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割り箸 (江戸の技)
 下の写真は昨日紹介した[うなぎ割烹 大江戸」の[うな重」です。
 今日のお話は、うなぎでなく、うな重に添えられている 「割り箸」 のお話です。 

c0187004_2371574.jpg 江戸時代の百科事典ともいうべき「守貞謾稿(もりさだまんこう)」の中で、鰻飯の項につぎのように、割り箸について書かれています。
 なお、守貞謾稿が書かれた頃には、割り箸は、引き裂き箸と呼ばれていました。

 「 (鰻飯には)必ず引き裂き箸を添ふるなり。この箸、文政以来此より、三都ともに始め用ふ。杉の角箸半を割りたり。食するに臨んで裂き分けて、これを用ふ。これ再用せず。浄きを証すなり。
 しかれどもこの箸、また箸工に返し、丸箸に削ると云ふなり。
 鰻飯のみにあらず、三都諸食店往々これを用ふ。かへつて名ある貸食店(りょうりてん)には用ひず。これ元より浄きが故なり。」

 守貞謾稿が書かれたのが、天保期(1830~1843年)ですので、割り箸はそのころはかなり広まっていたと思われます。
 それでは、割り箸がいつごろから使われ始めたかというと、守貞謾稿には、文政(1818~1829年)以来と書かれていますし、天明(1781~1788年)初期ごろという説もあり、割り箸の起源ははっきりしません。

 箸は、弥生時代から使われていますが、割り箸は、意外にも江戸時代後期から使われはじめたようですね。

割り箸の種類 
 
 割り箸は、どれも同じと思うことが多いようですが、実は、いろいろな種類があります。
 それを紹介していきます。

☆天削箸(てんそげばし)
c0187004_8454592.jpg 割り箸の頭部の部分を斜めに削ぎ落としたもの。ちょうど、天(頭)が削(そ)がれて見えるのでこの名があります。
c0187004_10292459.jpg
 木目(杉、桧など)の美しさを強調している高級感のある箸です。
 上の「大江戸」のうな重の写真で、添えられている箸も天削箸です。
 主として高級料亭や家庭においてお客様をもてなす時に使われます。


☆利久箸(りきゅうばし)
c0187004_10242686.jpg 真ん中が太く両先が細い箸で、千利休が、茶席でもてなす時に愛用したと伝えられています。利休でなく、利久と書くのは、利休の号を遠慮したためと考えられています。
 吉野杉のものが最高とされています。
 
☆元禄箸(げんろくばし) c0187004_10245447.jpg 
 割れ目に中溝をつけた箸で、箸頭までまっすぐに割れやすくなっています。

c0187004_10295298.jpg
 箸の頭部の切口を上から見ると元禄に流行した市松模様に見えるところから、元禄の名がついています。
 現在、最も多く流通している形です。

☆小判箸(こばんばし)  
 箸の角を丸くした割り箸で、箸の頭部の切口が小判型に見える事から、こう名づけられました。
 元禄箸と同じく汎用的に使用される割箸です。

☆丁六箸(ちょうろくばし)  
 面取りをしない、最も加工度の低い割り箸です。.
 これまでの箸の名前は形状を現す名前ですが、これは「丁度6寸(約18cm)」という長さからきた名前です。
 市販の割り箸では最も短く、角削り加工がなく、割れ目が入っているだけの経済的な箸です。

☆竹割箸(たけわりばし)  
 九州南部の竹材を利用して開発された、やや太めの割箸ですが、現在はコストの関係もあって中国産の竹が多く利用されています。
 勝れた強度と油を弾く特性から天婦羅屋やうなぎ屋などで利用されています。
 竹割箸では、天削か、双生が多いようです。
 双生は、箸を丸く加工したものを二つ並べたようなものをそう呼びます。


