ススキ(芒、薄)は、イネ科ススキ属の植物で、イネ科の代表植物とも言われます。
尾花は、ススキの花穂が獣の尾に似ていることからのついた名称です。
カヤともいいますが、カヤとは、屋根を葺く草本の総称です。
ススキは一種類かと思いましたが、ススキのほか、トキワススキ、ハチジョウススキなど10種類ほどあるそうです。
万葉集には、薄(ススキ)で17首、尾花で18首、茅で8首の歌があるそうです。
また、枕草子では、次のように書かれています。
『これにすすきを入れぬ、いみじうあやしと人言ふめり。秋の野のおしなべたるをかしさはすすきこそあれ。 穂先の蘇枋のいと濃きが、朝露にぬれて、うちなびきたるは、さばかりの物やはある。
秋の果てぞ、いと見所なき。いろいろに乱れ咲きたりし花の、かたちもなく散りたるに、冬の末まで、頭のい と白くおほどれたるも知らず、昔思ひ出顔に、風になびきてかひろき立てる、人にこそいみじう似たれ。よそ ふる心ありて、それをしも あはれと思ふべけれ。』
よく読むと、清少納言のススキについての思い入れがわかります。
徒然草には、「ますほの薄(ススキ)」の語義を知ろうとする登蓮(とうれん)法師の説話が書かれています。
江戸時代、武蔵野はススキの原でした。それを、明治の文豪 国木田独歩は、名作「武蔵野」の中で、
『昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたように云い伝えてある』 と書いて、ススキが武蔵野の原一面に生えていたことを教えてくれます。
その風景は、江戸名所図会の広尾原(ひろおのはら)にもうかがえます。
斎藤月岑(幸成)のコメントはありませんが、長谷川雪旦の絵をみると、ほとんどススキの原の光景になっています。
俳句でもかなりススキは詠まれていますが、江戸時代ではなく近代の作になりますが、最も有名な俳句は次の句ではないでしょうか。
をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏
さて、十五夜にとってススキは欠くことのできない植物ですが、神様に秋の収穫を感謝するために、稲穂に見立てたススキを飾るといわれています。
またススキは魔よけの力があるともいわれ、人の病気予防や、稲が丈夫に育つようにという願いが込められているという説もあります。