by wheatbaku | 2015-01-13 07:47 | 江戸からの和菓子 | Trackback
福島家(江戸からの和菓子 巣鴨食文化散歩4)
 巣鴨食文化散歩では、和菓子の老舗「福島家」で、和菓子の製造工程を見学させてもらいました。
 今日は、その「福島家」さんの御紹介です。

 「福島家」さんは、JR巣鴨駅前の白山通りを西に行くと巣鴨駅から徒歩1分程度の至近距離にあります。
 有名な「とげぬき地蔵」に向かう途中、北側のアーケードの一番手前にあります。

 「福島家」さんは幕末の文久元年には営業していた和菓子の老舗です。
c0187004_9533615.jpg  和菓子の製造販売のほか、店舗に喫茶コーナーを併設していて、いつもお客で混雑していますが、お邪魔した日は、たまたま、席があいていて、喫茶コーナーで名物のあんみうつやところてんを銘々注文して、5代目ご主人の福島敏夫専務さんのお話を伺いました。
 ご主人によると文久元年に和宮が降嫁する時には既に「福島家」さんは営業していたそうです。
 和宮が14代将軍家茂に嫁入りするために、京都から江戸に下った時は、中山道を通りました。
中仙道の宿場は板橋ですが、ここだけでは大勢のお供の人たちを宿泊させられないので、当時、立場(たてば)であった巣鴨の町並み調査をした際の文書が残っているそうです。
 その中に、「福島家」さんの名前が「菓子商弥三郎(福島家)」として載っているそうです。
 それによると、現在の巣鴨駅より南側にあったようです。その後、巣鴨にあった徳川慶喜の屋敷の表門近くに一度移転しました。
 しかし、その店が、昭和20年3月10日の東京大空襲により焼失したため、現在地に移転したそうです。
 

 「福島家」さんには、江戸時代の和菓子の雛形帳(見本帳)が残されています。
c0187004_9535543.jpg その雛形帳を見させていただきました。 
 雛形帳には、慶応3年の奥付があり、幕末には、利用されていたものだそうです。
 東京の和菓子屋さんでも、江戸時代の雛形帳が残っているのは大変珍しいと思います。
 この雛形帳は、お客様から注文をとる際に、お客様に、どういった菓子に仕上げるかを選んでいただくための見本帳だそうです、
 その装丁がしっかりしているのにまず驚きました。
 さらに驚いたのは、その中身です。
 江戸時代のものでありながら色が非常に鮮やかなのにビックリしました。
全てで420種類ほどあるそうで、本職の絵師が書いたものだろうと専務さんはおしゃっていました。
 また、おもしろいことに、雛形帳には、指の跡が残っていて、その指の跡に濃淡があるということでした。
 濃い御菓子は人気があったのだろうということでした。

 店舗の地下にある工場では、「練り切り(ねりきり)」の最後の仕上げ工程を見させていただきました。
c0187004_9541075.jpg 工場長が鮮やかな手際で「ばら」を作り上げていき、見学者全員その鮮やかさに驚いていました。
 「ばら」の仕上げはスプーン一本でやっていましたが、練り切りの種類に応じて使用する道具は、「和ばさみ」であったり、「三角へら」であったりするようです。
 練り切りは、白餡に 求肥(ぎゅうひ)などを混ぜて練ってつくりますが、餡は、当日に作るのではなく、前日までに作っておくそうです。

 
c0187004_9542444.jpg 雛型帳に基づき復元しているお菓子もあるそうです。
 復元菓子は、練り切りの「江戸梅」「江戸桜」「江戸菊」、羊羹の「宮城野羹」が代表的なものです。
 復元されたお菓子の中で「宮城野羹」は常時販売しています。こちらは羊羹です。
 また、桜の時期は、「江戸桜」という練りきりのお菓子を販売しています。
 右写真が復元された「宮城野羹」(写真右)と「江戸桜」(写真左)です。
 共に甘さを抑えた上品なお菓子です。


