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かど家(江戸の老舗)
 一昨日(先週金曜日)は、江戸検一級合格者の集まり「伴四郎会」の会合があり、両国の「かど家」さんに行ってきました。
 「伴四郎会」は、今年の江戸検お題「江戸の食文化」にあわせて、江戸から続いている老舗の食を味わおうという趣旨で、年初から毎月行われていたものですが、私は、多忙等の事情で参加できませんでしたが、今回、ようやく参加できました。

c0187004_18481273.jpg 会場となった「かど家」さんはJR両国駅東口から徒歩10分程度の距離にあります。
 (下記の地図をご参照ください。)
 池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」に出てくる軍鶏鍋屋「五鉄」のモデルとなった店として有名なお店です。

 「かど家」さんは安政年間に尾張から江戸に出てきた初代弥八が文久2年(1862)に創業したお店です。
 現在は「かど家」と書かれていますが、創業当初は「角屋」と称していたようです。
 現在の店の場所は、創業当時と変わっていないそうですが、道路の角にあります。そうしたことから「角屋」と名付けられたそうです。
 
c0187004_1848385.jpg 暖簾をくぐってはいると上がり框があり靴を脱いで座敷に通されるようになっています。
 上がり框横に、福沢諭吉の「千客万来」と書かれた書が架けられていて、お店の格が感じされます。
 また、隣には、創業当時を描いた絵が掲げられています。本物は焼失しているそうで、複製とのことでしたが、創業当時の面影が感じられます。

 「かど家」さんの名物は、「しゃも鍋」です。
 「しゃも鍋」の調理は、全て仲居さんがやってくれますので、私たちは、できあがりをまつだけです。
c0187004_18515127.jpg 「しゃも鍋」は味噌仕立てで、使用されている味噌は、「八丁味噌」でした。
 初代が尾張出身とのことから、「八丁味噌」を使用しているそうです。
 「八丁味噌」は赤味噌で、見た目は塩辛く感じますが、実際に味わったみると濃くのある大変おいしい味噌です。
 「八丁味噌」が溶かれた汁の中に、肝、砂肝、皮、身が順に入れられていきます。
 「しゃも」の産地は、鳥取県の大山の麓とのことでした。「しゃも」といっても、純粋の「しゃも」は肉が硬いため、最近では、ほかの鶏種と交配された「しゃも」が利用されているとのことでした。
 しゃものほか、こんにゃく、豆腐、春菊、ねぎなども加えられます。
 そうこうしているうちに「しょも鍋」が煮えたので、仲居さんが取分けてくれた軍鶏を溶き卵にからめて食べましたが、しゃも肉は 非常に柔らかくて、八丁味噌の味とマッチしていてすごく美味しかったですね。
c0187004_18522930.jpg 最初は、仲居さんに取分けてもらっていましたが、取分けてもらうのが待ち遠しくて自分で鍋から取分けて食べるほどの美味しさで大変満足しました。
 「しゃも鍋」を堪能した後は、御飯に鍋に残った汁をかけて食べさせていただきましたが、この味もすばらしいものでした。
 御飯のおかわりもしたいところですが、満腹でしたのでやめておきました。

c0187004_1853878.jpg 「かど家」さんには、池波正太郎さんもよく来られたそうですが、女将さんの馬場様のご配慮で池波さんが利用していたお部屋も拝見させていただきました。
 上がり框正面にあり、中庭の見える五畳半の部屋でした。
 四人が座れるテーブルがありました。
 「先客がなければどなたでもご利用になれます」との女将さんのお話でした。
 「家族と一緒にまたお邪魔したい」と伝えたところ、「ぜひ、池波先生がご利用になっていた部屋をご利用ください」とのおっしゃってくださいました。
 女将さんありがとうございました。

 「かど家」さんでは、「かど家」ブランドの焼酎もあります。
 鹿児島の芋焼酎だそうですが、芋焼酎特有の臭味もなく、すっきりした味でした。
c0187004_18532632.jpg こうした焼酎や日本酒・ビールなどを飲みながら、そして、「しゃも鍋」をつつきながら、「伴四郎会」の面々から近況報告がありました。
 熊野古道や成田街道のなど街道歩き、古文書の話、奈良検定の話、軍師官兵衛など、色々な話が紹介され、みんなの各分野での活躍ぶりに元気をもらいました。
 その中でも、話題の中心になったのが、終わったばかりの「江戸検」でした。
 「江戸検」の問題も持っていた人がいたので、それを解いてみようとのMさんから提案がありました。
 そこで、いくつかの問題が出されましたが、さすが、一級の面々、受検勉強をしているわけではありませんが、なんなく解いていったのには驚かされました。
 例えば「没後、征夷大将軍の称号をもらった人物は誰か」については、月猫さんが即答でした。
 「『玉川の鮎もちっとで皆ごろし』と川柳に詠まれた大事件は何か」についてはYさんが即答でした。
 「長崎で大田南畝が飲んだ飲み物は何か」という問題も帰りがけに話題になり、Hさんからは、「この話は、江戸から勉強していっている我々には難問ですが、コーヒーを勉強している人にとっては常識なんですよ。」という話もありました。
 いやはや、久しぶりにみんなに会って、みんなの博識ぶりに改めて驚きました。

 名店「かど家」さんでの「伴四郎会」は、お腹も一杯、情報も一杯、楽しさも一杯、元気も一杯の有意義な一晩でした。
 「かど家」さんありがとうございました。
 そして「伴四郎会」の皆さんありがとうございました。
 幹事役のMさんとTさん、大変お世話になりました。
 最後に、記念撮影です。フラッシュをセットしなかったので、写り具合はいまいちでした。
 でも、皆さんの満足そうなお顔は写せたと思いますのでご参加の皆さんご容赦ください。
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 「かど家」さんは、赤印の場所です。