 このようにたくさんの種類の割り箸があります。 なにげなく見逃してしまう割り箸にもちょっと目を留めてみてはいかがでしょうか。
 
 割り箸の写真は、奈良県吉野郡で吉野杉・吉野桧のお箸・割り箸をつくられている「吉膳」様からご提供いただきました。「吉膳」様ありがとうございました。
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by wheatbaku | 2009-07-31 06:17 | 江戸の技 | Trackback
うなぎ割烹大江戸 (江戸の老舗の味)
 7月31日は、今年2回目の土用の丑の日いわゆる二の丑の日

c0187004_22214370.jpg そこで、数日早いのですが、うなぎ割烹「大江戸」に行ってきました。
 「大江戸」はJR「新日本橋」駅から歩いて1~2分で昭和通りに面した場所にあります。

 創業は、寛政年間(1789~1800年)とのことですので、創業以来約200年が経つことになります。
 初代草加屋吉兵衛が創業し、現代は8代目になるとのことでした。


c0187004_222245.jpg 玄関入り口には、つくばいが設けられていて、高級料亭の雰囲気です。

c0187004_22222890.jpg そのまま正面を入るとお座敷に通じますが、玄関右手に「食堂部」という案内があり、そこを入ると店内は、縦方向に細長くなっていて、暖簾で仕切られた4人掛けのテーブル席が連続してあります。さらに手前に大きなテーブルが一つ置いてあります。.
 暖簾がかかっているので周りを気にすることなく食べることが出来ます。

c0187004_22255833.jpg うな重は、一般的には松竹梅が多いように思いますが、ここでは、ふみづき、ながつき、しもづき、やよい、 むつきと月名がつけられていて、極上まであります。
 値段の違いははうなぎの大きさだそうです。
 鰻のタレは、甘さを抑え、やや醤油味が勝った味で、うなぎも脂っぽさが抜けて、全体として淡白な味わいで、食べやすい味です。

 うな重は単品ですので、きも吸いが欲しい時は、別途オーダーする必要があります。
 きも吸いのほか赤だしもありました。

 値段は、安い訳ではないのですが、日本橋という土地柄かサラリーマンが続々と入ってくるのでびっくりしました。 やはり土用ですね。

青印が「大江戸」です。 新日本橋の8番出口からはすぐそばです。

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by wheatbaku | 2009-07-30 05:59 | 江戸の老舗 | Trackback
圓満寺・観音寺 (御府内八十八ヶ所めぐり)
 久しぶりの御府内八十八ヶ所めぐりです。
 今回は、湯島の圓満寺と高田馬場の観音寺です。

c0187004_22113188.jpg 32番 圓満寺
 圓満寺は、住所は湯島ですが、最寄駅はJR御茶ノ水駅で、徒歩5分です。東京ガーデンパレスの並びにありますので、見つけるのは難しくありません。
 しかし、下の写真をみてわかるように、お寺らしくないビルの中にありますので、右のお寺の看板をよくみなければお寺があると気がつかないでしょう。

c0187004_22115461.jpg
 庫裏は、ビルの8階にあり、本堂は9階にあります。
 庫裏を訪ねて、お参りのお願いをしましたら、奥様が9階にご案内してくれました。
 本堂は、ビルの中にもかかわらず、ゆったりした広さがあり、ゆっくりお参りできました。
 
 圓満寺の本山は、京都御室の仁和寺で、御室別院の由緒を持つお寺です。

 江戸時代にも名刹だったようで、江戸名所図会で、かなりのボリュームをさいて解説されています。
 「万昌山円満寺:湯島六丁目にあり。真言宗にて開山は木食義高上人なり。・・・中略・・・
 寺伝に曰く、開山木食義高上人は覚海と号す。足利13代将軍義輝公の孫義辰の息なり・・・中略・・・
 宝永7年江戸湯島の地に梵刹を建てて万昌山円満寺と号す。大樹(6代将軍家宣)のご志願によって本多弾正小弼忠晴奉行たり。すなはち上人をもつて当山の開山とす」
 と非常に詳しく歴史について書いてあります。

