津軽稲荷神社はJR錦糸町駅から約7分。東武ホテルレバント東京を少し越えた場所にあります。
案内板には「青森県弘前城主津軽四郎為信十万石の下屋敷にあったので、津軽稲荷という。一万坪は明治43年の大水害と共に払い下げられ、太平町一丁目町会の所有となる。昭和7年町名変更で錦糸一丁目町会の守護神となった。」と書いてあります。津軽為信は弘前藩の初代藩主です。
津軽氏は、元は大浦氏といい、南部氏の支族であったといわれています。初代藩主となる為信は、南部家の混乱に乗じて独立し、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣して大名の地位を公認され、その後、関ヶ原の戦いでは徳川家康に味方して藩の基礎を築き、以後津軽氏が津軽地方を治めました。こうした経緯から、南部藩と津軽藩の間で争いが絶えず、文化5年(1808年)には、南部藩士の下斗米秀之進が津軽寧親の暗殺を計画したいわゆる「相馬大作事件」が引き起こされたこともありました。
津軽稲荷神社のすぐそばに 「大横川親水公園」 があります。昔の横川を一部埋め立てて親水公園として整備したものです。公園としては1993年4月1日に開園したそうです。川は埋め立てられ、せせらぎがあり、樹木が植えられていて、憩いの場となっています。かなりの人が歩いていました。
ところで、地図を見る時は、普通、南北を縦、東西を横といいますが、横川は南北に流れる川(運河)でありながら横川(現在の大横川)と名づけられています。これは、川が作られた時に、川の縦横が、江戸城から見て付けられたからです。
だから南北に流れる川が横川、東西に流れる川が竪川となっています。
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青印が津軽稲荷神社、赤印が大横川親水公園です。