江戸時代の嘉永4年の 「俳諧歳時記栞草」 という本の「橘」の項に 「4月(もちろん旧暦)、小花をひらく、色白く甚(はなはだ)香(こう)ばし」 と書かれています。

「江戸名所花暦」には、夏之部で池上本門寺が名所として載っていて 「本堂左のかたに橘の大樹あり。花さき出づるころは、石段を登るに、その匂い繽紛(ひんぷん)たり。そもそも当寺は、日蓮上人入滅(にゅうめつ)埋葬の地なり」 と載っています。
橘は、日本に古くから野生していた日本固有の柑橘です。本州の静岡県以西の太平洋側から四国、九州それに台湾 や済州島に分布しています。暖地の海岸沿いに生え、わが国に自生する唯一の柑橘類です。橘の実は、外観はみかんににていますが、酸味が強くて食用に は適さないそうです。そのため、橘は実より花や常緑の葉が注目されました。常に緑であることから「永遠」につながるということでマツと同じように喜ばれたそうです。
そのため家紋のデザインとしてつかわれて、、蔦紋や桐紋などともに十大紋の一つに挙げられています。
橘の家紋を使用する家で最も有名なのが彦根藩井伊家です。彦根藩井伊家は、徳川四天王の1人の井伊直政が藩祖で、子の井伊直勝の代の1604年(慶長9年)に彦根に築城しましたが、その後1度の転封もありませんでした。
井伊家では、幕末期の井伊直弼が最も有名ですが、そもそも、井伊家は、直孝、直澄、直該、直幸、直亮、直弼と6代7度(直該が2度、直孝、直澄は異論もあります)の大老職を出すなど、譜代大名筆頭の家柄でした。
直弼は、大老となり、将軍後継問題では紀伊慶福の将軍就任を進め、日米修好通商条約の調印を行い、さらに、反対派への弾圧である安政の大獄を行いますが、桜田門外の変で暗殺されたことはあまりにも有名です。
また、江戸時代ではありませんが、橘は文化勲章のデザインとしても使われています。
文化勲章は昭和12年に制定されましたが、勲章のデザインは、橘の五弁の花の中央に三つ巴の曲玉を配し、鈕(ちゅう)という部分にも橘の実と葉が使われているということです。
その由来については、内閣府のホームページには、「常緑樹である橘は、平安京の頃から京都御所紫宸殿の南庭に植えられ、「右近の橘」と称されるなど古来から珍重されており、その悠久性、永遠性は文化の永久性に通じることから、文化勲章のデザインに採用されたと言われています」と書かれています。
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橘花(2) posted by (C)としゆき

