カテゴリ:御府内八十八ヶ所( 22 )
仏乗院(御府内八十八ヶ所)
 昨日は、秦野市にある御府内八十八ヶ所の77番札所仏乗院に行ってきました。

 御府内八十八ヶ所の札所は、東京23区内にあります。
c0187004_120356.jpg しかし、唯一遠方にあるのが、77番仏乗院です。
 仏乗院は、神奈川県秦野市の丹沢山地の入り口にあります。
 秦野は、小田急線で急行でも新宿から1時間ほどかかります。
 そのため、埼玉に住んでいる私にとっては、一日がかりの日程になるため、なかなか行きにくい場所です。
 そこで、どうしても、最後の方になりがちです。
 しかし、昨日は、思い切って行ってきました。

 仏乗院は、もともと秦野市にあったわけではありません。
 港区三田のいわゆる三田寺町の一画にありました。それが、昭和62年(1987)に秦野市移転しました。

c0187004_1203385.jpg 仏乗院には、小田急線秦野駅から蓑毛行きのバスに乗り、終点蓑毛まで乗ります。
 約25分でした。
 バスを降りて、県道から右に金目川沿いに坂道をのぼっていきます。
 右写真は、バスを降りた場所から写した入り口です。
 写真左手に金目川にかかる蓑毛橋が写っていますが、その手前の道を右手に上っていきます。

 c0187004_1205861.jpg その坂道500mほど歩いたところに割烹料理「蓑庵」があります。
 その右脇に仏乗院へ入る小さな山門があります。(右写真)
 その山門を入りますと、右手にお稲荷様があり、その先に御本堂があります。
 右最上段写真は、山門を登り切った場所から写した仏乗院の本堂です。
 山腹に建てられているため、本堂に上る階段は急階段ですが、その本堂の立派なのに驚きました。(右下写真)


 
c0187004_1211449.jpg 仏乗院がいつ開創されたからははっきりしないとのことですが、江戸時代の初めに八丁堀に創建されました。
 その後、八丁堀から三田寺町に移りました。
 三田寺町には、八丁堀が大名屋敷や幕府役人(奉行所の与力同心と思われる)の屋敷になったため、八丁堀から移転してきたお寺が多くあります。
 仏乗院も同様な事情があったものと思われます。


c0187004_124191.jpg その仏乗院が、なぜ、秦野市移ることなったかですが、先代御住職の奥様のお話では、バブル期に、土地を売ってほしいとのお話があったのがきっかけだったそうです。
 当初は当然難色を示したものと思われますが、総代の方たちとの相談の結果、移転を決めたとのことです。
 仏乗院は、祈願寺であったため、遠方への移転も検討可能であったため、たまたま、現在地の売却の話があり、秦野に決定したとのことでした。
 秦野に移転して、約30年になるとのことでした。

 仏乗院の、ご本尊様は、千手観世音菩薩様です。
 この仏様の製作時期ははっきりしないとのことですが、秘仏とされていて、5年に一度御開帳があるとのことです。
 また、御前立のご本尊様も秘仏となっていて、こちらも年に一度のみ御開帳されるとのことでした。

c0187004_1228106.jpg さて、仏乗院の手前にある割烹「蓑庵」ですが、現在は閉店していますが、仏乗院が経営していたそうです。
 もともと、仏乗院のある現在地は、「蓑庵」の敷地だったようです。
 そして、蓑庵の売却の話があり、それを仏乗院が購入したという事情のようです。
 「蓑庵」は、おそばが名物でしたが、そばを打っていたのは先代ご住職の奥様だったようです。
 その奥様が、腰を悪くしたため、やむをえず「蓑庵」を閉店したとのことでした。

