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江戸検当日の対策(江戸検お役立ち情報⑥)

 いよいよ、江戸検本番が明日となりましたね。

 「今年は絶対合格したい」と頑張っている方、「去年よりよい成績がとりたい」と思っている方、「今年はもうだめだ」と思っている方、人それぞれだと思います。

 ともかく、明日江戸検が終了すれば解放されますので、ぜひ頑張ってください。

 そこで、今年最後の江戸検受検のためのお役立ち情報として「当日の受検対策」をいくつか書いてみます。

1、自信をもって臨む

 多くの方が、今まで相当の努力をしてきていると思います。

 努力をしている方はその努力に自信をもつことだと思います。

 日々の勉強の積み重ねは馬鹿にできるものではありません。

 そうした努力をされてきているわけですので、自信を持って挑戦しましょう!

 やはり、自信と強気のチャレンジ精神で臨むことが大切だろうと思います。

2、最後まで暗記する努力をする

 江戸検で点数をかせぐポイントは、しっかり暗記しているかどうかです。

 ですから、暗記する努力を試験の直前まで行うことが大切だと思います。

 監督官から「机の上のものをしまうように」という指示があるまで、一生懸命暗記しましょう。

 本やノートを見ていることは、恰好悪いことではありませんし、恥ずかしいことではありません。堂々と直前まで暗記しましょう。 

 

3、試験冒頭にわからない問題が出ても動揺しない

 最初の問題は結構大切だと思います。

 正解が連続してわかれば、リズム良く解いていけますが、わからない問題が続くとショックがあるものです。

 そうした場合、ショックを引きずらないようにすることが大切ですね。

そこで、ショックをやわらげて、自分なりの気持ちの切り替え方を準備しておくことが必要ではないでしょうか。

 私は、最初に1級を受けた際に、第1問の「大樹寺の将軍の位牌の大きさの基準となる長さを問う問題」と第2問の「甘い物が大好きな将軍の名前を問う問題」で、2問ともわからず、大変あせりました。

 そこで、2回目は、わからない問題は、深く考えずに、すぐに次の問題に移るようにしました。

 切り替え方は、人それぞれですので、ご自分にあう方法を準備されるとよいと思います。

4迷ったら最初に思い浮かんだ答えを書くのがいい
 問題解法のコツについて2期会の人が「迷ったら最初に思い浮かんだ答えを書くのがいい」というアドバイスを教えてくれました。
 私も、何回か経験があり、「もっともだ!」と思いますので紹介します。

 正解を見つけ出す時に、選択肢2つまでは絞り込めることが多いのですが、最後の絞り込みができないケースがままあります。

 そうした場合には、よく迷って、一旦出した回答を変えようとすることが多いですよね。

そうした場合、最初にこれだと決めた選択肢が正解であることが多いので、「あぁだこぉだ」と迷ったあげく最初の回答を変えるということはやめた方がいいということです。

ただし、明らかに最初の回答が間違っていると確信できる場合には、回答を変える必要があるのは言うまでもありません。

5、選択肢の正解割合はほぼ同じ
  回答が最後までわからない場合には、いずれかの選択肢を正解として選択することになります。その際に、いわゆる「鉛筆ころがし」をせざるをえない場合があると思います。
 過去9回の選択肢の正解の割合は次のようになっています。

 い)24.7%  ろ)24.7%
 は) 25.3%  に) 25.3%

 つまり、どの選択肢もほぼ均等に正解となっているということになります。

 ただし、「筆ころがし」をしても、本当の知識にはなりませんので・・・(もちろん、おわかりのことだと思いますが)


 以上、思いつくままに、試験当日の対策を書きましたが、ともかく全力でチャレンジすることが大切ではないでしょうか

 (最後だと思って、夜遅くまで頑張る方もいらっしゃるかもしれませんが、できれば)今晩は、早めに寝て、準備万端で、江戸検に臨んでください。 

 受検される皆様全員、良い成績がとれるよう祈念しています。
 頑張ってください!!




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by wheatbaku | 2015-11-02 08:30 | 江戸検定 | Trackback
官職名を理解しよう(江戸検お役立ち情報⑤)

 江戸検の本試検まで、4日になり、明日・明後日は、江戸検前の最後の土曜日・日曜日となりました。

 受検される皆さん、頑張ってください。

 江戸検お役立ち情報、今日は官職名について書いてみたいと思います。

 江戸検の書取問題では、過去に、(井伊)掃部頭、(浅野)内匠頭、吉良上野介、(大石)内蔵助など、官職名を問う問題が出ています。

 また、有名な南町奉行大岡忠相は大岡越前守、北町奉行遠山金四郎も遠山左衛門尉と官職名で呼ばれることがあります。

 

 「掃部頭」「内匠頭」「越前守」を「かもんのかみ」「たくみのかみ」「えちぜんのかみ」と読めるけれど、どうして「頭」や「守」を「かみ」と読むのだろうと素朴に疑問に思う人もいると思います。

 また、「上野介」と「内蔵助」の場合は、なぜ「すけ」を「介」と「助」と書き分けるのだろうと不思議に思う人もいると思います。

 今日は、この疑問に答えてみようと思います。

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 貴族が政権を握っていた「律令制」の時代の官制では、官職を長官・次官・判官(三等官)・主典(四等官)の4階級に分けて、長官を「かみ」、次官を「すけ」、判官(三等官)を「じょう」、主典(四等官)を「さかん」と呼んでいました。

 これを「四等官(しとうかん)」と言います。

 

