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伏見稲荷大社の「お山めぐり」(京都旅行⑥)

 今日は、最後の京都旅行記ですが、伏見稲荷大社の「お山めぐり」について書きます。

 京都旅行で伏見稲荷大社に参拝したことは、先週書きました。

c0187004_15260207.jpg この伏見稲荷大社御参拝では、できれば稲荷山山頂である一ノ峰までお参りしたいと思っていました。

 伏見稲荷大社は千本鳥居で有名な奥社奉拝所までは簡単にお参りできます。

 この奥社奉拝所から先にある一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰などを巡るのがいわゆる「お山めぐり」です。

 稲荷山は標高233メートルですが、下写真の境内案内図でお分かりになるように、稲荷山の頂上まで伏見稲荷大社の境内のようです。

 正規のルートをめぐって全長4キロ、2時間程度で参拝できるということでした。

 そこで、時間の関係もあるので、登れるところまで登ろうというつもりで登り始めましたが、結局、途中の眼力社まで登った所で引き返しました。

 そこで、途中までの記録ですが、主なお社である「熊鷹社」「三徳社」「大杉社」「眼力社」について書きます。

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熊鷹社

c0187004_15261375.jpg 熊鷹社では茶店に次のような説明が貼られていました。

「熊鷹大神」でローソクなど供え、願い事・頼み事などのお祈りを済ませ、難切り不動尊の横、池の畔で拍手を2回打つと幸運を示す方角よりコダマが返ってくると言う。

また、コダマが近くより返って来たように思うと願い事は早く叶い、遠くから返って来たように思うと願い事の成就は遅くなると言う古くからの言い伝えがあります。

c0187004_15262514.jpgそのほか、尋ね人のある人が池の畔で拍手を打つと反響する方角に必ず手がかりが得られるといった話もあるようです。

熊鷹社は茶店のすぐ目の前に鎮座していますので、全体像を撮るのが難しかったです。

右上の写真をみていただくと右側の茶店と左側の熊鷹社が近接しているのがわかると思います。

三徳社

c0187004_15264001.jpg 三徳社とは、社前の茶店の奥様のお話では、三徳すなわち「衣食住」に御利益のある神様だとのことです。

 それぞれの社の前には茶店があり、供え物、鳥居、軽食等を販売しています。

この三徳社の前の茶店の奥様と休憩しながらお話をしましたが、茶店に実際に住んでいるとのことで、お土産品や食材等はすべて人力で運び上げるとのことでした。

 「結構大変なことです」と言っていました。そうだろうと思いました。

大杉社

c0187004_15265156.jpg 伏見稲荷大社では、杉が特別の木とされています。

 稲荷山の杉を持ち帰り、庭に植えておいて枯れなければ願いが叶うと言われていて、これは「験(しるし)の杉」といわれています。

c0187004_15265787.jpg 右写真が御神木とされ祀られている大杉です。

 現在は枯れてしまっていますが、依然として御神木としてお祀りされています。

 本殿の横・後ろからみると御神木がよくわかります。

 大杉社では、あらゆる病気の平癒に霊験があるそうです。

 そのほか、名前から製材関係・建築関係の人々の信仰が厚いそうです。


眼力社

c0187004_15270403.jpg 眼力社とは、名前の通、眼の悪い方に霊験のある神様です。

 そのため、眼病に悩む人の参拝が多い様です・

 また商売の目先がきくようなる御利益もあると書いてあり、企業経営者や相場関係の崇敬者が多いようです。

 さらに、入試・就職・結婚の願いが叶う「願力」の御利益もあるそうです。


 ここまで、登ってきて時間がないので、引き返すことにしました。

c0187004_15271384.jpg ここまでの参拝路は、かなりの山道です。

 眼力社・大杉社の少し手前に、四つ辻という場所があります。

名前の通り、「お山巡り」のための路が四方から合流する場所です。

ここからは京都市中が見下ろせるビューポイントです。

c0187004_15272148.jpg 見晴らしがよく茶店もあり、良い休憩場所ですが、ここまで登ってくるのは、それなりに大変です。
 右写真は熊鷹社から三徳社に至る途中の参拝路ですが、それなりの急坂であることがわかると思います。

 

 清少納言も、伏見稲荷大社に参拝して「お山めぐり」にチャレンジしましたが、苦労したようです。
 「枕草子 第一五八段 うらやましげなるもの」のなかで次のように書かれています。

 

 稲荷に思ひおこしてまうでたるに、中のみやしろのほど、わりなうくるしきを、念じのぼるに、いささか苦しげもなく、おくれて来るとみる者どもの、ただ行きに先立ちてまうづる、いとめでたし。(後略)」

 私も清少納言とほぼ同じ心境でした。



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by wheatbaku | 2015-11-30 15:48 | Trackback
「鬼平散歩in本所」で本所を散歩してきました!

 昨日は「鬼平散歩in本所」が開催され本所を散歩してきました。

 快晴の行楽日和でした。

c0187004_15180767.jpg 錦糸町駅前から報恩寺に向かう「タワービュー通り」は真正面にスカイツリーが見える通りですが、そこから見えるスカイツリーは雲一つない青空に見事な雄姿を見せていました。 
 天候にも恵まれ楽しく散歩することができました。

 昨日ご参加いただいた皆さん、お疲れ様でした!

