向島百花園は、仙台出身の骨董商、佐原鞠塢(さはらきくう)が、「多賀屋敷」と呼ばれていた元旗本多賀氏の屋敷跡の土地約3000坪を入手し、文化2年(1805年)に開園しました。
鞠塢と親交の深かった一流の文人墨客の協力を得て、360本もの梅の木を植えたことから、当時亀戸にあった「梅屋敷」にならって「新梅屋敷」とも呼ばれていましたが、文化6年頃より「百花園」と呼ばれるようになりました。
当時は、多くの人々の行楽地として賑わい、文人墨客のサロンとしても利用され、著名な利用者には「百花園」の命名者である絵師酒井抱一や門の額を書いた狂歌師大田南畝らがいました。
さらに、弘化2年(1845年)には、12代将軍家慶の梅見の御成りがあるほどでした。
その後、小倉家に所有権が移転したのち、東京市に寄付されて、昭和14年に公園として公開され、現在に至っています。
百花園は、佐原鞠塢の頃から、「詩経」や「万葉集」にゆかりのある草木類を多数栽培していて、野趣豊かな庭園になっています。 また、芭蕉の句碑をはじめ20数基の石碑が庭内に置かれています。
上の芭蕉の句碑には、「春もやや けしき ととのう 月と梅」という句が彫られていました。
だから江戸の文人趣味に作られていて、大名庭園とは雰囲気がちがうことが特徴です。
とくに秋の七草など秋の草花の美しさで知られていますので、これからが見ごろになります。ハギのトンネルが特に有名ですが、今回、ハギの花はまだ咲いていませんでした。
今回、百花園に行ったのは、変化朝顔をみるためでした。
変化朝顔は、7月3日のブログ「変化朝顔」に書いた通り、朝顔とは思えないほど変わった珍花奇葉をもつ朝顔です。
変化朝顔展は開催されるのが、この向島百花園と日比谷公園と国立歴史民俗博物館ぐらいですので、1級の人たちと見に行きました。
入り口からほど近い広場に、変化朝顔は、約30鉢展示されていました。
その中のいくつかを紹介します。
なお、変化朝顔の名前のつけ方には、一定のルールがあり、葉の色・形、茎の形、花の色・形、花弁の重ねを順に記していて、愛好家にはすぐわかるようです。
しかし、一般の人にはちょっと判読するのはむずかしいのではないでしょうか・・・
私も素人なのでちょっと・・・
← 青斑入蜻蛉葉木立
← 青蝙蝠南天○○紫
← 青渦葉紫丸咲
↑ 青縮緬蜻蛉葉淡桃台咲