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第9回「江戸の祭礼と歳事」模試正解

 今日は、先日出題した9回目の「江戸の祭礼と歳事」に関する模擬試験の正解をアップします。

 今回もお題の参考図書「祭りだわっしょい! 江戸の祭礼と歳事」から出題してあります。

 8月に行われた夏検では、年中行事に関する問題が2級では6問、3級では9問出題されています。

 夏の江戸検講座で受講者の皆さんに「年中行事は要注意」といっていた通りの傾向でした。

そこで、今回は年中行事に関する問題だけを出題しましたが、あまり知られていないことを問題としたため難しかったかもしれません。

たとえ正解に到達しなくても、まだ1か月ありますので、参考図書を勉強する時間は十分あります。

この模擬試験が参考図書精読のきっかけになれば幸いです。

1④薬研堀不動尊

 歳の市は、12月15日の富岡八幡宮から始まりますが、縁日とあわせて開催されることが多かったようです。

例えば、天神様の縁日は25日でした。そこで12月25日26日は平河天満宮で歳の市が開かれています。

28日はお不動様の縁日です。それに合わせて両国(現在の東日本橋)にある薬研堀不動尊で開かれる歳の市が、江戸で最後の歳の市となりました。

参考図書P143を参照してください。

2、②眼病

灌仏会で甘茶をかけるのは良く知られていますが、これは、釈迦誕生の際に帝釈天・梵天および九龍が香水で洗浴したということに由来すると三省堂「年中行事事典」に書かれています。

この甘茶が眼病に効くとされたことが、参考図書P132に書かれています。

3、③皐月狂言

 この問題は間違えた人が多いのではないでしょうか?

 曾我狂言といえば初春狂言と思っている人が多いと思います。

 私もそう思っていた一人ですが、参考図書のP146に詳しくかかれていますので、気を付けて読みなおしてください。

 また、東都歳事記の五月二十八日に「三芝居曾我祭」として書かれていますので、東都歳事記をお持ちの方はこちらも確認しください。

4、①お花講

これは参考図書のP135に書かれています。

「お花講」というのはおもしろい名前だなと思ってインターネットで検索しました。

伊勢原市のニュースリリースに書かれていますが、それによると、「お花講」は、日本橋小伝馬町の講で、大山三大講の一つにかぞえられた大きな講のようです。

5、④灸をすえる 

 参考図書P128を参照してください。 

次のような川柳があります。

可愛さの あまり泣かせる 二日灸  

二日には 母も子のため 鬼になり


6、③4間の座敷に台所が1間ある島市丸

 東都歳事記の五月の「船遊山」という項目に、「熊市丸」「山市丸」「窮屈丸」が書かれていますが、「島市丸」は書かれていません。

東都歳事記をお持ちの方は確認しておいてください。

7、②今戸の硯

 参考図書P129を参照してください。

 初午の日は、江戸では手習い師匠の入門の日とされることが多いということは、1級を受検される人には常識レベルと考え、少し難しくしました。

初午は要注意事項ですので、よく読んでおいてください。

8、①たこ 

参考図書P133をよく読んでおいてください。

今年は大阪でも江戸検を受検できるようになりました。

江戸だけでなく関西の年中行事も要注意と思います。

そこで、関西関係の問題を出題しました。

9、①鶏の絵

 参考図書P142を参照してください。

荒神様については、過去に出題されたこともありますので、よく理解しておいてください。

昨年には、品川の海雲寺の「千体荒神祭り」に行ってきましたが、鶏の絵が描かれた絵馬は売っていませんでした。

そこで、要注意と考えて出題しました。

「鶏の絵馬は何除けのためか?」などという問題が出ると意外に難しいかもしれません。

10、②お中入り

 町入能の実施日についてはコメントで指摘をいただきましたが、江戸検の模擬試験ですので、参考図書P130の記述をもとに出題してあります。

 この記述は町入能についてかなり詳しく書かれていますので、よく読んでおいたほうがよいと思います。

 傘を受取ったことなどは要注意だと思います。





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by wheatbaku | 2015-09-30 11:36 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
第9回「江戸の祭礼と歳事」模擬試験問題




