この唱歌は明治に作られたものですが、「卯の花」 は、右の写真のように清楚な花で、江戸時代には、4月8日にかかせない花でした。東都歳時記には、4月8日の灌仏会の項に、「在家にも新茶を煮て 仏に供し、卯の花をささげ、また戸外に卯の花を挿すなり」とかかれています。
旧暦の4月8日は、今年の暦では5月2日になりますので、ちょうど卯の花がさくころになります。卯の花はお釈迦様の花と考えられていたとのことです。
「卯の花」の名はウツギの花という意味から、または卯月(旧暦4月)に咲く花の意味ともいわれます。ウツギは漢字で書くと「空木」と書きます。茎の中が中空になっているので「空木」と名がついたそうです。戸外に挿す卯の花は、節分のときに挿した鰯や柊と交換にさしたもののようです。
それを表す川柳が残っています。
『卯の花と交替する赤鰯(あかいわし)』
『卯の花を片手に持ちし枯れ柊(ひいらぎ)』
しかし、この風習も江戸時代後半には廃れたようで、守貞謾稿には「今世 江戸、今日 卯の花を売れども、門戸に挟むを見ず。専ら仏前に供すのみ」と書かれています。
唱歌「夏は来ぬ」の作詞者は、第1回文化勲章を受章した国文学者で歌人の佐々木信綱です。教科書などで 「ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる 一ひらの雲」 という短歌をご存知の方もいると思いますが、この短歌の作者が佐々木信綱です。
佐々木信綱は四日市と亀山の間にある東海道五十三次の44番目の宿場町「石薬師」(現在鈴鹿市)で生まれました。
宿場町の面影を残す家並みのなか,生家に隣接して佐々木信綱記念館が建てられていて、『夏は来ぬ』の歌詞のとおりに記念館,生家の周りには卯の花を植えた垣根があるとのことです。
ここにも、「卯の花」と江戸とのつながりがあるように感じます。

