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家康江戸入城時の山王権現(江戸の祭礼と歳事)
明日28日も、江戸楽アカデミーでの講座があります。

 江戸楽アカデミーでは、「天下祭」についてもお話をし、その中で、山王権現(現在の日枝神社)についてお話をしましたし、明日もお話する予定です。
 しかし、山王権現が、徳川将軍家の産土神となった由来については、あまりゆっくりお話する時間がありません(でした)ので、ブログに書いておきます。

c0187004_106245.jpg 山王権現(現在の日枝神社)は、文明10年(1478)太田道灌が江戸城を築城するにあたり、江戸城鎮護の神様として川越山王社(現在の日枝神社)を勧請したと言われています。

 日枝神社・日吉神社・山王神社などの総本宮は、近江坂本にある日吉大社(ひよしたいしゃ)です。
 従って、江戸の山王権現も、坂本の日吉大社から勧請されたものと思いがちですが、江戸の山王権現は、川越から勧請されたものです。
 しかし、このことはあまり知られていないかもしれません。
c0187004_1062194.jpg 川越の日枝神社は、喜多院の山門の前に鎮座しています。(右上写真は今年の初詣の時の写真)
 その日枝神社の道路脇のよく見える場所に、「東京都千代田区赤坂にある日枝神社の本社です」と書かれた右のような看板が建てられていて、このことを多いに宣伝しています。
 なお、赤坂は港区なので、千代田区赤坂というのは間違っていると思いますが・・・

c0187004_10648100.jpg  そして、徳川家康が、江戸に入府した際に、山王権現を将軍家の産土神としました。
 その際のエピソードが、「徳川実紀」に載っているというので、徳川実紀を調べてみました。
 すると、確かに、「東照宮御実紀付録卷六」に載っています。

 それを、そのまま書き写すと下記の通りとなりますので、詳細を知りたい方は、下記をご覧ください。
 前半の肝心な部分を私なりに現代文に訳すると次のようになります。

 
 徳川家康が、江戸に移った頃、榊原康政を呼んで、江戸城内に鎮守の神様はないかと聞きました。それに対して、榊原康政が「北の郭に、小さなお社が二つありますが、それが鎮守の神様でしょう、ご覧ください」と言ってご案内しました。
 榊原康政の案内で行ってみると、小さな坂で梅の木が植えてある中に二つのお社がありました。
 家康は、一つは天神様のようだと判断しました。
 そして、もう一つのお社を見ると、徳川家康は即座に拝礼し、「康政よ、不思議なことがあるもんだな。私は、江戸城に鎮守の神様がなければ、近江坂本の山王権現を勧請しようと思っていたが、不思議な縁で、ここに山王権現が鎮座されているよ」と言いました。
 榊原康政が、平伏して「不思議なことですが、これは当家が繁栄する瑞祥だと思われます」と申し上げると、家康は大変うれしそうなご様子でした。
 (以下、省略します。)

c0187004_10152699.jpg 江戸時代中期の国学者柏崎永以が延享3年からか書き始めた「事跡合考」という本にも同様な内容の記述がされています。

 皇居東御苑には、現在も梅林坂があり、梅の木がたくさん植えられています。(右写真)
 徳川家康が、江戸城に入城した頃には、ここに、現在の日枝神社と平河天神が鎮座していたのですね。
 江戸城を案内する際の、よいエピソードを知りました。

「東照宮御実紀付録卷六」
 御遷移のころ榊原康政をめして。この城內に鎭守の社はなきやと御尋あり。康政城の北曲輪に小社の二つ候が鎭守の神にもあらん。御覽あれとて康政鄕導してそ の所に至らせ給ふ。小き坂の上に梅樹數株を植て。そが中に叢社二つたてり。上意に。道灌は歌人なれば菅神をいつき祭りしとみえたり。かたへの社の額を見そ なはすと直に御拜禮ありて。さてさて式部不思議の事のあるよと仰なり。康政御側近く進みよれば。われ當城に鎭守の社なくば。坂本の山王を勸請せんとかねて おもひつるに。いかなるえにしありてか。この所に山王を安置して置たるよと宣へば。康政平伏して。これもいとあやしく妙なる事にも侍るものかな。そもそも 當城うごきなくして。御家運の榮えそはせ給はん佳瑞ならんと申せば。御けしきことにうるはしかりしとぞ。その後城壘開柘せらるゝに及び。山王の社を紅葉山 にうつされ。かさねて半藏門外に移し。明曆の災後に至り今の星岡の地に宮柱ふとしきたてゝ。 當家歷朝の產神とせられ。菅神の祠は平河門外にうつせしを。 又麴町に引うつして舊跡を存せらる。今の平河天神これなり。


