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土佐藩関係者説(龍馬暗殺犯⑦)
 昨日は、龍馬暗殺犯人についての土佐薩摩連合説について書きました。
 先日のハカマオーのコメントに中岡慎太郎が犯人という説があると書かれていました。 
 ハカマオーの言う通り中岡慎太郎をはじめ土佐藩関係者が暗殺犯であるという説がありますので、今日はそれを紹介します。

 新人物往来社の菊池明氏著「龍馬暗殺完結変」の中で陸援隊士犯行説と後藤象二郎説が取上げられています。

【陸援隊犯行説】 
 まず、陸援隊犯行説について書きます。

 坂本龍馬が暗殺された直後から、薩摩藩や土佐藩が関係しているという情報は流れていたそうです。
c0187004_13351083.jpg 肥後藩士の上田久蔵という京都留守居役であった人物が、事件を知らされた後の12月4日の「日録」に次のように書いているそうです。

 坂本龍馬、暗殺に逢う。後藤象二郎、走免のこと、けだし龍馬を刺すは土州人なり。

 上田久兵衛は龍馬が暗殺されたと聞き、刺客は土佐人と直感しました。それは、公武合体を進めてきた土佐藩だけれども、武力倒幕派が台頭してきたため、大政奉還論者の坂本龍馬が排斥されたと考えたのです。

 また、鳥取藩の「鳥取藩慶応丁卯筆記」には次のように書かれているそうです。

土佐藩の内聞を探索候ところ、藩士二気にあい分かれ、一途は白川組諸浪士あい集まり、しきりに暴論の徒のみ建て論じ増長にて、今一途は後藤象二郎同意周旋の徒は右の暴論の徒を取り鎮めおり候よし。(中略)いまだ事件発せず候えども、隔論あいなり候様子にて、梅太郎(龍馬)となお今一手とは、たちまち不和を生じ、ほとんど殺伐の次第に及ばんとするの事情に基づき候よし。

 
「白川組諸浪士」というのは中岡慎太郎が率いる陸援隊のことであり、武力倒幕派の陸援隊は、後藤象二郎や龍馬の一派と、いずれは殺し合いに発展しかねない状態だったようです。

 こうした情況だったので、陸援隊が邪魔者の坂本龍馬を襲撃したというのが、「陸援隊犯行説」となります。
 しかし、武力倒幕派の中岡慎太郎はじめ陸援隊が坂本龍馬を排斥しようというのはわかるが、中岡慎太郎まで襲撃しなければならない理由がわからないと菊池氏はいい、この説に否定的です。

【中岡慎太郎犯人説】 
 これに関連して中岡慎太郎犯人説について触れておきます。
 9月22日付けのハカマオーのコメント通りですが、中岡慎太郎は武力倒幕派、坂本龍馬は平和的倒幕派です。坂本龍馬と中岡慎太郎は意見がちがったわけです。
 そこで、龍馬を説得するために、近江屋を訪問し議論しますが、龍馬が考えを変えぬため、龍馬に突然に斬りかかったというものです。

 この説を読者のみなさんはどう思われますか?・・・

【後藤象二郎黒幕説】 
 土佐藩が暗殺に関係しているという説の中には、後藤象二郎が事件の黒幕であるという説もあります。
 それによると、土佐藩の藩論を大政奉還論にまとめあげた後藤象二郎は、その発案者が龍馬であったことが公になり、自分の権威が失墜することをおそれ龍馬殺害指令を出したという説です。
 これに対して、菊池氏は、後藤象二郎が提案者として認定されるという前提そのものが間違っているといいます。
 大政奉還策のもととなった「船中八策」を文書にしたのは長岡謙吉でした。だから、長岡謙吉は大政奉還は龍馬の発案であることを知っていました。
 また、大政奉還を土佐藩が建白するにあたって、6月22日に、後藤象二郎は、料亭で薩摩藩の小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通と面談し薩摩藩の了解を取り付けていますが、その席に、坂本龍馬と中岡慎太郎も同席しており、小松帯刀や西郷隆盛は大政奉還の発案したのが坂本龍馬であることを知っており、後藤象二郎が自分の独創であると主張できる情況ではありませんでした。

