カテゴリ:七福神めぐり( 20 )
雑司が谷七福神(七福神めぐり)

先週、雑司が谷七福神もお参りしてきましたので、今日は、雑司が谷七福神のご案内をします。

雑司が谷七福神は、副都心線開通をきっかけに雑司ヶ谷の町おこしのために2010年『雑司が谷七福神の会』を結成したことにはじまり、2011年初詣より『七福神巡り』がスタートしました。

 

c0187004_10174437.jpg 色紙は1枚500円で、雑司が谷鬼子母神堂や雑司が谷案内処で買うことができます。

 しかし、この2ヶ所は七福神めぐりのちょうど中間点なので、ここで買うと七福神めぐりのコースとしては不便です。

 私は、池袋駅からスタートしましたので、仙行院で購入しました。ここでも少数であれば売ってくれるようです

 色紙は、それぞれの札所に設置してあるスタンプを各自が押していきます。

 御朱印のように寺社が押してくれないので簡易といえば簡易、味気ないといえば味気ない気もします。

 それでは、お参りした順にご案内していきます。

仙行寺(福禄寿)

c0187004_10101260.jpg 仙行寺は池袋駅からは5分程度ですので、七福神めぐりのスタートとしました。
 色紙はここで購入しました。
 仙行寺は、もともと江戸時代初期に創立された善行院と隣接の仙応院が明治41年に合併して仙行寺と改称したお寺だそうです。
 もとは小石川・白山にありましたが、合併と同時に池袋に移転してきました。

中野ピル(布袋尊)

c0187004_10101708.jpg 布袋様は、神社やお寺でなく、民間企業の中野ビルの前に鎮座しています。

中野家は大阪城の石材を供給していた小豆島の出身だそうです。

7代目が布袋尊を護持し、皇居の二重橋や国会議事堂等の石造建築を手掛けたそうです。

布袋尊像は戦火を被ったが.今は池袋復興のシンボルとしでお祀りされています。

観静院(弁財天)

c0187004_10102103.jpg観静院は法明寺の塔頭です。

観静院のある辺りは昔は一面の梅林で、梅林の中に天神堂があり、加藤清正が文禄~慶長の役の時御神体を守護神としたといわれています。

その後、法明寺塔頭として元禄初期に創立され、天神堂を吸収して現在に至っているそうです。

雑司ヶ谷鬼子母神(大黒天)

c0187004_10102591.jpg雑司が谷鬼子母神は、天正6年に、清土(文京区目白台)から出土した鬼子母神像を祀るため、里人たちが稲荷の杜に堂を建てたのが始まりと言われています。

現在の本殿は寛文4年(1664)に、前田利常の息女で安芸藩主浅野家に嫁した自昌院殿の寄進により建立されたもので、国の重要文化財です。

大黒天は、境内の大黒堂に祀られています。
 七福神の説明書には、大黒天は鬼子母神の夫神に当たると書かれています。

大鳥神社(恵比寿神)

c0187004_10102815.jpg大鳥神社は、正徳2年(1712年)、出雲松江藩主松平出羽守の嫡子が疱瘡にかかって際に鷺大明神により救われ、鬼子母神堂境内に勧請したのが始まりと伝えられています

慶応4年神仏分離令により、鬼子母神境内からわかれ、鷺大明神は大鳥神社と改称しました。

恵比寿様は、江戸時代に鬼子母神堂境内に鎮座していた頃、恵比寿神が合祀されていたことから、雑司が谷七福神の会が創設された際に大鳥大鳥神社に鎮座されました。

清立院(毘沙門天)

c0187004_10103261.jpg清立院は、770年前、真言宗・清龍寺として創立されました。

その後に村を疫痢から救った雲水が日蓮聖人像を寺に残したことから日蓮宗清立院と改められました。

木彫毘沙門天像は豊島区指定文化財です。


清土(せいど)出現所(清土鬼子母神)

c0187004_10103585.jpg雑司ヶ谷鬼子母神堂に祀られている鬼子母神尊像は清土(せいど)と呼ばれる地区から出土したと言い伝えられています。

清土出現所という名はこれに由来する名前です。

地元の人たちは親しみをこめて清土(せいど)鬼子母神と呼んでいるそうです。

吉祥天は鬼子母神の娘神です。



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by wheatbaku | 2017-01-10 10:04 | 七福神めぐり | Trackback
小石川七福神(七福神めぐり)

 

 小石川七福神巡りをしてきました。

 七福神めぐりは、長いこと、お正月の恒例行事として行ってきて、このブログにも以前書いていましたが、ここ2年ほどは、廻ることができませんでした。

 そこで、今年は思い切って、七福神巡りのための時間を作り、一昨日、小石川七福神巡りをしてきました。

 日枝神社、神田明神、湯島天神に初詣をした後でしたので、茗荷谷駅をスタートしたのは3時になってしまいました。

 日没が5時ですので、あわただしい七福神巡りとなりましたが、2時間で回りきりました。

 

