宝珠稲荷神社は、深溝藩主板倉重昌の江戸屋敷内にあった神社です。
神社に設置されている由来書きで江戸屋敷に関する部分は次のように書かれています。
「宝珠稲荷神社は1615年の頃、三河の国深溝の領主板倉内膳匠重昌の江戸屋敷内に家内安全火除の神として祭神せられたるものなり (中略) その後1760年宝暦年間岩見の国津和野の城主亀井家に譲渡せられたるものなり 」
1615年は、慶長20年で、大阪夏の陣があった年ですので、江戸幕府が開かれてまもない頃から祀られていたことになりますので、非常に古い神社になります。
また、板倉重昌についても、「内膳匠重昌は京都所司代及江戸町奉行として令名高かりし板倉勝重の次男として1588年後陽成天皇の御代天正13年の頃の生まれである 重昌は武勇に富み敬神の念厚く大阪冬の陣島原の乱等に追討軍令として鎮台に務めたるも不幸にして島原に於て年齢50才にして戦死したるものなり 時の将軍は家光であり第110代後光明天皇の御代である 内膳匠の兄周防の守重宗は下總の国席宿の城主なり 」と書かれています。
板倉重昌は、由緒書きに書かれているように、島原の乱の総大将として、鎮圧にあたりましたが、戦いの中でなくなってしまいます。しかし、重昌の子孫は、江戸時代14代続き、福島藩主として、明治維新を迎えています。
宝珠稲荷神社は、建て替えのため、まもなく取り壊される「歌舞伎座」の東側の通りを少し北へ行った所にあります。歌舞伎座は平成22年4月の公演をもって終了となる予定です。新しい歌舞伎座は、劇場とオフィス棟を併せ持つ複合建物となる予定だそうです。
青印が宝珠稲荷神社です。

