根津神社は、東京メトロ「根津」駅より、歩いて5分のところにあります。
根津神社は、神社の御由緒に「根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している」と書かれている歴史の古い神社です。 そして、この地にあった徳川綱重の屋敷に生まれた徳川綱豊(のちの家宣)が、5代将軍綱吉の継嗣となった時に、将軍徳川綱吉によって社殿が建立され、千駄木の旧社地より遷座した神社です。
斎藤月岑(げっしん)が書いた江戸名所図会には、次のように書かれています。
『上野より5町ばかり隔てて乾(北西)の方にあり。
当社境内、始めは甲府公(徳川綱重)御館の地なりしが、根津権現は大樹(徳川家宣)御産土神(うぶすな)にて、御宮参りまでありけるゆえ、のちに右の御館の地を賜り、宝永年中新たに当社を御造営ありて結構賜る。随身門に掛くる「根津大権現」の額は、大明院宮公弁法親王の真蹟なり。旧地は千駄木坂の上、元根津といへるところにあり。』
宝永2年(1705)、5代将軍綱吉は兄綱重の子である甲府宰相綱豊(のちの6代将軍家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納して、世に天下普請と言われる大造営を行ないました。この本殿は、宝永3年(1706)完成した総漆塗りの華麗な権現造建築で江戸の神社建築としては最大の規模を誇る大きな建物で、国の重要文化財に指定されています。 参拝した日は、本殿の一部が工事中でした。
その他、唐門、透塀、楼門等の当時の建物が全て現存していて、国の重要文化財に指定されています。
【駒込稲荷神社】
駒込稲荷神社は、本殿の西側に鎮座しています。もとは徳川綱重の邸内社つまり綱重のお屋敷に鎮座していた神社だそうです。
社殿前の手水舎の屋根に、三葉葵の紋が残っているところが、徳川将軍家に関係する神社であることを物語っていて素晴らしいと思います。 【胞衣(えな)塚と産湯井戸】
根津神社の境内地は、元々、6代将軍家宣の父徳川綱重の下屋敷でした。そして6代将軍家宣も、この地でうまれました。そのため、家宣の胞衣(えな)塚や産湯井戸があります。
胞衣塚は本殿西側の乙女稲荷神社の参道の脇にあり、文京区の区指定文化財の説明板もあります。

産湯井戸は、社殿の東側の社務所の庭にありますが、非公開ですので見られません。
右の産湯井戸の写真は根津神社様のご厚意で転載させてもらいました。
【青銅灯篭】 社殿前に一対に青銅灯篭が並んでいます。宝永7年(1710)に藤堂和泉守高敏が奉納したもので、国指定重要文化財となっています。藤堂和泉守高敏は、伊勢国津藩の第5代藩主です。寄進の由来はよくわかりませんが、一族の伊勢久居藩藩主の藤堂高堅(たかかた)が社殿建築にかかわっていたことと関係があるのかもしれません。
根津神社は、この他、楼門、唐門、透かし塀等 重要文化財が数多くあります。
機会を見て、また、改めてご紹介します。 それは、有名なつつじまつりの頃かもしれませんが・・
【つつじ】
根津神社と言えば、つつじまつりのイメージが浮かぶ人もいるくらいつつじが有名です。根津神社の境内となる前から、徳川綱重が屋敷の庭につつじを植えたことに始まっているとのことです。
江戸名所図会にも『当社境内は、仮山(つきやま)・泉水等をかまへ、草木の花四季を逐(お)ふて絶えず、実(まこと)に遊観の地なり。』紹介されています。
現在も花の時期(4月中旬から下旬ごろ)には約50種3000株が咲き乱れ、文京つつじまつりが開かれます。