 

 昨日は次のようなコースを散歩してきました。

錦糸町駅 ⇒ 報恩寺 ⇒ 能勢妙見山東京別院 ⇒ 高杉道場跡 ⇒ 大横川親水公園 ⇒ 蝶谷本店 ⇒ 津軽稲荷神社 ⇒ 勝海舟住居跡 ⇒ 勝海舟揺籃の地 ⇒ 時の鐘 ⇒ 五柱稲荷神社 ⇒ 鬼平まちがいの屋敷跡 ⇒ 撞木橋跡 ⇒ 榎稲荷神社 ⇒ 長谷川平蔵・遠山金四郎屋敷跡 ⇒ 菊川駅

 報恩寺は、大田道灌が創建したお寺です。

c0187004_15184318.jpg 江戸城鎮護の祈願所として、江戸城の鬼門の方向にあたる平河に創建されました。
 そのため、山号が「平河山」となっています。

 創建当初は本住院といいましたが、太田道灌の孫の資高の代に、本住院を法恩寺と改称しました。

 家康が江戸に入った後、神田柳原・谷中清水町に移転した後、さらに元禄年間に現在地に移りました。
 報恩寺の本堂の写真を撮ると屋根の上にはスカイツリーが写ります。

c0187004_15185808.jpg本堂右手奥には、法恩寺の墓地がありますが、その正面に建つ五輪塔の太田道灌の供養墓があります。

この供養墓は総高201.5 cmあり、各輪正面には「南無妙法蓮華経」が一字づつ刻まれています。

 正面に「当山開基蓮乗院殿道灌日恩大居士」と刻まれています。


「能勢妙見山東京別院」は、大阪にある能勢妙見山の別院です。

 安永3年 (1774年)に、旗本能勢筑前守頼直の下屋敷に、妙見堂を建立して能勢妙見山より分祀したものです。

c0187004_15191702.jpg 大阪の能勢妙見山には鳥居があり「妙見宮」とも呼ばれますが、実は日蓮宗のお寺です。

 ここでは、能勢御住職様に、能勢妙見の歴史、妙見信仰、鷗稲荷、勝海舟との関係、東京大空襲の中で妙見菩薩をお守りしたお話などたくさんのお話をしていただきました。

 能勢御住職様ありがとうございました。

 なお、お名前でおわかりになると思いますが、ご住職様は旗本の能勢家の御子孫でいらっしゃいます。

 散歩の途中では、老舗訪問もあります。

c0187004_15222201.jpg 蝶谷本店は、文政9年(1826)創業の和菓子の老舗です。

 ここの名物は、太平焼きと名付けられたどら焼きです。

 蝶谷本店の太平焼きは、餡の種類が17種類もあります。

 蝶谷本店で、太平焼きを買って、そばの報恩寺児童公園で、太平焼きを食べながら一休みしました。

 勝海舟は両国で生まれ本所で育ちました。

c0187004_15225244.jpg そのため、勝海舟ゆかりの地が本所の各所にあります。

 「すみだふれあいセンター」もその一つです。

この場所は旗本岡野孫一郎の御屋敷があった場所です。

ここには勝海舟の父勝小吉が住んでいて、海舟が育った場所です。

 以前は、何の説明板もなかったのですが、平成25年にようやく設置されました。

 勝海舟は、8歳から23歳まで住んでいました。

 「鬼平犯科帳」では、本所横川町の時の鐘の前に、鬼平が住んでいたとなっています。

c0187004_15234738.jpg それは、池波正太郎さんの勘違いによるものと言われているそうです。

 長谷川平蔵宣以の屋敷は菊川にありましたが、池波さんは、切絵図をみて、入江町の鐘楼の向かいにある「長谷川」に目をとめてここを鬼平の屋敷と決めたそうです。

しかし、ここの長谷川家は伊勢国司・北畠家につかえていた長谷川家で、同じ長谷川姓ではあっても大和出身の鬼平の長谷川家の家系とはまったく関係がない家柄だそうです。
 池波さんが間違えた「長谷川」の屋敷跡は、現在はマンションになっています。(右上写真)

長谷川平蔵宣以の屋敷は、都営地下鉄菊川駅の近くにありました。

そして、ここは「遠山の金さん」こと「北町奉行遠山金四郎」の屋敷でもありました。
 幕末の切絵図をみると遠山金四郎となっています。

c0187004_15242820.jpg 長谷川平蔵宣以19歳の時 鉄砲洲からここにあった桑島という旗本の1238坪の邸に移りました。

 これ以降、長谷川平蔵宣以は、京都に転居した時期を除き、50歳で亡くなるまで住んでいました。

c0187004_15254567.jpg長谷川平蔵宣以は、寛政7年(1795)、50歳の時に病気になりここの屋敷で亡くなりました。

亡くなる4日前5月6日には11代将軍家斉はわざわざ御側衆の加納遠江守を遣わせて「瓊玉膏」という貴重な薬を賜ったそうです。

長谷川平蔵宣以がなくなって約40年後の弘化3年(1846)、孫の4代目平蔵宣昭の時、この地は江戸町奉行遠山金四郎の下屋敷となりました。

 

 長谷川平蔵宣以の屋敷の東南角の丸山歯科医院の前と西南角の都営地下鉄菊川駅入り口の2か所に「長谷川平蔵と遠山金四郎の屋敷跡」であったことを示す説明板が立てられています。

 右の2枚の写真の上が、丸山歯科医院前の説明板を見る参加者の皆さん、下が菊川駅前の説明板をみる参加者の皆さんです。

 散歩の後は、いつもの飲み会で、日の入りが早いため5時前には飲み始めました。夕暮れはいくらか寒くなったのにも関わらずビールが来るのを待ってすぐに乾杯! 後は、いつも盛り上がり、あっという間の2時間でした。
「今日は終わるのが早いね」という感想でしたが、始まりがいつも早かったのですよ。最後に恒例の証拠写真!
 皆さんお疲れ様でした!
 飲む場所が細長かったため奥の方がはっきり撮れませんでした。
 ごめんなさい!

