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夏越の祓(江戸の祭礼と歳事)

 今日6月30日は「夏越(なご)しの祓」が、各地の神社で行われます。

 東都歳事記の六月晦日の項には次のように書いてあります。
 
○夏越(なごし)の祓  閏月であれば閏月に行う。
 橋場神明宮 社前の川辺に於いて執行あり。諸人群集す。亥の半刻に移る。
 (この後、各地の神社名が書かれています)
 神前祝詞を奏し、神輿興業あり。神事移りて参詣の輩茅の輪を越さしむ。河辺に隔りたる所には、盥に水をもりて身曾貴(みそぎ)川に比するなり。

c0187004_09293672.jpg 日々の暮らしの中で、知らず知らずに犯した罪や穢れを祓い清めるため、「大祓(おおはらえ)」という行事が行われてきました。

 大祓には、6月晦日に行われる「夏越の祓」と大晦日に行われる「年越の祓」の二つがあります。


6月晦日に行われる「夏越の祓」は、前半の半年分の穢れを落とす行事で、後半の半年の健康と厄除けを祈願します。

 現在では6月はまだ本格的な夏の直前の月のように思いますが、旧暦の時代の6月は夏の終わりの月とされていましたので、6月晦日に行われる大祓えは夏という峠を越える日の大祓えという意味で「夏越の祓」と書き「なごしの祓」と呼ばれました。

この「なごし」という言葉は邪心を和らげる「和し(なごし)」に由来すると考えられています。

各地の神社では「茅(ち)の輪くぐり」が行われます。

茅の輪とは、チガヤという草で編んだ輪のことです。

神社の境内に作られた大きな茅の輪の中をくぐると厄病や罪が祓われるとされています。


 茅の輪くぐりによって、病気や禍を免れるという行事は「備後国風土記」の素戔嗚尊(すさのおのみこと)と蘇民将来(そみんしょうらい)の故事から生まれたものです。

昔、蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟の住むある村に、一人の旅人が現れて一夜の宿を乞いました。
 裕福な兄の巨旦将来(こたんしょうらい)は旅人を冷たく断り、貧しい弟の蘇民将来(そみんしょうらい)は温かく旅人をもてなしました。
 数年後、旅の帰りに再びこの村に立ち寄った旅人は、自分が素戔嗚尊(すさのおのみこと)であることを明かし、蘇民将来とその家族には、印として茅の輪を作り腰に結びつけておくようにと言い置いて去って行きました。
 素戔嗚尊(すさのおのみこと)が去ると村は疫病に襲われ、茅の輪を身につけていた蘇民将来とその家族だけを残して、村人は死に絶えてしまいました。

この伝説に基づいて、各地の神社で茅の輪くぐりが行われています。

茅の輪くぐりは、茅の輪をの字を書くように度くぐり抜けるとされています。

c0187004_09294256.jpgそして、「形代流し」という行事が行う神社もあります。

紙で作った形代(かたしろ、人形)に姓名・年齢を書いて、これで体を撫で、自分の穢れをこの形代に移して川などに流す行事が形代流しです。
 
 形代に穢れを移して河に流すという行事は、本来は穢れを祓う本人が川や海の水に浸かって禊ぎ(みそぎ)を行ったことが形式化したものと考えられます。


 今日は、各地の神社で、夏越の祓が行われます。
 右上写真は神田明神の茅の輪です。今日の11時と15時に夏越の祓が行われるそうです。
 今日は、私は神田明神にはいけないので、近くの神社に行ってこようと思っています。





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by wheatbaku | 2015-06-30 09:15 | Trackback
第6回「江戸の祭礼と歳事」模擬試験問題
 今日は。6回目の「江戸の祭礼と歳事」に関する模擬試験を出題します。

c0187004_11102023.jpg 前月お知らせしたように神田明神編著の「神社のおしえ」をベースに出題します。
 この本は、神田明神を中心にして、神社の基本的なことについて書いてあります。
 「そうか。そうなんだぁ」という気づきが一杯ある内容です。
 江戸検の受検勉強本というより「読んで楽しい本」だと思います。
 その中から、1級に出題されそうな問題を考えましたので、挑戦してみてください。
 別の記事のアップの予定を考慮して、正解は今週木曜日にアップします。


1、神社の社殿は大きく分けて伊勢神宮に代表される「神明造」と出雲大社に代表される「大社造」の二つにあります。
 「神明造」は古代の穀倉にそのルーツがあると言われています。
  それでは「大社造」のルーツとされているのは次のどれでしょう?

