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本堂 (不動寺③ 大奥ゆかりの寺)
 今日は、不動寺の本堂と総門のご案内をします。
 
c0187004_1259319.jpg【不動寺総門】  
 まず、総門です。御成門を歩いた先にあります。
 この門は、元長州藩毛利家の下屋敷の門だったそうです。
 素材は、すべてケヤキでできています。
 門の奥にあるのが、不動寺の本堂です。


c0187004_12593936.jpg【ご本尊は不動明王】  
 不動寺が開山したのは、昭和50年です。現在の本堂が建立されたのは平成13年12月のことです。
 不動寺のご本尊は、名前のごとく不動明王です。
 このお不動様は、天台宗の千日回峰行で有名な比叡山無動寺明王堂の不動明王を模して勧請し、ご本尊とされたものです。
 脇侍として、コンガラ童子とセイタカ童子が安置されています。
 また、ご本尊の前には、五大明王が安置されています。


c0187004_12595839.jpg【ライオンズ必勝祈願の寺】  
 この不動寺は、西武ライオンズが必勝祈願を行うお寺としても有名です。
 本堂には、昨年の必勝祈願の際の、ライオンズの選手のサインも掲示されていました。
 渡辺監督とご住職の記念撮影の写真も、サインの下に貼ってありました。
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by wheatbaku | 2011-02-28 13:00 | 大奥ゆかりの寺 | Trackback
御成門と丁子門(不動寺② 大奥ゆかりの門)
 不動寺の2回目は、勅額門と同じように、芝増上寺にあった門の御成門(おなりもん)と丁手門(ちょうじもん)をご案内します。

c0187004_16255983.jpg【御成門】 
 御成門は、勅額門を入ると石段があります。その石段の上に建っています。
 この御成門は増上寺の台徳院霊廟に建立されていたものです。
 元々、寛永9年(1632)に徳川家光が建立したものです。
 門の上部には飛天の彫刻や絵が描かれていて、天人門とも言われるそうです。
 門の下部には、松竹梅と牡丹の彫刻がされています。
門の多くは、屋根の棟と平行な面の平(ひら)側から入る「平入り」が多いのですが、この御成門は、妻側から入る「妻入り」となっています。
 国の重要文化財に指定されています。


c0187004_16261710.jpg【丁子門】 
 不動寺には、さらに、増上寺の南廟にあった崇源院(今年の大河ドラマの主人公『江』)の霊牌所の通用門であった「丁子門(ちょうじもん)」があります。
 丁子門は、不動寺の本堂の裏手の少し低くなった場所に建てられています。
 この門は、寛永12年(1635)に徳川家光によって建立されたものです。
 国の重要文化財に指定されています。
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by wheatbaku | 2011-02-27 16:27 | 大奥ゆかりの寺 | Trackback
不動寺勅額門(不動寺① 大奥ゆかりの寺)
 大奥ゆかりのお寺、増上寺が終わりました。今日からは、埼玉県の所沢市にある不動寺のご案内をします。
 いきなり、大奥ゆかりの寺が埼玉県なので奇異に感じるかもしれませんが、この不動寺には、増上寺の台徳院霊廟の遺構が残されているのです。

c0187004_910184.jpg【堤義明が建立】  
 不動寺は、正式には「狭山山不動寺」といい、天台宗の別格本山となっています。
 西武線「西武球場前」駅から見えるところにあり、3分ほどで、門に着きます。
 開山は昭和50年4月で、本堂が建立されたのが平成13年のことで、最近できた新しいお寺です。
 増上寺の南廟と北廟はともに西武グループが購入しました。
 このお寺は、西武鉄道のオーナーであった堤義明が建てた寺院です。
 堤義明は寛永寺と親しかったため、天台宗別格本山として建立したそうです。

c0187004_8575625.jpg 【台徳院霊廟の勅額門】 
 不動寺の表門は、勅額門です。
 この勅額門は、元々は、増上寺の南廟にあった2代将軍秀忠の廟である台徳院霊廟にあったものです。
 寛永9年(1632)に3代将軍家光が建立したものです。
 国の重要文化財に指定されています。


c0187004_943661.jpg 【勅額】 
 勅額は後水尾天皇の御親筆です
 門の上部には、唐獅子や朱雀があるなど、門の各部に極彩色の彫刻が残っていて、建立当時の豪華さをしのばせてくれます。
 






