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「江戸の食文化」第八回模擬試験問題
 「江戸の食文化」の模擬試験問題をアップします。
 8月は2回アップしたいと約束していましたので、約束を果たせることになりました。
c0187004_824416.jpg とはいっても、この問題は、「江戸の食文化講座」で出題したものと同問題です。
 今回は、原田信男先生の「江戸の食文化」の第3章から出題しています。
 わからない問題は、「江戸の食文化」を確認しながらチャレンジしてみてください。
 正解は月曜日にアップします。


1、江戸城に魚介を上納し、内湾での漁業特権を与えられていたのが「御菜八ケ浦」です。
 「御菜八ケ浦」は、その名前の通り、8つの漁師浦で構成されていました。
 次の選択肢の中には、「御菜八ケ浦」に含まれない漁師浦がありますが、それはどれでしょうか?

 ①大森浦  ②新宿浦   ③金杉浦   ④生麦浦

2、江戸時代、主に多摩地方で栽培された野菜に「のらぼう」があります。
この「のらぼう」は、現在ではあまり聞くことのない野菜名ですが、「のらぼう」は次のうちのどの江戸野菜に似ている野菜でしょうか?

 
 ①千住ネギ  ②小松菜   ③成子うり   ④滝野川ごぼう

3、 江戸では、いろいろな棒手振りが商売をしていました。その棒手振りの様子を守貞謾稿は詳しく書いています。
 江戸で、瓜・茄子等一種類の野菜を売り歩く商売は、「守貞謾稿」ではなんと呼んでいるでしょうか?

 ①八百屋  ②前栽(せんざい)売り  ③菜屋(さいや)  ④青物売り

4、文化12年(1815年)10月21日、千住の中屋六衛門の六十のお祝いとして催された「千住酒合戦」では、厳島杯、鎌倉杯、江島杯、万寿無量杯、緑毛亀杯、丹頂鶴杯という6種類の大杯が用いられました。
 酒合戦の参加者の中には、この大杯をすべて飲み干した人もいました。
それでは、大杯すべてを飲み干した場合、どれだけの酒を飲んだことになるでしょうか?
次の中から選びなさい。

  ①5升5合  ②10升4合  ③9升2合  ④7升3合

5、日本橋から宇田川橋までの街並みの様子を描いた「煕代勝覧」は、12メートルにもおよぶ絵巻物で、現在ベルリン国立アジア美術館が所蔵しています。
 この絵巻物には、88軒の問屋や店、1671人の人物、犬20匹などが生き生きと描かれています。
 それでは、この「煕代勝覧」は、いつの時代の江戸の風俗を描いたものでしょうか?

 ①嘉永年間   ②天保年間   ③天明年間   ④文化年間


6、米の流通経路には、いくつかの問屋・小売りがありましたが、消費者向けに玄米を精米して販売していたものは次のうちどれでしょうか?

 ①札差  ②関東米穀三組問屋  ③搗米屋  ④脇店八ヵ所米屋

7、「灘三郷」とよばれた上灘・下灘・今津で製造された酒は宝暦4年(1754)以降、急速に発展しました。
「江戸の食文化」では、灘酒の発展の要因が二つ挙げられています。一つは寒造りの徹底です。それでは、もう一つの要因は、次のうちどれでしょうか?

 ①精米技術の向上 ②段掛けでの製造  ③諸白づくり ④火入れの実施

c0187004_8533958.jpg8、日本橋魚市場の中心となったのは四組問屋ですが、これは四つの町の問屋仲間で形成されていました。
 それでは、四組問屋を形成した町の組み合せで正しいものは次のうちのどれでしょうか

*右写真は「日本橋魚市場発祥之地の碑」です。


 ①室町、本船町、本小田原町、按針町
 ②本小田原町、本船町、本船町横店、按針町
 ③本船町、本小田原町、按針町、長浜町
 ④按針町、長浜町、本船町、本船町横店


9、天保年間には、宇治で考案された「玉露」が売り出され高級煎茶として広まっていきました。
それでは、「玉露」を考案した人は、次のうち誰でしょうか

 ①川上不白  ②永谷宗円  ③山本嘉兵衛  ④山本徳治郎

10、水上輸送は、大量の物資を運ぶ重要な手段であり、江戸時代には格段の進歩を遂げました。江戸時代初期から、いろいろな航路が開発整備されてきましたが、元禄7年以降、江戸の問屋連合体である十組問屋が差配していた航路は、次のうちどれでしょうか