小石川七福神は、平成7年に始まった比較的新しい七福神です

小石川七福神は次の8か所に鎮座しています。

c0187004_10051147.jpg深光寺 - 恵比寿

徳雲寺 - 弁財天

極楽水 - 弁財天

宗慶寺 - 寿老人

真珠院 - 布袋

福聚院 - 大黒天

源覚寺 - 毘沙門天

東京ドーム - 福禄寿

 東京ドームを起点とする道順と茗荷谷駅を起点とする道順がありますが、茗荷谷駅を起点にした方が、下り坂になるので、私は、茗荷谷駅からスタートしました。


1
、深光寺(恵比寿)

 深光寺は、茗荷谷駅2番出口を出て、左に行けば下り坂となり、右に行けば春日通りになります。その左側の下り坂を5分程下って行きます。すると拓殖大学の正門に出ます。その正門の向かい側の坂をすこし登ると本堂です。

深光寺は「しんこうじ」ではなく、「じんこうじ」と呼ぶようです。

浄土宗のお寺で寛永16(1639)に創建されました。

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 深光寺の本堂右手に恵比寿様が鎮座しています。

 ここに、色紙や案内図が揃えられていましたので、ここで色紙(500円)と案内図(100円)を購入してスタートしました。

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 本堂左手前には、滝沢馬琴のお墓があります。

 戒名が「著作堂隠誉簑笠居士」となっています。原稿料をもらった作家第一号であったといわれている滝沢馬琴らしく「著作堂」という戒名となっていますね。

 御住職のお話では、滝沢馬琴の御子孫のお墓もあるそうです。

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2
、徳雲寺(弁財天)

深光寺から徳雲寺に向かいましたが、徳雲寺に着くまでちょっと手間取りました。

徳雲寺は、南に面して表門があるものとばっかり思っていました。
 しかし、表門は春日通り側(つまり北側)にありました。

 徳雲寺は、臨済宗円覚寺派のお寺で寛永7年(1630)に創建されました。

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 徳雲寺の弁財天は、見慣れた女性像ではありませんでした。

 徳雲寺の弁財天は人面蛇身の弁財天でした。
 人面蛇身の弁財天なんてあるのと意外に思う方も多いと思います。

民間信仰には頭が老人で身体が蛇の姿をした宇賀神という神がありましたが、中世に伝来の弁財天と宇賀神この宇賀神と弁才天が習合して宇賀弁財天として信仰されました。

そのため、人面蛇身の弁財天もいらっしゃいます。

 徳雲寺の弁財天は、鎌倉の円覚寺の大鐘弁財天の分身だそうです。

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3、極楽水(弁財天)

極楽水は、現在は小石川パークタワーという高層の分譲マンションの中庭の中にあります。

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 極楽水の弁財天は、白蛇の弁財天と説明書に書いてありますが、実際には開扉されていませんでした。

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4、宗慶寺(寿老人)

 小石川パークタワーの道を一つ挟んだ北側に宗慶寺があります。

宗慶寺は、応永22年(1415)浄土宗中興の祖、了誉聖冏(りょうよしょうげい)というお坊さんが開いた庵が始まりです。

その後、徳川家康の生母お大の方が現在の伝通院に葬られ、聖冏(しょうけい)の開いた庵が移され「伝通院」とされました。つまり、「伝通院」の元となったお寺です。

 元和7年(1621)徳川家康の側室「茶阿の局」の墓所となり、法名にちなみ吉水山朝覚院宗慶寺と称するようになりました。
 「
茶阿の局」は松平忠輝の母です。そうして関係から、三つ葉葵の紋があります。

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 寿老人は、本堂の回廊に鎮座していました。

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5、真珠院(布袋)

 真珠院の本堂は、非常に近代的なお寺でした。

松本藩初代藩主水野忠清を開基として貞享元年(1684)年に創建されました。

水野忠清は家康の生母於大の方の甥となります。つまり徳川家康と従兄弟ということになります。

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 布袋様は、本堂右手の階段をあがったところの布袋堂に木彫の布袋様が祀られていました。

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 また、本堂下の通路を抜けると裏手が墓地になっており、そして墓地の奥に大きな布袋様の石像がありました。

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6、福聚院(大黒天)

 福聚院は、伝通院の山門の手前にあります。

 もともとは伝通院の子院だったようです。

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 ここの大黒様は「叶大黒」として有名です。

 第9回江戸検の「今年のお題『祭礼と歳事』」の参考図書「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」P120にも載っています。