 福島専務さん、工場見学をさせていただきたいなどという無理なお願いをしたにもかかわず、ご親切にご対応いただきありがとうございました。
練り切りの工程を見させていただき大変勉強になりましたし、参加された皆さんも大変喜んでくれました。
本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

 「福島家」は赤印です。巣鴨駅前で、白山通りに面しています

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by wheatbaku | 2014-05-09 09:54 | 江戸からの和菓子 | Trackback
麻布青野総本舗(江戸からの和菓子)
 今日は、ひさしぶりに江戸時代から続く和菓子の老舗のご紹介です。

 今日は、六本木にある創業以来150年が経った「麻布青野総本舗」を紹介します。
c0187004_16561976.jpg 「麻布青野総本舗」は、東京メトロ「六本木」駅5番出口から徒歩5分の外苑東通り沿いにあります。
 9階建のビルの一階がお店となっています。
 お店に入ると清潔な感じがする近代的な店舗です。
 右下の写真を見ていただくとそのことがよくわかると思います。

c0187004_1657544.jpg  「麻布青野総本舗」の始まりは、安政3年(1856)に麻布市兵衛町(現在の東京メトロ「六本木一丁目」駅周辺にありました)で和菓子屋を創めたことだそうです。
 もとは、元禄年間から栄えていた、神田豊島町の飴(水飴)問屋 「青野屋」が遠祖だそうです。
 当時、麻布市兵衛町周辺には、大名家の下屋敷が多くあり、そこの贔屓を受けながら、商売を営んできたとのことです。

c0187004_8555218.jpg  包装紙の地図はその時代をイメージさせるものとなっています。
 なお、この包装紙に書かれている「鶯」の文字は、人間国宝でもあった14世杵屋六左衛門が書かれた文字とのことです。
 松平三河守忠直の下屋敷があったことに由来し麻布三河台町と言った現在の場所に移転したのは明治20年とのことです。

c0187004_16574221.jpg 「麻布青野」の代表的な銘菓は「鶯もち」です。
 「鶯もち」は、あんを求肥で包み、きな粉がまぶされた菓子です。
 菓子は、竹皮をイメージした包装紙で包まれています。
 鶯もちは、 四代目青野平九郎の兄である俳優の青野平義が「楽屋でも汚さず食べられる菓子を」ということで考案したことが始まりだそうです。 

c0187004_16581860.jpg また、「鶯もち」は、松尾芭蕉が早春、梅の香りと、鶯の声に誘われて桜田、六本木、三河台と歩き詠んだとされる「鶯を たづね たづねて 阿左布まで」から 、笹舟にねむる藪の鶯をイメージしたものだそうです。
 お店の奥に、町春草(まちしゅんそう)さんが書いた「鶯を たづね たづねて 麻布まで」という書が掲示されています。
 町春草さんは、女性書家で、昭和60年にはフランス芸術文化勲章を受章したこともあります。
 お近くにお住まいだった縁で書いていただいたとのことです。
 
 「鶯もち」は、上品なお菓子です。
 甘さを抑えた餡と求肥の絶妙なバランスで大変おいしかったです。
 さらに、求肥に一杯かけられているきな粉はきめが細かくて、きな粉だけでもおいしく感じました。
 小豆餡は北海道産、求肥は国内産羽二重粉(もち米粉の中でもきめ細かな粉を使用)、きな粉は北海道産特製きな粉を使用しているとのことです。
 「鶯もち」は一個210円ですが、詰め合わせもいろいろあります。

 赤印が「麻布青野総本舗」です。

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by wheatbaku | 2013-12-11 09:26 | 江戸からの和菓子 | Trackback
日本橋「長門」(江戸からの和菓子)
 久しぶりに、江戸時代から続く和菓子の老舗を訪ねてみました。
 今回訪ねたのは日本橋「長門」です。