 ①樽廻船  ②北前船  ③菱垣廻船  ④東廻り航路






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by wheatbaku | 2014-08-29 08:57 | 江戸の食文化 | Trackback
「日本橋老舗巡りと熈代勝覧解説」のご案内
 先日ご案内した文京学院大学生涯学習センター主催の下記講座はおかげさまで、ほぼ定員のお申し込みをいただいたようです。

 
江戸検1級合格者と巡る江戸散歩
大江戸老舗物語 


  残りがわずかとなりましたが、本日は、江戸検を受検される方に、この「大江戸老舗散歩」について改めてご案内をさせていただきます。

 今回の「大江戸老舗散歩」は、江戸検の今年のお題「江戸の食文化」をにらんだものです。
 江戸検を受検しようと考えられている方は、すでに参考図書の原田信男著『江戸の食文化』はお買いになって勉強されていることと思います。
 この『江戸の食文化』には、日本橋が、特に大きなウエイトをおいて取り上げられています。
 「あらゆる食材が集まった日本橋周辺」では「日本橋」について書いてあり、「江戸の通りに軒を連ねる食の店」では、「熈代勝覧(きだいしょうらん)」(下写真)が取り上げられています。
c0187004_819660.jpg
 
 「熈代勝覧」は日本橋三越近くの地下通路に複製が設置されています。そこで、「大江戸老舗物語」で老舗巡りを楽しんでいただいた後、「老舗物語」に参加される江戸検受検者のために、「熈代勝覧」を詳しく解説します。

c0187004_1637483.jpg 江戸検を受検される方でご興味のある方、是非、ご参加ください。

 右写真が、「熈代勝覧」の複製です。約17メートルあります。


お申し込みは  文京学院大学生涯学習センター までお願いします。









 
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by wheatbaku | 2014-08-28 08:10 | Trackback
「二八そば」(そば② 江戸の食文化78)
 今日は、「二八そば」について書きます。

 江戸時代の「そば」といえば、すぐに「二八そば」が思い出されます。

 「ニ八そば」が登場するのは、江戸時代中期の享保の頃と考えられています。
 「二八そば」という言葉が初めて登場するのは、『衣食住記』という書物です。
c0187004_1249880.jpg それには、「享保半比、神田辺にて二八即座けんどんといふ看板を出す」と書かれています。
「けんどん」」とは「うどん」のことで、当時は、そばはうどん屋で売られていたので、これが根拠だとされています。
 しかし、「けんどん」と書かれていて、「そば」と明確に書かれていないので、根拠としてはあやふやだという人もいます。
 しかし、他の『享保世説』という書物の享保13年(1728)のところに、
 「仕出しには 即坐麦めし 二八そば みその賃づき 茶のほうじ売」
 という歌が書いてあるそうです。
 こちらには、明確に「ニ八そば」と書かれてあります。
 従って、享保13年には、「ニ八そば」があったということになります。
 これから、「二八そば」の起源については、享保年間起源説が有力のようです。

 多くの本には、前述のごとく「二八そば」享保起源説が書かれています。
 しかし、「守貞謾稿」には
 「またある書に云う。ニ八蕎麦は寛文4年に始まる」と書かれています。(近世風俗志一のP201 )
 これによると、江戸時代に前期に登場したということになります。
 しかし、これについて触れた本がないので、守貞謾稿の寛文起源説が正しいのかどうかは不明です。

 次に「ニ八そば」の名前の由来について書きましょう。
 「二八そば」という名前の由来については、二つの説があります。
 その一つは、「二八、十六」の語呂で、そばが一杯十六文だったからだとする代価説
 そしてもう一つは、「そば」をそば粉八割、つなぎの小麦粉二割を混ぜたもので打ったからとい配合率説

 「そば」は江戸時代の長い間、16文でしたが、「ニ八そば」が登場した享保のころは一杯が10文しなかったそうですし、幕末の慶応年間には20文になっています。こうしたことから代価では説明できないという人もいます。
 また、配合率も少し難があります。
 小麦粉だけで作るうどんにも、「ニ八うどん」という名前がついていたことがありました。
 また、そばの名前には「ニ八そば」以外にも「一八そば」「二六そば」「三四そば」というのもあったそうです。これらの名前は、配合率を表しているとは考えられません。

 こうしたことから、「代価説」、「配合率説」どちらが正しいかというのを決めるのは難しいようです。
 「守貞謾稿」では、「すなわち価を云う」と書いていますので、代価説を取っています。
 そば研究科の元神戸大学教授の新島繁さんは、その著書「蕎麦の事典」の中で、
 「ニ八は16文の代価説と、そば粉八割につなぎの小麦粉二割の配合率説に分かれるが、これは、時代を区分せずに論議してきたため。そばの値段が20文を超えた慶応期を一つの境にして、それ以前は代価説、慶応以後は配合率説をとるのが正しい」
と書いていて、慶応期以前は代価から、慶応期以後は配合率からとしています。