 「四等官」の読み方は、どの役所でも「かみ・すけ・じょう・さかん」と呼びます(多少の例外あり)が、表記は組織によって異なる漢字で書いていました。

 代表的な役所である「省」「寮」「国司」で説明すると、「省」は「卿・輔・丞・録」、「寮」では「頭・助・允・属」、国司は「守・介・掾・目」と書いていました。

 「省」には、中務省、式部省、民部省、治部省、兵部省、大蔵省、宮内省の八省がありました。

 「寮」には、掃部寮、内匠寮、内蔵寮、雅樂寮、大学寮、主水寮、主税寮、主殿寮、大炊寮などがありました。

 「掃部頭」は「掃部寮」の長官、「内匠頭」は「内匠寮」の長官、「内蔵助」は「内蔵寮」の次官、「雅樂頭」は「雅樂寮」の長官ということになります。

 

 国司は、68か国あった各国の役人で、長官の「守」は現在の県知事にあたり、次官の「介」は副知事にあたります。

 そのため、「越前守」は、越前国の長官すなわち県知事ということになります。

 「上野介」は、上野国の次官すなわち副知事ということになりますが、実は、上野国、上総国、常陸国の三国は「親王任国」といって、親王が長官になることになっていました。 

しかし、親王は、京都に滞在し三国に赴任することがほとんどなかったため、次官の「介」が実質的に長官でした。

 つまり「上野介」は、実質的な「上野国」の長官つまり県知事でした。

 ですから、「上野介」が「越前守」より格が低いということはないと考えてください。
 現に、徳川家康の側近で幕府初期の重鎮であった本多正純の官職名が「上野介」でした。また、佐倉惣五郎に苛政を訴えられた佐倉藩の藩主堀田正信も「上野介」を名のっています。

 長官名は「かみ」と呼ばれますが、例外があります。
 それが「職(しき)」と呼ばれる役所の長官名で、「職」の長官は「かみ」でなく「だいぶ」と呼ばれます。
 「職」には、大膳職、京職(左右あり)、修理職などがあります。
 この長官は、「だいぶ」と呼ばれ「大夫」と書きます。
 「たいふ」でなく「だいぶ」と濁りますし「たゆう」でもないので読み方は注意してください。
 次官以下は「亮・進・属」と書いて、基本通り「すけ・じょう・さかん」と読みます。
 「花燃ゆ」にしばしば登場した長州藩主毛利敬親の官職名は「大膳大夫
(だいぜんだいぶ)」で「大膳職」の長官です。


最後に遠山金四郎の官職名「左衛門尉」について書いておきます。

律令制下では、皇居を守る軍事組織に「近衛府」「衛門府」「兵衛府」があり、それぞれ左右に分かれていて、総称して「六衛府」と呼ばれていました。

この組織のうち「衛門府」と「兵衛府」の四等官の呼び名も「かみ・すけ・じょう・さかん」で、その字は「督・佐・尉・志」と書きました。

これでもう想像がつくと思いますが、「左衛門尉」というのは「左衛門府」の三等官「尉(じょう)」という官職名です。

 律令制下の官職については、細かいことが多々あるようですが、とりあえず江戸検に必要と思われることだけ書いてみました。江戸検を受検される皆さんのお役にたてば幸いです。


 


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by wheatbaku | 2015-10-30 09:56 | 江戸検定 | Trackback
十干を覚えよう(江戸検お役立ち情報④)

 今日も、江戸検お役立ち情報を書いていこうと思います。

 今日は、十干(じっかん)について書きます。

 十干(じっかん)は十二支と一緒になって干支と呼ばれます。

 江戸検を受検される方は、この干支も必須事項です。

 干支も大事だといっているのは、第9回の記述問題に次のような問題が出題されている

からです。

 

文政12年(1829)年3月に中村座や市村座を焼いた「文政の大火」は、その干支から「己丑(きちゅう)の大火」とも呼ばれました。これに対して、その5年後の天保5年(1834)2月に中村座や市村座を焼いた火事は「(  )火事」と呼ばれます。(   )内に入る干支を漢字2字で書いてください。

この問題は難しいと思いますが、正解は「甲午」です。

「甲午火事」というのは江戸で起きた大きな火事の一つですが、江戸三大大火は覚えている人は多いと思いますが、甲午火事を知っている人はほとんどいないだろうと思います。

しかし、これは「干支」の仕組みを知っているとすぐに解ける問題です。

江戸検出題者の意図は、「『甲午火事』を暗記してください」というより「干支をよく理解していてください」ということだったと思います。

そのため、2月の江戸楽アカデミーで、干支の基礎となる十干十二支を覚えたほうがよいですよと言っておきました。

しかし、9月に行われた江戸楽アカデミーでも十干がスラスラいえる方はわずかでした。

「甲乙丙」までは言えても、その後はわからないという方がほとんどでした。

そこで、今日は十干(じっかん)について書こうと思います。

まず、十干とは

 甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・
 己(き)・ 庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)

 
です。

この十干は中国の考え方です。

中国の古代殷王朝の時代に1か月を10日単位に区切り旬(じゅん)と名付けました。その10日間ある旬を、一日目が甲、二日目が乙というように順に呼んだものが十干だそうです。

つまり、十干は、もともと1~10までを数える番号といってよかったようです。

ですから十干は10あるわけです。

それでは、この十干をどう覚えるかです。

これも人それぞれだと思いますが、苦労している方が多いようですので、参考になるかどうかわかりませんが私の方法を書いておきます。

一つは「甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)」と単純に覚えていく方法です

いってみれば、丸暗記です。

これも何回かやれば覚えられますが、最初は、ちょっと大変でした。

そこで語呂合わせも考えて覚えました。

「甲乙丙」までは基礎知識としてしっていましたので、それ以後の「丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)」の語呂合わせを考えました。

私が考えたのは
「帝母(丁戊)が寄稿(己庚)した信心(辛壬)記(癸)」
 
です。

意味は、「皇帝の母親が寄稿した信心の記録」ということです。

これで何回かやって覚えた後は、簡単に丸暗記できました。

語呂合わせは、いろいろ考えられます。すでに考えて覚えている方もいると思います。

ご自分で納得いく語呂合わせを考えてみたらいかがでしょうか?