 日本橋「長門」といえば、雑誌、本、インターネットで「久寿もち」が再三取り上げられている有名店です。
 日本橋と言っても、東京駅前で、東京駅の八重洲北口からですと5分弱でお店に着きます。
c0187004_952896.jpg お店は、間口3間弱のこじんまりしたお店ですが、創業は江戸時代の中期、徳川8代将軍・吉宗の頃という大変古い歴史のあるお店です。
 将軍家の御用商人となって、「松岡長門大掾藤原信吉」の称号と帯刀を許されたそうです。
 現在の「長門」の商号は、「松岡長門」の「長門」を採ったものです。

c0187004_95443.jpg いただいたしおりによれば、江戸時代には、神田通新石町「須田町際」にあったそうです。現在地に移ったのは、戦後間もなくのことだそうです。神田のお店が、戦災で焼失したため、現在地に移転したとの奥様のお話でした。

 インターネットでの注目されている菓子は「久寿もち」です。
 関東の多くの「くず餅」は、小麦粉から作られますが、「長門」の「くず餅」はわらび粉から作られます。
 わらび粉は、わらびの根から採ります。あの細いわらびから採るのですから、相当の数のわらびが必要になると思います。
 「長門」の「くず餅」を食べてみました。
正方形を斜めに切った形をしていますが、「くず餅」よりはるかに肌理(きめ)が細かくてびっくりしました。


c0187004_975170.jpg 「長門」での、江戸時代から販売している和菓子は、「松風」というお菓子です。
 これは、瓦せんべいだそうです。
  将軍家に献上していたものの、大正初年頃から最近まで製造を中止していましたが、近年に復活したものだそうです。
 現在も、職人さんの事情等から、多くは製造できないそうです。
 そのため、なかなか手に入らない貴重品になってしまっているようです。


c0187004_981143.jpg 「葵最中」も、とりあげられることが多いお菓子です。
 「長門」では、将軍家に献上していたことから、葵の紋の使用が特に許されたそうです。
 ただし、二葉葵を使用するようにとのことだったようです。
 そこで、「長門」では、葵の紋を、包装紙にも使用しています。
 包装紙を見ると確かに二葉葵となっていました。
 「葵最中」も「葵の紋を使用した和菓子」として考案された物だそうです。
 最中の皮に葵がデザインされていますが、よく見ると確かに二葉葵の図柄になっています。
 また、黒ゴマが入っているところが特徴です。
 
 「長門」では、販売する近くで製造するという考えから、お店のあるビルで、和菓子を作っているとのことでした。
 こだわりが感じられますね。


c0187004_982873.jpg  数多くある和菓子の中で、「長門」の本当の良さがわかるのは「半生菓子」で、奥様のお話では、これがお勧めとのことでした。
 これは、日持ちが生菓子より長く1週間程度大丈夫です。
 季節に合わせた様々の型をしていて、目でも楽しめます。
 一つ一つが職人さんの手作りだそうで、手が掛かったものです。

 ところで、「生菓子」や「干菓子」とはよく聞きますが、「半生菓子」とは聞きなれない名前です。
 そこで、ネットで検索してみました。
 全国菓子工業組合連合会のHPによると、
 一般には水分を30%以上含むものは生菓子、水分が10~30%のものは半生菓子、水分が10%以下のものが干菓子とされます。
 半生菓子なんて普通の方は耳にしたことはないと思いますが、お菓子で言うと羊羹、カステラ、カップケーキなどがこれに入ります。
 と書いてあります。
 この説明からすると「半生菓子」というのは、生菓子より水分を押さえて日持ちがするようにした菓子をいうようですね。
 「長門」の「半生菓子」を買って味わってみました。
 上品な砂糖菓子で、大事に大事に味わって食べるお菓子です。
 御抹茶とあわせていただくと一層味わいがますように思うお菓子でした。
 また、大事なお客様のお届け物としてお届けしたら、後日、奥様から「大変おいしかった」とわざわざお礼の言葉がありました。