 仏乗院のある場所は丹沢山地と聞いていたので、もっと山深い場所からと思っていましたが、バス便もそれほど悪くなく、道路も舗装されていて歩くのにも支障ないところでした。
 法事が終了して、節分の準備中とのことでしたが、先代御住職の奥様に丁寧にご対応していただき、いろいろなことを教えていただきました。
 奥様大変ありがとうございました。
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by wheatbaku | 2014-02-03 11:41 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
第3番 多聞院 (御府内八十八ヶ所めぐり)
 昨日に続いて今日も「御府内八十八ケ所めぐり」の札所で、烏山寺町にある「第3番多聞院」のご案内です。

c0187004_17145533.jpg 「多聞院」は、京王線「千歳烏山」駅から徒歩で約13~14分の世田谷区北烏山にあります。
 「千歳烏山」駅を降りて北に向かいます。
 駅前商店街を通り抜け、甲州街道を横切り、住宅街を通り、中央高速道路をくぐると、この一帯は、いわゆる「烏山寺町」と呼ばれる地区で、「多聞院」はその最南部にあります。
 烏山寺町ができたのは、大正11年の関東大震災の後、浅草・築地・本所等で焼け出された22の寺院が集団移転したものが始まりで、その後4ヶ寺が移転してきていて、現在では、この界隈に26の寺院があります。
 中央高速道路の下に、烏山寺町の全体を描いた地図があります。
 それによると、大正13年に4ヶ寺、大正14年に1ヶ寺、大正15年に3ヶ寺、昭和2年に7ヶ寺、昭和3年に7ヶ寺、昭和4年、昭和12年、昭和14年、昭和24年に、それぞれ1ヶ寺移転しています。
 最後の昭和24年に移転してきたのが、「多聞院」」です。

c0187004_17152492.jpg 多聞院は、正式名称を金剛山多聞院悲願寺という真言宗豊山派に属する寺院で、御本尊は地蔵菩薩です。
 お寺の由緒書があるか尋ねたところ「特に作っていません」ということで、詳しい歴史はわかりませんが、多聞院は、寛永5年(1628)、述誉上人が開山、角筈村名主の傳右衛門の先祖である與兵衛という人物が開基となって、新宿角筈村に創建された寺院です。
 その後の昭和20年5月に空襲のため焼失してしまいました。戦後、東京都が計画、実施した新宿駅周辺の復興を目指す区画整理事業の要請を受けて、昭和24年に現在地へ移転しました。

c0187004_17154452.jpg 境内右手に立派な石造涅槃図があります。
 これは、奈良の壺坂寺より寄贈されと記されています。
 御住職夫人のお話による先々代御住職が壺坂寺の御住職であった縁で壺坂寺からおくらたとのことです。
 涅槃図の脇にある石碑によると、壺坂寺には、長年の救ライ活動に対する感謝の意を込めて、インド政府から高さ20メートル、重さ1200トンの大観音石像が贈られ建立されているそうです。
 この石造涅槃図は、先々代住職のために、当時の壺坂寺住職が、特にインド政府に依頼して制作されたものだそうです。
 石材はインドのデカン高原産の名石を使い、インドの文化勲章受章者マイソール大学名誉教授シェノイ博士が中心になり南インドの彫刻師たちにより制作されたものとのことです。

c0187004_1716369.jpg  石造涅槃図に並んで仏足石がありました。
 脇の説明板には次のような説明がされています。
 仏足石は、お釈迦様が説法する際に立った岩や石に残ったお釈迦様の足の裏の相の跡をそのまま石に刻んだものです。人々はそれを有り難く拝みました。
 お釈迦様の像が作られるようになったのは、その数百年後のことで、仏足石は、仏像の「基」となるものだそうです。

 赤印が多聞院です。

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by wheatbaku | 2013-12-17 08:59 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
第25番長楽寺(御府内八十八ヶ所めぐり)
 昨日12月15日は、川口神社のおかめ市(酉の市)でした。
 埼玉県では、「酉の市」は、12月8日が熊谷高城神社の「酉の市」、12月10日が大宮氷川神社の「十日市(とおかまち)」、12日が浦和調神社の「十二日まち(じゅうにんちまち)」、そして15日が川口神社の「おかめ市」と北から順に南下してきます。
c0187004_9182586.jpg 私が勤めている会社では、「おかめ市」にお参りしてその後忘年会を行うというのが年末の恒例行事ですので、今年は日曜日でしたが、例年どおり、参拝および忘年会に行ってきました。
 今年のおかめ市は、例年に比べて参拝客が多く、参道は大勢の人で混み合っていました。
 参道に飾られている熊手を購入する人も多かったように思います。
 天候が穏やかであったのと景気がいくらかよくなってきた現れではないでしょうか。