c0187004_22121781.jpg 85番 観音寺
 観音寺は、JR高田馬場駅から歩くと約15分、バスですと高田馬場駅前から小滝橋車庫行きの都営バスに乗って、高田馬場4丁目で降りてから徒歩5分です。
 早稲田通りに向かって山門が開いています。
 事前に、電話しておいたので、奥様が待っていてくれました。すぐに、庫裏から本堂にご案内してもらい、ゆっくり参拝することができました。
 本堂は大きな建物で、ご本尊様は2階に鎮座していました。

c0187004_221244100.jpg  観音寺の創立はハッキリしませんが、3代将軍家光の寛永年間だろうといわれているそうです。
 
 墓地の入口に、吉川英治が揮毫した、「呼潮へんろ塚」の碑があります。
 吉川英治の親友に淡路呼潮という人がいて、その人から聞いて西国33ヶ所めぐりの遍路について書いたのが、「呼潮へんろ」のようです。
 詳しいことを奥様に聞こうと思ったら、用事があって出かけられた後でしたので、聞くことができませんでした。残念でした。
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by wheatbaku | 2009-07-29 06:17 | 御府内八十八ヶ所 | Trackback
延寿甘酒 (江戸の老舗の味)
 神田明神の大鳥居をくぐり、右手にある、 「三河屋綾部商店」 は、 「延寿甘酒」 のお店です。

c0187004_21591620.jpg  神田明神へは、JR「秋葉原」駅から歩いて約10分、「御茶ノ水」駅からは5分、東京メトロ「末広町」駅からは7分です。
 三河屋綾部商店は、元和2年(1616)に創業した古い老舗。創業以来まもなく400年という老舗中の老舗です。
 元は三河の出身で、徳川将軍について三河から江戸に出て来て創業したとのことです。
 御主人の話では、「御先祖様は三河の出身ですが、さらに元をたどれば、丹波の綾部です。だから綾部商店なんです」 とのことでした。

c0187004_2159518.jpg  主に糀を造り、その糀を使った甘酒、納豆、味噌を製造販売していています。
 甘酒は、のれんに書いてあるとおり、 「延寿甘酒」 と名づけられています。

c0187004_2202929.jpg  江戸時代には将軍家に納めていて、維新後は宮内省(現宮内庁)にも納めていました。
 現在も、店内には「宮内庁御用達」の看板が残っています。
 ご主人の話では、「宮内庁御用達の制度は、既に昭和33に廃止されて、今はないんですよ」と教えてくれながら、宮内庁御用達であった頃の、宮内庁への通行証をみせたくれました。


c0187004_221624.jpg 「延寿甘酒」をいただきましたが、夏は、熱い甘酒のほか冷えたものがあります。
 どちらがいいか奥様に尋ねたら「お好みですが、本来の味が味わえるのは熱い方です」ということでした。 そこで、熱い方を注文しました。
 濃厚な米のうまみがでた、コクのあるすばらしいものでした。
 冷たいものより、熱いもののほうが味わい深いような気がします。

 
c0187004_2214873.jpg  こちらは、「千代田納豆」です。
 今では珍しくなった藁(わら)に包まれたものです。箸で持ち上げるのが大変なほど粘りがあるとのことです。
 「千代田納豆」がたくさん並んでいます。これは、写真を撮りたいとお願いしたら、奥様がわざわざ冷蔵庫に保管してあるものを出して数多く並べてくれたものです。
 奥様ありがとうございました。


 神田明神の前の甘酒と言えば、「天野屋」が有名です。しかし、「三河屋」も素晴らしいお店だと思います。
 甘酒の味は同等、知名度は「天野屋」、歴史は「三河屋」。そして、心配りは「三河屋」という風に感じました。
 もう一度寄りたいお店です。

 お店は、神田明神の門前にあります。

三河屋綾部商店 (カフェ・喫茶(その他) / 御茶ノ水、末広町、新御茶ノ水)


