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御府内八十八ケ所巡り  門前仲町
 御府内八十八ヶ所巡りで門前仲町へ行ってきました。 門前仲町には3ヶ寺あります。

 68番  永代寺
c0187004_2122039.jpg まず永代寺に行きました。東京メトロ「門前仲町」から歩いて3分という至近距離にあります。
 永代寺は深川不動堂の参道に面しています。
 朝早くでしたが、本堂に昇り参拝することができました。御住職の奥様は、いろいろ永代寺のお話をしていただけました。
 お話によると、永代寺は、富岡八幡宮の別当寺で、江戸時代は、現在の深川不動堂や東西の深川公園も境内地で相当広い寺域のお寺だったそうです。しかし、明治初年の廃仏毀釈の中で廃寺となり、その後、塔頭の一つである吉祥院が永代寺を継いだのだそうです。

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 こちらは深川不動堂です。ここも、もともとは永代寺の境内でしたが、永代寺が廃寺になり、明治2年に現在の地に「深川不動堂」の正式名称が認められました。本堂の続きに内仏殿があり、4階の中島千波画伯が画いた天井画「大日如来蓮池図」はすばらしいものでした。なお、深川不動堂は本堂を隣に新築中です。


74番 法乗院(深川えんま堂)
c0187004_21232537.jpg  永代寺から5分の所にあります。こちらは、寛永6年(1629年)に創建されたお寺で歴史がありますが、その後宝暦10年(1760年)に閻魔堂が建立され、それ以降は、法乗院というより、深川のえんま様といったほうが名が通っています。
 こちらも、本堂の改修中でしたので、外からお参りしました。



c0187004_21234212.jpg  閻魔堂の現在の建物は戦後に建てられた近代的な物です。閻魔様の前には願意を書いたお賽銭の投入口がいくつもあって、自分の望む願意の書いてあるところにお賽銭をあげると、願意に応じた閻魔様のお言葉を聞くことができます。ハイテクの閻魔様でした


37番  萬徳院
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 法乗院から5分です。住宅街の中にある静かなお寺です。外からお参りさせてもらいました。
 こちらのお寺は、別名「相撲寺」と呼ばれています。
 初代の式守伊之助や初代から5代までの佐渡嶽親方などのお墓があるので、そう呼ばれています。
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by wheatbaku | 2009-05-30 22:08 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
きゅうり   (江戸の味)
 今日はきゅうりの話です。
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 江戸っ子の初物好きを規制した幕府の初物規制には、きゅうりは出てきません。ということは、きゅうりの初物はは茄子ほどには騒がれなかったということかもしれません。しかし、江戸時代から促成栽培が盛んに行われていましたので、今日はその話題です。
 
 きゅうりは、もともとインド北部やパキスタンが原産地です。中国へは西域からシルクロードを通って伝えられました。その名残が「胡瓜」という漢字です。「胡」とは、中国で西域の異民族をさした言葉ですから、「胡を経由してきた瓜」という意味です。
 和漢三才図会には「漢の張騫(ちょうけん)が西域に使いしたとき、種を持ち帰ったので胡瓜という」と書かれています。
 日本へは、約1500年前に伝えられたと言われていますが、なかなか普及がすすまなかったようです。普及が遅れたのは、きゅうりに苦味があったためと言われています。 

 c0187004_1658429.jpg 野菜の促成栽培は、4代将軍家綱が治めていた寛文年間(1661~73)の頃、砂村の松本久四郎という篤農家が考案したと言われています。
  砂村(江東区北砂、南砂、新砂、東砂)では、促成栽培が盛んに行われました。
 砂村は海岸に近いため、日照に恵まれ夜間も気温が急激に温度が下がらないという気候条件と元もと江戸のごみで埋め立てた土地であるため地味が肥えているという好条件を備えていました。 
 こうした好条件の上に工夫を重ねています。周囲を防風垣やむしろで囲って風を防ぎ、苗床では江戸市中からでるごみを稲藁や落ち葉などと積んで発生する発酵熱で地温を温め、さらに炭火をおこし、障子に荏胡麻(えごま)を塗った油障子で覆いをしました。
 このように、ゴミを堆積すると醗酵熱が出るのを利用し、早く野菜の種をまき、さらに寒さから野菜を守る工夫をし、成長を早めることにより、収穫が早くできるようになりました。そして、きゅうりやなすの促成栽培が盛んに行われました。