 こうしたことから後藤象二郎黒幕説も否定されると菊池氏は言っています。
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by wheatbaku | 2011-09-30 13:39 | 京都幕末史跡めぐり | Trackback
犯人土佐薩摩藩連合説(龍馬暗殺犯⑥)
 今日も龍馬暗殺犯の続きです。龍馬暗殺犯については、京都見廻組説が有力と思われますが、薩摩藩黒幕説もかなり主張されています。
 しかし、龍馬暗殺犯のついては、京都見廻組説や薩摩藩黒幕説のはかにも、本当に様々な説があります。
 その中には、坂本龍馬の出身である土佐藩が関与しているという説もあります。
 今日は、薩摩藩が黒幕ですが、実行犯は土佐藩士と薩摩藩支藩の佐土原藩脱藩士という「犯人土佐薩摩藩連合説」について紹介します。
 これは立命館史学会の西尾秋風氏が書いています。

西尾秋風氏の結論は
  ・標的は坂本龍馬
  ・実行犯は、宮川助五郎ほか陸援隊士5名と佐土原脱藩士3名からなる「土佐・薩摩連合刺客団」
  ・命令者は中村半次郎
  というものです。


 西尾氏は、海援隊士の佐々木多門が旗本松平主税の家臣岡又蔵あてに書いた密書に「才谷(坂本龍馬の変名)殺害人、姓名まで相分り、是に付き薩摩藩の所置等、種々愉快の義これあり」と書かれていることから、龍馬暗殺に薩摩藩が関与していたという「薩摩藩説」に確信を持つにいたったと言っています。
c0187004_11351950.jpg その行動隊長には在京藩士の中では中村半次郎しか考えられず、その中村半次郎が刺客団を結成するとすれば、薩摩藩は手を汚さずにいつも面倒をみている連中に眼をつけるだろうと推測しています。

 そこで浮上するのが昨日も書いた伊東甲子太郎の高台寺党であるが、西尾氏は、中村半次郎であれば高台寺党より「三条大橋制札事件(さんじょうせいさつじけん)」で薩摩藩邸に逃げ込んできた土佐藩の5名を利用したのではないかと考えています。
 「三条大橋制札事件」は、前年の慶応2年8月21日に、新選組が三条大橋西詰の制札を引き抜こうとした土佐藩士を襲撃した事件です。右上写真は、現在の三条大橋西詰

 この時、リーダーの宮川助五郎が逮捕されて、2名が殺害され、残りの土佐藩士たちは薩摩藩邸に逃げ込んでいました。  西尾氏は、この土佐藩士たちは、薩摩藩に恩義を感じているはずだから、この人たちを利用したと考えています。
 さらに、11月15日には首領の宮川助五郎も釈放され土佐藩邸の牢屋に収容されました。

 こうして、土佐藩士宮川助五郎以下6名さらに佐土原脱藩士3名を加えた合計9名の刺客団が結成されたのではないかとしています。
 釈放されたばかりの宮川助五郎ではなく、中村半次郎自身が刺客団に加わった可能性も否定できないとも西尾氏は書いています。
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by wheatbaku | 2011-09-29 11:33 | 京都幕末史跡めぐり | Trackback
実行犯高台寺党説(龍馬暗殺⑤)
坂本龍馬暗殺犯の黒幕は薩摩藩だという説の紹介が続きます。
 黒幕は薩摩藩だと言うのが百瀬明治氏でした。黒幕はズバリ言って大久保利通だと言うのが山村竜也氏の説でした。
 しかし、両氏とも直接の実行犯ははっきりさせていませんでした。
 この実行犯は高台寺党だという説が作家の大浦章郎氏です。しかも黒幕は大久保利通です。

大浦章郎氏の結論は
  標的は坂本龍馬
  実行犯は、伊東甲子太郎の配下  
  黒幕は、筋書を木戸孝允が書き、大久保利通が伊東甲子太郎に要請、 実行指令は伊東甲子太郎が出した。
 というものです。


c0187004_1041131.jpg 大浦氏は、
 大政奉還後の政局は、慶喜派と勤皇派が競い合い、勤皇派も武力革命派と平和革命派に分かれて競い合っていた。
 坂本龍馬は、徳川家擁護論者であり、幕府幹部や親徳川諸侯が龍馬暗殺を指令することはありえない。
 一方、長州の木戸孝允、薩摩の大久保・西郷は武力倒幕革命を考えており、龍馬の存在は目障りだったろう
 と考えています。