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by wheatbaku | 2014-11-30 21:00 | 江戸の老舗 | Trackback
いせ源 (江戸の老舗)
一昨日は江戸検でした。
 結構難しい問題が多かったようですね。受検された皆様本当にお疲れ様でした。
 大勢の皆様から、結果についてのご連絡いただきました。
 結果は、悲喜こもごものようですが、この間、受検された皆様全員が頑張ってこられたのですから、この間の頑張りに、本当に敬意を表します。

 さて、文京学院大学生涯学習センターの神田散歩で訪ねた「いせ源」さんでは、あんこうの吊るし切りを見させていただきました。
 これが大変好評でしたので、今日は、「いせ源」さんについて詳しく紹介しようと思います。

 いせ源さんは、東京メトロ淡路町駅A3番出口から徒歩2分の距離にあります。
 この近辺は現在は須田町ですが、昔は連雀町といわれた町です。
 ここには、「いせ源」さんをはじめ「まつや」「たけむら」「かんだやぶそば」など昔ながらの情緒を漂わせている老舗が目白押しです。
c0187004_9581539.jpg その中で、江戸時代に創業したの「いせ源」さんだけです。
 「いせ源」さんは、天保元年(1830)に、中橋広小路(現在の京橋三丁目付近)で初代にあたる立川庄蔵が「いせ庄」というどじょう屋を始めました。
 その後、2代目立川源四郎が店を中橋広小路から神田連雀町に移し、店名も「いせ庄」の「いせ」と「源四郎」の「源」を合わせ、「いせ源」と改名したそうです。
 当時はあんこう鍋の他にも、よせ鍋、かき鍋、白魚鍋、ねぎま鍋等々、様々な鍋料理を提供していたようです。
 しかし、あんこう鍋に人気が集中するようになり、大正時代の4代目立川政蔵の時にあんこう料理専門の店となりました。
 「いせ源」さんの建物は、大正12年の関東大震災によって全焼した後、昭和5年に建てられたもので、 東京都選定歴史的建造物に選定されています。

 神田散歩の時に、あんこうの吊るし切りをみせてくださったのは7代目ご主人です。
 まだお若く、「若旦那」という呼び名がぴったりです。
c0187004_9584386.jpg あんこうについての解説もしていただきました。
 あんこうは300種類ぐらいいるそうですが、あんこう鍋に使われるものは「キアンコウ」という種類だそうです。
 キアンコウで食用になるのは主にメスで、アンコウのメスはオスよりも早く成長し体が大きいようです。
 先日見させていただいたアンコウは青森で水揚げされたものだそうです。
 あんこうを捕るには、底引網と刺し網があるそうです。底曳網では、多種の魚が一網打尽に捕獲されますが、刺し網で捕る場合は、網の大きさより小さい魚は捕獲されません。
c0187004_959168.jpg そのため、自然保護の観点からは刺し網の方がよいそうです。
 「いせ源」さんでは、刺し網で捕獲されたあんこうを利用するようにしているそうです。
 解説の後、吊るし切りを実演していただきました。
 あんこうを吊るし切りするには5分程度で調理できるそうですが、当日は、お話をしながらですので25分程度かかりました。
 解説も詳しく、包丁さばきも見事でした。
 しかも、参加者から随時出される質問にも丁寧に答えていただきました。
 参加者の皆さんは大満足でした。
 7代目ご主人様ありがとうございました。また、御手配していただいた女将さんありがとうございました。

 神田散歩にご参加いただいた お気楽マダムさん が、吊るし切りの様子を動画に編集してくださいました。
 吊るし切りの様子もわかりますし、若旦那の説明も取り込まれています。ぜひご覧ください。





c0187004_100321.jpg 「いせ源」さんには、ご案内する前にお邪魔して、「あんこう鍋」を食べて写真に撮ってありますので、その様子も紹介します。
 「いせ源」さんは、2階が入れ込みの座敷となっていて、そこであんこう鍋を食べることができます。
 私たちが選んだ窓際のテーブルは、映画監督の小津監督がいつも座って食したテーブルとのことでした。 
 あんこう鍋を注文するとほどなく運ばれてきました。
c0187004_1005663.jpg 基本的にあんこうは腸と精巣以外のすべての部位が食べられるとのことで、あんこうの具材と野菜が並べられ、割り下が入った鍋でした。
 しばらくすると煮立ってきました。ガスの火を弱めて食べてみると醤油味でした。
 あんこう鍋には味噌味もあるそうですが、「いせ源」さんでは醤油味で調理しているとのことでした。
 あんこうの味はおいしくて、部位によってちがう食感が楽しめて大変すばらしかったです。
 あんこう鍋を食べ終わると、「おじや」をどうするかとの質問がありましたので、迷わずオーダーしました。
 あんこうの味がたっぷり染み込んだ「おじや」も最高の味でした。

c0187004_9595391.jpg 2階の座敷には、絵が数多く掲示されています。
 よく見るとサインしたものがありますので、誰が描いたのかわかります。br> 右写真の絵には春陽会のサインがありました。
 春陽会の人々が寄せ書きした絵のようです。
 中川一政画伯のサインのある絵もありました。


c0187004_1001427.jpg 最後に店の入り口に掲げられている看板のご紹介です。
 入り口の看板には、右から「先客万来」と刻まれています。
 この看板の板は、ふな虫に食べさせたものだそうです。
 多くのお客さんに食べてもらいたいという願いを込められているそうです。
 上品な洒落が効いて、なるほどと感心しました。
 昭和5年の新築時以来掲げられている看板とのことです。


