「幕末・維新」参考図書 ②

 江戸検お題「幕末・維新を駆け抜けた人びと」の参考図書の続きです。

 前回は、少しやさしくて幕末をあまりとくいとしない人でも取り組みやすい参考図書を紹介しましたが、今日は少しレベルの高い本を紹介します。

 

3、上級編(かなり知っている人用)

 幕末・戊辰戦争について、かなり知っていて、それを深めていきたいというレベルの参考図書です。

c0187004_14462235.jpg『日本の歴史19 開国と攘夷』(小西四郎著 中公文庫)

 「日本の歴史」シリーズは、出版当時、ベストセラーとなり、現在も出版されている名著と言ってよい本だと思います。
 
私が江戸検を受検した10年前にも読んで、基本的な幕末知識のベースとなっているものです。

この本では、開国から王政復古まで書かれていますが、戊辰戦争は次の「明治維新」(井上清著)に書かれていますので、ご注意ください。




c0187004_14462646.jpg『日本の近代1 開国・維新』(松本健一著 中公文庫)

松本健一氏は麗澤大学教授です。

「日本の歴史」シリーズと同じように通史ですが、ペリー来航から現代までを描いた「日本の近代」シリーズの第1巻です。

2012年に出版されたもので、ペリー来航から岩倉使節団出発までが書かれています。






c0187004_14463492.jpg『幕末史』(佐々木克著 ちくま新書)

佐々木克氏は京都大学名誉教授です。

ペリー来航から条約改正交渉まで書いた通史ですが、戊辰戦争については触れられていません。

下記の同じく佐々木克氏の「戊辰戦争」と合わせて読むと、今年のお題の範囲をカバーすることになります。


 以上の参考図書は、幕末全体について書かれたものです。

 戊辰戦争について書いた本を次に紹介します。




c0187004_14463819.jpg『戦争の日本史 戊辰戦争』(保谷徹著 吉川弘文館)

この本は、戊辰戦争についてだけ書いてあります。

「戦争の日本史」シリーズのうちの一冊ですので、軍事史の側面が強い本です。

 そのため、兵器や兵站等についても触れられていますが、個々の戦いは軍事史ですので詳しく書かれています。


4、掘り下げ編(戊辰戦争論について論じている)

 戊辰戦争については、その性格をめぐり戦前から論争があり、現在も論争が続いているそうです。

 以下にあげる本は、その戊辰戦争論の論争の中心となっている本です。

 そのため、論争をしている部分があり、そこが論争になっているのかということがわかります。

c0187004_14464170.jpg 私自身は、そうした点を興味深く読みましたが、江戸検の受検対策としては戊辰戦争論の論争までは必要ないかもしれません。


『戊辰戦争 敗者の明治維新』(佐々木克著 中公新書)

 前述の『幕末史』をかいた佐々木克氏が書いた本です。

 佐々木克氏は秋田県出身ということから、奥羽列藩同盟の立場を重視した姿勢で書かれています。一例として「同盟軍」という言葉が使用されています。まさに副題の「敗者の明治維新」の通りです。

また、戊辰戦争の性格について言及している部分もあります。

 前述の佐々木克氏『幕末史』とあわせて読むとかなりハイレベルの勉強ができると思います。


c0187004_14464527.jpg『戊辰戦争論』(石井孝著 吉川弘文館)

 石井孝氏は東北大学教授などを歴任した研究者です。

この本は、1984年に発刊され、復刊されたものが現在販売されています。

 この本は、原口清氏の『戊辰戦争』(塙書房)と佐々木克氏の『戊辰戦争』への批判として世に問うたとはしがきに書いてあります。

 そのため、ところどころに前述の佐々木克氏への批判が書かれています。

 しかし、そうした部分を除けば戊辰戦争の経緯についてかなり詳しく書いてあるので学べるところも数多くあります。

この際だから戊辰戦争について深く勉強したいという方にはおもしろい本だと思います。

以上2回にわたって江戸検今年のお題「幕末・維新を駆け抜けた人びと」の参考図書を紹介しましたが、一度手に取ってみて、ご自身の知識レベルに合わせた本をお選びください。



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# by wheatbaku | 2017-02-16 14:36 | Trackback
「幕末・維新」参考図書①