 「二八そば」も案外難しいものですね。
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by wheatbaku | 2014-08-27 12:42 | 江戸の食文化 | Trackback
そば(そば① 江戸の食文化77)
 今日からは、四大和食の一つ「蕎麦」について書きましょう。

 ソバは、タデ科ソバ属の一年草です。
 ソバの原産地は、中国雲南省とする説が有力となっています。
 元正天皇の養老7年(722)に救荒作物として栽培が勧められたことが「続日本記」に記されていることから、日本へは、奈良時代以前にソバは伝来していたと推測されています。

 古代には、「そば」は「そばむぎ」、「くろむぎ」と呼ばれました。
c0187004_11182031.jpg 『本草和名』には「曾波牟岐(そばむぎ)」、『和名類聚抄』には「久呂無木(くろむぎ)」と書かれています。
 ソバの実に稜角(物のかど)があることから「そばむぎ」と呼ばれたと考えられています。「そば」とは稜角(物のかど)を意味する古語です。
 右写真が、ソバも実ですが、稜角があるのがわかりますでしょうか?
 なお、ソバの花は、右下のような綺麗な花です。
 また、実の皮が黒くなっていることから「くろむぎ」と呼ばれたと考えられます。
 「そばむぎ」が単に「そば」と呼ばれるようになったのは、室町時代後期と考えられています。

c0187004_11195272.jpg 「蕎麦」というと、現在、私達は、蕎麦麺を想像しますが、麺状をした蕎麦を食べるようになったのは江戸時代からで、そばは、奈良時代~室町時代の長い間は、主に「そばがき」として食べられていました。

 現在のような蕎麦は「そばきり」と呼ばれていました。
 「そばきり」という言葉が、文献上、初めてあらわれたのは、天正2年(1574)の  木曽の定勝寺の仏殿修理の寄進記録の中です。
 この「定勝寺文書」が発見されるまでは、最古の記録とされていたのが「慈性日記」です。
 「慈性日記」は近江多賀神社の尊勝院の僧慈性の日記で、慶長19年(1614)2月3日の記録として「(江戸の常明寺で)ソバキリ振舞被申也」と書かれています。

 寛永20年に刊行された「料理物語」は、そばきりの製法が書かれている最古の書物です。
 それによると、「つなぎ」については、「飯のとり湯でこねるとよい。あるいは、ぬるま湯でもよい。豆腐をすり水でこねることもある。」と書かれています。
現在では、「つなぎ」は小麦粉が使用されていますが、江戸時代初期には、小麦粉はしようされていなかったようです。
 また、「汁は、うどんと同じようにつくる。」とだけ書かれています。
 そこで、うどんの項を見ると、「汁は煮貫、あるいは垂れ味噌がよい」と書かれています。
 「料理物語」には、「生垂れ、垂れ味噌、煮貫」にも作り方が書かれています。
 それによると、生垂はみそ1升を水3升でといて袋に入れ,したたり落ちる液汁をとったもの,垂みそはみそ1升に水3升5合を入れて煮たて,3升ほどに煮詰めて生垂同様にこしとったもの,煮貫は生垂に鰹節を入れ,煮たててこしとったものとされています。
 江戸時代初期には、まだ醤油は開発されていませんでしたので、「煮貫」や「垂れ味噌」で食べたようです。
 その後に続いて、「それに大根の汁を加えてもよい。」と書かれています。
 「料理物語」には、大根おろし汁を追加するとだけ書いてありますが、江戸時代には、辛味大根のおろし汁だけでそばを食べたこともあったようです。
 辛味大根で食べる場合は「辛味そば」と呼ばれたようです。
 「辛味そば」は最近また注目を浴びてきているそうです。
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by wheatbaku | 2014-08-26 10:16 | 江戸の食文化 | Trackback
「江戸の食文化散歩」のご案内
 今日は、 10月の「江戸の食文化散歩」のご案内です。

 文京学院大学生涯学習センターさんの主催で、次の江戸散歩が行われます。

c0187004_9162423.jpg 江戸検1級合格者と巡る
 江戸散歩
   
  大江戸老舗物語 
  世界最大のグルメ都市

  開催日 10月11日(土)
       10月25日(土)