 今日は、9回目の「江戸の祭礼と歳事」に関する模擬試験を出題します。

c0187004_09252325.jpg 今回もお題の参考図書「祭りだわっしょい! 江戸の祭礼と歳事」から出題します。

 8月に行われた夏検では、年中行事に関する問題が数多く出題されています。

 そこで、今回は、年中行事に関する問題だけを出題します。

 6問を除いた正解は参考図書を精読していればわかるはずです。

 万が一正解がわからない場合には、参考図書に戻って、さらにしっかり勉強してください。

 正解は水曜日にアップします。 


1、歳の市は、正月用品などを売る季節市のことですが、江戸ではおおむね開催する日と場所が決まっていました。

 それでは、12月28日に開かれ、「納めの市」とも呼ばれることもあった歳の市はどこで開かれたでしょう?


 ①富岡八幡宮  ②神田明神  
 ③平河天満宮  ④薬研堀不動尊


2、4月8日の灌仏会は、お釈迦様の誕生日です。

この日、参詣者は釈迦誕生仏に甘茶をかけ、お寺では参拝客に甘茶を配ります。

この甘茶は、ある病に効くと信じられていましたが、その病は何でしょう?


 ①歯痛  ②眼病  ③瘧(おこり) ④頭痛


3、歌舞伎の世界では芝居が年中行事として定例で興行されていました。

 ある月は、盛大に「曾我祭」」が催され、28日には曾我大荒神の宮を劇場の3階に祀って、神酒などを供え、座元から役者すべてに酒肴が振る舞われました。

 これが行われたのはいつでしょう?


 ①盆狂言  ②菊月狂言  ③皐月狂言  ④初春狂言


4、相州大山の山開きの期間は6月27日~7月17日まででした。

 山開き初日は、ある講の人々が頂上に通じる石段の中門を開くと決まっていました。

その伝統は現在も引き継がれているようです。

その講とは次のうちどれでしょう?


 ①お花講  ②お山講  ③お江戸講  ④お水講


5、2月2日と8月2日には、心身の健康と清浄を願ってある行事が行われました。

 それは次のうちどれでしょう?


 ①閻魔様にお参りする  ②茅の輪をくぐる

③人形を水に流す    ④灸をすえる 


6、両国の川開きは5月28日に行われ8月28日までが納涼期間とされました。

この間は多くの納涼船が出ましたが、東都歳事記によれば、おもしろい名前の納涼船があったと書かれています。

 次の船の名前で東都歳事記にのっていないものはどれでしょう?


 ①9間の座敷に台所が1間ある熊市丸 

②8間の座敷に台所が1間ある山市丸

③4間の座敷に台所が1間ある島市丸
 ④一人乗りの窮屈丸 


7、初午に (    ) よく売れる
 初午の日は、江戸では手習い師匠の入門の日とされることが多く、この川柳は子供たちが新しい道具をそろえて手習に向かう様子を詠んだ川柳ですが、( )に入る文具とその産地はどれでしょう?


 ①江戸の細筆  ②今戸の硯  ③石見の半紙  ④奈良の黒墨

8、24節気のうち冬至には江戸時代もかぼちゃが食べられました。一方、夏至には関東では餅を食べることがありましたが、関西の農家では何を食べたでしょうか?


 ①たこ  ②氷餅  ③えび  ④鯖鮓


9、荒神様は、竈の神様、火伏の神様として、竈付近に札を貼ったり荒神棚を設けたりしてお祀りされました。

特に荒神棚には、松の枝のほかに、あるものが描かれた絵馬が供えられました。それは何でしょう?


 ①鶏の絵   ②猪の絵
 ③天狗の絵  ④凧の絵 


10、3月4日に江戸城内で催された能楽には、江戸市中の名主や家主などが招待され能を拝見しました。これは「町入能」と呼ばれた行事ですが、町人たちは別名でも読んでいました。

それでは、町人たちは「町入能」を何と呼んでいたでしょう? 


