文宝亭文宝の高尾太夫についての考察〔高尾太夫⑨〕(江戸のヒロインたち)

文宝亭文宝の高尾太夫についての考察
〔高尾太夫⑨〕(江戸のヒロインたち)

 万治高尾(仙台高尾)については、お墓が西方寺と春慶院にあり、三洲で吊るし切りされたという説があったり、恋人がいて、それが出家した後は道哲と名乗ったと言われていたり、様々な説があり、どれが正しいのか迷うばかりです。

 江戸時代の人々も同様だったようです。

 そうした中で、大田南畝の友人であった文宝亭文宝と思われる人が書いた万治高尾(仙台高尾)についての考察が、燕石十種の「高尾考」の中に書いてありますので、今日は、それを紹介します。

 文宝は、万治高尾(仙台高尾)は、伊達網宗に三股で斬られたが、即死したのではなく、負傷したにとどまり、三浦屋で養生していたが、ついに亡くなってしまった。万治高尾(仙台高尾)のお墓は、西方寺のほうが本物で、春慶院のお墓(下写真)は、後に建てられたものだろうと推測しています。

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 燕石十種で書かれている文宝の考察内容は、概ね次のようになります。

高尾が仙台侯に殺害されたことは、世に伝えられているので、そのようなことが実際にあったのであろう。

高尾は三股で仙台によって手傷をおったけれど、即死することはなくて、三浦屋の別宅で治療したが、効なくて、12月になって亡くなったのだろう。

辞世の句に紅葉がうたわれているが、12月に紅葉と云うのも少し時期はずれであるが、これは10月に手傷を負ったころに作ったものだろう。

 春慶院にある供養塔はあまり古いものとも思えず、笠塔婆の屋根の紋所や、日輪や月輪を彫り、供養塔の左右に蓮を掘ってある。(下写真参照)

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 このように、あまりにも細工が過ぎているのは、まさしく、道哲(西方寺)に墓を建てたはるか後に、誰かが春慶院に建てたのだろう。

 どうしてかというと転誉妙身の為也と刻まれているが、これは妙身菩提のため後から建てたということが明らかである。

 年号や月日を、西方寺の墓から写し取った時、西方寺の墓が時が過ぎていたので、はっきり読み取ることできないので、万治3年を2年とし、12月25日を5日と写し間違えたものと思われる。(下写真参照)

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 私(文宝)は、西方寺の方のお墓が本物と思う。ただし、春慶院の方が本物だと考える人は、それはそれでよいでしょう。

 と書いていて、最後に  文化己巳十月の中の十日あまり  文宝しるす と書いてあります。

 
 この最後の「文宝しるす」から、この文章は文宝亭文宝が書いたものだと考えました。

 文宝亭文宝は、江戸の飯田町のお茶を扱う商人で、通称は亀屋久右衛門といいました。大田南畝に書と狂歌をまなんで、文宝亭散木や2代目蜀山人などともなのりました。


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# by wheatbaku | 2018-07-20 22:32 | 江戸のヒロイン
落語「反魂香」〔高尾太夫⑧〕(江戸のヒロインたち)

落語「反魂香」〔高尾太夫⑧〕(江戸のヒロインたち)

高尾太夫の最後に、伊達網宗に殺されたという高尾太夫を題材にした落語「反魂香」をご紹介します。

 「反魂香」を十八番としたのが8代目三笑亭可楽です。

 昔、よく聞いたものですが、この記事を書くにあたって改めて聞いてみました。 

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ご興味がある方は、You Tube にもありましたので、「三笑亭可楽 反魂香」で検索して聞いてみてください。13分程度の短い落語ですので、短時間で聞くことができると思います。

 「反魂香』のあらずじは次のようです。

長屋の八五郎、毎晩毎晩、隣の坊主が毎夜、鉦(かね)を叩くのでうるさいので、我慢しきれなくなり、文句を言いに行く。

 すると坊主は、名を道哲というが、若い頃は、武士の島田重三郎といい、吉原の三浦屋の高尾太夫と「末は夫婦」と約束をした仲だったという。

 しかし、高尾は仙台の伊達の殿様から身請けさるということになり、なんとかしてくれといってきた。

重三郎は如何ともなしがたくあきらめてくれといったが、重三郎に操を立てて決して生きていないので、亡くなったら回向をしてくれと高尾太夫がいっていたので、鉦をたたいて回向をしているという。

