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国技館 (両国散歩②  大江戸散歩)
今日から、数回にわたって両国大江戸散歩でまわったポイントのご案内をしていきます。
 今回は総武線の北側のポイントを紹介します。
 最初は、国技館です。

【国技館は江戸時代は米蔵】 
 現在の国技館は、蔵前国技館の後を受けて、昭和60年1月場所から使用されています。
 国技館は、江戸時代は松前藩の下屋敷と本所御蔵という米蔵の一部分でした。
c0187004_836356.jpg このうち、本所御蔵は、現在の国技館から江戸東京博物館・両国中学・日大一校・東京都慰霊堂・復興記念館のあたりまで広さ4万4千坪もありました。
 本所御蔵は江戸時代の初めには材木蔵でしたが、8代将軍吉宗の頃に米蔵となりました。
 浅草蔵前にあった浅草御蔵と合わせて、隅田川の両岸に大きな米蔵が並んでいました。
 明治になり引き続き新政府の米蔵として使用された後、陸軍の資材置き場として利用され、その後、明治19年に 陸軍被服廠となりました。 
 被服廠というのは、戦争に備えて軍に補給する被服類等を調達し貯蔵しておくための施設です。
 その後、大正8年に被服廠の移転が決まり、11年には跡地のうちの約2万坪が東京府に払い下げられることになりました。
 その翌年大正12年に関東大震災が起きます。
 被服廠跡地では公園等の建設工事が始まっていましたが、大部分はまだ空き地でしたので格好の避難場所となり、周辺の人々が押し寄せました。
 避難していた人々が大勢いる中、地震により発生した火災が、午後4時頃に起きた旋風によって猛火となって被服廠にいた人々を襲いました。
 これにより約3万5千人以上の人々が犠牲となりました。
 関東大震災による犠牲は東京周辺で約9万人といいますので、その三分の一の人が旧陸軍被服廠でなくなったことになります。
 ここでの被害の大きさがよくわかると思います。

【俵星玄蕃は架空の人物】 
c0187004_8372867.jpg 国技館の前の両国駅より植え込みに、「俵星玄蕃の道場跡」という高札が立てられています。
 三波春夫の浪曲歌謡で有名な「俵星玄蕃」の道場があったと言われている所です。
 俵星玄蕃は架空の人物で、玄蕃が両国橋で仁王立ちしていたというようなお話はもちろん創作です。
 でも、ほんのりします。
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by wheatbaku | 2011-11-30 08:39 | 大江戸散歩 | Trackback
両国散歩
 先週土曜日、毎日文化センターさんの「気ままに江戸探訪~ スカイツリーの見える下町で江戸を探す」 の受講生の皆さんと一緒に両国大江戸散歩をしてきました。
 今回は、午後1時から半日かけてゆっくり両国を散歩してきました。
 両国は、見どころが多い場所で、歩く距離は長くはないのですが、語る内容が豊富な地区です。

今回は次のようなコースで散歩しました。

c0187004_16565346.jpg 両国駅(1時集合) ⇒ 国技館 ⇒ 舟橋聖一生誕記念碑
旧安田庭園 ⇒ 百本杭跡 ⇒ ももんじや ⇒
 両国橋 【橋の由来、大高源吾句碑、表忠碑、両国花火の話】⇒
 両国広小路跡 【片葉の葦、赤穂浪士休息の場、垢離場】⇒
与兵衛鮨跡  ⇒
 回向院 【由来、旧両国国技館跡、力塚の碑、本堂、
鼠小僧次郎吉の墓、猫塚、中村勘三郎の墓、山東京伝・京山の墓、加藤千蔭の墓、
海難供養碑、竹本義太夫の墓、馬頭観音堂、明暦大火横死者等供養塔、塩地蔵 等】 ⇒
 本所松坂町公園【旧吉良邸裏門跡、前原伊助宅跡、本所松坂町公園、旧吉良邸表門跡】⇒ 
勝海舟生誕の地 ⇒ 芥川龍之介文学記念碑 


c0187004_16571275.jpg 両国は、各ポイントで見所が一杯あるのです、その中でも、旧安田庭園、両国橋、回向院、本所松坂町公園が中心になりました。
 特に、旧吉良邸跡が興味の的でした。忠臣蔵との関係で、皆さん非常に関心が高かったです。
 テレビや映画の忠臣蔵と史実との違いについて説明しましたら皆さん驚かれていました。 
 また、回向院と大相撲の関係も関心が強かったです。