 ①楼門    ②住居 
 ③物見台  ④役所

2、狛犬のルーツは遠く古代のオリエントのライオン像だと言われています。
 そのライオン像が中国、朝鮮半島を経由して日本に伝えられました。
 狛犬は向かって右が阿形、左が吽形であることが多く、二つ合わせて狛犬と呼ばれています。
 しかし、さらに詳しく分けた場合、右の阿形のものは狛犬と呼ばれますが、左の吽形のものは何と呼ばれるでしょう?
 ☆問題文の過ちをマダムから指摘されましたので上記赤字部分を次のように修正します。
 左の吽行のものは狛犬と呼ばれますが、右の阿形のものは何とよばれるでしょうか?

 ①獅子 ②神使  ③随身 ④眷属

3、七五三は、現在は11月15日にお祝いしますが、11月15日にお祝いするようになったのは、江戸時代の中期以降と言われています。
 それは何代将軍の頃でしょう?

 ①4代家綱 ② 5代綱吉  ③6代家宣  ④8代吉宗 

4、将軍家の産土神は山王権現ですが、将軍によっては、別の神社を産土神などとして崇敬していた将軍もいます。
 将軍と崇敬した神社の組み合わせとして不適切なものはどれでしょう?

 ①9代家重 赤坂氷川神社   ②5代綱吉  白山神社 
 ③6代家宣 根津神社      ④4代家綱  平河天神
 

5、春分・秋分に近い「戊(つちのえ)」の日には、自分の土地の神様にお参りし、五穀豊穣をお祈りする行事がありました。
 この行事は何と呼ばれたでしょう?

 ①土用 ②社日 ③彼岸  ④御影供

6、神社の境内には、しめ縄が張られた大木があることがあります。
 このしめ縄がはられた大木は「御神木」と呼ばれます。
 その「御神木」は、別名なんといわれるでしょう?

 ①磐座(いわくら)  ②磐境(いわさか) ③神籬(ひもろぎ)  ④神奈備(かんなび)
 

7、天下祭には、多くの山車が出ました。山王祭では45番まで、神田祭では36番までありました。
 その山車の高さは結構高いものでしたが、「神社のおしえ」によれば、どのくらいの高さがあったでしょう?

 ①6メートル  ②9メートル  ③10メートル  ④12メートル  

c0187004_13081556.jpg8、神田明神の本殿の西側に『江戸神社』という神社が鎮座しています。(右写真)
 この江戸神社は江戸最古の神社と言われています。
 もともとは南伝馬町牛頭天王社と呼ばれていました。
 この江戸神社の御祭神はいずれでしょう?

 ①大己貴命(おおなむちのみこと)
 ②建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと).
 ③少彦名命(すくなひこなみこと) 
 ④櫛名田比売(くしなだひめ)

9、 神田明神の一宮は大己貴命(おおなむちのみこと)です。
 この大己貴命(おおなむちのみこと)は多くの別名持っていますが、別名として間違っているものはどれでしょうか?

 ①大国主神(おおくにぬしかみ)  ②大国魂神(おおくにたまのかみ)
 ③杵築大神(きづきおおかみ)   ④事代主神(ことしろぬしのかみ)

10、江戸時代の祭礼には神輿が多くの山車が出されました。神輿は「神様の乗り物」です。
それでは、山車は本来どんな役割をはたしたものでしょう?

 ①神様をお招きする役割       ②囃子を演奏する人を乗せる役割
 ③大勢の人の動きを見張る役割    ④神様へのお供え物を乗せる役割









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by wheatbaku | 2015-06-29 11:00 | Trackback
江戸検講座「江戸の祭礼と歳事」開講しました。

 昨日は、毎日文化センターの江戸検講座「共に学ぶ『江戸の祭礼と歳事』」が開講しました。

 この講座は、江戸検の今年のお題の参考図書「祭りだわっしょい 江戸の祭礼と歳事」をテキストとして、「江戸の祭礼と歳事」を勉強しようという講座です。

 定員45名ですが47名の方にお申込みいただきました。

 しかも、長崎、神戸、浜松という遠方から受講される方もいらっしゃって大変感激しました。

 

 講座が開講するときは、いつも不安と緊張があるのですが、40名以上の方が参加される講座で、しかも合格のための講座ですので、一段と緊張して講座に臨みましたが、無事終わり、本当にほっとしています。

ご参加いただいた皆様ありがとうございました。

c0187004_09130837.jpg昨日は、受講される方がリラックスして講義が聞けるように「緊張解きほぐしのゲーム(アイスブレイク)」を最初に取り入れて講義を始めました。

