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第1回「幕末・維新 これは覚えてね!」模試正解

1回「幕末・維新 これは覚えてね!」模試正解

今日は、月曜日に出題した第1回「幕末・維新 これは覚えてね!」模擬試験の正解を発表します。

 解説の最後に、先日紹介した参考図書『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』と『カラー版徹底図解 幕末・維新』の該当ページを付記しましたので、勉強の参考にしてください。

1、②坂下門外  

 老中安藤信正は、井伊大老が桜田門外の変で暗殺された後、幕政運営の中心となり、公武合体策を推進しました。

 そして、孝明天皇の妹和宮の降嫁を実現し、和宮は文久元年10月20日に京都を出発し11月15日に江戸に着きました。

 そして、文久2年2月に婚儀が行なわれる予定となっており、その直前に坂下門外で水戸藩浪士たちにより襲撃されました。

 安藤信正の屋敷は、西の丸下にあり、屋敷の至近距離で襲撃されました。

 桜田門外の変の教訓から、幕閣の警護が厳重になっていたため、殺害されることはなく負傷だけにとどまりましたが、幕府の権威が落ち、3か月後の4月には安藤信正自身も老中を罷免されました。

『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』p78

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p66

2、①奄美大島  

 西郷隆盛は、2度島流しとなっています。

 安政の大獄の猛威が荒れ狂っている時に、西郷隆盛は僧月照とともに京から薩摩に逃げてきて、錦江湾で入水自殺を図り、西郷隆盛だけが助かりました。

そして、薩摩藩は、西郷隆盛の名前を菊池源吾と変え、奄美大島に流します。これは幕府の追及から西郷隆盛を救うための処置と言われています。これが1度目です。

 そして、奄美大島で2年ほど過ごした後、許されて鹿児島に帰ってきました。

 しかし、それから間もなく、島津久光の怒りに触れて、再び島流しとなっています。

選択肢②徳之島は文久2年に2度目の流罪となった際に最初に流された島です。③沖永良部島は、西郷隆盛が2度目の流罪の時に最終的に流された島です。

④喜界島は、西郷隆盛を慕い西南戦争まで行動を一緒にした村田新八が流されていた島です。

『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』p64

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p49

3、③寺田屋

 島津久光は、薩摩藩主島津斉彬の異母弟です。

 斉彬が急死した後、久光の子供忠義が藩主となりましたが、久光が藩政の実権を握っていました。

 島津久光は、幕政を改革しようという斉彬の遺志を奉じて、兵を率いて上洛しました。

 この久光の上洛を機に、京都にいた急進尊王攘夷派の人々は、挙兵しようとしていました。

しかし、久光にはその考えは全くなく、薩摩藩の藩士を暴発を抑えようとして、藩内の剣客を説得に向かわせました。
 しかし、寺田屋に集合していた有馬新七らは、説得に応じなかったため、彼らを上意討ちにしました。

 これが寺田屋事件です。

 寺田屋事件と呼ばれる事件は二つあります。
 一つが、この事件です。もう一つが、慶応元年に坂本龍馬が伏見奉行所の捕吏に包囲されたもののお龍の機転で危うく難を逃れた事件です。

選択肢は、すべて、幕末に事件がおきた店です。

選択肢①近江屋は坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された醤油屋です。

②池田屋は新選組が尊攘志士たちを襲撃した旅籠です。

④天満屋は、海援隊や陸援隊と紀州藩士三浦久太郎を護衛する新選組が戦った旅籠です。

『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』p84  

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p72

4、①大老  

松平春嶽は、越前藩松平家16代藩主でした。越前松平家は御家門と呼ばれ、将軍家の親族でした。

 大老は、幕府の最高位の役職ですが、あくまでも将軍家の家臣が就任する役職です。

そのため、御家門の松平春嶽が就任するにはふさわしくありませんでした。そこで、政治総裁職という役職が新設されました。

『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』p87 

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p75

5、 ②会津藩 
松平容保は、高須藩主松平義建の七男として生まれました。

そして、会津藩主松平容敬の養子となりました。養父の松平容敬も高須藩関係者でした。

松平義建の子供たちは皆優秀で、それぞれが藩主となっています。

①尾張藩主となった徳川慶恕(よしくみ、のち慶勝に改名)は次男、③桑名藩主松平定敬は九男。④高須藩主となった松平義比は五男で、後に尾張藩主となり、最終的には一橋家当主となりました。