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by wheatbaku | 2015-11-29 14:49 | Trackback
江戸検1級お題関連問題についてのコメント②

今日は、江戸検の今年のお題「江戸の祭礼と歳事」関連の出題問題についてのコメントの2回目です。

11624日の芝愛宕山の勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)の縁日「芝愛宕権現千日参り」で売られ、癩の薬、小児の虫薬として人々が買い求めたという植物は何か?

 正解は「酸漿(ほうずき)」です。

「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP135をご覧ください。

 これは比較的容易だと思いますので初級レベルだと思います。

12】日本三大曳山祭りのひとつで、「動く陽明門」ともいわれる豪奢な屋台で知られる祭りは何か?

 正解は「高山祭」です。

 「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP165をご覧ください。

これも比較的容易だと思いますので初級レベルだと思います。

13】東海道島田宿にある大井神社の「島田大祭」に付けられた別名は何か?

 正解は「大名行列の大奴が太刀に新婦の帯を掛けて歩くことから『帯祭り』」です。

「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP165をご覧ください。

 参考図書を読んでいる方には簡単だったと思いますが、「帯まつり」はあまり知られていないお祭りだと思いますので中級レベルとしておきます。

14】浅草寺の節分会で、本堂の柱の上から撒かれる節分祈祷の守り札の「節分」の「分」の部分を飲むとどんな御利益があるか?

 正解は「安産」です。 

 問題文の中に「東都歳事記に記されている」と書かれていますが、「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP160にも説明されています。

ですから、参考図書を精読している方は正解がわかったと思います。

しかし、浅草寺の本堂で守り札が撒かれることは知っている方は多いと思いますが、その「分」の部分の御利益まで知られていないと思います。

しかも、説明されている部分が行事の一覧表の中ですので、本当に精読していないと難しいと思いますので上級に近い中級レベルだと思います。

15】〈(  )をわざわざ落す節変り〉この川柳は、節分の夜、その年42歳の男性が肌身に着けているものを路上に落として厄落としをする江戸時代の習俗を詠んだものです。(  )に入る路上に落とすものは、何でしょう?

これは難しいと思いましたので、問題文を全文書いておきました。

 正解は「褌(ふんどし)」です。

 これは結構難しかったと思います。

c0187004_09493198.jpg このことについて触れてあるのは「和漢三才図会」です。 東洋文庫「和漢三才図会」では現代語訳されているので理解しやすいと思います。

東洋文庫「和漢三才図会」(1)のP377に現代語訳されて次のように書かれています。

「男、42を大厄とし、前年を前厄といい、翌年を挑厄(はねやく)といい、前後3年間を忌む。(中略)、一般に厄に当たる前年の節分の夜、追儺の炒り豆を年の数だけ数え、それに銭を添えて棄てる。あるいは古い犢鼻褌(ふんどし)をとって街路に捨てれば祟りがないという。」

c0187004_09493713.jpg 東洋文庫「和漢三才図会」は多くの図書館が所蔵していますので、図書館で借りてご確認ください。

 なお、以前、参考図書として紹介した「江戸の庶民生活・行事事典」のP241にも載っています。

 これは上級レベルでしょう。

16】次の勧進相撲についての記述のうち、間違っているのはどれか?

 い)寺社奉行の許可を得て行なわれた      

ろ)女性は本場所を見ることができなかった

 は)人気力士の多くは、大名に抱えられていた  

に)屋外で行なわれたため、雨天が続くと打ち切りになった

これは間違っている選択肢を指摘する問題でしたので、選択肢をすべてあげておきました。

正解は「屋外で行なわれたため、雨天が続くと打ち切りになった」です。

「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP65~68をご覧ください。

 これは比較的容易だと思いますので、初級レベルだと思います。

17】亀戸天神境内にある妙義社(現・御嶽神社)の初卯詣で、〈十二文串髪へ挿す初卯の日〉と川柳にも詠まれた、男性が髪に挿しているものは何か?

☆挿絵の「歌川広重『江戸自慢三十六景 亀井戸初卯詣』は略します。

正解は「妙義社で受けた厄除けの神符」です。  

「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP151をご覧ください。

 参考図書を精読している方には簡単だったと思います.

しかし、初卯詣で自体あまり知られていないことで、しかも、説明されている部分が参考図書の行事の一覧表の中ですので、参考図書を精読していないと難しいと思いますので上級に近い中級レベルとします。

18】成田山新勝寺不動尊の出開帳で11回宿寺となった寺はどこか?

正解は「深川永代寺」です。

「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP58をご覧ください。

 これは多くの方が知っていることだと思います。初級レベルですね。

19】大工など建築関係の職人が信仰した守護神は、何か?

正解は「法隆寺をつくり、寺社建立の祖とされた『聖徳太子』」です。

博覧強記P180に書かれています。しかも過去に出題されたこともある問題です。

これも初級レベルでしょう。

20】歯痛に霊験があるとされ、願掛けに綿を奉納したことから「綿のおばば」とも呼ばれた、嘉永2年(1849)に人気だった流行神はどれか?