このために、最初からリラックスできたという感想もいただきました。

肝心の講義は、1時30分から4時まででした。

テキストの中からは、祭礼からは、「山王権現と山王祭」、「神田明神と神田祭」について説明しました。

この中で、巡行路については、テキストでは、説明がされていないので、特に詳しく説明しました。

歳時の方では、過去に出題頻度の非常に高かった「五節句」を取り上げて解説しました。

テキストが出版されてから1週間しかなかったのですが、皆さん、結構予習をしていて、意気込みの高さに感心しました。

そして、2時間30分もの長丁場(もちろん休憩がありましたが)でしたが、一人も眠っている人がいないのに驚きました。

熱心に講義を聞いていただいて、講師としては、大変うれしく思いました。

受講された皆さん、本当にありがとうございました。

4時からは、江戸検協会代表理事の宇南山様に、ご挨拶をいただきました。

c0187004_09133256.jpg宇南山代表理事からは、江戸検の改革
すなわち①偏差値基準の導入、
②公式テキストからの出題割合の増加、
③ポイント制の導入などについて詳しく説明いただきました。

さらに、江戸検の合格するためのポイントについても3点にわたって教えていただきました。

聞かれている皆さんが熱心にメモをとっている姿が印象的でした。
 宇南山様お忙しいところご挨拶いただきありがとうございました。

講義終了後は、恒例の飲み会ですが、今回は29名の方にご参加いただきました。

今回は特別余興も準備しなかったので、乾杯の後は歓談でしたが、酒が入るにしたがって、話をしたい人が一杯でてきて、結局、次々と立ち上がって江戸検への思いをお話をしてくれました。
c0187004_09385288.jpg 右写真は江戸検についてお話しするマロンさんです。
 マロンさんは、今回の受講した人々を赤穂浪士になぞらえて47士となづけてくれました。

話が盛り上がって、いつまでも続く雰囲気でしたが、さすが3時間半を越えたのでお開きとしました。

恒例の記念撮影は、人数が多いので、お店の外の階段で撮りました。 最後列が暗いですが、笑顔の皆さんです。

c0187004_09134120.jpg

その後、2次会に行かれる方もいて、2次会でも盛り上がりました。

c0187004_09135032.jpgふと気が付くと、メンバーには、いつもの悪人五人組がしっかりと入っていました。
 やっぱり
「悪よのぉ~」でした。

ここでも大いに盛り上がりましたので、悪人五人組もいる2次会の証拠写真をとっておきました。

家に帰りついた時は、日付が変わっていました。

長い一日でした。しかし、受講された皆さんのお蔭で、充実した一日でした。ありがとうございました。







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by wheatbaku | 2015-06-28 09:09 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback(1)
智泉院(江戸の祭礼と歳事)

 今日は、茅場町の智泉院をご案内します。

 一昨日は、紹介した茅場町の摂社日枝神社の東側にあります。

c0187004_11202633.jpg 江戸時代は、神仏習合でしたので、神社と寺院が同じ境内にありました。

 そのため、江戸検参考図書「江戸の祭礼と歳事」の山王権現のところに書いてあるように、山王御旅所にも薬師堂がありました。

 そして、神社を管理していたお寺は別当寺と言われていました。

 山王御旅所にも智泉院と呼ばれた別当寺がありました。

 しかし、明治になって、神仏分離令により、神社と寺院は切り離されました。そのため、明治になって、智泉院は、山王御旅所から道路一つ隔てた東側に移転をさせられました。

 それが現在の智泉院です。

 その智泉院についても、「江戸名所図会」に詳しく書かれています。
 下図は「江戸名所図会」の挿絵ですが、「江戸の祭礼と歳事」」にも載っていますね。

c0187004_11251459.gif

 薬師堂―同じく御旅所の地にあり。

 本尊薬師如来は、恵心僧都(えしんそうず)〔源信、942-1017〕の作なり。

 山王権現の本地仏(ほんじぶつ)たるゆゑに、慈眼大師(じげんだいし)〔天海、1563-1643〕勧請したまふといへり。

 縁日は毎月8日・12日(正・5920日には開帳あり)にして、門前23町の間、植木の市立てり。

 別当は医王山智泉院と号す(もとは鎧島山(がいとうざん)と号(なづ)けしとなり)。

 本尊縁起に曰く、「恵心僧都は、その父母、大和国高尾寺の薬師仏に祷(いの)りて設くるところの霊児なり。僧都、仏門に入りて後、法恩を謝せんがため、みづからこの本尊を彫刻ありて、高尾寺に安置せられしに、遥かの後、相州大場村に遷し奉りたり。