 あんこうはこれからがシーズンです。
 「いせ源」さんであんこう鍋をたべてみてはいかがでしょうか。必ず満足すると思います。
 
 なお、「いせ源」さんでは、夏場もあんあこう鍋をやっているそうです。


 赤印が「いせ源」さんです。最寄駅は東京メトロ丸の内線「淡路町駅」ですが、JR山の手線の「神田駅」からもそう遠くはありません。

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by wheatbaku | 2014-11-04 09:32 | 江戸の老舗 | Trackback
八百善②(江戸の老舗)
 今日も、引き続き、先日お邪魔した八百善について書いていこうと思います。
 八百善の様子は、一緒にお邪魔したひまつぶしさんとお気楽マダムさんもそれぞれご自分のブログに書いていますのでご覧になってみてください。

 ひまつぶしさん 「過去・現在・未来」 
 お気楽マダムさん 「お気楽マダムの奮闘記」

  さて 今日は八百善で見させていただいた文化財についてご案内します。
c0187004_851122.jpg  その前に、八百善の建物について、11代目栗山雄太郎様から伺ったお話を書きます。
  右写真が、八百善の建物ですが、大変風格のある建物です。
  こちらは、明王院が管理している建物だとは聞いていましたが、お寺の建物とは思えない風情のある建物です。
  実は、この建物は、大正時代に建てられた某経済人の所有するものだったそうです。、それが、縁あって明王院が管理するものとなりました。
 そして、バブル時代には料亭として利用されていたこともあるそうです。
 なるほど、やはり、風格のある建物だと感じさせられる歴史があるんだと思いました。

c0187004_8513149.jpg  八百善には、多数の額や書が掲示されていましたので、今日は、それらをご紹介します。
 まず、大田蜀山人が書いた歌です、

 
  ちはやふる かみすきばしを 夕こえて 八百善にてや 月まつち山

 
 と書かれています。
 八百善の御主人10代目栗山善四郎様のお話では、こうした歌・俳句・詩・書といった類は、八百善の天井や壁や襖に、直に書かれているものが多かったそうです。
 4代目栗山善四郎は、そうした歌や書の一部を切り取って保存をしたそうです。
 山谷の八百善は、関東大震災で焼失してしまいましたが、このようして4代目が軸にしてくれたため、大田蜀山人の歌も残されたのだそうです。
 この歌は、八百善の営業案内にも使用されています。


c0187004_8524444.jpg 松平不眛公の額も掲示されていました。
 「安膝堂」と書かれています。 「膝を安んじる御堂」という意味だそうです。
 山谷の八百善は、江戸時代、いくつかの建物が建っていたそうです。
 そのうちの一つに、松平不眛公が「安膝堂」と名付け、額にしてくれたそうです。
 10代目栗山善四郎様のお話では、八百善は、関東大震災の際に焼失しましたが、火がつくまでに、2時間の猶予があったそうです。
 そのため、多くの貴重なものを持ち出すことができたようです。
 この額も、大震災の中で、八百善の人たちが守り抜いたものかもしれません。

 
c0187004_8532272.jpg 食事が終わり、最後に、11代目となる栗山雄太郎様に、酒井抱一の「鶴かけの松」の絵などは残っていませんでしょうかと尋ねました。
 すると「鶴かけの松」は残っていませんが、酒井抱一の書いた書で残っているものがありますとのことで、その書を特別に見せていただきました。
 別室ですが、抱一と署名されている書がありました。。「不老亭」と書かれています。


c0187004_8534747.jpg その部屋では、もっと貴重なものを拝見させていただきました。
 それは「徳川屏風」です。 文政10年に、11代将軍徳川家斉が世子の家慶とともに八百善に御成になった際に、その席に飾られた屏風だそうです。
 この屏風は将軍家が八百善に持ち込んだもので、御成が終わった後に、そのまま八百善に下賜されたものだそうです。
 左手には五つの葵の御紋が散らされていて、右手には扇面が描かれていました。


c0187004_8541490.jpg 八百善では、大変貴重なものを拝見させていただきました。
 私も、江戸の老舗を訪ねた際には、江戸時代から残されているものがあるか尋ねますが、多くの老舗が関東大震災や戦災で焼失してしまい残っていないと言われます。
 そうした老舗が多い中で、これだけの書や額がのこっているのは大変貴重だと思います。
 私も大変うれしかったのですが、ご一緒した皆さんも大変よろこばれていました。
 無理なお願いにもかかわらず御了承していただいた11代目の栗山勇太郎様ありがとうございました。
 最後までお見送りをいただき、かえって恐縮した次第です。
 帰り際にお写真を撮らさせていただきました。
 勇太郎様本当にありがとうございました。


 最後に、この記事を読まれて、八百善に行ってみたいと思われた方のため、八百善の営業案内を載せておきます。
 これに、大田蜀山人の歌 
  ちはやふる かみすきばしを 夕こえて 八百善にてや 月まつち山
が使用されています。
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by wheatbaku | 2014-09-22 08:59 | 江戸の老舗 | Trackback
八百善①(江戸の老舗)
 昨日は、『江戸の食文化講座』を受講された皆さんと一緒に鎌倉にある八百善に行ってきました。
 そんなことで、2回にわたって、八百善について書いていきます。

c0187004_974652.jpg 江戸時代、八百善は新鳥越町と言われた現在の東浅草にありましたが、関東大震災で焼失しました。
 その後、築地にあった八百善も戦災で焼失し、その後、都内各所で営業していましたが、それらのお店も諸事情では閉鎖され、平成25年春に、鎌倉の明王院の敷地内で営業を再開しました。
 そうしたことから、現在は八百善は鎌倉で営業されています。
 鎌倉駅からタクシーで約10分ほどでした。
 明王院の境内といっても門は、路地に面していて、お寺の境内にあるとは全く感じられません。

 
c0187004_981033.jpg 八百善では、10代目栗山善四郎様にお出迎えしていただきました。
 栗山善四郎様は、八百善の歴史、おじいさんにあたる8代目栗山善四郎のエピソード、そして提供される料理と器のお話を丁寧にしてくださいました。
 初めて聞くことばかりで、大変興味深くたのしく聞かせていただきました。 栗山様、ありがとうございました。