また。十干は、音読みだけなく訓読みがあります。

つまり
 甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、
 戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、
 辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)
 
があります。

これについても私なりの覚え方がありますが、長くなるのでやめます。

とりあえず、江戸検1級対策としては、十干の音読みを覚え、十干が漢字で書けるようになることが大事だと思います。



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by wheatbaku | 2015-10-09 09:45 | 江戸検定 | Trackback
旧国名を覚えよう②(江戸検お役立ち情報③)

 今日も昨日に続いて「旧国名」についてです。

 昨日の知識も踏まえていただいて、今日は、現在の地方別に旧国名を書いていきます。

 旧国名を覚える方法は、大きく分けて、江戸時代まで利用されていた「五畿七道」別に覚える方法と現在の地方別に覚える方法と2種類あると思います。

 それぞれ好みによって利用すればよいと思いますが、今日は、現在の地方別に覚える方法をベースとして説明します。

 なお、旧国名を覚える際には、分国地図が必須になります。

 インターネットにも載っていますので、これらをダウンロードするなどして利用してください。

 今日の内容も、地図をみながらのほうがわかりやすいと思います。

 地方ごとに分けた場合、旧国名を覚えやすいのは、①東北地方 ②関東地方 ③四国地方 ④九州地方 だと思いますので、これらについてまず説明します。 

1、東北地方

 現在の東北地方は、旧国名では、「陸奥」と「出羽」の2か国のみです。

太平洋側が「陸奥」、日本海側が「出羽」でした。

江戸時代、北海道は蝦夷地と呼ばれていましたが、旧68か国の中に入っていませんでした。

2、関東地方

 関東地方は江戸時代には関八州と呼ばれていましたので、8か国あったことは容易に想像つくと思います。

 江戸検1級を受ける方にとっては、常識のレベルであると思いますが、具体的には次の8か国です。

常陸(茨城県)、下総(千葉県)、上総(千葉県)、安房(千葉県)、武蔵(埼玉県、東京都)、相模(神奈川県)、下野(栃木県)、上野(群馬県)

3、四国地方

 四国は、現在の地方名通り、4か国です。

 すなわち阿波(徳島県)、讃岐(香川県)、伊予(愛媛県)、土佐(高知県)

4、九州地方

 九州地方も簡単です。分国数は11か国ですが、九州本土は、現在の地方名「九州」通り9か国ありました。

筑前(福岡県)、筑後(福岡県)、肥前(佐賀県、長崎県)、肥後(熊本県)、豊前(大分県)、豊後(大分県)、日向(宮崎県)、薩摩(鹿児島県)、大隈(鹿児島県)

 これらの国は、昨日の元の「筑紫国」「豊の国」「肥の国」で6か国あります。

 この6か国に南九州の「日向」「薩摩」「大隅」の3か国を加えると9か国になります。

 そして、忘れてならないのが島国の対馬と壱岐で、この2か国をあわせて11か国となります。

 以上述べた四地方は、比較的簡単に覚えられると思います。

 少し苦労をするのが、⑤中国地方 ⑥中部地方だと思います。

 特に大変なのが⑦近畿地方ではないかと思います。

5、中国地方

ここも多くの旧国名があります。12か国あります。

そこで、山陽道と山陰道にわけて数えますと山陽道側に7か国、山陰道側に5か国あります。

山陽道が、美作(岡山県)、備前(岡山県)、備中(岡山県)、備後(広島県)、安芸(広島県)、周防(山口県)、長門(山口県)です。

この中には、吉備国であったものが4か国ありますので、あとは「安芸・周防・長門」で7か国になります。

山陰道は、因幡(鳥取県)、伯耆(鳥取県)、出雲(島根県)、石見(島根県)の4か国、そして忘れてはならない隠岐(島根県)、以上で5か国となります。

山陽道の元吉備国以外の国が3か国、元吉備国であった国が4か国、山陰道が5か国、これでいくらか覚えやすくなりませんでしょうか?

6、中部地方

 中部地方は、数が多いので大変です。すべてで16か国あります。

 そこで、江戸時代までの東海道・東山道・北陸道も加味して覚えましょう

まず日本海側が北陸道ですが、7か国ありました。

越後(新潟県)、越中(富山県)、能登(石川県)、加賀(石川県)、越前(福井県)、若狭(福井県)ですが、このうち昨日お話した「越の国」であった国が5か国ありますので「越の国」+「若狭」で6か国ということになります。

これら6か国に、もう一つ忘れてならない佐渡(新潟県)で7か国となります。

 海側が東海道ですが、6か国あります。

甲斐(山梨県)、伊豆(静岡県)、駿河(静岡県)、遠江(静岡県)、三河(愛知県)、尾張(愛知県)

 甲斐が東海道に含まれていたことにちょっと注意が必要ですね。

 そして、山の中が東山道です。こちらは3か国です。

信濃(長野県)、飛騨(岐阜県)、美濃(岐阜県)

これを北から順に数えていきます。

「北陸道」は、元「越の国」を1か国と数えると3か国、東山道3か国、東海道6か国、なんとなく覚えやすくなりませんか?