 c0187004_2193019.jpg こうして作られたきゅうりを、江戸の町人は、主に漬け物にして食べていました。本朝食艦には「大抵(だいたい)蔬としては佳くない。ただ塩漬け・糟(かす)漬けにして蔵し、香の物とするのが佳い」と書かれています。
 一方、輪切りにすると徳川家の家紋である葵の御紋に似ているところから、それを食べるのは不敬であるとして、きゅうりを輪切りにすることは慎まれていたとか、武士はあまり食べなかったという説もあります。
 
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by wheatbaku | 2009-05-29 16:30 | 江戸の味 | Trackback
しょうぶ  (江戸の歳時記 端午の節句)
 5月28日は旧暦の5月5日すなわち江戸時代では端午の節句です。そこで、今日は5月5日端午の節句に関する話題2つです。
 
 一つ目は、「衣更(ころもがえ)」 です。旧暦の4月1日から5月4日までが袷(あわせ=裏地のある着物)で、5月5日からは8月30日までが単衣(ひとえ=裏地なしの着物)となります。これから梅雨に入るので、時には寒い日もあるでしょうが、旧暦5月5日に衣替をして単衣になっても、これからは大丈夫でしょう。

c0187004_155885.jpg 二つ目は、「菖蒲」に関する話題です。
 端午の節句には、軒菖蒲、菖蒲湯、菖蒲打ちなど、菖蒲に関する行事が数多くあります。
 菖蒲は邪気を祓い尚武(しょうぶ)に通じることから、大事にされたと言われています。

 東都歳時記にも、「家々軒端に菖蒲蓬(しょうぶ・よもぎ)をふく。菖蒲酒を飲み、又粽柏餅を製す。小児菖蒲打ちの戯れをなす」と書かれています。

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 菖蒲という植物は、昨日紹介した「花しょうぶ」やアヤメと名前や葉が似ているため、花しょうぶやアヤメと混同されることもありますが、両者は全く別の植物です。 節句に用いられる「菖蒲」はサトイモ科の植物で、アヤメ科の花しょうぶやアヤメとはまったく別の種類です。
 写真が菖蒲の花ですが、花しょうぶとはまったく違うものであることが良くわかると思います。 和漢三才図会に「2,3月の間、茎が抽(ぬき)ん出て細かな黄花を開き、穂状になる」と書いてある通り、穂の形をした黄色い花です。

 「軒菖蒲(のきしょうぶ)」は、菖蒲と蓬(よもぎ)を束ね軒先に挿し、魔除け、火除けのおまじないをすることです。5月4日の夜挿して、5日の朝とるのが通例と言われています。
 「菖蒲酒」は、菖蒲の根を薄く刻み、酒の中に入れて、菖蒲の香りを移したもので、厄除けのお酒です。
 「菖蒲打ち」 とは、菖蒲を束ねたものを地面に打ち付けて音の大きさを競う遊びです。
 「菖蒲湯」は、風呂に菖蒲と蓬(よもぎ)を束ねて入れて温まるものです。元々は邪気を払うためでしたが、端午の節句は、旧暦では梅雨の時期に近くなるため、菖蒲の薬効が病気から体を守る意味もあると言われています。