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by wheatbaku | 2015-02-27 09:56 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
十軒店の雛人形市(江戸の祭礼と歳事)
 今日は2月26日ですが、「東都歳事記」による2月25日には3月の雛祭りに合わせた雛人形市が始まったようです。

 「東都歳事記」の2月25日の項には次のように書かれています。

 今日より3月2日迄雛人形同調度の市立 街上に仮屋を補理(しつら)ひ、雛人形諸器物に至る迄、金玉を鏤(ちりば)め造りて商う。是を求る人昼夜大路に満てり。中にも十軒店を繁花の第一とす。

c0187004_11414887.jpg 雛人形店といえば、日本橋の十軒店がなんといっても有名です。
 十軒店跡には、中央区教育委員会の建てた説明板があります。(右写真)
 しかし、雛市は、十軒店のほかにも開かれたようです。
 東都歳事記には、十軒店のほかに、尾張町、浅草茅町、池の端仲町、牛込神楽坂上、麹町3丁目、芝神明前などの雛人形市が載っています。

 しかし、何といっても有名なのが十軒店です。
 江戸名所図会には、挿絵が載っています。
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 左のページに並んでいる店は、瓦屋根・畳敷きのしっかりとした店構えです。
 こちらは、普通の店舗です。
 これに対して右ページにある手前側にある店はよしず張りの仮設の店が並んでいます。
 このような露店が、道路の真ん中に二列にわたって並んでいたようです。

 粗末な店が並んでいることから、次のような川柳もあります。
 草庵の 一町続く 雛の市
 賤が家(しずがや)に 公のまします 通町

 「絵本江戸風俗往来」では、
 十軒店雛人形市  十軒店市は往還左右へ床店をしつらうこと、一丁余の間なり。これを中店という。されば両側の常の店並、同じく中店と都合四側の店並となり、その中間を公道とす。
 五月端午の幟・兜人形市も同じ店並なり。雛は毎年2月25日より始め、3月2日に終わる。
 と書かれています。

 雛人形市の様子は、「熈代勝覧」にも描かれています。
 確かに、常設の店舗の前に、仮の店舗が並んでいますね。
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by wheatbaku | 2015-02-26 11:31 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
諫鼓鶏(かんこどり)(江戸の祭礼と歳事)
 先日の江戸楽アカデミーの講座の後の懇親会(飲み会)で、常連コメンテーターのツユクサさんから、「歌川広重の名所江戸百景に描かれた山王祭の鶏の羽根の色が違うと本に書いてありましたよ」という話がでました。

c0187004_1432811.jpg そして、昨日のコメントに、「諫鼓鶏の尾の色の話は『集英社新書ヴィジュアル版・謎解き広重「江戸百」 原信田実』の78ページ~82ページに載っています。」と書いてくれました。

 そこで、今日は、山王祭の山車の鶏の羽根について書きます。 
 ツユクサさんのコメントの通り、「謎解き広重『江戸百』」には、
  「描き違いという問題でいえば、猿鶏の順番だけでなく、諫鼓鶏の羽根の色も違っている。山王祭は五彩で、白は神田祭である。」 と書いてあります。

 詳細は「謎解き広重『江戸百』」を読んでいただきたいと思いますが、簡単に書くと次のようになります。

 右下の「名所江戸百景」のうちの「糀町一丁目山王祭ねり込み」を見てください。
 右の絵には、中央真ん中と左手に山車が描かれています。
 中央の山車は小さくてはっきりみえませんが、猿が載っている山車です。
 左手は鶏の山車です。
 「謎解き広重『江戸百』」では、この絵に間違いが二つあると言っています。
 一つは南伝馬町の猿の山車が先頭をいっているということ、二番目が、大伝馬町の山車の鶏の羽根の色が白になっているということです。

c0187004_14333514.jpg 山王祭の山車行列は1番が大伝馬町、2番が南伝馬町と決まっていました。
 そして、神田祭でも、この大伝馬町と南伝馬町は1番と2番と決まっていました。
 1番目の大伝馬町の山車は「諫鼓鶏」の山車で、2番目の南伝馬町の山車が「猿」の山車でした。