【筋書は木戸孝允、黒幕は大久保利通、下手人は伊東甲子太郎一派】 
 薩摩藩は、薩長同盟とともに平和革命路線の土佐藩とも盟約を結んでいました。
 これに対して不快感を感じた長州の木戸孝允は、龍馬をどうするのか西郷隆盛にねじ込みます。
 処置に困った西郷隆盛は大久保利通に相談します。
 大久保利通は、中村半次郎を通じて、伊東甲子太郎を知っていたので、伊東甲子太郎に「龍馬を武力革命側に説得してもらいたい。説得できなくてもせめて12月初旬には京都にはいないよう仕向けたもらいたい」と依頼します。 
 そして、それらがうまくいかなかった場合には、暗殺もやむ得ないことを示唆します。
 伊東甲子太郎は、新撰組に参加したものの、その頃は新撰組から分離し、同志10数人と高台寺党を名乗っていました。

 大久保利通の依頼を受けた伊東甲子太郎は龍馬を訪問し説得しますが、失敗します。
 そこで、京都を離れることも勧告しますがこれも失敗します。
 そのため、伊東甲子太郎は最後の決断をせざるをえなかったと大浦氏は推測しています。

 大浦氏は、最後に、「筋書は木戸孝允、黒幕は大久保利通、下手人は伊東甲子太郎一派だ、というのが私の論である。」と念押しています。
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by wheatbaku | 2011-09-28 10:35 | 京都幕末史跡めぐり | Trackback
黒幕大久保利通説(龍馬暗殺犯④)
 昨日は、薩摩藩黒幕説を書きましたが、黒幕はズバリ大久保利通だとういう説を唱えるのが維新史研究家の山村竜也氏です。

c0187004_11402486.jpg山村氏の坂本龍馬暗殺犯の結論は
   ・標的は、坂本龍馬のみ
   ・直接実行犯は、特定できない。
   ・黒幕は、大久保利通
   (右写真、国立国会図書館所蔵)
 というものです。


【暗殺犯は幕府方ではない】 
 山村氏は、坂本龍馬を暗殺した犯人は、どう考えても幕府方ではないと言います。
 幕府方の暗殺犯としては、新撰組と京都見廻組が考えられるが、新撰組は倒幕派に対しては斬殺を第一の目的としてはいなかったといいます。
 剣客集団の新撰組でさえこうなのであるから、旗本御家人の子弟で構成されている京都の治安維持を目的とする京都見廻組は暗殺を目的に行動することはありえないと言います。
 もう一つ、犯行声明が出されていないことも幕府方ではないと断定できる根拠だと言います。

【黒幕は大久保利通である】 
 だから、山村氏は倒幕派が怪しいと言います。
 断固武力倒幕を主張する強硬派にとって、平和革命の最大の推進者坂本龍馬が邪魔になります。
 武力倒幕派が龍馬を亡き者にしようとすることは十分考えられ、暗殺命令を下したのは薩摩藩だろうと言います。
 薩摩藩の武力倒幕派には西郷隆盛と大久保利通がいますが、その中で、命令を下したのは山村氏は大久保利通だと推測します。
 西郷隆盛は、元治元年に初対面して以来二人は同志として付き合ってきました。
 二人の交遊の深さから考えて、たとえ政治情勢がかわったとしても、相手を暗殺するなどとは考えられない。また、西郷隆盛の人柄からは同志を暗殺するなどとはとても考えられない。
 しかし、坂本龍馬と大久保利通は、不思議なほど接点は少ないそうで、大久保利通日記や書簡に、暗殺されるまで龍馬の名前は出てこないそうです。
 そして、坂本龍馬が暗殺された11月15日、大久保利通は在京し、西郷隆盛は京都にいないことも、大久保利通の方が怪しく考えさせる要素だと言います。
 龍馬が暗殺された後、大久保が岩倉具視に4日連続して龍馬暗殺に関する書簡を送っているのは偽装工作ではないかと書いています。
 目的のために手段を選ばない男大久保利通にとって武力倒幕に立ちふさがる坂本龍馬という障壁を排除するなどは彼にとっては当然のことであったのかもしれないと言います。

 黒幕犯は大久保利通と推測できるものの、実際の暗殺犯は特定できないと言います。
 なぜならば、万が一襲撃に失敗し返り討ちにあっても正体が判明することのない人物が選ばれたはずだからだと言います。
  有力な説として高台寺党を挙げる説があるが、山村氏からみても考えられない説ではないと言います。