 さて、日曜日に出かけるので、どうせならばと「御府内八十八ヶ所めぐり」でまだ参拝していないかった京王線沿線の2ヶ寺にお参りしてきました。
 日野市にある第25番札所の「長楽寺」と世田谷区北烏山にある第3番札所の「多聞院」です。
 そこで、今日は、「長楽寺」のご案内をします。

c0187004_9185112.jpg 「長楽寺」は、日野市の京王線および多摩都市モノレールの「多摩動物公園駅」の目の前の多摩丘陵を開いた高台にあります。
  右写真は、京王線の多摩動物公園駅のプラットホームから撮ったものですが、ちょうどモノレールが「長楽寺」の本堂と阿弥陀堂の前に通りかかったタイミングを写しました。
 右の赤い屋根が本堂で左の赤い屋根が阿弥陀堂です。
 この写真と最下段の参道が長い坂となっているのを見ていただくと長楽寺が高台にあるのがわかるかと思います。

c0187004_9192111.jpg 長楽寺は、いただいた資料によれば、元和6年(1620)当時の代官であった渡辺与兵衛が頼音和尚に帰依し、角筈村(現在の新宿・東京オペラシティのあたり)に開山されたとのことです。
慶安3年(1650)正月に、4代将軍・徳川家綱が府中の六所宮(大国魂神社)を参拝した際に長楽寺に立ち寄り「六所山」の山号と宸筆を拝領しました。
c0187004_9272018.jpg その後、鷹狩りの際には将軍が中食を食べる場所として長く利用されました。
  しかし、昭和20年(1945)の戦災で堂宇が焼失し、戦後、初台の地に仮本堂を建立されたものの、移転することとなり、昭和34年現在地に移転しました。
 御住職奥様のお話では、すべての墓石を移転復元し遺骨も丁寧に改葬されたそうで、いまでは移転後55年が経って、元々ここにあると思っている檀家の方々も多いそうです。
 ご本尊様は、不動明王像で、江戸城から下賜されたものとのことですが、秘仏で公開されていませんので、本堂(右上写真)の外から拝観させていただきました。
 また、江戸時代の弘法大師像もあるようですが、寺務所前の大師堂の弘法大師像(右写真)に読経させていただきました。
 

c0187004_9194251.jpg 昭和20年の空襲で焼失したものが多く、江戸時代の物はほとんどないとの奥様のお話でしたが、お寺入り口に庚申塔が2基建っていました。
 写真左手の2基の像が庚申塔です。

 「長楽寺」は真言宗豊山派のお寺ですが、奥様とお話をしていると私が檀家となっているお寺の前住職とお知り合いであることがわかり、不思議な縁を感じたお参りとなりました。

 赤印が「長楽寺」です。

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by wheatbaku | 2013-12-16 09:01 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
長命寺(御府内八十八ヶ所めぐり)
 先日御府内八十八ヶ所めぐりの第17番の東高野山長命寺に参拝してきました。

 長命寺は、西武線の練馬高野台駅から徒歩3分の場所にあります。
 順天堂大学練馬病院の北側にあります。
c0187004_9312976.jpg 長命寺の山号は東高野山と言います。
 これは文字通り東の高野山という意味のようです。
 すごく立派な南大門が参拝者を迎えてくれます(右写真)
 お寺の境内も広く、山門、本堂、奥の院と整っていて山号にふさわしいお寺です。 
 下の本堂を撮った写真をみていただくと境内の広さがおわかりになると思います。

【長命寺の歴史】
 長命寺の草創は、慶長18年慶算が開基したものです。
c0187004_9315295.jpg 慶算は、小田原北条氏の一族で増島重明と言いました。
 北条氏没落後、高野山に登り修行中弘法大師の木像を感得しお寺を建てたのが始まりだそうです。
 その後、慶算の志を継いだ重明の甥の増島重俊が金堂等の堂塔を整備し、寛永17年長谷寺小池坊秀算が谷原山(こくげんさん)妙薬院長命寺と名付けました。
 江戸幕府からは9石5斗の御朱印を受けていたそうです。
 本尊は十一面観音で観音堂に祀られていて、本堂には不動明王がまつられているとのことでした。
 