 ご参加いただいた皆さんありがとうございました。天候にも恵まれ楽しい一日でした。
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by wheatbaku | 2011-11-29 09:04 | 大江戸散歩 | Trackback
心光院(芝散歩 大江戸散歩)
 東京タワーの真下の瑠璃光寺の隣に「心光院」があります。
 「心光院」もまさに東京タワーの真下です。今日は、この「心光院」のお話です。
  「心光院」は都営大江戸線「赤羽橋」駅から5分の距離にあります。
  東京メトロ三田線の「御成門」駅からだと10分弱かかります。

c0187004_19501838.jpg【心光院表門】 
 心光院は、増上寺が貝塚にあった頃の学寮だったということです。
 増上寺が芝の現在地に移転した後、元禄8年(1695)に子院となりました。
 現在地には、昭和25年に移転しました。
 この心光院の表門は、国の登録文化財に指定されています。
 表門の建築年代ははっきりしませんが、18世紀頃に建立されたものと推定されています。
  一間一戸の四脚門で、切妻、本瓦葺きです。
 右の写真が表門ですが、朱塗りの門です。
そして、心光院が東京タワーの真下にあることがよくわかるだろうと思います。


【お竹の流し板】 
 ここには、お竹如来の像とお竹の流し板が祀られた大日堂が本堂の脇にあります。
c0187004_19553431.jpg 左の写真が大日堂です。
 お竹については、次のようなお話が伝わっています。
 
 お竹は大伝馬町の名主の佐久間前善八の下女でした。
c0187004_19564283.jpg 日頃から信心深く、米粒一つたりとも粗末にすること大切にし、乞食や犬猫に施しをした善人でした。
 このお竹は大日如来の化身であったとも言われています。

 お竹大日如来については以前書いていますので、 お竹大日如来(人形町散歩④) もご覧ください。
 
 大日堂には、お竹が使用していたと言われる流し板が5代将軍綱吉の生母である桂昌院が寄進したと言われる箱に納められています。
 正面にあるのがお竹如来像で、その右脇にある三つ葉葵の紋がついた箱に流し板が収められているといいます。
 箱には、「お竹大日如来水板」と書かれていました。

【浮世絵に書かれたお竹大日如来】 
 お竹大日如来は歌舞伎に取り上げられたり、多くの絵師により浮世絵に描かれています。
c0187004_19574469.jpg 左の浮世絵は歌川国芳が描いたものです。その絵には上段の説明書きの部分に次のような説明が書かれています。

 そもそもお竹如来は、武州豊島郡宝田に佐久間某といふ富家に召仕ふ所の婢女(はしため)なり、生質(うまれつき)正直にして偽りかざるつことなく、朝夕主に仕ふるに身をいとはず、その賢きこと一を聞いて十を知るに至る、常に三宝を帰依して魚肉五辛を断ち、清浄儼固(しょうじょうけんご)にして神仏をとうのみ、いささかの物たりともすたることをいとい、第一(だいいち)食は人命をつなぐ宝なりといいて、米粒一粒なりとも仏舎利のごとく貴(とうと)み、井戸ばたなどに人の炊(かし)ぎし米散りてあれば、一粒づつ戴(いただ)いてこれを拾い、不断(ふだん)、流しの末に袋をかけおき、これに止まる所の食を己が自活の料とし、日々三度我が食する分量のものは、乞食非人などに是を施すこと常なり、斯(かく)のごとくなる故に、即身大日如来とあらわれ給う、今猶(いまなお)、羽黒山黄金堂に安置し奉る尊像は則(すなわち)これなり