7、近畿地方

もっとも厄介なのが近畿地方だと思います。

現在の近畿地方には、15か国ありました。

数が多い上に、かつての五畿内に属していた国だけでなく、東海道、東山道、山陽道、山陰道、南海道に属していた国々もあって、複雑です。

近畿地方の覚え方は、私には妙案がありませんので、暗記力に頼らざるをえないかもしれません。

それを承知したうえで説明しておきます。

江戸時代以前は、五畿内と呼ばれた国があります。

つまり、都の周辺地域です。現在でいえば、京都・大坂・奈良の三府県です。

五畿内の名のごとく5か国あります。

山城(京都府)、摂津(大阪府)、河内(大阪府)、和泉(大阪府)、大和(奈良県)

それ以外に、江戸時代には、東山道、東海道、南海道、山陽道、山陰道に属していた国があります。

現在の府県名で言うと、滋賀県、三重県、和歌山県、兵庫県、京都府です。

時計回りに東山道から順に書いていきます。

東山道に入っていたのが、近江(滋賀県)

東海道に入っていたのが、伊勢(三重県)、志摩(三重県)、伊賀(三重県)

☆伊賀は忘れやすいので要注意です。 

南海道に入っていたのが、紀伊(和歌山県)と淡路(兵庫県 )

☆淡路は忘れがちですので要注意です。また、コメントにお二人が書いてくれましたが、紀伊と淡路が南海道だということを間違いやすいようですので、これもご注意ください。

山陽道に入っていたのが、播磨(兵庫県)

山陰道に入っていたのが、丹波(京都府)、丹後(京都府)、但馬(兵庫県)

これら五畿内以外の国が10か国ありますので、近畿地方は全てで15か国となります。

以上、長々と書きましたが、68か国の覚え方は、人さまざまであり、いろいろな覚え方があると思います。

しかし、覚えるのに苦労されている方が多いと聞きましたので、私なりの覚え方を書きました。

旧国名を記憶するうえでお役に立てば幸いです。






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by wheatbaku | 2015-10-08 09:30 | 江戸検定 | Trackback
旧国名を覚えよう①(江戸検お役立ち情報②)

 江戸検お役立ち(と自分では勝手に思っていますが、お役に立たないかも?)情報の続きで、今日は「旧国名を覚えよう」です。

 この旧国名も、年号と同じように基礎知識の範疇にはいるもので、江戸検1級では、後記のようにしばしば出題されています。

そのため、江戸検1級を受ける方には、しっかり覚えましょうといっている事項です。

 しかし、旧国名は68個もあるので、これもてこずっている人が多いように思います。

 そこで、お役に立つかどうかわかりませんが、今日は旧国名を覚えるために参考になりそうな知識・情報を2点書いていきます。

1、まず1番目は、本土周辺の島です
 江戸時代には、大きな島が、それぞれ1つの国とされていました。

 つまり、佐渡島、淡路島、隠岐島、対馬、壱岐島がそれぞれ「佐渡」「淡路」「隠岐」「対馬」「壱岐」という国になっています。

 これを忘れると旧国名が68か国になりませんので、旧国名を覚えるにあたって、最初に覚えておくとよいと思います。

2、次に、「上野・下野」や「越前・越中・越後」などのように国名に「上・下」や「前・中・後」がついている国々です。

 これらの国々は、元は一つであった国が数か国に分国された国です。

この国は、名前が似ていることもありますので、ひとまとめにして覚えると覚えやすいと思います。

これらの国は、都に近い国が「上」または「前」、遠い国に「下」または「後」が付けられています。

この類の国々はすべてで、22か国あり、最後に説明する「近江・遠江」を加えると24か国ありますので、それを順に書いていきます。

なお、国名の語源については諸説があるようですが、その中から国名を暗記するのに参考となるものを独断で選んで書いてあることをお断りしておきます。

①上野・下野 

 この2か国は、もとは「毛野(けぬ)の国」でした。それが「上野」と「下野」に分れました。

 「毛」は「木」のことで「毛野」とは「草木の生い茂る土地」というのが通説だそうです。

 この国々は東山道に属していますが、都に近い国が「上野」、遠い国が「下野」とされました。

②上総・下総・安房

 この3か国は、もとは「総(ふさ)の国」でした。

 これが「上総」と「下総」に分れました。

「総」とは「麻」のことだそうで、「麻が良く育った国」ということです。

その後、「安房」は「上総」から分国されました。

「安房」の「房」は「ふさ」と読めることから、「上総」「下総」の「総(ふさ)」と表記は異なりますが同語源だという説もあります

③越前・越中・越後・加賀・能登

 この5か国は、元は「越(こし)の国」でした。

 「坂を越えた土地」なので「越」と呼ばれたそうです。

 それが、まず「越前、越中、越後」の3か国に分れました。

 これらの国々は、北陸道に属していますが、都に近い国が「越前」、最も遠い国が「越後」、その間が「越中」とされました。

その後、加賀と能登が、越前から分かれました。

④丹波・丹後

 丹波・丹後は、丹波という一つの国でした。

 そのうち、都から遠い方を「丹後」として分国しました。

⑤備前、備中・備後・美作

 これら4か国は、古代には「吉備国(きびのくに)」であったといわれています。

 これが「備前、備中、備後」の3か国に分れました。
 その後、「美作」が「備前」から分かれました。

⑥筑前・筑後

 九州北部には古代には、「筑紫国」がありました。

 「筑紫」の語源は「道が西の果てに尽きるところ」という意味です。

 これが2か国に分れ、「筑前・筑後」となりました。

⑦豊前・豊後

 これらは、もとは「豊(とよ)の国」でした。

 「豊」とは「豊かな土地」という意味です。

 これが2か国に分れ、「豊前・豊後」となりました。

⑧肥前・肥後

 これらは、もとは「肥の国」でした。

 「肥の国」は「火の国」で「阿蘇山や雲仙岳などの火山がある国」という意味です。

 これが2か国に分れ、「肥前・肥後」となりました。

⑨近江・遠江

 この2か国は、分国ではありませんが、国名の語源に縁がありますので、一緒に覚えるとよいと思います。

 「近江(おうみ)」の語源は「近い淡湖(あわうみ)」です。
 「淡湖」は淡水湖の琵琶湖をさしていて、琵琶湖のある国ということで「近江」となりました。

 これに対して「遠江(とおとおみ)」は「遠い淡湖(あわうみ)」で、都から遠い淡水湖の浜名湖のある国という意味です。

 

 以上により、①島が一つの国とされた5か国、②分国された22か国、それに③「近江・遠江」を加えて合計29か国が、今日のお話で比較的容易に覚えられると思うのですが、いかがでしょうか?
 明日も、旧国名について書きます。

 最後に旧国名に関する1級の過去問題を紹介しておきます。

 1級では、年号と同じように記述問題も出題されています。

 そのため1級を受検される方は、旧国名を覚えるだけでなく、漢字で書けることも必要となります。

第6回75問
 江戸時代、武蔵国を武州、安房国を房州というように、国の名を通称で呼ぶ場合がありました。では、野州といえば、右の地図の(い)~(に)のどれでしょう?