 大伝馬町と南伝馬町は、両伝馬町とも言われ、伝馬役を担っていた町です。
 江戸では、江戸城の大手門近くに、日本橋大伝馬町、小伝馬町、南伝馬町が存在していました。
 大伝馬町と南伝馬町は、江戸府内から五街道にかかる人足,伝馬の継立てを行うという道中伝馬役を負担し、江戸府内の公用の交通,通信に従う江戸廻り伝馬役を小伝馬町が負担していました。

 大伝馬町の名主は馬込勘解由で、南伝馬町は高野新右衛門でした。
 この二人は、徳川家康が江戸に入府する際に、駄馬人足を従えて迎えたという言い伝えのある草創名主でした。

 このように、大伝馬町と南伝馬町は由緒ある町であることから、山王祭と神田祭の両方に、1番.2番の山車を出したものと思われます。
 なお、この二つの町が山車を出すにあたっては、2代将軍秀忠の指示によるという話があります。

 この大伝馬町の山車がいわゆる「諫鼓鶏」です。
 「諫鼓」とは、中国の伝説上の3人の君主である堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)が、その施政について諌言しようとする人民に打ち鳴らさせるために、朝廷の門外に設けた太鼓です。
 3人の君主は、善政を行ったので、諫鼓は鳴ることもなく長い年月の間に苔むして、鶏の遊び場となっていたといいます。
 つまり諌鼓に鶏が止まっているのは善政が行われて世の中がうまく治まっているということです。
 「諫鼓鶏」は、まさに「天下泰平の象徴」です。
c0187004_14434281.jpg この「諫鼓鶏」が大伝馬町の山車だったのです。
 そして、「諫鼓鶏」の羽根の色が、山王祭では、赤青黄白黒の五彩で、神田祭では白として区別されていました。
 従って、羽根の色を見れば、どちらの祭かが区別できました。
 また、正徳4年には、根津権現の祭礼「宝永祭」が執り行われていますが、この際の羽根の色は黒でした。

 神田明神の資料館には、諫鼓鶏の山車の模型があります。
 こちらは、神田祭ですから、当然ながら、諫鼓鶏の羽根の色は白です。

 なお、2番の南伝馬町の猿の山車の場合は、烏帽子と御幣の色が異なっていて、山王祭では銀色の烏帽子で銀色の御幣、神田祭では金色の烏帽子で金色の御幣、宝永祭では黒烏帽子で白色の御幣となっていました。

 さて、今度の土曜日28日には、江戸楽アカデミーの講座の2回目があります。
 今回も、講座終了後、情報交換会(飲み会)を次の要領で開催します。
  情報交換会  開始時間 22日午後4時より、
            場所   「銀座ライオン竹橋店」
            会費   4千円
 情報交換会は、江戸検を受ける方たちで、情報を交換し、知恵を交換し、元気を交換しようということで設定しています。
初めての方でも気楽にご参加いただけます。

 22日の情報交換会は20名ほどの方にご参加いただきましたが、常連コメンテーターの悪代官様から『参加者が少なすぎる』とおしかりをいただきました。(ちょっとジョークですが・・・。悪代官さん、ごめんなさい)
 そこで、28日の講義を受けられる皆様に事前にお知らせします。

 28日の講義を受けられる皆様、情報交換会までご予定いただき、是非ご参加ください。

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by wheatbaku | 2015-02-25 07:30 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
花燃ゆ第7回「熱血先生、誕生」(大河ドラマ)
 日曜日には、江戸楽アカデミーの講座があり、大河ドラマ「花燃ゆ」が見られませんでしたので、録画したものを、昨日観ました。
 そこで、今日は。「花燃ゆ」について書きます。

 今回は、松下村塾のスタートと久坂玄瑞との出会いのお話でした。
 安政2年12月に、野山獄を出獄した吉田松陰は、実家杉家の小部屋で蟄居することになりました。
 ここで、野山獄での行われていた「孟子」の勉強会を、ごく身内で始めたのが、松陰主宰の松下村塾の始まりです。
c0187004_1029157.jpg 「松下村塾」はあまりにも有名ですので、吉田松陰が創った塾と思っている方が多いと思いますが、実は、「松下村塾」というのは、松陰の叔父の玉木文之進が造った塾です。
 玉木文之進が、役職に就き多忙となったため、自然と閉鎖されていましたが、その後、やはり松陰の叔父の久保五郎左衛門が継続していました。
 それを吉田松陰が継いだ形ですので、正しくは3代目の主宰者が吉田松陰ということになります。(まぁ、このことは、それほど重要なことではないと思いますが、念のため)
 ところで、「松下村塾」という名前の由来ですが、「松下」は「まつもと」とも読めますが、「松本村」という村名から採られたのです。

