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善国寺 (牛込門 ③  「三十六見附」)
 今日から、江戸城「三十六見附」の案内を再開します。
 
 牛込橋を渡り神楽坂を上って行くと、有名な毘沙門様が左手にあります。飯田橋駅西口改札を出て徒歩5分です。

 神楽坂の毘沙門様の正式な名前は 「善国寺」 といいます。

c0187004_18294029.jpg  善國寺が創設されたのは、桃山時代末の文禄4(1595)年です。
 初代住職は日惺上人と言い、池上本門寺12代の貫首も勤めました。
 上人は、関白二条昭実の実子であり、父の関係で徳川家康と以前から親交を持っていたことから、徳川家康は、上人に日本橋馬喰町馬場北の先に寺地を与えさらに鎮護国家の意を込めて、手ずから『鎮護山・善國寺』の山・寺号額をしたためて贈り、開基となりました。

c0187004_18314793.jpg 徳川光圀も、善國寺の毘沙門天様を信仰し、寛文10(1670)に焼失した善国寺を麹町に移転し再建されました。

  善国寺は、その後、寛政4年(1792)の火事で消失し、現在地の神楽坂へ移転しました。
  なお、麹町の遺跡は、麹町三丁目交差点の脇の歩道に建てられている黒御影の『善國寺谷跡』の石碑により、往時を偲ぶことができることができるそうです。

  毘沙門天は、日惺上人が池上本門寺に入山する際に、父の二条関白から贈られたものだそうです。
  善国寺の毘沙門様は、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれ、 現在は山手七福神の一つに数えられています。

  毘沙門天は、寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻にこの世に出現したことから、寅の石像が、本堂左右に鎮座してます。(上の写真は右側の寅です)
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by wheatbaku | 2009-11-30 12:35 | 三十六見附 | Trackback
扇屋 (江戸の老舗の味)
  昨日は、江戸検一級2期会の人たちと、王子を散策してきました。その散策の途中で、念願の扇屋で有名な玉子焼きを買うことができました。
 そこで、三十六見附の連載中ですが、今日は 「扇屋」 の紹介をします。

 昨日の王子散策は、上中里駅に集合し、平塚神社から飛鳥山公園、王子神社、王子稲荷、名主の滝公園まで散策してきました。
 ガイドのOさんには大変お世話になりました。Oさんありがとうございました。
 散策の詳しい内容は、月猫さんが書いてくれます。

c0187004_0342865.jpg【扇屋】 
  扇屋は慶安元年(1648)創業ということですので、創業以来350年以上経っています。
 以前は料亭として営業をやっていましたが、今は、料亭はやめて、、王子駅前(北口徒歩2分)の小さなお店で玉子焼きのみ販売しています。
  販売をされている男性がご主人で、扇屋の14代目のご当主です。
  大変気さくな方で、玉子焼きの包装をしながら、扇屋のことについていろいろ教えてくれました。

c0187004_21523021.jpg【釜焼き玉子】 
 有名な釜焼き玉子は予約のみで受け付けているそうです。
 3990円ですが、玉子20個を使って釜で1時間かけて焼き上げたもので20センチ以上の大きさがあります。
 昨日は、何組もの人が受け取っていました。
 失礼して予約のお客様用に準備していた釜焼き玉子を撮らせてもらいました。


c0187004_21525360.jpg【玉子焼き】 
 一折1260円のものは、その場で買えるので、一折買いました。
 縦21センチ×横12センチの折に一杯に入る大きさがありました。
 厚さも4センチというボリュームでした。
 甘みがかなりありましたが、ふっくらした玉子焼きで、家族であっという間に食べてしまいました。


c0187004_2153136.jpg【扇屋の商標】 
 これはお店にかけてあった暖簾ですが、一目みた時は揚羽蝶の紋だと思いました。
 しかし、14代目当主のご説明では、これは商標で「扇」を形どったものだそうです。
 確かによく見ると扇でした。なるほど「扇屋」の商標として「扇」は的を得たものだと思います。


c0187004_223822.jpg【幕末・明治期の扇屋】 
 これは幕末・明治期の扇屋です。
 目の前の川が、音無川です。14代目当主のお話だと、この写真の右側が飛鳥山側だそうで、左側が、王子稲荷側だそうです。昔の「扇屋」は飛鳥山側にありましたが、現在は、反対側に移っています。