 八百善では、お料理は、3千円と5千円のコースがありますが、昨日は3千円のコースをお願いしました。
 それでは、八百善で出されたお料理の写真をフルラインアップします。

c0187004_8595524.jpg 最初は、お刺身です。
 天然もののイナダのお刺身です。
 器は志野焼き


c0187004_9155897.jpg 鮭の芋がゆ仕立て
 器は、村瀬治兵衛作の日月椀


c0187004_913994.jpg この芋がゆの写真だけは、自分のものを撮り忘れました。幸い、隣の人の芋がゆが撮ってありました。
 隣の人の器は、この時期だけに使用される鈴虫の漆器ですが、大勢で行ったため、器が二種類用意されていて、ゆき届いた配慮に感激しました。


c0187004_92219.jpg なすの蒲焼きもどき
 器は、織部のまな板皿
 なすの焼き方は秘伝だそうです。


c0187004_922410.jpg えびのしんじょ揚げ
 器は黄龍五爪(きりゅうごづめ)の皿


c0187004_925715.jpg この皿は、中国清の最後の皇帝溥儀が、昭和10年に満州国皇帝として来日し現在の迎賓館に宿泊した際に、八百善が料理を担当しましたが、その際に使用されたものだそうです。
 中国では、黄色は皇帝の色で、爪が五本の龍は皇帝を表すものです。


c0187004_931861.jpg わたりかにの「茶碗蒸し
 八百善では、蟹はわたりがにだけしか使用しないとのことです。
 また、蒸し物は、真夏でも出すのが八百善の流儀だったそうです。


c0187004_9274535.jpg 栗ごはん
 八百善では、ご飯のおかわりは自由だそうです。
 そして、おかわりの都度、使用するお茶碗を変えるとのことでした。 


c0187004_93403.jpg そこで、おかわりしました。
 確かに、違う器でした。
 左が最初に出された黄万暦(きばんれき)、右がおかわりしたもので美濃の赤絵です。
 今までのおかわりの最多は、男性6回、女性4回だでそうです。


c0187004_94227.jpg 最後は、お抹茶とお菓子です。
 こちらは、コース外で、800円で味わうことができます。


 最後は、10代目栗山善四郎様を中心に、参加者の皆さんで記念撮影を撮らさせていただきました。
 栗山善四郎様、ありがとうございました。
 大変おいしし料理と貴重な器の数々に感激しました。
 また、一緒に行かれた受講者の皆さん、お疲れ様でした。
 そして手配いただいたUさんありがとうございました。
c0187004_961167.jpg



赤印が八百善の場所です。「明王院」が目印になります。

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by wheatbaku | 2014-09-20 08:12 | 江戸の老舗 | Trackback(1)
銀座三河屋(江戸の老舗)
 今日は、銀座の老舗「銀座三河屋」さんのご紹介です。

 銀座三河屋さんは、銀座八丁目の金春通りに面してお店があります。
c0187004_8581418.jpg 「銀座三河屋」さんには、伊丹の酒メーカー小西酒造が生産している「江戸元禄の酒」を購入するためにお邪魔しました。
 原田信男先生の「江戸の食文化」の109ページに「伊丹の酒メーカー小西酒造では、杜氏の覚書から江戸時代の酒を再現している」と書かれているため、それをインターネットで検索していき、「銀座三河屋」さんで販売していることを知ったため、購入に行きました。

 銀座三河屋さんは、元禄時代三河の国より江戸の上がり汐留(現在の新橋駅近く)に移り、酒商を営んだ後、油屋に商売がえし、さらに、 江戸時代後期には、日本古来よりの手芸品や絽刺を徳川家や諸大名に納め御用商人として繁盛したそうです。

 c0187004_8585188.jpg明治6年になって、銀座8丁目8番3号(現在の資生堂パーラー)に移り営業を続け、その後、各地のデパートにも出店し、大いに繁盛したそうです。
 そして、平成2年には、金春通りに移転し和装小物の店「銀座・三河屋」を営業していましたが、平成15年に「江戸の食(スローフード)『銀座・三河屋』」新規開店しました。
 7代目の神谷社長さんのお話では、和装小物の店から「江戸の食(スローフード)」に業種変更されたのは、時代の変化に対応しようとされたためだそうです。

c0187004_911291.jpg 「江戸の食(スローフード)」に転換してから、最初に商品開発されたのが、「煎(い)り酒」です。
 「煎り酒」というのは、現在は、あまり知られていませんが、江戸時代に用いられていた日本の古い調味料です。
 それは、日本酒に梅干とかつおを入れて煮詰めたもので、酸味と塩味と旨味を合せもつ万能調味料です。
 これを、なべ家主人の福田浩様のアドバイスを受けながら、銀座三河屋さんで、独自に商品開発されたものだそうです。現在の商品が完成するまで半年かかったそうです。
 紀州南高梅の梅酢を使用していて、塩分は一般的な醤油よりも 少なく、まろやかでヘルシーな調味料に仕立てたとのことでした。
 現在は、野田の醤油メーカー「キノエネ醤油」さんに製造を委託されているそうです。