 番組の最後には、萩の松下村塾が照会されていましたが、東京の世田谷にある松陰神社にも松下村塾が復元されています。右上写真がそれです。

 松下村塾の狙いを、吉田松陰は、弟子を教育するためと考えていなかったようです。
 松陰の狙いは、「一世の奇士を得てこれと交りを締(むす)び、吾の頑鈍磨かんとするにあり」
 つまり、やってくる塾生によって自分の頑迷さを磨いてもらおうと考えていたようです。
このことは、「花燃ゆ」で、松陰が久坂玄瑞に、「ともに学ぼう」と語っていたことになります。

 吉田松陰と久坂玄瑞の出会いについて、海原徹氏の「吉田松陰」によれば、久坂玄瑞は、「僧月性の紹介で来た。安政元年頃からしばしば亡兄玄機の親友月性に教えを乞うていた玄瑞は、彼の強い勧めで村塾に現れたものである。」と書いてあります。
 一方、司馬遼太郎の「世に棲む日日」では、久坂玄瑞が、吉田松陰の名前を知ったのは、肥後の宮部鼎三の話がきっかけであると書いてあります。
 「花燃ゆ」と同じですね。

 そして、久坂玄瑞の入門にあたっては、「花燃ゆ」でも描かれていたように、手紙を通じての激しいやりとりがありました。
 松陰が久坂玄瑞を徹底して酷評したのはわざとやったことでした。
 久坂玄瑞の非凡な能力を認めたためです。
 そして、久坂玄瑞も反論を書いて、何回かのやりとりの後に、久坂玄瑞は松陰の元に入門します。
 後に、松下村塾の龍虎とも呼ばれ、そして、文の旦那さんとなる久坂玄瑞の入門です。

 龍虎のもう一人高杉晋作の入門は、次回のようです。こちらも楽しみです。
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by wheatbaku | 2015-02-24 10:26 | 大河ドラマ | Trackback
江戸楽アカデミーの初回講義が終わりました
 昨日、江戸楽アカデミーの初回講義が終わりました。
 受講いただいた皆様ありがとうございました。

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 今回、初めての江戸検1級合格者による講座ということで、大変緊張しましたが、無事に終わりほっとしています。
 昨日のタイトルは『過去問題を総チェック!~江戸のお祭り関連問題の解説とポイント~』でした。
 本来は、2月28日だけの講座ですが、申込者が多数ということで、昨日の講座を急遽追加しましたが、その講座も早い段階に定員に達し、大変うれしい悲鳴でした。

 昨日は、初回でしたので、どのように講義したらよいか悩みましたが、私らしくやるのが一番ということで、気負わすにやろうと思いましたが、いざやるとなると大変緊張しました。

 昨日の講義の概要は次のような内容でした。
 1、お題関連過去問の傾向と対策
 2、江戸検合格体験談
 3、こうすれば点がとれる。
 4、さらに点を上げる方法について


 過去問については、過去の江戸検1級・2級・3級の問題を総ざらいして、「江戸の祭礼と歳事」に関する問題をピックアップして、その傾向を調べた結果をお知らせしました。
 c0187004_1392861.jpg 合格体験談は、私の経験を話させていただきましたが、大切なことは、楽しく江戸検を受検することでしょうと申上げました。
 そして、最後は、江戸検で点数を上げるための方法について私なりに考えるやり方をお話させていただきました。

 与えられて時間は90分で、お伝えしたい内容は盛りだくさんだったので、時間内に終わるかどうか不安でしたが、結果的にはほぼ時間どおりに終了しました。
 実際に、お役にたったのかどうか、大変心配の残るところですが、講義後の感想では、「実によい講義でした」というお話もありました。
 また、講義後の懇親会では、すごく参考になりましたというお話もありましたので、多少はお役にたったのかとも思います。
 今度の土曜日に、2回目の講義がありますので、今回の経験を踏まえてより一層よい講義になるように頑張ろうと思います。
 昨日講義を受講いただいた皆様ありがとうございました。
 お役にたっているのであれば幸いです。
 

 講義終了後は、情報交換会という名の飲み会です。
 今回も大勢の方に、ご参加いただきました。
c0187004_11334330.jpg 今回は江戸楽アカデミーを主催されている小プロのTさんにも特別にご参加いただきました。 Tさんありがとうございました。
 また、昨年12月13日に開催した交流会にご参加いただいた長崎の I さんと神戸の Aさんには、今回もご参加いただきました。
 本当にありがたいことです。
 