 しかるに、慈眼大師、東叡山にうつし奉る。この地や大城(だいじょう)の東に位し、しかも山王の本地仏たるより、ここに安置なし奉る」となり。

徳川家康が、天海に命じて、山王権現の神輿が渡る山王御旅所を南茅場町に設置し、別当寺として薬師堂をつくりました。これが智泉院のはじまりです。

江戸名所図会によれば、そこに、相模国大庭村村にあった恵心僧都作の薬師如来像を移したと書かれています。

c0187004_11210376.jpg江戸時代には病を治す御利益のある薬師信仰が盛んで、智泉院は、「茅場町薬師」の名で広く知られ人々の信仰が厚く有名でした。

縁日には植木市も開かれ、江戸庶民の厚い信仰を集めていました。

明治初年の神仏分離令により、多年奉祀してきた山王権現から薬師堂、智泉院が独立し、現在地に移りました。


 境内には、りっぱなお地蔵様があります。

青銅製で像高は235㎝あるようです。

関東大震災でなくなった人々の供養のために、日本橋魚河岸の“地蔵講”が製作発願し、昭和291日除幕式が行われたそうです。























c0187004_11220125.jpgお地蔵様の前の天水鉢は、天保12年(1841年)に本尊が開帳されたのを記念し、奉納されたものです。

銘には当時の坂本(現、兜町)という町名が刻まれています。

鋳出した釜屋七右衛門は、通称釜七といって、江戸では有名な鋳物師だったようです。




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by wheatbaku | 2015-06-26 11:11 | Trackback
日本橋「とよだ」
 昨日は、江戸検1級合格者の食べ歩きグループ「伴四郎会」が、日本橋の「とよだ」で開かれましたので、参加してきました。

c0187004_09295654.jpg 「伴四郎会」には、なかなか参加できませんが、かねてから行ってみたいと思っていた「とよだ」で行われるというので、土曜日に江戸検講座が迫っているなかですが、無理して参加してきました。
 江戸時代創業で現在まで続いている有名な料理屋は、鎌倉の「八百善」、日本橋の「しまむら」、そして日本橋の「とよだ」です。
 このうち、「八百善」と「しまむら」はすでにお邪魔していますので、残ったのが「とよだ」でした。
 そのため、ぜひ行きたいと思っていた老舗です。
 
 「とよだ」は、東京メトロ「三越前」の至近距離にあります。
c0187004_09302036.jpg 「コレド室町3」の東側の小路を入ったところにあります。 「とよだ」の創業は、文久3年(1863)で、初代の豊田米吉が、日本橋本石町辺りに鮨の屋台を出店したのが始まりだそうです。

 店内には、文久3年の「とよだ」創業の年におこなわれた14代将軍家茂の上洛図が掲示されていました。

 そのころ、西郷隆盛がしばしば立ち寄り、まぐろのづけを好んで食べていったという言い伝えが店に残されているそうです。
 明治になってからは、西郷隆盛の屋敷は、人形町にありましたから、政府から帰る途中にでも寄ったのでしょう。

c0187004_09394549.jpgc0187004_09300320.jpg 明治5年に、日本橋本石町2丁目に料理屋「とよだ」と「天狗寿司」の店を構えました。 その後、関東大震災で焼失したものの、東京大空襲では、奇跡的に焼失を免れたそうです。 戦後の昭和36年に、現在地に移転をしています。

c0187004_09300823.jpg 昨日の料理は会席のコースでした。 あしたばおしたし、カン酢、白滝の真砂和え(右3段目写真)、鱧の葛打ち(右4段目写真)、鮎の塩焼き(右5段目写真)、海老しんじょう、うどん デザートという順に提供されました。
 さすが5代目御主人は宮中公式行事の調理番を務めたことがあるそうで、だされる料理は絶品ぞろいでした。
 参加された皆さんも、その味に大変満足していました。


 参加したメンバーからは近況報告がされ、皆さん、多方面(といっても江戸関連ですが)で活躍の様子がイキイキと語られました。

 一通り、近況報告が終わった後は、魔の時間です。
 忍び駒さんが参加者全員に出題してくれた問題の解答発表です。

 神社検定1級、京都検定1級も持っている忍び駒さんからの出題される問題は難問が多く、皆さん四苦八苦でした。

c0187004_09302730.jpg 右写真は、問題を真剣に検討している参加者の皆さんです。

 私は大宮氷川神社関連の問題が出されましたが、無事クリアできてほっとしました。

 昨日の出題問題で、皆が非常に困った神田明神に関する超々難問を書いておきます。

 神田明神は、『江府神社略記』によりますと、天平2年の創建と云われる古い神社ですが、創建時の由緒については諸説があって明確には定まりません。
 しかし中世に平将門を祭神に迎えてからは崇敬が深まり、徳川幕府の成立以降は、幕府の篤い庇護のもとで祭礼の神田祭と共に幅広い信仰を確立しました。
 天正18年の八朔に家康は江戸城に入城しますが、その時、6代目の神主にあたる芝崎勝吉が家康を出迎えたと云われます。
 それでは、芝崎勝吉はどこに出迎えたのでしょうか。

①小田原 ②玉川小向の渡し ③鶴見 ④目黒

 皆さんも取り組んでみてください。
 私は、早々にギブアップしました。
 こんな難しい問題は、いくらなんでも今年の江戸検には出題されないでしょうね。


 土曜日の江戸検講座に受講される皆さんには、講義の合間にでも正解をお知らせします。
 近況報告をし、神社関連問題で楽しんでいたら、料理も終わりお茶がでていました、
 時間をみたら8時30分でした。 そこでお開きですが最後に記念写真です。
c0187004_09303435.jpg
赤印が「とよだ」です。