 ①お城入り  ②お中入り  ③お庭入り  ④ご本丸入り










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by wheatbaku | 2015-09-27 17:31 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
「南蔵院の縄地蔵」(「願懸重宝記」⑦ 江戸の祭礼と歳事)

 「江戸神仏願懸重宝記」のコメントも7回目になります。

 小さな神仏が結構あるものですね。

 今日は、「南蔵院の縄地蔵」です。

 このお地蔵様は、結構有名です。しかし、都心から離れた金町にあるという場所柄からか意外と知られていません。

 私も金町には行ったことがなかったのですが、有名なお地蔵様ですし、「江戸神仏願懸重宝記」に載っているので、良い機会だと思って、8月初めに行きました。

 南蔵院の山号を業平山というように、元は業平橋西詰にありました。

業平橋は、大横川に架かる橋で、東武線「東京スカイツリー駅」は、以前は「業平橋駅」と呼ばれていました。

南蔵院は、関東大震災で焼失したため、昭和2年に金町に移転しました。

c0187004_10004415.jpgJRや京成電鉄の「金町」駅から徒歩約20分かかります。そのため訪れたのは暑い盛りでしたので、タクシーで行きました。

 バス乗車の場合は、「金町」駅前から京成バス「戸ケ崎操作所」乗車。「しばられ地蔵」停車場で下車、徒歩約3分と書いてあります。

 「江戸神仏願懸重宝記」には「南蔵院の縄地蔵」と書かれていますが、現在は「縛られ地蔵」の方が有名のようです。

 タクシーの運転手さんも「縛られ地蔵」でわかりました。

 「縛られ地蔵」のお話は、南蔵院でいただいた資料に書いてあり、南蔵院のHPにも書かれていますが、概略、次のようなお話です。

c0187004_10053351.jpg 八代将軍徳川吉宗の時代、ある呉服問屋の手代が、南蔵院のお地蔵様の前で一眠りしている間に反物を盗まれてしまいました。

 訴えを受けた大岡越前守忠相は、お地蔵様を縄でぐるぐる巻きに縛って車に乗せ南町奉行所へ運んできました。

物見高い野次馬は、お地蔵様の後についていき奉行所になだれ込みました。

 頃を見計らった大岡越前守は奉行所の門を閉めさせ、お白州に乱入した罰として反物一反を納めるよう命じたため、奉行所には反物の山が出来ました。

 納められた反物を手代に調べさせるとその中から盗まれた反物が出てきて盗賊も一網打尽となりました。

 このお話は、戦前の国定教科書にも取り上げられたお話のようです。

c0187004_10020758.jpg 「縛られ地蔵」は、山門を入ると正面に安置されています。
 立派な本堂が左手ありますので、ご本尊の釈迦如来に一礼して、お地蔵様にお参りしました。

お地蔵様は1メートルほどの高さの石像です。

 盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いて下さるお地蔵様で、お願いするときは縛り、願い叶えば縄解きするとされているため、縄でぐるぐる巻きにされています。

 まさに「縛られ地蔵」です。

c0187004_10022994.jpg 「江戸神仏願懸重宝記」では、「南蔵院の縄地蔵」となっています。

 縄でお地蔵様を縛り、7日間、「願いを成就させたまえ、願いが成就した際には、縄を解きます」と願懸けをする。願いが成就した後は縄を解いてお花を供える。

 「縛られ地蔵」の脇には、願いが成就した人が解いた縄をいれる「解き縄入れ」がありました。

 赤印が「南蔵院」です。



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by wheatbaku | 2015-09-25 09:45 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
「榎坂のえのき」(「願懸重宝記」⑥ 江戸の祭礼と歳事)

 江戸検を受検される皆様向けの夏から秋にかけての講座が9月20日の江戸楽アカデミーをもってすべて終了しました。

 江戸検を受検される皆様はこれからが受検勉強の本番になりますので頑張ってください。

 

 私の方は、江戸検に関する講座が終わった後は、10月から始まる史跡散歩の準備も重要になってきます。

 10月からは4回にわたり、鬼平こと長谷川平蔵宣以の生涯をたどる「鬼平ゆかりの地を歩く」が毎日文化センターで開講します。

 そこで、昨日は、長谷川平蔵の生誕地である赤坂を下見してきました。

 その際に、現在連載中の「江戸神仏願懸重宝記」に載っている「榎坂」を訪ねてきましたので、今日は「榎坂」のお話です。

 榎坂は、溜池の交差点の南側にあります。

c0187004_09360934.jpg 説明板もありませんので、事前に調べておかないと気が付かない坂ですが、目安はアメリカ大使館になります。

 アメリカ大使館と言えば霊南坂が有名ですが、アメリカ大使館の東北で霊南坂と交差するゆるやかな坂です。

 榎坂はアメリカ大使館の北側にあるため警備は厳重です。

榎坂の写真をとっていたら、「観光ですか? アメリカ大使館は撮影しないようにお願いします」と警備の警察官から聞きとがめられました。

そんなことで、アメリカ大使館は写真が写っていませんが、右写真の右奥がアメリカ大使館です。

 

