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第4回「幕末・維新これは覚えてね!」模試正解

第4回「幕末・維新これは覚えてね!」模試正解

 今日は、先日出題した第4回「幕末・維新これは覚えてね!」模擬試験の正解を発表します。

 これまでは、江戸検のお題のテキストが出版されていませんでしたので、テキストによらず、出題してきましたが、テキストが10日発売されるとのことですので、テキスト等も参考に、内容を確認してください。

 なお、参照図書で『江戸時代年表』と表記してあるものは『見る、読む、調べる江戸時代年表』(山本博文編)のことです。

1  ④村田蔵六

村田蔵六は、周防国鋳銭司(すぜんじ)村医村田孝益の長男として生まれ、広瀬淡窓の咸宜園や緒方洪庵の適塾で学びました。適塾では嘉永2年に塾頭を勤めています。嘉永6年に宇和島藩に招かれた後、幕府の蕃書調所教授方手伝、講武所教授を経て、万延元年長州藩に仕えました。慶応元年に藩内の俗論派が一掃されると軍政用掛となり、軍制改革に取り組みました。

慶応元年12月、藩主毛利敬親の命により村田蔵六から大村益次郎と改名しています。

慶応2年の第2次長州征伐では、石州口参謀として目覚ましい成果を挙げました。

司馬遼太郎の「花神」の主人公であり、大河ドラマにも取り上げられました。

参照:「開国と攘夷」P394、『江戸時代年表』P193、「江戸時代人名控」


2、 ②武市瑞山  

武市瑞山は通称半平太と呼ばれ、土佐勤皇党の首領でした。文久2年には吉田東洋を暗殺させ、藩論を尊王攘夷に変えた後、藩主山内豊範とともに上京し、さらに勅使姉小路公知に従って江戸に下向しました。しかし、八月十八日の政変で京都で尊王攘夷派が力を失うと、前藩主山内容堂の命令により、帰国を命じられ、帰国するとともに投獄されました。投獄されたものの拷問に屈せず1年半の間戦い続けましたが、ついに慶応元年に切腹を命じられました。切腹の際には三文字に腹を斬ったと言われています。

 参照:『江戸時代年表』P247

3、 ①坂本龍馬  

薩長同盟の仲介を担ったのが坂本龍馬であることはよく知られてことですので、正解はそれほど難しくはなかったと思います。しかし、坂本龍馬が薩摩藩名義で武器購入を購入する案を考えたとする説が流布されていることから、問題文に長州藩が「薩摩藩名義で武器を購入し、その武器を長州が受け取る仕組みを考えました」となっているため、ちょっと迷った方もあると思います。

 武器購入の仕組みを長州側が考えたという説は人物叢書「高杉晋作」(梅溪昇著)P263に書いてありますし、中公文庫「『開国・維新』P272にも書かれています。さらに中公新書『坂本龍馬』(池田敬正著)P119にも書かれていますので、それを参考に問題文を作成しました。

 なお『江戸時代年表』P246に、正解が書かれています。

 なお、問題文では、「薩長同盟」という語句を使用していますが、ちくま新書『幕末史』で佐々木克先生は、薩長同盟という語句について、P208に次のように書いていますのでご参考に付記しておきます。ご参照ください。

この薩摩と長州の約束を、諸書では薩長同盟または薩長盟約と呼ぶのが一般的である。以前は同盟がおおく用いられたが、倒幕をめざした軍事同盟を連想することから、近年は盟約のほうが用いられるようになった。薩長同盟、盟約ともに当時の史料にでる言葉ではなく、後にネーミングされたものである。従って同盟より盟約のほうがよいと思い拙著では盟約を用いてきた。しかし、木戸と龍馬が誓約といっていることを尊重して、本書(『幕末史』)からは誓約を用いることにしたい。

 私は「薩長同盟」という語句に慣れていますが、確かに「薩長盟約」と書いた本もかなりあります。江戸検のお題のテキストを見て、今後「薩長同盟」にするか「薩長盟約」にするか判断しようと思っています。

4、 ④筑前で、三条実美たちの護衛をしていた。 

この問題は、中岡慎太郎が三条実美たち五卿の身近で活動していたことを知ってほしいと思い出題しました。

 薩長同盟が結ばれたのは慶応2年正月21日です。中公新書『中岡慎太郎』(宮地佐一郎著)P172によれば、中岡慎太郎は、慶応元年1122日、五卿の応接係となり大宰府来訪者の応接の役目につかされ、1225日、下関に出て、京都の西郷隆盛と薩長同盟を締結するために出発する桂小五郎を見送りました。この際に中岡慎太郎は桂小五郎たちを先導案内すべきでしたが、五卿応接係の公務があり、京都に向かうことができなかったようです。

選択肢①「坂本龍馬と協力して海援隊で活動していた」、坂本龍馬と緊密な連絡をとっていましたが、海援隊で一緒に活動していませんので、間違いです。

選択肢②「脱藩の罪を許され,土佐藩より陸援隊の隊長に任命されていた」のは慶応3年のことです。

選択肢③「長州藩に行き、忠勇隊の幹部となっていた」のは禁門の変の前後のことです。

 参照:『江戸時代人名控』P249

5、 ③桂小五郎 

薩長同盟の締結にあたって、坂本龍馬が重要な役割を果たしたということは、よく知られていることですし、また、江戸検では、トップクラスの重要事項です。

 そこで、薩長同盟締結の経緯、条項などはよく勉強しておいてください。

 この問題は、いわゆる坂本龍馬の裏書を問題としています。

 薩長同盟締結の当事者は、薩摩側が小松帯刀、西郷隆盛、長州側が桂小五郎です。薩長同盟は、同盟と言いながら、各条項が文書で決められたわけではありません。口約束でした。そこで桂小五郎が、仲介を果たした坂本龍馬に内容確認を求めた手紙に対して、朱書きで確認した内容が問題文です。

 こうした経緯が分っていれば、裏書の内容を初めて読んだとしても簡単な問題です。

 下記裏書中の「小」は小松帯刀、「西」は西郷隆盛、「龍」はいうまでもなく坂本龍馬です。もうおわかりだと思いますが、「老兄」とは桂小五郎です。 

「表に御記被成候六条は西両氏および老兄等も御同席にて談論せし所にて、毛も相違無之候。後来といへども決して変わり候事無之は、神明の知る所に御座候。丙寅二月五日 坂本龍」

6、 ①高杉晋作からもらった。

坂本龍馬が寺田屋で伏見奉行所の捕り方に応戦した際のピストルは、高杉晋作からもらったものです。高杉晋作は文久元年に幕府の千歳丸に乗って上海に渡航しています。ここで2丁のピストルを購入しています。そのうちの一つを坂本龍馬に贈ったのです。参照:中公新書『坂本龍馬』P132

高杉晋作がいつ坂本龍馬にピストルを贈ったのかについては、いろいろな本を読みましたが、研究書の類には、いつかということを書いたものはありませんでした。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では、坂本龍馬が高杉晋作と初めて会ったとき(慶応元年)に、高杉晋作が贈ったと描かれています。

坂本龍馬が寺田屋で襲撃された時の様子は以前書いた次のブログをご覧ください。⇒ 寺田屋騒動~龍馬寺田屋で襲撃される


下記写真は、伏見の寺田屋に展示されていた龍馬が持っていたピストルの模型です。

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7、 ④塩浸温泉  

寺田屋で捕吏から逃れた坂本龍馬は、伏見の薩摩藩邸に匿われます。負傷していた坂本龍馬は小松帯刀と西郷隆盛から薩摩に身を隠し、怪我の治療も行うように勧められ薩摩に向かいました、薩摩では温泉につかり霧島山に登ってのんびりと過ごしました。この時の逗留した温泉は霧島温泉と思われがちですが、最も長く逗留したのは「塩浸(しおひたし)温泉」でした。