 この四人が「高須四兄弟」と言われます。

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p76

6、④清河八郎
 文久2年には、京都では、尊攘派のテロが頻発していました。
 当時テロは「天誅」と呼ばれ、安政の大獄で幕府の弾圧に協力した人、公武合体運動に協力した人たちが狙われました。

 このように大変乱れていた京都の治安維持を図るために京都守護職が設けられました。

 こうした情勢下で、清河八郎が、江戸の浪士を集めて、京都に送り、京都の浪士を抑えるよう献策をしました。

この献策を幕府が取り上げ、浪士組の結成さえることになりました。これに近藤勇たちが応募しました。

『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』p90  

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p79

7、④試衛館

近藤勇は調布の百姓宮川久次郎の三男でしたが、天然理心流の近藤周助に剣術を習い、その養子となり近藤姓を名乗りました。

 そして、近藤周助が道場主であった試衛館を継ぎ道場主となりました。 

 選択肢①玄武館は北辰一刀流の千葉周作が開いた道場で、清河八郎が玄武館で修業しました。 

②練兵館は神道無念流の斎藤弥九郎が開いた道場で桂小五郎が塾頭を勤めたことがあります。 

③士学館は桃井春蔵の道場で武市瑞山が塾頭を勤めていました。 

  

『オールカラーでわかりやすい! 幕末・明治維新』p93110 

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p79

8、②東禅寺

開国後、外国の公使館として、江戸市中のお寺が使用されました。その最初となったのが、アメリカ公使館となった麻布善福寺です。そして、イギリスの公使館が高輪東禅寺に置かれました。

 この東禅寺が文久元年と文久2年の二度襲われました。

 文久元年は、水戸藩脱藩浪士、文久2年は松本藩士に襲われました。

 

 ①善福寺はアメリカ公使館が、③済海寺(さいかいじ)はフランス公使館が、 ④西応寺はオランダ公使館が置かれました。

 

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p70

9、③長州藩

8問の解説に書いたように、文久元年以降、外国人に対する襲撃事件が頻発しました。警備の人たちがいる公使館でさえ襲撃されたことから、従来公使館として使用されていた寺院では防備が不十分であるとして、各国公使は安全な公使館の建設を要請しました。

 それに応えて、幕府は、公使館を建設することにしました。いくつかの候補地のうちから、最終的に品川の御殿山が建設場所となりました。

 そして、イギリス公使館が、最初に完成の運びとなりました。

 その完成間近の公使館を長州藩士が襲撃し放火しました。

これによりイギリス公使館は焼失し、その他の公使館の建設も中止されました。

 襲撃した長州藩士は、松下村塾で吉田松陰の薫陶を受けた人たちが中心でしたが、その人物名は、それぞれお調べください。有名人ぞろいです。

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p70

10、①武市瑞山

 吉田東洋は、山内容堂によって抜擢され、参政として強力に藩政改革を主導しました。一時、失脚していましたが、参政として復活しました。

 これに対して、保守派と勤王党が手を結び、吉田東洋の失脚をめざしました。

 そしてついに文久2年4月に暗殺してしまいました。

これを指示したのは土佐勤王党の武市瑞山と言われています。

瑞山は号で、半平太が通称です。通称の半平太の方が有名かもしません。

なお、武市瑞山は、「市」と書きます。当初の問題文で「智」と書いてあり間違っていました。

もし記述問題として出題されていたら不正解でしたね。失礼しました。

『カラー版徹底図解 幕末・維新』p105



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by wheatbaku | 2017-02-22 23:59 | Trackback
第1回「幕末・維新 これは覚えてね!」模擬試験

