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京都の桜は満開でした
 月曜日から、所用で京都にいっていました。
 京都の各所を回りましたが、桜が満開でした。
 ホテルからアップしようと思いましたが、宿泊したホテルでPCが借りられませんでしたのアップできませんでした。
 そこで、今日は、それらをまとめてアップします。
 京都の満開の桜を写真で楽しんでいただければ幸いです。

円山公園の枝垂桜
 「祇園の夜桜」として有名な枝垂桜は、この時期、夜間にライトアップされますが、夕陽にライトアップされた枝垂桜も見事でした。
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高瀬川にかかる桜
 円山公園から祇園をぬけて河原町まで歩きましたが、その途中、高瀬川に架かっている四条小橋から写したものです。
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万福寺山門
 万福寺は、中国から渡来した隠元禅師が開いた黄檗宗のお寺で、放生池より重要文化財の山門を写したものです。
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桜越しにみる平等院鳳凰堂
 
 鳳凰堂は、平成22年から行われていた修理が完成し、金色に輝く鳳凰が青空に輝いていて、満開の桜が修理完成を祝っているかのようでした。写真中央の屋根の上に小さく鳳凰が輝いています。
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京都御所朔平門(さくへいもん)
 

 京都御所の北にある門が朔平門で、写真の右手に写っている門です。京都御苑の桜も満開でした。
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桜越しにみる同志社女子大学ジェームス館
 同志社女子大学構内にあるジェームス館は、1914年に竣工した建物で国の登録有形文化財に指定されています。
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by wheatbaku | 2014-04-02 23:43 | 大江戸散歩 | Trackback
蛤御門の変((八重の桜 第12回「蛤御門の変」)
 昨日の「八重の桜」は「蛤御門の変」でした。
 この「蛤御門の変」について「京都守護職始末」にどう書かれているのか、今日は書いていきたいと思います。
 
 当時、京都に駐在していた会津藩の軍勢は、二陣すなわち8隊および容保直属の部隊で、総勢1500名程度でした。
c0187004_9234193.jpg 第一陣は、家老神保内蔵助が陣将で、第二陣は家老内藤信節(のぶこと)が陣将でした。
 第一陣は、新撰組とともに九条河原に陣取り伏見の長州勢に備えました。
 伏見の長州勢は福原越後が率いる500名ほどの軍勢でしたが、大垣藩兵と戦い、大敗を喫して敗走しました。
 第二陣は、陣将内藤信節は1隊を率いて唐門を守り、2隊が蛤御門を守り、1隊が黒谷の本陣の警備につきました。
 なお、陣将内藤信節は、梶原平馬の実兄です。梶原平馬は内藤家に生まれ、梶原家の養子となっていました。
 蛤御門の守備隊は、敵は正面からくるものと考え、大砲を門外に出して備えていました。
c0187004_924674.jpg 嵯峨天龍寺に構えていた長州勢は京に攻め入りました。
 国司信濃の率いる軍勢は中立売門(蛤御門の北の門)を守っていた筑前兵を破り門内に入り、蛤御門の会津勢に砲撃をくわえまてききました。
 一方、下立売門側からは来島又兵衛の隊が攻めてきました。
 そこで、会津勢は、大砲を門内に引き入れ、南側から攻めてくる長州勢に砲撃を加えました。
 長州も、砲撃してきたため。会津藩側にも多数の死傷者がでました。
 しかし、薩摩藩や桑名藩の応援があり、来島又兵衛も倒れたため、ついに長州勢は敗走し始めました。
 京都御苑内に「清水谷家の椋」(左上写真)という木が残されていますが、来島又兵衛はこの椋の木の近くで亡くなったといわれています。

 この時の戦いは「禁門の変」」とも呼ばれますが、蛤御門での戦いが最も激しかったため、「蛤御門の変」とも呼ばれます。
 蛤御門には、当時の銃弾の跡も残っています。(右下写真)

c0187004_9242345.jpg 一方、山崎に陣をしいていた益田右衛門介の隊は、鷹司邸に入り、堺町御門を守る越前兵を砲撃しました。越前兵は、敗走し、新手の彦根藩や桑名藩の軍勢が加わり長州勢を攻めましたが、長州側は鷹司邸に立てこもり戦い続けました。
 そこで、会津藩の十五ドエム砲により、鷹司邸の塀を砲撃し崩壊させて攻め入りました。
 そして、邸内にいた久坂玄瑞や寺島中三郎は自刃し、真木和泉は負傷しながらも鷹司邸を脱出しました。その後、男山八幡で自刃しました。


 以上が、「京都守護職始末」に書かれている「蛤御門の変」の情況です。
 「京都守護職始末」には、山本覚馬の名前は出てきません。
 しかし、この戦いでは大砲・鉄砲が重要な役割を果たしていますので、山本覚馬は大砲隊を指揮して奮戦したものと考えられます。

 なお、蛤御門の変での山本覚馬の奮戦ぶりは、「心眼の人」(恒文社刊、吉村康著)によく描かれてます。
 昨日の「八重の桜」では、山本覚馬が、蛤御門で大砲隊を指揮して活躍ていしますが、その山本覚馬の姿は、「心眼の人」に描かれている姿そのものです。
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by wheatbaku | 2013-03-25 09:18 | 大河ドラマ | Trackback
会津藩本陣の金戒光明寺(八重の桜 第7回「将軍の首」)
 今日の「八重の桜」では、いよいよ会津藩が京都に上洛します。

 文久2年12月9日に江戸を発った会津藩一千名の部隊は、12月24日京都に入りました。 
c0187004_11302538.jpg 容保を筆頭に武将30人が騎馬で進み武威を大いに示したと記録されています。
 会津藩が、京都に上洛した時に本陣としたのが「金戒光明寺」です。
 「金戒光明寺」は京都の黒谷(くろだに)にある浄土宗のお寺です。
 墓地には、2代将軍秀忠の継室お江、3代将軍家光の弟の徳川忠長、家光の乳母春日局のお墓もあり、徳川将軍家と縁の深いお寺でもあります。
 ここで、京都守護職の任務を勤めることになります。
 
 「金戒光明寺」については、昨年の夏に訪ねて、大変大きなお寺なのでびっくりしました。
 一千名の部隊が駐屯するのにふさわしいお寺だと思いました。

 詳しくは以前書いた  「金戒光明寺と京都守護職」 をお読みください。

【会津藩殉難者墓地】
c0187004_11181554.jpg  この「金戒光明寺」の東の山腹の一番上には、京都で亡くなった会津藩士を埋葬した300坪の墓地が整備されています。
 そこには、文久2年から慶應3年までの6ヵ年に亡くなった237霊が埋葬されています。

 さらに、その後に慰霊碑を建立し鳥羽伏見の戦いの115霊が合祀されています。
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by wheatbaku | 2013-02-17 11:18 | 大河ドラマ | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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