芝大神宮は、JR「浜松町」から5分です。
ちょうど11日から21日まで例大祭いわゆる 「だらだら祭り」 が開かれています。
門のまわりは、祭り提灯で囲まれていました。
芝大神宮は、もともとは、単に「神明」あるいは「神明宮」と称していたが、日比谷に鎮座していたことから「日比谷神明」と、また飯倉御厨に鎮座していたことから、「飯倉神明」と、さらに「芝神明(芝神明宮)」とも称されていました。
また、ご祭神が、伊勢神宮内宮の主祭神である天照皇大御神と伊勢神宮外宮の主祭神である 豊受大御神をお祀りすることから、関東における伊勢信仰の中心となり、「関東のお伊勢様」とも尊称されていました。現在の神社名の「芝大神宮」としたのは明治5年からだそうです。
芝大神宮は、社伝によれば、一条天皇の御代、寛弘2年、伊勢の内外両宮を勧請して創建したといい、源頼朝は2度に亘って神領を寄進したといいます。戦国時代には太田道灌の崇敬を受け、豊臣秀吉も天正18年に、奥羽平定のために江戸を進発するに際して戦捷を祈願し、徳川家康も同年、江戸入府に際して社参したそうです。
慶長3年(1598年)、増上寺が当神社の旧鎮座地(芝公園)へ移転することとなったため、現在地へ移り、翌々5年、家康は関ヶ原出陣に際し、社参して戦捷祈願をし、同19年から20年にかけての大坂の役では、徳川方の戦捷祈願をするべく、将軍秀忠の正室お江与の方(崇源院)の代参として、家光の乳母である春日局が社参をしているとのことです。
以後、歴代将軍家・幕府の庇護を受け、大名による参詣等諸侯からも崇敬を受けました。
また、江戸時代にはお蔭参りといわれる伊勢神宮への参拝が数多く見られますが、伊勢神宮にお参りする代わりに伊勢神宮の祭神を祀っている「関東のお伊勢様」である芝大神宮への参詣者が増えていったと考えられています。
現在の本殿は昭和39年には再建されたものです。
平成17年の例大祭では、鎮座1000年を祝う「芝大神宮壱千年祭」を行ったそうです。 鎮座1000年ですからすごいですね。
【生姜祭り】
例大祭は、9月11日から21日まで、神輿渡御などの各種神事が行われますが、それが長期間「だらだら」と続くために、昔から「だらだら祭り」とも言われています。
また期間中に生姜を授与しているところから、別名「生姜祭り」ともいいます。
江戸時代には、小伝馬町の「べったら市」とともに江戸の風物詩になっていました。
本殿には、高知県園芸農業協同組合から、生姜が奉納されていました。生姜の一部を神主さんからお授けいただきました。
【神明生姜】
神明生姜も売れていました。一束800円でした。
神明生姜は、芝大神宮の創建の頃、周辺には生姜畑が繁茂していたため、これを神前に供えたといい、その撤下を食すと風邪に罹りにくくなるとの評判が生じ、それ以来、例祭期間中に生姜を授与するようになったといわれています。
【め組の半鐘】
本殿に、「め組の半鐘」がかざられていました。
め組の喧嘩(めぐみの けんか)は、文化2年(1805年)に起きた町火消し「め組」の鳶職と江戸相撲の力士たちの乱闘事件で、講談や芝居の題材にされましたが、歌舞伎では、「神明恵和合取組(かみの めぐみ わごうの とりくみ)」として上演されます。
現在でも、主演俳優が参拝するならわしがあるそうです。
喧嘩」の時に、この半鐘を鳴らしたため騒ぎが大きくなったといわれ、半鐘は三宅島に遠島処分になりました。その半鐘は、明治時代になってに戻ってきました。
本殿に飾られていたのは、その半鐘だそうです。
【千木筥】
これが千木筥(ちぎばこ)です。
名前の由来は、神社の千木の用材でつくったことに起源を持つとか、餅を盛った器(餅器「もちき」)の「も」を略して千器といったとかの諸説があります。
現在は千木が「千着」に通じることから、女性の衣服が増えるとして、女性がたんすに収める習慣があります。また千木筥の中には豆が入っており、部屋に吊るしておくと、雷除けになるともいわれています。
芝大神宮の皆さまの対応は大変親切でした。21日まで例大祭が続きます。一度お出かけになられてはどうでしょうか!