 正解は「内藤新宿正受院の『奪衣婆』」です。

「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP96~97をご覧ください。

 これは「江戸博覧強記」P205に書かれていることですので、初級レベルといいたいところですが、ちょっと難しいので中級レベルとしておきます。

 以上、コメントをしましたが、今回は超難問という問題は少なかったように思います。

 今年のお題関連の問題は、参考図書「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」と「江戸博覧強記」から出題された問題が15題出題されていますので、参考図書と「江戸博覧強記」をしっかりと精読していた方はかなりの点数が取れたのではないでしょうか。(正解の少なかった方には申訳ありません!)

 参考図書の精読が大切だということを再確認させられました。



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by wheatbaku | 2015-11-27 09:30 | Trackback
江戸検1級お題関連問題についてのコメント

 江戸検1級のお題「江戸の祭礼と歳事」関連の出題問題についてコメントして欲しいという要望がありましたので、私なりのコメントをしてみます。

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 まず、全体を通じての特徴点を私なりに書いてみます。

1、出典別にみると、参考図書「祭りだわっしょい! 江戸の祭礼と歳事」から13件 参考図書「東都歳事記」から2件、「江戸博覧強記」から2件、その他から3件という内訳です。

(1)参考図書「祭りだわっしょい! 江戸の祭礼と歳事」から13件出題されていますし、また難解であるので勉強しにくかったといえる「東都歳事記」を含めると15問出題されていて、参考図書からの出題割合が非常に高いと思います。

さらに公式テキスト『江戸博覧強記』からも2問出題されていて、これまで含めると17問にものぼります。

(2)以上より、参考図書やテキストを精読している人にとっては全体として易しかったのではないでしょうか。

2、出題分野別にみると次のようになっています。

年中行事 9件、天下祭 4件、

各地の祭 3件、開帳・相撲・流行神・守護神 各1件

(1)年中行事が非常に多く、年中行事が多いとは予想していましたが、9件も出題されていて、予想を上回る割合となっています。

(2)天下祭4問は妥当な割合ではないでしょうか

(3)各地の祭も出題されると予想していました。しかし、出題地域としては近畿地方以西を予想していましたが、中部地方が多いのには驚きました。

(4)出題される可能性が高いと予想していた第3章「江戸っ子の信心」は流行神1問が出題されただけでした。

これらは少し予想外ですが、年中行事からの出題が多かったため、結果として少なくなったのかもしれません。

また、「願懸け」・「厄災」などは内容が難しいテーマだったことや「稲荷」は適切な問題の作成が難しかったことなどが影響しているのかもしれません。

 それでは、各問題について簡単にコメントします。

 考図書「祭りだわっしょい! 江戸の祭礼と歳事」と公式テキスト「江戸博覧強記」から出題された問題については、本を読んでいただければわかると思いますので、出典ページを記載するに留めます。

 また、難易度はあくまでも私の個人的な判断です。異論がある場合もあるかもしれませんがご了承ください。

【1】天下祭りの山車の行列で、先頭の「鶏」と2番目の「猿」の山車を出した町の組み合わせとして正しいものはどれか?

  正解は「大伝馬町と南伝馬町」です。 

 「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP17とP23の表を見ていただければわかります。

 これは基礎的な知識を問う問題だと思いますので初級レベルです。 

【2】神田祭の祭日9月15日が、家康にとってどのような慶事であったか?

正解は「関ヶ原の戦いでの勝利」です。

このことについては、私が知る限りでは、2つの本に書かれています。

c0187004_20575995.jpgその一つが、推奨図書となっている神田明神編著「神社の教え」で、もう一つは以前紹介したことのある三谷一馬著「江戸年中行事図図聚」(中公文庫)です。

「神社の教え」の場合は、P114に書かれています。

それによると、関ヶ原の戦いに臨むにあたって、徳川家康は神田明神に戦勝祈願しました。すると見事に戦いに勝利しました。しかも、勝利した日は9月15日、神田明神の例大祭の日でした。

c0187004_20582527.jpgこれ以後、神田祭は縁起のよい祭りとして絶やすことなく執り行うよう命じられたといいます。

「江戸年中行事図聚」のP293には、関ヶ原の合戦の折、祭礼を遠慮すべきか伺いをたてると例年通り執行せよとの仰せがあり、9月15日の祭礼の最中に戦いに勝利し、徳川家康はこれを吉事の祭りとして断絶してはならないと命じた と書かれています。

これは上級レベルですね。

【3】山王祭の行列の江戸城への入城門と退城門の組み合わせとして正しいものはどれか?

正解は「入城門:半蔵門一退城門:竹橋門」です。

「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP19をご覧ください。

 山王祭についての基礎知識なので初級レベルです。

【4】神田祭の際、神田連雀町が出した山車人形「熊坂長範」は、源義経に滅ぼされたとされる平安時代の伝説的な盗賊をモデルにしていて、頭と目が動くからくりが自慢でした。熊坂を載せた山車には、天下祭りでの特別な約束事がありましたが、それは次のどれでしょう?