 情報交換会の中では、受講された方の熱心さに驚く一コマもありました。。
 山王祭と神田祭には、大伝馬町の諫鼓鳥が必ず1番目にいくのですが、この諫鼓鳥の羽根の色が 神田祭の場合は白、山王祭では青黄赤白黒の五彩であるということを知っていましまた。
 今の段階で、そんな細かいことまで知っているんだと大変驚ろいた次第です。
  いつもことながら、江戸の話に盛り上がり、あっという間の3時間でした。
皆さんお疲れ様でした。最後に記念撮影をさせていただきました。
 
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by wheatbaku | 2015-02-23 06:30 | Trackback
このしろ
 22日の江戸楽アカデミーの講座が近づいてきたため、その準備で忙しい日を送っています。
 講座の中では、模擬試験への取り組みも大切だということをお話し、模擬試験も出題しようと思っています。
 そのため、模擬試験の準備もしていますが、その準備の中で、「初午」を調べていたら「このしろ」についておもしろいことをみつけました。
 そこで、今日は「このしろ」について書いていきたいと思います。

c0187004_845486.jpg 「このしろ」は、成長とともに呼び名が変わる出世魚で、「しんこ」「こはだ」「なかずみ」「このしろ」と名前が変わります。
 「こはだ」は、すしネタとしておなじみの魚で、私もよく注文するネタです。
 この「こはだ」が成長すると「このしろ」と呼ばれます。 

 「このしろ」は江戸時代は、「『此の城』を食べる」あるいは「『此の城』を焼く」を連想するため嫌われました。 また、切腹の際に出されるため、「腹切魚」と呼ばれて敬遠されたとも言われます。
 江戸検1級のテキスト「博覧強記」の中でも、将軍の食膳にのぼらない食材の一つにあげられています。
 「塵塚談」という本には「武士は決して食わざりしものなり」とあるようですので、本当に嫌われたようです。

 その魚が意外にもお稲荷さんの供物として供えられたのです。

 このしろが 鯛になるのも 御縁日
 このしろの 前で額づく 賑やかさ

 という川柳があります。
 この川柳は、「初午」の日に「このしろ」を食べて祝ったことを詠ったものです。
 庶民は、子が代々と引き継がれるようにという縁起から、これを稲荷祭の供物としたそうです。
 また、狐がこのしろを好んだので、お稲荷様にお供えしたという説もあるようです。

 よく調べると、「このしろ」は必ずしも嫌われていたわけではないようです。
 太田道灌が、江の島参詣の帰えり、船の中へ「このしろ」が飛び込んできました。
 そこで道灌は、「九城(このしろ)が我が手に入る。これは吉兆なり。」と喜んだといわれます。
 その「九城」の一つが江戸城だそうです。
 ですから、太田道灌にとって、「このしろ」は、喜ばしい魚だったのだと思います。
 また、 「このしろ」を漢字で書くと 「鰶」 と書きます。 つまり「魚偏」に「祭」です。
 昔は、祭りに関係する縁起の良い魚であったであろうことを推測される漢字の構成になってるように思います。

 今までは、「このしろ」は嫌われものと思っていましたが、ちがう面もあるんですね。 
 思いがけず、勉強になりました。

 最後に、川柳をもう一つ
 このしろで 禰宜(ねぎ)の呑んでる 未の日
 未の日は、午の日の翌日ですから、初午の翌日に、お稲荷様に供えられた「このしろ」を酒の肴にして、神職が酒を呑んでいる様子を詠んだものです。
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by wheatbaku | 2015-02-20 08:47 | Trackback
江戸検関連講座のご案内
 今日は、江戸検のお題に関するイベントのご案内です。
 今年の江戸検のお題は「江戸の祭礼と歳事」です。
 そこで、神田明神と神田祭りについて学ぶための下記講座を毎日文化センター主催で開催します。
 

  ―  江 戸 検 散 歩 ―  
 神田を歩き 神田祭を学ぶ
   4月18日(土)13:30~17:00
  集合時間 午後1時30分  集合場所 神田明神随神門前

  今年の江戸検のお題は「江戸の祭礼と歳事」です。
c0187004_1624479.jpg 「江戸の祭礼」で、絶対に勉強しておかないといけない事項は、「天下祭」です。
 現に、祭礼に関する江戸検の過去問でも、群を抜いて、何回も出題されています。
 