1回「幕末・維新 これは覚えてね!」模擬試験


 江戸検今年のお題「幕末・維新を駆け抜けた人びと」は、幕末・維新が対象ですが、幕末・維新は難しいという声があります。


 そこで、幕末・維新に関する基礎的な知識に関する模擬試験問題を、これから月1回程度、10問ずつ、合計100問をブログにアップしていこうと思います。

 出題する問題のレベルは「これは基礎的知識ですので覚えてください」というレベルです。

 江戸検を受ける方は、こうした知識をベースにさらに深めていってください。

 模擬試験が、「幕末・維新」の勉強にお役に立てば幸いです。


 第1回は、文久2年に起きた出来事に関する模擬試験を出題します。

 お題の出題範囲は新選組結成から戊辰戦争終結までとなっていますので、文久3年から明治2年までということになりますが、文久2年のできごとを理解していないと新選組結成の背景がわからないと私は思っています。

 ですから、できれば文久2年から勉強したほうとよいと考えるからです。



1、文久2年正月に老中安藤信正が尊攘派の水戸浪士たち6名に襲われ負傷した場所はどこでしょう?


①桜田門外  ②坂下門外  ③桔梗門外  ④西の丸大手門外  


2、文久22月、流罪中であった西郷隆盛が赦免されて鹿児島へ帰ってきました。

 西郷隆盛は、それまで、どこに流されていたでしょう?


①奄美大島  ②徳之島  ③沖永良部島  ④喜界島


3、島津久光の上洛にあわせて、尊王攘夷派の志士たちが倒幕のため兵を挙げようと計画しました。これに対して島津久光は、家臣を説得に向かわせましたが、説得に応じない志士たちを殺害しました。

この事件が起きた宿の名前は次のうちどれでしょう?


①近江屋  ②池田屋  ③寺田屋  ④天満屋



4、島津久光は上洛した後、勅使大原重徳とともに江戸に下り、幕府に幕政改革を迫った結果、一橋慶喜が将軍後見職、松平春嶽が政治総裁職となりました。

 それでは、松平春嶽が就任した政治総裁職は新設された役職ですが、それは次の役職のうちどれにあたるものでしょう?


①大老  ②老中  ③京都所司代  ④若年寄 
 


5、京都守護職は京都の治安維持を目的に設置された役職ですが、文久2年閏8月に京都守護職に就任した松平容保はどこの藩主だったでしょう?


①尾張藩  ②会津藩  ③桑名藩  ④高須藩


6、新選組の前身となる浪士組は江戸の浪士たちを集めて京都で乱暴を働く浪士たちを鎮圧するため結成されました。それでは、このことを幕府に献策したのは誰でしょう?


①松平上総介  ②鵜殿鳩翁  ③山岡鉄舟  ④清河八郎  



7、新選組局長として有名な近藤勇は調布の百姓の三男でしたが、天然理心流の近藤周助の養子となり近藤姓を名乗りました。それでは、近藤勇が道場主であった江戸の道場の名前は何というでしょうか? 


①玄武館  ②練兵館  ③士学館  ④試衛館 



8、イギリス公使館が置かれたため、二度にわたって攘夷派の人々に襲撃された高輪の寺院は次のうちどれでしょうか?



①善福寺  ②東禅寺  ③済海寺(さいかいじ) ④西応寺  



9、品川の御殿山に幕府は、イギリス、アメリカ、フランス、オランダの四か国の公使館を建設する計画を立て、イギリス公使館が最初に着工され、文久2年12月にはほぼ完成しました。

 この完成間近のイギリス公使館を襲撃したのは、次のうち、どの藩の藩士でしょう?


①水戸藩  ②薩摩藩  ③長州藩  ④土佐藩  



10、文久2年4月に土佐では藩政を握っていた吉田東洋が暗殺されました。

 暗殺したのは尊攘派の土佐勤皇党だと言われています。
 それでは、土佐勤皇党の中心人物は次のうち誰でしょう?