 以上が山村竜也氏の考える、「大久保利通黒幕説」です。

 山村氏が触れていた暗殺犯高台寺党説については、明日書こうと思います。

 
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by wheatbaku | 2011-09-26 15:01 | 京都幕末史跡めぐり | Trackback
薩摩藩黒幕説(龍馬暗殺犯③)
 昨日書いた「湯島本郷散歩」に関連する記事ついては、後日、書きます。 
今日は、龍馬暗殺犯の話題に戻ります。
前回までは、京都見廻組説を紹介しましたが、今日は、龍馬暗殺には黒幕がいるのではないかという話題を書きたいと思います。
 黒幕についても諸説がありますが、薩摩犯黒幕説がよく言われます。
  「別冊歴史読本1993年春季」号で、薩摩犯黒幕説を書いているのは、作家の百瀬明治氏です。

 百瀬氏の結論は
  標的は、坂本龍馬
  実行犯は、京都見廻組
  坂本龍馬の動向について情報を流した黒幕は薩摩藩(西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視か)
 というものです。


【黒幕説諸説】 
 百瀬氏は、いろいろな坂本龍馬暗殺犯説を検証して、新撰組説を否定し、暗殺したのは京都見廻組と考えています。
c0187004_1057222.jpg  しかし、京都見廻組が単独で実行したのではなく、坂本龍馬の動向を教えた黒幕がいたという考えです。
 そして、いろいろな黒幕説を検証しています。

 まず、和歌山藩の公用人三浦休太郎黒幕説について、三浦は坂本龍馬のアジトを知る立場になかったとして否定しています。
 
 ついで、後藤象二郎黒幕説とは、後藤象二郎が大政奉還の功を独占するために龍馬を暗殺を計画したのではないかという説があるが、後藤は龍馬のアジトを知りえる立場にいたが、龍馬を暗殺する動機が薄弱すぎると否定しています。

【薩摩藩黒幕説】 
 そして、黒幕の候補は、旧幕府上層部か討幕派が可能性が高くなる、しかし、旧幕府上層部は、反幕戦線のハト派の龍馬を血祭りにあげる必要はなく、龍馬が邪魔だったのは倒幕派であり、黒幕の可能性がより高いのは倒幕派であると言います。

 龍馬が大政奉還策に動きだした時点で、倒幕派にとって、龍馬は御用済みで、むしろ屋厄介者扱いする風潮がひそかに広がっていたのは否定できないだろう。そして、西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視などは、坂本龍馬のアジトを京都見廻組にリークし、京都見廻組が坂本龍馬を襲撃したのだろうと推測します。
 そして、実行犯の京都見廻組には、アジトをリークする際に、厳重なかん口令を要求したのではないかと書いています。

 薩摩藩が黒幕であると考える説は、他にもあります。次回も薩摩藩黒幕説をついて書きたいと思います。
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by wheatbaku | 2011-09-26 11:00 | 京都幕末史跡めぐり | Trackback
湯島本郷散歩(大江戸散歩)
 昨日、毎日文化センターさんの「お江ゆかりの地を行く~気ままに江戸探訪」第4回講座が開かれ、受講生の皆さんと湯島・本郷・小石川を散歩してきました。
 コースは次の通りでした。
 心城院 ⇒ 湯島天神 ⇒ 麟祥院 ⇒ 壺屋總本店 ⇒ 東大 ⇒ 伝通院
 
 受講生のほとんどの皆さんは湯島天神は参拝したことがありますが、それ以外は訪ねたことがないということで、大変喜んでいただきました。
 絶好の行楽日和の上に、4回目の講座ですので、受講生の皆さん同志もお互いになじみになり、和気あいあいの雰囲気で楽しい散歩になりました。
 受講生の皆さんありがとうございました。

c0187004_1028538.jpg【心城院】   
最初の心城院では、御住職が丁寧に心城院の歴史・本尊の聖天様についてじっくり時間をかけて御説明いただきました。 受講生の皆さんも質問をされたりして、大満足の様子でした。

 c0187004_10422100.jpg【湯島天神】  
 湯島天神は、皆さんが参拝したことがあり、久しぶりの参拝に喜ばれていました。
 あいからわずの合格祈願の絵馬の多さに踊ろいていましたが、「奇縁氷人石」の話に驚いたり、「天神様と牛の関係」の話題で盛り上がりました。 