 い)江戸城入城の際に、後ろ向きに入る 

 ろ)上覧所の前で、人形が将軍をきっと睨む

 は)町奉行所の前では、布をかぶせて人形を隠す

 に)祭礼行列の巡行終了と同時に、手足を縛る

これは、お題関連の中では、最も難しい問題だと思いましたので、問題文と選択肢の全文書いておきました。

正解は、「い)江戸城入城の際に、後ろ向きに入る」です。

このことは、明治以降に発刊された「風俗画報」に書かれていることまでは、わかりました。

しかし、風俗画報の現物を見るには国立国会図書館か明治大学図書館でないと閲覧できません。

現時点ではそこまで調査できていませんので、実際にどうかかれているのかは不明です。

ご興味があってお時間のある方、調べてみてください。

これはいうまでもなく上級レベルだと思います。

【5】徳川将軍家の正月行事で請西藩林家の歴代当主はどのような役割を勤めたか?

 正解は「元日の「兎羹の儀」に用いる兎を献上した」です。

 公式テキスト「江戸博覧強記」のP78をご覧ください。

 これは初級レベルです。

【6】愛宕権現社の別当寺円福寺に入って奇妙な格好をした毘沙門天の使いが執り行なう「日光責め」とも呼ばれる儀式は何か?

 正解は「強飯式(こうはんしき)」です。

 「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP126をご覧ください。

 歌川広重の「名所江戸百景 芝愛宕山」を見ていただくと出題された絵を同じ格好をした毘沙門の使いが描かれていることがわかると思います。

 これは参考図書を精読していればわかると思いますが、参考図書の挿絵とは違う絵が出題されていることを考慮して中級としておきます。

【7】上野寛永寺護国院では、正月3日に大黒天に参詣した際に受ける「御福の湯」は、どのようなものだったか?

 正解は、「大黒天に供えた鏡餅を浸した湯」

東都歳事記正月3日の項に次のように書かれています。

大黒天の尊前に供ふる所の餅を湯に浸して、参詣の諸人にあたふ、これを大こくの湯または御福の湯といふ、これを飲めば福智を得るといへり

 これは出典が「東都歳事記」ですし、あまり知られていない事項だと思いますので上級レベルだと思います。

【8】4月8日の「花祭り」で、参詣客は誕生仏にかける甘茶を寺で買って帰り、甘茶をどのように用いたのか?

 正解は「墨を磨って呪文を書き、便所の虫除けにする」です。

 「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP132をご覧ください。

 これは参考図書を精読している人はわかったことだと思いますが、あまり知られていないことで精読していない方には難しいと思いますので中級レベルだと思います。

【9】応仁の乱以降、多くの神事や勅使行列が中絶し、元禄7年(1694)に幕府の援助で復活した京都の祭りものは何か? 

正解は「賀茂祭」です。  

「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP166をご覧ください。

 これは、参考図書に書かれていることですし、加茂祭は有名なお祭りです。さらに夏検でも出題されていたお祭りですので、ちょっと厳しめですが初級レベルとしておきます。

10】『東都歳事記』に[実に宇宙最第一の壮観ともいいつべし]と書かれた行事は何か?

正解は、「両国の打ち上げ花火」です。

東都歳事記5月28日でご確認ください。

これは、出典が「東都歳事記」ですが、両国の花火はよく知られている事柄ですので、中級レベルとします。

以上10問まで解説しましたが、量が多くなりましたので、残りは次回とさせていただきます。


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by wheatbaku | 2015-11-25 20:30 | Trackback
伏見稲荷大社(京都旅行⑤)

 京都旅行では、伏見稲荷大社も参拝しました。

 稲荷神社は、江戸には「伊勢屋・稲荷に犬の糞」と呼ばれるほど数多くありましたし、今年のお題「江戸の祭礼と歳事」には、稲荷神社はしばしば登場しましたので、ぜひお参りしたいと思っていました。

 伏見稲荷大社は、全国に約3万社あると言われている稲荷神社の総本社です。

c0187004_12280614.jpg JR奈良線「稲荷」駅の目の前に鎮座していますので、交通の便は非常に便利です。

 駅を降りると2つの大きな鳥居が迎えてくれます。(右2つの写真)

最近では、外国人に最も人気のある神社ナンバーワンだそうで、参拝した時にも大勢の外国人が参拝していました。

 稲荷大社は和銅4年(711)に鎮座されていると言われています。

c0187004_12281313.jpg 伏見稲荷大社の起源として常に引用されるのが「『山城国風土記』の逸文」です。

 それによると、次のようです。

秦氏の遠い祖先である伊呂俱秦公(いろぐのはたきみ)は、稲を積み重ねて豊かに栄えていました。そこで、餅を使って弓の的として矢を放ったところ、餅は白い鳥となって飛び去り、山の峰にいたって、稲が生えました。そこで神社の名前としました。