  赤印が心光院です。 

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by wheatbaku | 2011-11-26 15:14 | Trackback
瑠璃光寺(芝散歩 大江戸散歩)
 今日は東京タワーの真下にある「瑠璃光寺」をご紹介します。
 ここも芝だと思っていましたが、住所は東麻布でした。
 都営地下鉄「赤羽橋」駅から徒歩5分程度の距離です。

【山口の瑠璃光寺の別院】 
 瑠璃光寺は、国宝の五重塔で有名な山口県の瑠璃光寺の別院として慶長19年(1614)に開山されました。
c0187004_1073478.jpg 曹洞宗のお寺です。
 瑠璃光寺の山門、本堂、客殿は、鉄筋コンクリートでできていて近代的な建物です。
 平成7年に新築されたそうです。
 瑠璃光寺のご本尊は薬師如来です。
 正式には「薬師瑠璃光如来」といわれます。このお名前から「瑠璃光寺」という寺号になったものと思います。
 HPには「瑠璃(るり)とは、宝石のラピスラズリのこと」と書かれています。

【佐藤直方の墓】 
 本堂の裏側に墓地があります。
 その中に佐藤直方のお墓がありました。「一貫了道居士」と刻まれていました。
c0187004_1075344.jpg 佐藤直方という人はあまり知られていないと思いますが、江戸時代中期の儒学者です。
 備後国福山に生まれ、成人して京都に上り、儒学者山崎闇斎(あんさい)の門に入りました。
山崎闇斎の下で頭角を現し、三宅尚斎(みやけしょうさい)、浅見絅斎(けいさい)とともに崎門(きもん)の三傑と称されました。
 しかし、後に山崎闇斎の垂加神道(すいかしんとう)説に反対して、破門されました。
 福山藩主水野家や厩橋(うまやばし)(現前橋)酒井家に仕え、晩年は彦根藩井伊家にも仕えました。
 大学者と言ってよいと思います。


 赤印が瑠璃光寺です。東京タワーの真下にあります。

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by wheatbaku | 2011-11-25 08:15 | 大江戸散歩 | Trackback
伊能忠敬測地遺功表(芝散歩 大江戸散歩)
今日は、丸山古墳にある史跡の紹介です。

 丸山古墳は 都内最大の前方後円墳です。5世紀ごろに築造されたものと言われています。
 この古墳は、都心における小さな山であり、緑も一杯あります。
 この丸山古墳には、古墳自体のほかに紹介するものがあります。

【伊能忠敬測地遺功表】 
c0187004_1203590.jpg 丸山古墳の頂上には、「伊能忠敬測地遺功表」があります・
 これは、日本全国を測量し、はじめての日本地図「  」を製作した伊能忠敬の功績をたたえたものです。
 明治22年に東京地学協会が建てたものを、昭和40年に再建したもののようです。
 ここに建てられたのは、伊能忠敬が測量を開始する起点となったのが高輪大木戸であったことによるようです。

【丸山貝塚】 
c0187004_121166.jpg 丸山古墳の頂上に登る途中に「丸山貝塚」の説明板があります。
 平成9年の調査によると、貝塚は丸山古墳がある台地の裾の海抜4メートル程の緩やかな傾斜面に形成されていることがあきらかになったそうです。
 また、出土した土器から縄文時代後期の貝塚であること可能性が高くなったそうです。

【銀世界の梅】 
c0187004_1212277.jpg 丸山古墳の山麓の芝公園を歩いていたら、「銀世界の梅」と書かれた石碑を見つけました。
 その脇に説明板があい次のように書かれていました。

「この梅林は、今の新宿区西新宿三丁目の東京ガス敷地にあったもので、江戸時代は、「梅屋敷銀世界」と言われていたものを、明治41~42年ごろ16号地グランドの西側に移植されたが、道路拡張にともない、昭和41年にこの1号地に移されました。
 梅林には、2代将軍秀忠のお声がかりの梅も移植されていたそうですが現在はありません。
 この石碑は、琉球の棟応昌の筆によるもの、梅屋敷内にあったものです。」