 この「天下祭」は、山王権現(現在の日枝神社)の山王祭りと神田明神(現在の神田神社)の神田祭りを指します。
 現在の山王祭り・神田祭りも盛大に行われています。
 しかし、現在は、神輿渡御が中心となっています。

 江戸時代は、神輿の外に山車が出ました。
c0187004_1625813.jpg 山王祭りでは45番、神田祭りでは36番の山車が出ました。
 そのため、現在を上回るほど盛大だったようです。
 しかし、明治になって、諸々の事情から山車は失われていきました。
 そのため、江戸時代の天下祭りを偲ぶには、当時の絵巻物や浮世絵に頼るしかありません。

 そうした状況の中で、神田明神では、神田祭りに関する資料を蒐集するとともに、資料館を建設しその資料を展示し公開しています。
 時あたかも、御遷座400年を記念して、「大江戸・神田祭~神田祭の博物誌~」展 と題した下記特別展が開催されています。
  
c0187004_23421595.jpg

 そこで、江戸検を受ける方が、絵巻物や山車の模型を実際に見ていただいた上で、神田祭りを学ぶことができるように、上記講座を企画しました。

c0187004_16313571.jpg 当日は、神田明神の御神職により、特別展について解説していただきます。
 日頃、眼に触れることのない神田祭について、この機会にぜひ学んでいただきたいと思います。

 右上写真の山車は、特別展で展示されている山車の模型で、 右写真は、やはり特別展で展示されている神田祭りの絵巻物の一部を写したものです。
 これらの山車や絵巻などについてもご解説していただだく予定です。

 さらに、当日が大混雑でない限り、神田明神さんのご配慮によって、江戸検合格祈願も特別にやっていただける予定です。
 

 「江戸の総鎮守で江戸検合格を祈願し江戸の祭礼を学ぶ」という江戸づくしの今回の講座に大勢の皆様にお申し込みいただきたくご案内申し上げます。

  なお、お申し込みは江戸検を受検する予定の方に限らせていただきます。

 詳しい内容やお申し込み・お問い合わせは 
 毎日文化センターのホームページ または、電話03-3213-4768  までお願い致します。

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by wheatbaku | 2015-02-19 00:20 | Trackback
花燃ゆ第7回「放たれる寅」
 今日は「花燃ゆ」について書きます。

 第7回の「花燃ゆ」は、吉田松陰が、野山獄を出獄するまでの様子が描かれていました。

 前回の「花燃ゆ」で描かれていたように、吉田松陰が野山獄に入った時は、沈滞していた野山獄の中も、吉田松陰が入獄したことにより、活気が出てきたのは事実のようです。
c0187004_9221661.jpg 海外渡航という思い寄らないことを企てたということ、そして松陰の人柄によって、野山獄内での勉強会が盛んになってきました。
 最初は、吉村善作を先生とした句会と富永有隣を先生とした書道の勉強会だったようです。

 吉田松陰が、野山獄で獄内教育をしたことはかなり知られていますが、松陰が実際に講義を行ったのは、入獄後半年余り後でした。
 安政2年4月12日に、吉田松陰が、「孟子」をテキストにした講義を始め、6月10日に終了しました。
 そして、その直後の6月13日から「孟子」の「輪講」が始まっています。
 「輪講」というのは。数人が順番に教師となって教える形式の講義です。

 当初は、獄内の囚人たちを対象とした講義でしたが、安政2年の夏ごろからは、司獄の福川犀之助も講義を聴講するようになりました。

 安政2年12月15日に、病気療養を名目に身柄を自宅に預けられました。
 この処置には、「花燃ゆ」で描かれていたように水戸藩の働きかけがあったと言われています。

 松陰が野山獄を出る際に、野山獄では句会が開かれました。
 このことは「花燃ゆ」でも感動的に描かれていました。
 その句会が詠まれた句が現在も残されています。

 相宿の朝の別れや冬のあめ            豊浦
 見送ればなおかげ寒し梅嫌(うめもどき)    和暢
 世に浮かむ芽張柳の競ひ哉            谷遊
 一とせの夢か別れの寒さかな           琴鳴
 星冴(ほしざえ)や今宵は何の夢を見む     蘇芳
 あとへ香を残して出たり室(むろ)の楳(うめ)  節洞