日曜日に開講した獏塾公開講座では、開講前に塾生の皆さんから参考図書を紹介して欲しいという依頼がありましたので、いくつかの参考図書を紹介しました。

江戸検の今年のお題は「幕末・維新を駆け抜けた人々」ですので、幕末と戊辰戦争に関する本を紹介しました。

幕末については、激動の時代であったため、「非常におもしろい」という人がいる一方で「幕末は複雑で全くわからない」という人がいて、非常に幅があります。

「おもしろい」という人は男性に多いように思いますし、「難しい」という人は女性に多いように思います。

c0187004_10490114.jpgこのように、江戸検を受検される皆さんでも、幕末・維新に関して現在もっている知識のレベルはそれぞれ様々ですので、誰にでもあてはまる参考図書を紹介するというのはなかなか難しいと思います。

 一応、私なりにレベル分けして紹介しますが、一度、手に取って内容を確認してから入手していただいたほうがよいと思います。

 今日は、初級レベルと中級レベルと思われる本を紹介します。上級レベル以上は次回紹介します。

1、初級レベル(ほとんどわからない人用)

 幕末・維新がわからない人には図解されていて、解説もコンパクトのものが良いと思います。

c0187004_10485751.jpg 次の二つの本は、書店やアマゾンで入手できますし、楽しみながら読めると思います。

『オールカラーでわかりやすい!幕末・明治維新』(西東社)(右上写真)

『カラー版徹底図解 幕末・維新』(新星出版社)(右写真)


どちらが良いかは、読者の皆さんの好みだと思いますが、挿絵は『オールカラーでわかりやすい!幕末・明治維新』の方がソフトで、『カラー版徹底図解 幕末・維新』は劇画調です。


2、中級編(ある程度知っている人用)

 幕末・維新について知識があると思う人は次の本から読んでもよいと思います。


c0187004_10485285.jpg『幕末史』(半藤一利著 新潮文庫) 

 この本は、作家の半藤一利さんが、慶応丸の内シティキャンパスの特別講座で講義した内容をまとめたものです。

 そのため、文章は口語体となっていますし、人名にも「さん」がつけられていたりします。

 ですから、堅苦しい文章は苦手という人には読みやすいと思います。

 ただ、半藤さんはお父様が長岡生まれだそうで、佐幕派的立場で書かれています。



c0187004_10484801.jpg『幕末・維新―シリーズ日本近現代史①』(井上勝生著 岩波新書)

井上勝生氏は北海道大学の教授です。

幕末の通史が150ページという少ないページ数の中にコンパクトに書かれています。

幕末について一定の知識のある方は、一気に読めると思います。

この本では、過去に江戸検1級に出題された幕末問題についても書かれていますので、一度読んでみても良いと思います。

ただし、戊辰戦争については2ページしか触れられていませんのでご注意ください。


c0187004_10484497.jpg『すっきり読める奔流の時代幕末維新』(青山忠正著 新人物文庫)

 青山忠正氏は、この本を書いた当時は佛教大学の教授をされていた研究者ですが、この本は研究書としてだけなく読み物として書いたそうです。

文庫ですので、幕末の知識がある程度ある方であれば、なんなく読めると思います。

上級編いじょうについては次回紹介します。


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# by wheatbaku | 2017-02-15 10:40 | Trackback
獏塾公開講座開講しました

 昨日、獏塾公開講座「たった90分でわかる戊辰戦争」が無事終わりました。

 この講座は、江戸検の今年のお題「幕末・維新を駆け抜けた人びと」の準備対策講座として開講しました。

 昨日は、獏塾塾生と一般参加の人を合せて総計48名の方が一人も欠席せずご参加いただきました。

会場に冷房を入れざるえないぼど熱気あふれる講座となりました。

ご参加いただいた皆様ありがとうございました。

 講座は、主に①幕末 ②戊辰戦争 ③今年の江戸検対策の三点を中心としてお話しました。

c0187004_21363627.jpg 幕末については、ペリー来航から王政復古の大号令までについて、時代の流れを理解しながら勉強することが大切だということを強調してお話しました。

 戊辰戦争については、①渡場伏見の戦い、②上野戦争、③北越戦争、④会津戦争、⑤箱館尊総について、地図等も使用して個別に戦いの推移についてお話しました。

 90分という短時間で幕末・戊辰戦争の基礎を理解していただこうとしましたので、ハイスピードで時代の流れを追っていきました。

 大急ぎでやった割には、初心者にも幕末・戊辰戦争が理解できたというありがたい声をいただきました。

 また、幕末・戊辰戦争の知識のある参加者からも大変わかりやすい内容で参考になったとおほめの言葉をいただきました。

 始まるまでは不安でしたが、それなりに好評だったようで、ほっとしています。

c0187004_21364194.jpg 講義後は、いつも懇親会です。 40名を超える大所帯での懇親会でしたが、今回は初めて参加される方もいて、新鮮さもあって、大いにもりあがりました。