  案内地区 日本橋 神田



 日本橋と神田江戸の中心として栄えた繁華街で、いまでも多くの江戸時代からの老舗が残っています。
c0187004_9291922.jpg そして、繁華街であるとともに、日本橋には魚河岸があり、神田には野菜市場がありました。
 江戸検の今年のお題は「江戸の食文化」です。
 その参考図書である原田信男著「江戸の食文化」にも、日本橋や神田に関する説明も数多く載っています。
 例えば、日本橋魚河岸、神田野菜市場、「にんべん」、越後屋の引札、浮世小路「百川」
「笹巻毛抜きずし」などです。
 こうした項目は、すべて現地でご案内したいと考えています。

 11月に行われる江戸検受検に役立つ散歩にしたいと思っています。
 江戸検を受検されようと考えている方、ぜひご参加ください。

 また、老舗めぐりは、江戸検に関係のない方にとっても楽しいものです。
 一般の方もぜひご参加ください。

 詳細は  文京学院大学生涯学習センターの講座案内 をご覧ください
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by wheatbaku | 2014-08-25 08:56 | Trackback
第3回「江戸の食文化」講座開催!
 昨日は、 毎日文化センターの「江戸の食文化講座」の第3回目が開催されました。

 昨日は、原田信男先生の「江戸の食文化」の第4章を中心に行いました。
c0187004_944723.jpg 第4章は、四大和食や庶民の食文化などが書かれています。
 しかし、「すし、うなぎ、てんぷら、そば」の四大和食については、『江戸の食文化」では4ページしか書かれていないという非常に凝縮された構成ですが、四大和食は重要事項ですので、少し時間をかけて説明しました。
 その他、八百善を代表とした料亭や初鰹なども取り上げて説明しました。
 今回も、参加された受講者の皆さんは、大変熱心に聞いていただきました。
 受講者の皆さん、お世話になり、ありがとうございました。

 今回は、第3回ということもあり、受講者の皆さんから、受験に役立ついろいろな情報の提供がありました。
 Nさんからは料理書・料理本を時代順に並べた一覧表が配布されました。
c0187004_94441100.jpg これは、『江戸の食文化』には多くの料理書や料理本が出てきますが、これを一覧にした方が理解しやすいだろうということで作成したとのことでした。
 まだ不十分なところもあるので、みんなで協力して完成させようということになりました。
≪8月25日追記≫
 受講者のマダムMさんが、Nさんの作った料理書・料理本一覧 をダウンロードできるようにしてくれました。
 ご希望の方は こちらまで ⇒  『江戸の食文化』記載の料理本一覧 ダウンロード


c0187004_9452742.jpg Kさんからは、代表的な看板が提供されました。
 看板はビジュアルでないとわからないということで絵で代表的な看板が描かれていて理解しやいものでした。
 その中には。「一斗二升五合」は、「御商売益々繁盛」と読みますという説明もあります。
 その心は「一斗は五升の倍、二升で升升(益々)、五合は半升」ということだそうです。

 Aさんから、埼玉県行田市にある忍城跡で販売していた「石城日記てぬぐい」が披露されました。
 「石城」は、『江戸の食文化』に出てきますが、幕末の忍藩藩士で、「石城日記」の著者の尾崎準之助貞幹の号です。
 「石城」および「石城日記」は重要語句ですので、暗記するうえで良いインパクトになったと思います。
c0187004_9471859.jpg
 
 一人だけで勉強するのではなく、協力し合って勉強するということも大切なことだと思っていますので、今回の情報提供は、大変すばらしいことだと思いました。
 情報提供してくださった皆さんありがとうございました。

 講義終了後は、一級合格者の大沢正明さんに、合格体験をお話しいただきました。
c0187004_9542571.jpg 大沢正明さんは、最も大事なのが「博覧強記」などのテキストですが、さらに江戸検に関係する竹内誠先生・大石学先生・山本博文先生などの本を読むことも大切だといわれました。
 また、自分の興味がある分野を十分極めるということを大変強調されました。
 大沢正明さんは、江戸検一級のほかに、京都検定一級、奈良検定一級にも合格していることから、ご自分の得意とする天皇の系譜について、板書しながら説明していただきました。
 将軍の話はよく聞く受講者の皆さんも天皇の話はめった聞けないので、多くの人がメモをしながら熱心に聞いていました。
 大沢さん、貴重なお話ありがとうございました。私も興味深く聞かせていただきました。

 講義終了後は、恒例の飲み会です。
 今回は、もう3回目ですので、もうみんな和気あいあいで飲みながらの情報交換です。
 翌日は、江戸検3級の試験日で、これを受けるという人もいたのですが、ほとんどの人がそうしたことも気にかけずに飲んで、あっという間の2時間が終了です。
 そして、最後に参加者で記念撮影です。
 ご参加のみなさん、ありがとうございました。
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by wheatbaku | 2014-08-24 09:41 | Trackback
銀座三河屋(江戸の老舗)
 今日は、銀座の老舗「銀座三河屋」さんのご紹介です。