c0187004_905412.jpg さて、「江戸元禄の酒」ですが、これは伊丹の小西酒造を創業した小西家に今もなお残されている 元禄時代の酒造りを記録した秘伝書「酒永代覚帖」の中で、最も古い元禄15年(1702)の記録に従って再現されたお酒です。
 この酒が、「銀座三河屋」さんで取り扱われるようになったのは、神谷社長さんが新聞の記事を見て、小西酒造に取扱いのお願いをしたことから始まったそうです。
  元禄の酒は、現代の造りと比較して、仕込水は半分ほどしか使用されていないことと精米技術が今ほど発達していなかったため、玄米に近い精米となることにより、味は濃厚な口当たりとなり、色は奇麗な琥珀色をしています。
 銀座三河屋さんでは、試飲もさせてくださいます。
 右下写真が、「元禄の酒」ですが、まさにキャッチコピーの通りの琥珀色をしています。
 また飲んでみると、まさに甘口で濃厚な味でした。

c0187004_911487.jpg 「元禄の酒」を購入し、第2回目の「食文化講座」で、受講者の皆さんにも試飲をしていただきました。
 江戸時代の酒はどんな味がするのか興味津々で試飲をしていました。
 その時の感想では、お酒の好きな男性方からは、最近のお酒は、すっきりした辛口のお酒に親しんでいることもあり、「みりんのような味だ」と言った感想でした。
 お酒をあまり飲まないご婦人方からは、「甘いので飲みやすい」と言った感想がありました。 
 私は、最近は日本酒は飲まないのですが、ロックにして飲むとおいしいのではないかと思いました。

 神谷社長さんのお話では、現在では、「江戸元禄の酒」の取り扱いしている店舗の中では、トップクラスの売り上げをあげているそうです。
c0187004_911295.jpg 身近で購入できますので、江戸時代の酒がどんな味がするか味わうのもよろしいかと思いますので、「銀座三河屋」に足を運んでみてはいかがでしょうか。

 銀座三河屋さんでは、愛知の桝塚味噌で木桶でつくられた「とろみそ」なども販売されています。(右写真)
 「とろみそ」というの、まぐろのとろのようにおいしいみそと言う意味で命名されたみそだそうです。
 「銀座三河屋」さんの場所は、下図の通りです。

 私がお邪魔した時には、神谷社長さんは御不在でしたが、その後、電話でいろいろお教えいただきました。
  神谷社長さんは、江戸文化歴史検定2級もとられていらっしゃるとのことで江戸にも大変憧憬の深いこともあって、大変親切にご対応いただきました。
 紙上をお借りして神谷社長さんに御礼申し上げます。ありがとうございました。
 

 赤印が「銀座三河屋」さんです。JR新橋駅銀座口から4分、東京メトロ銀座駅A2番出口から6分です。

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by wheatbaku | 2014-08-22 08:57 | 江戸の老舗 | Trackback
「東京種苗㈱」(江戸の老舗 巣鴨食文化散歩6)
 巣鴨食文化散歩では、「種子屋街道」のなごりのお家も訪ねました。
 今日は、そのうちの一軒「東京種苗」のお話をします。

 都営地下鉄三田線西巣鴨駅は白山通り(国道17号線)の地下にあります。
 西巣鴨駅のほぼ真上を通っているのが明治通りですが、明治通りの「掘割」の交差点は旧中山道との交差点です。
 この「掘割交差点」から西は北区滝野川になり、古い字名は、三軒家(さんげんや)と言います。
 より詳しくいうと旧中山道の東側の字名は東三軒家、西側の字名は西三軒家といいます。
 この字名「三軒家」の由来は、江戸時代に中山道沿いに大きな種子屋が三軒あったからと言われています。
 この三軒の種子屋は、「榎本孫八」「越部(こしべ)半右衛門」「榎本重左衛門」の三家です。
 この三軒を中心に、中山道には多くの種子屋がありました。そのため、このあたりは「種子屋街道」と呼ばれました。

 現在、三軒家と呼ばれた種子屋は、すべて廃業していますが、その名残りがないわけではありません。
c0187004_1072674.jpg その一つが、旧中山道沿いに現在も建物が残っている「東京種苗株式会社」です。
 「東京種苗㈱」は、元々は、種子問屋「榎本留吉商店」といい、弘化元年(1844)に創業した老舗です。
 榎本留吉商店の初代の榎本留吉は、三軒家のうちの「榎本重左衛門」の三男で、そこから分家してタネ屋となりました。

 滝野川は、滝野川牛蒡や滝野川人参などの優れた野菜がとれたので、それらの種子を中心に野菜の種子を分けてほしいという旅人に、農家の副業として種子を譲っていたのが、段々専門化していったようです。
 江戸時代には、この近辺で種を採取していましたが、明治以降、種子の生産地は、埼玉や千葉、茨城に移っていきました。
 榎本留吉商店では、農家に委託して生産した種子の外、他の種子屋から仕入れた種子の販売もしていたとのことでした。
 太平洋戦争中、野菜の種子は軍需品となり国の統制下に置かれ、種子屋は、全国で13社に統合されました。
c0187004_1075671.jpg 滝野川地区の種子屋は、「東京種苗」、「帝国種苗」、「日本農林種苗」の三社に統合されました。
 榎本留吉商店は「東京種苗」となり、榎本孫八家、越部半右衛門家は「帝国種苗」となりました。
 終戦後は、種子に対する統制がなくなり、合同した各種苗メーカーもそれぞれ独立していったそうです。
 元の榎本留吉商店が東京種苗株式会社と言う名前となっているのは、こうした経緯があるためだそうです。

