
「江戸時代の朝鮮通信使」と朝鮮通信使の旅日記」の2冊です。
朝鮮通信使は、「信(よしみ)を通わす」使節ということで、江戸時代には12回来訪してきている。使節は、正使、副使、従事官の三使と第一級の学者・医者・画家を含めた総勢500人の使節です。
朝鮮通信使の船団は、通信使の船6艘のほか護衛の船を含めて800艘から1000艘になる大船団であったとのことでその多さに驚かされました。朝鮮からの船は、大阪に留まるため、船頭たち約100人は、大阪に留まっていました。
大坂から京都までは淀川を川舟でのぼり、それからは陸路を江戸に向かいました。陸路というと東海道を考えますが、朝鮮通信使は、草津から中山道に入り、JR野津駅近辺から「朝鮮人街道」を通り、鳥居本で中山道に戻り、垂井で美濃路に入り、名古屋を通り、宮で東海道に合流するルートを通っており、全て東海道を通った訳ではありません。東海道を通って江戸へ向かったとばかり思いましたのでこれも驚きました。
東海道の途中にある薩埵峠が開かれたのも、1682年に、東海道の親不知といわれた難所から通信使の安全を図るために開かれたとのことであり、ここにも朝鮮通信使の影響が見られます。
朝鮮通信使の滞在先は、浅草の本願寺が中心だが、築地本願寺、谷中感応寺、瑞林寺、西久保天徳寺が予備として準備されていたとのことです。これは、江戸の火災を考慮した処置とのことです。
全体を通して、江戸幕府がいかに朝鮮通信使と大切にしていたかがよくわかる本でした。時間がなくて一つだけ読むのでしたら。「江戸時代の朝鮮通信使」がお薦めです。

