実は、これは朝顔の花なんです。
「変化朝顔」 とか「変わり咲き朝顔」とか言われています。
朝顔はほとんどの人が漏斗型の花をイメージすると思いますが、変化朝顔は、写真のように、普通の朝顔のイメージとはかけ離れたものです。
この変化朝顔が、江戸時代後期に大ブームになりました。
今日の話題は、そのお話です。
江戸時代になると、朝顔の栽培は、かなり普及したようです。
加賀千代女の「朝顔につるべとられてもらい水」という有名な俳句がよまれたのは江戸中期の宝暦13年(1763年)のことです。
そして、江戸後期になると、1回目の文化・文政期、そして2回目の嘉永・安政期という2回のブームを迎え、武士から庶民まで広く親しまれるようになりました。
第1回目の文化・文政期のブームは下谷(現在の御徒町駅東側)が中心地でした。
明暦の大火、明和の大火と共に江戸三大大火の一つといわれる文化の大火(丙寅の大火)のあと、下谷付近が空地となり、そこで朝顔栽培をするようになったのが始まりと言われています。
ここで、丸咲きの原種に近い朝顔の中から、葉も花の形も変化に富んだ、いわゆる変化朝顔(変わり咲き朝顔)がつくり出され、育成されるようになりました。
「江戸名所花暦」には、朝顔の栽培の広がりについて次のように書いてあります。
『牽牛花(あさがお) 下谷御徒町辺
朝顔は往古(むかし)より珍賞するといへども、異花奇葉(いかきよう)の出来たりしは、文化丙寅(文化3年1806)の災後に下谷辺空地の多くありけるに、植木屋朝顔を作りて種々異様の花を咲かせたり。おひおひひろまり、文政はじめのころは、下谷、浅草、深川辺所々(ふかがわへんしょしょ)にても もつぱらつくり、朝顔屋敷など号(なづ)けて見物群集せしなり。』
この中で、異花奇葉(いかきよう)と書かれているのが、変化朝顔・変わり咲き朝顔と呼ばれているものです。
変化朝顔は、主に大輪の花の色や模様を鑑賞する大輪朝顔に対して、とても朝顔とは思えないような奇態をしめす花や葉を鑑賞する突然変異系統の朝顔です。
変化朝顔は、数多くありますが、その一例がここにあげた写真です。
いずれも、その変化ぶりに驚かされます。
江戸の人たちは、こうした変化朝顔に熱中したのでした。
やがて、天保年間になると、朝顔の中心は、下谷から入谷に移りました。
入谷では、植木屋たちが朝顔園に朝顔の植木鉢を並べて見物させ販売もしたのでした。
今日の変化朝顔の写真は、すべて「アサガオホームページ」さんのご提供です。
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