【奥の院】
c0187004_9321382.jpg 本堂の西側には、高野山を模したという奥の院があります。
 これは増島重俊が慶算の志を継いで整備したものです。
 奥の院には弘法大師を安置した大師堂があります。
 そこに至る参道の両側には供養塔や灯籠などが林立していて霊場にふさわしい雰囲気を醸し出しています。
 c0187004_9325258.jpg 奥の院は、よくよく見ると大規模ではないのですが、不思議とすごく広く感じさせる場所になっています。
 この奥の院は東京都の指定旧跡となっています。
 大師堂の裏には、慶安年間に造られた3代将軍家光の供養塔や十王像や十三仏が並んでいます。
 十王は、地獄で亡くなった人の生前の罪業を判断する10人の王です。閻魔大王も十王の一人です。
 
【仁王門】
c0187004_9331776.jpg 長命寺は江戸時代に建築された建物も明治30年の火事で本堂庫裏を焼失してしまいました。現在の本堂は明治37年に再建されたものです。
 南大門の東側にある仁王門は寛文年間の建立で、長命寺で最も古い木造建築物です。
 仁王門には、かつてはその名のとおり仁王様が安置されていたそうです。
 入母屋造で屋根は銅板葺きです。 練馬区の指定文化財です。

【長命寺の梵鐘】
c0187004_9334217.jpg また、南大門の内側にある鐘楼に吊るされた鐘は慶安3年鋳造の鐘だそうです
 長命寺の梵鐘は、銅製で、総高115センチメートル、口径63.2センチメートル、縁厚(えんこう)6.3センチメートルだそうです。
 また、銘文によれば作者は、江戸時代に多くの鐘を造った矢沢次郎右衛門吉重という鋳物師だそうです。
 こちらも練馬区の指定文化財です。

 赤印が長命寺です。

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by wheatbaku | 2012-02-08 09:03 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
禅定院(御府内八十八ヶ所めぐり)
 昨日の三宝寺に続いて、今日は、「禅定院」です。
 禅定院は、御府内八十八ケ所の70番札所です。

 禅定院は、三宝寺の手前にあります。
石神井公園駅から距離は約1キロメートルあり、歩くと10分程度です。
 禅定院前」というバス停があり、石神井公園駅からは、西武バスと関東バスが出ています。
 バス停からは1分です。

c0187004_17273212.jpg【禅定院の由来】
 禅定院は、照光山無量寺といい、真言宗智山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。
 今から約600年前、願行上人という人物によって開かれたお寺であると伝えます。
 文政年間(1818~30)の火災で、建物・記録などことごとく焼失しましたが、境内にある応安・至徳(南北朝時代)年号の板碑があるため、この寺のも創建の古さをうかがうことができるそうです。


c0187004_17275236.jpg【キリシタン灯籠】
 本堂前のねりまの名木である大きなヒヨクヒバの下に区指定の文化財・織部灯籠(別名・キリシタン灯籠)があります。
 寛文13年(1673)と刻まれています。
 この織部灯籠は、竿にマリア像に似た石彫りがあり、別名キリシタン灯籠といわれています。
 これと同じ形のものが、新宿の太宗寺にもあり、おなじように「キリシタン灯籠」と呼ばれていました。

c0187004_17281437.jpg【六地蔵】
 キリシタン灯篭の脇には石造の六地蔵があります。
 六角形の石柱の六面にお地蔵様が刻まれています。
 この六地蔵は石神井村の光明真言講中によって造立されたものだそうです。
 またと鐘楼前に大宝篋印塔がありましたが、これも光明真言講中により建立されたものだそうです。


c0187004_17283390.jpg【いぼ神地蔵】

 鐘楼脇の墓地入口には、「いぼ神地蔵」がありました。
 いぼの治癒に霊験のあるそうです。



赤印が禅定院です。石神井公園の南にあります。

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by wheatbaku | 2012-01-17 14:39 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
三宝寺(御府内八十八ヶ所めぐり)
 御府内八十八ヶ所めぐり」の続きです。
 今日と明日は、西武池袋線「石神井公園」駅が最寄り駅の札所2ヶ寺をご案内します。
 16番札所の三宝寺と70番札所の禅定院の2ヶ寺です。

 今日は、「三宝寺」です。御府内八十八か所巡りの十六番札所です。
 「三宝寺」は石神井公園駅から距離で1.5キロあります。歩くと約20分かかりますので、バスを利用するとよいと思います。