 ピンク印が不動寺です。

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by wheatbaku | 2011-02-25 06:15 | 大奥ゆかりの寺 | Trackback
増上寺⑪ (大奥ゆかりの寺)
 今日は、いよいよ増上寺の最後です。
 今日は、いままで紹介できなかったものをまとめてご紹介します。

c0187004_1643435.jpg【お江の絵馬】   
 安国殿の中には、ご朱印所があって、ご朱印の受付をしてくれます。
 そこでは、お札や御守を販売しています。
 その中に、「お江」の絵馬がありました。
 かわいい「お江」が描かれています。この「お江」は港区観光協会のイメージキャラクターです。

【歴代将軍の位牌】   
 安国殿の中に、和宮の像があることは 2月18日のブログ「和宮像」で書きましたが、その和宮の像の隣に、歴代将軍の位牌がおいてありました。
c0187004_16432219.jpg  徳川家康の画像を中心に、数多くの位牌が並んでいます。
 その右手部分は、歴代将軍の位牌でした。
 確認できた将軍の位牌は、次の各将軍の位牌でした。カッコ内は、将軍の院号です。
  2代将軍秀忠(台徳院)
  4代将軍家綱(厳有院)
  5代将軍綱吉(常憲院)
  8代将軍吉宗(有徳院)
 10代将軍家治(浚明院)
 11代将軍家斉(文恭院)
 13代将軍家定(温恭院)
 14代将軍家茂(昭徳院)

c0187004_16435968.jpg【カヤの巨樹】   
 増上寺南東端の慈雲閣の裏手にカヤの巨木があります。
 目通り(地上1.5mの高さ)の直径約1.3m、樹高約25mあります。
 樹齢は推定で600年を超える雄株だそうです。
 増上寺建立時の記録をはじめ、現在まで、この樹について記載された文書はありません。
 そのことから、この木が他から移植されたものではなく、古くからこの地に自生していたことを示すと考えられています。
 カヤは全体的には80cm以下のものが圧倒的に多い樹木とのことであり、巨樹としても全国的に有数なもので、最大のもののうちの1本に数えられとのことです。
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by wheatbaku | 2011-02-23 06:11 | 大奥ゆかりの寺 | Trackback
芝東照宮(増上寺⑪ 大奥ゆかりの寺)
  今まで10回にわたって書いて生きた大奥ゆかりの寺増上寺は今日は、 「芝東照宮」  の紹介です。
 芝東照宮は、都営地下鉄三田線 芝公園駅下車 A4出口すぐにあります。

 芝東照宮は、増上寺の安国殿と深い関係があります。
 つまり、明治の神仏分離令により、安国殿から分離されたのが、芝東照宮です。

 【東照宮の歴史】  
 東照宮のHPの御由緒に詳しく書かれています。
 「増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称された。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものである。

c0187004_17431153.jpg 安国殿の御神体は慶長6年(1601)正月、60歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀をを行っていた。
 死に臨んで公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺に祀るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(後の大老・土井大炊助利勝)の手により駿府から護り送られたのである。

 安国殿は明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて東照宮を称し、御神像を本殿に安置・奉斎した。明治6年には郷社に列し、社殿は寛永18年(1633)の造替当時のものが維持されていたが、昭和20年5月25日の戦災により、御神像の寿像と天然記念物の公孫樹を除いて社殿悉く焼失した。
 昭和38年には寿像が東京都重要文化財に指定され、昭和44年8月17日、復興奉賛会により社殿の完成を見て今日に至っている。」

