ケンペルの通った東海道  「江戸参府旅行日記」より(8)
  「江戸参府旅行日記」 の8回目です。 今回は、ケンペルたちの泊まった「長崎屋」について書きます。
 長崎屋は、オランダ商館長(カピタン)が江戸へ参府する際の定宿ですが、いつもは薬種問屋として商売をしていました。 

c0187004_22242395.jpg 長崎屋は、現在の中央通りと江戸通りの交差点の東北角にありました。JR新日本橋駅の真上の位置(新日本橋駅は地下にあります)にあたります。以前は、新日本橋駅の4番出口にプレートがあったそうですが、現在は、長崎屋があった場所に、写真のようにビルを建築中で、4番出口も現在は使用できません。


 c0187004_20123889.jpg ケンペルは、 「江戸参府旅行日記」 で、長崎屋への到着を「首都の町にある中央の通りを進み、今まで通り過ぎた道と交差する50の横町のうち、とうとう最後の横町に入っていった。その手前の所の左側にある木造の鐘楼のすぐ近くに、われわれの宿舎が目に入った。そこは細い路地を通らなければ行けない奥まった家の二階であった」と書いています。
 ケンペルが書いている横町が「鐘撞堂新道」です。 現在の「鐘撞堂新道」は,写真の右手に見える北都銀行東京支店が目印です。

 長崎屋はここにあったそうです。(青印)  


 
 

 
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# by wheatbaku | 2009-04-21 06:00 | 『幕末』 | Trackback
江戸屋敷にあった神社(5)  笠間稲荷神社
c0187004_19213375.jpg  笠間稲荷神社は、地下鉄人形町駅から5分、久松警察署の目の前にあります。
 この地には笠間城主牧野家の下屋敷があり、安政6年(1859年)に、常陸の笠間稲荷神社より分霊を受けて建てられたのが笠間稲荷神社だそうです。


この神社には東京紋三郎講という講があり笠間の本社の参拝をしているようで、その案内のパンフレットが置いてありました。c0187004_19214592.jpg  
 そこで、すぐ思い出したのが、落語の「紋三郎稲荷」です。この落語の冒頭に、ここの笠間稲荷神社が紹介されています。なお、紋三郎稲荷とは笠間稲荷神社の別称です。

 笠間稲荷神社は、日本橋七福神の一つでもあり、寿老人が祀られています。
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# by wheatbaku | 2009-04-20 08:00 | 江戸屋敷にあった神社 | Trackback
ケンペルの通った東海道  「江戸参府旅行日記」より(7)
  「江戸参府旅行日記」 の7回目です。
 今回は小田原から江戸までのできごとやケンペルが見たものを要約して記します。今回で、ケンペルは江戸に到着します。

3月12日 〔9〕小田原 → 〔3〕神奈川 55Km
 朝早く、小田原を出発。酒匂川を平底の舟で渡る。
   
〔8〕大磯宿   数百個の小さな町  
〔7〕平塚宿  
 ①300戸あまりの村
 ②馬入川はものすごい水勢で音をたてて海に流れ込んでいたので、とても歩いて渡れないので舟を使った。   
〔6〕 藤沢  
 ①昼食をするいつもの宿が一杯だったので、他の宿に移った。
 ②遊行上人寺の尊任上人は聖者の1人として尊敬されるほどの信望を得た。偉大なるアレキサンダーよりも、彼ははるかに成功をおさめたのである。
〔5〕戸塚    500戸ほど
〔4〕保土ヶ谷   200~300戸の家があったが、大部分の地区が最近の火事で焼けてしまった。
〔3〕神奈川   9時に着き宿泊

3月12日 〔2〕川崎 → 江戸 20Km
 ついに江戸に到着です。

〔2〕川崎 300戸以上の小さい町、ゆっくり流れる川を渡し舟で渡る。
〔1〕品川
 ①鈴ヶ森は潮干狩りで有名である。私は海苔を作っているのを見た。
 ②品川は江戸の日本橋から2里あると言われているが、品川と江戸とは、京都と伏見のように続いている。
 ③日本橋は42間の長さがあって日本国中で有名である。
 ④ヨーロッパの軍隊式の隊形をした約100人の消防隊の徒歩の行進に行き逢った。
 ⑤江戸では戸口の前に立って見物しようとする者はほとんどなかった。
 カピタンの江戸参府は関心は高いと思いますが、予想外な状況が記録されています。
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# by wheatbaku | 2009-04-19 15:01 | 『幕末』 | Trackback
森のつく神社(2)
c0187004_23115780.jpg 森のつく神社の2番目は、柳森神社です。
 柳森神社は秋葉原から5分です。
 室町時代、太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社だそうですが、おたぬき様として有名です。