【三宝寺の由来】
 三宝寺は、山号を亀頂山(きちょうざん)といい不動明王を本尊とする真言宗智山派のお寺です。
c0187004_1074768.jpg  三宝寺は南北朝時代の応永元年(1394)、鎌倉大楽寺の権大僧都幸尊(ごんのだいそうずこうそん)が開山したと伝えられています。
 亀頂山という山号は霊亀状丘陵の頂点たる景勝を嘉して名付けられたと伝えられています。
 文明9年(1477)石神井城落城の後、太田道灌が現禅定院(東方約500メートル)付近から石神井城の跡にあたる現在の地に移ったといわれています。
 その後は、後北条氏や徳川氏からも保護を受け、江戸時代には近くに数十の末寺をもっていたと云います。
 本堂(上写真)は、昭和28年に再建されたものです。

c0187004_1081040.jpg【大師堂】
 本堂の裏手に「大師堂」(右写真)があります。
 大師堂は、昔は経堂と呼ばれていた一切経などを納めた経蔵でした。
 ここに千体地蔵と弘法大師を安置していたので専ら大師堂と呼ばれました。
 近年までは朱塗りの小堂だったそうですが、昭和42年に改築された後、平成4年に現在地に移築されたものです。

c0187004_1083025.jpg【守護使不入の石碑】
表参道に「守護史不入」(しゅごしふにゅう)の石碑が建っています。 左の写真の右手の石柱です。
 「守護史不入」とは、 守護の徴税使であっても入れないことを示しています。
 この石碑がいつ建てられたものか、石碑に年号を探しましたが年号は刻まれていませんでした。

c0187004_1085314.jpg【御成門】
「御成門」ともいわれる山門(右写真)は、三代将軍家光が狩りをした時、ここを休憩所としたことからこのように呼ばれるようになりました。
 棟札によると、三宝寺23世の宥泉和尚が再建したもので、文政10年(1827)7月26日に竣工したものです。
 練馬区の登録有形文化財です。
 江戸時代は、平常は門扉を閉ざして庶民の通行は禁じていたと言われています。

c0187004_1091212.jpg【鐘楼】
 鐘楼は昭和49年に改築されたもののようですが、梵鐘は、江戸時代の延宝3年(1675)に鋳造されたもので、増上寺の大鐘を鋳た時、その余銅をもって造ったと伝えているそうです。
 練馬区の指定有形文化財です。


【勝海舟の屋敷の長屋門】
c0187004_14223016.jpg 山門の東側にある長屋門は、練馬区旭町兎月園にあった勝海舟の屋敷門が所有者の明電舎の事情により取り毀しになるところ、当時の練馬区長のあっせんで昭和35年11月解体移築されたものだそうです。
 兎月園というのは東武鉄道の創設者根津嘉一郎により大正13年に開設されたレジャー施設だそうです。

 三宝寺の裏手には、石神井城の跡があります。石神井城は室町時代まで武蔵国豊島郡で勢力を持っていた豊島氏の拠点です。
 文明9年(1477)、太田道灌に攻められ落城しました。 
 また三宝寺の東隣りは、豊島氏の菩提寺である道場寺があります。
 今回は、石神井城跡や道場寺を観ることができませんでした。いつか時間をとってゆっくり回りたいと思います。

赤印が三宝寺です。石神井小学校が目安になります。

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by wheatbaku | 2012-01-16 10:01 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
東福寺(御府内八十八ヶ所めぐり)
 今日も、「御府内八十八ケ所めぐり」です。
 今日は、江古田の東福寺です。東福寺は第2番札所です
 真言宗豊山派のお寺で、ご本尊は不動明王です。
 
c0187004_1619099.jpg 東福寺は、都営地下鉄大江戸線「新江古田」駅から徒歩10分または西武新宿線沼袋駅から徒歩10分です。
 境内はかなり広く、南に山門、そして広く長い石段を上った先に本堂があります。
 本堂は、昭和42年に建立されたものだそうです。
写真で石段の上にある建物が本堂です。
 石段の脇に大師堂があります。写真の左手の建物が大師堂です。

c0187004_16191821.jpg 東福寺は、鎌倉時代の弘安3年(1280年)堀野二郎左衛門が武州御嶽神社の社僧源教上人の教化を受けて堂舎を建て、弘法大師作と伝えられる一本彫の立身不動明王を本尊として安置したのに始まるといわれています。