 【神木の大イチョウ】  
c0187004_21182135.jpg 東照宮の社殿の手前北側に大きなイチョウがあります。
 これは、寛永8年(1641)の安国殿の再建に際し、3代将軍徳川家光が植えたものと伝えられています。
 高さが25.5メートル、目通り幹の周囲6.5メートルあるそうでうす。
 昭和5年に、国の天然記念物に指定されたが、昭和27年の文化財保護法の改正の時、国指定は一旦解除され、昭和31年に東京都の「天然記念物」に指定しされました。
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by wheatbaku | 2011-02-22 06:13 | 大奥ゆかりの寺 | Trackback
旧台徳院霊廟惣門(増上寺⑩ 大奥ゆかりの寺)
 今日は、増上寺の南にある 旧台徳院霊廟惣門 です。

 この門は、正しくは、増上寺の境内でなく、「ザ・プリンスパークタワー東京」の中にあります。
c0187004_21705.jpg【台徳院霊廟惣門】
 台徳院霊廟惣門は、台徳院(2代将軍徳川秀忠)の霊廟の表門です。
 台徳院霊廟は、増上寺の本堂の南側に、寛永9年(1632)に造営されたもので、2代将軍徳川秀忠の霊廟です。
 増上寺の徳川家霊廟の中で、最も規模が大きく、地形の起伏を利用した壮麗な建築群を誇っていました。
 しかし、昭和20年の戦災で、多くの建物が喪失して、焼失を免れたのは。惣門、勅額門、御成門、丁字門のみでした。
 そのうちの惣門が現地に保存されています。
 それ以外の門は狭山不動寺(埼玉県)へと移築されて現存しています

【台徳院霊廟惣門の仁王像】
 台徳門霊廟惣門の脇に仁王像があります。
 それについて詳しく書いた港区教育委員会の説明板がありました。
c0187004_2113136.jpg 「重要文化財「旧台徳院霊廟惣門」の左右に安置されて寄木造り、砥粉地彩色の仁王像で、方形の台座に乗った岩坐の上に立っています。
 平成16年から17年に行われた修理の際に、体内から修理銘札が発見され、元は埼玉県北足立郡戸塚村(現在の川口市西立野)の西福寺(真言宗)仁王門に安置されていたもので、寛政元年(1789)弘化3年(1847)の2度にわたり修理が行われていることがわかりました。
c0187004_21134930.jpg さらに安政2年(1855)の暴風で破損したまま同寺の観音堂の片隅に置かれていたものを、昭和23年(1948)同寺三重塔の修理と同時期に三度目の修理が行われた後で、東京浅草寺に移されたことも記載されています。その後の経緯は詳らかではありませんが、昭和33年ごろまでにはこの惣門に安置されたと考えられます。
 本像は18世紀前半までには江戸の仏師によって制作されたと推測され、江戸時代の仁王像として破綻のない作行きを示す貴重な作品です。
 像 高  阿形243・5cm
      吽形247・0cm
 平成18年10月24日 東京都港区教育委員会」

  
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by wheatbaku | 2011-02-21 05:37 | 大奥ゆかりの寺 | Trackback
黒門と景光殿(旧広書院)表門(増上寺⑨ 大奥ゆかりの寺)
 今日は、増上寺の  「黒門」と「景光殿(旧広書院)表門」  をご案内します。

【黒漆喰なので黒門】
 三解脱門の南側にある門を「黒門」といいます。全体が黒漆塗であったため「黒門」とも呼ばれています。高さ8mの四脚門です。
c0187004_13425086.jpg 建立当時、増上寺の主要伽藍はすべて漆塗されていましたが、三解脱門などの朱塗の建物との対照がきわだち、壮観であったろうと言われています。
 この門は、元は増上寺の方丈の表門でした。方丈というのは住職が執務をとる場所です。  
 増上寺の方丈は、御成門交差点付近の現在、芝公園・みなと図書館・御成門小学校一帯にあったそうです。
 この黒門の建立の時期はハッキリしていませんが、慶安年間(1648~1652)頃の建立だろうとされております。
 明治時代に増上寺方丈が北海道開拓使となり、その後海軍施設と芝公園となった時に、鐘楼堂脇に移築されましたが、その後昭和55年に現在地に移築されました。
 上の写真は境内側かた撮ったものです。

c0187004_13432084.jpg【景光殿(旧広書院)表門】
 本堂の裏手(西側)にある景光殿の正面に位置し、石段を登った先にあります。、
 現在地に移築されたのは、新書院建設時の昭和53年だそうですが、この門の建立当初の位置は不明とのことです。
 主柱には両側に壁が取り付けられていた痕跡がありますが、現在は門だけが単独で建っています。
 鬼瓦と留蓋〈とめふた〉瓦にも葵紋がついていました。
 