それによると一般的は大黒像と違い、右手で袋の口を握り、左手で打出の小槌を握っていることから「叶(かなえ)の大黒」と呼ばれ、願い事が叶うと信じられ、甲子の日には大勢の参詣者で賑わったと書いてあります。

通常は、正月3日と甲子の日にしか、開扉されませんが、今年は1月7日が甲子であるため、特別に1月1日から7日まで開扉しているとのことで、運よく「叶の大黒」を拝むことができました。

「叶の大黒」は、武装したスタイルをしています。そして、製作年代が鎌倉時代に遡ることなどから貴重なものとして、文京区の文化財に登録されています。

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 福聚院は幼稚園を併設していて、境内が園庭となっています。
 その園庭の一画に咳が治るとお礼に唐辛子を供える咳止め地蔵が祀られていました。

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7、源覚寺(毘沙門天)

 源覚寺は、「こんにゃく閻魔」として知られているお寺です。

 その由来は、ある老婆が眼病治癒の願を閻魔にかけたところ、閻魔がその右目を犠牲にして老婆の眼病を治したと夢枕に立ち、眼が治ったので、老婆の好物のこんにゃくを断って供えたというものです

 こんにゃく閻魔も「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」に載っていましたね。

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 毘沙門天様は、本堂脇の毘沙門堂に安置されていました。
 源覚寺に着いたころは夕闇せまる頃でしたが、毘沙門天はライトアップされていました。

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8、東京ドーム(福禄寿)

 東京ドームに着いたのは4時45分でした。もうすっかり夕闇が迫っていました。

 スタンプ等は、22番ゲート向かいにある総合案内所に置いてありました。

 22番ゲートは、正面ゲートのようで、水道橋駅(つまり南側)にありますので、源覚寺からは、東京ドームの周囲を回るようにして向かいました。

 東京ドームでは、御朱印もスタンプ形式でした。

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 福禄寿様は、総合案内所から少し離れた場所にありました。
 分りにくいところにありますので、七福神めぐりをされる方は、総合案内所に鎮座されている場所を確認するとよいでしょう。

 福禄寿様は木陰に安置されていましたので、お参りした時には、スライドを使用しないとダメなほど暗くなっていました。

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 曇り空のため日没も早く感じられる天気なので急いで廻りましたが、まだ松の内ということもあり、各寺社で丁寧に御対応いただきました。
 
 日枝神社・神田明神・湯島天神で初詣、そして小石川七福神巡りを行い、今年も良い年になるようにお願いができ 有意義な一日でした。







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by wheatbaku | 2016-01-08 09:28 | 七福神めぐり | Trackback
日本橋七福神めぐり(人形町散歩)
 昨日は、江戸検一級2期会の特別例会で日本橋人形町を歩いてきました。
 そこで、今日と明日に分けて、その様子をお知らせします。
 今回のメインテーマは、①日本橋七福神めぐり、②人形町の甘味老舗めぐり、③人形町の史跡めぐりでした。
 そのうち、今日は、日本橋七福神めぐりについて紹介します。

 日本橋七福神は、比較的狭い範囲の中にあり、短時間で回れるので、個人的にはもう何回かお参りしてきているので、慣れた道筋ではありました。 
 しかし、昨日は、6日でしたが、七福神めぐりする人たちが多くびっくりしました。
 今回は、小伝馬町よりから順に七福神めぐりをしました。
 つまり、①椙森神社、②笠間稲荷神社、③末廣神社、④小網神社、⑤茶ノ木神社、⑥松島神社、⑦水天宮の順に巡ってきました。
 
1、椙森神社   恵比寿    詳細はこちら ⇒ 「椙森神社」

 参拝を待つ人で一杯でした。この後にも行列は続いていました。

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2、笠間稲荷神社  寿老神   詳細はこちら ⇒ 「笠間稲荷神社」

 写真手前では、参加者が地図を見ながら現在地の確認中です。奥には長い行列が見えています。
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3、末廣神社  毘沙門天   詳細はこちら ⇒ 「末廣神社」

 参拝客の行列が長く続いています。左手に列は伸びていました。

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4、小網神社  福禄寿、弁財天 詳細はこちら ⇒ 「小網神社」

 もっとも長い列ができていました。人気が高いようですね。

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5、茶ノ木神社  布袋    詳細はこちら ⇒ 「茶ノ木神社」

夕方近くなったので、参拝客が減ってきました。参加者ものんびり立ち話中です。

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6、松島神社  大国神   詳細はこちら ⇒ 「松島神社」

 神社の由緒書を熱心にみている参加者たちです。もう暗くなり始めていました。

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7、水天宮、  弁財天    詳細はこちら ⇒ 「水天宮」

