「鏡子悪妻説」について考える。
夏目漱石の妻鏡子は悪妻だという説が広く流布しています。さすが鏡子自身は自分が悪妻だといっていませんが、漱石・鏡子夫妻の三男伸六は『父・夏目漱石』のなかの「母のこと」で「恐らく、読者の大半は、すでに、御承知のことと思うけれども、私の母ほど、天下の悪妻として、喧伝されている女も珍しいのである」(p254)と書いていますから、鏡子悪妻説は漱石の身内の耳にも届くほど有名だったようです。

しかし、実際に漱石の『道草』や鏡子の『漱石の思い出』を読んでみると、悪妻と言われるほど漱石と鏡子の夫婦仲が本当に悪かったのか、少し疑問に思いました。そこで、鏡子悪妻説について調べてみました。
夏目鏡子が悪妻だと広く流布しているため、そのことを書いた人は大勢いるのだろうと思って、どんな人が悪妻説を書いているのかと思って探しました。すると、意外にも、悪妻説を書いた人物がなかなか見つかりませんでした。
そうした中で、夏目伸六が、『父・夏目漱石』の中で、「この悪妻説を振回す大部分の連中が、小宮さん(小宮豊隆のこと)を除いて、ほとんど、母とは、面識のない人間ばかりであって、それでは、何で、彼等が、そうそうこの母を中傷するのかというと、父の日記、あるいは書簡のところどころに、母の悪口が書いてある。それと小宮さんの著書などを読んで、さぞかし、漱石は、この細君に、苦しめ、悩まされたのでなかろうかと思い込んでしまったに違いない。が実を云うと、そう思い込んだ筆頭は、小宮豊隆さん自身なのであった、他はすべてその亜流であるといった方が、適当であるかもしれない。」と書いています。これからすると鏡子悪妻説の主唱者は小宮豊隆だということになります。
小宮豊隆は漱石の直弟子で、鏡子の『漱石の思い出』にもしばしば登場しますが、その小宮豊隆が『夏目漱石』の中の「再び神経衰弱」で「鏡子が悪妻であった」という趣旨の事を書いています。これが鏡子悪妻説の元凶のようです。

「再び神経衰弱」は19ページにわたる文章ですので全文を引用するわけにはいきませんが、『漱石の思い出』に書かれていることをかなり引用したうえで、最後に次のように書いています。
「私から言わせれば、漱石の当時の肝癪(かんしゃく)の根本は、鏡子の無理解と無反省と無神経から来ているのである。もっともこれはあながち鏡子のみではなく、誰が漱石の妻になっていても、漱石はその無理解と無反省と無神経に悩まなければならなかったのかも知れない。漱石は自分に最も近いものを最も憎んだと言われるが、正しい漱石は、自分が最も愛する者、自分が最もよく知っている者、自分に最も近い者の中に、最も醜いものを発見する場合、愛し、知り、近いという理由だけで、見て見ぬふりをするというような、そんなだらしのない真似はできなかったのである。そのうえ人は、自分に近い者でなければ、真正の意味で、愛しも憎みもするわけに行かない。最も近いが故に最も憎まれるということは、その人に救いようのない『悪』が巣喰(すく)っているためである。」(『夏目漱石(上)』p185)
少し分かりにくい文章ですが、要は鏡子が漱石を理解しない悪妻であり、漱石が最も憎んでいたと小宮豊隆は語っていると私は解釈しました。
なお、小宮豊隆以外の人が鏡子悪妻説を書いているかどうか可能な限り探してみましたが、夏目伸六らが書いている通り小宮豊隆以外の人物が書いた文章はみつかりませんでした。念のため新宿区の「漱石山房記念館」に問い合わせてみましたが「小宮豊隆以外の人が書いているかどうかわからない」という回答でした。
前述の小宮豊隆の鏡子悪妻説に対して、漱石と鏡子の様子を身近で見ていた漱石・鏡子の子供や孫たちは、ちがう意見をもっていますので、いつか紹介します。
漱石の長女松岡筆子は『夏目漱石の「猫」の娘』(半藤末利子著『漱石の長襦袢』所収)で、漱石と鏡子の思い出を書いた後で、次のように書いています。