 この門をくぐった先に、前回紹介した和宮ゆかりの茶室「貞恭庵」があります。
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by wheatbaku | 2011-02-20 13:44 | 大奥ゆかりの寺 | Trackback
和宮像(増上寺⑧ 大奥ゆかりの寺)
 今日の増上寺の話題は、 和宮(14代将軍家茂の御台所) の話題です。

c0187004_21291571.jpg【安国殿の中の和宮像】 
 安国殿の中に和宮像が安置されています。
 安国殿に入り、正面左手に安置されています。
 銅像があることはだれでも気がつくとは思いますが、あまりPRされていないので、和宮の像だと気がつかない人も多いかもしれません。
 この和宮像は、鋳造師の慶寺丹長師により昭和3年に製作されたものです。

【複数体の和宮像】 
 増上寺の説明では、和宮像は、日本に三体あるそうです。その一体が増上寺にあるわけです。
 他の像は、一つは日本女子会館にあります。
 日本女子会館にあるものが下の写真です。
 日本女子会館は増上寺の近くにありますが、そこに和宮像があることはほとんど知られていません。
 これは、財団法人に本女性学習財団のT課長さんのご配慮で拝観させていただいた際に撮った写真です。
 さら、もう一つの和宮像は兵庫の高等学校にあるそうです。

c0187004_21294479.jpg【和宮の生涯】 
 和宮は、親子(ちかこ)内親王といい、仁孝(にんこう)天皇の第8皇女として、弘化3年に生まれました。
 母は議奏(ぎそう)の橋本実久(さねひさ)の娘経子(のちの観行院(かんぎょういん))で、誕生後、橋本邸で養育されました。
 嘉永4年(1851)6歳で、有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王と婚約しました。
 しかし、大老井伊直弼らを中心に公武合体のため降嫁が計画され、老中安藤信正によって、降嫁が実現しました。
 文久2年(1862)2月11日には江戸で14代将軍家茂との婚儀が行われました。
 しかし、将軍家茂は、第二次長州攻撃のため三度目の上洛中の慶応2年(1866)7月20日、大坂城で病死しました。21歳の和宮は江戸城にとどまり、12月に薙髪(ちはつ)して静寛院宮(せいかんいんのみや)と名のりました。
 江戸城開城後、清水邸に移り、明治2年正月に京都に戻り明治7年6月まで滞在した後、ふたたび東京に帰りました。
 明治10年8月から、持病の脚気(かっけ)治療のため、箱根塔ノ沢温泉に滞在し、9月2日そこでなくなりました。
 亡骸は、家茂がねむる増上寺に葬られました。

【貞恭庵】 
 増上寺には、和宮ゆかりの茶室もあります。「貞恭庵」といいます。
 和宮の法名は、「静観院宮増一品内親王好誉和順貞恭大姉」と言います。
 茶室の名前は和宮の法名の最後の「貞恭」に由来します
 本堂左手の丘の上にあります。
 ここは、原則、毎月第4日曜日に公開され、お茶を喫することができます。
 ただし、1月と4月は変更される可能性もあるとのことですので、事前に公開されるか確認したほうがよいとのことでした。
 ちなみに2月は27日(日)に公開されます。料金1000円です。
 担当の方の話ですと、和宮が江戸城で利用していた茶室ではなく、明治以降に利用していた茶室のようです。
c0187004_10374874.jpgc0187004_103875.jpg
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by wheatbaku | 2011-02-18 06:25 | 大奥ゆかりの寺 | Trackback
二天門と御成門(増上寺⑦ 大奥ゆかりの寺)
今日の増上寺は、東京プリンスホテルの駐車場脇にある二天門と御成門の紹介です。
 この2つの門は、徳川家の霊廟の門でありながら、あまり目立たない門ですが、大変貴重な門です。
 都営地下鉄「御成門」駅A1番出口を出ると二つの門が共に1分程度のところにあります。