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by wheatbaku | 2009-07-28 06:25 | 江戸の老舗 | Trackback
即非蓮  (蓮⑥ 江戸の花)
 今日も、「古代蓮の里」にある蓮の花を紹介します。

c0187004_21142386.jpg即非蓮(そくひれん) 
 即非は隠元の高弟で、隠元に招かれて来日し、長崎崇福寺の中興開山となり、黄檗山萬福寺で、隠元をたすけ、さらに小倉藩主の小笠原忠真の依頼で福聚寺(ふくじゅじ)を開創しました。そして 遂に故国に帰ることなく、日本に骨を埋めました。
 即非が伝えた蓮が即非蓮です。
 即非蓮は、小型、一重の紅色で、花弁はやや尖っています。

c0187004_21145287.jpg王子蓮(おうじばす)  
 1960年に訪米中の皇太子(現在の天皇陛下)夫妻に依頼し導入されたアメリカ蓮です。アメリカ蓮は、大正年間に一時導入されましたが絶えてしまい、日本では黄色の蓮はみられませんでした。
王子蓮とは、皇太子夫妻の導入によるものとの意味が込められています。
 花色は淡黄色ですがややクリーム色を呈し、花弁は大きい。


c0187004_21155562.jpg一天四海(いってんしかい) 
 花色はやや黄色味のある白色の緑に紫紅色の不規則な帯状の紋が入る斑蓮。
 花弁の表と裏では紋の形が異なっています。
 一天四海とは、全世界を意味する「一天四海妙法に帰す」という仏典の言葉に由来します。
 岡山藩主池田光政が好んだ品種で、「大名蓮」とも呼ばれています。

c0187004_21213623.jpg原始蓮(げんしばす) 
 大阪府下に育成していた地蓮系統の小型の蓮
 花色は濃いピンクで退色が早く花弁基部近くは白くなり条線は鮮明です。
 大賀一郎博士が原始的な蓮として命名しました。
 大阪府の天然記念物に1970年に指定されています。




c0187004_2122360.jpg酔妃蓮(すいひれん)
<孫文蓮>
 
 大正7年、中日友好のため孫文が蓮の実4粒を日本の財界人に贈り、その蓮の実を大賀一郎博士が発芽育成したものです。
 第1日目の開花が白地にピンクで2日目よりピンクが退色し、花弁の先端だけがほのかなピンクになります。それが、あたかも妃が酔っているようであることから、この名がつけられました。


このように蓮の花を並べてみると、いろいろな蓮があると改めて感じます。
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by wheatbaku | 2009-07-27 05:39 | 江戸の花と木 | Trackback
大賀蓮  (蓮⑤ 江戸の花)
 今日、蓮の花と言えば、名前が必ず出てくるのが「大賀蓮」 です。
 「大賀蓮」 は蓮の花の代名詞と言ってもよいくらい有名です。
 その「大賀蓮」が、行田の「古代蓮の里」にも植えられていました。

c0187004_21154787.jpg 大賀蓮が発見された場所は、千葉県千葉市検見川にある東京大学検見川総合運動場です。
 その場所は、当時、東京大学検見川厚生農場と呼ばれていました。
 ここで、昭和26 (1951年)3月、植物学者大賀一郎博士は、地元の花園中学校の生徒たちと共に遺跡の発掘調査しました。
  めぼしい成果もなく、明日が発掘作業の最終日という3月30日午後5時10分に、発掘を手伝っていた地元の花園中学の生徒西野真理子さんが、地下6mから古代のハスの種子を1粒発見しました。

c0187004_21161420.jpg さらに、1週間後2粒が発見され合計3粒の蓮の種子が見つかりました。
 この種子 は、一緒に発見された丸木船などから、2000年以上地下で眠っていたことがわかりました。
 この種子を5月6日に水につけたところ、5月9日に発芽をはじめ、翌年7月18日に美しいピンク色の花を咲かせたのです。
 残りの2粒は枯れてしまいました。 まさに、成長したのはたった一粒だけだったのです。

c0187004_2128452.jpg このニュースは国内外に報道され、米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」として掲載され、全世界から注目されました。
 蓮は大賀一郎博士の姓を採って「大賀蓮」と命名されました。
 そして、昭和29年には、千葉市の天然記念物に指定され、「千葉市の花」 にもなっています