 水天宮についたときは5時でした。夕暮れ時で、暗くなっていました。それでもかなりの参拝客がいたのは、さすが水天宮です。

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最後は、東京シティエアーターミナルの「龍鳳」で新年会でした。
全員で記念撮影です。2期会の皆さんお疲れ様でした。そして本年もよろしくです。
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by wheatbaku | 2013-01-07 00:30 | 七福神めぐり | Trackback
末廣神社 (日本橋七福神 ⑧)
 日本橋七福神の8回目で 「末廣神社」 です。日本橋七福神は、8神社をめぐりますので、今日が最後になります。
 末廣神社は、東京メトロ「人形町」駅A3番出口から2分のところにあります。

【末廣神社は、元吉原の氏神様】 
 江戸幕府が開かれる直前の慶長元年(1596)にはすでにお稲荷様の祠が鎮座していたそうです。
c0187004_9364929.jpg 末廣の名は、延宝3年(1675)に社殿を修復した際、本殿から末廣の扇が出たことに因むものだそうです。
 この末廣神社は、元吉原の氏神様です。
 
 現在の吉原は、浅草の北側にありますが、江戸時代の初めは、吉原は、現在の人形町あたりにありました。
 江戸時代のはじめ元和3年(1617)に庄司甚右衛門という人を中心に、幕府の許可を得て、沼地であった人形町近辺を埋め立て、遊女町を開きました。これが葭原(吉原)の起こりです。
 葭(よし)が生い茂っていたため葭原と名づけられたそうです。
「葭」の字を、縁起の良い「吉」に替えて「吉原」としたそうです。
 吉原が開設されてから40年たった明暦3年(1657)、幕府の命により、葭原の遊女町は浅草の新吉原へ移転しました。
 この移転後の新吉原に対して、人形町の方は元葭原と呼ばれるようになりました。
 この末廣神社は、吉原に遊女町があるころは、その氏神様として信仰を集めました。
 遊女町が移転した後は、幕府に仕える役人が多く住むようになり、その氏神として信仰されたといいます。
 
 元吉原がどのあたりなのか、宮司の奥さまに尋ねてみましたが、現在関心をもって調査をしているがまだはっきりとはしていませんという回答でした。


【毘沙門天は仏法守護の四天王の一人】 
 七福神は、毘沙門天がお祀りされています。 ふくよかな七福神の中で毘沙門天だけが鎧兜で武装した厳しい姿をしています。
c0187004_9372938.jpg  毘沙門天は、もとはインドの財宝福徳を司る神様で、サンスクリット語で、 ヴァイシュラヴェナと呼ばれていました。
 
 仏教に取り入れられてからは、仏法を守護する四天王の一人として北方守護の任を負い、四天王中最強の力を誇るとされました。

 我が国では、「毘沙門天」とともに「多聞天」の名でも呼ばれます。
 毘沙門天はヴァイシュラヴェナを音訳した名前です。
 一方、多聞天とは、ヴァイシュラヴェナを意訳した名前で、ヴァイとは「広く」とか「多く」を意味し、「シュラヴァ」は「聞く人」という意味です。
 単独で信仰されるときは「毘沙門天」、四天王の一人として信仰される時は「多聞天」と呼ばれることが多いようです。
 上杉謙信がこの毘沙門天を深く信仰したことで有名です。
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by wheatbaku | 2011-01-16 09:30 | 七福神めぐり | Trackback
笠間稲荷神社 (日本橋七福神⑦)
 日本橋七福神の7回目は笠間稲荷神社です。
 笠間稲荷神社は、東京メトロ「人形町」駅から徒歩4分です。

【笠間藩牧野家が勧請】 
 江戸時代、ここに笠間藩牧野家の下屋敷がありました。
 牧野家は、5代将軍綱吉の側用人であった牧野成貞の子孫の家柄で、成貞の長男貞通が初代藩主ですす。
c0187004_810403.jpg また笠間藩は、赤穂浪士で名高い浅野内匠頭のお祖父さん浅野長直が赤穂藩を領する前に藩主であったことがある藩です。
 その笠間藩牧野家の8代藩主牧野貞直が、幕末の1859年(安政6年) に、常陸の笠間稲荷神社より分霊を受けて建てたのが笠間稲荷神社です。

 笠間稲荷神社は、茨城県の笠間市にあり、日本三大稲荷(他は伏見稲荷神社、佐賀県鹿島市の祐徳稲荷神社)のひとつとして広く信仰を集めています。
 笠間稲荷神社は別名紋三郎稲荷と言われます。
 宮司さんの話によると、笠間藩主の弟に門三郎という人がいて厚く笠間稲荷神社を信仰するとともに領内にもひろめました。その門三郎さんの門がいつしか紋にかわり紋三郎稲荷と呼ばれるようになったとのことでした。
 東京の笠間稲荷神社の講の名前は「紋三郎講」となっていました。
 