 このことから、稲荷という名前は、「イネ(稲)ナリ(生)」に由来すると考えられています。

楼門 

 2つの鳥居を潜るとその先に大きな楼門があります。

c0187004_12282263.jpg この楼門は、天正17年(1589)に豊臣秀吉が寄進したものです。

秀吉の母親大政所が病気になり病気平癒の祈願をした際にその願いが成就したお礼に寄進されたものです。

神社楼門として最大級です。

 昭和48年に解体修理をした際に、「天正17年」と墨書された古材が見つかったそうです。

外拝殿

c0187004_12283291.jpg 楼門の先にあるのが外拝殿(げはいでん)です。

 一般に見られる拝殿とはことなり舞楽が舞われる舞台のような建築様式の拝殿です。

 外拝殿は天保11年に修復されています。

内拝殿

c0187004_12284476.jpg そして、外拝殿の奥にあるのが内拝殿で、多くの参拝客が内拝殿から参拝します。

 内拝殿は昭和36年に造営されたもので、大きな唐破風があるのが特徴です。

 この唐破風は、元禄年間に本殿に増築されたものを内拝殿に移築したもののようです。

本殿 

c0187004_12294839.jpg本殿は内拝殿に続いてあります。

 本殿は、応仁の乱で焼失した後、明応8年(1499)に再建されたものです。

 本殿は屋根の前面が長い曲線を描いて庇となっているのが特徴です。

この建築様式は「稲荷造り」を呼ばれます。

権殿

c0187004_12344561.jpg 本殿の左手奥に権殿があり、権殿の左手に奥宮への参詣路があります。

 権殿は社殿を造営する際に神霊を遷すための「仮の社殿」で、若宮とも呼ばれていました。

現在の建物は寛永12年(1635)に建てられたものです。

奥宮

c0187004_12345542.jpg 奥宮は別格の社です。

 長禄3年(1459)には、その存在が確認されているそうです。

 現在の社殿は、天正年間に建立されたもので、元禄年間に修復されているそうです。

建築様式は本殿と同じ流造りです。

千本鳥居

c0187004_12292053.jpg 奥宮への参詣路を登り、奥宮を過ぎると有名な千本鳥居があります。

 外国人にも非常に人気のあるスポットです。

 入口は2つありますが、一方通行ということではありません。

どちらを歩いても良いようです。

c0187004_12292912.jpg千本鳥居は2メートル少しほどの高さの朱の鳥居が隙間なく並んでいます。

右の写真を見るとまさに隙間なく建っていることがわかると思います。

鳥居の裏側には奉納者と奉納年が刻まれていますが、ほとんどが平成となっていました。

朱色は魔除けの色で昔から生命力のある神聖な色とされていました。

c0187004_12294098.jpg稲荷神社では豊穣を象徴する色として鳥居だけでなく建物にも使用されています。

 二道ある千本鳥居のどちらを進んでも出口は奥社奉拝所の手前となります。

 奥社奉拝所には依代の霊石が祀られています。

 右上写真が奥社奉拝所です。

 


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by wheatbaku | 2015-11-23 11:21 | Trackback
茶屋四郎次郎・同新四郎屋敷跡(京都旅行④)

 京都では、烏丸四条近くのホテルに宿泊しました。

 そのホテル近くに、今年の江戸検1級に出題された人物ゆかりの地がありましたので、今日、ご紹介します。

 今年の江戸検1級に次のような問題が出題されました。

徳川家康の側近御用達だった豪商は、誰でしょう? 初代は家康の「生涯の危機」といわれる「伊賀越え」を助け、3代目は家康に、死去の原因ともされる鯛の天ぷらをすすめたといわれます。

 い)鴻池善右衛門  ろ)角倉了以 
 は)茶屋四郎次郎  に)淀屋辰五郎

正解をお分かりの方が多いと思いますが、「茶屋四郎次郎」です。

c0187004_15592519.jpgこの茶屋四郎次郎の屋敷跡がホテル近くの新町通蛸薬師東南角にあるのを見つけました。 

真宗大谷派の瑞蓮寺というお寺が目印となりますが、お寺の壁際に説明板が設置されていました。

そこで、早速写真に撮っておきました。

その説明板はかなり詳しく書かれていましたので、それをそのまま書き写しておきます。


茶屋四郎次郎・同新四郎屋敷跡

 近世初頭、朱印船貿易商・糸割賦商人として活躍、徳川家康の側近として政権確立に大きな役割をはたし、京都商人総筆頭として、角倉・後藤とともに京都三長者と称された茶屋四郎次郎の清延の屋敷跡

c0187004_15593211.jpg 清延の三男新四郎長吉は天正14年(1586)上洛した家康に茶屋屋敷ではじめて謁見したが、のち当屋敷を譲られる。

 天明8年(1788)京都大火で類焼した。

 茶屋家は本名を中島氏といい、中世の名門小笠原貞興の子孫といわれる。清延の父明延は京都に住み、将軍足利義輝が訪れて茶を喫したことから茶屋の屋号が生まれた。

 新四郎長吉が慶長19年(1614)家康の命で尾張徳川家に仕え、尾州茶家屋家を創立、本家同様幕府呉服使を拝命する一方尾張藩主に近侍しその召服御用を勤めた。

 尾州茶屋家は安南貿易でも活躍、名古屋の茶屋町に広壮な邸宅を営み、江戸にも数カ所の屋敷を拝領、別格で高貴な家柄を誇った。

 当地は明治4年まで尾州茶屋家が代々所有していた。



 茶屋家について「国史大辞典」に基づいて補足説明します。

 江戸検1級の問題に書かれている初代とは、初代清延をいいます。

 2代目は清延の長男清忠が継ぎますが、嗣子がいないまま若くしてなくなります。3代目を継いだのが清延の次男清次です。

c0187004_15594133.jpg 問題文に書かれている通り、伊賀越えに際して活躍したのが初代清延で、徳川家康は「鯛のてんぷら」を食べてなくなったといわれていますが、この「鯛のてんぷら」を紹介したのが3代目の清次です。

 茶屋四郎次郎という名前は、茶屋本家の代々の当主が名のる世襲名です。

茶屋本家の中で特に有名な初代と3代は混同されがちですが別人です。


茶屋家には本家のほかに、尾州茶屋家と紀州茶屋家があります。

尾州茶屋家は、初代四郎次郎清延の三男新四郎長吉が徳川家康の命により尾張徳川家に仕えた家柄で、新四郎を世襲名としていました。
 
また、紀州茶屋家は、初代四郎次郎の四男小四郎宗清が徳川家康の命により紀州徳川家に仕えた家柄です。

つまり茶屋家には三家あり、それぞれが公儀呉服師として幕府に仕えました。

赤印が茶屋四郎次郎・新四郎屋敷跡です。




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by wheatbaku | 2015-11-20 09:06 | Trackback
虎屋菓寮(京都旅行③)