c0187004_09361770.jpg 現在は「榎坂」のなごりを感じさせるものは全くありませんでした。

 唯一あったのが、「赤坂榎坂森ビル」です。

 ビルの正面に「ENOKI‐ZAKA」と書いてあり、これが唯一この坂が「榎坂」と教えてくれました。


 しかし、江戸切絵図をみると下図のように「榎坂」としっかり描かれています。

 戸田茂睡の「紫の一本」には

 溜池の上山口修理亮の屋敷前の坂をも、えの木坂と云う。大きな榎あり

 と書いてありますが、確かに、切絵図には山口筑前守の屋敷も描かれています。

 この山口筑前守の屋敷が、江戸時代は牛久藩の上屋敷でしたが、現在はアメリカ大使館です。
 また、右の松平大和守のお屋敷が、現在はホテルオークラになっています。

c0187004_09362313.jpg

 なぜ、榎坂と呼ばれるかについては「江戸名所図会」に書かれています。

 池の堤に榎の古木2、3株あり、これを印の榎と名づく。昔浅野右京太夫幸長、欽命を奉じてこの所の水を築き止める。その臣矢島長雲これを司り、堤成就の後、その功を後世に伝へんため印にとて栽えけるとなり。

  溜池は、江戸時代初期に湿地帯であった場所でしたが、幕府の命を受けた浅野幸長が堰を築いて、大きな人造池としたものです。

 明治になってすべて埋め立てられましたので、現在は、地名に名前を残すのみで、池の名残りはまったくありません。

 

 この溜池築造の工事の責任者であった矢島長雲という人が、功績を後世に知らしめるために榎を植えたところから榎坂という名前がつけられたようです。

 この榎坂の榎が歯痛の願懸けの対象となりました。

 「江戸神仏願懸重宝記」には

 榎に「白山大権現」と念じて、虫歯が治るように願懸けをして、治ったら柳の楊枝を供える

 と書いてあります。


 赤印が「榎坂」です。



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by wheatbaku | 2015-09-24 09:34 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
「江戸検1級直前特訓講座」開講しました

 昨日は、江戸楽アカデミーで「江戸検1級直前特訓講座」が開講されました。

 この講座は、江戸検1級を受検される方を対象に、合格をするためには、残り1か月間にどう勉強するかということをアドバイスする講座です。

c0187004_14314631.jpg 6月に申し込みを受け付けましたが、1週間で2倍の方にお申込みいただきました。

 そこで、やむえず抽選で受講者を選ばせていただきました。

 こうして選ばれた受講者の皆様は、1級に合格したいと切望している人がほとんどでしたので、大変熱心に聞いていただきました。

 受講していただいた皆様ありがとうございました。

 昨日はお話させていただいたのは次のような内容です。、

1、基礎知識項目を暗記すること

2、博覧強記を精読すること

 特に過去に頻出している項目を勉強すること

  そして具体的に①警察と裁判②芝居について解説しました。

 また、家紋と文様もしばしば出題されえているのでよく暗記すること

3、お題「江戸の祭礼と歳事」の要注意項目

4、記述問題の過去の傾向

などです。

c0187004_14315589.jpg そして、合格するのに特に大事なこととして強調したのは、「絶対に合格しようという気概をもつこと、そしてそのために一生懸命努力すること」でした。

 さらに強調したことは、「『もう1か月しかない』と考えるのではなく、『まだ1か月ある』という風にポジテブに考える」ということです。

 

 同時期に1級に合格した仲間たちの経験談も交えて話しましたが、実体験に基づく話しでやる気がでたと講義後にお話していただく人もいましたので、受講された皆様には、それなりにお役にたったのかなと思っています。