(選択肢の地図は省略します。)

第5回91問

 幕末の志士を多く輩出した長州藩は、長門国だけでなくその隣国にも領地がありました。その隣国の名前を、漢字2字で書いてください。




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by wheatbaku | 2015-10-07 08:43 | 江戸検定 | Trackback
年号を覚えよう(江戸検お役立ち情報①)

江戸検を受検される皆さんにとっては、本試検まであと約1か月となりました。

しかし、まだ1か月ありますので、かなりの勉強ができると思います。

そこで、江戸検を受検される方のお役にたちそうなことをいくつか思い付くままに書いていこうと思います。

 今日は「年号を覚えよう」です。

 年号は元号とも呼ばれますが、江戸時代の年号は、慶長から始まって慶応まで、36個の年号があります。

 江戸と触れ合う時には、この年号を覚えていると大変便利です。

 神社をお参りするとしばしば目にするのが狛犬です。

 この狛犬には奉納した人の名前と奉納した年が刻まれていることが多いのですが、この奉納した年は、当然のことながら年号で刻まれています。

 また、江戸について書いた本では、一応、西暦が付記されますが、まず最初に書かれているのは年号です。

 江戸幕府が開かれたのは慶長8年(1603)といった具合です。

 江戸時代の年号を覚えていると狛犬が奉納された時期や事件が起きた時期が、江戸時代の初めなのか中期なのか幕末なのかわかって大変便利です。

 ですから、年号を覚えているといつ頃の時代かということがすぐわかるというメリットがあります。

 江戸検を受ける方には、この年号が必須です。

後記のごとく1級の試験でしばしば出題されています。

 しかも、これは「『博覧強記』から出題される範囲」に入りません。

 そのため、江戸検を受検される方は、15人の将軍の名前の次に年号を覚える必要があります。

 これまでも、江戸楽アカデミーや江戸検講座で、「年号を覚えましょう!」と盛んに強調しているのですが、1級を受検される方でも意外にも年号を覚えきれていない人が多いように思います。

 年号は江戸検のイロハだと思って年号を是非覚えてください。
 さらに1級を受検される方は、後記の出題例でわかる通り記述問題でも出題されているので年号が書けることも必要だと思います。

 年号の覚え方は、人それぞれだと思います。

 語呂合わせで覚えた人もいるようです。

私も語呂合わせで覚えようとしましたが難しくて、最終的には、4個の年号を一単位としてリズムで覚えるというようにしました。

 さて、年号に関する1級の過去問を二つ紹介しますが、こうした問題がしばしば出題されていますのでご留意ください。

第5回35問

 江戸時代には、慶長から慶応まで36の年号が使われました。では、次の年号の組み合わせのうち、連続していないものはどれでしょう?

い)元和 - 寛永  ろ)元禄 - 正徳 

 は)明和 - 安永  に)文政 - 天保

第7回91問

 「生類憐みの令」などで知られる5代将軍綱吉は、儒教を基本とした政治を行おうとした将軍です。治世の前半は善政と称えられ、当時の年号を冠して「(  )の治」と呼ばれました。(  )に入る年号を漢字2字で書いてください。

最後に改元に関する話題をひとつ書いておきます。

年号を改める改元は、天皇の代始や瑞祥の出現で行われる一方、飢饉・疫病の流行など不吉な出来事の発生でも行われました。

 さらに、一定の干支(えと)の時には改元が行われました。

 つまり、平安時代以降、「辛酉(しんゆう)」の年と「甲子(かっし)」の年には、年号を改めるということがしばしば行われました。

 江戸時代でみると「辛酉」と「甲子」の年の年号は次のようになっています。

元和7年1621 辛酉

寛永元年1624 甲子

天和元年1681 辛酉

貞享元年1684 甲子

寛保元年1741 辛酉

延享元年1744 甲子

享和元年1801 辛酉

文化元年1804 甲子

文久元年1861 辛酉

元治元年1864 甲子

これを見て、元和7年を除くすべての「辛酉」と「甲子」の年は「〇〇元年」となっていて改元されていることがわかると思います。

 それと西暦をみていただけると、「辛酉」の年と「甲子」の差は3年です。

 辛酉の年に定められた「天和」「寛保」「享和」「文久」の年号がすべて4年で終わっているのは、4年目が「甲子」の年となり、その年に改元されていることによります。

 改元について書いた内容お分かりいただけたでしょうか?

もしよくわからなかったらコメントまたはメールでお問い合わせください。




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by wheatbaku | 2015-10-05 11:15 | 江戸検定 | Trackback
「背中合わせ飾り」(門松④ 江戸の祭礼歳事)
 昨日は、元旦でしたが、昨年お世話になった知人友人から年賀状を多数いただきました。
 その中に、このブログを読んでいただいている方からもかなりの年賀状をいただきました。
 思いがけない方々から年賀状をいただき驚くやら感激するやらでした。
 年賀状をいただいた皆様、ありがとうございました。
 ブログ上でも御礼申し上げます。

  
c0187004_23233132.gif さて、昨日紹介した三田村鳶魚の「お大名の松飾り」には、三味線と鼓の飾りのほかに、特徴のある門松について説明してあります。
 それを紹介しておきます。