 さらに、大賀蓮は、日本各地をはじめ、世界各国へ根分けされ、友好親善を深めています。

 大賀蓮は、約2000年前の古代の蓮が、時間を超えて蘇ったことで、当時、世界の話題になったとともに、現代でもロマンを呼び起こすものとして、多くの人に記憶されているのではないでしょうか
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by wheatbaku | 2009-07-25 23:16 | 江戸の花と木 | Trackback
古代蓮(行田蓮)  (蓮④ 江戸の花)
 埼玉県行田市の「古代蓮の里」 は、行田で発見された古代蓮(行田蓮) をメインとした東京ドーム約3個分の広さのある公園です。
 ここでは、古代蓮をはじめ41種類の蓮が育てられています。従って、数多くの品種の蓮の花を見ることができます。

蓮の品種
c0187004_1947959.jpg 蓮の花は、多くの品種があり、花弁の色、花径の大小、花弁の数によって分類するそうです。
 花弁の色だけでも、
  白蓮系統(花弁全体が白)、
  紅蓮系統(花弁全体が紅)、
  黄蓮系統(花弁全体が黄色)、
  斑蓮系統(花弁に紫紅色の斑が入る)、
  爪紅系統(花弁の先端や縁に紅色)、
  黄紅蓮系統(淡い黄色の花弁の先端や縁に紅が入る)、 に分類しているそうです。
 さらに、花径の大小、花弁の数で分類しますので、全体像はわかりませんが、在来種で150数種はあるそうです。 

 そのうちの41種類の蓮が「古代蓮の里」で栽培されています。 

古代蓮
c0187004_19494622.jpg 左の写真はすべて、正式には行田蓮と呼ばれる古代蓮ですが、次のような経緯があります。

 昭和46年、行田市では、新しい焼却場施設を建設するための造成工事をはじめました。
 その工事の掘削によってできた場所に水がたまって池となり、昭和48年に、池の水面に多くの丸い葉が浮いているのが発見されました。

c0187004_19475553.jpg そして、ついに7月13日、長い眠りから覚めた古代の蓮が可憐なピンクの花を咲かせたのです。

 行田市教育委員会から依頼をうけた埼玉大学の江森貫一元教授が、出土した縄文土器と、古代蓮として知られている大賀蓮の例を参考に、2500年から3000年前ころのものと推定しました。

c0187004_1933641.jpg  さらに、蓮の研究家である神奈川県歯科大学の豊田清修教授が、日本アイソトープ協会に年代測定の調査を依頼しました。 
 協会の測定はおよそ1400年前のものという結果でした
 考古学的には2500年から3000年前のものとされていることを考慮して、豊田教授は、古代蓮は、おおむね1400年から3000年前のもの と推定しています。



 「古代蓮の里」のすばらしいことは、古代蓮の見事さです。そして、世界の蓮が41品種も身近でみられることです。
 
 41品種の蓮は、花の咲く時期が種類によって異なりますので、同時期にすべての蓮がきれいに咲いている訳ではありませんが、多くの品種の蓮を見ることができます。
 先日、見に行った際に、咲いていた主なものは大賀蓮、即非蓮、孫文蓮などですが、次回は、大賀蓮を紹介します。
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by wheatbaku | 2009-07-24 06:18 | 江戸の花と木 | Trackback
蓮の音と香り (蓮③ 江戸の花)
 今日は、蓮の花の開花音と香り が話題です。
 
蓮の音 
 蓮の花が咲く時に音がすると良く言われます。
 正岡子規も次のように詠んでいます。
   蓮開く 音聞く人か 朝まだき
 しかし、本当に音がするかどうか、過去に議論になったようです。

c0187004_116664.jpg 昭和10年には、「観蓮節」を復活させようと集まった蓮博士大賀一郎、植物学者牧野富太郎、生物学者の三宅驥一たちが、不忍池で弁天堂前の石橋付近で実地検証した結果、「蓮の開花には発音は伴わない」としたそうです。
 しかし、その後、『朝日新聞』紙上では論議が起きたようです。