 結局、今回も2次会までいって、帰宅は深夜となってしまいました。

 でも、楽しい一日でした。
 懇親会そして二次会に参加いただい皆様ありがとうございました。






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# by wheatbaku | 2017-02-13 21:34 | Trackback
浜松藩井上家のお墓
 今度の日曜日は獏塾の公開講座で「戊辰戦争」について講義します。
 そのため、今週は講座の準備で大わらわです。
 そのため、ブログの更新もままならない状況ですが、あまり更新しないのもよくないので、更新しました。

 今日は、雑司が谷の本納寺に眠る井上井上正就についてご案内します。
c0187004_09561523.jpg 本納寺は、慶安3年(1650)、威光山法明寺の御住職によって創建されました。

本堂(右写真)裏側の墓域の中に、浜松藩井上家の墓所があり、初代清秀から4代正利までお墓があります。


井上正就は、初代清秀の三男として生まれました。

c0187004_09562023.jpg右写真の左端が初代清秀の墓で、右から2番目が正就の墓です。
 正就は、若い頃から2代将軍秀忠の傍に仕えました。

元和元年には1万石の知行を賜り、小姓組の番頭となり、大坂の陣でも手柄を立てています。

元和8年に加増があり、5万2500石で横須賀城を賜っています。そして、この時に老中となりました。


しかしながら、寛永5年、老中在任中に江戸城西の丸において,目付豊島信満に殺害されました。

江戸城内での刃傷事件としては、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた事件が大変有名ですが、これ以外にも江戸城内の刃傷事件は数回おきています。
 豊島信満による井上正就の殺害は、江戸城内でおきた最初の刃傷事件です。

原因は豊島信満が一旦まとめた正就の嫡子・正利の縁組が破談とされたことを恨んだためといわれています。

豊島信満もその場で自害し、豊島家は断絶となりました。

なお、豊島信満の家柄は、前回ご案内した豊島忠次の豊島家とは別流のようです。

 井上家は特にお咎めはなく、正就の嫡男正利に家督が継がれています。







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# by wheatbaku | 2017-02-09 09:44 | Trackback
豊島氏の墓(絵島のお祖父さんの墓)

 今日は、雑司が谷の法明寺に眠る豊島氏について書いていきます。

 法明寺は、日蓮宗のお寺です。

 寺伝によれば、平安時代の弘仁元年(西暦810年)に創建されたお寺で創建以来1200年がたつという古いお寺です。もとは真言宗のお寺で威光寺として創建されました。

c0187004_10381106.jpg 鎌倉時代の正和元年(1312年)、日蓮聖人のお弟子で中老僧の一人、日源上人が日蓮宗に改宗、威光山法明寺と寺号を改めました。

 江戸時代には、徳川3代将軍・家光から御朱印を受けていたそうです。

昭和20年戦災により全山焼失、昭和34年に本堂を再建しました。

(右上写真が本堂です)

前回書いたように雑司が谷鬼子母神は法明寺の境内です。

 この法明寺の墓域に、豊島氏の墓地があります。

 豊島氏は、桓武平氏の一族と言われています。

c0187004_10382195.jpg 桓武天皇の曾孫の高望王が上総介となります。その高望王の曾孫の常将が秩父を本拠として秩父氏を名のります。この常将の子供に武基と武常がいて、武基が秩父氏本家を継ぎ、ここから畠山氏、河越氏、江戸氏など出ました。

 弟の武常から豊島氏がでました。そして、葛西氏もここから出ています。

 武蔵国豊島郡を支配することになったため、豊島氏と名のったと考えられています。

 平安朝の末期から、鎌倉、室町時代にかけて、現在の豊島区、板橋区、練馬区、北区辺りにかけて勢力をもっていた一族でした。

 豊島氏の初期の拠点は豊島郡の平塚でしたが、後に石神井城が本拠となります。

 鎌倉時代には、土佐守護職に任命されるほど栄えましたが、時代が下り、戦国時代末期の、文明10年(1478)太田道灌に、石神井城を攻め落され滅びました。

 インターネットで検索すると、法明寺の豊島氏のお墓は、大田道灌に攻め滅ばされた豊島氏のその生き残りで、徳川氏に仕えて八丈島の代官になった豊島忠次を中心とした一族の墓となっています。

 豊島忠次について寛政重修諸家譜に記載されています。

 寛政重修諸家譜によれば、豊島忠次は次のように書かれています。

 天正19年から徳川家康に仕え、代官となり200石を拝領した。大坂の陣の際に、天竜川の船奉行をつとめ、のち八丈島の代官となる。寛永20年3月13日に死去し雑司が谷法明寺に葬る。