【将軍家拝領の松飾り】
  門松を将軍家から拝領する大名家が一家だけありました。
 それは浜町の安藤対馬守です。奥州磐城平、五万石の小大名ですが、ここだけが門松を拝領していました。
 その理由は、ある年の大晦日に安藤家の藩祖安藤対馬守重信が、家康と囲碁をしていました。
 何度対局しても家康が負けるためお暇がでません。安藤対馬守は、「松飾りをしないといけないので、早く帰らせていただきたい」と申しでました。
 それに対して家康が「松飾りは誰かに持たせるからもう一局」と言われました。
 そのため、重信は、仕方なくもう一局すると、家康やっと勝ったので屋敷に帰りました。
 屋敷に戻ってみるとと立派な飾り松が下されていたといいます。

 対馬藩宗家では、松のかわりに椿を使用しました。そのため松飾りでなく椿飾りといわれました。
 しかも、門内に玄関を向いて立てました。これは往来を背中にしているため、背中合わせの松飾りと呼ばれました。
 鳥越の平戸藩松浦家では椎の木の枝と竹を立てたため、「椎の木飾り」といったそうです。

【吉原の背中合わせの松飾り】
 安藤家の松飾りは、「背中合わせの松飾り」と呼ばれましたが、江戸には、その他に「背中合わせの松飾り」と呼ばれた松飾りがありました。
 三田村鳶魚は、お大名の松飾りの説明の中で吉原の門松も背中合わせに飾ると書いています。
 門松は、普通戸口から外に向けて置きますが、吉原では、松飾りを見世の方に向けていました。
 向こう側の店でも同じように立てるので、道の真ん中に背中合わせの形で立てられました。
 そのため、「背中合わせの松飾り」と呼ばれました。
 門松は、店先に相対するように2~3間離して立てたそうです。
  
 有名な清元の「北州(ほくしゅう)」に次のように歌われています。
  「霞のえもん坂 えもんつくろう初買(がい)の
   袂(たもと)ゆたかに大門の
   花の江戸町京町や
   背中合わせの松飾り」
 この「北州」は大田蜀山人が作詞したそうです。
このように門松が立てられてのは、お客さまが外に出ないようにというまじないだったようです。
 平戸藩主松浦静山が書いた「甲子夜話(かっしやわ)」の巻4に「新吉原の娼家にては、門松を内に正面に立てると云ふ。これは客の不出を云ふ表兆なりと。」と書かれています。

 この「背中合わせの松飾り」を詠んだ川柳が残されています。
  門松を吉原ばかり向こふに見
  松飾り後ろを向ける別世界





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by wheatbaku | 2015-01-02 07:30 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
佐竹の「人飾り」と鍋島の「鼓の胴の松飾り」(門松③ 江戸の祭礼歳事)
  
 明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


 今年は1月から5月にかけて毎日文化センターの「吉田松陰ゆかりの地を行く」講座があり、その間の2月には江戸楽アカデミーの講座があります。
c0187004_2232439.jpg 共に、1週間あまりで定員に達してしまう状況ですので、正月早々から準備に力を入れていこうと思っている次第です。
 また、昨年は、江戸検を受検される方の仲間の輪も大きく広がりました。
 このブログを読んでいただいた「あかのたにんさん」が昨年の江戸検1級に合格されたので、今年こそ、この仲間の輪の中から朗報が聞かれればよいなぁと思っています。
 年明けから、各寺社に、恒例の初詣にお参りしようと思っています。
 例年、東京では、日枝神社、神田神社、湯島天神の各神社のお参りをしています。
 これら神社は今年のお題に縁のある神社ですので、受検される方の合格も一緒に祈願してこようと思います。
 江戸検を受検される皆様、今年一年のご健闘をお祈りします。
 そして、ブログをお読みいただいている皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、平成27年の最初も門松の話題です。
 今日は江戸の大名家の門松の話題です。
 今日の記事をお読みいただければ、先日の江戸検の過去問の正解もわかります。
  先日の問題は改めて書きますと次の通りです。

 正月に門前に松を飾ることは、江戸の大名屋敷でも行われていました。しかし、下谷三味線堀にあった出羽国秋田藩佐竹家上屋敷では、屋敷の門前に松飾りに代えて他家では見られない珍しいことをしたため、名物になりました。それは通称、何と呼ばれていたでしょう?
 い)梅飾り  ろ)竹飾り  は)人飾り  に)鑓飾り


 江戸の庶民は、大名家の松飾りの中で名物は二つあるとと考えていました。
 次のような川柳が残されています。
 「三味線と鼓は江戸の飾り物」
 この川柳の三味線は下谷三味線堀に江戸上屋敷があった佐竹家を表しています。
 そして、鼓は佐賀藩鍋島家の「鼓の胴の松飾り」を指しています。
 つまり、秋田藩佐竹家と佐賀藩鍋島家の松飾りを江戸っ子は江戸の有名な門松と考えていました。

【三味線と鼓は江戸の飾り物】
 それでは、その門松はどんな門松だったのでしょうか。
  昨日、紹介した菊池貴一郎の「江戸府内絵本風俗往来」では次のように書いています。

 『高20万石5800石余、出羽の久保田の城主佐竹右京大夫殿上屋敷は下谷三味線堀なり、この御門は松飾りは出来(しゅつらい)し給わず。麻上下を着しける武士を御門の左右へ着座せしめ、元旦より七草まで七日の間、時刻交代して勤めさせられけるより、佐竹の人飾りとて、都下正月の名物なり。』

 つまり、秋田藩佐竹家の松飾りは「人飾り」と呼ばれていて江戸の名物だったのです。
 過去問の正解は「人飾り」です。
 そして、佐賀藩鍋島家の「鼓の胴の松飾り」についても次のように説明しています。

 『高35万7千石余、肥前佐賀の城主松平肥前守殿江戸御屋敷は、御曲輪山下御門内なり。この御屋敷門飾りは、鼓の胴とて、いとも見事に精選した稲藁(いねわら)をもって、つづみの胴の如く編み作れり。そのくくりたる左右の開き5、6尺とも覚えたり。胴のくくりたる真中へ海老・橙等を結い飾り、松竹に添えて立てられたり。』