道哲は高尾と取り交わしたという魂返す反魂香(はんごんこう)を火鉢にくべる。すると、高尾太夫が現れる。

高尾太夫 「お前は、島田重三さん」

島田重三郎 「そちゃ女房、高尾じゃないか」

高尾太夫 「にせとかわせし反魂香。仇(あだ)には炊いてくだんすな。香の切れ目が縁(えにし)の切れ目」

島田重三郎「そりゃ炊くまいと思えども、そなたの顔がみたきゆえ。」

 高尾が現れるのを見た八五郎は、3年前に死んだ女房に会いたいから反魂香を分けてくれと頼むが、島田重三郎は、これは自分と高尾の間だけにしか効き目がないと言って断わる。

 仕方なく八五郎は、薬屋へ買いに行くが名前を忘れてしまい、看板を順に読んでいき、反魂香と名前のよく似た越中富山の反魂丹を反魂香と思い込んで買って帰る。

早速、火鉢にくべるが煙が出るだけで、女房はなかなか出てこない。

 八五郎、少ないから出てこないだろうと考え、一袋全部くべてしまって部屋中煙だらけとなる。すると表の戸を叩く音がする。八五郎、『煙の中からでるのではなく、表から堂々と現れる』と喜んで戸を開ける。

 八五郎が、「そちゃ女房のお梅じゃないか」というと、隣の女房が「隣のお崎だけどね、さっきからきな臭いのはお前の所じゃないのかい」と言っておわる。

 万治高尾(仙台高尾)は、仙台の伊達網宗に身請けされたが、伊達網宗の思いのままにならなかったので、殺されたという説があるということは、前回の高尾稲荷神社の記事の中で書きました。

 また、伊達網宗をふった高尾太夫が想っていた人は島田重三郎という名前だったという話は、燕石十種の「高尾考」の中の高尾太夫11代説の中の島田高尾の説明の中にあり、島田重三郎は、高尾太夫がなくなった後、出家して道哲となのったという説があることも書いてあります。

 この反魂香は、こうした説に基づいているように思います。

 なお、反魂香にも出てくる道哲が、土手の道哲と言われた西方寺を創建したという説もあります。



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# by wheatbaku | 2018-07-18 19:54 | 江戸のヒロイン
高尾稲荷神社〔高尾太夫⑦〕(江戸のヒロインたち)

高尾稲荷神社〔高尾太夫⑦〕(江戸のヒロインたち)

万治高尾(仙台高尾)はどのようにしたなくなったのかということについては病気でなくなったという説のほか伊達網宗によって隅田川で惨殺されたという説などがあります。

伊達綱宗によって隅田川で吊るし切りされたという話は広く流布された有名な話ですが、この話に関連して、万治高尾(仙台高尾)をお祀りした神社があります。

 その神社は、日本橋箱崎町にある高尾稲荷神社です。

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 東京メトロ茅場町駅4b出口から10分弱の距離にあります。

 日本橋川がま隅田川に流れ込む直前の左岸にあります。

 境内に箱崎北新堀町々会による「高尾稲荷神社の由来」が設置されています。

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それによれば高尾稲荷神社の縁起は次のようです。

 高尾が仙台藩主伊達綱宗候に寵愛され大金とつんで見請けされたが、彼女にはすでに意中の人あり、操を立てて候に従わなかったため、ついに怒りを買って隅田川の三又(現在の中洲)あたりの楼船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てられた。

その遺体が数日後、当地大川端の北新堀河岸に漂着し、当所そこに庵を構え居合わせた僧が引き揚げてそこに手厚く葬ったといわれる。

高尾の可憐な末路に広く人々の同情が集まり、そこに社を建て彼女の神霊高尾大明神を祀り、高尾稲荷社としたのが当社の起縁である。

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また、現在この社には、稲荷社としては全国でも非常に珍しく、実体の神霊(実物の頭蓋骨)を祭神として社の中に安置してありますとも書いてあり、高尾太夫の頭蓋骨が安置されているとのことです。