 銀座三河屋さんは、銀座八丁目の金春通りに面してお店があります。
c0187004_8581418.jpg 「銀座三河屋」さんには、伊丹の酒メーカー小西酒造が生産している「江戸元禄の酒」を購入するためにお邪魔しました。
 原田信男先生の「江戸の食文化」の109ページに「伊丹の酒メーカー小西酒造では、杜氏の覚書から江戸時代の酒を再現している」と書かれているため、それをインターネットで検索していき、「銀座三河屋」さんで販売していることを知ったため、購入に行きました。

 銀座三河屋さんは、元禄時代三河の国より江戸の上がり汐留(現在の新橋駅近く)に移り、酒商を営んだ後、油屋に商売がえし、さらに、 江戸時代後期には、日本古来よりの手芸品や絽刺を徳川家や諸大名に納め御用商人として繁盛したそうです。

 c0187004_8585188.jpg明治6年になって、銀座8丁目8番3号(現在の資生堂パーラー)に移り営業を続け、その後、各地のデパートにも出店し、大いに繁盛したそうです。
 そして、平成2年には、金春通りに移転し和装小物の店「銀座・三河屋」を営業していましたが、平成15年に「江戸の食(スローフード)『銀座・三河屋』」新規開店しました。
 7代目の神谷社長さんのお話では、和装小物の店から「江戸の食(スローフード)」に業種変更されたのは、時代の変化に対応しようとされたためだそうです。

c0187004_911291.jpg 「江戸の食(スローフード)」に転換してから、最初に商品開発されたのが、「煎(い)り酒」です。
 「煎り酒」というのは、現在は、あまり知られていませんが、江戸時代に用いられていた日本の古い調味料です。
 それは、日本酒に梅干とかつおを入れて煮詰めたもので、酸味と塩味と旨味を合せもつ万能調味料です。
 これを、なべ家主人の福田浩様のアドバイスを受けながら、銀座三河屋さんで、独自に商品開発されたものだそうです。現在の商品が完成するまで半年かかったそうです。
 紀州南高梅の梅酢を使用していて、塩分は一般的な醤油よりも 少なく、まろやかでヘルシーな調味料に仕立てたとのことでした。
 現在は、野田の醤油メーカー「キノエネ醤油」さんに製造を委託されているそうです。

c0187004_905412.jpg さて、「江戸元禄の酒」ですが、これは伊丹の小西酒造を創業した小西家に今もなお残されている 元禄時代の酒造りを記録した秘伝書「酒永代覚帖」の中で、最も古い元禄15年(1702)の記録に従って再現されたお酒です。
 この酒が、「銀座三河屋」さんで取り扱われるようになったのは、神谷社長さんが新聞の記事を見て、小西酒造に取扱いのお願いをしたことから始まったそうです。
  元禄の酒は、現代の造りと比較して、仕込水は半分ほどしか使用されていないことと精米技術が今ほど発達していなかったため、玄米に近い精米となることにより、味は濃厚な口当たりとなり、色は奇麗な琥珀色をしています。
 銀座三河屋さんでは、試飲もさせてくださいます。
 右下写真が、「元禄の酒」ですが、まさにキャッチコピーの通りの琥珀色をしています。
 また飲んでみると、まさに甘口で濃厚な味でした。

c0187004_911487.jpg 「元禄の酒」を購入し、第2回目の「食文化講座」で、受講者の皆さんにも試飲をしていただきました。
 江戸時代の酒はどんな味がするのか興味津々で試飲をしていました。
 その時の感想では、お酒の好きな男性方からは、最近のお酒は、すっきりした辛口のお酒に親しんでいることもあり、「みりんのような味だ」と言った感想でした。
 お酒をあまり飲まないご婦人方からは、「甘いので飲みやすい」と言った感想がありました。 
 私は、最近は日本酒は飲まないのですが、ロックにして飲むとおいしいのではないかと思いました。

 神谷社長さんのお話では、現在では、「江戸元禄の酒」の取り扱いしている店舗の中では、トップクラスの売り上げをあげているそうです。
c0187004_911295.jpg 身近で購入できますので、江戸時代の酒がどんな味がするか味わうのもよろしいかと思いますので、「銀座三河屋」に足を運んでみてはいかがでしょうか。