 
【佐竹人飾りの由来】 
  
 佐竹家の人飾りがどのようであったかについて、三田村鳶魚の「お大名の松飾り」(『江戸の春秋』)に次のように書かれています。
c0187004_22619.jpg 「佐竹の三味線堀の上屋敷では、元朝から七日まで表門外の敷石の上に、左右二側に足軽三人ずつ、行儀よく立っている。いかなる来賓に対して会釈もせず辞儀もしない、棒立ちに立ったまま、身動きもせずに、往来を見張っている。これが人飾りといって、松飾りの代わりなのであった。勿論、半刻替りというから、今の一時間交替で勤めたのである。」  

 続いて、三田村宴魚は、佐竹家で人飾りが飾られるようになった経緯にも触れていますが、長くなるので要約します。。
 寛永14年(1637年)の天草の乱に佐竹家も出兵しました。
 天草の乱は、最初は一揆軍が優勢で幕府軍は苦戦し、討手の発諸大名の軍兵も散々敗北したという噂がひろがりました。
 討手として出かけて行った藩では正月の用意どころではなく、佐竹家でも門松もしめ飾りもせず、屋敷の門の外まで足軽を出して一刻も早く音信を得ようとしていました。
 そうしていたところ、元日の夕刻になって、思いもよらず一同無事という頼りがあり、やがて主従が堅固で江戸に戻ってきました。
 佐竹家では、それ以来、松飾りをしないのが吉例となり、門前に足軽を出しておきました。それが、佐竹の人飾りと呼ばれるようになりました。
 以上が三田村宴魚の「お大名の松飾り」に書かれている経緯ですが、もともとは十方庵敬順が文政年間に書いた「遊歴雑記」に書かれていることのようです。

【佐賀藩「鼓の胴の松飾り」の由来】 
 一方、佐賀藩の「鼓の胴の松飾り」がどういう経緯でできたかを佐賀県庁のホームページから転載します。
c0187004_22113773.jpg 『1638(寛永15)年、江戸幕府は西日本の諸大名を総動員し、一気に原城を攻撃し島原の乱を鎮圧した。その勝利のきっかけをつくったのが佐賀藩の一番乗りの武功であった。しかしそのことが逆に軍法違反とされ、同年6月29日鍋島勝茂は幕府への出仕を止められ、謹慎処分を受けることになった。
 年末を迎えた江戸佐賀藩邸では、正月の松飾りなどをせず、ひっそりと正月の準備をしていた。ところが、年も押し迫った12月29日、突然この謹慎処分が解けた。
 質素な正月の準備をしていた鍋島家では、門松などの正月飾りはなく困惑の色を隠せなかった。そこでかねて出入りの荒物屋彦惣に、松などの材料を集めさせ、納屋にあった米俵などの藁とともに、にわかに松飾りを作らせたところ、その松飾りの形が鼓の胴部に似ていたことから「鼓の胴の松飾り」といわれるようになった。
 この松飾りは、これを吉例として以後踏襲されることとなり、佐賀でも明治時代までは県庁や市役所でも飾られていたという。』
 「鼓の胴の松飾り」は、今も佐賀城本丸歴史館御玄関に平成26年12月21日(土)から平成27年1月15日(水)まで飾られています。
  その「鼓の胴の松飾り」の写真が右上です。
 
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by wheatbaku | 2015-01-01 07:00 | 江戸の祭礼歳事 | Trackback
江戸検受験対策散歩のご案内(江戸の食文化20)
今週月曜日から京都に来ていて、ブログの更新ができないので、今日は、4月の講座のご案内を再掲します。
 4月に毎日文化センター主催で下記の江戸検関連講座を開催します。

   ― 江戸検受験対策散歩 ―
   江 戸 の 食 文 化 体 験
     ~江戸の老舗を巡る~

 江戸文化歴史検定(江戸検)の今年のお題は「江戸の食文化」です。
 そこで、江戸検お題に合わせて、受験対策を兼ねて江戸から続く老舗を巡る散歩を開催します。
 訪問先は、浅草と巣鴨周辺の老舗です

c0187004_14372537.jpg お買い物だけでなく、老舗の「江戸の食」に関するお話も可能な限り伺いたいと思っていますので、江戸検を受験しようと思っている方、お時間がありましたら是非ご参加ください。

開催日時
 4月12日(土)
  11時30分 「三定」集合  
 4月26日(土)
  13時 都営地下鉄三田線「千石
   駅」の巣鴨駅側改札口集合
c0187004_14444179.jpg費用 5400円および
    保険料282円  
   *入会金は不要です。

【浅草訪問先】
4月12日(土)  浅草の老舗
 ☆三定(天麩羅:昼食)
 ☆海老屋総本舗(佃煮)
 ☆やげん堀(七味唐辛子)
 ☆金龍山浅草餅本舗(和菓子浅草餅)
 ☆万久味噌店(味噌)
 その他 浅草寺、浅草神社

c0187004_1444209.jpg  「三定」は天保8年(1837年)創業の天麩羅の老舗です。ここで昼食をとりながら天麩羅について勉強したいと思います。
 「海老屋総本舗」は、明治2年創業の佃煮屋さん、「やげん堀」は七味唐辛子で有名ですが寛永2年創業です。
 「金龍山浅草餅本舗」は、江戸名所図会にものっている和菓子の老舗です。延宝3年(1675年)の創業です。
c0187004_233222.jpg 「万久味噌店」は文化元(1804)年創業の味噌屋さんです。江戸味噌や仙台味噌についての説明を御主人がしてくださいます。