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by wheatbaku | 2015-06-25 10:56 | Trackback
摂社日枝神社(江戸の祭礼と歳事)
 今日は、茅場町にある摂社日枝神社についてご案内します。
 摂社日枝神社は、江戸時代は御旅所と言われていて、山王祭の際に、御神輿が渡御した場所です。 
 現在は、東京メトロ茅場町駅から徒歩3分の至近距離にあります。

 下記にも掲載しました挿絵が、江戸検の参考図書「江戸の祭礼と歳事」15ページにも載っています。
 「江戸名所図会」にも次のように詳しく書かれています。

永田馬場山王御旅所 
c0187004_09234836.jpg 茅場町にあり、遥拝の社二宇並ひ建り。 寛永年間此地を御旅所に定めらるるといへり。(一宇は神主樹下氏持なり、一宇は別当観理院持なり。)
 隔年六月十五日御祭礼にて、永田馬場の御本社より神輿三基此所に神幸あり。仮に神殿を儲け、供御(くご)を献備し、別当は法楽を捧げ、神主は奉幣の式を行ひ、夜に入て帰輿なり。
 其行装、榊、大幣(おおぬさ)、菅笠、錦笠(にしきのかさ)、雲の如く、社司社僧は騎馬に跨り、或は輿に乗し、前後に扈従(こじゅう)す。
 諸侯よりは神馬長柄鎗等を出されて、途中の供奉厳重なり。
 又氏子の町よりは、思ひ思ひに練物あるひは花屋台、車楽等に、錦爛純子抔のまん幕を打はへ、各其出立花やかに、羅綾(らりょう)の袂(たもと)、錦繍(きんしゅう)の裔(すそ)をひるかへし、粧ひ(よそい)巍々(ぎぎ)堂々として善美を尽くせり。
 此日官府の御沙汰として、神輿通行の御道筋は、横の小路々々には矢来を結はしめて、往来を禁せらる。
 実に大江戸第一の大祀にして、一時の壮観たり。

c0187004_09241380.jpg これによれば、御旅所が定められたのは寛永年間のようです。 山王祭の際には、仮に神殿を設けて、神輿三基が渡御し神事を行った後、夜に山王権現に帰っていったと書いてあります。

 「日枝神社史」によれば、ここに御旅所が設けられたのは、永田町の山王権現が、川越から勧請された際に、茅場町周辺に初めて上陸したご由緒によるのではないかと書いてあります。
 そして、山王祭は、初期には、江戸城竜の口から船に乗って、御旅所まで渡御していたとも書いてあります。

 御旅所は、明治10年に、従来の山王宮から無格社日枝神社と改称しました。
さらに、大正4年、日枝神社が官幣大社に昇格した際に、摂社日枝神社とされました。
c0187004_09244284.jpg 現在の社殿は関東大震災後の昭和3年に造られたものです。 鉄筋コンクリート造のため、昭和20年3月10日の東京大空襲の際にも、焼失は免れました。

 この辺りは証券会社が立ち並ぶ場所ですので、平日はビジネスマンが大勢行きかう町ですが、訪れた日は土曜日でしたので、ほとんど人もいなくて静かにお参りができました。

 社殿に幔幕が張られていましたが、その幔幕に、二葉葵の社紋が染められていました。


 赤印が摂社日枝神社です。
 西側が正面入り口です。



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by wheatbaku | 2015-06-24 09:17 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
日輪寺(江戸の祭礼と歳事)

 江戸検の参考図書「祭りだわっしょい 江戸の祭礼と歳事」が出版されました。

c0187004_11044918.jpg 江戸検を受検される皆さんは、入手されましたでしょうか?

 今週の土曜日に開講する毎日文化センターの江戸検講座「共に学ぶ『江戸の祭礼と歳事』」では、この参考図書をテキストとして使用します。

そのため、とりあえず、開講までに出版されてほっとしている一方、短時間で準備をしなくてはならないので、講義の準備と本来の仕事とで多忙の日々を送っています。

 そんな中ですが、参考図書「江戸の祭礼と歳事」にも載っている浅草の「日輪寺」と茅場町の「日枝神社」に行ってきました。


浅草の日輪寺は、浅草ビューホテルの南側にあります。住所は西浅草となります。
 つくばエクスプレス「浅草」駅から3分程度、東京メトロ銀座線「田原町」からでも徒歩10分弱程度の距離にあります。


c0187004_10555627.jpgこの日輪寺は、神田明神の別当寺でした。

 もともと、日輪寺は、天台宗の了円法師により神田御門内柴崎村(千代田区大手町)に開基したと伝えられます。

 その後、平将門の首を葬った将門塚周辺で天変地異が頻発し、それが将門の祟りだと人々が恐れていました。
 そこに時宗の真教(しんきょう)上人が通りかかり、「蓮阿弥陀仏」の法号を授け将門の霊を手厚く供養しました。