 この写真は、「長崎大学附属図書館所蔵」の写真です。
 長崎大学付属図書館のご厚意により「幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」から画像を転載させていただいています。
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by wheatbaku | 2009-11-29 11:35 | 江戸の老舗 | Trackback
神楽坂・軽子坂 (牛込門 ② 「三十六見附」)
今日は牛込門の近辺の見どころを紹介します。
江戸時代は、飯田橋駅もちろん飯田橋もはありませんでしたが、現在では飯田橋駅周辺で江戸の名残りのある所という方がわかりやすいことになります。
 
c0187004_2233122.jpg【神楽坂】 
 牛込門跡から新宿区側に牛込橋を渡って外堀通りを横断すると、神楽坂です。
 花街としても知られ、現在でも料亭などが多いのですが、花街として栄えるようになるのは明治以降の話です。
 「神楽坂」の名前の由来について、「江戸名所図会」(天保7年)には
 『この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、あるいは、津久土明神が田安の地から今のところに遷座する時に、この坂にて神楽を奏したからとも、若宮八幡の社が近く、常に神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれる』 と書いてあります。


c0187004_22332489.jpg【軽子坂】 
 揚場町と神楽坂2丁目の境を西に上る坂が軽子坂です。神楽河岸と呼ばれる船着場に揚げられた多くの荷物は「軽子」の手で運ばれました。
 「軽子」は軽籠持ちの略称で、揚場で働いた人たちで、船荷を軽籠(縄で編んだもっこ)に入れて運搬することを職業としていた人たちです。
 その軽子がこの辺りに多く住んでいたことから軽子坂の名前がつけられました。
 江戸名所図会には、「逢坂(おうさか)」という名称で説明されています。

c0187004_22334661.jpg【揚場跡の碑】 
 飯田橋駅近くの「けやき橋」横に「牛込揚場」の碑があります。
 その碑には、「江戸時代には海からここまで船が上がってきた。全国各地から運ばれてきた米、味噌、醤油(しょうゆ)、酒、材木などがこの岸で荷揚げされたので、この辺は揚場と呼ばれていた」とあります。
 川岸の神楽坂横の軽子坂北側一帯は揚場町(あげばちょう)としてそのままの名を残しています。


ピンクが牛込門のあった所赤が神楽坂緑が軽子坂青が揚場跡の碑です。

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by wheatbaku | 2009-11-27 05:49 | 三十六見附 | Trackback
牛込門 (三十六見附)
 昨日までで小石川後楽園の紹介が終わりましたので、今日から「三十六見附」の紹介を再開します。
 今回は 「牛込門」 の紹介をします。

c0187004_20125567.jpg 牛込門
 牛込門は田安台から牛込方面にでる門で、牛込口とも呼ばれていました。
 この辺りから市ヶ谷門にかけては濠の幅が100mもありましたが、現在では大分狭くなっています。
 別名で楓門とも言われますが、秋の紅葉は素晴らしかったそうです。
 写真は、JR飯田橋駅西口の改札口から左手に見える牛込門の石垣です。


c0187004_20145061.jpg阿波乃國
 牛込門は、寛永13年(1636)に枡形石塁が、そして寛永15年(1638)に門が、阿波徳島藩藩主蜂須賀忠英によって築かれています。
 それを証明するかのごとく交番脇にある巨石の左下隅に「阿波乃國」の刻印がされています。
 駅の改札を出て左に歩いていくと左手にあります。上の写真の石垣の向かい側になります。


c0187004_22514493.jpg水位差
 ここは市ヶ谷寄りと小石川寄りで水位差があるため、土橋で市ヶ谷方面の水を支え、小滝を設けて小石川方面に水を落としていました。
 写真は幕末明治期の写真ですが、写真中央に小さな滝があるのがわかますでしょうか?
 土橋となっているため、ここまで、船は入ってこれましたが、これから先には上れませんでした。