高尾稲荷神社は頭部に関する病や悩みに御利益があり、商売繁盛、縁結びの御利益があるそうです。

 

赤印が高尾稲荷神社です。



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# by wheatbaku | 2018-07-17 20:44 | 江戸のヒロイン
紺屋高尾 〔高尾太夫⑥〕(江戸のヒロインたち)

紺屋高尾 〔高尾太夫⑥〕(江戸のヒロインたち)

 「高尾考」の7代説で紺屋九郎兵衛に嫁いだため、「駄染高尾」と呼ばれる高尾太夫は、お題テキスト「江戸のヒロインたち」で紺屋高尾とされています。

 この駄染高尾は、落語の「紺屋高尾」の題材となっていることで有名です。

 「紺屋高尾」は「こんやたかお」と呼びたいところですが、「こうやたかお」と一般的に呼ばれています。

 「紺屋高尾」は、三遊亭円生、三遊亭円楽、立川談志など多くの落語家が演じていますが、今回は、桂歌丸師匠が演じているものが、You Tube にありましたので、それを聞いてみました。

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 桂歌丸師匠の「紺屋高尾」のあらすじは次の通りです。

 神田紺屋町(こうやちょう)の染物職人吉兵衛のお店に、久蔵(きゅうぞう)という職人がいました。

その久蔵が、寝込んで仕事に出てこないので、お玉が池の竹之内蘭石という医者に診てもらうことにした。

久藏をみた蘭石先生は、「これは恋患いだな。そして相手は三浦屋の高尾丈夫だろう?違うか?」

藪医者にずばり言い当てられて驚く久蔵が打ち明けた話では、吉原には花魁道中というものがあるから、いっぺん見ておけと仲間に無理やり連れていかれたのだが、そこで見た高尾の美しさが忘れられないという。それ以来、何を見ても高尾に見えるとも告白。

 蘭石先生が言う。「花魁といえども売物買物だ。金があれば客にとってくれる。そうだな、十両用意すれば会う事が出来るだろう」

 久蔵の給料は一年で3両。蘭石先生から3年一生懸命働いて9両たまったら残りの1両を蘭石先生が足してくれ10両で高尾太夫に合せてくれると言われたた久蔵はすっかり元気になって一生懸命に働きだした。

 それから3年の月日が経った。久蔵は3年で9両を貯め、親方はさらに一両を足してくれた。久藏は、これで高尾太夫を買うと打ち明けた。親方は呆れたが、着物、帯。そして雪踏まで貸してくれて吉原に送り出してくれた。

久蔵は、蘭石先生と一緒に京橋のお大尽という触れこみで高尾太夫に会いにいく。

お茶屋に掛け合ってみると、運よく高尾太夫の体が空いていたのでお茶屋で高尾が会ってくれた。そして高尾太夫からから、「主はよう来なまんした。裏はいつでありんす?」と聞かれ、真正直な久蔵は、「丸3年経ったらきます。3年経たなきゃ、来る事が出来ない」と久蔵は、これまでのことを全て白状してしまう。

それをじっと聞いていた高尾丈夫は、「金で源平藤橘四姓の人と枕を交わす卑しい身を三年も思ってくれるとは、なんと情けのある人か……、わちきは来年の2月15日に年季が明けるから、おかみさんにしてくんなますか」と久藏に言う。

久蔵は天にも昇る気持ちでひたすらに来年2月15日を待ちのぞむ。

そして2月15日当日。一挺の駕籠が神田紺屋町の吉兵衛の店の前に止まる。姿を見せたのは堅気姿の高尾丈夫である。

 そして親方に久蔵とそわせてくれと頼みます。

 久蔵と夫婦となった高尾は80余歳の天寿をまっとうしたという。

 桂歌丸師匠の古典落語もすばらしいものです。生前にもっと聞いておけばよかったとつくづくと思いました。


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# by wheatbaku | 2018-07-16 19:27 | 江戸のヒロイン
神田川本店(明神下) (江戸の老舗)
神田川本店〔明神下〕 (江戸の老舗)

今年の土用の丑の日は、7月20日(金)ですが、一足早く、江戸時代から続く鰻の名店である神田明神下の神田川本店の予約が運よくとれましたので、神田川本店で鰻をたべてきました。