 今は、「花が咲くときに音がしない」または「音を聞いたことがない」というのが有力のようです。
 日本に蓮文化研究会のホームページを見ると、「音はしません」と書いてあります。
 しかし、日本人は、蓮の花が咲く時に音がするとしたいという雰囲気もあるようで、「虫の音の違いを聞き分け、風の音にも季節を感じてきた文化があります。『蓮の音』の真偽と騒動は、こうした情緒を背景にして、考えることもできます。」とも書いてあります。

蓮の香り
 蓮の花が香りは多くの和歌や俳句に詠まれたり、小説に書かれています。 
 「不忍池の蓮」で紹介した「江戸名所図会」には「その芬芳(ふんぽう よい香り)遠近の人の袂(たもと)を襲ふ」と書かれています。
c0187004_18223218.jpg また、「江戸名所花暦」にも「東雲(しののめ)のころは、匂ひことにかんばしく」と佳い香りのことが書かれています。

松尾芭蕉は、
 蓮の香に 目をかよはすや 
 面(めん)の鼻 
 という句があります。
与謝野蕪村には
 蓮の香や 水をはなるる 
 茎2丁 という句があります。

 また、芥川龍之介の短編「蜘蛛の糸」の書き出しは、次のようです。
 或日のことでございます。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のやうにまつ白で、その真ん中にある金色の蕋(ずい)からは、なんとも言へない好い匂いが、絶間なくあたりへ溢れて居りました。

 このように、多くの文学作品に、蓮の花から、好い匂いが出ることが書かれています。

 蓮の花香りは、主におしべから出ているそうです。 
 そして、開花2日目の花が最も強い香りを発し、3日目にはほとんど匂わなくなるそうです。
 今度、蓮の花を見にいった時には、香りをよく嗅いでみたいと思います。
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by wheatbaku | 2009-07-23 13:52 | 江戸の花と木 | Trackback
蓮の花  (蓮② 江戸の花)
  蓮の花は4日間しか咲いていないことをご存知ですか? 
 今日のメインはそのお話ですが、その前に蓮の語源と原産地について紹介します。

蓮の語源と原産地
 c0187004_18413478.jpg蓮の名前の語源は、花の中心部にできる花托(果托 かたく)が特徴的で、その形状が蜂の巣に似ていることから、「はちす」 となり 「はす」 とよばれるようになったという説があります。
 広辞苑では、「はす」は「はちすの略」としていて、「はちす」は「蓮の古名、蜂巣の意、花托の形が蜂の巣に似る」と書いてあり、この説をとっています。
 写真の花の中心部が花托と呼ばれる部分です。蜂の巣に似ていますよね。

 ところで、蓮の原産地については、多くの本がインドとしていますが、エジプト説、、中国説などあり、まだハッキリしていないそうです。
 しかし、蓮は1億年前の太古の昔から存在していたそうで、その頃の化石が出土しているそうです。
 1億年前とは、恐竜の絶滅が6500万年前と言われていますので、まだ恐竜が地球上にいた時代です。
 そんな昔から蓮が存在していたことに驚きました。
 日本でも、約7000万年前から1万年前の「蓮の化石」が各地で発見されているそうです。

蓮の花は4日間
 蓮の花の蕾が水中から顔を出てから、20日ほどすると開花します。
 そして、蓮の花は開閉を3日間繰りかえして、4日目、花弁は全部散ってしまいます。

c0187004_1125893.jpg開花1日目 
 早朝5時から6時頃より開きはじめます。
 蕾の先が4~5cmほど開花すると、それ以上は開かず、8時ごろから閉じ始めやがて元の蕾の状態にもどります。

開花2日目 
 早朝7~8時頃までに開花します。この時の花が最も美しく、花の色が一番鮮やかです。花托も黄金色に輝き、おしべからの香りが最も強い時です。
 花は少しずつ閉じて昼頃までには完全に元の蕾の状態にもどります。

c0187004_18473863.jpg開花3日目
 夜中から咲きはじめ、8時頃までに完全に開き、花径が最大になります。花托のおしべは受粉して柱頭が黒くなります。開花が2日目か3日目の花かを見分けるには、柱頭を見れば分かります。花は昼頃から閉じはじめますが、半開のまま4日目を迎えます。3日目になると、紅蓮系統の品種はかなり退色します。

