目に青葉 山ほととぎす 初かつお 素堂

昨日、鰹節の「にんべん」を紹介しましたので、今日は 「初鰹」 について書きます。
江戸時代、鰹は売り出し時期は4月と定められていました。
江戸っ子は、もともと、初物が大好きで、「初物を食えば75日長生きする」と言われ熱狂しました。
その熱狂を抑えるため、江戸初期の4代将軍家綱のころの寛文9年(1669年)には、すでに初物の売り出し時期が定められるほどでした。それにより、鰹は売り出し時期は4月と定められていました。
「初鰹」は初物の中でもっとも熱狂したものです。「女房娘を質に置いても」と言われるほど熱狂しました。 その年の一番の鰹が魚河岸に入荷すると、まず将軍に納められ、その後市中に出回りました。鰹は江戸初期から賞味されていましたが、その理由は「勝負にかつうお」と通じることと言われています。
東都歳時記には、「初堅魚(はつがつお) 東都にこの魚を賞すること他邦にすぐれ、相州より送る所 味はひ(味わい)美なり、鄙賎(ひせん)の者も高価を出してこれを求む」と書かれています。
大田南畝は、文化9年3月25日に入荷された鰹を、高級料理屋の八百善が2両1分づつで3本買い、3代目中村歌右衛門は1本3両で買ったと書いているとのことです。
最も高いのは、文政6年に、高級料理屋の八百善が4両で仕入れたのが最高値だそうです。
1両を、仮に現在の10万円とすると、鰹が40万円ですから、いかに高かったかがわかると思います。
しかし、幕末期には、その熱狂も下火になったようです。守貞謾稿には「2,30年前は、初めて来る松魚(かつお)1尾値金2,3両に至る。小民も争いてこれを食す。近年かくのごとく昌(さか)んなること、さらにこれなし。値1分2朱あるひは2分ばかりなり」と書いてあり、大幅に初鰹の値段が下がった様子がわかります。
江戸っ子の初鰹に対する思い入れは異常とも言えるほどですね。 現代の私たちはこれほどのことはありませんが、まぐろに対しては同じようなところがありますね。
ところで、江戸時代は、まぐろは下魚(げうお)と呼ばれ現代と違って高級魚とは思われていませんでした。時代により、好みが変わるということでしょうか・・・

