梅は、バラ科サクラ属の植物で、アンズやスモモと近縁です。梅は、中国原産で、 奈良時代以前に、遣唐使が、中国から日本に持ち帰ったものといわれています。
中国では国花にもなっています。
渡来以来、花を観賞する目的で植えられ、「万葉集」では梅の花を詠んだ歌が110首以上あります。万葉集では、花と言えば梅の花を指しました。
実の利用を目的とする梅は、「実梅(みうめ)」と呼ばれ、江戸時代から本格的に栽培が始まりました。現在では、花を観賞するのが目的の「花梅」は約300種類、「実梅」は約100種類もの品種があるそうです。
梅は、アジアの一部で栽培される果実で、生食はせずすべて加工して利用されています。
梅は、日本では、梅干しに加工され、おにぎりやお弁当など日本食に切っても切れない関係にあります。
しかし、世界的に見ると、梅を食べる人は少数派で、欧米人はほとんど食べていないとのことです。
江戸時代の有名作家である曲亭(滝沢)馬琴は、庭に植えた梅の実を採って、梅干しを作る様子を「馬琴日記」に記しています。 文政10年(1827)6月3日
丙午 快晴 夕方より少し風立つ 薄曇
1 昼前 宗伯、神田須田町 池田やへ罷越(まかりこし)、梅2斗5升(45リットル)紫蘇5わ買い取り、池田や こぞうに荷(かつが)せ、昼飯前に帰宅
1 其の後、予(よ)、并(ならび)に宗伯手伝い、庭の梅、野梅・豊後梅等の実、これを採る。ぶんご3升5合(6.3リットル)・野梅2升(3.6リットル)あった。野梅の枝、庇(ひさし)へかかり候分、ことごとくこれを結ぶ。
紅梅9、青軸2、鴬宿梅2の実もこれをとる。
1 右の梅、惣(すべて)合せ3斗5升、お百これを着け畢(おわる)。むらこれを手伝。物置の薪過半とり出し、縁脇下へおく、予もこれを手伝い畢(おわる)
注 宗伯:馬琴の長男 お百;馬琴の妻 むら:女中か(?)
これを見ると、馬琴は3斗5升(63リットル)の梅の実を漬物にしています。すごい量です。
この日記にでてくる「豊後」「野梅」「紅梅」「青軸」「鴬宿梅」は、すべて梅の品種名で、現在も栽培されています。
特に豊後梅は江戸時代から有名です。「本朝食鑑」にも「豊後産の梅がすぐれており、肥前の産がこれに次ぐ。豊後の梅の木は大きく、(中略)実は極めて大きく、丸く肥え、生のうちは青紅であるが、熟せば黄紅になる。近ごろ諸州でもこの豊後の梅の樹の枝を挿し接ぎしたり根を移したりして子を採っているので、その他の地でもこれを豊後梅というのである。一株に一・二升から七・八升取れる。」と書かれています。
豊後梅は、その名のとおり豊後(今の大分県)発祥とされています。
また、江戸時代には、豊後杵築藩主松平家から毎年将軍家に大梅の砂糖漬が献上されており、そのおいしいこと、果実の大きいこと、更に花の優美なことで非常に珍重されました。
こうしたことから、「豊後梅」は「大分県の県の花」や「杵築市の市の木」となっています。