  c0187004_23121751.jpg 秋葉原駅の昭和通り口から和泉橋を渡って行きましたが、和泉橋のたもとに「柳原の土手」の由来板が設置されていました。これを見て、柳森と柳原と関係があるのではないかと感じました。
 しかし「江戸名所図会」には、「柳原の封彊(どて) 筋違橋より浅草橋へ続く。・・・ 享保年間、このところの堤にことごとく柳を栽えさせらる。堤の外は神田川なり。また、この堤の下に、柳森稲荷と称する叢祠あり。ゆえに、この地を稲荷河岸と呼べり」とだけ書いてありますので、関係はないようです。

 c0187004_23124621.jpg
 本殿の前の桜の木は、御衣黄桜(ぎょいこうざくら)と呼ばれる緑色の花を咲かせる唯一のサクラだそうです。開花につれてわずかではあるが、緑、黄、ピンクへと色を変えていくそうで、もう、盛りを過ぎていましたので、ピンク色をしていました。もう少し早くお参りすれば、桜が見事だっただろうと残念に思いました。
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# by wheatbaku | 2009-04-18 22:37 | 神社参拝 | Trackback
ケンペルの通った東海道  「江戸参府旅行日記」より(6)
  「江戸参府旅行日記」 の6回目です。
 今回は三島から小田原までのできごとやケンペルが見たものを要約して記していきますが、箱根のことを詳しく書いているので、今回も3月11日の一日分を要約します。

 3月11日 〔11〕三島 → 〔9〕小田原 32Km
 日が昇ると駕籠に乗り三島を出発

〔10〕箱根  昼食 c0187004_14593491.jpg 
①湖の深い湖底には珍しいほどの太さの木が生えている。
②箱根の関所は、新居よりもはるかに重要な意義をもっている。非常に狭い道の傍らにある関所の建物の前後には、柵と頑丈な門が作ってあり、右手は険しい山が崖となり、左手は湖があって自然の要害をなしている。
③箱根権現の宝物 
 ・曽我兄弟が仇討ちのときに使った4振の刀剣 ・2つの貴重なサンゴ石の植物 ・2本の馬の角 ・非常に大きな2個の貝 ・2個の牝牛と鹿の体内から見つかった石 ・亜麻で織った羽衣 ・頼朝の紋所のついた鏡 ・弘法大師の手鈴 ・曽我五郎の自筆の書状
④下りは、午前中に登った道よりずっと曲がりくねって急勾配である。
⑤この土地の草は、医師が特に薬効があると考えて採集するが、この薬にはほかのものと比べられない優れた特性があるので、世間ではハコネグサと呼んでいる。

 箱根には、このハコネグサをヨーロッパに紹介したケンペルを称える碑がたっているそうです。

〔9〕小田原           
c0187004_14271895.jpg ①城には白壁造りの新しい三重の天守閣があって人目をひいている。(右の写真は現代の小田原城。ケンペルは遠くから眺めています。)
②ここでは香りの高い阿仙薬を製造し、それを丸薬や人型・花型などいろいろの形にして、小さな箱に入れて売るのである。
③ここから江戸の宿の主人に宛てて、到着を知らせる手紙を出した。
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# by wheatbaku | 2009-04-18 14:36 | 『幕末』 | Trackback
江戸からの和菓子(9) 花園万頭
 花園万頭は、新宿の花園神社の正面にあります。都営新宿線「新宿三丁目」駅から5分の距離です。
 c0187004_2314153.jpg
 建物はまさに花園神社の目の前の位置にありますが、東鳥居の正面は「花園茶寮」で、売店は鳥居の反対側にあります。
 建物は近代的な建物ですが、お店は写真の通り昔の雰囲気をもっています。

 花園万頭のルーツは加賀の老舗「石川屋本舗」にあります。「石川屋本舗」は天保5年(1834年)、加賀百万石の城下金沢で創業し、茶道の盛んな金沢で家業は繁栄していました。その3代目弥一郎が東京に進出して始めたのが「花園万頭」です。青山・赤坂と店舗を替えた後、現在地に店舗を移しました。すぐそばにある新宿の鎮守「花園神社」の名にちなみ、 「花園万頭」を作ったそうです。

 c0187004_23145239.jpg
 花園万頭は1個367円です。まさに「日本一高い、日本一うまい」の宣伝どおり高価な万頭です。しかし、餡の甘さを抑えて、味も絶品です。
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# by wheatbaku | 2009-04-17 18:32 | 江戸からの和菓子 | Trackback
ケンペルの通った東海道  「江戸参府旅行日記」より(5)
c0187004_21273371.jpg 江戸検定の今年のお題「東海道53次」に関連する事柄を書いていますが、 ケンペルの「江戸参府旅行日記」 の5回目です。1回から4回までは、4月4日から11日に書いてあります。
 3月10日江尻から三島までのできごとやケンペルが見たものを東海道53次の宿場の順に要約して記していきます。
 ここで、ケンペルは富士山について詳しく述べていますので、一日分の要約です。
 