c0187004_10293514.jpg【麟祥院】  
 麟祥院は春日局が創建したお寺で春日局の菩提寺でもあります。
 以前に「大奥ゆかりの寺 麟祥院」でブログに書いたことがあります。
 春日局の生涯の説明もしましたが、春日通りが、春日局に由来するという話にも納得顔の皆さんでした。
 春日局のお墓(右写真)も案内しました。
 お墓が四方に穴が貫通した珍しい形をしていますが、その形にびっくりでした。
 いつもは静かな麟祥院も、昨日はお彼岸のお墓参りの人が大勢でした。


 c0187004_1054693.jpg【壺屋総本店】  
 壺屋総本店は、江戸時代寛永年間創業の老舗です。
 お店の歴史を御主人が話してくれました。
 勝海舟に御贔屓にされたとのこと。
 壺々最中を買って皆さんで食べました。


【東京大学】  
 東大では、懐徳館(旧前田邸)、赤門、安田講堂、三四郎池をじっくり散歩しました。
c0187004_105134.jpg 東大キャンパスに入構する人はほとんどの人が初めての経験とのことでした。
 東大の赤門は、正式名称は御守殿門です。そのいわれも説明しました。
 東大生協では、東大マークの入ったグッズを買っていただきました。   

c0187004_10295639.jpg【伝通院】  
 最後は、伝通院です。
伝通院の山門は、来年3月に再建工事が完了の予定ですが、かなり出来上がっていました。
 ここでは、於大の方の墓、千姫の墓、本理院の墓、清河八郎の墓など、歴史上の有名人のお墓をお参りさせていただきました。
 その後、新撰組の母体となった浪士組が結成された処静院の跡を見て、終了としました。 

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by wheatbaku | 2011-09-25 10:46 | 大江戸散歩 | Trackback
見廻組説② (龍馬暗殺②)
 昨日は、台風15号が首都圏を直撃しましたが、皆さん影響はどうでしたか?
 私は、電車が停まってしまったため、帰宅は深夜になってしまいましたが、それ以外は大きな影響はありませんでした。

 さて、ほーりーの出版記念イベントの記事の後を受けて、「龍馬暗殺」の記事にまた戻りたいと思います。

c0187004_10454860.jpg さて、前回は、龍馬暗殺は、京都見廻組の仕業で、直接の暗殺犯は桂早之助だという木村幸比古氏の説を紹介しましたが、暗殺は京都見廻組が実行したが、①暗殺の判断は佐々木只三郎単独という犯人佐々木説、②直接の暗殺犯は渡辺篤であるという説があるので、今日は、この二つの説を紹介します。

【犯人佐々木只三郎説】 
 犯人佐々木只三郎説を書いているのは、維新史研究家伊東成郎氏です。

 その結論は
  ①標的は坂本龍馬のみ。中岡慎太郎は巻き添え
  ②直接実行犯は、京都見廻組
  ③黒幕はいなくて、佐々木只三郎の独自判断によるもの
 というものです。


 佐々木只三郎は、会津藩士出身、神道精武流を修得した剣豪です。文久3年(1863)には江戸赤羽橋で清河八郎を暗殺しています。
 清河八郎を暗殺した翌年、京都見廻組に参加しています。
 伊東氏は、佐々木只三郎率いる京都見廻組の一団は、佐々木只三郎のある重大な正義感のもと、あくまでも坂本龍馬一人を狙って、捕縛は考えずに近江屋に突入したと推定します。
 薩長両藩を結びつけようとするフィクサーとしての坂本龍馬を、幕府至上の佐々木只三郎にとっては断じて容認できなかったはずであり、さらに龍馬の寺田屋脱出後は、佐々木只三郎のその思いは一層強くなったと思われると伊藤氏は書いています。
 そして、佐々木只三郎は清河八郎の暗殺と同じように粛々と履行したと推測しています。

【犯人渡辺篤説】 
 犯人渡辺篤説を書くのは、歴史家の石田孝喜氏です。

 結論は
  ①標的は坂本龍馬のみ、中岡慎太郎は巻き添え
  ②実行犯は京都見廻組、衝撃した人数は今井信郎によれば7名、渡辺篤によれば7名もしくは6名
  ③命令者は見廻役か京都守護職の松平容保
 というものです。
 