 赤印が「長門」です
東京駅の八重洲北口から3分、東京メトロ日本橋B3出口からですと1分です。

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by wheatbaku | 2013-07-16 09:02 | 江戸からの和菓子 | Trackback
豆源(江戸からの和菓子)
  今日は麻布十番の豆菓子の老舗「豆源」について書きます。

c0187004_829278.jpg 麻布十番商店街は、平日も休日も大勢の買い物客や行楽客が行きかう商店街です。
都内でも、常時歩行者がいる商店街は最近は少なくなってきたように思いますが、麻布十番は非常に活気のある街だと思います。
 この麻布十番商店街には、明治大正以前開業の老舗が数多くあります。
 しかし、江戸時代までに遡るとさすが数が少なくなってきます。
 そんな中で、「豆源」は江戸時代創業の豆菓子の老舗です。


c0187004_8295987.jpg 「豆源」は 麻布十番」駅4番出口から約200メートルの距離で、麻布十番商店街の中にあります。
 「豆源」の創業は、江戸時代末期の慶応元年(1865年)です。
 「豆源」の初代駿河屋源兵衛は「豆やの源兵ヱ」さんと相性されて煎り豆を肩に、また屋台荷車を引き歩いて江戸下町の人々に親まれていたようです。
 「豆源」商号の由来は、商品名「豆」と初代の名前「源兵衛」からきているようです。

 
c0187004_8302375.jpg 販売されている豆菓子や煎餅は100種類以上もあるとも言われます。お店にも数多くの種類の商品があります。
 その中で、人気が高いのは、「おとぼけ豆」だと教えてもらいました。
 「おとぼけ豆」は青海苔、きざみ海苔、海老の3種類の豆菓子が入っており、3つ一緒に食べるととぼけた味になるとのことからおとぼけ豆という名前がつけられたそうです。
 これを買って帰りましたが、後を引くおいしさであっというまに食べてしまいました。


c0187004_8304869.jpg 「豆源」は、平日も休日も買い物客が大勢います。
 特に休日の店内は、右写真のようにお客様であふれんばかりです。
 豆菓子のお値段は1袋315円で買いやすいのもお客様が入る要因ではないでしょうか。


 赤印が豆源です。

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by wheatbaku | 2013-03-19 07:15 | 江戸からの和菓子 | Trackback
萬年堂(江戸からの和菓子)
 銀座の萬年堂に行ってきました。
 ここの名物は「御目出糖」というおめでたい名前のお菓子です。
 飯田橋にもお店があるので、以前、そちらで手に入れたことはあるのですが、お店の歴史等は本店で聞いてくださいということで、銀座にある本店を訪ねました。
  
【萬年堂の歴史】
c0187004_164140.jpg 萬年堂さん本店は、銀座にあります。東京メトロ銀座駅のA4番出口から6分程度、JR新橋駅銀座口からは5分で行けます。 
 萬年堂さんは、京都が創業の地です。
 元和3年(1617)京都寺町三条にて「亀屋和泉」を名乗り創業したそうですので、創業以来400年余りがたった老舗中の老舗です。
 京都で、御所、所司代、寺社等に菓子を納めていたそうですが、明治5年、遷都に伴い東京八重洲北槇町にお店を移して、「亀屋和泉萬年堂本店」の看板を掲げました。
 しかし、そのお店も震災 戦災で焼失し、銀座に移転したそうです。
 現在は、銀座に本店、浅草橋に支店があり、のれん分けしたお店として飯田橋に「いいだばし萬年堂」があります。

【御目出糖(おめでとう)】
 萬年堂さんの名物は、なんといっても「御目出糖」です。
 c0187004_1641773.jpgこのお菓子は、元禄年間から作っているそうです。もともとは江戸時代の初めに朝鮮から伝わったと言われる高麗餅がありました。
 その高麗餅を萬年堂で工夫をして赤飯様にしました。それを明治中頃に赤飯様の見た目から「御目出糖」と命名して、御祝儀菓子として販売しています。
 なお、本来の高麗餅を現在でも販売しています。
 