 石碑には、天保3年12月吉日と建立された時期が刻まれていました。
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by wheatbaku | 2011-11-24 12:06 | 大江戸散歩 | Trackback
宝珠院(芝散歩  大江戸散歩)
 増上寺の裏側、もう東京タワーがすぐ近くに見える木々のなかに「宝珠院」があります。
c0187004_11243973.jpg 最寄駅は、昨日の妙定院と同じく都営地下鉄大江戸線「赤羽橋」です。
 「赤羽橋」駅から徒歩3分程度です。
 宝珠院は、都心とは思えないような林の中にあります。
 宝珠院は、貞亨2年(1685)増上寺三十世霊玄上人が白蓮池に弁天堂を建立し、同時に宝珠院を建立しました。

 宝珠院の本堂の脇に閻魔堂があります。(下写真)
 そこに、港区指定文化財の閻魔大王の像があります。
 閻魔大王坐像は寄木作りで高さ2m、貞亨2(1685)の作と言われています。
c0187004_11225254.jpg
 閻魔大王は、もともとはインドの神様ですが、日本では、地蔵菩薩の化身と言われ、鎌倉時代から盛んに信仰されるようになりました。
 宝珠院の閻魔大王は、関東では珍しく、左に司命、右に司録の二像を従えているのが特徴です。
 左の司命は人間の罪状を糾明する担当で、右の司録は、それを記録する係です。司録が持っている巻物が、いわゆる「えんま帳」といわれるものです。
 閻魔大王は公開されていませんでしたので、写真では、司命、司録ともにお花の影になってしまいました。
c0187004_11231879.jpg


 宝珠院には、港区七福神の一つに数えられている弁財天も安置されています。
c0187004_11233833.jpg ここの弁財天は三井寺の開山智証大師が竹生島で彫り、後に源氏に伝わり源頼朝も深く信仰されと言われています。さらに徳川家康も深く信仰し、太平の世を築いたことから、それまで除波弁財天の名前を開運出世弁財天と改めたようです。


 写真の建物は弁天堂です。

 赤印が宝珠院です。 

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by wheatbaku | 2011-11-23 11:24 | 大江戸散歩 | Trackback
妙定院(芝散歩④ 大江戸散歩)
 今日は丸山古墳の南側にある 「妙定院(みょうじょういん)」 を紹介します。
 最寄駅は都営地下鉄赤羽橋で、赤羽橋駅から3分です。

 妙定院は、開基徳川家重、開山妙誉定月大僧正として宝暦13年(1763)に創建されたお寺です。
c0187004_9175085.jpg  増上寺第46世住職であった妙誉定月大僧正は9代将軍家重からの帰依信仰が篤かったそうです。
 そのため、宝暦11年(1761)に9代将軍家重がなくなった際、幕府は遺言に従い、定月大僧正に大導師を依頼し、七月十日増上寺本堂において葬儀が行われました。

 このことにより、宝暦13年(1763)、家重(惇信院殿)の御中陰の尊牌(白木の位牌)を守る霊牌所が、定月大僧正を開山として創建されたそうです。
 これが「妙定院」です。
 妙定院という院号は定月上人の法号から名付けられたそうです。

c0187004_921113.jpg 【熊野堂】 
 妙定院には「熊野堂」と「上土蔵」という登録文化財があります。
 妙定院を「訪ねた11月3日には、「熊野堂」が特別公開され大勢の人々が拝観していました。

 熊野堂は寛政8年(1796)に妙定院の鎮守として建立されました。
 熊野三社大権現を本尊としているため、「熊野堂」と名付けられたようです。
 建物は土蔵造りです。
 

c0187004_918426.jpg 【上土蔵】  
 また、熊野堂の右脇に通路を挟んで「上土蔵」がりあます。
 この上土蔵は文化8年(1811)建立で、妙定院の収蔵品を収納しているそうです。
 別名「浄土蔵」と呼ばれているようです。
 熊野堂と上土蔵は交互に公開しているため、今年は公開されないとのことでした。
 この2棟は関東大震災・戦災を免れた江戸の建造物として、平成13年に国の登録有形文化財となりました。