 龍馬襲撃に加わった京都見廻組の隊士のうち維新後まで生き残ったのは、今井信郎と渡辺篤です。
 このうち今井信郎には、箱館で降伏した後、明治3年に龍馬殺害の刑事犯として供述した「刑部省口書」があり、渡辺篤は明治13年6月付けの「履暦書原本」で坂本龍馬襲撃の様子を記録しています。
 大正4年、渡辺篤がその死に臨んで、坂本龍馬を斬ったと言い残し、「渡辺家由緒暦代系図暦書」を公表するよう遺言しました。
 渡辺篤は、今井信郎の供述書が世に出ていない時期に2度にわたって龍馬襲撃の様子を記述してありました。
 石田氏は、今井信郎の刑部省での口述が公になる以前に龍馬暗殺を自白した「履暦書原本」がある以上、渡辺篤犯人説を否定できないとしています。
 
 また、次のようにも書いています。
 佐々木只三郎以下の京都見廻組士の行動は、現代風にいうと、警察庁長官の命令で、政府の転覆を図る暴徒の逮捕に出動した京都市警察機動隊の取り締まり行為であった。この点から考えると、京都見廻組士たちは犯人でにもなんでもなく、彼らの行動を犯行とは言いがたい。彼らにとっては当然の任務遂行であるから、あえて手柄を表明することもなく、やがて政権のドンデン返しの事態とともに一転負われる立場に立とうとは夢にも知らなかったであろうと書いています。

 前回の話とあわせると、京都見廻組犯人説を採る人が多いように思います。
 
 坂本龍馬の写真は、国立国会図書館所蔵です。
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by wheatbaku | 2011-09-22 10:34 | Trackback
「ほーりー」の出版記念イベント
c0187004_92272.jpg 昨日、浅草で、お江戸ル「ほーりー」の出版記念イベントがありましたので、出席してきました。
 「ほーりー」はニックネーム、本名は堀口茉純さん。
 堀口茉純さんと書くと堅苦しくなってしまうのですが、 江戸検1級合格者仲間で、定例会や飲み会の定例参加メンバーです。
 いつもは「ほーりー」と呼んでいます。
  江戸検1級に最年少(合格当時25歳)で合格した才媛。いくら興味があるとはいえ、25歳で合格したことに驚いたものでした。
 江戸検のメンバーは年配の人が多いのですが、それにもめげず、定例会には積極的に参加してくれています。
 メンバーみんな、第2の杉浦日向子さんになってほしいと願っています。
 そんなことで、江戸検1級メンバーも大勢応援にかけつけました。


c0187004_9222757.jpg その「ほーりー」が、今回  「TOKUGAWA 15 徳川将軍15人の歴史がDEEPにわかる本」 という本を出版することになりました。
 「TOKUGAWA 15」は「とくがわ フィフティーン」と読みます。
 9月26日に発売されます。1200円です。
 一読しましたが、堅苦しくなく、それで、ポイントをついた内容になっています。
 さらに、将軍の似顔絵あり、挿絵あり、4コマ漫画ありで、読みやすく工夫されています。
  しかも、似顔絵、挿絵、4コマ漫画すべて「ほーりー」の自作というので大いにびっくりです。
 入門編としておもしろいと思います。
 江戸に興味のある方、ぜひ書店で手にとってみてください。



c0187004_9224756.jpg イベントが行われたのは、浅草寺の二天門前にある「アミューズ ミュージアム」です。
 ここで「ほーりー」は毎週木曜日に行われる「浮世絵ナイト」の講師を月1回しています。
 「アミューズ ミュージアム」には、私も、何回かお邪魔しています。 
 イベント会場一杯の大勢の参加者でしたが、江戸検仲間も大勢参加しました。



c0187004_9231052.jpg 冒頭は、草思社の編集担当の方から、きっかけの説明がありました。
 企画のアイデアはほとんど「ほーりー」のアイデアとのこと。

 その後、「ほーりー」自身のご挨拶です。出版の苦心談も話されました。
 パソコンに入れておいた将軍5人分の原稿が消えてしまったこともあったとのこと。 苦労したんですね。

 次いで、浮世絵ナイト風に、ボストン美術館所蔵のスポルディング・コレクションを活用しての浮世絵の解説がありました。
 今回は、将軍に関係する浮世絵について解説されました。
  今回は、江戸時代は、将軍さまを浮世絵の直接の対象にはできないということで、風刺画を中心に解説してくれました。
 何回聞いても、解説の着眼のよさに感心します。



c0187004_10162310.jpg その後、「大江戸華撃団」のショーがありました。
 「大江戸華撃団」のショーも楽しかったのですが、こちらは写真は勘弁ということでした。