【寿老神】 
 笠間稲荷神社には、七福神のうちの寿老神が祀られています。
c0187004_8114292.jpg  一般的には、寿老人とかかれますが、笠間稲荷神社では、寿老神と書かれています。
 福禄寿の説明の中で、福禄寿は「南極老人星」の化身だといいましたが、寿老人も、「南極老人星」の化身だと言われています。
 昔の中国の人たちは、この星を世の中が平和の時にだけ出現するめでたい星と信じ、また、皇帝の寿命を支配する星と信じていました。
 「南極老人星」が、唐の時代には、黒い頭巾をかぶって杖をつく老人の姿で描かれるようになりました。
  これが寿老人です。そのため、寿老人は福禄寿と同体異名という説もあります。
 寿老人の神使は鹿ですので、鹿が一緒にいると寿老人、鶴や亀がいると福禄寿として見分けます。

 笠間稲荷神社では、寿老神の神像は安置されていないのだそうです。寿老神がいると考えながら手を合わせてくださいというのが宮司さんのお話でした。

【弁慶像】 
 c0187004_811234.jpg 笠間稲荷神社に行く途中弁慶像がありました。 甘酒横丁を東に入り浜町川を暗渠にした緑地帯の中央に建てられていました。
 人形町周辺には、江戸時代は芝居小屋や人形芝居小屋がありました。
 芝居小屋は、中村座と市村座があり、人形芝居小屋には、薩摩座や結城座などがありました。
 人形を操る人形師や人形を創る人形師が多くいたため人形町と呼ばれるようになったといいます。
 そうした縁から、弁恵像が建てられたようです。
 




 
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by wheatbaku | 2011-01-14 06:13 | 七福神めぐり | Trackback
小網神社(日本橋七福神⑥)
 日本橋七福神6回目は 小網神社 です。 
 東京メトロ「水天宮」駅A6番出口から徒歩3分、半蔵門線「三越前」駅B6番出口からだと徒歩で7分かかります。

【創建以来550年】 
 小網神社は、室町時代中期京都で応仁の乱がおころうとしている頃の1466年(文正元)に創建された神社です。c0187004_21183494.jpg  創建以来550年がたつ神社です。
 もともとは、稲荷神社が起源で、「小網稲荷神社」といっていたそうです。
 明治の初めに現在の「小網神社」と名前をかえました。
  小網神社は、日本橋七福神の一つでもあり、「東京下町八福神参り」の一つでもあります。
 さらに、最近ではテレビやインターネットでパワースポットとして取り上げられたことから、遠方からの若い人の参拝が増えているそうです。

c0187004_20542185.jpg【強運の龍】 
 現在の社殿は昭和4年に建築されたもので、中央区の区民文化財に指定されています。
 社殿の正面左右の梁には昇り龍と降り龍の彫刻が施されています。  
 上が右側の梁に彫刻されている昇り龍です。
 下が左の梁に彫刻されている下り龍です。

c0187004_20543768.jpg  『戦時中、度重なる空襲から神社を守り、出征した氏子全員が無事に帰還したことから別名「強運の龍」と呼ばれ、強運厄除けの力が宿るといわれています。』
 というのが、小網神社の説明でした。

 しかし、七福神のガイドの際に、偶然地元出身の年配のご婦人と話をする機会がありました。
 その方のお父さんが「この神社から出征して行ったんです」と言われるので、「それでは無事復員されたのですね」と言ったら、そのご婦人は「いや戻りませんでした。」とのお話でした。
 出征された方の中には復員できなかった方もいたことを知り、次の言葉がなくなってしまいました。


【どぶろく祭り】 
 ここで有名なお祭りが11月28日(平成22年には11月29日)に開催される「どぶろく祭り」です。
c0187004_2143167.jpg これは、五穀豊穣を感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」で供え物のにごり酒「どぶろく」を参拝者に振る舞ったことが起こりで、「はっきりした記録はないが江戸時代後期ごろから」始まったとのことです。
 どぶろく祭りは、例年11月28日開催ですが、28日が日曜日の場合は29日に開催しているそうです。
 そのため、平成22年は11月29日に開催されました。
 どぶろくは例年約1,000人分ほど用意され、朝9時から夕方まで無料で提供されます。


 また、小網神社では、ススキでできた強運厄除けのお守り「下町のみみずく」をどぶろく祭りと正月元旦に2000円で授与します。
 大変人気があるものでなかなか手に入らないそうです。