 神田川本店は、JR秋葉原駅電気街口から、徒歩7分で、外堀通りに面して建っています。

 お店の建物は、築66年経つという建物で、しっとりとした落ち着きがあります。

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 神田川本店は、文化2年(1805)に三河屋茂兵衛が、現在の万世橋近くで神田の青物市場に行き来きする人々を相手に「深川屋」という名前で屋台で商売を始めたのが最初とのことです。

 明治になって、現在の場所に移り、商売を続けましたが、関東大震災と東京大空襲で全焼した後、昭和27年に再建されたものだそうです。(下写真は玄関)

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 お昼時でしたが、予約通り座敷の席に通され、神田川という名前は、すぐ近くを流れる神田川に由来する名前だと思っていましたが、実は、当時の店主の母方の出身である相模国の神田村の「神田」と店主の苗字宇田川の「川」から付けられた名前だと知って、びっくりしました。

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 お料理はコースもありますが、単品の組み合せでお願いしました。ちなみにうな重は4300円と3700円の2段階ありますが、鰻の大きさによる違いだそうです。(メニューは下写真)

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 鰻が焼けるまで時間がかかるということで、ビールを飲みながら待ちましたが、酒の肴に頼んだ「う巻」は抜群の美味しさでした。

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 さて、注文してから1時間ほどたってうな重が到着しました。

 予想以上に大ぶりの鰻がご飯の上にどんとのっていて大満足、甘すぎなく濃すぎることがないタレのかかった鰻は、皮はパリとしていて身は驚くほど柔らか。別途頼んだ赤だしは少し濃いめでうな重とのバランスは抜群でした。

 ご飯は多目でしたが、残さずいただくことになりました。

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 酒の肴にと思って注文した「うざく」もうな重と一緒に出されました。
 

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 今は、まさに鰻のシーズンですが、神田川では、鰻のほか、お店の雰囲気まで堪能できるように、私たちが満足いくまで、ゆっくりと過ごさせてもらいました。(下写真は、現店主が収集しているという煙草盆の数々ですが、これが廊下に展示されていて、これをゆっくり眺める時間もありました。)


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 御蔭で、隣の人や待っている人を気にしながらイス席に座って、うな重が来たらあわただしく掻きこむように食べて、食べ終わったらすぐに出て行っておしまいといったことを経験しなくてもすみました。


 神田川本店は、鰻の超有名店ですが、想像以上に時間をかけてゆっくりと美味しい鰻と老舗名店の雰囲気を味わうことができ大満足でした。また行ってみたいお店です。

 赤印が神田川本店です。




 


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# by wheatbaku | 2018-07-15 17:20 | 江戸の老舗
榊原高尾のお墓〔高尾太夫⑤〕(江戸のヒロインたち)

榊原高尾のお墓〔高尾太夫⑤〕(江戸のヒロインたち)

今日は、榊原高尾のお墓のご案内をします。

 榊原高尾のお墓は池袋の本立寺にあります。

 JR池袋駅東口から10分弱の場所にあります。池袋の繁華街がちょうど途切れた地点といった場所にあります。

 本立寺は、日蓮宗のお寺で、元和4年(1618)創立されたとされています。

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 この本立寺は、高田藩榊原家の菩提寺です。

榊原家は、徳川家康の四天王の一人、榊原康政を藩祖とする譜代名門です。

長いこと姫路藩の藩主でしたが、享保年間に高田に転封となり。それ以降は、越後高田藩の藩主として明治維新を迎えました。

榊原家の藩主のお墓は深川の霊厳寺にあり、こちらは正室や側室が眠っています。

本堂の裏側に、榊原家の墓所があります。

その墓所の中に大きな墓誌が建てられています。(下写真)

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その墓誌の中に、姫路8代藩主榊原政岑が身請けしたため榊原高尾と呼ばれていますが、その榊原高尾が、ほかの側室たち同様に榊原家の墓誌のなかに、その名を残しています。

「蓮昌院殿清心妙華日持法尼」と刻まれているのが、榊原高尾です。(下写真は上写真の拡大です)

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墓誌の中に、名前が残されているということは、榊原家において、一応側室の一人として扱われているといえると思います。