①武瑞山  ②後藤象二郎  ③板垣退助  ④岩崎弥太郎


正解と解説は、次回アップします。

以 上




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by wheatbaku | 2017-02-20 10:16 | 『幕末』 | Trackback
「幕末・維新」参考図書 ②

 江戸検お題「幕末・維新を駆け抜けた人びと」の参考図書の続きです。

 前回は、少しやさしくて幕末をあまりとくいとしない人でも取り組みやすい参考図書を紹介しましたが、今日は少しレベルの高い本を紹介します。

 

3、上級編(かなり知っている人用)

 幕末・戊辰戦争について、かなり知っていて、それを深めていきたいというレベルの参考図書です。

c0187004_14462235.jpg『日本の歴史19 開国と攘夷』(小西四郎著 中公文庫)

 「日本の歴史」シリーズは、出版当時、ベストセラーとなり、現在も出版されている名著と言ってよい本だと思います。
 
私が江戸検を受検した10年前にも読んで、基本的な幕末知識のベースとなっているものです。

この本では、開国から王政復古まで書かれていますが、戊辰戦争は次の「明治維新」(井上清著)に書かれていますので、ご注意ください。




c0187004_14462646.jpg『日本の近代1 開国・維新』(松本健一著 中公文庫)

松本健一氏は麗澤大学教授です。

「日本の歴史」シリーズと同じように通史ですが、ペリー来航から現代までを描いた「日本の近代」シリーズの第1巻です。

2012年に出版されたもので、ペリー来航から岩倉使節団出発までが書かれています。






c0187004_14463492.jpg『幕末史』(佐々木克著 ちくま新書)

佐々木克氏は京都大学名誉教授です。

ペリー来航から条約改正交渉まで書いた通史ですが、戊辰戦争については触れられていません。

下記の同じく佐々木克氏の「戊辰戦争」と合わせて読むと、今年のお題の範囲をカバーすることになります。


 以上の参考図書は、幕末全体について書かれたものです。

 戊辰戦争について書いた本を次に紹介します。




c0187004_14463819.jpg『戦争の日本史 戊辰戦争』(保谷徹著 吉川弘文館)

この本は、戊辰戦争についてだけ書いてあります。

「戦争の日本史」シリーズのうちの一冊ですので、軍事史の側面が強い本です。

 そのため、兵器や兵站等についても触れられていますが、個々の戦いは軍事史ですので詳しく書かれています。


4、掘り下げ編(戊辰戦争論について論じている)

 戊辰戦争については、その性格をめぐり戦前から論争があり、現在も論争が続いているそうです。

 以下にあげる本は、その戊辰戦争論の論争の中心となっている本です。

 そのため、論争をしている部分があり、そこが論争になっているのかということがわかります。

c0187004_14464170.jpg 私自身は、そうした点を興味深く読みましたが、江戸検の受検対策としては戊辰戦争論の論争までは必要ないかもしれません。


『戊辰戦争 敗者の明治維新』(佐々木克著 中公新書)

 前述の『幕末史』をかいた佐々木克氏が書いた本です。

 佐々木克氏は秋田県出身ということから、奥羽列藩同盟の立場を重視した姿勢で書かれています。一例として「同盟軍」という言葉が使用されています。まさに副題の「敗者の明治維新」の通りです。

また、戊辰戦争の性格について言及している部分もあります。

 前述の佐々木克氏『幕末史』とあわせて読むとかなりハイレベルの勉強ができると思います。


c0187004_14464527.jpg『戊辰戦争論』(石井孝著 吉川弘文館)