 写真の右が高麗餅、真ん中と左が「御目出糖」です。

 「御目出糖」のようなお菓子は滅多にみたことがないので、どう作るのか教えてもらいました。
 c0187004_1645098.jpg 御主人によると、これは、小豆あんに、数種類の餅粉・米粉類を混ぜてそぼろ状にして大納言(豆の名前)の蜜漬けを散らし蒸して作るそうです。
 作るのに3日間かかるといっていました。
  そぼろ状になっているのがわかるでしょうか?
  自宅で早速いただきました。
  甘味は抑えられていて、食感ももちもち感があります。
  見た目もきれいで、まさにご祝儀に最適です。
  常温で5日持つそうです。でもすぐに食べてしまいました。

c0187004_1643233.jpg 【太田蜀山人の書】
 お店には、太田蜀山人の書が展示されていました。
 ご主人に読み砕いていただきました。

 「万年とかぎれる亀も尾のながき ともにひかれて億兆やへん」

だそうです。
 まさに、萬年堂さんにふさわしい歌となっていて驚きました。
 その他にも永井荷風の色紙も飾られていました。
 こちらは、季節に応じて架け替えているそうです。
 御主人にはいろいろ教えていただきました。ありがとうございました。


 赤印が萬年堂さん本店です。
 この地図は新橋から描いていますが、東京メトロの銀座駅からも、そんなに遠くはありません。
 住所は東京都中央区銀座8-11-9です。




 
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by wheatbaku | 2012-02-22 08:32 | 江戸からの和菓子 | Trackback
上野風月堂 (江戸からの和菓子)
 今日は、上野の老舗、ゴーフルで非常に有名な「上野風月堂」さんのご紹介です。
 上野風月堂さんは、JR御徒町駅北口から徒歩2分、東京メトロ「上野広小路」駅A4出口の目の前で、上野松坂屋の前にあります。

【由緒ある老舗】 
 「風月堂」さんといえば、ゴーフルで大変有名です。
 この風月堂という名前は、寛政の改革を実行した松平定信が命名したのだそうです。
c0187004_1112744.jpg  そして、風月堂の文字をかいた暖簾は天保の改革を行った水野忠邦からいただいたそうです。
 こうした輝かしい歴史をもっている風月堂は、1751年(宝暦元年)に創業されました。
 創業当時は、「大坂屋」と名乗っていました。
 創業者は大住喜右衛門といい、大阪の出身でした。
 
【初代の養女は、水野忠邦の生母】 
 初代喜右衛門には子供がなく、恂(じゅん)という女を養女としました。
 この恂が、唐津藩主水野家に奉公に上がったところ、当主忠光の目にとまり、側室となり、後の老中水野忠邦を生みます。
 その後、忠邦が跡継ぎとなることが決まったために、宿下がりとなり、初代喜右衛門の家に戻り、婿として二代目喜右衛門を迎えました。
 水野忠邦は、生母の新しい夫、二代目喜右衛門を引き立てお出入りの菓子商人として厚く遇しました。
 そこから二代目喜右衛門は、松平家の御用菓子商人ともなりました。

【風月堂の命名は松平定信】  
c0187004_1104922.jpg  二代目喜右衛門は松平定信に気に入られ、松平定信から屋号として「風月堂清白」の五文字を賜りました。
 中国の詩人、蘇東坡(そとうば)の「前赤壁ノ賦」の一節「風清ク月白シ」から採った言葉だそうです。
 そして、「風月」は松平定信の雅号でもありました。
 喜んだ二代目喜右衛門がこれを水野忠邦に報告すると、水野忠邦は巨大な白布に「風月堂 」と当時の名書家市川米庵(いちかわべいあん)に揮毫させた暖簾をくれたそうです。

 この「風月堂」の暖簾の文字は現在も使われています。上野風月堂の正面入口の脇に、暖簾として飾れていました。(写真)
 風月堂の「風」の字が、一に白となっているのは、米庵が「虫」を嫌い、「虫」と同じ意を持つ「一日」と書いたところ、筆の勢いで「一白」となったからだそうです。
 また、商標の「白扇と三日月」は風を表現しているそうです。

【風月堂の暖簾を受け継ぐ上野風月堂】 
 上野風月堂さんは、風月堂五代目大住喜右衛門の息子、大住省三郎が創設したお店です。
c0187004_1123288.jpg 従って、総本店からすると分店なのですが、総本店は跡継ぎの夭折が続き、残念なことに昭和31年に休業してしまいました。
 そのため、現在、初代大住喜右衛門からの血を継承するのは「上野風月堂」さんのみとなってしまっています。