 最後は、「ほーりー」が、江戸検のイメージソング「大江戸痛快伝」を歌ってくれました。
 この「大江戸痛快伝」は、歌の途中に、江戸時代の年号をすべて歌いこみます。
 1級受験の時には、しっかり覚えましたが、いまではもう忘れてしまいました。
 しかし、「ほーりー」はしょっちゅう歌っているので、もう手馴れたものでした。



c0187004_9254620.jpg 参加者は最後には、握手権がありましたので、「ほーりー」と握手してさようならでした。
 特にハグできる特典も数人の人にはあったようですが、江戸検仲間では残念ながらあたりませんでした。

 今回は、「TOKUGAWA 15」は、参加者に贈呈されました。
 さらに、本のほかに、プロマイドや手書きのメッセージまで用意されていました。
 それだけでも感激ですが、最後の握手の際に、本にもサインしてもらいました。
 参加した人の特典ですね。素直に喜んでいます。
 
  

c0187004_92639.jpg さらに、最後には、おみやげまでありました。
 何がおみやげか楽しみにして、自宅であけてみたら、麻布十番の老舗「豆源」のお菓子でした。
 「豆源」は江戸時代創業の老舗です。「ほーりー」らしいお土産で家族一同大喜びでした。


 江戸検仲間も多士済々なのですが、「ほーりー」が最も多彩かもしれません。
 これからも、第2の杉浦日向子さんを目指して、もっともっと活躍してほしいと思った一晩でした。

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by wheatbaku | 2011-09-20 10:19 | Trackback
見廻組説(龍馬暗殺犯①)
 京都の史跡めぐりの記事を書くために本を探していた中に、「完全検証 龍馬暗殺」という特集が、別冊歴史読本の1993年春号でされているのを見つけました。

 龍馬暗殺にはいろいろな説があります。
 この特集号は、諸説を集大成したもののようですので、これを参考に、龍馬暗殺犯についてのいろいろな説を紹介していきます。

c0187004_1262226.jpg まず、霊山歴史館学芸部主任学芸員の木村幸比古氏の犯人見廻組説を最初に紹介します。

 木村氏は
 ①標的は坂本龍馬
 ②実行犯は京都見廻組
 ③命令者は京都守護職松平容保と京都所司代松平定敬

 と結論づけています。

【見廻組とは】  
 まず京都見廻組について説明されています。
 見廻組は元治元年(1864)に組織されました。
 蒔田相模守広孝、松平出雲神康正が京都見廻役となりました。見廻役が総括指揮官で、その下に指揮官として4名の見廻組与頭がいました。
 定員は400名で、御家人から剣術・槍術の腕の立つ人を募集しました。
 見廻組は幕臣集団です。新撰組とは、そこが違いました。
 京都見廻組は京都守護職松平容保の支配下におかれ、京都市中警備と将軍警護にあたりました。

 龍馬暗殺は、京都守護職松平容保と京都所司代松平定警敬(さだあき)は、龍馬に掻きまわされ、西南雄藩に幕府が押しきられれば徳川幕府の存亡にかかわると危惧して、幕府直属の見廻組を動かして暗殺を指示したと木村氏は言います。

 見廻組のメンバーは佐々木只三郎を指揮者として、桂隼之助(はやのすけ)、渡辺篤、世良敏郎、渡辺吉太郎、今井信郎、高橋安次郎、桜井大三郎、土肥仲蔵の面々です。

【龍馬を斬ったのは桂隼之助】 
 11月15日当日、五つ半(午後9時頃)、佐々木只三郎が、十津川郷士を名乗り名刺を出します。
 応対に出た龍馬の下僕の籐吉が取次ます。
 取り次いでいるあいだ、見廻組の面々は店の中に入り1階を固めます。
 2階の登り口は、佐々木、桂、渡辺吉太郎、高橋の4人が固めます。
 このうち、桂隼之助がふすまをあけ、龍馬の前に進み軽く一礼して正座をします。
 桂は龍馬・慎太郎に顔を知られていません。龍馬は桂の顔に目をやり、もう一度行燈に名刺を近づけ目を落としました。
 その時に、佐々木が音もなくスッーと部屋にはいってきました。
 そして、桂は、正座からからゆっくり刀をぬき、渾身の力をこめて、横にはらいました。
 桂の一刀は横から一文字に龍馬のこめかみから額にかけて鋭くなぎり、龍馬はなされるままに面を斬られました。
 龍馬は床の間にある刀を取ろうと手をのばしますが、桂に再び斬られます。さらに三刀目も斬られます。
 こうして、龍馬は暗殺されてしまいました。

