このブログが、日経BP社が運営している日経BPネットのセカンドステージの
「大人のブログ探訪」(リンク済み)というコーナーで紹介されました。
原様 ご紹介いただきありがとうございました。
また、このブログを読んでいただいている皆様のお陰です。 ありがとうございました。
これからもご愛読ください。
さて、梅雨空の下で鮮やかに「あじさい」 が咲く季節になりました。
「あじさい」は、西洋から入ってきた園芸植物のイメージが強いのですが、日本原産の植物です。しかし、現在出回っている品種のほとんどは、江戸時代末期から明治時代に日本からヨーロッパに渡り、日本産のがくあじさいが品種改良されてきた西洋あじさいです。
右の写真が、日本自生の「がくあじさい」です。
「あじさい」という名前も日本語です。
大槻文彦が著した大言海には、「あじさい」は「あぢさゐ」とあり、「あぢさあい」つまり「集(あぢ)と眞藍(さあゐ)」の略であると書いてあります。「集(あぢ)」と漢字で書けばすぐわかるように「あつまる」という意味で、「眞藍(さあゐ)」は真っ青という意味です。こう書くと、まさにあじさいという名前は、花の様子を的確に表した名前だと言えます。
そうすると「あじさい」はカタカナではなくひらがなで書いたほうが良いということになります。また、別名は「よひらの花」とも言います。
あじさいと江戸の関係では、シーボルトを取り上げないわけにはいきません。
ドイツ人であるシーボルトはオランダ商館の医師として1823年(文政6年)に日本にやってきました。そのシーボルトはドイツに帰国後、「日本植物誌」という本を著し、あじさいもその中で紹介し、Hydrangea Otaksa と命名しました。このOtaksaは、シーボルトが愛した女性楠本滝、つまり「お滝さん」の名前だといわれています。
しかし、実際にはシーボルトより前にあじさいの学名をつけた人がいたため、シーボルトがつけた学名は、現在は採用されていません。 シーボルトより先に学名をつけた人は、1775年(安永4年)にオランダ商館の医師として長崎にきたスウェーデン人のツンベルクと言われています。でも、シーボルトの話のほうが有名ですね。
このシーボルトの縁から、長崎市の花は「あじさい」となっています。
東都歳時記や江戸名所花暦には「あじさい」の名所が載っていませんでしたので、江戸のあじさいの名所がどこかわかりせん。現代では、鎌倉の明月院(あじさい寺といわれている)が非常に有名ですが、東京では、白山神社でしょう。
白山神社は、東京メトロ「白山」駅や「本駒込」駅が最寄駅ですが、6月6日から14日(日)まで、文京区あじさい祭りが開かれています。
あじさいは約3000株あるということで、大勢の人でにぎわっていました。
ほとんどの人は、イベントの行われている社殿の前であじさいをながめていました。
しかし、社殿裏の富士塚にもあじさいがいっぱいあります。江戸好きの方は、社殿の裏に回って、富士塚のあじさいも見ていただいたほうがよいと思います。
富士塚が開放されるのはこの時期だけですので、貴重な富士塚に登れるのも、この期間だけということになります。
左の写真は富士塚に登る途中に咲いているあじさいです。