しかし、榊原高尾のお墓は、榊原家の墓域のなかにはなくて、少し離れて墓所にあります。榊原高尾の墓碑には「蓮昌院殿清心妙華日持法尼」と刻まれています。(下写真)

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榊原政岑は、姫路藩榊原家の分家に生まれましたが、本家の跡継ぎがなくなったため、榊原宗家を継承することとなりました。

榊原政岑が藩主となった時代は、時あたかも8代将軍徳川吉宗が享保の改革を行っていた時代です。

榊原政岑は、徳川吉宗が出した倹約令を無視して贅沢を尽くし、吉原で派手に遊びまわり、寛保元(1741)高尾太夫を2500両で身請けしました。

高尾太夫19歳でした。

こうした姿勢は、尾張藩主徳川宗春の乱行と同じく享保の改革に対する抵抗と見なされ、吉宗の怒りを買いました。

吉宗自身は改易の考えさえあったようであるが、藩祖榊原康政の功績に免じて榊原政岑隠居、家督は嫡男の政永が継ぐということで落着しましたが、榊原家は、姫路から越後高田に懲罰的な国替えを命じられました。

榊原政岑は、高田に移された9か月後に31歳で亡くなりました。榊原政岑の墓には罪人として明治まで青い網がかぶせられていたといいます。

榊原高尾は、榊原家の高田への転封に際し、榊原正岑に同行し越後高田城に住みましたが、高田転封後まもなく政岑は死亡し、その後は側室のお岑の方に呼ばれて江戸に戻り、上野池の端の榊原家下屋敷で菩提を弔いつつ過ごし、天明9年(1789年)1月19日、67歳で死亡したと『お江戸吉原ものしり帖』には書かれています。
 一方、燕石十種の「高尾考」には、榊原高尾は、寛政11年に84歳にて亡くなったと書いてあります。

 赤印が本立寺です。



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# by wheatbaku | 2018-07-13 19:52 | 江戸のヒロイン
春慶院の高尾太夫の墓〔高尾太夫④〕(江戸のヒロインたち)

春慶院の高尾太夫の墓〔高尾太夫④〕(江戸のヒロインたち)

 高尾太夫のお墓は、東浅草の春慶院にもあります。

 春慶院は、東京メトロ日比谷線南千住駅から徒歩15分かかります。

 有名な新吉原の見返り柳からは東南方向約5分のところにあります。

 春慶院は、浄土宗のお寺で、正式名称は、月光山覚道寺春慶院といいます。

 建立ははっきりしないそうですが、御府内寺社備考によれば、寛永5年建立とされています。

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 高尾太夫のお墓は、本堂の東側脇にあります。

 正門からほぼ正面にあり、非常にわかりやすい場所にあります。

 正面には、為転誉妙身 万治二年十二月五日と刻まれています。

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 高尾太夫のお墓の前には、台東区教育委員会の設置した説明板があり、次のように書いてあります。

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高尾太夫墓

江戸市外の整備と治安風致政策をたてた幕府は、明暦三年(1657)この年の正月にあった「明暦の大火」ののちに、日本橋の吉原遊郭を浅草日本堤下に移転させた。いわゆる新吉原の誕生である。泰平の世相に伴い、新吉原は繁昌した。 高尾太夫は吉原の代表的名妓で、この名を名乗った遊女は十一人いたともいわれるが、いずれも三浦屋四郎左衛門方の抱え遊女であった。

この墓は、世に万治高尾、あるいは仙台高尾と謳われ、幾多の伝説巷談を生んだ二代目高尾太夫の墓という。細部にまで意匠を凝らした笠石塔婆で、戦災で亀裂が入り、一隅が欠けている。 右面に遺詠、   

「寒風にもろくもくつる紅葉かな」と刻む。

巷説に、仙台の大名、のちに伊達騒動の悲劇の主人公になった伊達綱宗とのロマンスがあり、高尾の綱宗に宛てた手紙の一節「忘れねばこそ、おもい出さず候」、「君はいま駒形あたりほととぎす」の句が伝えられている。この墓は仙台候の内命によって建てられたといわれている。