 石井孝氏は東北大学教授などを歴任した研究者です。

この本は、1984年に発刊され、復刊されたものが現在販売されています。

 この本は、原口清氏の『戊辰戦争』(塙書房)と佐々木克氏の『戊辰戦争』への批判として世に問うたとはしがきに書いてあります。

 そのため、ところどころに前述の佐々木克氏への批判が書かれています。

 しかし、そうした部分を除けば戊辰戦争の経緯についてかなり詳しく書いてあるので学べるところも数多くあります。

この際だから戊辰戦争について深く勉強したいという方にはおもしろい本だと思います。

以上2回にわたって江戸検今年のお題「幕末・維新を駆け抜けた人びと」の参考図書を紹介しましたが、一度手に取ってみて、ご自身の知識レベルに合わせた本をお選びください。



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by wheatbaku | 2017-02-16 14:36 | Trackback
「幕末・維新」参考図書①

日曜日に開講した獏塾公開講座では、開講前に塾生の皆さんから参考図書を紹介して欲しいという依頼がありましたので、いくつかの参考図書を紹介しました。

江戸検の今年のお題は「幕末・維新を駆け抜けた人々」ですので、幕末と戊辰戦争に関する本を紹介しました。

幕末については、激動の時代であったため、「非常におもしろい」という人がいる一方で「幕末は複雑で全くわからない」という人がいて、非常に幅があります。

「おもしろい」という人は男性に多いように思いますし、「難しい」という人は女性に多いように思います。

c0187004_10490114.jpgこのように、江戸検を受検される皆さんでも、幕末・維新に関して現在もっている知識のレベルはそれぞれ様々ですので、誰にでもあてはまる参考図書を紹介するというのはなかなか難しいと思います。

 一応、私なりにレベル分けして紹介しますが、一度、手に取って内容を確認してから入手していただいたほうがよいと思います。

 今日は、初級レベルと中級レベルと思われる本を紹介します。上級レベル以上は次回紹介します。

1、初級レベル(ほとんどわからない人用)

 幕末・維新がわからない人には図解されていて、解説もコンパクトのものが良いと思います。

c0187004_10485751.jpg 次の二つの本は、書店やアマゾンで入手できますし、楽しみながら読めると思います。

『オールカラーでわかりやすい!幕末・明治維新』(西東社)(右上写真)

『カラー版徹底図解 幕末・維新』(新星出版社)(右写真)


どちらが良いかは、読者の皆さんの好みだと思いますが、挿絵は『オールカラーでわかりやすい!幕末・明治維新』の方がソフトで、『カラー版徹底図解 幕末・維新』は劇画調です。


2、中級編(ある程度知っている人用)

 幕末・維新について知識があると思う人は次の本から読んでもよいと思います。


c0187004_10485285.jpg『幕末史』(半藤一利著 新潮文庫) 

 この本は、作家の半藤一利さんが、慶応丸の内シティキャンパスの特別講座で講義した内容をまとめたものです。

 そのため、文章は口語体となっていますし、人名にも「さん」がつけられていたりします。

 ですから、堅苦しい文章は苦手という人には読みやすいと思います。

 ただ、半藤さんはお父様が長岡生まれだそうで、佐幕派的立場で書かれています。



c0187004_10484801.jpg『幕末・維新―シリーズ日本近現代史①』(井上勝生著 岩波新書)

井上勝生氏は北海道大学の教授です。

幕末の通史が150ページという少ないページ数の中にコンパクトに書かれています。

幕末について一定の知識のある方は、一気に読めると思います。

この本では、過去に江戸検1級に出題された幕末問題についても書かれていますので、一度読んでみても良いと思います。

ただし、戊辰戦争については2ページしか触れられていませんのでご注意ください。


c0187004_10484497.jpg『すっきり読める奔流の時代幕末維新』(青山忠正著 新人物文庫)

 青山忠正氏は、この本を書いた当時は佛教大学の教授をされていた研究者ですが、この本は研究書としてだけなく読み物として書いたそうです。

文庫ですので、幕末の知識がある程度ある方であれば、なんなく読めると思います。

上級編いじょうについては次回紹介します。


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by wheatbaku | 2017-02-15 10:40 | Trackback
獏塾公開講座開講しました