 銀座三河屋さんでは、愛知の桝塚味噌で木桶でつくられた「とろみそ」なども販売されています。(右写真)
 「とろみそ」というの、まぐろのとろのようにおいしいみそと言う意味で命名されたみそだそうです。
 「銀座三河屋」さんの場所は、下図の通りです。

 私がお邪魔した時には、神谷社長さんは御不在でしたが、その後、電話でいろいろお教えいただきました。
  神谷社長さんは、江戸文化歴史検定2級もとられていらっしゃるとのことで江戸にも大変憧憬の深いこともあって、大変親切にご対応いただきました。
 紙上をお借りして神谷社長さんに御礼申し上げます。ありがとうございました。
 

 赤印が「銀座三河屋」さんです。JR新橋駅銀座口から4分、東京メトロ銀座駅A2番出口から6分です。

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by wheatbaku | 2014-08-22 08:57 | 江戸の老舗 | Trackback
「江戸の食文化」第七回模試正解
 今日は、一昨日に出題した第六回模擬試験の正解をアップします。

 今回の問題は、毎日文化センター主催の「江戸の食文化講座」の第2回目講座で出題したものと同じ内容です。
 受講生の皆さんとは当日中に答え合せまでしましたが、9問正解が1人、8問正解が5人、7問正解が3人という結果でした。
 予告なしで出題したので、受講生の皆さんはだいぶ戸惑っていたようですが、その結果としては、まずまずの結果ではないでしょうか。
 なお、多くの方が5分程度で解き終わっていました。

 それでは、正解と解説をアップします。

1、 ④日の出前約30分

 明け六つ・暮れ六つの時刻は、それぞれ、日の出時、日没時と思っている人が多いと思いますが、明け六つ・暮れ六つともに、人の顔が誰か見分けられる状態の時刻ということになっています。そのため、明け六つが日の出前約30分、暮れ六つが日没後約30分とされています。

 参照「江戸の食文化」P32

2、 ②玲瓏豆腐  

c0187004_981441.jpg 「豆腐百珍」は、今年の江戸検では、要注意事項でしょう。
 誰が作り、何年に刊行されたかなどは、必ず覚えておきましょう。
 そして、そこに載っている代表的な豆腐料理も覚えておくとよいと思います。
 玲瓏豆腐(こおりどうふ)は、ふつうは練り辛子と酢醤油で食べますが、黒蜜をかけるとデザートとなります。
 右写真は、東京家政学院大学で復元したものです。

 参照「江戸の食文化」P67
 

3、 ③中年寄  

 この問題は、「江戸の食文化」にはどこにも書かれていないので、難しかったと思います。
 御台所の食事は、御広敷御膳所で調理され、そこで一度、毒味された後、奥御膳所に送られ、そこで、中年寄により再度行われました。
 御台所の食事は、通常十人前が作られます。このうち、二人前が毒味に使用され、御台所分として、御替り分も含めて二人前が食べられます。
 残りの六人前は、奥女中たちで食べたようです。


4、 ①料理物語  

 この問題も、「江戸の食文化」には書かれていませんので、これも正解率は低いのでなないでしょうか。
江戸時代に、肉食禁忌が、最高潮に達したのは、5代将軍綱吉の時代ですが、その前の寛永20年に出版された「料理物語」には、第5獣の部があり、次のような調理方法が記載されています。 
鹿→「汁、貝焼き、煎り焼き、干してもよい」、狸→「汁、田楽」、猪→「汁、田楽、菓子」、莵(うさぎ)右「汁、煎り焼き」、川うそ→「貝焼き、吸い物」、熊→「吸い物、田楽」、犬→「吸い物、貝焼き」


5、 ④蛍飯 

 「名飯部類」も重要事項の一つですので、しっかり覚えておきましょう。
 「名飯部類」は、149品目の米飯料理が書かれています。享和2年に出版されていて、天明2年に発行された「豆腐百珍」の後に発行されています。
 そのため「百珍物」の一つとも考えられています。
 「名飯部類」に掲載されている代表的な米飯料理として「江戸の食文化」に書かれている料理内容は覚えておいた方がよいでしょう。

 参照「江戸の食文化」P63

6、 ②鮎 

 各地の郷土料理のすしは、各地の名物となって、将軍家に献上されているものもありました。和歌山藩からは、鮎の押ずしである「つるべずし」は 文化3年の場合、4月と5月に献上されていました。
 「つるべずし」という名前は、すしが入れられて容器が「つるべ」に似ているため名付けられました。
 吉野の「つるべずし」は、歌舞伎の「義経千本桜」にも出てくることで有名です。