1級を受検する皆様 悔いのないよう頑張って下さい。

 講義後は、いつもの情報交換会ですが、いつもの江戸の話はもちろんですが、それにもまして江戸検の話で盛り上がりました。

 自分の「博覧強記」を出してお互いの勉強方法を比べたり、出題問題を予想したりしていましたが、ついには、参加された皆さんから次々と「合格をめざして一生懸命頑張る」という「合格宣言」が行われました。

 常々、江戸楽アカデミーや毎日文化センターでの江戸検講座を受講した皆様の中から合格される方がでることを願っている私としては大変うれしい出来事でした。

 合格宣言をした皆さん本当に頑張ってください。

 私も最大限応援していきます。


 最後に全員の奮闘を誓って記念撮影です。

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by wheatbaku | 2015-09-21 14:30 | Trackback
久米の平内(願懸重宝記⑤ 江戸の祭礼と歳事)

 今度の日曜日には、江戸楽アカデミーで「江戸検1級直前特訓講座」があります。

 江戸検の試験日まで、あと一か月あまりとなり、江戸検を受検される方には最も大切な時期になりました。

 あと1か月間どのように勉強するか、自分の体験をもとにお話ししてこようと思います。

 ところで、このブログを読んでいる方で受講いただく方もいらっしゃると思いますが、「江戸博覧強記」を持参のこととなっていますので、お忘れないようにして下さい。

 

c0187004_09383509.jpg さて、今日は、江戸楽アカデミーの準備で忙しい中ですが、「江戸神仏願懸重宝記」のうちの「久米の平内」について書いていきます。

 「久米の平内」は、浅草寺にお祀りされています。

 しかも、仲見世の店舗がきれた宝蔵門の手前の広場の東側という大勢の参拝客が通行する場所にお祀りされています。

 しかし、ご存知でない方が多いのではないでしょうか。

 

 現在は、久米平内堂という小さなお堂が建てられています。

そして、よく眺めると台東区教育委員会の説明板も建てられていて、次のような説明がされています。

 久米平内堂(くめのへいないどう)

c0187004_09392087.jpg 久米平内は江戸時代前期の武士。『武江年表』によると、天和3年(1683)に没したとされるが、その生涯については諸説あり明らかではない。

 平内堂には次のような伝承がある。平内は剣術に秀でており、多くの人をあやめてきた。後年、その供養のために、仁王坐禅の法を修業し、浅草寺内の金剛院に住んで禅に打ちこんだという。臨終にのぞみ自らの姿を石に刻ませ、多くの人に踏んでもらうことによって、犯した罪を償うために、この像を人通りの多い仁王門付近に埋めたと伝える。

 その後、石像はお堂に納められたという。「踏付け」が「文付け」に転じ、願文をお堂に納めると願い事が叶うとされ、江戸時代中期以降、とくに縁結びの神として庶民の信仰を集めた。

 平内堂は、昭和20年(19453月の戦災で焼失した。現在のお堂は昭和53年(197810月に浅草寺開創1350年記念として再建されたものである。

このように、多くの人が通行する宝蔵門前にありながら、多くの方が振り向きもせず、通り過ぎていきます。

台東区教育委員会の説明板によれば、「久米の平内」は、縁結びの神様として信仰されたとなっています。

 私も、浅草寺のガイドの際には、そのように説明してきました。

 しかし、「江戸神仏願懸重宝記」によれば、諸願成就の神様として信仰されたと書いてあります。
 その方法として、
願いを書いた文書を祠に納め、願いが成就した際には、鳥居や絵馬を奉納すると書いてあります。

 浅草寺をお参りした際には、「久米の平内」もお参りしてお願い事をするのもよいかもしれません。
 「久米の平内」の石像が平内堂にお祀りされているそうですが、その石像をみるのは難しくて、私は実物をみたことはありません。


 赤印が久米平内堂です。 宝蔵門(青印)の目の前にあります。







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by wheatbaku | 2015-09-18 09:27 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
鳥越橋(願懸重宝記④ 江戸の祭礼と歳事)