赤印が妙定院です。 

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by wheatbaku | 2011-11-22 08:08 | 大江戸散歩 | Trackback
広度院と良源院(芝散歩③  大江戸散歩)
 増上寺の三門の手前に練塀があります。この塀は国の登録文化財になっています。
 この練塀は「広度院(こうどいん)」という増上寺の子院の塀です。
 今日は、この「広度院」と「良源院」のお話です

【広度院(こうどいん)の表門】 
 「広度院」という寺号は、増上寺の正式名称「三縁 山広度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)」の中の院号と同じ名前です。
 c0187004_19135267.jpg この「広度院」は、増上寺の第一号の子院だそうです。ですから増上寺の院号と同じ名前なんでしょうね。

 広度院の練塀と表門が国の登録文化財になっています。
 練塀については、「広度院と開拓使仮学校跡(増上寺散歩③ 大江戸散歩)」で紹介しましたので、こちらをご覧ください。
 今日は、表門を紹介します。
 表門は、一間一戸の薬医門です。江戸時代後期に建立されたもののようです。
 この広度院は、安芸広島藩浅野家が宿坊として使用していました。
 そのため、表門の蟇股(かえるまた)には、浅野家の家紋である「違い鷹羽」の紋が彫刻されています。
c0187004_1914998.jpg


【良源院と浅岡飯炊きの井】 
 広度院の北側は港区役所となっています。
 この入口に、「浅岡飯炊きの井」というのがあります。
c0187004_19143614.jpg 港区役所の敷地には、江戸時代、増上寺の子院である良源院がありました。
 この良源院は、仙台藩伊達家の支度所として、藩主が増上寺参詣の際に使用されていました。
 万治3年(1660)に仙台藩で起きた有名な伊達騒動の際、2歳の亀千代(のちの伊達綱村)を毒殺から守るため、母の三沢初子(側室である浅岡局)が自らこの井戸で水を汲んで調理したと伝えられています。
 もともとは、旧庁舎の中庭にあったものを、昭和62年の庁舎新築の際に、移転したものだそうです。

 緑印が増上寺三門 赤印が広度院 青印が浅岡飯炊きの井 です。

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by wheatbaku | 2011-11-21 08:23 | 大江戸散歩 | Trackback
常照院(芝散歩 大江戸散歩)
 増上寺三門の特別公開の記事を書いたついでに、増上寺周辺の寺院にある史跡や文化財を訪ねてみたいと思います。
 芝では増上寺があまりにも有名ですので、芝と言えば増上寺ということになりますが、増上寺は大寺院であったため、数多くの子院を持っていました。
 その子院は現在も増上寺周辺に残っています。
 その中には、江戸時代の名残が残る史跡や文化財もあります。
 そんな寺院を訪ねていきます。

 今日は、JR浜松町駅から増上寺に向かう途中の寺院を紹介します。
  増上寺の手前北側に「常照院」というお寺があります。
 浜松町駅から徒歩で10分程度の所です。
 今日はその 「常照院」 です。

【常照院本堂内陣】 
 常照院の開創の年ははっきりしないそうですが、増上寺移転前から芝浦にあったようです。
 c0187004_8344262.jpg そして、増上寺の芝移転に伴い増上寺の子院となりました。
 江戸時代には肥前鍋島藩などの宿坊でもあったようです。
 常照院のご本尊は善光寺如来の一光三尊阿弥陀如来です。
 ご本尊を祀る本堂内陣は、江戸時代は「あかん堂」と呼ばれていたいました。
 ご本尊が秘仏であって開帳せず、そのため「あかん堂」と呼ばれたとも、赤い堂がなまって「あかん堂」といわれたとも伝えられているとのことです。
 元禄10年(1697)3月29日、桂昌院が増上寺参詣時には、「あかん堂」に参詣したこともあるようです。
 宝暦12年(1762)2月16日の大火で焼失した後、明和6年(1769)再建されました。
 関東大震災や昭和20年(1945)5月25日の空襲に遭いましたが、奇跡的に本堂内陣(あかん堂)だけは焼失を免れ平成13年国の登録文化財となりました。(右写真が本堂外観)
 当日はご住職が不在のため拝観できませんでした。