すると、天変地異も収まり、真教上人は、日輪寺にとどまり、日輪寺を時宗の念仏道場とし、芝崎道場と呼ばれるようになりました。

日輪寺の山号寺号は、「神田山芝崎道場日輪寺」と言います。
 現在は、道場はありませんが、芝崎道場と入っているのは、こうした事情があります。
 なお、現在の時宗総本山は藤沢にある清浄光寺とのことです。


そして、江戸時代になってからの日輪寺については、参考図書「江戸の祭礼と歳事」に書いてあります。

別当寺の日輪寺は、神田明神移転の際に切り離されて柳原に移転し、さらに浅草に移った。

しかし、神田祭の時には神輿が出る前に日輪寺住職の読経があり、住職交代の際にも神田明神に挨拶に訪れるなど、双方の交流は移転後も続いていたようである。

神田明神は、慶長年間に一旦、駿河台に移転した後、元和2年に現在地に移転しています。

通常、別当寺は、神社の境内にあるのが多いのですが、日輪寺は何らかの事情で神田明神とは別の場所に移転したのでしょう。

日輪寺と神田明神は、現在も続いているそうです。

日輪寺の御住職はご不在でしたが、お留守番のお坊さんのお話では、2月14日の「平将門公法要」には神田明神からも出席があるそうです。また、神田祭の際には、日輪寺御住職が神田明神を訪ねるそうです。

境内に「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑があります。

c0187004_10560375.jpgこの文字は真教上人が正和2年(1313)に自ら揮毫したものだそうです。

真教上人は将門公供養のために「蓮阿弥陀仏」という法号を与え、徳治元年(1307)にその法号の直筆を石塔婆に刻ませました。

しかし、その石碑がいつしか紛失してしまいました。

明治になって再建された石碑も関東大震災のため壊れてしまいました。

そして昭和15年の将門没後1千年の年に石碑を再建しましたが、その際、境内にある「南無阿弥陀仏」の石碑の文字が写されて建立されたそうです。

なお、現在も将門首塚にある「南無阿弥陀仏」の碑は、戦後再建されたものだそうです。

そのため、書体が違うものとなっています。

赤印が日輪寺です。





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by wheatbaku | 2015-06-23 10:48 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
「花燃ゆ」第25回「風になる友」(大河ドラマ)

 昨日の「花燃ゆ」は、8月18日の政変後、長州藩が冤罪をどうはらすかという動きが描かれていて、その中で起きた池田屋事件で死亡した吉田稔麿が中心人物でした。
 そこで、今日は池田屋事件について書いてみます。
 池田屋事件は、幕末の重要な事件でしたので、幕末を描く際には、ほとんどもれなく描かれています。
 大河ドラマ「新撰組」で描かれていたのは当然として、「龍馬伝」「八重の桜」でも描かれています。
 それほど幕末における重要な事件だったわけです。

 池田屋事件は、元治元年(1864)6月5日に起きました。
 先日、祇園信仰について書きましたが、江戸時代、祇園祭は6月7日に行われていましたから、祇園祭のムードが高まる中で起きました。

 吉田稔麿は、池田屋で襲われた仲間を助けるために池田屋に戻る途中で殺されるというストーリーでした。
 吉田稔麿は、池田屋での会合中に新選組に襲われたが、何とか脱出して長州藩邸までたどり着きますが、門が閉じられていたため自刃したという風に書いたものが多いのですが、昨日は、ちょっと違う描き方でした。

c0187004_09575778.jpg 吉田稔麿がどのような経緯で死んだのかというのは諸説がありますが、昨日の「花燃ゆ」の展開に近いと思われる説を書いてあるのが中村武生氏の「池田屋事件の研究」です。「池田屋事件の研究」によると 当時の長州藩の京都留守居役乃美織江が書いた「乃美織江覚書」では、池田屋事件当日、吉田稔麿が白帷子に黒羽織の服装をして外出したと書かれていて、事件の翌日、藩邸付近で白帷子・黒羽織を着用した吉田稔麿らしい人物が発見されたので、ただちに遺体を藩邸内に収容したと記されているそうです。

 また、吉田稔麿が定宿としていた塩屋から稔麿の叔父に送られた手紙によれば、事件の起きた当日早朝から、吉田稔麿は池田屋にいて、一旦長州藩邸に戻った後、新撰組に襲われ、長州藩邸近くの加賀藩邸の前で殺害されたと書いてあるようです。

 こうしたことから、中村武生氏は、吉田稔麿は、池田屋から逃げてきて長州藩邸まで戻ったが藩邸の門が閉ざされていたので、そこで自刃したのではなく、加賀藩邸前で殺害されたのだろうと書いています。