 下の写真は、牛込門の見取り図です。飯田橋駅西口を出て左側の場所に牛込門がありました。
c0187004_22451439.jpg

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by wheatbaku | 2009-11-26 06:22 | 三十六見附 | Trackback
内庭・寝覚の滝 (小石川後楽園 ⑧ 江戸の庭園)
 7回にわたり紹介してきた小石川後楽園の紹介も今日が最期になります。

 今日は、いままで紹介していない場所をご紹介します。

c0187004_2163618.jpg内庭
 内庭は、かつて水戸藩邸の書院があった所です。
 昔は唐門によって、大泉水側の「後園」と仕切られていました。
 池泉には中島があり、2つの反り橋が架けれています。
 藩主や正式なお客様は、内庭から唐門を通って後園をめぐり散策したようです。


c0187004_2144763.jpg寝覚の滝
 内庭の泉水の水が木曽川に落ちるところが寝覚の滝と名づけられています。
 寝覚の滝のある周辺は今も木々がうっそうとしています。
 当初は棕櫚の木が多かったので棕櫚の林と呼ばれていたようですが、別名で木曾山と呼ばれています。


c0187004_20481011.jpg延段(のべだん)
 唐門をぬけ、木曽山をぬけると石畳の苑路があらわれます。
 これは延壇(のべだん)と呼ばれるもので、中国風の素朴な石畳で、切石と玉石を組み合わせたものです。
 唐門から後楽園に入り、この石畳の道を通っていくと大泉水が突如あわわれるという展開になっています。


c0187004_20484145.jpg白糸の滝
 大泉水の北側にあります。
 この滝は、作庭当初はありませんでした。
 第6代の治保(はるもり)の明和3年(1766)から文化元年(1804)の間に新しく作られてものです。

 
 白糸の滝の前の沢渡りは下の写真のように、角張っています。
 一方、通天橋下の大堰川の沢渡りは右の写真のように丸くなっています。
 こんなところにも、後楽園のこだわりがあるように思います。
c0187004_20515584.jpgc0187004_20542845.jpg


緑で囲ったところが今日紹介した場所です。 
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by wheatbaku | 2009-11-25 06:23 | 江戸の庭園 | Trackback
唐門跡など (小石川後楽園 ⑦ 江戸の庭園)
 後楽園は、元々多くの建物がある庭園でしたが、数々の火災や地震により、そのほとんどが失われています。
 今日は、その失われた建物の跡を紹介します。


c0187004_16145763.jpg【唐門】 
 唐門は、内庭と後楽園との境にあった門です。
 正式の後楽園の回遊の仕方は、唐門から入り、唐門から大泉水へ向かう道順でした。
c0187004_22254087.jpgしかし、太平洋戦争の戦災で焼失してしまいました。


c0187004_16155398.jpg【清水観音堂跡】 
 京都の清水寺を模して造ったもので、崖下から柱を組み上げせり出していてすばらしい見晴らしだったと言われています。
 堂内には、室町時代の作を言われる如意輪観音が安置されていましたが、関東大震災によえい堂が焼失する直前に持ち出されて、現在東京都が管理しています。


c0187004_16161447.jpg【西行堂】 
 作庭当時からあった堂で、中国風の舗石が敷かれ、鞍打師の小野荘兵衛作の西行法師の木像が安置されていました。
c0187004_20584813.jpgこの堂の右に、西行の歌碑がありますが、9代藩主斉昭夫人が建てたものです。


c0187004_1616398.jpg【八卦堂】 
 徳川光圀が7歳の時初めて3代将軍家光に謁見した折、さまざまな品物を見せて、その中から好きなものを取ってよいといわれて「文昌星」の像を取り上げたため、家光は大変感心したといわれています。
 光圀は、「文昌星」を思い起こし、八卦堂を造って安置したといわれています。
 この八卦堂も関東大震災の時に焼失してしまいました。


c0187004_1617070.jpg【琴画亭跡】 
 園の東北部には、当初「河原書院」という建物がありましたが、享保の頃に火災で焼失してしまいましたが、その後再建されませんでした。
 その代わりに建てられたのが琴画亭です。
 その琴画亭も現在はなく、手水鉢(写真の中央奥)だけが、その名残りをとどめています。