 選択肢を「霧島温泉」にしようと思いましたが、『江戸時代年表』249には、正確に「塩浸温泉」と書いてありますので、「塩浸温泉」を選択肢としました。

 この時、龍馬が姉の乙女に送った霧島登山の絵入り手紙は大変有名です。

8、 ②萩口

 この問題は多くの人が正解がわかったのではないかと思います。

 芸州口、大島口、石州口、小倉口の四方面から幕府軍が攻め寄せてきました。

 芸州口は広島方面、大島口は瀬戸内海の大島付近、石州口は石見国との境付近、小倉口は関門海峡方面を指します。

当初、幕府は、萩方面からの攻撃も検討したようですが、萩方面担当が予定されていた薩摩藩が出兵拒否したため、萩口からの攻撃は実施されませんでした。

 第2次長州征伐は、慶応2年6月7日に、幕府軍艦が大島を攻撃したことにより始まります。大島を攻撃した幕府軍は、そのまま大島を占領しますが、これに対して6月12日高杉晋作が丙寅丸に乗って夜間幕府海軍に奇襲攻撃を仕掛け幕府海軍を敗走させ、翌日、第2奇兵隊などの長州側は大島を奪還しました。

 参照:『オールカラーでわかりやすい幕末・明治維新』(西東社刊)

9④小倉城

第2次長州征伐では、軍制改革に成功した長州藩が、幕府軍を圧倒していきます。芸州口こそ一進一退の攻防が続いたものの、それ以外の石州口、大島口、小倉口では、幕府軍が敗退していきました。

 大村益次郎(村田蔵六)に指導された石州口では、長州藩は益田を攻め落とし、さらに浜田を攻撃しました。浜田藩は自ら城を焼き退去しました。

 大島口では、長州藩は初戦敗退したもので、すぐに第2奇兵隊等が上陸し幕府軍を撤退させています。

 小倉口では、高杉晋作に指導され、奇兵隊を中心とした長州軍が3度の渡海攻撃を仕掛けて、小倉藩を圧倒していきます。

7月30日には肥後藩をはじめとした九州諸藩の軍勢は自分の藩に引き上げてしまいます。そこで、8月1日に、小倉藩自ら小倉城に火をつけて撤退をしました。

10、 ③勝海舟 

 この問題は簡単だったと思います。まさに基礎的知識です。

 勝海舟は、元治元年に軍艦奉行を罷免されていました。それが、慶応2年5月、急遽、呼び出されて軍艦奉行に復職し、ただちに大坂行を命じられました。

さらに、8月には休戦交渉のため広島行を命じられ、9月2日、当時長州藩の勢力範囲下であった厳島の大願寺で、長州の広沢真臣や井上馨等の長州代表団と交渉し、休戦しました。

 その時の様子は、中公文庫『氷川清話』P5459に書かれています、

 参照:『江戸時代年表』P248


 


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by wheatbaku | 2017-06-08 10:44 | 『幕末』 | Trackback
第4回「幕末・維新 これは覚えてね!」模擬試験.

第4回「幕末・維新これは覚えてね!」模擬試験

 今日は、第4回「幕末・維新これは 覚えてね!」模擬試験を出題します。

 今回は、元治2年(慶応元年)と慶応2年に起きた事件 についての問題を出題します。

 慶応元年は大事件が少ない年でしたが、慶応2年は薩長同盟締結や第2次長州征伐という大事件が起きた年ですので、模試もこの2つの事件に関する問題が中心となります。 

 正解は、来週半ばに発表します。

1、高杉晋作が、功山寺挙兵で、俗論派の藩政府を打倒し、桂小五郎も潜伏先から帰藩して、長州藩は藩政改革に取り組みます。

この時、第2次長州征伐に備えて長州藩の軍制改革に取り組んだ人は次のうち誰でしょう?

 元々周防の村医の子供として生まれ、咸宜園や適塾で学んだことがある人物です。

①広沢真臣  ②井上聞多  ③前原一誠  ④村田蔵六

2、下の絵は、私が牢獄から妻に送ったもので私自身を描いた自画像です。

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 文久3年に投獄された後、慶応元年閏5月に前藩主に切腹を命じられ、壮絶な最期を遂げました。さて、私は誰でしょう?

 ①岡田以蔵  ②武市瑞山  ③吉田東洋  ④吉村寅太郎

3、朝敵となった長州藩は、武器の購入が困難となりました。そこで、薩摩藩名義で武器を購入し、その武器を長州が受け取る仕組みを考えました。それを薩摩藩の西郷隆盛に提案し西郷隆盛の承諾を得た人物は次のうち誰でしょう?

 ①坂本龍馬  ②中岡慎太郎  ③高杉晋作  ④桂小五郎 

4、坂本龍馬とともに薩長同盟の締結に尽力したのが中岡慎太郎であることは良く知らています。中岡慎太郎は、土佐の安芸郡の大庄屋の家に生まれ、文久元年土佐勤王党にくわわり、文久3年脱藩してしまいます。それでは、慶応2年の薩長同盟締結直前はどのような立場だったでしょう? 

 ①坂本龍馬と協力して海援隊で活動していた。

 ②土佐藩より脱藩の罪を許され陸援隊の隊長に任命されていた。

 ③長州藩に行き、忠勇隊の幹部となっていた。

 ④筑前で、三条実美たちの護衛をしていた。 

5、「表に御記被成候六条は小、西両氏および老兄、龍等も御同席にて談論せし所にて、毛も相違無之候。後来といへども決して変わり候事無之は、神明の知る所に御座候。丙寅二月五日 坂本龍」

この文書は薩摩藩と長州藩で合意した6つの条項について、坂本龍馬が間違いないと朱書きで確認した文書です。それではこの文書の中に書かれている「老兄」とはだれでしょう 

①小松帯刀  ②西郷隆盛  ③桂小五郎  ④高杉晋作

6、寺田屋に投宿中、坂本龍馬は伏見奉行所の捕吏に囲まれますが、お龍の通報をうけ、ピストルで応戦した後、難を逃れたと言われています。

それでは、そのピストルはどのように入手したのでしょうか? 

 ①高杉晋作からもらった。

 ②グラバーから購入した。

 ③中岡慎太郎から借りていた。

 ④西郷隆盛から譲りうけた。

7、坂本龍馬は寺田屋で伏見奉行所の捕吏に襲撃されて怪我をしますが、その治療を兼ねて、お龍と一緒に旅行しました。これが日本初の新婚旅行と言われています。この時に、二人が行った温泉は次のうちどこでしょう?

 ①別府温泉  ②有馬温泉  ③指宿温泉  ④塩浸温泉  

8、第2次長州征伐は、長州側では四境戦争と呼んでいました。

 主に四方面の長州藩境で幕府軍との戦いが行われたため、そう呼ばれました。

 四境の一つは、小倉口と呼ばれる関門海峡方面です。

それでは四境に入らない方面は次のうちどれでしょう?

 ①芸州口  ②萩口、 ③大島口  ④石州口

9、第2次長州征伐では、長州藩は、近代兵器を駆使して、幕府軍に対して攻勢をかけ、長州藩外に攻め込みました。その結果、浜田藩は、浜田城に火をかけ、城を撤退しました。浜田城のほかに、第2次長州征伐の際に焼失した城がありますが、次のうちどれでしょう? 

 ①広島城  ②岩国城  ③津和野城  ④小倉城

10、第2次長州征伐の休戦協定は、厳島の大願寺で締結されました。その交渉の際の幕府側代表は誰でしょうか? 