 以上から、法明寺に豊島忠次が埋葬されたのは事実のようです。

c0187004_10381613.jpg しかし、法明寺の豊島氏墓地とされている場所の中央には、没年が異なる墓碑が建てられています。

 墓碑銘は高雲院宗園となっていて、寛文12723日没となっています。

 どうも別人のようです。

 この人物については、墓碑の脇にある墓誌に、白井平兵衛尉勝久(徳川家継生母月光院付大年寄絵島の祖父)と書かれています。

 寛政重修諸家譜に白井勝久も書かれていました。

 白井勝久は、豊島忠次の四男で、寛永9年に小十人に列し、正保2年組頭となり、寛文5年本理院(家光の正室)に仕え200石を賜る。寛文12723日没し、法名日勝、雑司が谷法明寺に葬るとされています。

 墓誌のとおりです。

 そして、さらに寛政重修諸家譜を見ると、白井勝久の孫に次のような記載があります。

女子 大奥に仕え、のち月光院(家継母勝田氏)の老女となり、絵島と称す。

さらに次のように続きます。
正徳四年二月二日重き勤めに在ながら、東叡山及び増上寺に詣でて帰る時に、老女宮路としめし合せ.其余の侍女をも伴ひ、狂言座

に至りて見物し、暮に及びて帰りし始末重科にも処せらるべしと雖も、是を宥められて親族にめし預けらる。三月五日絵島こと漸々昇進して老女にいたり.あまたの侍女の上にも列なりながら、うちうちにては其行ひ正しからず。御使に出るおりおり、或は請ふで

宿に在るのいとま、人の貴賤をも撰ばすよからぬ者どもに相ちかづき、またはゆかりなき家に止宿し.しかのみならす狂言座の者に親しむことその身のみにあらず、同仕の侍女をも勧め遊興に耽るの條、その罪軽からすといへども、死荊を宥められ、信濃国高邁に配

流せられ。内藤駿河守清枚にめしあづけらる。      

 まさに絵島生島事件の大奥年寄絵島です。

 絵島が白井氏の出であることは知っていましたが、白井氏が豊島氏の一族で、また絵島のお祖父さんが雑司が谷の法明寺に眠っているとは、思ってもいませんでしたので、新たな発見でうれしくなるやら驚くやらでした。



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# by wheatbaku | 2017-02-06 10:25 | 大江戸散歩 | Trackback
雑司が谷鬼子母神堂

獏塾江戸散歩のレポートを4回ほど行っていた関係で雑司が谷の記事が飛んでしまいましたが、今日からいくつか雑司が谷関係の記事を書いていきます。

雑司が谷で江戸時代から大きなお寺は法明寺です。ここには豊島氏などが眠っています。

 それらをご案内する前に、有名な鬼子母神(きしもじん)堂も法明寺の境内にありますので、今日は鬼子母神堂をご案内します。

雑司が谷で最も有名なものは俗に「雑司が谷の鬼子母神(きしもじん)様」とよばれている法明寺の鬼子母神堂です。

c0187004_11154735.jpg鬼子母神堂の本堂は、本殿が寛文4年(16644代将軍徳川家綱の代に加賀藩の3代藩主前田利常の娘で、安芸国広島藩浅野家2代藩主(浅野宗家としては3代目)浅野光晟に嫁いだ満姫(自昌院殿英心日妙大姉)の寄進により建立されたものです。

その後 拝殿と幣殿(相の間)が元禄13年(1700)に建立されました。

拝殿は桁行17.86メートル、梁間11.81メートルある入母屋造りの大きな建物です。

 鬼子母神堂は、昨年(平成28年)7月25日、国の重要文化財に指定されました。

 鬼子母神(きしもじん) について説明します。
c0187004_11155156.jpg 鬼子母神の石像が鬼子母神堂の北側に安置されていますが、女性の神様です。(右写真)

鬼子母神はインドの神様で訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、多くの子供がいました。

しかし大変乱暴な神様で、人間の子供たちをとって食べるので、人々から恐れられました。

お釈迦様は、その過ちをやめさせるため、鬼子母神が大変かわいがっていた末っ子を隠してしまいました。

その時の鬼子母神は大変嘆き悲しみました。

そこで、お釈迦様は、「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。

そこで鬼子母神ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となり、人々から崇拝されるようになったとされています。

c0187004_11154437.jpg鬼子母神は、「鬼」という字が入っていますが、前述のとおり恐ろしい「鬼」ではないということから、角(つの)のつかない「鬼」の字が使われています。

鬼子母神堂の額も角のない「鬼」が書かれています。(右写真)