「後になって母は、多くの方々に悪妻呼ばわりされ、漱石はあの悪妻を持ったればこそ、傑作を生めたとか、母が悪妻でなかったら作風も変ったろう等と、ずい分無責任な事を云われて参りましたが、私からみますと、あの母だからこそあの父とどうやらやっていけたのだと、むしろ褒めて上げたい位な節が数多くあるのです。父の神経衰弱の為、実際、身の毛がよだつような危機が何度もあったのです。
それにしても、母の人柄の良さや気ッ風の良さを利用していらした方々までが、平然として、母を悪妻呼ばわりしているのをみると、ちょっとあきれる感じがいたしてまいります。」(『漱石の長襦袢』p244)
また、漱石の次男夏目伸六は『父・夏目漱石』の中で、次のように書いています。
「(小宮豊隆は)たしかに、あまり男性的な性格であったとは思えないのだが、そのせいか、自分より目下の者の言論が、意に満たぬ場合には、あくまでこれを論難しようとする反面、尊敬する相手の言葉には、ただただ無条件に、頭を下げるといった傾向も、多分にあって、一名『漱石神社の神主』などとかげ口をきかれる理由も、こんなところにあるのだけれども、それだけに、彼にとって、父の言葉は、片言隻句といえども、絶対なのである。尤も、小宮さん自身にしたところで、若い学生の頃は勿論のこと、父の死後もずっと、私の母とは親しくもし、随分と世話にもなった関係上、個人的には、別に、この母に、それほどの悪感情を抱いているという訳でもないのだろうが、ただ、絶対の父と俗物の母とを一対にして、おのが祭壇に安置してみて、始めて、異質に悩まされる御神体が、何ともいとおしくてならなくなったのに違いない。
勿論、小宮さんの、自分の学問的な研究には、いっさい、私情をさしはさまぬと厳しい態度のうちには、まじめな、学者としての良い一面を、充分に現わしているとは思うけれども、そうかといって、母が父にとって、それほどの悪妻であったかということになると、話はまた、おのずから、別問題になって来る。」(『父・夏目漱石』p285~286)
さらに、漱石の孫(長女筆子の三女)の半藤末利子は『漱石の思い出』の解説の中で次のように書いています。
「鏡子ほど歯に衣着せず直戴に物を言う人を私は知らない。しかも、年寄にありがちな繰り言としての愚痴や手柄話の類や、漱石に関しての悪口を、祖母の口から私は一度たりと聞いたことがない。祖母はお世辞を言ったり、自分を良く見せるために言葉を弄したり蔭で人の悪口を言うこともなかった。あれほど悪妻呼ばわりされても、自己弁護をしたり折をみて反論を試みようなどとはしない人であった。堂々と自分の人生を生きた人である。
いつか二人で交わした世間話が、漱石の門下生や、鏡子の弟や二人の息子や甥達に及んだ時、
『いろんな男の人をみてきたけど、あたしやお父様が一番いいねえ』
と遠くを見るように目を細めて、ふと漏らしたことがある。
また別の折には、もし船が沈没して漱石が英国から戻ってこなかったら、『あたしも身投げでもして死んじまうつもりでいたんだよ』
と言ったこともある。何気ない口調だったが、これらの言葉は思い出すたびに私の胸を打つ。筆子が恐い恐いとしか思い出せなかった漱石を、鏡子は心の底から愛していたのであろう。」(『漱石の思い出』p461~462)
これらのように鏡子の子供や孫たちは鏡子は悪妻ではなく漱石を非常に愛していたと語っています。
いずれが、正しいのかひとそれぞれの受け止め方だとは思いますが、最近は、鏡子悪妻説に異論を唱える研究者の発信もありますので、紹介しておきます。
『夏目漱石から読み解く「家族心理学」読論』の「おわりに」で亀口憲治東京大学名誉教授は次のように書いています。
「本書で取り上げた夏目漱石も、一世紀以上前にこの問題(*家族の心理状態を安定的に保つための知恵が求められるという課題を指すと思われる。)に直面し、苦闘したのではなかったでしようか。同時に、縁あって妻となった鏡子夫人の功績も見直されるべきだと考えます。少なくとも、『悪妻』のレッテルのみが貼られたままで済まされるとは思われません。そのような私の判断は、従来の漱石研究が漱石個人に傾きがちであったのと異なり、本書が家族の関係性を重視する「家族心理学」の視点に立っていたことからすれば、当然のことといえます。漱石夫妻の子ども世代のみならず、孫世代の証言を重視したことも、家族の多世代関係を重要視する観点からは、自然な成り行きとして理解していただけたのではないでしようか。漱石の子孫の方々は、まぎれもなくわれわれと同じ時代を生きています。その連綿たる命の流れに、畏敬の念を抱かずにはいられません。」
また、『漱石と熊楠 同時代を生きた二人の巨人』で児童文学作家三田村信行氏は次のように書いています。
「漱石夫人鏡子は、世間に悪妻として通っている。小宮豊隆をはじめとする門下生たちによれば、「先生がもっといい奥さんをもらっていたら、もっとすごい傑作を書いていたかもしれない」ということになるようだが、果たしてどうだろうか書いたかもしれないし、書かなかったかもしれないというほかはない。要するに門下生たちの不満は、鏡子が漱石の偉大さを理解していなかったということになるらしい ある意味ではこれは無理な注文というものだろう。門下生たちにとっては漱石は神のような存在だったかもしれないが、鏡子にとっては作家であるまえに、夫であり、子どもたちの父親であった。もし鏡子が家庭内で門下生たちと同じように漱石を神のような存在として敬っていたとしたら、漱石はいたたまれなかったにちがいない。」(『漱石と熊楠 同時代を生きた二人の巨人』P217)
以上、鏡子悪妻説について書いてある文献を紹介しましたが、鏡子悪妻説は有名なわりには思いのほか詳しく究明したものがあまりありません。
紹介した本を読んだかぎりでは、鏡子が悪妻であったと述べているのは漱石の弟子たちであり、彼らが信仰している漱石の偉大さが否定されることを怖れるあまり鏡子を悪妻に仕立て上げたという気がしないではありません。
また、弟子たちが生きていた時代で理想とされていた良妻賢母の姿が、現在では通用しなくなっていることを考えると、弟子たちが唱えた鏡子悪妻説が否定される趨勢にあるように思います。
今回紹介した本以外にも鏡子悪妻説について書いた本が他にあるかもしれません。これからも関係書物を探して、鏡子悪妻説について考えていきたいと思います。