【福禄寿】 
 小網神社では、七福神は、福禄寿と弁財天が祀られています。
 竜骨座の中に、「カノープス」という一等星があります。大犬座の「シリウス」に次いで全天で2番目に明るい星ですが、地平線ぎりぎりに見えるため日本ではあまり知られていません。
 中国では、この星は「南極老人星」と呼ばれていました。
 宋の時代以降には、「南極老人星」が、頭が非常に長く、白いひげをした背の低い老人として描かれるようになりました。
 これが福禄寿です。
 また、「福禄寿」は道教で理想とされる「福(幸運と子孫に恵まれること)」「禄(金銭・財産に恵まれること)」「寿(健康を伴う長寿)」をあらわしたものだという説もあります。
 福禄寿は、杖を持ち、時には鶴や亀を従えていることもあるようです。

c0187004_211917.jpg【弁財天】 
小網神社には、福禄寿のほか、弁財天が祭られています。
 弁財天は、この境内にあった萬福寿というお寺に安置されていたものだそうです。
明治2年に、そのお寺が廃止されたため、小網神社にお祀りされるようになったものです。それにちなんで、萬福舟乗弁財天といいます。
 また別名東京銭洗い弁天(確認済み)と呼ばれています。
 この由来を宮司さんに聞いたところ、参拝される人々が、自然発生的に銭洗い弁天と呼ぶので、そうよぶようになりましたとのことでした。
 境内の「銭洗いの水」でお金を洗うと、商売が繁盛し、お金が貯まるといわれています。
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by wheatbaku | 2011-01-13 05:24 | 七福神めぐり | Trackback(1)
茶ノ木神社 (日本橋七福神⑤)
 今日の日本橋七福神は、 「茶ノ木神社」 です。
 茶ノ木神社は地元ではお茶ノ木様と呼ばれて親しまれています。
 東京メトロ「水天宮」駅8番出口を出て徒歩1分です。

c0187004_159434.jpg【元々は堀田家の邸内社】 
 茶ノ木神社にお祀りしてあるのはお稲荷様です。
 江戸時代、この土地は、約3000坪もある下総佐倉藩堀田家の中屋敷でした。茶ノ木神社は、その守護神として祀られたものです。
 神社のまわりに丸く刈り込まれた茶の木が植えられていて、それが大変素晴らしかったので茶ノ木神社と呼ばれようになったそうです。
 その名にちなんで、現在のご社殿の周囲には、右下の写真のようにお茶の木が植えられています。
 宮司さんはいませんが、地元の自治会の人が出て、ご朱印やスタンプの対応をしてくれていました。


【火伏せの神様】 
c0187004_159372.jpg そして、長いこと、お屋敷と周囲の町屋にも火災が起こらなかった為、いつの頃からか火伏せの神様と崇められるようになりました。そのため、堀田家では年一回初午(はつうま)祭の日だけ門を開いて、一般の人の参拝を自由にさせたそうです。
 なお、初午は、2月の最初の午の日で、伏見稲荷神社の神様が初めて降り立った日とされており、各地の稲荷神社でお祭りが行われます。

 数年前までは、茶ノ木神社は下町の住宅街の中に建つあまり目立たない神社でしたが、再開発ビルのリガーレ日本橋人形町が建設されるに伴って平成19年に建て替えられ、様変わりしました。

【布袋様】 
 茶ノ木神社にお祀りされている七福神は布袋様です。
 布袋様は、七福神の中で唯一、実在のお坊さんがモデルとなった神様です。
c0187004_1595643.jpg モデルとなったこのお坊さんは契此(かいし)と呼ばれ、大きな太鼓腹で、いつも半裸でいました。
 そして、大きな袋を持っていました。その大きな袋が布製であることから、布の袋すなわち布袋と名がついたようです。

 元の時代の布袋和尚もモデルの一人とされることがあります。
 この布袋和尚は、不思議な力を持っていました。
 雪の中に臥しても身体が濡れなかったとか、人に吉凶を示すと必ずあたったとか、天気の晴雨を予知できたなどと言われています。
 こうした布袋が七福神に加えられた理由は、大きな布の袋とふくよかな笑顔が大黒天と結びついたうえに悠々自適で楽天的な布袋和尚の生き方が当時の人たちに「至福」の象徴として受け入れられたという説があります。
 また、布袋を弥勒菩薩の化身として信仰したとの説もあるようです

 茶ノ木神社の布袋様はかわいい布袋様でした。右手にもっているのはお茶の葉かなと思いましたが、再度確認すると軍配のようでした。
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by wheatbaku | 2011-01-11 21:59 | 七福神めぐり | Trackback
松島神社 (日本橋』七福神④)
 日本橋七福神4回目は  「松島神社」  です。
 松島神社は東京メトロ「水天宮」駅7番出口から徒歩2分です。