  江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの際に休息したと伝わっており、8代将軍吉宗は、享保13年(1728)、鷹狩のおりに、東福寺が御膳所となり休息と食事とったそうです。

 石段の登り口に「徳川将軍御膳所跡」の碑が建っていました。
これは、昔は旧本堂の西側奥に、寺社奉行の命令で改修した「御成りの間」があったそうですが、昭和42年改築の時に取り壊わされ、その跡に建てられたものだそうです。

c0187004_16334294.jpg 
 右の写真は、山門を入ってすぐの場所にある銀杏の木です。
 中野区の保存樹林第一号に指定されたものだそうです。
 真冬ですので、すかっり葉が落ちています。



赤印が東福寺です。

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by wheatbaku | 2012-01-13 16:22 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
南蔵院 (御府内八十八ヶ所めぐり)
  御府内八十八ケ所めぐりですが、昨年は、ガイドなどにより、ほとんど廻ることができませんでした。
 今年は、できれば、結願までいきたいと思っています。
 そこで、年明け早々ですが、廻ってきましたので 紹介します。

 今日は、練馬の南蔵院を紹介します。南蔵院は15番札所です。

 南蔵院は、西武池袋線「練馬」駅南口から距離で1.5キロあり、徒歩だと25分ぐらいかかります、バスがあるのでバス利用がよいと思います。
c0187004_1930161.jpg 南蔵院の創建時期ははっきりしません。
 練馬区教育委員会の説明板によると、
 南蔵院の西北約500メートルにある良弁塚の石碑の文によれば、延文2年(1357)に良弁僧都が中興したと伝えられています、しかし、良弁については詳しくは分かっていませんが、全国を行脚し、各地の寺にお経を奉納した後、当地に永住したといわれているとのことだそうです。
また、良弁塚から出土した経筒は寺宝として保存されているとのことです。
 
 この良弁僧都は、東大寺の開山の良弁(ろうべん)だと思って、ご住職に「ずいぶん古い歴史がありますね」といいったら、ご住職の説明では、東大寺の良弁とはちがう人物だそうです。
c0187004_1930551.jpg それにしても、薬師堂、閻魔堂、鐘楼門が、それぞれ宝暦3年(1753)に建築されたものとのことであり、古いお寺であることにはまちがいありません。
 薬師堂にお祀りしてあるのが薬師如来で、南蔵院のご本尊だそうです。
 現在、本堂といっているお堂には不動明王がお祀りしてあるとのことです。
 ご住職の説明によれば、薬師堂は金堂にあたるもので、現在の本堂は講堂にあたるものだそうです。
c0187004_19312475.jpg 従って、南蔵院では、ご本尊様を薬師堂にお祀りしているとのご説明でした。
 上の写真で手前に見えるのが薬師堂で、奥に見えるのが本堂です。
 
  薬師堂の西南に閻魔堂があります。(右写真)
 この建物も宝暦年間に建設されたものです。
 堂内に閻魔さまが安置されていました。


c0187004_1932448.jpg 鐘楼門が、練馬区指定有形文化財に指定されています。
 この鐘楼に吊り下げられている鐘は正徳5年(1715)に鋳造されたものとの説明が書かれていました。
 鐘楼門は、江戸時代中期の建築と考えられる練馬区内唯一の鐘楼門とのことです。

 明治9年(1876)11月に本堂を使って豊玉小学校が設置され、この場所で小学校の教育が行われたという歴史があるそうですが、明治初期に小学校があっても不思議ではないほどの広い境内を現在も維持しています。

赤印が南蔵院です。

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by wheatbaku | 2012-01-12 19:47 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
御府内八十八ヶ所巡り 沼袋②
 今日は昨日に続いて、御府内八十八ヶ所の沼袋のもう1ヶ寺「密蔵院」を巡ります。