 風月堂とういお店は、日本各地にあります。
 その中で、銀座風月堂、東京風月堂、神戸風月堂が特に有名です。
 しかし、これらの風月堂のうち、上野風月堂と同じように、江戸時代からの暖簾と伝統精神を受け継いでいるのは上野風月堂と神戸風月堂だけだそうです。

c0187004_1125584.jpg【ゴーフルは西洋せんべい】   風月堂といえば、ゴーフルといわれるぐらい有名です。
 ゴーフルは西洋菓子と思われていますが、洋菓子の材料を取り入れた和菓子で西洋せんべいともいうべきものだそうです。
 小麦粉、砂糖、牛乳、バター等の材料を和菓子のせんべいを焼く技術を活かして 直径15cm、厚さ1mm程の円形にさっくりと 焼いたもの二枚で、薄く延ばしたクリームを挟んでつくるそうです。
 ゴーフルという言葉はフランス語で、英語のワッフルと同じで、「蜂の巣」を意味するそうです。

 今回、上野賦月堂さんの石本取締役営業部長から提供いただいた「『ふうげつ』物語」という本を参考に記事を書かせていただきました。
 また、店頭では、芹田店長さんに親切にご対応いただきました。
 石本部長さん、芹田店長さん、大変お世話になりました。ありがとうございました。

 赤印が上野風月堂さんです。

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by wheatbaku | 2011-07-16 14:37 | 江戸からの和菓子 | Trackback
岡埜栄泉 (江戸からの和菓子)
 今日から、上野の老舗の詳細を3回にわたり書いていきます。
 今日は、「岡埜栄泉」さんです。

 「岡埜栄泉」さんは、上野駅の広小路口を出て、マルイを目指して歩くと、正面に見えるビルの1階にお店があります。
 このビルは、岡埜栄泉さんのビルで、各階に飲食店が入っていますが、4階と7階は、岡埜栄泉さんの工場としても使用されているそうです。

 【「総本家」がポイント】 c0187004_14401626.jpg
 岡埜栄泉というお店は、都内各地にあります。上野にも、駅前と広小路通りにあります。
 今日紹介するのは、上野駅前の「岡埜栄泉」さんで、会社名は「株式会社岡埜栄泉」、屋号は「上野駅前岡埜栄泉総本家」です。
 「総本家」という名前を使用しているところがポイントです。
 お店の上の看板にも写真のように大きく書かれています。
 
 【「岡埜栄泉」のルーツは浅草】 
 「岡埜栄泉」のルーツは、浅草の駒形にあった「岡埜栄泉」だそうです。
 そこから、慶応から明治初期に親戚筋の五軒に暖簾分けされたうちの一軒が上野駅前岡埜栄泉だそうです。
c0187004_942346.jpg 
 上野駅前の岡埜栄泉は、創業者「岡野ちよ」によって、明治6年に創業され、創業以来まもなく140年になります。
 幕末から明治にかけて暖簾分けされた5軒は、上野、根岸、本郷三丁目、森川、竹早町にあり、本家を含め、いずれも岡埜(岡野)姓だったそうです。
 しかし、上野駅前店を除きいずれも閉店してしまっているそうです。
 そのため、本家の岡埜筋として最も古い歴史を持つため、「岡埜栄泉総本家」と名乗っているようです。
 東京には、各地に岡埜栄泉というお店がありますが、すべて別経営だそうです。
 総本家のお店はここだけだそうです。上野でも広小路通りに岡埜栄泉というお店がありますが、別経営のお店だそうです。

c0187004_945214.jpg 店内はあまり広くありませんが、逆にこじんまりしていてホッとする空間です。

 ところで、「岡埜栄泉」さんの5代目当主で株式会社岡埜栄泉の社長は、サーカーで有名な岡野俊一郎さんです。以前は、国際オリンピック委員や日本サッカー協会会長などを勤めていました。
 日本サーカー協会の会長の時には、FIFAワールドカップ日韓大会を成功させました。