 ①板倉勝清  ②小笠原長行  ③勝海舟  ④小栗忠順


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by wheatbaku | 2017-06-02 23:14 | 『幕末』 | Trackback
第3回「幕末・維新 これは覚えてね!」模試正解

第3回「幕末・維新 これは覚えてね!」模試正解


 今日は、第3回「幕末・維新 これは覚えてね!」模擬試験の正解をアップします。

 今回10問だと思っていましたら、第5問が重複しているとメールでご指摘をうけました。どれかカットしようとも思いましたが、カットすべき問題もなかったので、11問のままにしておきました。

1、①天狗党 

 天狗党の乱は、水戸藩の尊王攘夷派のうちの劇派(急進派)が起こした事件です。

天狗党という名前は天保の頃から水戸藩改革派の武士が天狗とよばれたことに由来します。

文久4年3月に藤田東湖の子藤田小四郎らが筑波山に挙兵しました。これに農民ら約1000人が加わり、下野、下総、常陸各地で戦闘が行われました。水戸藩や幕府の追討を受けた天狗党は武田耕雲斎をリーダーとして中山道を西上しましたが、ついには、加賀藩に降伏し、翌年、多くの人が斬罪となりました。

参照:『オールカラーでわかりやすい幕末・明治維新』P105、
    『カラー版徹底図解 幕末・維新』P84

 

2、②近藤は斬り込んだが土方は現場にいなかった

尊王攘夷派が京都を焼き討ちするという情報をつかんだ新選組は、不逞浪士の探索を始めようとするものの、浪士たちがどこにいるかはわかりませんでした。

そこで、祇園会所に集まった新撰組は、祇園周辺をしらみつぶしで探していくことにし、近藤勇をリーダーとする組と土方歳三をリーダーとする組に分け、近藤組は鴨川の西側を探索しながら北上し、土方歳三の組は鴨川の東側を探索していきました。

池田屋に尊攘派志士が集合しているのを探知したのは近藤組でした。近藤勇は、土方歳三の組を待つ選択肢もありましたが、集合している志士たちがいなくなるのをおそれ、近藤は土方をまたずに単独で池田屋に斬りこみました。

参照:『オールカラーでわかりやすい幕末・明治維新』P106、
   『カラー版徹底図解 幕末・維新』P86

3、④池田屋に行ったが早すぎたので対馬藩邸に行った。

桂小五郎は、『逃げの小五郎』と呼ばれていました。その代表例として語られるのが、池田屋事件で難を逃れたことです。

 池田屋事件では、桂小五郎は、池田屋に行ったものの早すぎたので近くの対馬藩邸にいったので難を逃れたと言われていますが、これは桂小五郎の回想録『桂小五郎京都変動ノ際動静』に書かれているようです。

 翻刻されているものがないか探しましたが、翻刻されたものはなさそうですので、『カラー版徹底図解 幕末・維新』P86でご確認ください。

 なお、中公新書『幕末史』(佐々木克著)P149に、木戸は屋根伝いに逃げて難を逃れたと書いてありますが、これは当時の長州藩京都留守居役乃美織江の藩への報告書に基づいた説だと思われます。

4、②宮部鼎三(ていぞう)

宮部鼎三は、山鹿流兵法を学んだ肥後藩兵法師範で、江戸で吉田松陰と知り合い松陰の東北周遊にも同行しました。肥後勤王党の中心人物で、京都で活動し、八月十八日の政変で長州へ退去した後、京都に潜入して活動する中で、池田屋事件に遭遇しました。

選択肢①吉田稔麿(としまろ)は松下村塾の塾生で松門四天王の一人です。    

③望月亀弥太は土佐藩脱藩浪士、④北添佶磨(きつま)は土佐出身者、二人とも坂本龍馬の仲間です。

参照:『カラー版徹底図解 幕末・維新』P86

5、④高杉晋作は慎重論で久坂玄瑞が進発論 

 禁門の変の経緯について今週のブログに書き、本件についても触れましたので、ブログを読まれた方は、正解がお分かりだと思います。

久坂玄瑞は、上京すべきだという進発論でしたが、高杉晋作は、一貫して慎重論でした。

参照:中公文庫『開国と攘夷』(小西四郎著)P363、
    中公新書『幕末の長州』(田中彰著)P120


5、③天龍寺

これもブログに書きましたので正解はお分かりだと思います。

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 ブログには書きませんでしたが、天龍寺には多くの塔頭があり、その中の一つ弘源寺には、禁門の変の際に駐在した長州藩士が傷つけた刀傷があちこちの柱に残されているそうです。

3月に訪ねた時には、残念ながら非公開でしたので、山門だけ写真に撮ってきました。(右上写真)
参照:『オールカラーでわかりやすい幕末・明治維新』P112、
  『カラー版徹底図解 幕末・維新』P113



6②鷹司家 

これもブログに書いた通りです。

堺町御門から乱入しようとした久坂玄瑞は、越前兵に阻まれ、右に折れて、鷹司邸の裏門から屋敷に入り、参内しようとする前関白鷹司輔煕に嘆願の儀があるので参内のお供にとお願いしたが叶わず、敵との砲撃が始まる中で、銃撃で左膝を負傷し、鷹司邸で自刃をした様子が『花冠の志士』(古川薫著)にビビットに描かれています。

 参照:『オールカラーでわかりやすい幕末・明治維新』P112

7、④西郷隆盛

 これはもう基礎知識中の基礎知識です。西郷隆盛は、沖永良部島への流罪を許されて鹿児島に戻るとすぐに上京し薩摩藩の京都派遣軍司令官ともいうべき軍賦役を命じられ、禁門の変では、薩摩藩兵を指揮し、長州藩追討に大きな働きをしました。その働きを認められて参謀に任命されたものだと思われます。

参照:『カラー版徹底図解 幕末・維新』P98

8、①英米仏蘭 

四か国連合艦隊の下関砲撃は基礎的な知識でもあり、重要事項でもあります。

 しかし、四か国とはどこかと問われると答えられなく困ることがありませんか。

 そういうこともありはしないかと考えて出題しました。

 答えられなかった方は、これは基礎知識ですので、しっかり覚えておいてください。ロシアが含まれていないということがポイントです。

参照:『カラー版徹底図解 幕末・維新』P96 

9、③魔王のようだ

 直接の典拠とした『カラー版徹底図解 幕末・維新』P96に、問題文と同様に書いてあります。さらに、講談社文庫『高杉晋作』(池波彰一郎著)や人物文庫『高杉晋作』(三好徹著)を見ると『魔王のように傲然としていた』と書いてありますので、選択肢は「魔王のようだ」としました。

 しかし、岩波文庫『一外交官が見た明治維新』では、「使者は艦上に足を踏み入れた時には悪魔のように傲然としていた」と書いてあり、微妙にニュアンスが違っていることを付記しておきます。

10、①功山寺

長州藩は、一貫して討幕派であったような印象を持っている人もいると思いますが、長州藩の藩論が一貫して倒幕論であったわけではありません。

 特に、第一次長州征伐と四か国連合艦隊の攻撃を受けた時には、藩政は俗に「俗論派」と呼ばれる幕府に恭順を示す人たちが主導権を握っていました。

 これに対して、高杉晋作は、俗論派から藩政を奪還するため、約50人の少数で決起しました。これが「功山寺挙兵」と呼ばれます。

当時、功山寺には長州に下っていた五卿が潜居していました。

現在の功山寺境内には馬上姿の晋作の銅像があるそうです。

選択肢②了円寺は、功山寺で決起した高杉晋作たちが、新地会所襲撃後にたてこもった寺です。③桜山神社は、高杉晋作の発議により創建された殉国の志士の神霊を祀る招魂場です。④東行庵には、高杉晋作の墓があります。

参照:『オールカラーでわかりやすい幕末・明治維新』P119、
    『カラー版徹底図解 幕末・維新』P98


以 上








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by wheatbaku | 2017-04-28 22:40 | 『幕末』 | Trackback
第3回「幕末・維新 これは覚えてね!」模擬試験

第3回「幕末・維新 これは覚えてね!」模擬試験

今日は、第3回「幕末・維新 これは覚えてね!」模擬試験を出題します。

 今回は、文久4年(元治元年)に起きた事件についての問題を出題します。

 元治元年は、寺田屋事件、禁門の変、第一次長州征伐など、大事件が次々と起きています。


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 現在、禁門の変までの経緯を書いていますが、今後もあと数回続ける予定です。

これらの記事を読んでいくと、正解がわかる問題もあります。

右写真は、禁門の変の現場、蛤御門です。

正解は、今週末にアップします。

1、文久4年3月、水戸藩の尊皇攘夷派が筑波山で挙兵しました。幕府の追撃をうけると、一橋慶喜に助けを求めるため京都をめざして行軍を開始しました。しかし、慶喜が追討軍を差し向けたことを知ると12月に加賀藩に投降しました。

 この尊攘派グループは何とよばれたでしょう?