 「江戸神仏願懸重宝記」の4回目は「幸崎甚内」をご紹介します。

 「江戸神仏願懸重宝記」には「幸崎甚内」と題して、鳥越橋で瘧(おこり)の願懸けをすると書いてあります。

 瘧というのは、現在のマラリアのようです。

c0187004_16571579.jpg 鳥越橋は鳥越川にかかっていた橋で、別名「甚内橋」と呼ばれています。

鳥越川は、不忍池から忍川をへて、三味線堀に落ち隅田川に注ぐ川で、今の蔵前通りと並行して流れていました。 
  しかし、鳥越川は、現在は暗渠となっていて川の流れはありませんが、道路の十字路の東南角には甚内橋跡の石碑があります。(右写真)

 
 鳥越橋つまり「甚内橋」は、JR浅草橋駅から徒歩5分程度の所にあります。
 鳥越神社の南側にあります。

 

 鳥越川は東西に流れていましたので、甚内橋は南北に架けられていたと思われます。

 この橋が、「甚内橋」と呼ばれるのは、付近に甚内神社があったからだといわれています。

 

c0187004_16573119.jpg「甚内橋」の由来となった甚内神社は、現在もあります。

 甚内とは人の名前で高坂甚内といいます。

 高坂甚内は、武田家の家臣高坂弾正の子で、主家滅亡後、祖父に伴われ諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて剣を学び奥義を極めた。武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の治安を乱した人物だと神社脇の説明板に書いてあります。
 
 「江戸神仏願懸重宝記」では、幸崎甚内と書いてあり、江戸時代の本では、向坂甚内と書いてあるものもあります。


この甚内は瘧で苦しんでいたところを取り押さえられました。

 そして、刑場で処刑されるとき「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、病の治癒を祈る人々の信仰を集めたといわれているようです。

 「江戸神仏願懸重宝記」によれば、鳥越橋から自分の年齢を記した紙を川に流し瘧(おこり)が治るように願懸けし、平癒後は竹筒の水や茶を流し供えると書いてあります。

 赤が甚内神社です。青が甚内橋跡です。
 鳥越神社がピンクです。








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by wheatbaku | 2015-09-16 10:02 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
目黒の滝壺(願懸重宝記③ 江戸の祭礼と歳事)

 「江戸神仏願懸重宝記」に載っている神仏のほとんどが小さな神仏です。

 しかし、なかには滝の水が願懸けの対象になったものもあります。

 それが目黒のお不動様(正式には瀧泉寺)の境内にある「目黒の滝壺」です。


 目黒のお不動様は多くの方がご存知だと思います。

c0187004_09464792.jpg 目黒のお不動様は、泰叡山瀧泉寺といいますが、寺伝によると、大同3年(808)慈覚大師円仁が下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して創建したという古い歴史を持つお寺です。
 五色(目黒、目白、目青、目赤、目黄)不動の一つとしても知られています。

 また、江戸検を受検される方は、「江戸三冨」の一つに数えられていて、江戸時代には「富くじ」でも有名であったということをご存知の方も多いと思います。

c0187004_09470054.jpg この目黒のお不動様の山門(右上写真)を入ると広い広場となっていて、本堂(右写真)へと登る石段下の左手に池があり、2体の龍の口から水が吐き出されています。

 これが「独鈷の滝」と呼ばれている滝です。(右下写真参照)

 この滝は、慈覚大師円仁が堂塔建設の敷地を占って、御自身が持っていた独鈷(とっこ)を投げたところ、忽ち滝泉が湧き出したので之を「独鈷の滝(とっこのたき)」と名付けたと独鈷の滝の脇に設置されている説明板に書かれています。

 「江戸神仏願懸重宝記」によれば、この独鈷の滝の水が怪我除けの御利益があるというので願懸けの対象になりました。

c0187004_09470928.jpg 目黒のお不動様は、五色不動の一つでもあり、関東36不動尊巡りの霊場でもあり、山の手七福神の一つでもありますので、個人的にも何回も参拝していますし、史跡案内でも案内したことがあります。

 しかし、独鈷の滝の水が怪我除けの御利益あるというのは、「江戸神仏願懸重宝記」を読んで初めて知りました。

 「江戸神仏願懸重宝記」はくずし字で書かれたものが出版されていますが翻刻されたものがないので、くずし字の読めない私には正確に読み解くことができませんが、概略は次のようです。