 木村幸比古氏の説は、見廻組説は薩摩黒幕説よりはるかに信憑性が高く、資料的にみても見廻組説をくつがえすだけの新資料はいまだ発見されていないと言います。
 そして京都見回組の桂隼之助が暗殺犯という説です。
 
 なお、新撰組説については、近藤勇は当日のアリバイがあるので、近藤勇ではないとも書いています。
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by wheatbaku | 2011-09-19 12:08 | 京都幕末史跡めぐり | Trackback
新撰組の誕生の経緯(京都幕末史跡めぐり)
 京都幕末史跡めぐりの最後に新撰組誕生の経緯を書いておきます。 
 新撰組の母体となったのは「浪士組」です。
 浪士組というのは、文久3年2月23日に上洛する予定であった14代将軍家茂の警護のために集められた浪士たちの集団です。 
 この浪士組の結成を献策し、その中心となったのは清河八郎です。
  清河八郎と浪士組については、 「浪士組と清河八郎②」 に書きましたので、こちらご覧ください。
 近藤勇、土方歳三たち、後に新撰組を結成する人たちも江戸でこの浪士組に参加しました。

 文久3年(1863年)2月8日、小石川伝通院に集まった浪士組は、江戸を出立して中山道を上洛を開始します。
c0187004_10473253.jpg 9日、本庄宿に到着。ここで、先番宿割を任されていた近藤勇が芹沢鴨の宿を取り忘れてしまい、怒った芹沢が路上で大篝火を焚くという騒動を起こしましたが、近藤勇が池田徳太郎と共に芹沢に謝罪して事なきをえたことが、永倉新八の「新撰組顛末記」に書かれています。
 11日に松井田宿、13日が長久保宿、14日が下諏訪宿、15日に奈良井宿、17日が中津川宿、19日に加納宿、21日が武佐宿、そして、22日には大津宿に泊まり、ついに23日に京都に到着しました。
 京都では壬生村で、新徳寺や八木家、前川家などに分宿しました。

 京都に着いた23日の夜、清河八郎は、新徳寺に浪士をあつめ、浪士組の真の狙いは攘夷実行にあることを明かし浪士組全員の署名集めた建白書を朝廷(学習院)へ提出しました。
 この建白書には、芹沢鴨も近藤勇も署名したと言われています。

c0187004_1036695.jpg  建白書提出の後、清河八郎は、江戸に帰還し江戸で攘夷実行を行うことを主張します。一方、清河八郎に裏切られた形の幕府も、浪士組に帰還命令を出しました。
 そして、3月13日に清河八郎らが率いる浪士組は京都を出立して江戸へ向かいました。
 しかし、芹沢鴨や近藤勇は、江戸に帰ることに大反対し、京都に残留することにしました。
 残留したのは、「新撰組顛末記」では、八木家に分宿していた芹沢鴨や近藤勇ら13人となっていますが、24人という記録もあるようです。
 そして、京都に残ることとなた芹沢・近藤らは京都守護職を務めていた会津藩預かりとなりました。
 この残留した人たちが、「壬生浪士組」の看板を八木家の門柱に掲げたそうです。
 上段の写真が現在の八木家の門の写真です。
 そのため、当初は「壬生浪」と呼ばれていました。
 「壬生浪士組」が、「新撰組」と名乗るようになったのは八月十八日の政変の後です。
 「新撰組」という名前は、朝廷の武家伝送から下されたと新撰組隊士の島田塊の日記には書かれているようです。 

 一方、江戸に戻った「浪士組」は、中心人物の清河八郎が、4月13日、幕臣の佐々木只三郎らによって麻布一ノ橋で暗殺されました。
 その後、幕府は浪士組を新たに「新徴組」と名付けて、庄内藩預かりとしました。

 上記の近藤勇の写真は国会図書館所蔵です。
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by wheatbaku | 2011-09-16 10:51 | 京都幕末史跡めぐり | Trackback
  

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