【白子屋お熊の墓】 
 南町奉行大岡忠相の名奉行ぶりを描いたのが「大岡政談」です。
 しかし、この「大岡政談」のほとんどの話は、大岡越前守忠相とは関係がないのです。
c0187004_8433538.jpg 「大岡政談」のなかで大岡越前守忠相が唯一裁いた事件が「白子屋お熊」の1件です。
 白子屋お熊」の事件というのは、日本橋の新材木町に白子屋のひとり娘お熊が、浮気相手の手代忠八と母お常と共謀し婿の又四郎を殺害しようとした事件です。
 この事件をもとにした浄瑠璃・歌舞伎の演目「恋娘昔八丈(こいむすめむかしはちじょう)」は当時話題となりました。
 その白子屋お熊の墓石の一部が現存しています。
 写真左がお墓、中央が供養之碑、右が説明の石柱です。

【市川団十郎寄進の水鉢】 
 江戸時代は市川団十郎家の菩提寺だそうです。
 境内に七代目団十郎が寄進した石の水鉢などが残っています。
 水鉢をよくみると、市川団十郎家の紋である三枡紋が刻まれています。(下の右写真)
c0187004_8414717.jpgc0187004_842367.jpg


 赤印が常照院です。増上寺の東側にあります。  

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by wheatbaku | 2011-11-18 08:54 | 大江戸散歩 | Trackback
増上寺三門特別公開(芝散歩① 大江戸散歩)
 11月3日の文化の日に登れなかった増上寺の三門の特別公開を見てきました。
 今回は、拝観者も少なく、あまり待たずに拝観できました。

 増上寺三門は、正式には三解脱門といいます。
 c0187004_921232.jpg三解脱門は、増上寺の表門のように見えますが、伽藍配置上は中門にあたる門です。正式には表門は大門になります。
 しかし、目の前に日比谷通りが通っているので、増上寺の表門の風格があります。
 三解脱門は、高さ21メートル、間口19.5メートル、奥行9メートルある大きな建物です。
 「東京都内最古の建築物にして東日本最大級を誇る」と増上寺のHPに書かれています。
  増上寺の建物のなかで江戸の初期の面影を残す唯一の建造物として、国の重要文化財に指定されています。
 重厚さをますため、上層の屋根が下層の屋根より大きく創られています。

 この門は、幕府大工頭・中井正清により慶長16年(1611)に建立され、元和8年(1622)に再建されました。
 江戸時代には、お彼岸の中日や正月、4月8日、7月の16日などには階上に登ることが許されました。 c0187004_8405049.jpg しかし、現在は、通常は非公開なので拝観することはできません。
 今回の特別公開は戦後初めてだそうです。
 堂内での撮影は一切禁止ということでした。
 外からだけ撮影が許されたので、三縁山と書かれた額を撮影しました。
 額の下の扉が開いているのが、特別公開の証しです。
 多くの拝観者がこの窓から外を眺めていました。

 急な階段を登った2階に、釈迦三尊像が安置されています。
 予想外に広いスペースに釈迦三尊と十六羅漢像が安置されていました。
 c0187004_8411974.jpg釈迦如来坐像は寄木造りで高さ115.5センチ、向かって左は普賢菩薩像、右は文殊菩薩像でともに69センチだそうです。天正末期から慶長前半に製作されたものと推測されているそうです。
 釈迦三尊像の左右に十六羅漢像が8体づつ安置されています。
 さらに十六羅漢像の前に増上寺の歴代上人坐像が31体安置されていました。
 なお、上の写真は、いただいたパンフレットからの転載です。堂内での撮影は禁止です。

 
 三解脱門とは三つの煩悩「(むさぼり)、(いかり)、(おろかさ)」を解脱する門という意味だそうです。
また、三解脱門とは一切を空と観ずる空門・、一切に差別相のないことを観ずる無相門・その上でさらに願求(がんぐ)の念を捨てる無願門の三境地を経て仏国土に至る門という意味もあるとの難しい説明もされていました。

 特別拝観の入場は3時30分までです。また急な階段を登りますので、女性の方はスラックスの方がよいと思います。
 
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by wheatbaku | 2011-11-17 09:03 | 大江戸散歩 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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