鬼子母神堂にお祀りされている鬼子母神像は、室町時代の永禄4年(1561116日、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)辺りより掘りだし、星の井(清土鬼子母神境内にある三角井戸)あたりでお像を清め、東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に納めたものだそうです。

東陽坊の一僧侶が、その霊験顕著なことを知って、ひそかに像を自分の故郷に持ち帰ったところ、意に反してたちまち病気になったので、その地の人々が大いに畏れ、再び東陽坊に戻したとされています。

c0187004_11154213.jpgその後、安土桃山時代の天正6年(1578)『稲荷の森』と呼ばれていた現在鬼子母神堂がある場所に、村の人々がお堂を建てました。

そのお稲荷さんが何時の頃に創建されたものかはっきりしませんが、鬼子母神堂のあるあたりの地主神だったようです。そのお稲荷さんは、現在も「武芳稲荷神社」として鬼子母神堂のずぐ近くに鎮座しています。(右上写真)



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# by wheatbaku | 2017-02-02 11:05 | Trackback
西郷隆盛・勝海舟会見之地跡

 獏塾江戸散歩のレポート4回目は、西郷南洲と勝海舟会見之地についてです。

 この石碑は、田町駅前の三菱自動車本社前に設置されています。
  (右下写真参照)

 慶応3年3月15日の江戸城総攻撃を前にした西郷隆盛と勝海舟の会見は3月13日と3月14日の二日にわたって行われています。

c0187004_10302567.jpg このうち、田町駅前の石碑に関係する会見は3月14日に行われたものです。

 それでは、3月13日の会見はどこで行われたかというと薩摩藩の高輪藩邸で行われたと言われています。

 薩摩藩は、江戸に数多くの藩邸をもっていました。
 先日紹介した上屋敷のほか、現在の日比谷公園東側に装束屋敷と呼ばれた屋敷、渋谷に下屋敷、そして白金の現在八芳園となっている場所にも屋敷がありました。

c0187004_10302192.jpg そうした数多くある屋敷の一つとして高輪にも屋敷がありました。

 現在は、SHINAGAWA GOOS(シナガワ グース)となっていて、品川駅をおりると目の前にあります。

 一方、14日に両雄が会見した田町の屋敷は、蔵屋敷であったとようです。

 西郷隆盛と勝海舟は、過去に一度会見したことがあります。

 しかし、その後、二人は合う機会がなくて、3月13日の会見が4年ぶりの会見でした。

 そこで、二人は、いわゆる「久闊を叙す」程度の話し合いと清寛院宮(和宮)の様子が話題になる程度だったようです。

 江戸城総攻撃が目の前に迫っているのに、この程度の話し合いで終わるなんて不思議ですね。

 そして、本格的な会談は、3月14日に行われました。

 この時には、新政府軍側が示した次の降伏条件に対する旧幕府側の回答がありました。

1.徳川慶喜は備前藩に御預けとすること。

2.江戸城を明け渡すこと。

3.軍艦を残らず引き渡すこと。

4.武器は一切引き渡すこと。

5.城内の家臣は向島に移すこと。

6.徳川慶喜の暴挙を助けた者を取り調べて処罰すること。

7.暴挙に出る者がいて手に余れば官軍が鎮圧すること。

これに対して勝海舟が示した旧幕府側の回答は次のような内容です。

1、徳川慶喜は隠居し故郷の水戸で謹慎したい。
2、江戸城を明け渡し、田安家にお預けとしたい。

3、軍艦や武器は残らずまとめて、寛典の処分が下された後に、ふさわしい数を残して、その余は引き渡す。

4、城内居住の者は、城外に移る。
5、慶喜の暴挙を助けた者も寛典に処して、死罪にはしないこと。

6、士民鎮定が行き届くようにする。万一暴挙があれば改めて願い出るので官軍をもって鎮圧していただきたい。

 第一の徳川慶喜を備前に預けるととう条件に対して、旧幕府側の対案は、慶喜を水戸に預けるという案で、大幅な譲歩を迫るものでした。

 また、第3の武器の引き渡しについても、大幅な譲歩を迫るものでした。

 こうした新政府軍側に大幅な譲歩を迫る内容でありながら、西郷隆盛は、提案を検討することを約束し、その場で15日の江戸城総攻撃を中止することを決断します。

 京都を発つ時には、「断固、徳川慶喜の首を取る」といっていた西郷隆盛が、勝海舟との会見を非常に寛大な判断をしています。

 こうした考えにいたる背景の一つには、イギリスのパークス公使が、万国公法を取り出して、徳川慶喜の首をとることに強く反対したからだと言われています。




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# by wheatbaku | 2017-01-31 10:15 | Trackback
薩摩藩上屋敷跡