 いずれも、吉田松陰との別れを惜しむ情愛のあふれる句ばかりです。

 そうした句の中でも、一際、際だっているのが、次の句です。

 鴫(しぎ)立ってあと淋しさの夜明かな    久子

 これは、女囚高須久子が詠んだ句です。
 松陰の別号が、「子義(しぎ)」であったことを考えると、その意味は明瞭だと思います。

 最後に『二十一回孟子』という松陰の別号が出てきましたので、これについて説明しておきます。

c0187004_9304518.jpg 吉田という姓を分解すると次のようになります。
 「吉」は「十一」と「口」になり、「田」は「口」と「十」になります。
 これらを再度組み合せると「二十一回」となります。
 さらに実家の「杉」は「十」と「八」と「三」に分解でき、これを足すと「二十一」になります。
 そして、松陰の名前は「寅次郎」で、「寅」は「猛々しい」ということから「猛」であり、「士」を加えて、「二十一回猛士」と名乗ったと言われています。

 吉田松陰の遺書と言われている「留魂録」に書かれた次の辞世にも「二十一回猛士」と書かれています。
  身はたとひ武蔵 の野辺に朽ぬとも留置かまし大和魂  二十一回猛士

吉田松陰が刑死した小伝馬町牢屋敷跡には、吉田松陰終焉之地の碑が立っていて、そこに辞世の句が刻ざまれています。(右上写真)
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by wheatbaku | 2015-02-18 09:18 | Trackback
史跡案内の様子が毎日新聞に掲載されました!
 毎日新聞の生活報道部からご依頼を受けて、1月29日に吉田松陰ゆかりの地を案内させていただきました。
 そのことは、 「毎日新聞の記者さんに史跡案内してきました」 と題して記事に書きました

 その取材の内容が、2月中旬に掲載される予定というお話がありましたので、気にかけていましたが、その取材の内容が、本日(2月16日)の毎日新聞に掲載されました。
 毎日新聞では、くらしナビという面に、毎月第1月曜日と第3月曜日に「日々是好日」という欄を設けています。
 その「日々是好日」に 「松陰の志に触れる ゆかりの地巡り、肌で感じる歴史」 と題して掲載されました。
 
 私が案内したのは、佐久間象山塾跡、長州藩邸跡、小伝馬町牢屋敷跡でしたが、鈴木記者は、松陰神社や下田まで取材に行かれ、記事にされています。
 4段ものの記事となっていて、取材をいただいた鈴木記者は丁寧に取材内容を書いていただいています。
 鈴木記者、大きく取り上げていただきありがとうございます!

 「花燃ゆ」の主人公杉文は江戸には縁がありませんが、吉田松陰は、江戸にゆかりの地がかなりあります。
 毎日文化センターの「吉田松陰ゆかりの地を歩く」は、そんな、吉田松陰ゆかりの地を歩いています。
 すでに、1月の講座では、長州藩邸跡、日比谷門、佐久間象山塾跡は歩きました。
 下田は、ちょっと遠いので、下田での史跡散歩は見送りましたが、これからは、小伝馬町牢屋敷、小塚原回向院、松陰神社などを歩いていきます。
 そこでは、毎日新聞の記事のタイトル通り「吉田松陰の志に触れ」ていきたいと思っています。

 毎日新聞を購読されている方は、毎日新聞をご覧になってみてください。
 毎日新聞を購読されていなくても、記事にご関心のある方、お近くの駅売店もしくは毎日新聞の専売店で購入されて、ご覧になってみてください。

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by wheatbaku | 2015-02-16 09:08 | Trackback
装束稲荷神社(江戸の祭礼と歳事)
 一昨日、王子稲荷神社を参拝しましたが、王子稲荷神社のほか「装束稲荷神社」にもお参りしてきました。

c0187004_2212428.jpg 「装束稲荷神社」は、王子駅から 徒歩5分の距離にあります。
 初午の祭礼が、「装束稲荷神社」でも行われていました。

 装束稲荷神社は、装束榎の根元に祀られた小さな祠が始まりです。
 装束榎は、大晦日にここで関東一円の狐が衣装と整えたことで江戸時代から有名な榎です。

 「江戸名所図会」には、下図のような挿絵が載っています。
 そして、見出しには『装束畠 衣裳榎(しょうぞくばたけ いしょうえのき)』とあり、挿絵には次のように書かれています。
 『毎歳十二月晦日の夜、諸方の狐おびただしくここに集まり来たること、恒例にして今に然(しか)り、その灯せる火影によりて土民明年の豊凶を卜(うらなう)とぞ、このこと宵にあり、また暁にありて、時刻定まることなし』。
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 c0187004_8561138.jpg そして、この装束榎を有名にしているのが、歌川広重の名所江戸百景の「王子装束ゑの木大晦日の狐火」です。
 この浮世絵を見た方は多いと思います。
 この装束榎の根元に祀られたのが装束稲荷です。