 昨日、獏塾公開講座「たった90分でわかる戊辰戦争」が無事終わりました。

 この講座は、江戸検の今年のお題「幕末・維新を駆け抜けた人びと」の準備対策講座として開講しました。

 昨日は、獏塾塾生と一般参加の人を合せて総計48名の方が一人も欠席せずご参加いただきました。

会場に冷房を入れざるえないぼど熱気あふれる講座となりました。

ご参加いただいた皆様ありがとうございました。

 講座は、主に①幕末 ②戊辰戦争 ③今年の江戸検対策の三点を中心としてお話しました。

c0187004_21363627.jpg 幕末については、ペリー来航から王政復古の大号令までについて、時代の流れを理解しながら勉強することが大切だということを強調してお話しました。

 戊辰戦争については、①渡場伏見の戦い、②上野戦争、③北越戦争、④会津戦争、⑤箱館尊総について、地図等も使用して個別に戦いの推移についてお話しました。

 90分という短時間で幕末・戊辰戦争の基礎を理解していただこうとしましたので、ハイスピードで時代の流れを追っていきました。

 大急ぎでやった割には、初心者にも幕末・戊辰戦争が理解できたというありがたい声をいただきました。

 また、幕末・戊辰戦争の知識のある参加者からも大変わかりやすい内容で参考になったとおほめの言葉をいただきました。

 始まるまでは不安でしたが、それなりに好評だったようで、ほっとしています。

c0187004_21364194.jpg 講義後は、いつも懇親会です。 40名を超える大所帯での懇親会でしたが、今回は初めて参加される方もいて、新鮮さもあって、大いにもりあがりました。

 結局、今回も2次会までいって、帰宅は深夜となってしまいました。

 でも、楽しい一日でした。
 懇親会そして二次会に参加いただい皆様ありがとうございました。






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by wheatbaku | 2017-02-13 21:34 | Trackback
浜松藩井上家のお墓
 今度の日曜日は獏塾の公開講座で「戊辰戦争」について講義します。
 そのため、今週は講座の準備で大わらわです。
 そのため、ブログの更新もままならない状況ですが、あまり更新しないのもよくないので、更新しました。

 今日は、雑司が谷の本納寺に眠る井上井上正就についてご案内します。
c0187004_09561523.jpg 本納寺は、慶安3年(1650)、威光山法明寺の御住職によって創建されました。

本堂(右写真)裏側の墓域の中に、浜松藩井上家の墓所があり、初代清秀から4代正利までお墓があります。


井上正就は、初代清秀の三男として生まれました。

c0187004_09562023.jpg右写真の左端が初代清秀の墓で、右から2番目が正就の墓です。
 正就は、若い頃から2代将軍秀忠の傍に仕えました。

元和元年には1万石の知行を賜り、小姓組の番頭となり、大坂の陣でも手柄を立てています。

元和8年に加増があり、5万2500石で横須賀城を賜っています。そして、この時に老中となりました。


しかしながら、寛永5年、老中在任中に江戸城西の丸において,目付豊島信満に殺害されました。

江戸城内での刃傷事件としては、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた事件が大変有名ですが、これ以外にも江戸城内の刃傷事件は数回おきています。
 豊島信満による井上正就の殺害は、江戸城内でおきた最初の刃傷事件です。

原因は豊島信満が一旦まとめた正就の嫡子・正利の縁組が破談とされたことを恨んだためといわれています。

豊島信満もその場で自害し、豊島家は断絶となりました。

なお、豊島信満の家柄は、前回ご案内した豊島忠次の豊島家とは別流のようです。

 井上家は特にお咎めはなく、正就の嫡男正利に家督が継がれています。







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by wheatbaku | 2017-02-09 09:44 | Trackback
豊島氏の墓(絵島のお祖父さんの墓)