3月10日  〔18〕江尻 →  〔11〕三島  41Km
日の出前に江尻を出発。

c0187004_847030.jpg 〔17〕 興津 
 ①清見寺を参拝。
 ②村の街道に沿って並ぶ家の前にいる10歳から12歳のきれいに着飾り化粧した少年について述べている。
③興津から駕籠で螺旋階段を登るように苦労して薩埵峠を越える。(上の写真は薩埵峠からの富士山)
〔16〕由比 ここからまた馬
〔15〕蒲原 富士川を越える。富士川は二つに分かれて流れており、ひとつは歩いて、もうひとつは平底の船で越した。
〔14〕吉原 富士山について
①全工程の中で一番近く、コンパスによると直線で6里の距離にある。
 ②地図を作る基準となった。
 ③世界中で一番美しい山
 ④富士山に上るのに3日かかるが下るにはたった3時間しかかからない。
c0187004_2128134.jpg ケンペルは、「日本の詩人や画家がこの山の美しさをいくらほめたたえ、うまく描いても、それで十分ということはない」と最大のほめ言葉で称賛しています。
(右の写真は吉原からの富士山)
 ⑤吉原から半里の所にある元吉原で昼食をとる。
 ⑥とんぼ返りをする子供たちに小銭を投げて面白がる。
〔13〕原    250戸 
〔12〕沼津
①釜の宮または山王宮とよばれる神社を訪問し、頼朝と義経が使った大鍋を見物している。富士の裾野の巻狩で捕らえたイノシシを煮たと言われている。
②大鍋見物のため夜になったが、三島に向かう。
③黄瀬川の釜ヶ淵について説明 
〔11〕三島  
①1686年に町はすべて焼け、それとともに古い神社仏閣が失われたが、その後立派に再建されている。
②三島神社も再建されているが、のちに述べる。
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# by wheatbaku | 2009-04-16 21:40 | 『幕末』 | Trackback
森のつく神社(1) 烏森神社
 江戸には、森の名前がつく神社がいくつかあります。それを順に訪ねてみたいと思います。
 具体的には、烏森神社、鳩森八幡神社、椙森神社、柳森神社、初音森神社の5社です。 

c0187004_20465162.jpg 最初は、新橋の烏森神社です。烏森神社は、新橋駅の烏森口から2分。

 江戸名所図会には、「往古よりの鎮座といえども、年歴・来由ともに、詳らかならず」と書かれていますが、 神社の由緒書には、「平安時代の天慶三年(940)に、東国で平将門が乱を起こした。時の将軍藤原秀郷が武州のある稲荷に戦勝を祈願した際、白狐が現れ白羽の矢を与えた。その矢を持ち、東夷を鎮め得た秀郷がお礼として、霊地の現所に勧請し社頭を造営した。」と書かれています。

c0187004_20473748.jpg 参道には、飲み屋さんが並んでいます。この参道の奥に本殿があります。朝9時前にお参りしましたが、場所柄からかビジネスマンがかなり参拝していました。
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# by wheatbaku | 2009-04-15 20:47 | 神社参拝 | Trackback
江戸屋敷にあった神社(4)  花園神社

 花園神社は新宿にあります。JR新宿駅東口から7分、地下鉄新宿三丁目からは3分の距離です。 c0187004_20293192.jpg
 花園神社は、尾張藩下屋敷にありました。 尾張藩下屋敷といえば戸山公園を思い浮かべますが、下屋敷の広さ13万6千坪もあったそうですから、広大なお屋敷ですね。

 花園神社による由来を引くと次のようです。
 「花園神社は寛永年間までは、今の伊勢丹デパートの付近にありました。しかし、寛政年間に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、社地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまったのです。そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領することになりました。その場所は、徳川御三家筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたそうです。この美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされています。」
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 花園神社と呼ばれるようになったのは昭和40年からとのことです。それ以前はは「花園稲荷神社」と呼ばれていたそうです。
 大都会新宿の雑踏を通り過ぎて境内に入ると桜の木々も多くホットします。 
 
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# by wheatbaku | 2009-04-13 19:54 | 江戸屋敷にあった神社 | Trackback
江戸からの和菓子(8) 銀座松崎煎餅
 銀座の松崎煎餅は、地下鉄銀座駅から2分、並木通りにあります。c0187004_20381194.jpg
 文化元年(1804年)芝魚藍坂にて創業した後、慶応元年(1865年)に現在の銀座に店を移し、200年あまりたつ煎餅の老舗です。
 


c0187004_2047589.jpg
 江戸時代からの老舗ですが、建物は近代的なビルで、まさに銀座にふさわしい建物です。
 1階がお店になっていて、2階には喫茶室があります。残念ながら満席でした。

c0187004_20403936.jpg こちらが名物の「三味胴(しゃみどう)」。
 瓦煎餅ですが、非常に上品な味で何枚でも食べられる味です。
 蜜で描いてある絵がきれいですね。
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# by wheatbaku | 2009-04-12 20:39 | 江戸からの和菓子 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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