青で囲ったところが失われた建物跡です。
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by wheatbaku | 2009-11-24 06:12 | 江戸の庭園 | Trackback
得仁堂 (小石川後楽園 ⑥ 江戸の庭園)
 今日は、後楽園にある建物を紹介します。

 後楽園には、多くの建物がありましたが、地震で倒壊したり火災で焼失したりして、現在ある建物は四つです。
 そのうち創建当時のまま残っている建物は、得仁堂だけです。
 再建されているものは、涵徳亭(かんとくてい)、九八屋、丸屋の三つです。

c0187004_1825157.jpg【得仁堂】 
 この建物は、光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置した堂です。
得仁堂の名前は孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁」と語ったことによります。
 関東大震災や戦災にも残った唯一の建物です。
 現在、伯夷・叔斉の木像は東京都が保管しています。


c0187004_18253140.jpg【涵徳亭(かんとくてい)】 
 後楽園が創建された時に造られた萱葺の茶室で、硝子紙をもって障子としたため「硝子(ビードロ)ノ茶屋」と
呼ばれていたのを、享保年間に林信篤が涵徳亭と名づけました。
 現在の建物は4代目で昭和61年に再建されました。


c0187004_1826523.jpg【九八屋】 
 江戸時代の酒亭を景観に取り入れ建てられたものです。
 享保年代は、木製の夫婦像を置い店主としたと言われています。
 建物の名前は、「酒は昼は九分目、夜は八分目が適量」といわれていたことに由来しています。


c0187004_18263248.jpg【丸屋(まろや)】 
 「丸屋」は昔の田舎のわびた茶屋のたたずまいを現している建物です。
 茅葺の田舎風の酒」茶屋で、丸の字を染め抜いた暖簾を下げていたといわれています
 現在は休憩所として使われています。


ピンクで囲ったものが今日ご紹介した建物です。 
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by wheatbaku | 2009-11-23 08:52 | 江戸の庭園 | Trackback
田園の景  (小石川後楽園 ⑤  江戸の庭園)
 小石川後楽園の「田園の景」 をご紹介します。
 田園の景は、園の東北部にある、水田、菖蒲田、を中心として地域です。
 ひろびろとして田園風景がひろがっています。

c0187004_23552628.jpg【しょうぶ田】
 これは、5月の花菖蒲が満開の時期のしょうぶ田です。
 西側から東方向を写した写真です。しょうぶ田の奥が、下の『水田」になります。




c0187004_23563643.jpg【八つ橋】 
 これは杜若と八つ橋です。
 しょうぶ田の北側に造られています。
 これも5月に撮影しましたので、かきつばたが咲いています。


c0187004_23565894.jpg【水田】 
 農民の苦労を、水戸光圀が彼の嗣子・綱条の夫人に教えようと作った田圃です。
 現在は毎年、文京区内の小学生が、5月に田植え、9月に稲刈りをしているそうです。
 今年の稲刈りは終わり、刈入の後の稲の切株に、再び青い芽が萌えています。
 このような田を「ひつじだ」と言います。
 『ひつじ田に紅葉ちりかかる夕日かな』という蕪村の句があります。


c0187004_01295.jpg【神田上水】 
 後楽園の北部を神田上水が通っています。
 神田上水は、井の頭池を水源とした上水で、関口でせきとめられた神田川の水が、後楽園を通って水道橋近くの懸樋を通って江戸城や日本橋地区に流れていました。
 後楽園は神田上水を泉水の水などに利用していました。


c0187004_23574034.jpg【不老水】 
 神田上水脇に、不老水と呼ばれる井戸があります。
 どんな旱魃にも水が涸れることがなく、どんな洪水にもあふれ出ることがなかったことから不老水と名が付けられました。


 赤で囲った場所が今日ご紹介した場所です。 
c0187004_14171878.jpg

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by wheatbaku | 2009-11-21 12:32 | 江戸の庭園 | Trackback
山の景 (小石川後楽園 ④  江戸の庭園)
  今日は、小石川後楽園の 「山の景」 のご紹介です。