 今日の菖蒲の写真は、「季節の花 300」 http://www.hana300.comから利用させていただきました。
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by wheatbaku | 2009-05-27 20:46 | 江戸の歳時記 | Trackback
花しょうぶ   (江戸の花)
 昨日の「かきつばた」によく似た花に 「花しょうぶ」 があります。c0187004_22151568.jpg
 「花しょうぶ」はアヤメ科の植物で、「ノハナショウブ」が原種で、「花しょうぶ」は園芸品種です。
 「かきつばた」との区別は、葉の主脈が細いのが「かきつばた」、太いのが「花しょうぶ」です。
 「花しょうぶ」の園芸化が始まったのは江戸時代中期といわれ、江戸、肥後、伊勢で改良が進み、それぞれ江戸系、肥後系、伊勢系と呼ばれる独特の系統が生まれました。 

江戸系c0187004_22172161.jpg
 江戸系は江戸で改良されたもので、花弁が3枚のものが多く、清楚な感じがします。上から眺めると花がきれいなので、庭園で群生させて鑑賞するのに良い品種です。 江戸後期の旗本松平左金吾定朝は、花菖蒲の改良に努め、その数は300品種余りになり、菖翁と通称されています。


肥後系 c0187004_22175823.jpg 
 肥後系は、江戸系をもとに、肥後でさらに改良されました。花弁が6枚のものが多く、男性的で力強く豪華な感じがします。室内での鑑賞にも向いています。江戸時代末期、肥後藩士により花菖蒲の改良栽培が進められました。


伊勢系c0187004_22183972.jpg
 伊勢系は伊勢の松坂を中心に改良されたもので、花弁は深く垂れるものが多く、女性的な感じがします。鉢物などにして室内での鑑賞にもむきます。江戸末期紀州藩士によって改良され、伊勢松坂で普及した品種です。



c0187004_02163.jpg「花しょうぶ」は、江戸時代から堀切の菖蒲園が有名でした。
 江戸切絵図にも、「堀切村百姓伊右エ門花菖蒲之名所ナリ」と書かれています。そして、歌川広重の「名所江戸百景」の中で「堀切の花菖蒲」として描かれるほど有名でした。
 現在も堀切菖蒲園には、花しょうぶが約2百種6千株もあり、見ごろは6月の上旬~中旬ですので、これからが本番になります。

 ところで、花しょうぶの花が咲いているのはわずか3日間しかないということご存知でしょうか。1日目に咲き始め、2日目に最も美しく咲き、3日目にはしぼみ始めてしまいます。花しょうぶの花の命は3日間しかないんです。
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by wheatbaku | 2009-05-26 12:45 | 江戸の花と木 | Trackback
 かきつばた  (江戸の花)
 これから「かきつばた」の花が咲きます。
c0187004_21353276.jpg 東都歳時記では、「かきつばた」については、「立夏より2,3日め頃より」と書いてあります。立夏は今年は5月5日ですので、5月の初旬に咲くというこになります。
 一方、和漢三才図会には、「5月が盛りであるが、一年中花を開くものがある」と書いてあります。旧暦の5月1日は、今年は5月24日ですので、和漢三才図会の方が、現代に近いような気がします。
 「かきつばた」はアヤメ科に属していますが、アヤメとの区別が難しいため、「いずれがアヤメかカキツバタ」という慣用句があり、区別がつきがたいという意味にも用いられています。
 アヤメと「かきつばた」との区別は確かに難しいのですが、花に網目の模様があるほうがアヤメで、網目模様のないほうが「かきつばた」で区別しています。
 「かきつばた」の名は、古くは「かきつはた」と清音で、花の汁を衣にこすって染めるという「書き付け花」から由来していると言われています。

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 かきつばたといえば、何といっても、在原業平の歌が有名です。
 伊勢物語の中で、東下りの途中、三河国八つ橋(現在の知立市八橋)で、咲いていたかきつばたを歌に詠み込みました。
 