 東京種苗㈱」の建物は、明治初期に建てられたものですが、現在は、店舗としても住まいとしても利用されていないそうです。
 この建物は、巣鴨から板橋駅の間の旧中山道に残る貴重な町家建築ですので、長く保存されているといいなぁと思いました。

赤印が「東京種苗㈱」の建物です。 青印g亜明治通りです。

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by wheatbaku | 2014-05-13 10:13 | 江戸の老舗 | Trackback
岩田園 (江戸の老舗  巣鴨食文化散歩5)
 今日は、巣鴨食文化散歩で訪れた老舗の一つ「岩田園」さんをご案内します。

 岩田園さんは、都営地下鉄三田線「西巣鴨駅」A3番出口から徒歩1分で、明治通りに面して建っています。
 
 岩田園さんは、幕末の嘉永2年(1849)に、初代岩田嘉右衛門が、滝野川村三軒家でお茶の栽培と製造を始めたのが、最初です。
c0187004_9354626.jpg 現在の店舗は、明治通り沿いにありますがが、もともとは、中山道沿いにあったようです。当時滝野川村付近は、滝野川人参や滝野川ごぼうなどの優れた野菜が栽培されていましたが、お茶の栽培も大変盛んだったそうです。
 いまでは、まったくその面影がありませんが、当時は、お茶の栽培にも、滝野川地区は適した土壌であったので、お茶の栽培も盛んでした。
 その証拠に、日本最初のお茶の研究機関である農務局製茶試験場が、明治29年に、滝野川西ヶ原(現東京都北区)にが設置されています。
 
 岩田園さんは、岩田社長のお父さんの代に、狭山茶の本場である、狭山市の根通り(埼玉県入間市中神)へ、昭和22 年茶園と製茶工場を開設して、お茶を製造しているそうです。
c0187004_9364535.jpg そのため、主な取扱商品は、狭山茶であったそうですが、東電の福島原発の事故以来の狭山茶に対する風評被害もあり、狭山茶以外も取り扱っているようです。
 平成20年の移転を機に、日本茶カフェ「茶のしずく」を開店しました。
 右写真は、「茶のしずく」の店内の様子です。
 こちらでは、抹パフェ、抹茶あんみつ、抹茶ラテなどお茶の利用したメニューが多く取り揃えられていて、毎日多くのお客様がお茶を楽しんでいいます。

 岩田園さんでは、6代目の岩田安生社長さんに、岩田園さんの歴史、お茶の入れ方、歴史、製造方法、種類などを幅広くお教えいただきました。
c0187004_9372762.jpg 右写真は、お店の前で説明される岩田社長さんです。
 さすが、岩田社長さんは、日本茶インストラクターの資格をもっているだけに、その知識の豊富さには敬服しました。
 岩田園さんの歴史は、前記の通りですが、お茶の入れ方のポイントは、お湯の温度と茶葉の量とのことです。
 お茶をいれるお湯の温度は、それぞれ適温があり、煎茶であれば温めのお湯でいれることがポイント等を教えていただきました。
 お茶の種類については、抹茶、煎茶、玉露、番茶などの違いについて説明いただきましたが、特に番茶について詳しく教えていただきました。
 それによると番茶と一口でいっても、いろいろな種類があるようです。
c0187004_9432535.jpg  煎茶を製造する工程で除かれた大きな葉や茎などを用いて作った番茶、一番茶を摘採した後の遅れ芽や刈り残した茶葉を摘採したものから作られる番茶、さらに、夏以降に出た三番茶から作られるものや三番茶を摘まずにそのまま枝葉を伸ばしておいて秋に摘む秋番茶または秋冬番茶から作られる番茶などがあるそうです。
 岩田社長さんの丁寧な説明で、お茶について様々なことがよくわかりました。
 岩田社長さん、本当にご丁寧な説明ありがとうございまし。

 さらに、お茶の木そのものについても教えていただきました。
 お茶の木は、お店の前のプランターに植えられていましたが、写真を撮り忘れましたので、ウィッキペデアの写真を掲載しておきますが、お茶は、ツバキ科の植物だそうです。
 そういえば、茶の葉は椿の葉に似ていますし、秋に咲くお茶の花も椿の花に似ています。

 岩田社長さん、お忙しい所、長時間に亘り、お茶について丁寧にいろいろなことを教えていただきありがとうございました。
 お蔭様で、よい勉強ができました。参加された皆さんも喜んでいました。
 心より御礼申し上げます。

赤印が、「岩田園」さんです。青印が明治通りです。

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by wheatbaku | 2014-05-12 09:37 | 江戸の老舗 | Trackback
福島家(江戸からの和菓子 巣鴨食文化散歩4)
 巣鴨食文化散歩では、和菓子の老舗「福島家」で、和菓子の製造工程を見学させてもらいました。
 今日は、その「福島家」さんの御紹介です。

 「福島家」さんは、JR巣鴨駅前の白山通りを西に行くと巣鴨駅から徒歩1分程度の至近距離にあります。
 有名な「とげぬき地蔵」に向かう途中、北側のアーケードの一番手前にあります。