【松島神社はビルの中】 
 松島神社の由緒は、古い資料がすべて失われているのでハッキリしないそうですが、鎌倉時代末期の元亨年間以前の創建と伝えられているそうです。
c0187004_8194331.jpg 当時、この辺りは入り江の小島であり、下総からここに移住してきた柴田家が自分のお屋敷の中にお稲荷様を祀ったとされています。毎晩、燈火(あかり)を掲げたので、舟人はそれを目標にして航路を確保したといわれています。
 江戸幕府が開かれる直前 の天正13年(1585)、 人々の希望により、屋敷を開放して一般の人の参拝を認めたそうです。
 そして、島内に松が生い茂っていたことから松島稲荷大明神と呼ばれたといいます。
 江戸時代中期 正徳3年(1713) に新らしく町が開かれるに当たり、松島稲荷に因んで、この付近は「松島町」と名づけられました。そして昭和8年に蛎殻町に改称されるまでその町名が残りました。
 大正5年には、松島稲荷神社から松島神社と改称しました。
 現在は、平成6年に建設された11階建てビルの1階に鎮座しています。

【大黒様でなく大国様】 
 松島神社でお祀りされている七福神は、大国様です。
c0187004_820798.jpg 大黒様は、一般的には大黒と書くことが多いのですが、松島神社では、大国と書いています。
 
 大黒天はもともと、インドのシヴァ神で、サンスクリット語で、マハーカーラと呼ばれる神様です。 
 マハーは「大きい」、「カーラ」は「黒」という意味です。
 「大黒」とは、「マハーカーラ」を意訳した言葉です。
 また、「大黒」は、大国主神(おおくにぬしのかみ)の「大国」と「だいこく」という音で通ずるところかとから、二つの神様はしだいに一体視されるようになりました。
 この松島神社では、大国主神(おおくにぬしのかみ)をお祀りしているので、大国神と呼んでいます。

 大国主神と一体視される中で、憤怒の形相から満面笑みを浮かべた優しい顔をして、大きな袋を担ぎ、打出の小槌をもった大黒天になりました。
 大黒天が大きな袋を背負っているのは、大国主神が因幡の白兎の説話において、兄神たちの荷物を入れた袋を持っていたためです。
c0187004_824128.jpg
 打ち出の小槌の「槌」は「土」、すなわち様々のもの生み出す「大地」を意味するのだとも言われています。
 大黒天の頭につけた頭巾は「上を見ない」という謙虚さ、二つの米俵は「二俵で満足する」という欲張らない清廉な心を示しているという説もあります。

 また、大黒天の神使はネズミです。
 これは、大国主神が危機に陥った時にネズミが助けたからだとか米俵とネズミは関係が深いからだとか言われています。

 松島神社の前の通りを大門通りと言います。元吉原の大門があったことにちなんでいるとのことです。

 赤印が松島神社です。
 東京メトロ半蔵門線水天宮前駅5番出口より徒歩約1分
 東京メトロ日比谷線人形町駅A1出口より徒歩約3分です。

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by wheatbaku | 2011-01-11 05:17 | 七福神めぐり | Trackback
水天宮 (日本橋七福神③)
 今日の日本橋七福神めぐりは安産の神様として有名な 「水天宮」 です。
 東京メトロの水天宮駅5番出口を上がればもう水天宮です。

【水天宮のご祭神】 
 水天宮は安産の神様として有名ですが、それでは、お祀りされている神様はどなたかというと意外と知られていません。
c0187004_10152999.jpg この水天宮にお祀りされている神様は、来年の大河ドラマの主人公平清盛の関係者です。
 水天宮には、安徳天皇、建礼門院、二位の尼が祀られています。(正しくは、さらに天御中主大神 〔あめのみなかぬしのおおかみ〕という神様もご祭神です。)
 まず二位の尼は平清盛の奥さん、建礼門院は清盛の娘で高倉天皇に嫁ぎ安徳天皇を産みました。安徳天皇は清盛の孫になります。
 この三人は、壇ノ浦の戦いで、平家が敗れた際に入水自殺しました。安徳天皇とニ位の尼はなくなりましたが、建礼門院は助けられ京都大原寂光院(じゃっこういん)で安徳天皇と一門の菩提を弔らいながら59歳でなくなりました。
 この三人の霊を慰めるためお祀りしたのが水天宮の始まりです。
 水天宮の総本宮は九州の久留米にあります。