開花4日目 
 夜中より開きはじめ、7時頃までに完全に開ききり、早いものは9時頃より花弁が散りはじめます。午後には完全に散って、花托とおしべだけが残ります。

 このように、姿、形、色は開花2日目が最も綺麗です。
 また、蓮の花は早朝に咲きます。朝6~8時頃が最適です。午後は美しい姿はみることができません。 
 ですから、早起きして見に行くのがよいと思います。

 4日間、花がどのように変化するのか古代蓮の里のHPの中の「蓮について」を見るとよくわかります。
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by wheatbaku | 2009-07-22 06:18 | 江戸の花と木 | Trackback
不忍池の蓮 (蓮① 江戸の花)
  伊豆栄の向かい側の不忍池は蓮の葉が一杯でした。
 そして紅の蓮の花がかなり咲いていました。
 
c0187004_2238498.jpg 不忍池は、大昔は、上野台地と本郷台地にはさまれた入江でした。この入江がしだいに陸地となっていく中で、池として取り残されたものです。
 寛永元年(1624年)、江戸幕府によって、西の比叡山延暦寺に対して、江戸城の鬼門にあたる上野に寛永寺が建立されました。
 開祖である天海大僧正は、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえて弁天島を築かせ、弁天堂を作りました。
 当初は、弁天島までは橋がなく、文字通り船で渡る島でしたが、寛文12年(1672年)に東に向かって石橋が架けられ、歩いて渡れるようになりました。

 不忍池の蓮は、江戸の観光名所であり、多くの書物に書かれています。
 そのうちで代表的な「江戸名所図会」と「江戸名所花暦」の説明を紹介します。
 なお、二つの書物に、紅白の蓮の花と書かれていますが、現在は、白色の蓮はなく、紅色の蓮だけになっています。


 「江戸名所図会」に、次のように書かれています。 
 
c0187004_22383064.jpg 不忍の池 
 東叡山の西の麓にあり。江州(近江)琵琶湖に比す(不忍とは忍の岡に対しての名なり)。広さ方10丁ばかり、池水深うして旱魃(かんばつ)にも涸(か)るることなし。ことに蓮(はちす)多く、花の頃は紅白咲き乱れ、天女の宮居(みやい)はさながら蓮の上に湧出(ゆうしゅつ)するがごとく。その芬芳(ふんぽう よい香り)遠近の人の袂(たもと)を襲ふ
 

不忍池の蓮は、「江戸名所花暦」の中でも、取り上げられています。  

c0187004_22385629.jpg 不忍池  
 東叡山の麓なり。見わたし3、4丁、長さ5、7丁ほど。源水(みなかみ)は谷中・千駄木の小川よりながれいづる。中じまに弁財天あり。江州(近江)竹生島をうつす。寛永(1624~1644)のころまでは離島(はなれじま)にて、参詣の通路なかりしといへり。今は通路ありて、しかも島の回(めぐ)りはみな貨食屋(りょうりや)なり。
 名物 蓮めし ・田楽等を鬻(ひさ)ぐ。花盛りのころは、朝まだきより遊客(ゆうかく)、開花を見んとて賑はふ。
 実に東雲(しののめ)のころは、匂ひことにかんばしく、また紅白の蓮花(れんげ)、朝日に映ずる光景(ありさま)、たとへんに物なし。

 江戸名所花暦の中に書かれている通り、蓮飯(はすめし) が名物でした。蓮飯は、蓮葉飯(はすはめし)ともいい、 お米を蓮の葉で包み、それを蒸したもの。蒸し器に米を入れ、その上を蓮の葉で覆って蒸したもの。巻葉を細かく切って、湯通しして塩味をつけて、炊きたてのご飯にまぜるものなどいろいろな種類があったそうです。
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by wheatbaku | 2009-07-21 09:39 | 江戸の花と木 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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