①天狗党  ②天誅組  ③精忠組  ④赤報隊

2、池田屋事件は、祇園祭の宵宮の日に、新撰組が、尊王攘夷派の志士が集まっていた池田屋を襲撃し、多数の志士を殺傷した事件です。池田屋襲撃の際の新選組局長近藤勇と副長土方歳三の行動で正しいのはどれでしょう? 

 ①近藤は表から、土方は裏から斬り込んだ。  

②近藤は斬り込んだが土方は現場にいなかった。

 ③近藤・土方が一緒に表から斬り込んだ。  

④土方だけが斬りこみ近藤は現場にいなかった。

3、池田屋事件の際に、桂小五郎は自分自身がどう行動したと書いているでしょう?

ちなみに桂小五郎は、江戸三大道場の一つ練兵館の塾頭を勤めたことがある剣豪です。

 ①長州藩邸にとどまり池田屋にいかなかった。   

②斬りこまれたら屋根を伝って対馬藩の屋敷に逃げた。  

③近藤勇と斬り合ったのち逃げ延びた。

④池田屋に行ったが早すぎたので対馬藩邸に行った。

4、池田屋に集合した尊王攘夷派のリーダー格だった人物は誰でしょう? 肥後藩士で吉田松陰の親友でした。

①吉田稔麿(としまろ)  ②宮部鼎三(ていぞう)  

③望月亀弥太       ④北添佶磨(きつま)

5、禁門の変を前に、長州藩が上京すべきか留まるべきか藩論が割れました。高杉晋作と久坂玄瑞の意見はどうでしたか?

①二人とも上京に積極的な進発論  

②二人とも上京に対して慎重論  

③高杉晋作進発論で久坂玄瑞は慎重論 

④高杉晋作は慎重論で久坂玄瑞が進発論 

5、禁門の変は別名蛤御門の変と呼ばれます。それは蛤御門で長州藩と会津藩の激闘がくりひろげたからです。長州藩は洛西の有名なお寺を拠点として京都市内を通り抜けて蛤御門を攻めかかりました。それでは、蛤御門を攻撃した長州藩が拠点としたお寺はどこでしょう?ユネスコ世界文化遺産に登録されている有名なお寺です。

 ①龍安寺  ②仁和寺  ③天龍寺  ④西芳寺(苔寺)

6、禁門の変で、長州藩の敗北が明らかになり、久坂玄瑞が自刃した屋敷はどこでしょうか? 五摂家の一つです。

 ①近衛家  ②鷹司家  ③九条家  ④一条家

7、禁門の変により、長州藩は朝敵となります。幕府はこれを機会に長州追討する征長軍を組織します。征長軍の総督は尾張藩の徳川慶勝がなりました。それでは参謀にはだれがなったでしょう?

 ①一橋慶喜  ②松平容保  ③勝海舟  ④西郷隆盛

8、攘夷を決行した長州藩への報復として、下関を砲撃した四か国連合艦隊の四か国とはどこでしょうか? 

①英米仏蘭  ②英米仏露  ③米露英蘭  ④米露仏蘭 

9、高杉晋作は、下関戦争の講和交渉の際、白装束に陣羽織、黒い烏帽子といういでたちで交渉に臨みました。

この様子をみて、イギリス側の通訳として交渉に臨んだアーネストサトウはどのような感想を述べているでしょう?

①閻魔のようだ。 ②仁王のようだ。 
③魔王のようだ。 ④鬼のようだ。

10、高杉晋作が決起した事件は、集合場所になった場所の名前から「〇〇〇挙兵」と呼ばれますが、〇〇〇に入る名前は次のどれでしょう?

①功山寺   ②了円寺   ③桜山神社   ④東行庵

以 上



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by wheatbaku | 2017-04-23 12:58 | 『幕末』 | Trackback
第10回「江戸の祭礼と歳事」模試正解

 今日は、先週金曜日に出題した模擬試験の正解をアップします。

 今回は、間違がっている説明を指摘する問題を多くしました。

 そのため、幅広い知識が必要なので、正解を見つけるのが結構大変だったことだろうと思います。

 今回は、問題を難しくするために、間違い指摘の形式にしたのではありません。

 多くの知識を確認していただき、総復習していただこうと思ったのです。

 ですから、正解の数が少ないとがっかりしないで下さい。

 知らないこと・不確かなことを確認して復習するきっかけとしてください。

1

山王権現については、夏検には出題されていませんが、本試検では必ず出題されると思っていますので、要注意です。

①山王権現の神領は、合計で600石でしたので間違いです。参考図書参照P14

②山王祭の行列が初めて江戸城内に入ったのは寛永12年で将軍家光の時ですので間違っています。参考図書参照P16

③山王祭の行列は山車行列の最後に神輿3基が渡りましたので間違っています。参考図書参照P26

④御雇祭についての説明は正しいので、答えはこれとなります。参考図書参照P33

2

夏検では「取り締る人々」からは出題されていませんが、1級で出題される可能性が高いので、よく勉強しておいてください。

①説明文の通りです。参考図書参照P30

②説明文の通りです。参考図書参照P36

③説明文の通りです。参考図書参照P37

④天下祭の行列の江戸城内への繰り入れには、徒目付と小人目付が立ち会うと参考図書に書いてあります。徒目付・小人目付は目付の下僚で、目付とは異なる役職です。これが間違いです。 参考図書参照P37

3

浅草蔵前牛頭天王は、「団子天王」と呼ばれていました。参考図書参照P52

過去のブログでも紹介してあります。
 団子天王 をご覧ください。 

4

富くじについての参考図書の説明はかなり詳しいので、江戸の富くじの知識として読むという面でも大変参考になります。よく読んでおくとよいと思います。

①江戸で富くじが最初に行われたのは牛込戸塚の宝泉寺でしたので間違いです。参考図書参照P60

②説明文の通りです。参考図書参照P60

③説明文の通りです。参考図書参照P61

④説明文の通りです。参考図書参照P62

5

相撲もかなり出題しやすい項目だと思っています。よく勉強しておいてください。

①説明文の通りです。参考図書参照P66

②説明文の通りです。参考図書参照P66

③説明文の通りです。参考図書参照P67

④同じ藩の抱え力士同志の取り組みはありませんでしたが、同部屋対決はありましたので、この説明文は間違っています。参考図書参照P68

6

寄席は、江戸時代後期に非常に盛んになりましたが、天保の改革を大きな制限をうけています。

それについて詳しく参考図書にかいてありますので、その部分を選択肢の中に織り込んであります。

①説明文の通りです。参考図書参照P73

②天保の改革で、演じるのが許された出し物は神道・心学・軍書講釈・昔噺でした。軍書講釈が漏れていますので、これが間違っています。参考図書参照P73

③説明文の通りです。参考図書参照P73

④説明文の通りです。参考図書参照P74

7

「聖と俗の空間」は、浅草と吉原・猿若町の関係について今まであまり触れられていない視点で書かれていると思います。ちょっと注目です。

①説明文の通りです。参考図書参照P81

②説明文の通りです。参考図書参照P82

③浅草寺は、浅草に三座が移転してくることに当初は反対していたので、この説明が間違いです。参考図書参照P82

④説明文の通りです。参考図書参照P82

8

「江戸神仏願懸重宝記」は、これまで馴染みのない書物ですので、結構難しい項目です。

しかも夏検では出題されていません。だからといって油断は禁物だと思います。

ここは、要注意です。よく読んでおいたほうがよいと思います。

①「錐大明神」- 説明文の通りです。参考図書参照P86

②「源覚寺」- 説明文の通りです。参考図書参照P86

③「笠森稲荷」- 疱瘡平癒を願う際には土の団子を供えますので、これが間違いです。P87

④「高尾稲荷」- 説明文の通りです。参考図書参照P88

 