 【華麗な面影の残る二天門】 
 現在の東京プリンスホテルは、戦前は増上寺の北廟でした。
 そこには、6代家宣と7代家継の廟がありました。
c0187004_8334267.jpg  戦前は東照宮と同じような華麗な建築物が立ち並んでいたそうです。しかし、それも戦災で焼失してしまいました。
 その中で、有章院霊廟二天門が残っています。
 有章院とは7代将軍徳川家継の法号です。その霊廟は8代将軍吉宗が享保 2年(1717)建立したもの で、日光の東照宮に劣らぬといわれるほどの豪華なものでした。その名残りは現在も残っています。
 この門は、現在、国の重要文化財に指定されています。 
 門の両脇には、広目天と多聞天が祀られているため二天門と言われます。
 北廟には、文昭院(6代家宣の法号)の霊廟もあり、その門には、持国天と増長天が祀らていて、2門あわせて仏法を守護する四天王が祀られていました。
 左が西方を守護する広目天、右が北方を守護する多聞天(別名毘沙門天)です。c0187004_8141531.jpgc0187004_8143053.jpg
   

 【御成門】 
c0187004_2204278.jpg  東京プリンスホテルの駐車場の北側には、御成門が残されています。
 御成門は、元々は、増上寺の裏門として建てられたものですが、将軍が参詣する際に使用されたので「御成門」と呼ばれるようになりました。
 この門は、初めは現在の御成門交差点のところにありましたが、明治25年、現在の日比谷通りが建設された際に、現在地に移転されました。
 関東大震災や戦災をくぐりぬけた貴重な建物です。

赤印が二天門緑印が御成門です。

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by wheatbaku | 2011-02-17 06:19 | 大奥ゆかりの寺 | Trackback
徳川将軍家墓所(増上寺⑥ 大奥ゆかりの寺)
 今日の増上寺は、安国殿の裏側にある 徳川将軍家墓所 についてご案内します。

 増上寺は上野の東叡山寛永寺と共に徳川将軍家の菩提寺です。
 増上寺に埋葬されているのは、2代将軍秀忠・6代家宣・7代家継・9代家重・12代家慶・14代家茂の6人の将軍のほか、崇源院(2代秀忠御台所お江)、皇女和宮(14代家茂御台所)ら5人の正室、桂昌院(5代綱吉の実母)はじめ5人の側室、さらに3代家光の三男甲府宰相徳川綱重など多くの徳川将軍家の人々が埋葬されていました。

c0187004_2311310.jpg【霊廟は広大だった】 
 旧徳川将軍家霊廟は御霊屋ともよばれ、増上寺本堂の南側に、2代将軍秀忠の霊廟を中心とした南廟があり、北側に6代将軍家宣と7代将軍家継の霊廟を中心とした北廟がありました。
 北廟には、霊廟のほか、6代家宣、7大家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の宝塔もありました。
 霊廟は非常に広大なものでした。
 しかし、昭和20年3月10日に北廟68棟が焼失し、5月25日に南廟28棟が焼失し、2度にわたる空襲でほとんどが焼失しました。

c0187004_2372390.jpg【鋳抜門は文昭院霊廟の中門】 
 霊廟は、昭和33年~昭和35年に改葬されました。
 霊廟跡地は、現在、北の部分は東京プリンスホテル、南はザ・プリンスパークタワー東京となっています。
 そして、将軍家の墓所は増上寺本堂裏に移転したのでした。
 現在の増上寺の徳川家墓所の入口の門は、もと文昭院霊廟の奥院の門だったものです。
 この門は「鋳抜門(いぬきもん)」とよばれ、もと文昭院殿霊廟(6代将軍徳川家宣)の宝塔前の「中門」であったものです。
 左右の扉に5個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている青銅製の門です。(上の写真)

 この門の前にも、「お江の眠る寺 増上寺」と書かれたポスターが掲げられていました。
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by wheatbaku | 2011-02-16 05:40 | 大奥ゆかりの寺 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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