10社巡りの第6回は、「亀戸天神社」 です。
亀戸天神社は、俗に亀戸天神と呼ばれますが、由緒書きには、『古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。』
と書かれています。
江戸名所図会にも「宰府天満宮」のタイトルとなっており、「亀戸にあり。ゆえに亀戸天満宮とも唱ふ」と書かれています。
亀戸天神社は、正保3年(1646)九州太宰府天満宮の神官だった菅原大鳥居信祐(道真の末裔・亀戸天神社初代別当)が、神のお告げにより、道真ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、諸国を巡り歩き 、江戸の本所亀戸村にたどり着き、村に元々あった天神 の小さなほこらに神像をお祀りしたのが最初です。
徳川幕府は、本所の町を、江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進しました。
そして、寛文2年(1662)に太宰府にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されています
【鷽(うそ)】
例年1月24日~25日に、縁起物である木彫りの鷽(ウソ)が授与されます。「去年の悪(あ)しきはうそ(鷽)となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによるそうです。木彫りの鷽は、高さ5~22cmくらい、白木の円柱に上部3分の1位が荒削りされ、頭部と腹部となり、背後は削り掛けの手法で尾羽が切り込まれ、彩色は頭が黒、胸は朱、背の羽は緑と黒とのことです。
境内に、鷽の像が置かれてます。
【神牛(しんぎゅう)】
菅原道真と牛との縁は大変深いものです。まず、菅原道真は承和12年(845年)の丑年生まれです。
また、葬送中、遺体を乗せた車を引く黒牛が動かなくなり、その場所を墓所と定め、その後、その場所に社殿を建立し、霊を祀ったことが太宰府天満宮の起源であり、その年も丑年でした。
さらに、道真が京都から大宰府へ下向中、白牛によって難から逃れることができたという故事が伝えられています。
こうしたことから、牛は天神の神使(みつかわしめ)として信仰されています。
神牛(しんぎゅう)座像は、昭和36年、鎮座三百年祭時に社殿の復興とともに奉納されたものです。
この神牛に触ることにより病気を治し、知恵を得るといわれています。
【花祭り】
亀戸天神は、梅の花、藤の花で有名です。梅まつりは、2月第2日曜日~3月第1日曜日に開催されます。
梅の木は約200本(紅梅 50本 白梅 150本)があるそうです。初夏の藤は、早春の梅とともに亀戸天神社を代表する花です。
4月下旬から黄金週間にかけて藤まつりが開かれます。
こちらも大勢の人で賑わいます。
さらに、10月第4日曜~11月下旬には、本殿の正面を取り囲むように菊が展示されるとのことです。