 これによれば、このお墓は、いわゆる万治高尾あるいは仙台高尾と呼ばれた2代目高尾太夫のお墓ということになります。

ところで、高尾太夫の笠の部分には紅葉が刻まれています。

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赤印が春慶院です。 青印が見返り柳です。





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# by wheatbaku | 2018-07-12 18:45 | 江戸のヒロイン
西方寺の高尾太夫の墓(高尾太夫③)(江戸のヒロインたち)

西方寺の高尾太夫の墓(高尾太夫③)(江戸のヒロインたち)

今日は、高尾太夫のお墓のある西方寺を紹介します。

西方寺は、都営地下鉄西巣鴨駅A4番出口から徒歩3分の場所にあります。

白山通りの一本裏側の狭い通りに沿ってあります。

西方寺は浄土宗のお寺で、もともとは、浅草の山谷堀のそばにありましたが、大正15年に、西巣鴨に移転してきました。

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西方寺は、山谷にある頃は、「土手の道哲」といわれていました。土手というのは山谷堀の土手のことですが、道哲とは、西方寺を開いた人のことですが、詳しいことはわかっていないようです。

 この西方寺に高尾太夫のお墓があります。

ここの高尾太夫のお墓は、現在は読み取るのが難しいのですが、「転誉妙身信女」と刻まれているようです。

 西方寺にあるお墓が何代目の高尾の墓かというと、先日、書いた「高尾考」の7代説・11代説によれば、初代高尾太夫ということになります。
 ただし、「高尾考」では伝誉妙身信女とされていますが、西方寺の墓碑銘は、「転誉妙身信女」となっていたようです。


 高尾太夫のお墓は、西方寺の本堂の北側のある墓域のなかにあります。

本堂の前を横切って、墓域に通じる道を真っ直ぐ進み、墓域の中ほどに下写真の道標があります。
 道標にしたがって西側に向かうと墓域のはずれにあります。実際には西方寺さんに尋ねてからお参りしたほうがよいと思います。

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高尾太夫のお墓はお地蔵様が浮き彫りされています。
 しかし、お地蔵様は、関東大震災の際に火災にあったような状態で、お地蔵様の右側に刻まれていたという「転誉妙身信女 万治三年十二月廿五日」も判読が困難です。

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お墓の右側に高い石柱が建てられていて、それには「二代目万治高尾転誉妙身信女二百三十三年供養塔」と刻まれています。これは、明治25年に新吉原の人たちが建立したものだそうです。
 これによると「高尾考」の代数とは違うということなりますが、高尾太夫が何人いて、何代目がなんとよばれていたかもハッキリしませんから、「高尾考」と異なっていても仕方がないと思います。

『江戸の下町』(小林高壽著、新人物往来社刊)には、大正15年の改葬時のことの当時の御住職のお話がのっています。

それによると、高尾太夫のお墓を発掘したが、そこからは人骨はでなかったが、道哲像の下を掘ってみたら、そこから土葬用の水甕が2つでてきた、そのうちの一つから女性のお骨が出てきたと書いてあります。

なお、『江戸の下町』(小林高壽著)には、西方寺の開基と言われる道哲は、高尾太夫の恋人であったということも書いてあります。

赤印が西方寺です。




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# by wheatbaku | 2018-07-11 15:33 | 江戸のヒロイン
高尾太夫は11代?(高尾太夫②)(江戸のヒロインたち)

高尾太夫は11代?(高尾②)(江戸のヒロインたち)

 今日は江戸検の今年のお題「江戸のヒロインたち」に関する記事です。

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 前回は燕石十種「高尾考」に基づく高尾太夫7代説を書きましたが、今日は「高尾考」に書いてある11代説のお話をします。 

 「高尾考」での11代説の内容は、下段に書いてありますが、7代説の中にはいなかった石井高尾、島田高尾、子持高尾、六指高尾という高尾太夫、そしてニックネーム不明の高尾太夫が2人取り上げられ、7代説の中の水谷高尾と浅野高尾が外れています。

 従って、7代説と11代説にともに取り上げられている高尾太夫は、仙台高尾、最上(西条)高尾、駄染高尾、榊原高尾です。

 お題テキスト「江戸のヒロインたち」では、仙台高尾と駄染高尾と榊原高尾が取り上げられていますから、7代説と11代説に共通している高尾太夫を中心に書いているということになりそうです。