9

「稲荷信仰と稲荷社」について夏検では出題されていません。

しかし、江戸では「伊勢屋・稲荷に犬の糞」と呼ばれるほど多い神社です。

これも出題可能性が高いのでよく勉強しておいてください。参考図書参照P91

c0187004_16282879.jpg選択肢①三囲稲荷は東之方大関で、過去何度も出題されています。

選択肢②鉄砲洲稲荷が西之方の大関です。鉄砲洲稲荷は、24日の「鬼平散歩in佃島」でご案内する神社です。

選択肢③能勢稲荷は鷗稲荷とも呼ばれる稲荷です。

選択肢④下谷稲荷は現在下谷神社と名前を変えています。

10 

「流行神」というのは、あまり馴染みのない項目ですので、理解しにくい項目だと思います。しかも夏検では出題されていません。しかし、この項目は要注意だと思います。

 覚えるのが難しいからといって軽視するのは危ないと思います。

よく読んでおきましょう。

 嘉永2年の流行神は②翁稲荷 ③正受院の奪衣婆 ④お竹大日如来です。

選択肢①半田稲荷は麻疹流行のたびに人々が群参しましたが、嘉永2年の流行神ではありません。

参考図書参照P96

11

 伊勢参りは、過去にも出題されていますので、要注意です。

①伊勢御師の最大の収入源だったものは、檀家の人々を伊勢神宮へ導き、自分が経営する宿坊に宿泊させることでした。参考図書参照P103

②説明文の通りです。参考図書参照P103

③説明文の通りです。参考図書参照P104

④説明文の通りです。参考図書参照P105

12

 富士講は、江戸で非常に盛んでした。そこで、富士山信仰についても復習しておいてください。

①説明文の通りです。参考図書参照P107

②説明文の通りです。参考図書参照P108

③説明文の通りです。参考図書参照P109

④富士山の山開きは、現在は7月1日ですが、江戸時代には6月1日でした。富士講の部分だけでなく年中行事の方にも書かれていますので覚えておいてください。参考図書参照P109、P134

13

「厄災と慰霊」もあまりなじみのない項目です。なんで「江戸の祭礼と歳事」の参考図書に載っているのだろうと疑問に思った方もいるかもしれません。

 そういう疑問のある項目こそ要注意だろうと考えこの問題を出題しました。

①惣五郎が直訴したのは4代将軍家綱です。参考図書参照P114

②説明文の通りです。参考図書参照P114

③説明文の通りです。参考図書参照P114

④説明文の通りです。参考図書参照P115

14

 「江戸のおもな祭礼と歳事」から、夏検で「くらやみ祭」とも呼ばれる「府中六所明神祭礼」が出題されています。

 そこで、東京で有名な神社の祭礼を覚えてもらうため選択肢としてあります。 

①水天宮参り  説明文の通りです。参考図書参照P151

②湯島天神祭礼  説明文の通りです。参考図書参照P153

c0187004_16291642.jpg③佃島住吉明神祭礼では龍虎の頭が巡行しました。24日に開催する「鬼平散歩in佃島」では、これをご案内します。その前に右の写真でご案内です。参考図書参照P156

④王子権現祭礼 説明文の通りです。参考図書参照P157

15

今年は大阪でも江戸検が行われるので、西日本の祭礼にも念のため注意しておいたほうがよいと考えて、西日本の祭礼に関心をもってもらうため、あえて西日本の祭礼を選びました。

①和歌祭 説明文の通りです。参考図書参照P167

②津和野の鷺祭 説明文の通りです。参考図書参照P167

③小倉祇園太鼓 八坂神社に参籠した小倉藩主は細川忠興です。小笠原忠真は細川家が熊本に転封された後に入封した小倉藩小笠原家の初代藩主です。参考図書参照P169

④長崎くんち  説明文の通りです。参考図書参照P169


 以上、長い文章で、すみませんでした。

 読んでいいただいてお分かりになると思いますが、問題と選択肢とも、参考図書に記載されている順に並べてあります。

 総復習しやすいように、そうしてありますので、是非活用してください。


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by wheatbaku | 2015-10-20 09:38 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
第10回「江戸の祭礼と歳事」模擬試験問題

 今日は、江戸検のお題に関する今年最後の模擬試験を出題します。

c0187004_13003950.jpg

 夏の江戸検では、2級3級のみとはいえ、参考図書「祭りだわっしょい!江戸の祭礼と歳事」から、ほとんどの問題が出題されています。

 そこで、今回は、参考図書から、全問題を出題します。

参考図書の総復習として利用下さい。
 
従来出題していない項目からも出題したため、問題数が15問となっています。そのため、今年の模擬試験問題は、総数で105問出題したことになります。
 いくらかでもお役にたったのなら幸いです。

正解は、来週火曜日にアップします。

1、山王権現と山王祭について書いた次の説明で正しいものはどれでしょう?

①山王権現の神領は、徳川家康が五石、2代将軍秀忠が百石を寄進し、さらに3代将軍家光が五百石を寄進し、合計で650石であった。

②山王祭の行列が初めて江戸城内に入ったのは元和元年で将軍秀忠の時である。

③山王祭の行列は山車行列の途中に神輿をはさむ形式であった。

④御雇祭は、幕府が氏子以外の町に命じて出させる出し物である。

2、天下祭は、大規模な祭礼であったため、幕府も取締を強化していました。

天下祭の取り締まりについて書いた次の説明で間違っているのはどれでしょう?

①祭礼番付は、事前の取り決め通り祭礼が行なわれているかチェックするものだった。

②天下祭では、町奉行所は祭礼取扱掛名主を任命し氏子町の出し物全般を監督させた。

③町奉行所の祭礼出役は山王・神田・赤坂氷川の祭礼当日、行列の巡行に際して取り締まりを行なうのが主な任務だった。

④天下祭の行列の江戸城内への繰り入れには目付が立ち会った。 

3、浅草蔵前の牛頭天王の祭礼は、6月8日に行われました。

 神輿には、榊と四神鉾の行列が加わり、氏子の家々では団子を付けた笹を神前に奉納しました。

 この祭礼のため、浅草蔵前牛頭天王は、別名で呼ばれましたが、その別名は次のどれでしょう?

 ①榊天王 ②四神天王 ③笹天王 ④団子天王

4、富くじについての次の説明で間違っているのはどれでしょう?

①江戸で富くじが最初に行われたのは谷中感応寺であった。

②「御免富」が開始された時の将軍は8代将軍吉宗だった。

③「銭富」から「金富」へ移行された元文~宝暦期の富札1枚の販売価格は金一分であった。

④「江戸の三富」(感応寺・目黒不動・湯島天神)で富くじが開始されたのは、輪王寺と寛永寺の経営を救済するためだった。

5、相撲について書いた次の説明で間違っているのはどれでしょう?

 ①勧進相撲は集客力の高い寺社で行われ芝神明宮でも行われたことがある。

 ②当初、勧進相撲には土俵がなく人垣のなかで取り組みをした。

 ③土俵に近い土間より桟敷席が高級な席であった。

 ④同部屋対決や同じ藩の抱え力士同志の取り組みはなかった。

6、寄席は江戸っ子に大変人気があり、天保の改革直前には211軒の寄席が確認されているほどでした。

それでは、寄席について書いた次の説明で間違っているのはどれでしょう?

 ①文政~天保期の寄席は、昼夜交代制で7日目が区切りだった。

 ②天保の改革で、出し物は神道・心学・昔噺に限られた。

 ③天保の改革では江戸市中の15か所と、9か所の寺社境内での営業だけが認められた。

 ④天保の改革では寺社における寄席は各々1か所に制限されたが、浅草寺だけは3か所の設置が許可された。

7、浅草は吉原が近くにあるうえに、新たに造成された猿若町に江戸三座が移転させられました。そのため、浅草は、聖と俗の渾然とした町でした。

 これについて書いた次の説明で間違っているのはどれでしょう?