 装束稲荷神社の説明板には次のように書かれています。

 『今から約千年の昔この附近一帯は野原や田畑ばかりでその中に榎の大木があり、そこに社を建てて王子稲荷神社の摂社として祭られたのがこの装束稲荷であります。
 この社名の興りとして今に伝えられるところによれば毎年十二月の晦日の夜関東八ヶ国の稲荷のお使いがこの村に集まりここで装束を整えて関東総司の王子稲荷神社にお参りするのが例になっていて当時の農民はその行列の時に燃える狐火の多少によって翌年の作物の豊凶を占ったと語り伝えられています。」

c0187004_8493688.jpg これにちなんで、王子では、毎年大晦日に「王子狐の行列」が行われています。
 
 「王子 狐の行列」のパンフレットには、次のように書かれています。

 「この浮世絵をもとに、王子の街の人たちが数十年前から「かがり火年越し」や「狐ばやし」で事起こしをし続けています。そして、近年、大晦日から新年を迎える伝承行事として「狐の行列」が誕生しました。
 除夜の鐘とともに、夜空の下、人が狐に化けて紙の裃やきつね面で装束を整えちょうちんの灯をかざし、関東総司の王子稲荷へと行列します。
 新年を迎える人たちにふるさとの心を伝え残す行事となっています」

c0187004_22131229.jpg  この装束榎がどこにあったのだろうかという疑問を解決する目的もあって、装束稲荷神社をお参りしました。
 そして、装束榎がどこにあったのかわかりました。
 それを教えていただいたのは、装束稲荷神社近くのセトモノ屋の丸一堂さんの御主人高橋宏様です。
 高橋様は、ご商売のかたわら、装束榎について熱心に調べられていらっしゃっていて、大変博識でいらっしゃいました。高橋様ありがとうございました。
 

c0187004_9224963.jpg 高橋様のお話では、丸一堂さんの斜め前の歩道と車道の境あたりにあったとのことです。
 右写真でコメントした辺りです。 丸一堂さんの看板は「マルイチ堂」となっています。
 装束榎は、昔は、田畑が広々を広がっている場所に生えていたそうですが、現在は、交通量の激しい北本通りや商店が立ち並ぶ街並みとなっています。
 

c0187004_9304727.jpg 装束榎は、明治中期には枯れて、それを惜しんだ地元の齋藤さんという方が、「装束榎」と刻まれた石碑を、枯れた榎の根元に建てました。
 その後、その石碑は、お稲荷さんの祠とともに一旦丸一堂さんの裏の土地に移転した後、区画整理後、現在地に、装束稲荷神社が鎮座され、その境内に移されたそうです。
 右写真は、現在の石碑です。
 その後ろ側に写っているのが、2代目(?)の装束榎です。 

 高橋様、突然お邪魔したのにもかかわらず、丁寧にお教えいただきありがとうございました。
 「装束榎がどこにあったのか」というのは、前々からの疑問でしたが、今回お教えいただき、よくわかりました。
 本当にありがとうございました。

最後に4代目歌川広重こと菊池貴一郎が書いた「絵本江戸風俗往来」に「王子の狐火」について詳しく書かれています。
 菊池貴一郎は、若い頃、王子の狐火を見に行ったことがあり、その実見体験を書いていますので、紹介しておきます。
 
 王子稲荷神社の門前なる畑中に、いとも大きな榎あり。これを装束榎と称したり。
 年々12月大晦日の深夜、数千の狐この榎の下に集まりて榎を飛び越すとかや。とぶこと高きに随いて狐の官位の高下のつくとぞ。故にこの榎を装束榎といいける。年々大晦日の夜は必ずこの辺に数点の狐火むらがりて上下せり。
 己れ蘆の葉若年の頃、二とせばかり見に行きしことあり。実に聞く所に違わず数百と思うばかりの狐火見たり。
 (中略)
 かの狐火は見ゆるかとすれば失せ、失せるかとすればまた光り、身の毛もよだつばかりなり。
 勿論空高く東天紅の映ずるに従い、夜明けてはその跡もとどめざるよしなり。


 赤印が装束稲荷神社です。青が王子稲荷神社です。


 装束稲荷神社周辺の拡大地図
赤が装束稲荷神社  紫が丸一堂さん   緑が装束榎があったと思われる場所





 
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by wheatbaku | 2015-02-13 10:08 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
  

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