【水天宮は有馬家の邸内社】 
 東京の水天宮は、久留米藩第9代藩主有馬頼徳(ありまよりのり)が、久留米から分霊をして、1818年(文政元年)、現在の港区にあった久留米藩の上屋敷に、水天宮をお祀りしたのが始まりです。c0187004_1036367.jpg
 江戸っ子たちの間で篤い信仰を集め、塀越しにお賽銭を投げ入れる人が後を絶たたなかったため、ついに毎月五の日に江戸っ子のためにお屋敷を開放しました。
 その後、明治維新を迎えて、水天宮は明治4年に青山の中屋敷に移り、さらに翌年の明治5年に、日本橋蛎殻町の下屋敷すなわち現在の場所に移転しました。
 従って、江戸時代には、ここに水天宮はありませんでした。
 右の写真は弁財天のご社殿の屋根越しに見た水天宮のご本殿です。

【安産の神様】 
 さて、水天宮といえば安産の神様といわれますが、
 安産の神様として有名になった由来は、御由緒によると、
c0187004_1024674.jpg 『ご社殿の前には神様をお呼びするために鳴らす鈴があります。そこに下がっている晒しの鈴紐を「鈴の緒」といいます。 この鈴の緒は月に一度は新しい物と交換します。
 江戸時代、参拝した妊婦が鈴乃緒のお下がりをいただいて、腹帯として安産祈願したところ、とてもご利益があり、これがひとづてに広まった』ということだそうです。
 また、何故、「戌の日」に安産のお願いをするかと言うと、古来、犬はお産が軽いので「戌の日」に帯を巻く習慣が古くからあるということにあやかっているとのことです。
 境内には、安産の神様らしく、「子宝いぬ」というものもあります。

【弁財天】 
 水天宮にお祀りされている七福神は弁財天様です。
c0187004_10165938.jpg 弁財天は一般に弁天様と呼ばれる七福神の中の唯一の女神です。
 弁財天はもともとは、インドの水を司る神様で、サンスクリット語で、「サラスヴァティー」と呼ばれていました。サラスヴァティーとは水を持つものという意味だそうです。
 水の流れる音から、音楽の神様、弁舌の神様としても信仰されました。

 日本では、日本固有の神様である宗像神社や厳島神社に祀られている市杵島姫(イチキシマヒメ)と同一視された結果、琵琶を抱く色白の美女の姿で表されることが一般的になりました。
 しかし、水天宮の弁財天は手に琵琶を持たず剣や矢を持つ勇ましい姿です。 
 ただし、五の日と巳の日のみご開帳されるそうですので、平日は拝観できません。
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by wheatbaku | 2011-01-10 10:03 | 七福神めぐり | Trackback
椙森神社 (日本橋七福神②)
 日本橋七福神の2回目は、恵比寿神をお祀りしている 椙森神社 です。
 椙森神社は、東京メトロ「小伝馬町」駅4番出口から徒歩4分です。

【江戸三森の一つ】  
c0187004_8582114.jpg 椙森神社は、平将門が朝廷に反乱を起こした天慶の乱の時に藤原秀郷が戦勝を祈願した所とも言われます。
 また太田道灌が雨乞い祈願のため、伏見稲荷神社の神様を勧請して信仰したとも伝えられています。
 江戸時代には、神田にある柳森神社、新橋にある鳥森神社とともに江戸城下の三森の一つに数えられ、椙森稲荷として庶民の信仰を集めました。 

【富塚の碑】  
 境内に富塚の碑が建立されています。
c0187004_8585192.jpg  椙森神社の富くじは江戸三富の一つにかぞえられたとのことで、盛大に行われた富興行をしのんだものです。
  富くじは、現在の宝くじの原形といえるもので、神社仏閣が改修費用を集めるために行われました。
  しかし、天保13年(1842年)天保の改革を進めた水野忠邦により廃止されてしまいました。
 この碑は大正8年に建立され、昭和28年に再建されたものです。   
 柳家小さんの「宿屋の富」という落語には、この椙森神社での富くじが出てきます。
  なお、江戸三富とは谷中の天王寺と目黒のお不動様それに湯島天神であるという説のほうが有力です。 

【恵比寿神は恵比寿祭りの時だけご開帳】 
 椙森神社にお祀りされている七福神は恵比寿様です。
 恵比寿様は七福神の中で、ただ一人の日本の神様です。
 最初、恵比寿様は漁業の神様でしたが、やがて商売繁盛の神様となりました。
 10月20日に商家で恵比須様ををまつり、親類・知人を招いて祝う行事が恵比寿講です。
 椙森神社でも、10月19日と20日は恵比寿祭が開催されます。
 七福神巡りの札所の多くでは、お正月の7日までは、七福神を開帳しているのですが、見当たらないので宮司さんに尋ねました。
 宮司さんのお話では、椙森神社では、恵比寿様は、10月19日20日の恵比寿祭りの時にだけ開帳しているそうで、お正月は開帳しないそうです。
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by wheatbaku | 2011-01-07 05:42 | 七福神めぐり | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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