 子どもの月代を剃る際に、泣き叫んだりして、剃るのが難しい時に、目黒不動の滝壺の水を沸かして頭に塗り月代を剃ると驚くほどおとなしく剃れる。

 これは、お不動様の字の如く、「不動(うごかず)」ということからの信じられていることである。

 こんな感じだと思います。

 「独鈷の滝」については、江戸名所図会にも書かれています。

 独鈷の滝 当山の垢離場なり。往古承和14年(847)当寺開山慈覚大師入唐帰朝の後、関東へ下りたまひし頃、この地に至り独鈷杵をもてこの地を穿ち得たまふとぞ。つねに霊泉滔々として漲り落つ。炎天旱魃といへども涸るることなく、末は目黒一村の水田に引き用ふるといへり。昔は三口にわかれて湧出せしが、いまは二流となれり。

 現在も右上の写真で龍の口から流れているのが滝ですが、龍の頭が二つあるのでおわかりのように二流となって流れています。

c0187004_09471684.jpgこの独鈷の滝の左手に小さなお堂がありますが、独鈷の滝を訪ねた際には一緒に拝観するとよいと思います。

このお堂が前不動堂(まえふどうどう)で東京都指定の文化財です。
 建立時期ははっきりしないようですが、江戸時代中期の建物です。

 ご本尊は不動明王立像で、庶民信仰の便を図ったものとも、本堂に祈願するための徳を積む修業の場であったともいわれているようです。



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by wheatbaku | 2015-09-14 09:30 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
石の婆々(願懸重宝記② 江戸の祭礼と歳事)

 「江戸神仏願懸重宝記」の2回目ですが、今日は、「石の婆々様」を紹介します。

 「石の婆々様」は、元は築地の稲葉家の屋敷内にありましたが、現在は向島の弘福寺にあります。

 弘福寺は、東武線「東京スカイツリー駅」から13分程度かかります。 

 弘福寺周辺には、三囲神社や長命寺など、さらに「長命寺の桜餅」や「こととい団子」など和菓子の老舗があり、何回も墨堤散歩でご案内をしたことがあります。

 その際に弘福寺もご案内したことがあります。

c0187004_10035438.jpg 弘福寺は、隅田川七福神の一つ布袋尊が祀られていたり、中国様式の本堂(大雄宝殿:右写真)、与板藩井伊家寄進の梵鐘•池田冠山墓があり、史跡に事欠きません。

また、弘福寺は、稲葉正則が開基のお寺で稲葉家と縁の深いお寺です。

その弘福寺の境内に「石の婆々様」があります。

 弘福寺では、「翁媼尊(じじばばそん)」とよばれていて、二つの石像が祀られています。
 その説明板には、次のように書かれています。 

c0187004_10335118.jpg この石像は、風外禅師(名は慧薫、寛永年間の人)が、相州真鶴の山中の洞穴に於いて求道して居た所、禅師が父母に孝養を尽くせぬをいたみ、同地の岩石を以って自らが刻んだ父母の像です、禅師は之を洞穴に安置し恰も父母在すが如く日夜孝養怠らなかったといわれております。小田原城主当山開基稲葉正則公が、その石像の温容と禅師の至情に感じ、その放置されると憐れみ城内に供養していましたが、たまたま同公移封の為小田原を去るにあたり、当寺に預けて祀らしめたものです。尚、古くよりこの石像は咳の爺婆尊と称せられ、口中に病のあるものは爺に、咳を病むものは婆に祈願し、全快を得た折には煎り豆と番茶を添えてその礼に供養するという風習が伝わっております。

c0187004_10040227.jpg こうした説明板もあることから、この石像が咳や口の病に信仰されていたというのを知っていました。

 しかし、「江戸神仏願懸重宝記」に載るほど江戸っ子に信仰されていたとは知りませんでした。

 「江戸神仏願懸重宝記」には、つぎのように書かれています。

 木挽町つきぢ稲葉公の御屋敷に年古き石にて老婆のかたちを作りなしたる石像あり、諸人たんせきのうれひをのがれんことを願かけするに、すみやかに治する。願ほどきは、豆をいりて供ずるなり、小児百日ぜきすべて咳になやむ人これを信ずること往古よりの事なりとて諸人これを石の婆さまと称す。