 「福島家」さんは幕末の文久元年には営業していた和菓子の老舗です。
c0187004_9533615.jpg  和菓子の製造販売のほか、店舗に喫茶コーナーを併設していて、いつもお客で混雑していますが、お邪魔した日は、たまたま、席があいていて、喫茶コーナーで名物のあんみうつやところてんを銘々注文して、5代目ご主人の福島敏夫専務さんのお話を伺いました。
 ご主人によると文久元年に和宮が降嫁する時には既に「福島家」さんは営業していたそうです。
 和宮が14代将軍家茂に嫁入りするために、京都から江戸に下った時は、中山道を通りました。
中仙道の宿場は板橋ですが、ここだけでは大勢のお供の人たちを宿泊させられないので、当時、立場(たてば)であった巣鴨の町並み調査をした際の文書が残っているそうです。
 その中に、「福島家」さんの名前が「菓子商弥三郎(福島家)」として載っているそうです。
 それによると、現在の巣鴨駅より南側にあったようです。その後、巣鴨にあった徳川慶喜の屋敷の表門近くに一度移転しました。
 しかし、その店が、昭和20年3月10日の東京大空襲により焼失したため、現在地に移転したそうです。
 

 「福島家」さんには、江戸時代の和菓子の雛形帳(見本帳)が残されています。
c0187004_9535543.jpg その雛形帳を見させていただきました。 
 雛形帳には、慶応3年の奥付があり、幕末には、利用されていたものだそうです。
 東京の和菓子屋さんでも、江戸時代の雛形帳が残っているのは大変珍しいと思います。
 この雛形帳は、お客様から注文をとる際に、お客様に、どういった菓子に仕上げるかを選んでいただくための見本帳だそうです、
 その装丁がしっかりしているのにまず驚きました。
 さらに驚いたのは、その中身です。
 江戸時代のものでありながら色が非常に鮮やかなのにビックリしました。
全てで420種類ほどあるそうで、本職の絵師が書いたものだろうと専務さんはおしゃっていました。
 また、おもしろいことに、雛形帳には、指の跡が残っていて、その指の跡に濃淡があるということでした。
 濃い御菓子は人気があったのだろうということでした。

 店舗の地下にある工場では、「練り切り(ねりきり)」の最後の仕上げ工程を見させていただきました。
c0187004_9541075.jpg 工場長が鮮やかな手際で「ばら」を作り上げていき、見学者全員その鮮やかさに驚いていました。
 「ばら」の仕上げはスプーン一本でやっていましたが、練り切りの種類に応じて使用する道具は、「和ばさみ」であったり、「三角へら」であったりするようです。
 練り切りは、白餡に 求肥(ぎゅうひ)などを混ぜて練ってつくりますが、餡は、当日に作るのではなく、前日までに作っておくそうです。

 
c0187004_9542444.jpg 雛型帳に基づき復元しているお菓子もあるそうです。
 復元菓子は、練り切りの「江戸梅」「江戸桜」「江戸菊」、羊羹の「宮城野羹」が代表的なものです。
 復元されたお菓子の中で「宮城野羹」は常時販売しています。こちらは羊羹です。
 また、桜の時期は、「江戸桜」という練りきりのお菓子を販売しています。
 右写真が復元された「宮城野羹」(写真右)と「江戸桜」(写真左)です。
 共に甘さを抑えた上品なお菓子です。


 福島専務さん、工場見学をさせていただきたいなどという無理なお願いをしたにもかかわず、ご親切にご対応いただきありがとうございました。
練り切りの工程を見させていただき大変勉強になりましたし、参加された皆さんも大変喜んでくれました。
本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

 「福島家」は赤印です。巣鴨駅前で、白山通りに面しています

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by wheatbaku | 2014-05-09 09:54 | 江戸からの和菓子 | Trackback
伊勢五(江戸の老舗 巣鴨食文化散歩1)
今日から、4月第4週土曜日に開催された「巣鴨食文化散歩」でご案内した老舗や史跡についてブログでご紹介していきます。

c0187004_11145157.jpg  まず、今日は、お米屋の「伊勢五」さんのご案内です。

 伊勢五さんは、都営地下鉄三田線「千石駅」番出口から徒歩5分ほどの住宅街の中にあります。
 不忍通りを北に入ると住宅街の道路になりますが、100メートルほど歩くと歴史のある建物が目に入ります。
 母家は明治初期に建てられ、蔵は大正12年頃の建築で、母家・蔵ともに国の登録有形文化財に指定されています。

 母家は出桁(だしげた)造りの典型的な町家づくりとなっています。
c0187004_14223995.jpg  「出桁造り」というのは柱の上に横に渡す木材「桁」を四隅の柱よりも外に出す工法で町家に多く利用されました。
 この工法によってく軒先が深くなり、建物を風雨から守ることができます。
 蔵は二階建て土蔵造りです。

 伊勢五さんの正確な創業年代は不明だそうですが、8代将軍吉宗の享保年間(1716~1736)には商いをしていたといわれています。

 伊勢五というお店の名称は初代の伊勢屋五郎右衛門からとったものだそうです。
 初代は名前の通り、伊勢国の出身だそうです。
c0187004_11151891.jpg  現在の当主は8代目で、通称として今井五郎右衛門を名乗っています。
 代々の名前を襲名するのは大変とのことで8代目ご当主は今井龍次という本名は別にあります。
 右写真は、店内で説明をされる今井様です。