右写真は、上段から
 浅草三定の天丼
 海老屋総本舗
 やげん堀の唐辛子
 万久味噌店


【巣鴨周辺訪問先】 c0187004_144583.jpg 
4月26日(土) 巣鴨周辺の老舗
 ☆伊勢五(お米)
 ☆福島家(和菓子製造工程見学)
 ☆岩田園(お茶)
 その他 千川上水跡、タネ屋街道(旧中山道)

c0187004_14452731.jpg 「伊勢五」は、享保年間創業のお米屋さんです。お米のお話とともに明治初期建築の店舗についてお話をきかせていただきます。
 文久元年(1861年)創業の「福島家」では、慶応3年の菓子の雛型帳(見本帳)が残されていますので、それを看させていただくとともに和菓子の製造工程も見学させていただきます。
 「岩田園」は嘉永2年(1849年 )創業のお茶屋さんで、江戸のお茶のお話やお茶の種類のお話をしていただく予定です。
c0187004_1449243.jpg 

 江戸検受験の勉強のためにお役にたてればよいなぁと思い企画しました。
 江戸検受験を考えている方のご参加お待ちしています。
 また、江戸検を受験されない方でも十分楽しめますので、老舗めぐりに興味のある方のご参加お待ちしています。

右写真は、上段から
 伊勢五の店舗と蔵
 福島家の雛型帳
 岩田園のお茶
 です。

 お問い合わせ・お申し込みは、下記にご連絡ください。
    毎日文化センター  03-3213-4768 
 HP ⇒  「江戸の食文化体験~江戸の老舗を巡る」 
    


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by wheatbaku | 2014-04-02 07:19 | 江戸の食文化 | Trackback
「江戸の食文化」第一回模擬試験問題
 昨年の江戸検受験の方のために出題していた「忠臣蔵」に関する模擬試験問題が、ことのほか好評で、今年のお題「江戸の食文化」についても模擬試験問題を考えて欲しいというご要望をいただいていました。
 そこで、「江戸の食文化」に関する問題を考えましたので、本日出題します。
 まだ、江戸検を受験しようと思っている方のうち多くの方が「江戸の食文化」について勉強し始めた段階だと思いますので、多くの問題を正解するのは難しいとは思います。
 どんな問題があって、どこを勉強すればよいかということを考える切っ掛けとしてご利用いただく程度でよいと思います。
 とりあえずチャレンジしてみてください。


1、江戸時代、鰹は初鰹の例にみるように、江戸っ子にとって大変なじみの深い魚でした。
c0187004_840486.jpg それでは、江戸時代鰹は何につけて食べるのが一般的だったでしょうか?
 次の項目のなかで、江戸時代には利用されなかった食べ方が一つだけあります。
 それはどれでしょうか?

 ①生姜醤油をつけて食べる  
 ②辛子醤油をつけて食べる   
 ③辛子味噌をつけて食べる    
 ④大根おろしで食べる

2、江戸時代、瀬戸内海沿岸の10ヵ国では,他の諸国の塩田より良質な塩が多量に生産されるようになり「十州塩」と呼ばれるようになりました。
 それでは、次の国の中で、「十州塩」の中に含まれない国名はどれでしょうか?

 ①伊予  ②長門  ③阿波  ④和泉

3、江戸時代中期以降には、江戸近郊でも、ブランド野菜が栽培されるようになりました。
 そうした野菜の中で、府中で栽培された瓜は「葵瓜(あおいうり)」と呼ばれました。
 それでは、「葵瓜」とは、次のウリ科の野菜のうち、どの野菜の一種でしょうか?

 ①西瓜  ②南瓜  ③胡瓜  ④真桑瓜

4、13代将軍家定夫人篤姫が好んだという果物は、いかにも薩摩出身の人らしく温暖な地に育つ果物でした。その果物の木は、現在も上野寛永寺の篤姫の墓所に植えられています。
 それでは、篤姫が好んだ果物は次のうちどれでしょうか?

 ①みかん  ②ぽんかん  ③びわ  ④すもも

c0187004_10124370.jpg5、てんぷらの語源については、①ポルトガル語の「調理、調味料」を意味する「テンペロ tempero」説、②スペイン語の寺院を意味する「テンプロ templo」説 ③ポルトガル語の「斎日」を意味する「テンポラス temporas」説など諸説があります。
 それでは、「てんぷら」に「天麩羅」という漢字をあてたと言われている人物は次のうち誰でしょうか?

 ①山東京伝  ②瀧沢馬琴 
 ③十辺舎一九  ④平賀源内

6、文政2年(1819)に魚河岸問屋が肴役所へ出した答申書で「江戸前」の定義を定めていますが、この答申では、「江戸前」と呼べるのは、どことどこを結んだ線より内側であると言っているでしょうか。
 次のうちより選びなさい。

 ①芝と本所  ②品川と深川   ③羽田と葛西  ④三浦と館山

7、江戸時代には、野菜の栽培と種作りとは分業されるようになり、タネを採取して販売する農家があらわれました。
 こうしたタネ屋が多く集まり、タネ街道もしくタネヤ街道を呼ばれたのは次のうちのどの地域でしょうか?

 ①馬込   ②小岩  ③千住  ④滝野川

8、江戸城の食事の総責任者は「御膳奉行」でしたが、この「御膳奉行」は、長い間、ある国出身の旗本が勤めることとなっていました。
 さて、どの国出身の旗本だったでしょうか?

 ①山城  ②河内  ③三河  ③武蔵

9、利根川沿いの下総布佐(ふさ)と中川沿いの松戸を結ぶ街道は、江戸時代、ある物資が大量に運ばれたため、その物資の名前を冠した街道名で呼ばれました。
 それでは、その街道はなんと呼ばれたでしょうか?

 ①鮮魚街道  ②醤油街道  ③味醂街道  ④米街道

10、江戸の庶民が日常食として何が最も食べられていたかを示すランキング表に「日々徳用倹約料理角力取組」という見立表があります。
 精進方の大関は「はっぱい豆腐」ですが、魚類方の大関は何でしょうか?

 ①いわしの塩焼き  ②めざしいわし  ③にしん塩引き   ④たたみいわし 
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by wheatbaku | 2014-01-10 06:15 | 江戸の食文化 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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