東京メトロ「日本橋」駅B4番出口を出れば目の前にあります。
「山本山」は、元禄3年(1690)に、初代山本嘉兵衛が、宇治から上京し、お茶のほかに、茶器類や和紙類を扱う店を創業しました。
初代以後、代々の当主は、「山本嘉兵衛」を名乗ります。
4代目の時に、宇治の永谷宗円が考えた製茶法によるお茶を「天下一」という名前で、元文3年(1738)に売り出し、たちまち人気商品となり、山本山の名声が高まりました。
なお、永谷宗円は、今の「煎茶」を作り出した人で、お茶漬け海苔で有名な「永谷園」のルーツは宗円にあります。
左の写真は店内に飾られている看板「山本山」です。昭和初期の頃まではお店の看板として外に付けられていたそうです。
「山本山」といえば、「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」というCMが有名です。
創業者は山本嘉兵衛さん、はて、最後の山はどうしてついたのか不思議ですね。
それは次のような事情だそうです。
「山本山」は、創業時は、「鍵屋」という屋号だったようです。その後、何度か店名が変わり、「山本山」となったのは、昭和16年だそうです。それは、非常に評判の高かった自分の茶園で栽培したお茶の名前「山本山」からきているそうです。「山本山」の人気はすごいもので、2時間で1800㎏売れる時もあったそうです。
まるほど、お茶の名前だったんですね。
6代目山本嘉兵衛は、かなりの人のようです。 「玉露」をつくりだしたのが6代目です。
「玉露」とは、今では、煎茶の最高級品を指す一般名称ですが、「玉露」の名前は、山本山の商品名「玉の露」に由来するものです。
天保6年に、宇治の茶製造所で、自分で、蒸茶葉をかき混ぜてみたところ、いつもとは違う茶葉できたそうです。この茶葉を江戸に持ち帰り、「玉の露」と名づけて販売したところ、大評判になったそうです。
また、6代目は「都竜」という号で狂歌を詠むという文化人の顔も持っていて、歌川広重と歌川芳虎に挿絵を描かせた狂歌集「狂歌茶器材集」を安政2年(1855)に出版しています。
店内のガラスケースに、その「狂歌茶器財集」が展示されていました。
お店の奥には、喫茶室があります。和菓子セットは600円、お茶は、抹茶、玉露、煎茶が味わえ、和菓子は、日本橋の和菓子の老舗「長門」の季節の和菓子が味わえます。
ちょっと高価なものもありますが、400円前後という手ごろな価格の焼き海苔もありますし、店先のおくつろぎ処では350円で煎茶セットが飲めますので、気軽に入れるよいお店です。
山本山さんには、お店での親切な対応に加えて、いろいろ資料もお送りいただきました。ありがとうございました。