 ①スイスから来日したエメェ・アンベールは、浅草寺に吉原遊女たちの絵馬が飾られていることに興味を抱いた。

 ②吉原の仮宅が浅草寺と関係のある町に設置されたこともある。

 ③浅草寺は、参拝客が増えるので、当初から浅草に江戸三座が移転してくることに賛成していた。

 ④猿若町に移転後の中村座の初日に上演された演目は浅草寺に伝わる伝説をもとにした「金龍山誓礎(きんりゅうざんちかいのいしずえ)」だった。

8、「江戸神仏願懸重宝記」には、いろいろな願懸け対象が載っています。

それを中心に願懸けの方法として供物・断ち物・返礼などを決められた方法で行われたものがあります。次の組み合わせで間違っているのはどれでしょう?


 ①「錐大明神」- 3年間「鰯・ひしこ・ごまめ・たたみ鰯」などを口にしない。

 ②「源覚寺」- 願懸けする際に、「こんにゃく」を供える。

 ③「笠森稲荷」- 米の団子を供えて疱瘡平癒を願う。

 ④「高尾稲荷」- 祠に供えられた櫛を借りて、平癒後は櫛を倍にして奉納する。

 

9、「江戸の稲荷大明神番付」は、天保期ごろの江戸市中の稲荷を格付けしたものです。

 行事は、妻恋稲荷など5稲荷で、勧請元は王子稲荷となっています。

 それでは、西之方の大関となっている稲荷は次のどれでしょう?

 ①三囲稲荷 ②鉄砲洲稲荷 ③能勢稲荷 ④下谷稲荷  

10、江戸時代も幕末に近づくと異国船の接近が頻発したり天保の改革が失敗するなどして、漠然とした社会不安のなかで流行神現象が起こりました。

嘉永2年には複数の神仏が流行神となりましたが、次のなかで嘉永2年の流行神でなかった神仏はどれでしょう?

①半田稲荷 ②翁稲荷 ③正受院の奪衣婆 ④お竹大日如来

11、伊勢参りについて書いた次の説明で間違っているのはどれでしょう?

①伊勢御師は、いわば旅行斡旋業者であるが、伊勢神宮の神職だったものが商人化したもので、大神宮の御札が最大の収入源だった。

②伊勢参りする女性は嫁に家の実権を譲った40代~50代の人が多かった。

③オランダ商館の医師エンゲルベルト・ケンペルは、抜け参りの様子を「江戸参府旅行日記」に書き残した。

④犬だけの伊勢参りも行われ、1年ほどかけて会津の白犬が伊勢にお参りし帰国した例も記録されている。

12、富士講について書いた次の説明で間違っているのはどれでしょう?

①江戸で富士講を拡大させたのは食行身禄(伊藤伊兵衛)である。

②富士講は江戸庶民に熱狂的に迎え入れられ、俗に「江戸八百八講、信者八万人」と呼ばれた。

③江戸の富士塚の初めは、高田藤四郎らが10年近くかけて築いた「高田富士」である。

④富士山の山開き(7月1日)には多くの参拝客が富士塚を訪れた。

13、佐倉惣五郎義民伝説について書いた次の説明で間違っているのはどれでしょう?

①惣五郎は佐倉藩領の村役人で藩の苛政を3代将軍家光に直訴した。

②惣五郎を祀る「口の明神」が建てられた場所は平将門が城を築いた地とされている。

③惣五郎の百回忌に「宗吾道閑居士」の諡号を与えたのは堀田正亮だった。

④神田明神に祈願した時にみた夢に導かれ3代目瀬川如皐と佐倉に出向いて「東山櫻荘子」をつくった歌舞伎役者は市川小団次である。

14、江戸では特徴のあるさまざまな祭礼と歳事が行われました。その特徴ある祭礼・歳事について書いた次の説明で間違っているのはどれでしょう?

 ①水天宮参り ― 参詣者は水難除け・安産を願い、錠または錠と椿を描いた額を納めた。
 ②湯島天満宮祭礼 ― 砥餅という砥石の形の餅を神前に供え氏子にも配った。

③佃島住吉明神祭礼 ― 2体の獅子頭が巡行し神輿を海中に担ぎ入れた。

④王子権現祭礼 ― 参詣人は神前に小さな鎗を納め、ほかの人が納めた鎗を火災盗難除けの守りとして持ち帰った。

15、日本全国で江戸時代に起源・由来をもつ祭礼が現在も多く行われています。

その祭礼について書いた次の説明で間違っているのはどれでしょう?

①和歌祭 ― 紀州東照宮の完成の翌年元和8年に、紀州藩主の徳川頼宣が、徳川家康の霊を慰めるために行ったのが最初の紀州東照宮の大祭 

②津和野の鷺祭 ― 戦国時代に起源を持ちながら一時中断していたものを寛永20年に津和野藩2代藩主亀井茲政(これまさ)が復活させたもので、弥栄神社の例大祭で奉納される。

③小倉祇園太鼓 ― 元和4年の干ばつ・疫病・水害を憂えた小倉藩主小笠原忠真が八坂神社に参籠したところ平穏を取り戻したためお礼として催したことに始まる八坂神社の例大祭

④長崎くんち ― 寛永11年に二人の遊女が神前に謡曲「小舞」を奉納したことに始まる諏訪神社の秋季大祭 



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by wheatbaku | 2015-10-16 11:37 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
第9回「江戸の祭礼と歳事」模試正解

 今日は、先日出題した9回目の「江戸の祭礼と歳事」に関する模擬試験の正解をアップします。

 今回もお題の参考図書「祭りだわっしょい! 江戸の祭礼と歳事」から出題してあります。

 8月に行われた夏検では、年中行事に関する問題が2級では6問、3級では9問出題されています。

 夏の江戸検講座で受講者の皆さんに「年中行事は要注意」といっていた通りの傾向でした。

そこで、今回は年中行事に関する問題だけを出題しましたが、あまり知られていないことを問題としたため難しかったかもしれません。

たとえ正解に到達しなくても、まだ1か月ありますので、参考図書を勉強する時間は十分あります。

この模擬試験が参考図書精読のきっかけになれば幸いです。

1④薬研堀不動尊

 歳の市は、12月15日の富岡八幡宮から始まりますが、縁日とあわせて開催されることが多かったようです。

例えば、天神様の縁日は25日でした。そこで12月25日26日は平河天満宮で歳の市が開かれています。

28日はお不動様の縁日です。それに合わせて両国(現在の東日本橋)にある薬研堀不動尊で開かれる歳の市が、江戸で最後の歳の市となりました。

参考図書P143を参照してください。

2、②眼病

灌仏会で甘茶をかけるのは良く知られていますが、これは、釈迦誕生の際に帝釈天・梵天および九龍が香水で洗浴したということに由来すると三省堂「年中行事事典」に書かれています。

この甘茶が眼病に効くとされたことが、参考図書P132に書かれています。

3、③皐月狂言

 この問題は間違えた人が多いのではないでしょうか?