 なお、現在、「岡埜栄泉」さんを、実質的に切り盛りするのは六代目の岡野だいすけ常務さんだそうです。
 なかなか、お忙しくて、連絡をとるのが大変でしたが、記事掲載を快諾していただきました。
 岡野常務さんありがとうございました。


c0187004_1440536.jpg 【塩味の効いた「豆大福」】 
 岡埜栄泉さんで最も有名なのが豆大福です。
 「米は宮城の「黄金餅」、小豆は十勝の大納言「とよみ」という厳選された最高級の材料を使用しているとのことで、塩味の効いた餡は絶妙な味でした。
 岡野だいすけ常務がみずから朝早くおきて豆大福を作られているそうです。
 それを聞くと、一段とおいしく感じました。
 1個200円です。

 赤印が、「岡埜栄泉」さんです。上野駅のまさに駅前です。

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by wheatbaku | 2011-07-13 09:26 | 江戸からの和菓子 | Trackback
福島家(江戸からの和菓子)
 染井散歩の際に、和菓子の老舗「福島家」に寄りました。
 今日は、その「福島家」の御紹介です。

 JR巣鴨駅前の白山通りを西に行くと巣鴨駅から徒歩1分程度の至近距離にあります。
 有名な「とげぬき地蔵」に向かう途中、北側の商店街の中にあります。

【幕末創業の老舗】
c0187004_1658884.jpg 「福島家」は幕末の文久元年には営業していた和菓子の老舗です。
 5代目ご主人の福島敏夫専務さんに応対していただきいろいろお話をうかがいました。
 ご主人によると和宮が降嫁する時には既に「福島家」さんは営業していているので、創業以来最低150年は経っているそうです。
 和宮が14代将軍家茂に嫁入りするために、京都から江戸に下った時は、中山道を通りました。
c0187004_16583459.jpg 中仙道の宿場は板橋ですが、ここだけでは大勢のお供の人たちを宿泊させられないので、当時、立場(たてば)であった巣鴨の町並み調査をした際の文書が残っているそうです。
 その中に、「福島家」さんの名前が「菓子商弥三郎(福島家)」として載っています。
 それによると、現在の巣鴨駅より南側にあったようです。その後、巣鴨にあった徳川慶喜の屋敷の表門近くに一度移転しました。
 しかし、その店が、昭和20年3月10日の東京大空襲により焼失したため、現在地に移転した歴史があるそうです。

【江戸時代の雛型帳】
 「福島家」さんでは貴重なものを見せてもらいました。それは、江戸時代の和菓子の雛形帳(見本帳)です。
 雛形帳には、慶応3年の奥付がありましたので、幕末には、利用していたものと思います。
 その装丁がしっかりしているのにまず驚きました。
 さらに驚いたのは、その中身です。
 江戸時代のものでありながら色が非常に鮮やかなのにビックリしました。
 下の写真のように鶴などのおめでたい図柄が多いのにも驚きました。
c0187004_16585022.jpgc0187004_220595.jpg


【復元された江戸の和菓子】
c0187004_172795.jpg 雛型帳に基づき復元しているお菓子もあるそうです。
 復元菓子は、練り切りの「江戸梅」「江戸桜」「江戸菊」、羊羹の「宮城野羹」が代表的なものです。
 左の雛形帳の真ん中が「江戸菊」の図案です。この「江戸菊」は六義園築庭300年記念のお祝いのお茶会のお菓子として供されたそうです。

c0187004_21595861.jpg 復元されたお菓子の中で「宮城野羹」は常時販売しています。こちらは羊羹です。
 また、桜の時期は、「江戸桜」という練りきりのお菓子を販売しています。
 そこで復元された「宮城野羹」(写真右)と「江戸桜」(写真左)を両方買ってみました。
 共に甘さを抑えた上品なお菓子で、江戸の風が吹いてくるようでした。