 今日は、雑司が谷の法明寺に眠る豊島氏について書いていきます。

 法明寺は、日蓮宗のお寺です。

 寺伝によれば、平安時代の弘仁元年(西暦810年)に創建されたお寺で創建以来1200年がたつという古いお寺です。もとは真言宗のお寺で威光寺として創建されました。

c0187004_10381106.jpg 鎌倉時代の正和元年(1312年)、日蓮聖人のお弟子で中老僧の一人、日源上人が日蓮宗に改宗、威光山法明寺と寺号を改めました。

 江戸時代には、徳川3代将軍・家光から御朱印を受けていたそうです。

昭和20年戦災により全山焼失、昭和34年に本堂を再建しました。

(右上写真が本堂です)

前回書いたように雑司が谷鬼子母神は法明寺の境内です。

 この法明寺の墓域に、豊島氏の墓地があります。

 豊島氏は、桓武平氏の一族と言われています。

c0187004_10382195.jpg 桓武天皇の曾孫の高望王が上総介となります。その高望王の曾孫の常将が秩父を本拠として秩父氏を名のります。この常将の子供に武基と武常がいて、武基が秩父氏本家を継ぎ、ここから畠山氏、河越氏、江戸氏など出ました。

 弟の武常から豊島氏がでました。そして、葛西氏もここから出ています。

 武蔵国豊島郡を支配することになったため、豊島氏と名のったと考えられています。

 平安朝の末期から、鎌倉、室町時代にかけて、現在の豊島区、板橋区、練馬区、北区辺りにかけて勢力をもっていた一族でした。

 豊島氏の初期の拠点は豊島郡の平塚でしたが、後に石神井城が本拠となります。

 鎌倉時代には、土佐守護職に任命されるほど栄えましたが、時代が下り、戦国時代末期の、文明10年(1478)太田道灌に、石神井城を攻め落され滅びました。

 インターネットで検索すると、法明寺の豊島氏のお墓は、大田道灌に攻め滅ばされた豊島氏のその生き残りで、徳川氏に仕えて八丈島の代官になった豊島忠次を中心とした一族の墓となっています。

 豊島忠次について寛政重修諸家譜に記載されています。

 寛政重修諸家譜によれば、豊島忠次は次のように書かれています。

 天正19年から徳川家康に仕え、代官となり200石を拝領した。大坂の陣の際に、天竜川の船奉行をつとめ、のち八丈島の代官となる。寛永20年3月13日に死去し雑司が谷法明寺に葬る。

 以上から、法明寺に豊島忠次が埋葬されたのは事実のようです。

c0187004_10381613.jpg しかし、法明寺の豊島氏墓地とされている場所の中央には、没年が異なる墓碑が建てられています。

 墓碑銘は高雲院宗園となっていて、寛文12723日没となっています。

 どうも別人のようです。

 この人物については、墓碑の脇にある墓誌に、白井平兵衛尉勝久(徳川家継生母月光院付大年寄絵島の祖父)と書かれています。

 寛政重修諸家譜に白井勝久も書かれていました。

 白井勝久は、豊島忠次の四男で、寛永9年に小十人に列し、正保2年組頭となり、寛文5年本理院(家光の正室)に仕え200石を賜る。寛文12723日没し、法名日勝、雑司が谷法明寺に葬るとされています。

 墓誌のとおりです。

 そして、さらに寛政重修諸家譜を見ると、白井勝久の孫に次のような記載があります。

女子 大奥に仕え、のち月光院(家継母勝田氏)の老女となり、絵島と称す。

さらに次のように続きます。
正徳四年二月二日重き勤めに在ながら、東叡山及び増上寺に詣でて帰る時に、老女宮路としめし合せ.其余の侍女をも伴ひ、狂言座

に至りて見物し、暮に及びて帰りし始末重科にも処せらるべしと雖も、是を宥められて親族にめし預けらる。三月五日絵島こと漸々昇進して老女にいたり.あまたの侍女の上にも列なりながら、うちうちにては其行ひ正しからず。御使に出るおりおり、或は請ふで