 曾我狂言といえば初春狂言と思っている人が多いと思います。

 私もそう思っていた一人ですが、参考図書のP146に詳しくかかれていますので、気を付けて読みなおしてください。

 また、東都歳事記の五月二十八日に「三芝居曾我祭」として書かれていますので、東都歳事記をお持ちの方はこちらも確認しください。

4、①お花講

これは参考図書のP135に書かれています。

「お花講」というのはおもしろい名前だなと思ってインターネットで検索しました。

伊勢原市のニュースリリースに書かれていますが、それによると、「お花講」は、日本橋小伝馬町の講で、大山三大講の一つにかぞえられた大きな講のようです。

5、④灸をすえる 

 参考図書P128を参照してください。 

次のような川柳があります。

可愛さの あまり泣かせる 二日灸  

二日には 母も子のため 鬼になり


6、③4間の座敷に台所が1間ある島市丸

 東都歳事記の五月の「船遊山」という項目に、「熊市丸」「山市丸」「窮屈丸」が書かれていますが、「島市丸」は書かれていません。

東都歳事記をお持ちの方は確認しておいてください。

7、②今戸の硯

 参考図書P129を参照してください。

 初午の日は、江戸では手習い師匠の入門の日とされることが多いということは、1級を受検される人には常識レベルと考え、少し難しくしました。

初午は要注意事項ですので、よく読んでおいてください。

8、①たこ 

参考図書P133をよく読んでおいてください。

今年は大阪でも江戸検を受検できるようになりました。

江戸だけでなく関西の年中行事も要注意と思います。

そこで、関西関係の問題を出題しました。

9、①鶏の絵

 参考図書P142を参照してください。

荒神様については、過去に出題されたこともありますので、よく理解しておいてください。

昨年には、品川の海雲寺の「千体荒神祭り」に行ってきましたが、鶏の絵が描かれた絵馬は売っていませんでした。

そこで、要注意と考えて出題しました。

「鶏の絵馬は何除けのためか?」などという問題が出ると意外に難しいかもしれません。

10、②お中入り

 町入能の実施日についてはコメントで指摘をいただきましたが、江戸検の模擬試験ですので、参考図書P130の記述をもとに出題してあります。

 この記述は町入能についてかなり詳しく書かれていますので、よく読んでおいたほうがよいと思います。

 傘を受取ったことなどは要注意だと思います。





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by wheatbaku | 2015-09-30 11:36 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
第9回「江戸の祭礼と歳事」模擬試験問題




 今日は、9回目の「江戸の祭礼と歳事」に関する模擬試験を出題します。

c0187004_09252325.jpg 今回もお題の参考図書「祭りだわっしょい! 江戸の祭礼と歳事」から出題します。

 8月に行われた夏検では、年中行事に関する問題が数多く出題されています。

 そこで、今回は、年中行事に関する問題だけを出題します。

 6問を除いた正解は参考図書を精読していればわかるはずです。

 万が一正解がわからない場合には、参考図書に戻って、さらにしっかり勉強してください。

 正解は水曜日にアップします。 


1、歳の市は、正月用品などを売る季節市のことですが、江戸ではおおむね開催する日と場所が決まっていました。

 それでは、12月28日に開かれ、「納めの市」とも呼ばれることもあった歳の市はどこで開かれたでしょう?


 ①富岡八幡宮  ②神田明神  
 ③平河天満宮  ④薬研堀不動尊


2、4月8日の灌仏会は、お釈迦様の誕生日です。

この日、参詣者は釈迦誕生仏に甘茶をかけ、お寺では参拝客に甘茶を配ります。

この甘茶は、ある病に効くと信じられていましたが、その病は何でしょう?


 ①歯痛  ②眼病  ③瘧(おこり) ④頭痛


3、歌舞伎の世界では芝居が年中行事として定例で興行されていました。

 ある月は、盛大に「曾我祭」」が催され、28日には曾我大荒神の宮を劇場の3階に祀って、神酒などを供え、座元から役者すべてに酒肴が振る舞われました。

 これが行われたのはいつでしょう?


 ①盆狂言  ②菊月狂言  ③皐月狂言  ④初春狂言


4、相州大山の山開きの期間は6月27日~7月17日まででした。

 山開き初日は、ある講の人々が頂上に通じる石段の中門を開くと決まっていました。

その伝統は現在も引き継がれているようです。

その講とは次のうちどれでしょう?


 ①お花講  ②お山講  ③お江戸講  ④お水講


5、2月2日と8月2日には、心身の健康と清浄を願ってある行事が行われました。

 それは次のうちどれでしょう?


 ①閻魔様にお参りする  ②茅の輪をくぐる

③人形を水に流す    ④灸をすえる 


6、両国の川開きは5月28日に行われ8月28日までが納涼期間とされました。

この間は多くの納涼船が出ましたが、東都歳事記によれば、おもしろい名前の納涼船があったと書かれています。

 次の船の名前で東都歳事記にのっていないものはどれでしょう?


 ①9間の座敷に台所が1間ある熊市丸 

②8間の座敷に台所が1間ある山市丸

③4間の座敷に台所が1間ある島市丸
 ④一人乗りの窮屈丸 


7、初午に (    ) よく売れる
 初午の日は、江戸では手習い師匠の入門の日とされることが多く、この川柳は子供たちが新しい道具をそろえて手習に向かう様子を詠んだ川柳ですが、( )に入る文具とその産地はどれでしょう?


 ①江戸の細筆  ②今戸の硯  ③石見の半紙  ④奈良の黒墨

8、24節気のうち冬至には江戸時代もかぼちゃが食べられました。一方、夏至には関東では餅を食べることがありましたが、関西の農家では何を食べたでしょうか?


 ①たこ  ②氷餅  ③えび  ④鯖鮓


9、荒神様は、竈の神様、火伏の神様として、竈付近に札を貼ったり荒神棚を設けたりしてお祀りされました。

特に荒神棚には、松の枝のほかに、あるものが描かれた絵馬が供えられました。それは何でしょう?


 ①鶏の絵   ②猪の絵
 ③天狗の絵  ④凧の絵 


10、3月4日に江戸城内で催された能楽には、江戸市中の名主や家主などが招待され能を拝見しました。これは「町入能」と呼ばれた行事ですが、町人たちは別名でも読んでいました。

それでは、町人たちは「町入能」を何と呼んでいたでしょう? 


 ①お城入り  ②お中入り  ③お庭入り  ④ご本丸入り










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by wheatbaku | 2015-09-27 17:31 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
第8回「江戸の祭礼と歳事」模試正解

今日は、月曜日に出題した模擬試験の正解をアップします。

 第6問は、過去問ですが、それ以外は、すべて参考図書「祭だわっしょい!江戸の祭礼と歳事」から出題しています。

 ですから、「江戸の祭礼と歳事」を読み込んでいる人には難しくないと思います。

 自分のめざす点数が取れなかった方は、まだ本検まで2か月ありますので、もう少し精読したほうがよいと思います。

 複数人の関係者に尋ねても、今年のお題の「江戸の祭礼と歳事」について網羅的に書いた参考図書はないと異口同音に言います。

お題に関する問題で点を取るには、今年は参考図書「祭だわっしょい!江戸の祭礼と歳事」が最もよいと思います。

しっかり読まれるとよいと思います。

次回も「江戸の祭礼と歳事」から出題します。

1、 ④不知火光右衛門  -  出雲藩

参考図書「祭だわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP68~69記載されています。

大名のお抱え力士としては、選択肢にあげた①谷風梶之助-仙台藩、②小野川喜三郎-久留米藩が有名です。

選択肢の③雲龍久吉-柳川藩はそれほど有名ではありませんが今年は覚えておいた方がよいでしょう。

不知火光右衛門は熊本藩のお抱え力士です。熊本には不知火海という海もありますので、これと関連づければ覚えやすいですね。

松江藩のお抱え力士として有名なのは雷電為右衛門と稲妻雷五郎です。この二人もぜひ覚えておきましょう。

c0187004_10462936.jpg2、①米の団子

 参考図書「祭だわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP87~88に記載されています。

笠森稲荷は「笠森お仙」で、江戸検を受検する方にはおなじみの神社です。

現在は、谷中の功徳林寺境内にお祀りされています。(右写真) 

3、③太郎稲荷 

この問題自体は、第6回の1級試験第9問 に出題された問題です。

しかし、参考図書「祭だわっしょい!江戸の祭礼と歳事」P96にも記載されています。

 太郎稲荷は、現在では、小さなお稲荷さんとなっていますが、入谷駅の近くに、現在もお祀りされています。

 過去に、このブログで書いたこともあります。ご覧になってみてください

太郎稲荷神社(江戸屋敷にあった神社16)