 『山の景」は、小廬山、清水観音堂、得仁堂、円月橋、愛宕山をめぐる、山中の景色です。

c0187004_22113350.jpg【小廬山】 
 中国の名勝地「廬山」にちなみ、京都の清水寺一帯が小廬山と言われています。
 大堰川上流の景色が、京都の清水寺ににていることから、寛永17年に林羅山が「小廬山」と名づけました。
 現在は、オカメザサに覆われている丘が小廬山と呼ばれています。


【清水観音堂・得仁堂】 
下の左が清水観音堂跡で右が得仁堂です。この2つについては、後日、別にご紹介します。
c0187004_22115582.jpgc0187004_2212824.jpg


c0187004_22122587.jpg【円月橋】 
 円月橋は、朱舜水の指図により、駒橋という石工が造ったものです。
 この橋は、中国の山水画にある橋柱のない橋です。
 橋柱がないため、橋が水に写った様が、満月のようであるので、円月橋と名づけられています。
 写真でもその様子がわかると思います。
 8代将軍吉宗が吹上御苑にこのような橋を作らせようとして、石工を後楽園に派遣させて研究させましたが、難しいと伝えたのであきらめたとの逸話もあるそうです。

c0187004_2212419.jpg【愛宕山】 
  園の最北部に愛宕山と名づけられた場所があります。
 山と名づけられていますが、じつは石段です。 
 この石段は、京都の愛宕山の坂を模してつくられて石段ですので愛宕山と名づけられています。
 石段は47段もの石段となっています。
 あまりにも勾配が急で昇り降りが危険ですので、通行できないようになっています。
 この石段の上に八卦堂跡があります。八卦堂についても後日紹介します。

 緑で囲った部分が、今日ご紹介した場所です。 
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by wheatbaku | 2009-11-20 06:15 | 江戸の庭園 | Trackback
川の景 (小石川後楽園 ③ 江戸の庭園)
今日は、小石川後楽園の西部を占める渡月橋、大堰川、通天橋などの 『川の景』 をご紹介します。

c0187004_2243419.jpg【大堰川】 
 大堰川の川幅はかなりあり、川の景の中心を占めています。
 京都の嵐山を模したものです。
 大堰川は、3代将軍家光の好みでつくられたとされています。家光自身が指揮をとったとも言われています。
 大堰川の上流(写真の右手)は通天橋につながり、下流には渡月橋がかかっています。


c0187004_224957.jpg【渡月橋】 
 渡月橋は園内の川の景の入口にあたる部分にあります。
 京都と同じように大堰川にかかっています。
 この写真の右手が上の写真の大堰川で、左手前方には西湖があります。
 

c0187004_2245553.jpg【屏風岩】 
 屏風のようにまっすぐ屹立していることから屏風岩と呼ばれている岩で、大堰川の川原に作られています。
 3代将軍家光がしばしば訪れた際に、この近くの松の枝に手ぬぐいをかけ、川原の石に腰をおろしたといわれています。
 家光は頼房とは年齢も近いこともあり、後楽園作庭中から何度も水戸家を訪ねて、徳大寺左兵衛に指示もしていたそうです。


c0187004_2233836.jpg【通天橋】 
 これが有名な通天橋です。
 大堰川の上流に架けられています。
京都の東福寺の「通天橋」にならって、大堰川に朱塗りの橋をかけたものです。
 紅葉の時は大変見事ですが、11月中旬では、まだ紅葉には早いようです。


c0187004_2255051.jpg【音羽の滝】 
 通天橋のすぐ下にある石組みが音羽の滝です。
 もともとは神田上水の水をくみ上げ流していたが、元禄大地震の時に水流が破壊され石組みだけが残りました。
【元禄の変革】  
 元禄期には、後楽園が大きく変わることがありました。
 一つは元禄大地震で、元禄16年(1703)に起きた元禄大地震は、後楽園にも被害をもたらし、水流が破壊されただけでなく、中島の徳大寺石も倒壊するなどの被害が生じたそうです。
  また、その前年の元禄15年には、5代将軍綱吉の生母桂昌院が後楽園を訪れた際に、78歳の桂昌院が歩行に困らないようにと多くの奇岩や大石が取り除かれてしまいました。


青で囲った部分が今日紹介した場所です。  
c0187004_16405784.jpg

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by wheatbaku | 2009-11-19 06:15 | 江戸の庭園 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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