 らごろも つつなれにし ましあれど
 るばるきぬる びをしぞ思ふ

 このことは和漢三才図会の中でも、「三州(みかわ)の八つ橋の産が有名である」として上の歌とともに紹介されています。

 愛知県の県花は「かきつばた」ですが、「かきつばた」が県花になったのは、この伊勢物語の話がもとになっています。

 また、この話を題材にした「杜若」という能があります。旅の僧と杜若の精である女とのやりとりですが、かなり有名な演目で、インターネットで調べるとすぐに検索できます。みなさんも検索してみてください。
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by wheatbaku | 2009-05-25 05:54 | 江戸の花と木 | Trackback
上野東照宮   (江戸屋敷にあった神社14)
 今回の「江戸屋敷にあった神社」は「上野東照宮」 です。 c0187004_192514100.jpg
  先日、江戸検定1級合格者の人たちと参拝してきました。上野東照宮は、藤堂高虎が、自分の屋敷に、寛永4年(1627年)に造営したのが始まりです。
 東照宮の社殿は、21年の1月から修理中とのことで、実物は見ることができませんでした。その替わりに、大きな写真が掲げられていました。そこで、それをパチリ。写真の唐門と本物の唐門が二重のように映りました。

c0187004_19253286.jpg これは本物の唐門です。 唐門は、慶安4年(1651年)に建築された国指定重要文化財です。
 柱の両側には、日光東照宮の「眠り猫」で有名な左甚五郎作の「昇り龍・降り龍」の彫刻があり、毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説があります。
 ところで、東照宮ですから徳川家康が祀られていますが、その他、徳川吉宗と徳川慶喜も祀られていることは今回初めて知りました。

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 大鳥居は、案内してくれた1級合格者の人の解説では、「奇跡の鳥居」と呼ばれているそうです。寛永10年(1633年)に建立されて以来、江戸の大火、上野戦争、関東大地震、戦災等さまざまな風雪、大火、地震にもかかわらず、現代まで、建立当時の姿をとどめているので、そう呼ばれているということでした。c0187004_19262592.jpg
 鳥居の柱を良く見ると、寄進者の酒井忠世の名前が「厩橋侍従酒井雅楽頭源朝臣忠世」として確かに刻まれていました。

 


c0187004_19264792.jpg  こちらは、お化け灯篭です。戦国武将柴田勝家の甥で、佐久間盛政の弟でもある佐久間勝之が寛政8年(1631年)に奉納したものです。高さが6.8mもあります。前に立ってくれた参加者の人と比較するとその大きさがよくわかると思います。このお化け灯篭は、勝之が奉納した京都南禅寺、名古屋熱田神宮の大灯篭を合わせて「日本三大灯篭」と呼ばれているそうです。これも参加者から説明がありました。


 参道両脇に整然と並んでいる石灯籠は200基以上あるそうですが、、今回はそれを丹念にみることができました。1級合格者の集まりでないとこれほど丁寧に石灯籠の寄進者を確認できることはないと思いました。
 また、みんな、さまざまな知識を持っていて、参加者の質問に対して、誰かが即座に答えるという状況で、非常に理解が深まる見学会でした。みなさんお世話になりました。

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by wheatbaku | 2009-05-23 11:46 | 江戸屋敷にあった神社 | Trackback
宝珠稲荷神社   (江戸屋敷にあった神社13)  
  宝珠稲荷神社は、東京メトロ日比谷線の「東銀座」駅から3分で、銀座のど真ん中に鎮座しています。c0187004_22322548.jpg 
 宝珠稲荷神社は、深溝藩主板倉重昌の江戸屋敷内にあった神社です。
 神社に設置されている由来書きで江戸屋敷に関する部分は次のように書かれています。  
 「宝珠稲荷神社は1615年の頃、三河の国深溝の領主板倉内膳匠重昌の江戸屋敷内に家内安全火除の神として祭神せられたるものなり (中略) その後1760年宝暦年間岩見の国津和野の城主亀井家に譲渡せられたるものなり 」
 1615年は、慶長20年で、大阪夏の陣があった年ですので、江戸幕府が開かれてまもない頃から祀られていたことになりますので、非常に古い神社になります。