 獏塾江戸散歩のレポート3回目です。

 江戸検の今年のお題は戊辰戦争です。先日の獏塾江戸散歩では、この江戸検のお題に直結している薩摩藩上屋敷と西郷南洲と勝海舟の会見之場所跡も案内しました。

 そこで、今日は「薩摩藩上屋敷跡」を紹介します。

 現在、NEC本社の北の歩道脇に下のような石碑が設置されています。

c0187004_19302195.jpg この石碑はかなり有名なのでご存知の方も多いと思います。

 しかし、薩摩藩上屋敷は、石碑が設置されている場所辺りが上屋敷の南の端で、江戸時代の切絵図を見ると、NECの本社の大部分は鳥取新田藩の屋敷だったように思います。

c0187004_19402591.jpgNECの北側にある三井住友信託銀行やセレスティンホテル、さらに戸板女子短大辺りが、薩摩藩邸の中心部分です。 右写真の右端がNEC本社、左側ビルがセレスティンホテル、その間のビルが三井住友信託銀行芝営業部が入っているビルです。

現在は三井住友信託銀行やセレスティンホテルの間に説明板が設置されています。(右下写真)

 

 江戸の薩摩藩上屋敷は、2万1785坪もある広大な屋敷でした。

c0187004_19400163.jpg この屋敷が慶応3年12月25日に、旧幕府側の庄内藩等の軍勢により焼き討ちされた事件が、薩摩藩邸焼討事件です。

 薩摩藩邸が焼討されたのは理由があります。

 慶応31014日に大政奉還が行われました。しかし、薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らは武力倒幕を計画していました。

 そこで、江戸で騒乱を起し、幕府を挑発しようとしました。

 そのために、江戸の薩摩藩邸に、西郷隆盛は、益満久之助と伊牟田尚平を送り、下総出身の相楽総三を中心に浪人を集めました。

 その数は、最大で500人にも上ったと言われています。

 浪人たちは、商家への強盗を働き「御用盗」と呼ばれました。それだけでなく、下野出流山満願寺を拠点に騒動を起したり、甲府城の乗っ取りを計画したり、模の荻野山中藩の大久保教義の陣を襲撃したりして、関東一円で騒動を起しました。

 こうした騒動の震源地が江戸の薩摩藩邸であったことから、江戸の市中取り締まりを命じられていた庄内藩はじめ、旧幕府の主戦派は苦々しく見ていました。

 そうした中、12月23日に江戸城二ノ丸が炎上することになり、これも薩摩藩の仕業だという噂がひろがり、さらに庄内藩の赤羽橋屯所に鉄砲が撃ち込まれ町人が負傷するという事件がおき、ついに庄内藩が、幕府に武力行使も辞さない強硬手段を強く申し入れをしました。

 そして、ついに「薩摩藩邸に犯人の引渡しを求めた上で、従わなければ討ち入れ」と命じられ、12月25日、庄内藩と上山藩、鯖江藩、岩槻藩の三藩の約千人の軍勢が薩摩藩御を包囲しました。

この際、東・北・西の三方は厳重に包囲したものの、南側は包囲を緩やかにしていたと言われています。

25日午前6時から、薩摩藩との交渉が開始されましたが、交渉は決裂し、銃撃戦が開始されました。

庄内藩側は大砲も用意していて、薩摩藩邸を砲撃しました。これにより、薩摩藩邸は燃え始まりました。また、薩摩藩邸の浪人たちも屋敷に火をつけたともいわれています。

当時、薩摩藩邸にいた浪人たちは総勢200人程度といわれていて、多勢に無勢ですので、浪人たちは薩摩藩邸の西側の三田通り側に血路を開き、三田通りを南下して品川方面に逃げ出しました。

そして、品川から船にのり、相楽総三や伊牟田尚平たちは、薩摩藩の輸送船翔鳳丸に乗り込むことができました。




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# by wheatbaku | 2017-01-27 19:28 | Trackback
東京港醸造

 先週土曜日の獏塾江戸散歩のレポートの2回目です。

 先週の獏塾江戸散歩の大きな目的の一つが「酒蔵見学」でした。

 見学した酒蔵は「東京港醸造」さんです。

 「東京港醸造」さんは、港区芝4丁目7番10号にあります。
 路地にありますので、お邪魔する時には事前に場所を確認しておいた方がよいと思います。下記地図も参照にしてください。

c0187004_20101298.jpg「東京港醸造」さんは、2011年、港区芝という都心での酒蔵を開業し、昨年(2016年)7月に念願の清酒製造免許を取得し、23区内で二つしかない清酒製造の酒蔵だそうです。