4、 ②水稲荷神社 

「祭だわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP109に記載されています。

水稲荷神社は、現在は甘泉園公園脇に遷座していますが、富士塚も移築されています。

高田富士については、今年7月の「富士祭」にお邪魔して高田富士に登拝してきました。

その際の記事もブログにアップしてありますので、ご覧になってみてください。

高田富士(江戸の祭礼と歳事)

c0187004_10465942.jpg5、③平河天満宮

「祭だわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP59に記載されています。

挿絵の説明ですので、見落としてしまう人も多いと思います。

しかし、こうした部分も大切だと私は常々考えています。

そこで、そのことを強調するために、模擬試験として出題しました。

挿絵の説明通り、平河天満宮には、現在も奉納物が保存されています。

右上写真は、撫で牛です。

6、①橋の上から投げ込まれる銭を受け取っている

 この問題は、第4回の1級試験第73問に出題された問題です。

過去問を勉強している方には覚えがある方もいるかもしれません。

この絵の出典は「伊勢参宮名所図会」のようです。

先日参考図書として紹介した「絵図に見る伊勢参り」の中にも取り上げられていて、「宇治橋での名物は竹の先に網をつけて投げ銭を拾う人々であった」と書いてあります。

この投げ銭を拾う人々については「東海道中膝栗毛」の中でも描かれているそうです。

7、②疱瘡

「祭だわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP88に記載されています。

 これも挿絵の説明の中から出題しました。

挿絵などの説明も大事だということは、江戸検を受検される方には強調してきました。

そうしたこともあってか、毎日文化センターの江戸検講座を受講された方はかなり挿絵の説明まで丹念に読んでくれています。

そうした人たちにはやさしい問題だったのではないでしょうか。

8、①深川永代寺 

「祭だわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP58に記載されています。

 これも表の説明の中から出題しましたが、表を見なくても正解の分かった方が多かったと思いますので、簡単な問題だったと思います。

c0187004_10503212.jpg9、④能勢稲荷 
 

「祭だわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP86に記載されています。

また、江戸時代には、外神田にありましたが、現在は両国の「能勢妙見様」の境内に鎮座しています。(右写真)

「能勢妙見様」は、勝海舟ゆかりの寺院で、境内には勝海舟の銅像があるので有名な寺院です。


10②堀田正信

「祭だわっしょい!江戸の祭礼と歳事」のP114記載されています。

佐倉惣五郎の話は良く知られた話ですが、堀田正信との関係で語られることは少ないように思いますので出題しました。

堀田正信自体はあまり知られていませんが、父が堀田正盛(春日局の義理の孫、家光に殉死)で、弟が掘田正俊(綱吉政権初期の大老)という華麗な一族の一員でした。

しかし、幕政を批判する文書を提出し無断で帰国したため改易となっています。





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by wheatbaku | 2015-09-02 10:24 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
第8回「江戸の祭礼と歳事」模擬試験問題


 

 昨日は、江戸楽アカデミーの「過去問題からみる『江戸博覧強記』勉強の実践的ポイント」というタイトルの講座で「博覧強記」の勉強の仕方についてお話してきました。

c0187004_08514982.jpg 7月12日開講として募集した講座に対する希望者が多くて追加で開講することにした講座です。

 当初の予定では8月9日に予定していましたが諸事情により昨日開講とさせていただきました。

 講義の内容は7月12日に開講した講座と同じで、江戸検1級の過去問を分析した結果に基づく「博覧強記」の勉強の仕方についてお話しました。

 受講された皆様は大変熱心にお聞きいただきました。

 受講された皆様ありがとうございました。


 昨日の講座では、過去問を勉強することの重要性とともに模擬試験などに取り組むことの重要性についてもお話させていただき、具体的に「江戸の祭礼の歳事」について模擬試験を出題して解いていただきました。

 本日は、昨日の講座で出題した模擬試験をアップします。。

 第6問以外は、すべて参考図書「江戸の祭礼と歳事」から出題していますので挑戦してみてください。

 正解は、9月2日(水)にアップしますが、正解がわからない場合には「江戸の祭礼と歳事」を確認されても事前に正解はお分かりになると思います。

 



1、江戸時代、力士たちは相撲年寄によって部屋ごとに統括されましたが、大名のお抱えとなる力士もいました。

 彼らは、藩から士分の格と衣服や刀などを贈られ、手当も支給されました。

それでは、次の力士と抱えた藩の名前が正しくない組合せはどれでしょう? 

①谷風梶之助   - 仙台藩

 ②小野川喜三郎  - 久留米藩

 ③雲龍久吉    - 柳川藩

 ④不知火光右衛門 - 出雲藩

2、明和三美人の一人として有名な「笠森お仙」が門前の茶屋にいたことで有名な笠森稲荷は、寛政5、6年には疱瘡平癒を願う願掛けが流行りました。

 それでは、願いが叶って疱瘡が治った際には、何を供えたでしょう? 

 ①米の団子  ②土の団子  ③柳の楊枝  ④櫛

3、「浅草田圃なる立花左近将監鑑寿が別野の鎮守稲荷の社(略)利生あらたなりとて、江戸幷に近在の老若参詣群参する事夥し」(『徳川実紀』)

これは天明から享和期にかけて、大流行した神社に関する記述です。一時沈静化したものの、再び天保期に大流行したこの神社は、どこでしょう?

①翁稲荷  ②黒田稲荷  ③太郎稲荷  ④三崎稲荷  

4、最初の富士塚は、安永8年頃に食行身禄の弟子の植木職人藤四郎が築いたとされています。

それでは、江戸における最初の富士塚が築かれた神社はどれでしょう?

①駒込富士神社  ②水稲荷神社 
  ③鉄砲洲稲荷神社  ④品川神社

5、開帳は、時代が下がるとともに秘仏や宝物だけでなく奉納物にも関心が集まるようになり開帳奉納番付も作られるようになりました。

嘉永5年に行われたある神社の居開帳の際にも開帳奉納番付がつくられました。その開帳奉納番付に紹介された石灯籠・百度石・撫で牛などは現在も残されています。

この神社は次のうちどれでしょう?  

①谷保天満宮  ②湯島天神  ③平河天満宮  ④亀戸天満宮

6、下の絵は、伊勢神宮内宮の入り口にある宇治橋の様子を描いたもので、川のなかで網をもった人たちが描かれています。

さて、この人たちはいったい何をしているのでしょう?

①橋の上から投げ込まれる銭を受け取っている

②食べるとご利益があるという鯉を捕っている

③神聖な川として清流を保つため川底を掃除している

④霊験あらたかと伝わる川底の石を拾い参拝客に売っている

c0187004_08493542.jpg

7、浅草寺の仁王門は、昭和20年の戦災で焼失してしまいましたが、江戸時代には、仁王門の仁王尊も願掛けの対象となりました。

ふだん仁王門は施錠されており仁王尊に近づけませんが、毎月8日だけは「股くぐり」が許されました。

それでは仁王尊には何の願懸けをしたのでしょう?

 ①盗賊除け  ②疱瘡  ③歯痛  ④怪我除け

8、江戸での出開帳が最も多かったのは成田山新勝寺で江戸時代を通じて12回ありました。

成田山新勝寺の出開帳は、平井村燈明寺で1回行われましたが、それ以外はある寺社で行われました。

それは次のうちどれでしょう?

①深川永代寺  ②本所回向院  ③湯島天神  ④大塚護国寺

9、狐憑きに霊験があるとされた稲荷は次のうちどれでしょう?

 表面を黒く塗りつぶした独特な札が江戸で人気がありました。

また、江戸時代には、外神田にありましたが現在は両国に鎮座しています。

①芭蕉稲荷  ②柾木稲荷  ③津軽稲荷  ④能勢稲荷  

10、佐倉惣五郎伝説によれば、佐倉惣五郎は、佐倉藩堀田氏の苛政に苦しみ、堀田氏への門訴や老中への駕籠訴を行い、最終的には4代将軍家綱に直訴したため、惣五郎と家族が死罪になったとされています。

それでは、この時の佐倉藩の藩主は、次のうち誰だったでしょう?

①堀田正盛  ②堀田正信  ③堀田正亮  ④堀田正睦





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by wheatbaku | 2015-08-31 08:45 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
  

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