c0187004_2343994.jpg また、板倉重昌についても、「内膳匠重昌は京都所司代及江戸町奉行として令名高かりし板倉勝重の次男として1588年後陽成天皇の御代天正13年の頃の生まれである 重昌は武勇に富み敬神の念厚く大阪冬の陣島原の乱等に追討軍令として鎮台に務めたるも不幸にして島原に於て年齢50才にして戦死したるものなり 
 時の将軍は家光であり第110代後光明天皇の御代である 内膳匠の兄周防の守重宗は下總の国席宿の城主なり 」と書かれています。
 板倉重昌は、由緒書きに書かれているように、島原の乱の総大将として、鎮圧にあたりましたが、戦いの中でなくなってしまいます。しかし、重昌の子孫は、江戸時代14代続き、福島藩主として、明治維新を迎えています。


c0187004_22333661.jpg 宝珠稲荷神社は、建て替えのため、まもなく取り壊される「歌舞伎座」の東側の通りを少し北へ行った所にあります。
 歌舞伎座は平成22年4月の公演をもって終了となる予定です。新しい歌舞伎座は、劇場とオフィス棟を併せ持つ複合建物となる予定だそうです。




 青印が宝珠稲荷神社です。

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by wheatbaku | 2009-05-22 19:17 | 江戸屋敷にあった神社 | Trackback(2)
銀杏岡八幡神社   (江戸屋敷にあった神社12 )
  銀杏岡八幡神社 は、JR「浅草橋」駅から1分のところにあります。江戸通りから1本西側の小さい通りに面してありますが、古い歴史を持ち、江戸時代は福井藩の邸内社でした。

c0187004_12394668.jpg 当社の社殿に掲げてある由緒書には、次のように書いてあります(要約してあります)
 「平安中期、後冷泉天皇の御代の創建と伝えられます。
 陸奥の豪族の阿部貞任・宗任が反乱を起こした前九年の役の際、源頼義と義家が陸奥に向かう途中、当地にて一休止した時に、隅田川の川上より流れ来るものを拾い上げみると銀杏の枝でした。義家は「朝敵退治のあかつきには、枝葉栄ふべし」と祈願し、奥州に旅立ちました。
 阿部一族を平定した義家が、この地に再び立ち寄ったところ、銀杏の枝葉が大きく繁茂していたので、神恩に感謝して、太刀一振を捧げ、八幡宮を勧請したのが当社の始めです。
 江戸時代になると、元和4年(1618年)、当地は福井藩松平家の屋敷となり、邸内社として祀られておりましたが、享保10年(1725年)に屋敷が収公され、屋敷の跡地は、町奉行大岡越前守忠相により福井町と名付けられ、当地の氏神様として崇敬されてきました。」
 嘉永6年の江戸切絵図を見ると、町屋の中に「(銀)杏八マン」とはっきり書かれています。


c0187004_12392591.jpg 越前福井藩は、徳川家康の次男結城秀康が藩祖です。秀康は、豊臣秀吉の養子となった後、下総国結城の名族を継ぎ、「結城秀康」と名乗りました、そして、越前一国68万石を与えられ、秀康は結城姓を松平に復し、越前松平家を興しました。
 藩祖が、2代将軍秀忠の兄であるため、越前松平家は御三家に次いで家格の高い家として処遇されました。


 福井藩では幕末の藩主松平慶永(春嶽) が有名です。
 橋本左内を登用し藩政改革を推進した慶永は四賢侯の一人といわれ、幕末の政局で重要な役割を果たしています。文久の改革の時に、慶永がついた政事総裁職は、それまでの大老と同じ職責だといわれています。
 ところで、このように活躍した慶永は、実は、田安家出身で13代将軍徳川家慶の従兄弟という血筋であることはあまり知られていないかもしれません。。




青印が銀杏岡八幡神社です。

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by wheatbaku | 2009-05-21 18:08 | 江戸屋敷にあった神社 | Trackback
津軽稲荷神社   (江戸屋敷にあった神社11)
 江戸屋敷にあった神社、今回は錦糸町の 「津軽稲荷神社」 です。
c0187004_22231442.jpg  津軽稲荷神社はJR錦糸町駅から約7分。東武ホテルレバント東京を少し越えた場所にあります。