  禅定院のご住職に密蔵院までの近道を教えていただいたので、3分で到着しました。

41番 密蔵院(みつぞういん)

c0187004_20263396.jpg【冠木門がお出迎え】 
  密蔵院は、禅定院の真北にあります。
 目の前は百観音公園となっていて、公園に面して、お寺には珍しい冠木門が建っています。
 密蔵院は、創建時期ははっきりしないそうですが、戦国時代、小田原城内に創建され、北条氏直の祈願寺だったそうです。
 慶長16年(1611)江戸の矢ノ倉(現在東日本橋1丁目)に移り、さらに正保元年(1644)浅草の新寺町に移転しました。そして、明治43年(1910)現在地に移転したそうです。

【開放的な本堂】 
 関東大震災では本堂ほかの建物が全焼し、その後、壇信徒の協力により再建されましたが、第二次大戦の戦災により再び焼失し、昭和25年(1950)現在地に本堂が再建されました。
 その本堂は開放的で、本堂に昇って読経できました。
  ご朱印をお願いしたら、ご住職が「南無大師遍照金剛」と御法号をお唱えしていただいた後に渡してくれました。
c0187004_20265821.jpg
 密蔵院の宗派は御室派ですので、大変珍しいですねとご住職に尋ねると、東京では湯島の圓満寺(御府内八十八ヶ所の32番札所です)とともに2ヶ寺だけだそうです。
 また、ご住職の話によると、東京には江戸時代には御室派の寺院はたくさんあったそうですが、多くの寺院が豊山派に転じたそうです。
 また、醍醐派の寺院は智山派に転じたところが多く、これを称して、「豊山は御室、智山は醍醐」というとのことでした。

【ご本尊は勝軍地蔵】 
 密蔵院のご本尊は勝軍地蔵菩薩です。
 勝軍地蔵菩薩とは、地蔵菩薩の一で、これに念ずれば、戦いに勝つといわれ、鎌倉時代以降特に戦国時代に武家に信仰されたお地蔵様です。
 密蔵院の勝軍地蔵菩薩は甲冑を着て、馬に乗っていました。残念ながら写真撮影は遠慮しました。
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by wheatbaku | 2010-03-19 05:56 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
御府内八十八ヶ所巡り 沼袋①
 最近、知人から「御府内八十八ヶ所」は最近はお参りしていますかと質問がありました。
 そういえば、他用で忙しく、お参りできていませんでしたので、久しぶりに 『御府内八十八ヶ所巡り』 に行ってきました。
 今回は、西武新宿線の沼袋駅近くの2ヶ寺 『禅定院』『密蔵院』 を回ってきました。

48番 禅定院(ぜんじょういん) 

c0187004_20234472.jpg【江戸時代の山門】
 禅定院は、西武新宿線「沼袋」駅北口から徒歩3分のところにあります。
 商店街を歩いていくと、山門が正面に見えてきます。
 この山門は、天明元年(1781)に造られた山門だそうです。
 禅定院は戦災でほとんどの建物が焼失しましたが、この山門だけは焼失を免れたそうです。


c0187004_20241779.jpg【南北朝時代の創建】
 禅定院は南北朝時代の中期、貞治元年(1362)の開創と伝えられる寺院です。
 草創期のご本尊は、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)であり、「瑠璃光山(るりこうざん)」という山号と「薬王寺」という寺号はこのことに由来してとのことです。
 現在のご本尊は鎌倉時代後期の作とされる不動明王立像だそうです。
 本堂の前でお参りしました。
 本堂は、戦災で焼失した後、昭和44年に再建されたものです。

c0187004_20245929.jpg【牡丹園】
 境内はよく整備されていて牡丹が植えられていました。
 まだ、新芽もでていませんでしたが、初夏のころは非常に見事なものになるものと思います。
 見頃の様子が禅定院のHPに載っていました。盛りにはこのように見事なものになるようです。

c0187004_20251777.jpg【銀杏の巨木】
 山門を入ったところに大きな銀杏の木がありました。遠くから見ても大きな木なのでよく目立ちます。
 樹齢600年を超えるそうです。
 江古田の東福寺の銀杏と夫婦銀杏と呼ばれているそうです。

 ご住職は大変気さくな方で、お出かけ前のお忙しいのにもかかわらず、御朱印を丁寧に書いてくださいました。
 そして、タクシーが待っているのにもかかわらず、次の密蔵院までの道順を丁寧に教えてくださいました。
 大変ありがとうございました。
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by wheatbaku | 2010-03-18 06:22 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
  

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