 この殺害されたと思われる場所である河原町御池交差点南西側に、平成25年11月に「「此附近 池田屋事件 吉田稔麿殉節之地」と書かれた石碑が建てられたそうです。
 これが、ドラマの最後に「花燃ゆ紀行」に紹介されていました。
 この碑は、まだ、見たことないので、7月に京都に行った際にはできれば見てこようと思います。
 
 最後に、「池田屋事件の研究」には、池田屋事件の際の桂小五郎の行動も書かれていますので、紹介しておきます。
 池田屋事件の当日、池田屋に早めに到着した桂小五郎は、まだ同志が集まっていなかったため、対馬藩邸に行き、新選組の襲撃を逃れたというのが通説となっています。
 しかし、「乃美織江覚書」では、「桂は襲撃時池田屋に居たが、屋根を伝って対馬藩の屋敷に逃げた」と記されているそうです。




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by wheatbaku | 2015-06-22 09:50 | 大河ドラマ | Trackback
祇園祭・天王祭(江戸の祭礼と歳事)
 昨日の「来訪者45万突破」の記事には、多くの方からお祝いや励ましのコメントやメールをいただきました。
 本当にありがとうございました。紙上を借りて御礼申し上げます。  

c0187004_11405739.jpg 最近は、東都歳事記から六月に執り行われる祭礼をブログに書いてきましたが、東都歳事記を読んでいて、六月はやけに祭礼が多いことに気が付きました。
 もっとも有名な山王祭が六月十五日ですが、その他、ブログで取り上げただけでも、素盞雄神社、浅草橋須賀神社、赤坂氷川神社の三社があります。

 東都歳事記を見ると、次のように、六月には続々と各所の神社で祭礼が行われていました。
 東都歳事記に書かれているものを大小とわず書き上げると次の神社で祭礼が行われていました。

六月三日 小塚原牛頭天王(現在の素盞雄神社)
六月五日 神田社地天王二の宮(現在の神田明神摂社大伝馬町八雲神社)
     浅草第六天
六月七日 神田社地天王一の宮(現在の神田明神摂社江戸神社)
品川牛頭天王(現在の品川神社と荏原神社)
六月八日 浅草蔵前牛頭天王(現在の浅草橋須賀神社)
六月九日 浅草鳥越明神(現在の鳥越神社)
六月十日 神田社地三の宮(現在の神田明神摂社小舟町八雲神社)
六月十四日 亀戸香取大神宮
六月十五日 山王権現(現在の赤坂日枝神社)
六月十五日 赤坂氷川明神(赤坂氷川神社)
         浅草三社権現(浅草神社)
         橋場牛頭天王
         隅田川水神社
         六郷八幡宮 
         河崎山王権現
六月十八日  四谷天王・稲荷(現在の四谷の須賀神社)

 どうして、こんなに旧暦の六月に祭礼が多いのか不思議に思いませんか?
c0187004_11410590.jpg 私は、疑問に思いました。
 そこで、少し調べてみました。
 よく見ると、上にあげた神社の大半が、牛頭天王をご祭神とする神社です。
 すなわち、小塚原牛頭天王、神田社地天王二の宮、神田社地天王一の宮、品川牛頭天王、浅草蔵前牛頭天王、神田社地三の宮、橋場牛頭天王、四谷天王・稲荷
 17社のうち8社が牛頭天王です。

 つまり、牛頭天王をお祀りする祭礼が六月に行われていたわけです。
 牛頭天王の祭礼といえば、京都の祇園祭が有名です。
 祇園祭は、京都の八坂神社の祭礼だというのは多くの方がご存知だと思います。
 八坂神社は、江戸時代には祇園社と呼ばれ、牛頭天王をお祀りしていました。
 牛頭天王は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の化身ともいわれています。
 祇園祭はこの牛頭天王を祀って疫病を鎮める祭礼です。

 現在の祇園祭は、7月17日と24日に行われます。
 しかし、これは明治以降のことで、江戸時代には、旧暦の6月7日と14日に行われていました。
 祇園祭の起源は、平安時代の貞観11年(869)に全国に疫病が流行したため、これを鎮めるため、勅命により6月7日全国の国数に準じて鉾66本を立て、6月14日に神泉苑に集まり、御霊会を行って除疫を祈ったことによるとされています。

 旧暦6月の頃は、農村においても稲の病虫害に悩まされる時期ですが、京都や江戸などの都市でも流行病や食中毒の多い時期です。
 そのため、牛頭天王の力によって疫病を退散させ、穢(けがれ)を水に流すための祭礼が6月に集中したように思われます。
 なお、赤坂氷川神社の祭神は、素戔嗚尊ですので、同じような理由により6月に祭礼が行われたものでしょう。