11代説の概略は次のようです。

初代高尾 

日本堤の西方寺に庵を結び、法号を伝誉妙心信女と号し、寒風にもろくも落ちる紅葉かなという句を詠んで万治3年12月25日に亡くなり、西方寺に埋葬された。

2代目高尾 石井高尾

彦根藩主井伊直孝の家臣石井吉兵衛とお互いに思うようになったが、ある人が身請けすることとなり、高尾太夫は石井吉兵衛と一緒に死のうと考え、吉兵衛を呼びに行くが、吉兵衛は主君直孝の用事があり、すぐに高尾太夫のもとに行けず遅れて行くと既に自害をした後で、息の根のところであった。石井吉兵衛は、直孝に暇を願い、深草で小庵を結び法華の行者となった。

3代目高尾 西条高尾

本郷の蝋問屋で印籠の御用達西条吉兵衛の妻となり、箕輪に住んでいたという。しかし、西条吉兵衛が借金をする際に三年寄の印を偽造して証文に押し訴訟となり処罰され、高尾は別の男の妻となったという。

4代目高尾 島田高尾

島田重三郎と深くなじんで、伊達綱村もなじんだものの、島田重三郎に操を立てて、綱村の意に従わなかったため、綱村は薄雲太夫に深くなじんで身請けした。

※「高尾考」11代説の中では、初代の高尾太夫の情報と混乱しているようにも思われます。

5代目高尾 駄染高尾

神田お玉が池の駄染屋の妻となり、一生を過ごした。

※「高尾考」の11代説の中では駄染高尾について詳しいことは書かれていません。

6代目高尾 子持高尾

子供を持っていて、座敷でその子を育て、何年か後に人の妻となったが、その人の名前はわからない。

7代目高尾 六指高尾

足の指が六つあったので六指高尾と呼ばれたそうである。 

8代目高尾

 寛保より元文の頃の太夫で、詳細記載なし

9代目高尾 

 ※タイトルのみの記載

10代目榊原高尾

 元文の頃、式部太夫という人が深く心をかけて、身請けして播磨国姫路に連れていった。それが世間に聞こえ、家を危うくしたという。しかし、榊原家の祖先の徳で、播磨から遠い越後に移されたという。この高尾は84歳まで長生きしたという。

11代目高尾

この高尾太夫の代に、三浦屋が絶えて、現在は、跡形もない。

 以上が、燕石十種のなかに書かれている11代説の概要です。


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# by wheatbaku | 2018-07-09 13:50 | 江戸のヒロイン
文京学院大学で『江戸の火消』についてお話してきました。

文京学院大学で『江戸の火消』についてお話してきました。

 昨日は、文京学院大学生涯学習センターで、『火事だ! いざ出陣!火事と闘った江戸の火消たち』というタイトルで、『江戸の火消』についてお話をしてきました。

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 この講座は、2回連続講座で、「明暦の大火、大名火消、定火消、町火消等」についてお話しますが、昨日は、明暦の大火を中心に大名火消・定火消についてお話しました。

 ちょうど、先週の日曜日の7 1 日に「NHKスペシャル『不屈の復興!!町人が闘った“大火の都”』」で、明暦の大火と町火消について、放映されたばかりでしたので、絶好のタイミングでした。

 受講された皆さんも、大多数の方が、この番組を見ていましたので、江戸の火事について、アウトラインを御承知の上でしたので、講義する私としてもやりやすい講義でした。

 話の中心は、明暦の大火でしたが、火元が三ケ所で、江戸の大部分を焼失していった経緯等を詳しく説明しました。

講義後は、「明暦の大火について、一層深く理解できました」という感想もいただきうれしく思いました。

明暦の大火のルポルタージュ「むさしあぶみ」の現代語訳本は浅草橋の初音森神社でしか入手できないので、講座の冒頭にこの本についてご案内しましたが、多くの方が購入を希望されました。それほど受講された方が熱心でした。

このように受講された皆様が大変熱心に聞いていただいので、講義時間は90分でしたが、あっという間の90分でした。

受講いただいた皆様、本当にありがとうございました。













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# by wheatbaku | 2018-07-08 10:39 | 江戸講座
  

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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