宿に在るのいとま、人の貴賤をも撰ばすよからぬ者どもに相ちかづき、またはゆかりなき家に止宿し.しかのみならす狂言座の者に親しむことその身のみにあらず、同仕の侍女をも勧め遊興に耽るの條、その罪軽からすといへども、死荊を宥められ、信濃国高邁に配

流せられ。内藤駿河守清枚にめしあづけらる。      

 まさに絵島生島事件の大奥年寄絵島です。

 絵島が白井氏の出であることは知っていましたが、白井氏が豊島氏の一族で、また絵島のお祖父さんが雑司が谷の法明寺に眠っているとは、思ってもいませんでしたので、新たな発見でうれしくなるやら驚くやらでした。



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by wheatbaku | 2017-02-06 10:25 | 大江戸散歩 | Trackback
雑司が谷鬼子母神堂

獏塾江戸散歩のレポートを4回ほど行っていた関係で雑司が谷の記事が飛んでしまいましたが、今日からいくつか雑司が谷関係の記事を書いていきます。

雑司が谷で江戸時代から大きなお寺は法明寺です。ここには豊島氏などが眠っています。

 それらをご案内する前に、有名な鬼子母神(きしもじん)堂も法明寺の境内にありますので、今日は鬼子母神堂をご案内します。

雑司が谷で最も有名なものは俗に「雑司が谷の鬼子母神(きしもじん)様」とよばれている法明寺の鬼子母神堂です。

c0187004_11154735.jpg鬼子母神堂の本堂は、本殿が寛文4年(16644代将軍徳川家綱の代に加賀藩の3代藩主前田利常の娘で、安芸国広島藩浅野家2代藩主(浅野宗家としては3代目)浅野光晟に嫁いだ満姫(自昌院殿英心日妙大姉)の寄進により建立されたものです。

その後 拝殿と幣殿(相の間)が元禄13年(1700)に建立されました。

拝殿は桁行17.86メートル、梁間11.81メートルある入母屋造りの大きな建物です。

 鬼子母神堂は、昨年(平成28年)7月25日、国の重要文化財に指定されました。

 鬼子母神(きしもじん) について説明します。
c0187004_11155156.jpg 鬼子母神の石像が鬼子母神堂の北側に安置されていますが、女性の神様です。(右写真)

鬼子母神はインドの神様で訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、多くの子供がいました。

しかし大変乱暴な神様で、人間の子供たちをとって食べるので、人々から恐れられました。

お釈迦様は、その過ちをやめさせるため、鬼子母神が大変かわいがっていた末っ子を隠してしまいました。

その時の鬼子母神は大変嘆き悲しみました。

そこで、お釈迦様は、「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。

そこで鬼子母神ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となり、人々から崇拝されるようになったとされています。

c0187004_11154437.jpg鬼子母神は、「鬼」という字が入っていますが、前述のとおり恐ろしい「鬼」ではないということから、角(つの)のつかない「鬼」の字が使われています。

鬼子母神堂の額も角のない「鬼」が書かれています。(右写真)

鬼子母神堂にお祀りされている鬼子母神像は、室町時代の永禄4年(1561116日、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)辺りより掘りだし、星の井(清土鬼子母神境内にある三角井戸)あたりでお像を清め、東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に納めたものだそうです。

東陽坊の一僧侶が、その霊験顕著なことを知って、ひそかに像を自分の故郷に持ち帰ったところ、意に反してたちまち病気になったので、その地の人々が大いに畏れ、再び東陽坊に戻したとされています。

c0187004_11154213.jpgその後、安土桃山時代の天正6年(1578)『稲荷の森』と呼ばれていた現在鬼子母神堂がある場所に、村の人々がお堂を建てました。

そのお稲荷さんが何時の頃に創建されたものかはっきりしませんが、鬼子母神堂のあるあたりの地主神だったようです。そのお稲荷さんは、現在も「武芳稲荷神社」として鬼子母神堂のずぐ近くに鎮座しています。(右上写真)



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by wheatbaku | 2017-02-02 11:05 | Trackback
  

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