 牛頭天王に関わる信仰は、祇園信仰とか天王信仰と呼ばれ、祭礼は祇園祭とか天王祭と呼ばれています。
 皆さんの近くでも、祇園祭とか天王祭が6月から7月に開催されませんか?
 私が住んでいる鴻巣市の隣の熊谷市では、7月20日~22日まで 関東一の祇園と呼ばれる「熊谷うちわ祭」が行われます。
 このお祭りは熊谷にある八坂神社の例大祭で、別名通り「祇園祭」です。

 なお、今日の祇園信仰に関する記事は、まだ入り口ですので、不十分だなと思われる方もいるかと思います。
 7月には京都の祇園祭に行ってこようと計画しています。
 実際に、京都の八坂神社や祇園祭を見て、もう少し祇園信仰についての知識も深めたいと思っていますので、現時点での不十分な点はご容赦ください。




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by wheatbaku | 2015-06-19 11:36 | Trackback
来訪者が45万人に達しました!



昨日、ブログの来訪者が 45万人 を超えました。


 いつもご愛顧いただいている読者の皆様ありがとうございました。心より厚く御礼申し上げます。
 


c0187004_19434454.jpg 最近は日々300人以上の方に訪問いただいています。

 毎日毎日訪ねていただいてありがとうございます。

 感謝の念で一杯です。


c0187004_10511039.gif
  

 

 

 ブログを書き始めたのが2008年12月ですので、ちょうど6年半で45万人に達したことになります。
 このブログのタイトルは「気ままに江戸♪ 散歩・味・読書の記録」です。
 このタイトルは、書き始める時の状況をそのままタイトルにしたものです。

 つまり、江戸に関する史跡を散歩したり、江戸の老舗を味わったり、江戸に関する本を読んだり、江戸に関係したいろいろなことに遭遇したら、そのことを記録しようと思って始めたものです。

 ですから、当初は自分のためのものでした。

 しかし、徐々に読んで下さる方が増えてきたため、自分だけのものから、読んでいただく方にも喜んでいただける記事を書こうとしてきました。
 最近は、江戸検を受けられる方との接点が多くなったため、江戸検に関連する記事が多くなりました。
 しかし、江戸検にだけこだわらず江戸に関する
いろいろな記事を書くようにしてきました。

 その結果の45万人もの方に読んでいただくことになり、予想外の結果に驚くとともに大変感謝しています。


そうした中で、最近は思うことは、いろいろな記事を積み重ねておくことの大切さです。

書いた時にはアクセスが少なくても、ある時以降、コンスタントにアクセスがあるという記事が複数でてきています。


 そうした記事のなかで記憶に残っているものをいくつかあげます。  


 江戸趣味小玩具「助六」(江戸の老舗) は常時アクセスが多い記事です。

 これによって、浅草の助六さんの人気の高さを知ることができます。

 このブログのお陰で御主人の木村さんとは浅草に行けば気軽に挨拶できる仲になりました。

 老舗では、 福島家(江戸からの和菓子) や 銀座三河屋(江戸の老舗) へのアクセスも多いですね。



 黒田長政の墓(祥雲寺)は、昨年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の関係で、黒田長政が活躍した後半にアクセスが多くなりました。
 この記事を書いたときは、「軍師官兵衛」の放映前ですので、大河ドラマは意識せずに書いていました。

 これは、テレビの影響ということになりますが、テレビの影響は非常に大きいと思います。


 中には思いがけずアクセスが多かった記事もあります。
 心光院(芝散歩)です。

芝の心光院で、2年半ほど前に、流通ジャーナリストの金子哲男さんの通夜告別式が行われましたが、その際のアクセスはものすごいものでした。

心光院の場所を確認するためだったのでしょうね。
 これなどは、史跡案内として書いた記事が、道案内として役にたっている例です。


 最近では、また、テレビの影響の大きさを実感しています。

 6月以降、急に多くなったのが 
  歴代将軍の位牌(岡崎散歩) です。

これは、6月1日の「お坊さんバラエティぶっちゃけ寺」で大樹寺が取り上げられたため多くのアクセスがあります。
 昨日もアクセスが多かったです。


 こうした例を実際に経験して思うことは、書いた直後のアクセスの多少に一喜一憂せずに、ブログを書き続けることの大切さです。
まさに 「継続は力なり」 だと、改めて思っています。 


 次の目標は、いよいよ大台の50万突破ということになります。 

 自分の力でどうするわけにもいかず、読んでいただく方次第ということになりますが、歩みを止めなければ、確実に手に届くところまで到達したように思います。


 45万達成を機に、50万突破をめざして、これからもあせらず着実に地に足を付けて一歩一歩記事を書いていこうと気を引き締めているところです。


 これからも、引き続きご愛読いただきますようお願い申し上げます。




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by wheatbaku | 2015-06-18 10:18 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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