 
 京都では、紅葉めぐりの間に、老舗の味も楽しむこともできました。
 今日は、老舗和菓子屋「とらや」の「虎屋菓寮京都一条店」についてご紹介します。



「虎屋菓寮京都一条店」は、京都御所の西側にあります。

c0187004_08551504.jpg京都市営地下鉄「烏丸今出川」駅から徒歩5分です。 烏丸通りに面して和菓子を販売する「とらや京都一条店」があり、そこから西に入る一条通りの北側にあります。
 右写真が正面からみた「虎屋菓寮」です。手前の通りが一条通りです。



 虎屋は室町時代後期に京都で創業しました。

c0187004_08552233.jpgそして、江戸時代を通じて京都で営業していましたが、明治2年の東京遷都にともない、虎屋は東京へ進出します。

この際に、京都の店はそのままに残しておきました。

12代店主光正は、東京進出当初は元数寄屋町で営業しましたが、半年後には、赤坂に移転しました。これが現在の赤坂の虎屋です。

一方、京都でも虎屋は営業していました。これが、現在の「虎屋菓寮京都一条店」につながっているようです。


c0187004_08553714.jpg 虎屋菓寮の前庭には、蔵が建っていますが、この蔵は江戸時代からの蔵だそうです。

 元々、虎屋には、東蔵と西蔵があったそうですが、現在残されている蔵は江戸時代後期の天明8(1788)の火災の後に再建された東蔵だそうです。



c0187004_08554672.jpg 「虎屋菓寮」では、虎屋の和菓子を味わうことができます。

「季節の生菓子」というメニューでは、季節に応じた生菓子が選べます。
 値段は、1134円~です。


菓子の種類には「初時雨」「紅葉焼」「蜜柑餅」など秋にちなむ菓子がありました。その中に「亥の子餅」がありました。


 「亥の子餅」は、最近では、あまり聞きなれない菓子名ですが、江戸検1級を受検された方には印象深い菓子名だと思います。

c0187004_08555127.jpg10月の初めての亥(いのしし)の日は、「玄猪(げんちょ)」と呼ばれました。

この日には、厄除け・厄払いのため餅が食べられました。
 これが「亥の子餅」です。

東都歳事記によれば、この日は諸大名が江戸城に登城し紅白の餅を賜りました。

そして武家では、将軍家にならって紅白の餅が家臣に配られ、町家では、牡丹餅が食べられたと書いてあります。


 虎屋で提供された「亥の子餅」は、右上写真の餅で、東都歳事記に書いてあるような紅白の餅でも牡丹餅でもありませんでした。

説明書きには、「茶道の炉開きに使用されるお菓子で、きな粉、干柿、黒胡麻を混ぜ込んだ生地で餡を包んだもの」と書いてありました。
 東都歳事記には、玄猪の日には「炉開き、炬燵開き」とも書かれています。
 「炉開きに使用されるお菓子」というのが京都らしいと思いました。

 ところで、今年の江戸検1級の書き取り問題に次のような問題が出題されました。

江戸城では、さまざまな年中行事が行なわれました。では、10月に行なわれ、厄除けとして将軍が大名などに餅を与える行事を、何と呼んだでしょう? 漢字2字で書いてください。

 

 もう正解はおわかりだと思いますが、「玄猪」です。

赤印が虎屋菓寮京都一条店です。
ピンクは販売の「とらや一条店」です



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by wheatbaku | 2015-11-18 09:05 | Trackback
江戸検受検者交流会のご案内


 今日は、「江戸検受検者交流会」のご案内です。


 江戸文化歴史検定を受検された皆様、お疲れ様でした。

 受検の結果は、80点を超えて合格見込みの方、80点には届かなかったけれども今年の目標はクリアした方、残念な結果に終わった方と各人各様であったことと思います。

 自己採点で80点以上だった方は喜び一杯のことだろうとお慶び申し上げます。

 一方、残念な結果に終わられた方は、大変悔しい思いだろうと推察したします。

 残念な結果に終わられた方は、少しゆっくりされ、英気を養ったうえで、再度、挑戦をしていただきたいと思います。

 今年の夏、毎日文化センターで「江戸検講座」を開講しました。

それを受講していただいた皆様から、昨年と同じような「江戸検受検者交流会」を開いて欲しいとご要望をいただきました。

 そこで、

12月20日(日)に
「江戸検受検者交流会」を開催します

 詳細は下記をご覧ください。

 この会は、江戸検合格を目指して頑張ってきた人や頑張っている人と知り合いになっていただき、情報交換していただき、お互いに元気も交換しようという会です。

 また、今年江戸検に挑戦してめでたく合格の栄冠を勝ち得た方を祝福する会であるとともに今年不合格であっても来年に向けてお互いに頑張ろうという気持ちになろうという会でもあります。

 

 この交流会は合格・不合格関係なくご参加いただけます。また、初めての方でも気軽に交流できる会だと思います。

昨年は、参加者の半分ほどがこうした会に初めて参加する方でしたが、そうした方々にも大変喜んでいただきました。
(昨年の様子はこちらご覧ください。)