 参照「江戸の食文化」P77

7、 ①水6杯、酒1杯、醤油1杯

 「八杯豆腐」も重要事項です。どんな料理なのかは是非覚えておいてください。
 また、「八杯豆腐」が大関として載っている番付「日々徳用倹約料理角力取組」に載っている大関関脇小結の料理も覚えておくとよいでしょう。
 ちなみに大関は「八杯豆腐」「目刺しいわし」、関脇が「昆布油揚」「むき身切り干し」、小結が「きんぴら牛蒡」「芝えび乾煎り(からいり)」です。

 参照「江戸の食文化」P88

8、 ②鯛 

 「博覧強記」には、将軍の食膳にしばしば「鱚(きす)」が上がったと書かれていますので、「鱚」と思った人もいると思いますが、「江戸の食文化」においては、11代将軍家斉は「鯛」が大好きだったと書いてありますので、ご注意ください。

 参照「江戸の食文化」P33

9、 ③大槻玄沢  

 江戸の蘭学者たちが開いた「新元会」は、食文化の分野より、「蘭学」の分野で取り上げられることの方が多い項目です。
 大槻玄沢は、長崎に留学した際、新元会について知ったようですし、その時だされる料理についても知識を得たようです。

 参照「江戸の食文化」 P79

10、  ③文政年間 

 今回の模擬試験は、前述したように、「江戸の食文化講座」で出題したものです。
 後日、受講生のAさんから「博覧強記」では、「文化の初めごろ深川本所あたりの鮨屋、松の鮨や花屋与兵衛鮨によって握り鮨が考案されて大流行し、またたく間に押し鮨を席巻した」とあり、「江戸の食文化」には文政年間と書かれているが、どちらが正しいのかというご質問がありました。
 そこで、岩波新書「すしの歴史を訪ねる」日比野光敏著、岩波現代文庫「すしの本」篠田統著、講談社学術文庫「すし物語」宮尾しげを著を調べました。
 それぞれ、細かい年の違いはありますが、文政年間に握りずしが考案されたと書かれています。
 従って、「握りすし」は文政年間に考案されたというのが有力説と考えられます。
 しかし、「博覧強記」には文化と書かれていて、「江戸の食文化」では、文政と書かれていて、二つのテキストの見解が違っていては、出題する側としては、出題しにくい問題です。
 そのため、江戸検本番でも、この問題は出題されないのではないでしょうか。
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by wheatbaku | 2014-08-20 09:04 | 江戸の食文化 | Trackback
「江戸の食文化」第七回模擬試験問題
 「江戸の食文化」の第七回模擬試験問題を出題します。
 毎月、模擬試験を出題していましたが、七月は多忙のため、出題していませんでしたので、8月はできれば2回出題しようと思っています。

c0187004_8481448.jpg それでは、出題しますが、今回の問題は原田先生の「江戸の食文化」を主な準拠資料として、「『江戸の食文化』を読み込む」講座で出題したものです。
 解答は水曜日にアップします。


1、明け六つの鐘が鳴らされるのはどの時刻でしょうか?

 ①日の出  ②日の出後約15分 
 ③日の出前約15分 ④日の出前約30分

2、「豆腐百珍」では100種類の豆腐料理が紹介してあります。
その中には、黒蜜をかけてデザートとして食べることもできる豆腐料理も紹介されていますが、その料理は次のうちどれでしょうか?

 ①雷豆腐  ②玲瓏豆腐  ③ふわふわ豆腐  ④小もん豆腐

3、御台所の食事は、奥御膳所で、煮物類を盛り立て、汁は鍋のまま箱火鉢に掛けて温められた後で、奥女中により毒味がされました。
 それでは、御台所の食事の毒見をしたのは誰でしょうか?

 ①仲居  ②中臈  ③中年寄  ④年寄

4、江戸時代は、肉食禁忌のため、獣肉は食べられていなかったと考えられていますが、意外にも獣肉は食べられていて、獣肉の料理が紹介されている料理本も出版されたこともありました。
それでは、獣肉の料理が紹介されている本は次のうちどれでしょうか?

 ①料理物語  ②江戸流行料理通 ③料理早指南  ④名飯部類

5、「名飯部類」には、多くの米飯料理が紹介されていますが、その中に「煮た黒豆を焚きあがる寸前の飯にのせて蒸し、煎茶をかけて食べる」料理が紹介されています。
 それでは、この料理には、なんという名前がつけられているでしょうか?