 獏塾江戸散歩でガイド役を勤めてくれたヤマトヤおじさんは東京港醸造の社長齊藤俊一様と親交があるため、今回の企画が実現しました。
 当日は、斎藤社長さんが直々にお店とお酒について説明してくださいました。(右下写真の左端が齊藤社長さんです)

c0187004_08591261.jpg 「東京港醸造」さんは、もとは「若松屋」という薩摩藩の御用達の造り酒屋でした。

若松屋は、信州出身の林金三郎に始まります。

林金三郎は酒造りに通じた齊藤重三郎を連れて江戸に出てきた飯田藩主堀家の下屋敷がある芝の地で造り酒屋を開業しました。

 この林金三郎は、水野忠邦の「天保の改革」を支えた後藤三右衛門光亨の兄でした。

 引化元年、後藤三右衛門光亨が贈収賄の罪で斬首に処された余波を受けた林金三郎は、一緒に江戸に出た齊藤重三郎に若松屋の一切を任せ、自身は紀州家の薦めにより深川油壺にあった紀州屋敷の蔵元に職を転じたのです。

こうしたことから、若松屋は齊藤家によって営業が続けられることになり、現在にいたっています

その頃の若松屋を贔屓にしたのは、近所に屋敷を構えていた薩摩藩で、薩摩藩の出入り商人として認められた若松屋は芋焼酎や濁り酒を製造しこれを薩摩藩屋敷に収めていました。 

当時の若松屋は二十三軒間口の大屋敷だったそうで、居酒屋部分と酒蔵部分、それに特別な要人を接待するための奥座敷が設けられており、時には、西郷隆盛も利用していたそうです。

c0187004_08592098.jpgそうしたことから、飲み代の代わりに、若松屋に残したとされる西郷隆盛の書が残されていて、店内にはそのレプリカが展示されています。(右写真)

また、勝海舟や山岡鉄舟、高橋泥舟それに坂本龍馬など幕末史を彩る蒼々たる面々の名が伝えられていて、彼らが飲み代の代わりに書き残していった書は、現在でも若松屋に大切に保管されているそうです。

「東京港醸造」さんの清酒の銘柄は「江戸開城」ですが、西郷隆盛と勝海舟の会見の場に近く、東京港醸造さん自体が西郷隆盛や勝海舟と縁があることから名付けた名前のようです。

ちなみ「東京港醸造」さんは、「とうきょう みなと じょうぞう」と呼ぶそうです。

c0187004_08592521.jpg試飲させたいだいたのが「純米吟醸原酒江戸開城」でした。
 齊藤社長さんのご説明では、
製品スペックをホームページに開示するほどのがこだわりだそうです。(右写真は商品を説明する齊藤社長さん)

それによると原料米:兵庫県産 山田錦 精米歩合60%28年度)

アルコール分:15.4%だそうです。

1本4000円だそうです。

c0187004_08593186.jpgこれを思い切り試飲させていただきましたが、右写真をご覧ください。すっかり空っぽです。

ともかくおいしいお酒でした。

私も日本酒は大好きですが、久しぶりにおいしいお酒でした。

参加者の皆さんも異口同音でした。女性のみなさんたちも「すっきりしていておいしい」といっていましたから間違いないと思います。

 一緒に写っているのは甘酒ですが、吟醸酒の方が人気が高くて、甘酒は栓をあけませんでした。
 甘酒は一本1500円だそうです。

結局、大多数の人が、72mℓの大吟醸を買っていました。

齊藤社長さん、大瀬で押しかけたにもかかわらず親切に御対応いただき大変ありがとうございました。

赤印が「東京港醸造」です。




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# by wheatbaku | 2017-01-25 08:49 | Trackback
獏塾江戸散歩が開催されました。

 昨日、獏塾江戸散歩が行なわれ、高輪から田町まで散歩してきましたので、今日はその様子をアップします。

獏塾江戸散歩は、獏塾の塾生が案内してくれる江戸散歩です。

昨日は、加州そうせい公さんが資料を作成してくれて、地元田町で生まれ育ったヤマトヤおじさんが案内してくれました。

昨日は、快晴でした。しかし、風が強めで前半は少し苦労しましたが、後半は風もおさまってきて、楽しい散歩となりました。

加州そうせい公さんとヤマトヤおじさんありがとうございました。
参加された塾生の皆さんお疲れ様でした。

 昨日のコースは、都営地下鉄「泉岳寺駅」に集合し次のコースで散歩してきました。

【ルート】「高輪大木戸跡」②「願生寺」③「御田八幡神社」④「元和のキリシタン殉教碑」⑤「札の辻」⑥「港郷土資料館(見学と休憩)」⑦「西郷・海舟会見の地」⑧「本芝公園(雑魚場・芝浜)」⑨「酒蔵見学」⑩「西応寺」⑪「七曲り」⑫「薩摩藩邸跡(芝さつまの道)」⑬「水野家屋敷跡」