 今年も大勢の江戸検を受検された方のご参加をお待ちしております。

是非ご参加ください。

【江戸検受検者交流会】

 1、開催日   12月20日(日曜日)

 2、時 間   午前12時~午後3時頃

 3、場 所   隨園別館新丸ビル店

(東京駅前の新丸ビル5階)

         会場の詳細はぐるなびをご覧ください 
          ⇒ 随園別館

 4、会 費   5500円(当日に会場でお支払ください)

 ご参加を希望される方は、事前申込制ですので下記の別ページをご利用いただきご参加申込をしていただきますようお願いします。

  

「江戸検受験者交流会」開催のご案内



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by wheatbaku | 2015-11-16 07:06 | Trackback
三千院・龍安寺・仁和寺の紅葉(京都旅行②)

 京都では、東福寺以外の有名な寺社も拝観してきました。

 今日は、大原三千院、衣笠の龍安寺と仁和寺の紅葉の様子を書いていきます。

 三寺院の紅葉は、東福寺ほど進んでいませんでしたが、それでも紅葉した木々が見られ、秋の京都を十分楽しむことができました。

大原三千院 

 大原三千院には、11日(火)の午前中に行っていきました。

 三千院は、天台五門跡の一つで、最澄が比叡山に建てた草庵がその始まりです。

明治になって、現在地が本坊となりました。

三千院の境内入り口にたつ石標脇の紅葉は真っ盛りでした。

c0187004_10441048.jpg

三千院では国宝「阿弥陀三尊像」が有名です。

その「阿弥陀三尊像」が納まる「往生極楽院」周辺の木々も紅葉していました。

c0187004_10442714.jpg


龍安寺

 龍安寺には、11日(火)の午後行ってきました。

 有名は石庭周辺の木々は、まだ紅葉していませんでした。

 龍安寺の石庭は東西25メートル、南北10メートルの広さで、実物は写真でみるより狭いのですが、石庭が有名な割には観光客が予想外に少なくて、ゆっくりと石庭を楽しむことができました。 

c0187004_10443516.jpg

 石庭のある庫裏に向かう道の木々の中にはしっかり紅葉しているものもありました。 


c0187004_10444721.jpg

仁和寺

 龍安寺の後、仁和寺まで歩いていきました。

 金閣寺から仁和寺までの道は「きぬかけの路」と呼ばれています。

 この道は、歩道もしっかりしていて安心して歩くことができました。

徒歩約10分で仁和寺に到着しました。バスを待っているより早かったです。

 仁和寺は、御室御所とも呼ばれ、皇族が住職となった由緒ある寺院です。

 それは、大きな仁王門を見ただけでわかります。
 仁王門は、幅が約19メートル、高さが約20メートルもある堂々たるものです。

c0187004_12470933.jpg

 門跡寺院であった面影を残す建物が、仁王門を入るとすぐ左手にある宸殿です。
 宸殿の庭園は、南庭と北庭とあります。北庭は五重塔を遠景としていますが、木々が色づき始めていました。
c0187004_10445544.jpg

 重要文化財の五重塔は、寛永年間に建立されたものです。

上層から下層にかけて各層の幅にあまり差が見られない姿が特徴だそうです

 五重塔の手前の木々が紅葉していて、紅葉した木を近景とした五重塔が見事でした。

c0187004_10450780.jpg




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by wheatbaku | 2015-11-14 10:30 | Trackback
東福寺通天橋の紅葉(京都旅行①)

 一昨日と昨日、京都に旅行に行ってきました。

 京都へは、今年の夏に祇園祭を見に行く計画を立てていましたが、台風の影響で取りやめていましたので、ようやく計画が実現しました。

 今回の京都旅行は、調べ事があるわけでもなかったので、気ままに京都を楽しんできました。

 

 京都は、全体的には紅葉シーズンの始りという時期でしたが、随所で紅葉を楽しむことができました。

 大勢の観光客でごった返しているかとも思いましたが、まだ、シーズン開始直後の平日ということもあって、比較的すいていたように思います。

 

 今日は、拝観した寺社のうち、京都有数の紅葉の名所である東福寺を紹介します。

 東福寺には、12日(木)午後に訪ねました。

 東福寺の通天橋は、京都の紅葉の名所の一つですが、ここは見ごろを迎えていました。

c0187004_10281943.jpg

 通天橋は拝観料400円を払って渡ることができます。
 下の写真は、通天橋を渡った後に下から写した通天橋です。


c0187004_10282896.jpg


通天橋の下を流れる三ノ橋川沿いの紅葉の様子です。

c0187004_10284110.jpg

 東福寺は摂政九条道家が,奈良における東大寺と興福寺になぞらえようと「東」と「福」の字を取って命名したといわれています。


国宝の三門は、応永年間に室町幕府4代将軍の足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古最大のものと言われています。
 幅約約25・5メートル、高さ約22メートルあるそうです。

c0187004_10284923.jpg
 

 三門も大きいのですが、仏殿(本堂)も大きかったです。

 この仏殿(本堂)は、明治14年(1881年)に焼けた後、昭和9年に再建されたものです。

高さ25.5メートル、間口41.4メートルの大きな堂で、昭和期の木造建築としては最大のものだそうです。

c0187004_10404150.jpg

 この他、東福寺には方丈庭園等見どころが一杯あるのですが、時間の関係で、拝見できなかったのが残念です。









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by wheatbaku | 2015-11-13 09:45 | Trackback
  

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