 ①菁蕪菜(まな)雑炊 ②乾呉魚(ひだら)飯 ③利休飯 ④蛍飯 


6、大和国の名産で、紀州和歌山藩から将軍家にも献上されていた「つるべ鮓」は押しすしですが、このすしに利用されていた材料は次のうちどれでしょうか

 ①柿の葉  ②鮎  ③鯖   ④高菜の浅漬け


7、江戸の庶民が大変好んだ菜(おかず)に「八杯豆腐」がありますが、この名前は、豆腐を入れる汁に由来するものです。
 それでは、その汁はどの割合でつくられたでしょうか?

 ①水6杯、酒1杯、醤油1杯
 ②水6杯、醤油1杯 みりん1杯
 ③水5杯、酒2杯 醤油1杯
 ④水5杯、醤油2杯 みりん1杯

8、11代将軍徳川家斉は、ある食材が大好きで、29日のうち22日も、その食材を食膳に上げさせたこともあったそうです。
それでは、22日も家斉の食膳に上った食材はなんでしょうか?

 ①鱚  ②鯛  ③鶴  ④白牛酪

9、寛政6年に、江戸で蘭学者たちを集めて「新元会」という会合が開かれました。
この会合は、参会者が卓を囲んで一堂に会するという西洋方式でした。
それでは、この「新元会」を主催した人物は誰でしょうか?

 ①前野良沢  ②杉田玄白  ③大槻玄沢  ④桂川甫周

10、「握りすし」が考案されたとされているのは、いつ頃のことですか

 ①寛政年間  ②文化年間  ③文政年間  ④天保年間
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by wheatbaku | 2014-08-18 08:50 | 江戸の食文化 | Trackback
てんぷら屋台の様子(てんぷら⑤ 江戸の食文化76)
 昨日は、てんぷらは屋台で食べるものという話を書きましたが、今日は、てんぷら屋台の様子などを書いていきます。

 てんぷらの屋台がどんな様子だったかを描いた絵巻物に、鍬形恵斎(くわがたけいさい)の「近世職人尽絵巻(きんせいしょくにんづくしえまき)」(東京国立博物館蔵)があります。
c0187004_2227319.jpg  鍬形恵斎は、北尾重政の門下の浮世絵師で、重政から北尾政美(まさよし)の名を貰いました。後に、津山藩松平家のお抱え絵師となり鍬形恵斎と名乗りました。
 「近世職人尽絵巻」は文化2年(1805)刊行の絵巻物で、様々な職人の様子を描いたものです。
 屋台の前に、男、女、子供がそれぞれ一人います。男は頬かむりをしていますが、よく見ると腰に2本指していますので、武士ということになります。
 これを見ると、当時屋台で売っている串に刺したてんぷらの揚げ立てを武士も買って食べていたことになります。
 子供の前には大どんぶりが置いてありますが、これは天汁をいれた丼だそうです。


【「江戸独買物案内」】 
 てんぷらは、江戸時代には、店舗を構えて売るようなことはなかったようです。
 文政7年に出版された「江戸買物独案内」の「飲食之部」には151ヶ店が掲載されていますが、蕎麦屋、鮨屋、鰻蒲焼などはありますが、てんぷら屋は一軒もありません。
 「江戸買物独案内」は、江戸に不案内の人が独りででも買物が出来るようにしたショッピングガイドです。当時の有名店が掲載されている書物です。
 この「江戸買物独案内」に掲載された店が一つもないということは、当時のてんぷら屋は屋台がほとんど店構えのてんぷら屋はなかったということを想像させます。
 同じ屋台主体の商売の寿司屋は、「江戸買物独案内」に掲載されている店が18ヶ店あることを考えるとてんぷらの評価があまり高くなかったことを如実に表しています。

【てんぷら蕎麦と天丼】 
 てんぷら蕎麦は、江戸時代後期には販売されていたようです。
c0187004_22282934.jpg 「守貞謾稿」には、蕎麦の説明の中に、あられ、花巻、しっぽく、玉子とじと並んで「てんぷらそば」が次のように書かれています。
 
 『天ぷら  芝海老の油揚げ3,4を加える。』 また、『天ぷら・花巻・しっぽく・あられ・なんばん等皆丼蜂に盛る。』とも書かれています。

 「守貞謾稿」は天保8年(1837)に刊行されていますので、この頃には、てんぷら蕎麦が売られていたことになります。

 一方、天丼は、新橋にあった「橋善」のてんぷらの残りを利用して、蕎麦屋が明治時代に開発したものだそうです。
 そして、当の「橋善」も天丼を売り出し名物になったそうです。
 その「橋善」は数年前に閉店してしまったそうです。
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by wheatbaku | 2014-08-15 08:00 | Trackback
  

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