 それでは、主な散策地点を紹介していきます。
「高輪大木戸跡」

c0187004_18560921.jpg 高輪大木戸跡は、泉岳寺駅のA4出口そばにあります。

 高輪大木戸は、天和3年、芝口門(札の辻)にあった高札場がここに移され、さらに、宝永7年(1710)芝口門が新橋に移されるとともに、新たに道幅約6間の東海道の両側に石垣を築き木戸を設けて江戸の南の出入り口として治安維持と交通規制の役割を担った大木戸です。

「願生寺」

c0187004_18561221.jpg 高輪大木戸から見ると第一京浜を挟んだ西側から少し品川駅寄りに「願生寺」というお寺があります。

 この願生寺の境内に「牛供養塔」があります。

 この辺りは、江戸時代は「車町」または「牛町」と呼ばれた町で、牛車を扱う人たちが住んだまちです。

 それを知る唯一の資料として残されたものが「牛供養塔」です。

 牛供養塔は車町の牛屋7家によって、牛供養のため元文3年(1738)に建立されたのが初めで、現在のものは文政11年(1828)に建立されたものです。


「元和のキリシタン殉教碑」

c0187004_18561553.jpg「元和のキリシタン殉教碑」は、住友不動産三田ツインビルの裏側にあります。

 しっかり整備されているのですが、意外と知られていないようです。

「元和のキリシタン殉教碑」は、徳川家光が元和9年(1623124日、イエズス会のデ・アンジェリス神父、フランシスコ会のガルベス神父、ジョアン原主水をはじめとする50人のキリシタンを処刑した刑場の跡です。

江戸時代の切絵図では、ここは智福寺となっていますが、寺が建立される以前は処刑場で、そこに寺を建てることで罪人が浮かばれると考えたそうです。

「西郷南洲・勝海舟会見の地」

c0187004_18561957.jpg慶応4年(18683月15日の新政府軍による江戸城総攻撃の前日の14日勝海舟と西郷隆盛が会見し、江戸城の無血開城が決定された場所です。

西郷隆盛と勝海舟の会見は、3月13日と3月14日の2回行われています。

3月13日は、現在はSHINAGAWA GOOS(シナガワ グース)となっている薩摩藩の高輪の屋敷で行われ、3月14日の会見が田町にある薩摩藩の蔵屋敷で行われました。

13日は、両雄が久闊を叙す程度の話し合いで終わり、本格的な交渉は3月14日に行われ、江戸城総攻撃が中止されました。

「本芝公園(雑魚場・芝浜)」

c0187004_18562231.jpg現在本芝公園のある場所は昭和39年頃まで漁船の入る入江になっており、昭和45年に運河を埋め立てて造られました。

魚市場本芝組の雑魚場(ざこば)として江戸前の魚介類が豊富に揚がり浅草海苔の生産地としても有名でした。

古典落語の中でも屈指の人情噺として知られる「芝浜」の舞台にもなっています。

ヤマトヤおじさんの説明では、オリンピックの頃には、まだ漁船が停泊していたそうです。地元で生まれ育った人ならではの説明がありました。

「薩摩藩邸跡(薩摩小路)(芝さつまの道)」

c0187004_18563527.jpg薩摩藩の上屋敷は約2万2千坪(2万1785坪)もありました。

現在の三井住友信託銀行とセレスティンホテルの間に、その薩摩藩上屋敷の説明板が設置されています。

この薩摩藩上屋敷には、天璋院篤姫も、13代将軍家定に輿入れするために江戸に出てきた際に、一時期滞在していたこともあります。

また、慶応31225日に起きた薩摩藩邸焼討事件の現場でもあります。

薩摩藩の挑発にのった旧幕府は、庄内藩を中心とした軍勢で薩摩藩邸を焼討し、これが鳥羽・伏見戦争を引き起こすきっかけとなりました。

最後はお楽しみの懇親会、すでに日本酒の試飲会で一杯呑んでいますが、まだまだ呑み足らない参加者が参加してくれました。

c0187004_21194490.jpg





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# by wheatbaku | 2017-01-22 18:37 | 大江戸散歩 | Trackback
  

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