 今井様のお話では、伊勢五さんがこの地に店を構えたのは、大名の下屋敷が数多くあったからではないかと考えられているそうです。
 周辺には六義園はじめ大名の下屋敷が数多くありましたが、伊勢五さんにはこれらの下屋敷にお米を卸していたという記録が残っているそうです。
 また、文京区ふるさと歴史館の学芸員の方の話では、文京区に江戸時代260軒の米屋がありました。
 こんなに米屋が多いのは、文京区には、多くの川が流れていたためではないかということでした。
 江戸時代には、お米屋は、問屋である下り米問屋、関東米穀三組問屋(かんとうべいこくみくみどいや)、地廻(じまわり)米穀問屋があり、さらに仲買があって、消費者に米を売る小売りの舂米屋(つきごめや)がありました。
 この舂米屋(つきごめや)は、米を精米し消費者に販売していました。
 精米とは玄米を白米にすることです。籾(もみ)から取り出した玄米は糠(ぬか)がついたままで茶色い色をしています。この玄米から茶色い糠の部分を削って白いお米にする作業が精米です。
 江戸時代は、精米を手で行っていましたが、大規模に行うには水車を利用していました。
c0187004_11154373.jpg そこで、川の近くで水車を利用で生きることは、舂米屋(つきごめや)にとっては大変有利なことでした。
 伊勢五さんでは、明治になってから、水車を入手したとの記録が残っているそうです。
 伊勢五さんでは、現在も自店で精米をしています。
 現在、多くの米店で使われている精米機は単式といって、1度で精米することができるものがほとんどです。 しかし伊勢五では、今も古い循環式の精米機を使い続けています。循環式は7、8回ほどかけて少しずつお 米を削っていくため、時間はかかりますが、粒に傷がつかず、きれいに精米できるのだそうです。
 右写真は、伊勢五さんの精米機です。参加者の皆さんも興味深かそうに機械を見ていました。

c0187004_1128469.jpg 伊勢五さんにあった米屋関係の資料すべてが、文京区ふるさと歴史館に寄贈されています。
 この資料を中心に文京区ふるさと歴史館では平成13年度に特別展を開催したそうで、その図録「小石川と本郷の米物語」には、伊勢五さんのことが、かなり書かれています。

 8代目ご当主今井様にお忙しいなか、丁寧に説明していただきました。
 いつもニコニコしお優しいお顔で親切にご対応していただき大変感謝しております。
 ありがとうございました、

 赤印が「伊勢五」さんです。

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by wheatbaku | 2014-05-05 11:13 | 江戸の老舗 | Trackback
江戸検受験対策散歩のご案内(江戸の食文化20)
今週月曜日から京都に来ていて、ブログの更新ができないので、今日は、4月の講座のご案内を再掲します。
 4月に毎日文化センター主催で下記の江戸検関連講座を開催します。

   ― 江戸検受験対策散歩 ―
   江 戸 の 食 文 化 体 験
     ~江戸の老舗を巡る~

 江戸文化歴史検定(江戸検)の今年のお題は「江戸の食文化」です。
 そこで、江戸検お題に合わせて、受験対策を兼ねて江戸から続く老舗を巡る散歩を開催します。
 訪問先は、浅草と巣鴨周辺の老舗です

c0187004_14372537.jpg お買い物だけでなく、老舗の「江戸の食」に関するお話も可能な限り伺いたいと思っていますので、江戸検を受験しようと思っている方、お時間がありましたら是非ご参加ください。

開催日時
 4月12日(土)
  11時30分 「三定」集合  
 4月26日(土)
  13時 都営地下鉄三田線「千石
   駅」の巣鴨駅側改札口集合
c0187004_14444179.jpg費用 5400円および
    保険料282円  
   *入会金は不要です。

【浅草訪問先】
4月12日(土)  浅草の老舗
 ☆三定(天麩羅:昼食)
 ☆海老屋総本舗(佃煮)
 ☆やげん堀(七味唐辛子)
 ☆金龍山浅草餅本舗(和菓子浅草餅)
 ☆万久味噌店(味噌)
 その他 浅草寺、浅草神社

c0187004_1444209.jpg  「三定」は天保8年(1837年)創業の天麩羅の老舗です。ここで昼食をとりながら天麩羅について勉強したいと思います。
 「海老屋総本舗」は、明治2年創業の佃煮屋さん、「やげん堀」は七味唐辛子で有名ですが寛永2年創業です。
 「金龍山浅草餅本舗」は、江戸名所図会にものっている和菓子の老舗です。延宝3年(1675年)の創業です。
c0187004_233222.jpg 「万久味噌店」は文化元(1804)年創業の味噌屋さんです。江戸味噌や仙台味噌についての説明を御主人がしてくださいます。

右写真は、上段から
 浅草三定の天丼
 海老屋総本舗
 やげん堀の唐辛子
 万久味噌店


【巣鴨周辺訪問先】 c0187004_144583.jpg 
4月26日(土) 巣鴨周辺の老舗
 ☆伊勢五(お米)
 ☆福島家(和菓子製造工程見学)
 ☆岩田園(お茶)
 その他 千川上水跡、タネ屋街道(旧中山道)

c0187004_14452731.jpg 「伊勢五」は、享保年間創業のお米屋さんです。お米のお話とともに明治初期建築の店舗についてお話をきかせていただきます。
 文久元年(1861年)創業の「福島家」では、慶応3年の菓子の雛型帳(見本帳)が残されていますので、それを看させていただくとともに和菓子の製造工程も見学させていただきます。
 「岩田園」は嘉永2年(1849年 )創業のお茶屋さんで、江戸のお茶のお話やお茶の種類のお話をしていただく予定です。
c0187004_1449243.jpg 

 江戸検受験の勉強のためにお役にたてればよいなぁと思い企画しました。
 江戸検受験を考えている方のご参加お待ちしています。
 また、江戸検を受験されない方でも十分楽しめますので、老舗めぐりに興味のある方のご参加お待ちしています。

右写真は、上段から
 伊勢五の店舗と蔵
 福島家の雛型帳
 岩田園のお茶
 です。

 お問い合わせ・お申し込みは、下記にご連絡ください。
    毎日文化センター  03-3213-4768 
 HP ⇒  「江戸の食文化体験~江戸の老舗を巡る」 
    


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by wheatbaku | 2014-04-02 07:19 | 江戸の食文化 | Trackback
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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