 ちくま学芸文庫「江戸のはやり神」の中で、宮田登氏は詳しく書いています。

 それによると、三途川で亡者の衣類をはぎとる奪衣婆は、三途川に関所を設けていることから関(石)の婆という呼び名があり、この関を咳と読みかえて、咳の婆さんと呼ばれ、子供の咳の病いに願かけすれば治るといわれているといわれていたと書いてあります。

さらに「江戸のはやり神」には

 咳の願かけの時は、かならず豆やあられなどの煎り物を煎じ茶とともに供えた。霊験あらたかな願掛けの仕方は、はじめに婆さんに咳を治してくださいと頼み、ついで爺さんのところへ行って、婆さんだけではおぼつかないから何分よろしくと祈願するのがよいといわれていたという。

 明治に入ってからは稲葉家の菩提寺の弘福寺に引き移されて、咳の神であるよりは、腰から下の病気に霊験ありといわれるようになって、供物に履物などが供えられていたという

と書いてあります。


 長命寺の桜もちを食べに行ったり、三囲神社に参拝したら、近くの弘福寺にも寄ってみてください。

 赤印が弘福寺です。
 ピンクが長命寺桜もちで、
青が三囲神社です。





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by wheatbaku | 2015-09-11 10:03 | Trackback
高尾稲荷(願懸重宝記① 江戸の祭礼と歳事)

 江戸検の今年の「祭りだわっしょい 江戸の祭礼と歳事」を読むと新しい発見があります。

 

 その一つに、「江戸神仏願懸重宝記」というパワースポットについて書いた本があります。「江戸の祭礼と歳事」では、この本について一章割いあり、かなりのウエイトで紹介されています。

 

 この「江戸神仏願懸重宝記」は文化11年に出版されたものですので、ここに紹介されている神仏も、当然、現在はなくなってしまったものもあります。

 その一方で、なんらかの形で残されているものもあります。

 しかし、その神仏は、現在では、忘れ去られたかのように、ひっそりと祀られています。

 私も、「江戸神仏願懸重宝記」というパワースポットガイドに載っているなどということは露しらずにお参りしていた神仏がいくつかあります。

 江戸検を受検される方は、これから、これらの神仏を参拝する余裕はないと思います。

 そこで、かつて参拝した際の写真をベースに、「江戸神仏願懸重宝記」に載っている小さな神仏を少しずつ紹介していきます。

 最初は「高尾稲荷」です。

c0187004_10223855.jpg 「高尾稲荷」は、東京メトロ「茅場町駅」から徒歩7分の永代橋の西側にあります。

  高尾稲荷は、赤穂浪士の引き上げルートのガイドのため永代橋を下見した時に参拝しました。

 もう永代橋を下見した頃には、日が暮れていましたので、右の高尾稲荷の写真も夜景の中です。

 「高尾稲荷」は、新吉原の名妓2代目高尾大夫をお祀りした神社です。

  高尾大夫という遊技は、新吉原の三浦屋四郎右衛門の見世で代を重ねた名跡です。

 そのうちの2代目高尾大夫は「万治高尾」などと呼ばれて諸芸に通じた名妓でした。

どうして2代目高尾大夫が祀られたかについて、次のような言い伝えがあります。

2代目高尾大夫は仙台藩主伊達綱宗に寵愛され大金とつんで見請けされました。

しかし、高尾大夫は綱宗の意に従わなかったため、ついに怒りを買って身請けされる途中に、隅田川の三又(みつまた:現在の中洲)あたりの船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てられてしまいました。

その遺体が隅田川西岸の北新堀河岸に流れ着き、高尾大夫を憐れんだ人たちによって祀られたのが高尾稲荷だと言い伝えられています。

この高尾稲荷が、「江戸神仏願懸重宝記」の冒頭に載っています。

「江戸神仏願懸重宝記」で、高尾稲荷は『頭痛平癒』の願懸けに霊験あるとされています。

 頭痛平癒を願う人は、高尾稲荷から小さな櫛を1枚借り受けて朝夕「高尾大明神」と祈って髪を撫でつけ、病気が平癒したら、新しい櫛を一枚添えて高尾稲荷に奉納するとしてあります。

赤印が「高尾稲荷」です。IBM箱崎ビルが目安になります。






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by wheatbaku | 2015-09-09 10:19 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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