【染井さくらあんみつ】
c0187004_21132931.jpg 余りにも雛型帳が鮮やかなので、江戸検定1級の仲間に話をしたら、見たい見たいという希望者が多く、再度、ご主人のお話と雛形帳を見させていただきにお邪魔しました。

 この際には、店内の喫茶コーナーでお話を伺いました。
 この時、名物の『染井さくらあんみつ』(700円)をいただきました。

 その他、店内で甘味や軽食も食べられます。巣鴨に行く機会がありましたら寄ってみてください。

 福島専務さん、何回もお邪魔し失礼しました。それにもかかわらずご親切な対応ありがとうございました。江戸検定1級の仲間も大変よろこんでいました。御礼申し上げます。

 「福島家」は青印です。巣鴨駅前で、白山通りに面しています。

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by wheatbaku | 2011-04-28 21:45 | 江戸からの和菓子 | Trackback
大川屋の吉良まんじゅう (江戸からの和菓子)
 今日は、両国の和菓子屋さん 「大川屋」  のご紹介です。
 「大川屋」は本所松坂町公園の南側10メートルほどの至近距離にあります。

c0187004_227366.jpg 【明治2年創業のお店】 
  「大川屋」さんは、明治2年に日本橋牡蠣殻町で創業したそうです。
 その後、森下に移転し、戦後現在地にお店をだし、 それ以後、現在地で商売をしています。
 そんな老舗の「大川屋」さんですが、本所松坂町公園には何回も足を運びましたが、至近距離にあるのに、最近まで気がつきませんでした。
 江戸検一級仲間の何人かにも聞いてみましたが、知っている人は少なかったです。
 そんな「大川屋」さんの存在を教えてもらい、両国散歩の際に、ご案内しました。
 おいしい和菓子を心をこめて作られていて、お女将さんも親切な応対で、隠れた存在ながら、すばらしいお店でした。
 本所松坂町公園に行かれたら、ぜひお寄りするようお勧めします。

【吉良まんじゅうはきなこ餡】  
 「大川屋」さんの名物は、「吉良まんじゅう」です。
 この土地は、吉良様のお屋敷だったので、創作しましたとお女将さんはいっていました。
c0187004_2264417.jpg 普通のまんじゅうは、小豆餡が多いのですが、「吉良まんじゅう」はきなこ餡です。
 きなこ餡のまんじゅうが珍しいので、その由来をお女将さんにたずねてみました。
 お女将さんの話では、「吉良まんじゅうを創作した年、たまたま、小豆が不作でした。そのため、小豆餡でのまんじゅうができなくて、きなこ餡にしました」ということでした。
 2種類のきなこをつかい、香ばしさが出るよう工夫しているとのことでした。
 「吉良まんじゅう」を買って食べましたが、お話のとおり香ばしい匂いがしかっりしたおいしいまんじゅうでした。
 もう一つの名物が「隅田川最中」です。こちらも食べてみましたが、皮は薄く餡が一杯の最中でした。
 餡もまさに手作りの味がして、小さい頃に田舎で食べた餡を思い出しました。
 大川屋さんのお菓子はすべててづくりで、裏の作業場で作っているそうです。

【好評だった吉良まんじゅう】 
 両国散歩の際には、参加された皆さんも一杯買われていました。
c0187004_2273166.jpg  そして、すぐに試食し、おいしいおいしいと喜んでいました。
 「吉良まんじゅう」を買われた方が多かったようでした。

【上野介を敬慕する地元の人々】  
 ところで、大川屋さんのご主人のお母さんは、本所松坂公園を毎日掃除をしていたそうで、読売新聞にもとりあげられていました。
 お母さんは3年前に亡くなられてしまいましたが、公園の掃除は、現在も大川屋さんの関係者が続けているとのことでした。
 そんな話を聞いて、心が洗われるとともに、旧本所松坂町に住む人々の吉良上野介への敬慕の念をかいまみました。

 大川屋さん(ピンク印) 本所松坂町公園(青印)のすぐ南にあります。

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by wheatbaku | 2011-02-06 21:18 | 江戸からの和菓子 | Trackback
  

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