 案内板には「青森県弘前城主津軽四郎為信十万石の下屋敷にあったので、津軽稲荷という。一万坪は明治43年の大水害と共に払い下げられ、太平町一丁目町会の所有となる。昭和7年町名変更で錦糸一丁目町会の守護神となった。」と書いてあります。津軽為信は弘前藩の初代藩主です。

c0187004_22235337.jpg  津軽氏は、元は大浦氏といい、南部氏の支族であったといわれています。初代藩主となる為信は、南部家の混乱に乗じて独立し、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣して大名の地位を公認され、その後、関ヶ原の戦いでは徳川家康に味方して藩の基礎を築き、以後津軽氏が津軽地方を治めました。こうした経緯から、南部藩と津軽藩の間で争いが絶えず、文化5年(1808年)には、南部藩士の下斗米秀之進が津軽寧親の暗殺を計画したいわゆる「相馬大作事件」が引き起こされたこともありました。

c0187004_22254980.jpg 津軽稲荷神社のすぐそばに 「大横川親水公園」 があります。昔の横川を一部埋め立てて親水公園として整備したものです。公園としては1993年4月1日に開園したそうです。川は埋め立てられ、せせらぎがあり、樹木が植えられていて、憩いの場となっています。かなりの人が歩いていました。

 ところで、地図を見る時は、普通、南北を縦、東西を横といいますが、横川は南北に流れる川(運河)でありながら横川(現在の大横川)と名づけられています。これは、川が作られた時に、川の縦横が、江戸城から見て付けられたからです。
 だから南北に流れる川が横川、東西に流れる川が竪川となっています。

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 青印が津軽稲荷神社、赤印が大横川親水公園です。

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by wheatbaku | 2009-05-19 16:12 | 江戸屋敷にあった神社 | Trackback
江戸の味 枇杷(びわ)
 スーパーの店頭に「枇杷」が並び始めました。
c0187004_1337925.jpg しかし、江戸時代には、枇杷は、初物の規制で、5月(旧暦、今年は5月24日が、旧暦の5月1日)にならないと食べれませんでした。

 昨日も引用した「俳諧歳時記栞草(しおりぐさ)」の5月の欄に、「枇杷は、冬、華さき、実、黄にして鶏子の如し。小さきものは杏(あんず)の如し。味、甘く酢(す)し」と書かれています。
 ところで、「俳諧歳時記栞草」とは、曲亭馬琴が享和3年(1803)に編纂した『俳諧歳時記」を、嘉永4年(1851)に藍亭青藍(らんていせいらん)が増補改訂したもので、江戸時代の歳時記の代表作です。俳諧に使われる季語を分類・解説した書物は馬琴以前にもありましたが、これを一般に「歳時記」と呼ぶようになったのは、馬琴の『俳諧歳時記』が最初と言われています。

 「和漢三才図会」には、「葉の形、枇杷に似る故、枇杷と名づくと言ふ」とありますので、枇杷という名前は、葉の形が楽器の枇杷に似ていることから来ているようです。
c0187004_13321668.jpg
 
 江戸時代に、枇杷は「枇杷葉湯(びわようとう)」として、庶民の夏の暑気払に盛んに飲まれていました。
 枇杷葉湯(びわようとう)は、枇杷の葉に肉桂(にっけい)、甘草(かんぞう)など7品目を混ぜ合わせて、煎じて作ったものです。
 守貞謾稿には「枇杷葉湯売り これまた消暑の散薬なり。京師烏丸の薬店を本とす。(中略)けだし京阪は巡り売るを専らとし、江戸は橋上等に担ひ筥(はこ)を居(お)きて、息(いこ)ひ売りを専らとす。」と書いてあり、江戸では、橋の上などで売っていたようです。

 枇杷葉湯は、江戸時代かと思いましたが、現在でも利用されているようで、インターネットの通販サイトががかなりあります。
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by wheatbaku | 2009-05-18 19:57 | 江戸の味 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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