白鬚神社の総本社は、滋賀県高島市にある白髭神社です。
東向島の白鬚神社は、慈恵大師(じえだいし)が、天暦五年(951年)、総本社である近江国の白鬚神社の分霊としてお祀りした神社と言われています。
江戸名所図会に次のように書かれています。
「隅田河堤の下(もと)にあり。祭神は猿田彦命なり。祭礼は9月15日に執行せり。別当は真言宗にして西蔵院と号(なづ)く。
相伝ふ、天暦5年辛亥(951)、慈恵大師関東下向の頃、霊示によりて近江国志賀郡打下(うちおろし)より、この地に勧請したまふとなり。天正19年(1591)に至り、神領を附したまふ。」
白鬚神社の祭神である猿田彦命は天孫降臨の道案内をされた神様で、このことから、道案内・導きの神としてあがめられていて、 この導きの信仰からお客様を導く商売繁昌の神様としても敬れています。
そうしたことからでしょうか、山谷の料亭八百善の八百屋善四郎と吉原の松葉屋半左衛門が、文化12年(1815)に寄進した狛犬が本殿の前に鎮座していました。台座にしっかり八百屋善四郎と吉原の松葉屋半左衛門の名前があります。 商売繁盛を願って寄進したのでしょうか。
また、猿田彦命は、渡来人の神様で、渡来人の多い地域に、白鬚神社が鎮座しているという説もあります。
この地域は、古代は渡来人が住んでいたのだろうかというような古代のロマンを感じさせる神社でもありました。
境内に、JA東京の立てた「寺島(てらじま)ナス」について書いた案内板がありました。
やかりやすい解説ですので、そのまま、書くと次のようです。
『寺島(てらじま)ナス
かつて、白鬚神社の周辺は寺島村といいました。元禄郷帳(1688~1704)によれば、この地域一帯は、水田を主とする近郊農村でしたが、隅田川上流から運ばれてきた肥沃な土はナス作りにも適し、ナスの産地として、その名も「寺島ナス」と呼ばれていました。
享保20年(1735)の「続江戸砂子温故名跡志」には、「寺島茄子 西葛西の内也。中の郷の先、江戸より一里余」とあり、「夏秋の中の嘉蔬(かそ)とす。」として、また、文政11年(1828)の「新編武蔵風土記稿」には、茄子として、「東西葛西領中にて作るもの」として「形は小なれどもわせなすと呼び賞美す」と江戸近郊の名産であることが記されています。
農家は収穫したナスを船を使って、千住や、本所四ッ目、神田の土物店(青物市場)等に出荷していました。江戸時代、悠々と流れる隅田川の東岸。田園地帯であった寺島に、後世に伝えるに値するナスの銘品があったのです。』
茄子については、過去のブログ「茄子」でも書いていますのでご参考にして下さい。